36:ある穏やかなひととき
朝比奈さんがいなくなってから、私たちは部屋に取り残される
互いに無言のまま、雪季君は立ち尽くしていた
「・・・あの、夏樹さん」
「どうしたの、雪季君」
「・・・お加減いかがですか?」
「大丈夫だよ。心配してくれてありがとうね」
それを聞いた雪季君は安堵したのか、緊張の糸が解れるように頬を緩ませてくれる
「雪季君も初日からずっと付きっきりだったんだよね。ありがとう」
「いえ、僕はただ・・・夏樹さんが起きるのを待っていただけなので、特に何も・・・」
「それだけなんて・・・色々してくれたんだよね。朝比奈さん、雪季君の奮戦は一言では語りつくせないって言っていたし・・・」
「大したことは・・・朝比奈さんや星月さん。それに、十年後の夏樹さんの方が・・・」
雪季君はそう言うけれど、この一ヶ月、私のことを一番心配してくれていたのは誰だろうか
朝比奈さん?星月さん?それとも、十年後の私?
確かに、心配はしてくれていただろうけど・・・一番かと言われたら違うだろう
私が起きるのを待って、ずっと身を案じてくれていたのは・・・?
目覚めた時に泣くほど喜んでくれたのは・・・
「雪季君」
「どうしました?」
「ちょっと、こっちに来てくれるかな」
「は、はい。もちろんです」
彼を手招きし、横にある椅子に座ってもらう
「手を出してほしいな」
「はい。どうぞ」
「・・・・」
「・・・一体、何を?」
私は布団から手を伸ばして、差し出された彼の手を握る
「・・・ありがとう」
「いえ。僕は・・・」
「心配してくれてありがとう。起きた時、喜んでくれてありがとう」
「ちょっと、なんなんです?急に・・・」
なかなか素直に受け取ってくれない
けど、それでも感謝の言葉は伝えたいのだ
「・・・側にいてくれて、ありがとうね。雪季君」
「僕が、できたのはそれだけです。貴方が起きるのを待つことぐらい」
雪季君の手に力が籠められる
少し強めのその力は、少しだけ痛みを覚えるが
そこから、彼の無力さ故の怒りが伝わってくるものだから離してなんていえなかった
「元々、貴方が怪我をしたのは僕のせいではありませんか。僕があの時逃げなければ、貴方は今も美味しいものを食べて歩き回っていたんですよ?」
「気にしなくていいよ。私の失態だもん」
「それを起こした原因は・・・!」
「雪季君は、私が起きるまでずっとそうやって自分を追い詰めていたの?」
「それは・・・」
雪季君の目が右往左往する
ああ、これはずっと自分の事を追い詰めていたんだ
自分のせいで、私が怪我をしたんだって
私は、怪我をした時の事を全く覚えていない
岸間さんたちの作戦を実行したあたりから記憶がなくて、そこから気が付いたらわき腹が痛くて血が溢れていた
そこから気絶して今に至る・・・ぐらいの記憶すらないのだ
「よかった。生きて帰ってこれて。これで死んでいたら・・・今頃雪季君もっと自分の事を責めていたよね?」
「全然よくな・・・」
雪季君が何か言おうとするが、私はそれを彼の腕を引いて止めさせる
「終わりよければすべてよしって言うでしょ?この件の話は終わり。これからは療養に専念しないといけないんだから、後悔している暇なんてないんだよ?」
「・・・」
「それでもまだ自分を責める気なら、全部私にぶつけてよ。これは、私の弱さが招いたことなんだからさ」
「・・・夏樹さん」
「私は、わき腹が撃たれるまでの記憶がないんだよ。もしかしたら戦っている途中に意識を失っていた可能性もあるの」
「・・・そう、ですね」
「心当たりあるんだ」
「・・・ええ」
彼の表情が露骨に曇る
それは、あの時の私に異常があったことを確かに示す行動だった
「話してくれる?」
そう問うと、彼は無言で首を横に振る
「元気になってから、です」
「わかった。じゃあ、療養頑張らないとだね」
「ええ。絶対安静ですからね?約束ですからね?」
繋がれた手はゆっくりと離される
それに少し寂しさを覚えつつ、離された彼の手の行き場を見つめていた
「うん」
「ほら、お布団ズレていますよ。被せますから大人しくしていてください」
「ありがとう」
「痛みはまだある・・・と言っていましたよね」
「うん。少しだけ」
「カマボコさん、鎮痛剤は?」
『ご用意できています』
「じゃあ、ご飯を貰ってきましょう。空の胃で飲む薬は・・・」
『点滴、開始しますか?』
「・・・お願いします」
カマボコさんの腕から針のついたチューブが伸ばされる
それを腕に刺され、固定される
「て、点滴ならもう少し早く・・・」
「・・・・ふ」
「な、夏樹さん!?お腹に負担があるんですから笑っちゃだめです!」
「雪季君が笑わせてくるもん」
「正論なので反論できません・・・」
雪季君は再び隣の椅子に座って、そこで先程の行動を振り返り溜息を吐く
「まあまあ・・・凄く頼りがいがあるなって思ったよ」
「・・・空回りでしたけどね」
いじけて、頬を膨らませて・・・如何にも子供がいじけていますといった様子だった
それに口には出さないけれど可愛いなと思いつつ、彼へと再び手を伸ばす
「どうしたんですか?」
「手を、握っていてほしいんだ」
「・・・不安、ですか?」
「うん。痛い時とか、寝ていないといけない時とか、誰かに側にいてほしいなって思う」
「そうですか」
彼はそう言って、私の手に自分の手を重ねてくれる
「・・・あのさ」
「どうしました?」
「雪季君が良ければ・・・一人で色々できるまで頼りたい」
自分でも無意識に告げた言葉を、心の中で復唱する
私は割と、とんでもないことを言ったのではないだろうか・・・と改めて思う
「・・・」
咄嗟に彼の表情を覗くと、驚いたまま動いていなかった
ただ、茫然と私を見ていた
「ご、ごめん。急な提案で・・・!?それに、雪季君自身にも負担をかけることになるし、さっきのことは・・・」
「いえ。貴方さえよければ僕にお手伝いをさせてください」
「・・・いいの?」
帰ってきたのは予想外の答えだった
けど、その予想外がとても嬉しく思えた
「はい。本当は冬夜さんとか頼りがいのある方を頼りたいかと思うでしょうけど」
「もし、冬夜君が起きていても、今なら・・・」
もし、同じ状況で冬夜君が起きていても・・・今ならきっと、雪季君に頼んでいたと思う
なぜかわからない
けど、けど・・・なんだろう
理由はわからないけど、彼にただ、そばにいてほしいのだ
「何か言いました?」
「ううん。雪季君が引き受けてくれるなら嬉しいよ」
「嬉しい、ですか・・・そうですか」
朱に染まった頬を複雑そうにかく
嬉しさと、照れが混ざったその表情を浮かべていた彼は一度咳払いをする
何かを切り替えるように、一回だけ
「それに、少し試したいことがあるんです」
「試したいこと?」
「ええ。貴方には知っておいてほしいです。僕の力を」
彼は椅子から立ち上がる
手は離さず、右手を宙にかざす
「奇蹟を謡え、ルミナリア!」
その言葉を告げた瞬間、雪季君の足元が緑色に光る
足元から蔦らしきものが生えて、周囲にまとわりつく
「来てください、風樹!」
それを合図に、部屋にあるものがやってくる
尾が分かれた大きな猫
その特徴を持つ存在は雪季君と共に乗り込んだあの猫しかいない
「・・・三池さん?」
「元、ですね。名を風樹と言います」
「本当の姿とかいうのなのかな?」
「はい。そして、今の僕が隷属している妖の一人となります」
三池さん・・・風樹はそれに応えるように、雪季君の隣に控える
「んん?」
三池さんが来た時から、徐々に壁が黒くなっていく
よく見ると、部屋中の壁には虫がびっしりと
種類は豊富で、何がなんだかわからないけれどとにかく気持ち悪い
「ひっ!?」
「驚かせてごめんなさい。害虫は抵抗ありますよね・・・」
「そ、そりゃそうだよ・・・」
「すみません、まだ力のコントロールが効かなくて。今、隷属をかけているものは全て呼び出してしまったようなんです」
反射的に窓を見る
窓の外には無数のカラスが止まっている。手すりに所狭しと並んだカラスは雪季君の姿を見て叫び始める
止まりきれないカラスは宙を舞い、その存在をアピールする
「・・・風樹以外、通常に戻ってください」
眉間に皺を刻んで彼は一つ命令を下す
すると、集っていた虫とカラスは散り散りになりどこかへ消えていった
でもすぐ近くにいることはなんとなく空気で感じた
雪季君の命令にすぐ答えられるように
「かつて僕は貴方に動物と話す力があると言いましたよね」
「うん」
「それは、この力の一部だったんです。すべての生き物を隷属する力・・・それが僕の持つ「ルミナリアの奇蹟」という能力なんです」
「・・・なるほど。雪季君も能力者とかいう存在だったんだね。でも、それを何に試すの?」
「試すというか、練習ですね。先ほどのように出力を誤るとすべてを呼んでしまうんです。必要な時に、必要な人材を・・・呼ぶために。来るべき時の為に、少しでも能力を扱えるようにしたいんです」
「・・・わかった。けど、無理をしないようにね」
「ええ。もちろんです。この力を使いこなし、貴方のサポートもきっちりやり遂げますよ」
「お願いします」
彼が自信ありげに打ち明けてくれた能力
糸ではないことに、落胆を覚えたのはなぜだろうか
全く、わからない




