35:淡い友情、儚く絶える願い
「・・・傷口は塞がってはいないが、他に異常はないよ」
私が目覚めてから数時間後
泣きじゃくる雪季君を宥め終え、彼は腫らした目のまま朝比奈さんを呼びに行ってくれた
顔を洗ってからでも・・・と言ったのだが、慌てて出ていった彼には、今の私の声はどうやら届いていないらしい
「・・・泣いた後の相良がすっ飛んできたから何事かと思ったよ」
「そ、それは・・・」
「まあ、泣くほど嬉しかったんだろうな。こいつ、初日から付きっきりだったし」
「あ、朝比奈さん!?それは言わない約束で・・・!」
「可愛いくて健気な相良の奮戦は、一言では語れないぜ!」
一体、私が寝ている一ヶ月の間に何があったんだろう
朝比奈さんと雪季君が楽しく話す光景に笑いが零れる
「おっと、あんまり腹に力入れるなよ?負担がかかる」
「・・・そうなんですか?」
「ああ。修復はしているんだが、まだ完治はしていない。何かの影響で傷口が開くって言うのは避けたいから、なるべく腹に力を込めて笑わないように。爆笑とか論外だ」
「ど、努力します!」
「頼んだぞ」
右のわき腹をそっと撫でる
包帯に巻かれたそこに触れると、まだ強い痛みが走る
一ヶ月あっても、まだ治る気配はないようだ
「結構深かったからな。生死の境も彷徨っていたし、危険な状態だった」
「輸血も必要な状態で、朝比奈さんと岸間さん。それと、十年後の夏樹さんがいなければ今頃・・・」
「それに、悠翔の人工造血な。今回の立役者は多いから、元気になったらお礼参りでもして来い」
「そう、ですね・・・」
色々な人にお世話になって、私は今ここに居る
まさか、星月さんまでこの件に関わっているなんて・・・
初日では人を殺しそうな勢いだったのに、なんだか意外だ
「朝比奈さん、ありがとうございます」
「早速か。気にするな。ちなみに、この船のO型は俺とお前だけだから、俺に何かあったときは頼むわ」
「はい。任されました」
「任せたぞ!俺の命はお前にかかっている!」
今回のように輸血が必要な事態になれば、同じ血液型がいるというのはある意味安心感を持てる
もしものことがあれば、微力ながら朝比奈さんの力になれればいいな
最も、もしものことがないことを祈った方がいいのだが
「でも、なんだか意外です」
「意外って?」
「朝比奈さんは技師、なんですよね?お医者さんみたいなことをされているので・・・昔、実は医者だったとか?」
「あー・・・これ、色々と事情があるんだ。話はするけど、聞かなかったことにしてほしい」
「は、はい?」
私の問いに朝比奈さんは困ったように頬をかく
「カマボコさんを作る為に知識だけは齧ったんだよ。技術も全部カマボコさんに突っ込んでさ・・・俺も一通りできるけど」
「それはつまり、朝比奈さんって・・・」
「無免許で医療行為をするクズって認識でいいぞ」
「それはさらりと言う事実じゃ・・・いたたたたた・・・・」
いつもの調子でツッコミを入れると、わき腹に激しい痛みが走る
「すまんすまん・・・興奮させるべきじゃなかったのに」
「・・・すみません。私も、調子に乗りました」
「腹見せろ。傷開いてないか見るから」
「お願いします・・・」
服の裾を・・・あれ、私いつ寝間着に着替えたんだろう
まさか、いや、そんなわけは・・・
「・・・着替えは、十年後のお前がさせてたぞ」
「・・・それなら、安心ですかね」
今度こそ服の裾を持ち上げて、腹部を露出する
それを部屋の隅で見ていた雪季君は朝比奈さんを不思議そうな顔で見ていた
「・・・朝比奈さんって、やはりエスパーなんですかね?」
「お前らの場合、顔に言いたいことが出て来てるからな」
「・・・そうですか?」
「・・・そうでしょうか?」
「寝言は寝て言え」
二人揃って朝比奈さんに突っ込まれる
そして、私と雪季君は互いの顔を見る
・・・彼が何を考えているかどころか、言いたいことなんて一つもわからない
それは彼も同じだったようで、二人揃って首をかしげる
「無自覚かよ・・・包帯に血は滲んでいないし、大丈夫みたいだな。痛みはまだあるか?」
「あります」
「しばらくはカマボコさんお手製の鎮痛剤を飲んでくれ。だいぶ和らぐぞ」
『しっかり、用量を守りますのでご安心を!』
カマボコさんは胸あたりを叩いて、私に声をかけてくれる
カマボコさんがいると、心強い
「・・・もしかして、私が初めてのカマボコさんの御世話に?」
「いんや?あいつが最初」
「あいつって?」
「あいつは・・・あいつだよ・・・あれ?あいつって?」
朝比奈さんは、自分が言っていることがだんだんわからなくなってきて動きがゆっくりになっていく
「・・・あいつって、誰だっけ。状況は覚えているのに、全然思い出せない」
「どんな状況だったんですか?」
「あいつを拾った時、正二が凄く動揺していた」
ゆっくり、糸を辿るように朝比奈さんは記憶を思い出していく
「あいつは・・・両手片足片目吹っ飛んでた。カマボコさんで治療したのは、覚えていて・・・でも、それ以外わからない」
だんだん、彼の表情も重くなっていく
これ以上は、彼にも負担を与えてしまうのではないだろうか
「この話は、やめにしませんか?」
「賛成です。さりげなく聞いてしまい、申し訳ないです」
「相良が謝ることじゃないさ。でも、俺自身さ・・・あいつの存在が凄く大きかった記憶があるんだ。忘れちまったんだけどな」
朝比奈さんは立ち上がり、頬を両手で叩く
「よし!切り替えていこうか」
「はい」
「それじゃあ、話を戻すけど、今後のことだな」
「いつ、治りますかね」
「そう焦るな。一ヶ月は見積もれ。いつも通りってわけにはいかないから大変だと思うけど、いつでも頼れよ」
「そう、ですか・・・わかりました」
「次に食事。残念なお知らせだが、わき腹・・・まあ、大腸やられてるんだわ。修復はしているけど、負担を考えてしばらくガッツリ食べる・・・ってわけにはいかないからな」
「え」
一瞬、時が止まった感覚を覚える
食事が、まともにできない
そんなの、そんなの・・・!
「・・・地獄じゃないですか!?」
「・・・恨むなら、岸間と十年後の早瀬を恨め」
あの時の状況を全く覚えていないから、私がどうして傷を負ったのかわからなかった
「あの二人が原因なのか・・・」
後で絶対文句言おう
冬夜君にはご飯を提供してもらおう。食べやすいの
「・・・お二人がそうせざる状況に追い込んだのは貴方なんですけどね」
「雪季君、何か言った?」
「いいえ、何も」
「まあ、腹が減っても、俺が用意できるのは・・・水の割合が多い粥ぐらいだ。ご馳走だぞ」
「どこが・・・?」
今までの食事に比べてかなり質素になった
あんなに美味しかったご飯を、私一人食べられないなんて・・・
「・・・初日のご馳走」
「元気になったらな」
「・・・ううっ」
「まあ、しばらくは風呂も無理だし」
「え」
「冬場でよかったな」
「・・・全然良くない」
「今まで、十年後の新橋がやってくれていたんだが。彼女が逃げた今・・・お前は自分で身体拭かないと」
「か、カマボコさん」
期待の眼差しをカマボコさんに向ける
しかし、カマボコさんは両手でバツを作っていた
「残念だな、新橋。ただの医療機械に、介護機能は備わっちゃいないぜ」
「そんなぁ!?」
「せいぜい頑張れや」
「なぜ僕の方を向いて言うんですか?」
しかも朝比奈さんはさりげなく雪季君の肩を掴んでいた
「・・・今回は早瀬一択ってわけじゃねえ。どういう意味か分かるか」
「・・・・」
「どうしようもなくなったら、お前かもう一人の相良に白羽の矢が立つかもな」
「・・・何をさせたいんです?」
「別に、お前は特にわかりやすいから、背中の一つ、お兄さんが押してやろうかってね」
朝比奈さんと雪季君がなにやらこそこそ話しているが、私には聞こえない
けど、何だろう
なんだか、悪だくみをしている気がする・・・
「せいぜい、選ばれることを期待して待ってろよ、ちびっ子」
「・・・うるさいですね!二年後、成長期が来れば貴方の身長なんて追い越してやりますから!」
「せいぜい吠えてろ。まあそんなわけだ。雑用はちびっ子こと、相良雪季が引き受けてくれるらしい。何でもするってよ」
「そんなこと言ってませんよ!?」
雪季君の激しい抗議をもろともせず、朝比奈さんは強引にことを進める
「・・・じゃあ、少しだけお願いしていい?」
「・・・まあ、貴方の頼みなら」
「若いねえ。もうちょっと背伸びしろよ」
「等身大がいいと思います。それより、朝比奈さんの浮ついた話が聞きたいですね!」
雪季君なりの精一杯の反抗は、朝比奈さんの顔に影を落とす
「・・・俺みたいなのが、誰かを愛せるわけねえよ」
「え」
「冗談だよ。それじゃあ、俺はそろそろ仕事に戻るわ」
朝比奈さんはころりと表情を再び元に戻す
先程の影の気配はどこにもなかった
・・・私たちをからかうために、一芝居打ったようだ
「仕事って・・・でも、朝比奈さん。昨日夜通し夏樹さんのところに・・・休みは?」
「この船の技師は俺しかいないの。もう一人、同じぐらいの力量がある奴で、ブレーキがついてる奴が来てくれれば、楽できるんだけどな」
具体的な求人を出しつつ、朝比奈さんは背を向けて部屋を出ていった
「・・・と、とにかく!夏樹さんは寝ていてください!何かしてほしいことありますか?」
「じゃ、じゃあ・・・退屈だし。本を読んでほしいな。この体勢じゃ読みにくいし、雪季君が音読、してくれと嬉しい、かな」
「・・・仕方ないですね。どれがいいですか?」
雪季君は私のお願いを聞いてくれるようで、足元に落ちていた本を含め、どれがいいか私に表紙を見せてくれる
「・・・ドリトル」
「音読してほしいんですか?」
「・・・ここは、普通に童話集で」
「わかりました。では、どれを読みましょうか?」
「そうだなぁ・・・じゃあ、適当に開けたところのお話で」
「了解です。あ、よりによって茨姫・・・」
「茨姫かぁ・・・じゃあ、雪季君。お願いします」
「わかりました。え、おほん・・・昔々・・・あるところに」
雪季君の音読で、その日一日は終わる
何もできないけど、こんな日は風邪を引いた時しかないからなんだか楽しい
それに・・・
「・・・が、いました。って・・・何をじろじろと」
「・・・ううん。何でもない。続けてほしいな」
こうして、雪季君と話すのは初日以来
あの話を聞いた後だと・・・無性に、小さな仕草を意識してしまう
少しだけ顔の赤い雪季君を見ながら、彼の語る物語を聞きつつ、私たちはのんびり一日を過ごした
・・
一方、廊下
巴衛は一階に下り、根城にしている機関室に潜り込む
常に動き続ける歯車
騒音が酷いこの部屋でなら、彼は自分の中にたまった「泥」を吐き出せる
「・・・相良は優しいなぁ。俺みたいなのでも、そんな浮ついた話がある可能性があるって話をしてくれるんだからさ」
床に倒れこんで、暗闇の中、歯車の海に手を伸ばす
「・・・誰からもまともに愛されたことないんだぜ」
「そんな俺が、誰かを愛せるわけねえよ、相良」
伸ばした手は虚空を切り、彼の身体の隣に落ちる
何も掴めない
何も得られない
「・・・何かを得ても、俺が全部壊してしまう」
あの時だってそうだった
霧散した夢、繋がれた手の先は黒く焦げて、存在を認識できなくなった
偽りの関係の中でも、抱いた歪な愛情は目の前で切り裂かれた
自分が無事に生きていることを、すべてが妬む
どうして、お前だけだと
それは今でも俺の悪夢として、精神を蝕む
両親に捨てられ、次の家では道具扱い
色々あって、全てを諦めて
挙句の果てには、精神的におかしくなって
自殺しかけたところを悠翔に拾われ、今ものうのうと生きている
そんな俺を、見つけてくれる奴なんて、手を取ってくれる奴なんていない
俺は、誰にも愛されない
それが、誰もが理解している「現実」なのだから
夢の中でも、幸福一つ覚えられない俺が、誰かと幸福になり夢なんて見られるものか
しかし、もしも、もしもの話があるのなら
俺は、本当の・・・・
願いを想い抱くが、そんなものは俺には必要ない
どうせ叶わないし、叶える気もない願いだ
そんなもの、あったところで無駄なのだから
そういえば、と思い口を開く
新橋が「どこが」といった水の割合が多い粥のこと
その言葉に、彼女が如何に恵まれた環境で生きているか思い知らされる
・・・羨ましいな。あいつらも、あの時代に生まれていればきっと
あんな、ひもじい思いはさせなくて済んだのに
「・・・御馳走なんだけどな。米、入っているし」
そう言って、彼は夢の中へ
彼の手を取る者は、この時間軸にはいない
いつかを待って、彼は目を閉じる
その時まで夢は悪夢のまま、彼を蝕み続ける




