0:眠る恩師と辰の近況
高校時代
「やあ、一葉君!」
「・・・」
「聞こえてない?見えてない?そんな、僕はまだ死んでないんだけどな」
「・・・鬱陶しいぞ、九重」
一応、後ろの席になったこの男は九重一馬
一つ年上らしい。どうしてこんなところにいるかわからないようなほわほわした男だが、多分バカなのだろう
そうでもなければ、こんな不良の巣窟、名前を書けば合格できるような高校に来るわけがない
「ああ、よかった。聞こえているのなら返事をしてくれればいいのに」
「鬱陶しいの意味がわからないのか。うるさいんだよ、お前。俺に関わるな」
「えー」
「・・・」
「返事を返してくれたのは君だけなんだー。寂しいよー遊んでよー。他の皆ともそれなりに関わりがある君と仲良しになれればいじめられる心配とかなさそうだしー・・・」
「いー・・・やー・・・だー・・・」
「うぼっ・・・」
「なんだよ、そんな具合悪そうな声を出しても・・・」
急に変な声がしたのを、よく覚えている
先ほどまで遊んで遊んでと「かまってちゃん」をしていた九重は、後ろで苦しそうな声を出す
流石にそれに釣られるほど俺もバカではない
が、念の為だ。念の為。後ろで何があったか確認してやるだけだ
どうせ「うっそー。あはは。一葉君は正直者だね!」とか馬鹿にするんだろうけど
「あ、ごめん。また血吐いちゃった」
「ぎゃああああああああああああ!!?」
ふらつく九重はそのままなぜか俺のところにやってきて、俺の新品の制服にさらに追加で血をぶちまけた
人間ってここまで血が吐けるのか。いや、むしろこんな状態の九重は平気なのか
色々考えている間に、俺と九重は気絶してしまったらしい
「べしゃべしゃべしゃ・・・」
「こんなのぶちまけられるなんて・・・としゃぶつのほうが、はるかに、まし・・・」
後の顛末は虎徹に聞くことになったのだが、まあ酷いものだったとか
玲からは「教室の掃除、俺たちがやったんだぞ・・・」と文句言われるし、真純からは「教室掃除代行費用プリーズ!」なんて金せびられるし大変だった
制服は買い換える羽目になったし散々といえば散々だ
しかし、今の俺がいるのはこの血反吐野郎・・・九重一馬に出会ったからだ
こいつがいなければ、俺は教師になることもなかったし
彼女と、出会うこともなかった
・・
玖清総合病院
お見舞いの品なんて持って行っても意味がないことは理解しているので、手ぶらで彼の元へ向かう
『ドリーミング・プラネットにユーザーが閉じ込められてから早一年・・・』
院内で流れているニュースは今日も同じ
解放されたなんて話題は、一切ない
今日も彼は、眠ったままだろうな
受付で手続きを済ませた後、病室へ向かう
九重家の兄弟たちの名前しかない病室に入り、窓際の一番奥のカーテンを開ける
そこには眠る一馬と、見舞いに来たであろう二人の後輩
巳芳覚と卯月東里が珍しいことにお見舞いに来ていた
「もう一人」の単体ならわかるが、こいつらが来ているのは予想外だ
「・・・お前らがここにいるなんて珍しいな、覚、東里」
「げぇ、出た」
「お久しぶりです、拓実先輩」
「久しぶり。覚、後で昼飯買ってこい。東里の分もな」
「なんで俺だけ・・・」
げぇ、とか言うからだよ。昔っから変わらないアホ具合にため息しか出ない
周囲を軽く見てみる。やっぱり、あいつはいない
いない方が助かるんだが・・・トイレに行っているだけ、とかで後で鉢合わせても気まずいし、一応確認しておくか
「しかし、お前ら二人だけなんて珍しいな。夏彦は?」
「あいつ入院中なんですよ」
「覚、夏彦に伝えておけ。バカは病院じゃ治してもらえないぞ?」
「バカだから入院してるわけじゃないですからね。あいつ、この前、会社の階段から落ちたんですよ」
「頭から落ちちゃったので、しばらく入院してるんです」
バカがさらにバカになるのか・・・覚、東里。お守り役も大変だな
同情は伏せたまま、平常心のまま二人との会話を続ける
「まあ、夏彦のことはどうでもいいんだ。一馬は?」
「まだまだですよ。長いでしょうねぇ・・・」
「そうだろうなぁ」
俺たちが使っている情報デバイス「A-LIFE」
それでプレイできるゲームがあるんだが、その中にプレイヤーが閉じ込められる事件が起きている
一馬もその犠牲者の一人。もちろん、一馬の八人いる弟と妹も全員だ
「そういえば、拓実先輩ってドリーミング・プラネット、生徒さんに誘われてプレイされていましたよね。なんで寝てないんですか?」
「ちょうどその時、学校の池に落ちてな。着替えるついでに外していたんだ。だから回避できた」
「「運いいなこの人・・・」」
言われなくても、自分の運の良さは自覚している
運がよかったから、生き残れた
運がよかったから、普通に生きていたら絶対に出会えない人間に巡り会えた
運がよかったから。変なゲームに巻き込まれずに済んだ
運がいいけれど、宝くじを買ってもあたりはしない
けど、自分の人生に関わる問題に対しては俺の運はかなり強く働いてくれる
重要な局面で大きく働いてくれる強運が味方の時点でかなり使い勝手がいい
「ところでお前らは何で寝てないんだ?覚とかやってそうなのに」
「俺、こうみえてゲームしたことないんですよ。だからやろうとか思えなくて」
「僕も、ゲームは苦手なんです」
「珍しいよな、今時」
まあ、そういう人は一定数いる。うちの生徒だって、家庭の方針でとか、苦手だからとかそういう理由でゲームをプレイしていない子は多かった
・・・ゲーム内に入ってしまった子たちは、無事でいてくれたらいいんだが、少し不安だ
「そういえば、ここにいるんだよな」
「どうしました?」
「奏、一馬の四番目の妹。俺の教え子なんだ」
「へぇ・・・」
九重奏のプレートがかけられたカーテンを開ける
一馬と同じように呼吸器と点滴が繋がれた彼女の体も、少しずつ細くなっている
育ち盛りなのに、こう細くなっていく姿を見ることしかできないのは、待つ側としては心苦しい
俺には、この騒動が長引かないことを祈ることしかできない
奏だけじゃない。俺の教え子だった子、去年担任をしていた子
そして、今年、担任をするはずだった子・・・全員心配だ
どうか早く帰ってきてほしい。無事に、帰ってきてほしい
カーテンを閉めて、再び一馬のところに戻る
そこで東里が俺にある疑問をぶつけてきた
「あの、拓実先輩」
「どうした、東里」
「前々から聞きたかったんですが、どうして拓実先輩は教師になろうと?」
「聞いたとき、正直なことを言いますが、イメージとは真逆だとは思いましたね。一馬先輩に憧れてって訳でもなさそうですし」
「こいつはどんなに頑張っても手が届かない一等星だ。憧れることもおこがましい」
なんとなくなんて言えるわけがないな
なんとなく高校を卒業して、なんとなく、大学に、教育学部に進んでみた
それからなんとなく・・・
『死ってなんだと思いますか?』
あの子に出会って、きちんと教師を目指そうと思った
それは将来的に話すことになるけれど、彼らではない
ここにはいない、山吹色の辰相手にだけ、話すことになる
「なんとなく、こいつについて行っただけだからな。なんとなくから、きちんと目指そうと思えたのは教育実習の時。その時の話はしてやらない」
「えぇ・・・」
「俺はそろそろ戻るよ。またな」
「ええ、また」
二人の見送りを受けた後、その足で美術館へと向かう
展示が気になるのもあるけれど、なによりも・・・
「・・・っ」
考え事をして歩いていると、誰かにぶつかってしまう
とっさに彼女を支えて、無事を確認した
「おや、大丈夫ですか・・・」
「はい。あ、ごめんなさい!怪我はないですか!?」
「私も大丈夫です。怪我がなくてよかったです」
それから一言二言会話を交わしてから彼女とは別れた
その少女は、とても見覚えがある
茶色の髪に、夕陽色の瞳
少しだけ陰りのあるその空気は、あの日の少女と同じ
「夏樹・・・?」
遠目からもわかるほど、作り笑いがさらに上手くなっている
間違いなくあの子だ
一緒にいる二人からも夏樹だと呼ばれていた
「覚えていないか、ただの教育実習生との約束なんて」
彼女たちに背を向けて、一人、歩いて行く
目的地はまだ、遠い
 




