34:異なる未来の可能性
夏樹さんが倒れてから、かれこれ一ヶ月が経とうとしていた
彼女が目覚める気配は全くなかった
暇つぶしの為に、図書室からいくつか本を見繕って今日も二号室へ向かう
「・・・」
「夏樹さん、あ・・・ええっと、十年後の夏樹さん」
「雪季君。もう交代の時間?」
「もう少しですよ。様子を早く見たくて、一足先に来てしまいました」
「・・・嬉しいな」
「そうですか?」
「うん」
一ヶ月前、彼女がここに運び込まれてから十年後の夏樹さんと岸間さんはずっとこの船にいる
十年後の夏樹さんは「私が心配だから」
岸間さんは「十年前の新橋が起きたら、すぐに十年後の新橋を捕まえるため」らしい
未だに岸間さんの目的が果たされる気配はない
外の様子も、十年後の冬夜さんの話だと目立った動きはないようだ
それは、外の調査をしている夜ノ森さんと筧さんからも同じような報告を貰っている
初日に比べたら、凄く穏やかな時間が過ぎていた
「あの、夏樹さん」
「どうしたの?」
「十年後の夏樹さんは、その・・・今の夏樹さんに起きてもらわない方がいいとか思っていたりしますか?」
「そうだね。岸間に追いかけられずに済むからね。でもね」
「でも?」
「私としては、雪季君に悲しい顔をさせてる方が辛いから、早く起きてほしいんだ」
「僕が?」
十年後の夏樹さんは小さく微笑んで頷く
「あの、十年後の夏樹さん」
「どうしたの?」
「十年後に至るまで、僕が死ぬまでの僕と夏樹さんって、どんな感じだったんですか?」
「・・・少し恥ずかしいかな」
「なぜ、ですか?」
「・・・だって、この時間の私たちは「まだ」だから」
「まだ・・・」
その言葉が意味しているのはなんとなく理解できる
・・・僕は、彼女の手を取ったんだ
一ヶ月前の、隠し続けるという意思は折れているじゃないですか
一体、時間旅行が終了するまでの間に僕の身には何があるのでしょうか・・・
「それでも一つだけ、聞きたいのですが」
「仕方ないなぁ。雪季君相手だし、特別に答えてあげよう。何が聞きたいの?」
「ありがとうございます。じゃあ、どちらが「先」でしたか?」
「私だよ。想いを自覚するのはもう少し後だから、覚悟しておきなよ」
「・・・覚悟しておきます。「僕も」というまでひたすら押すんでしょう?」
「うん。思い出しただけでも恥ずかしいし、亡くなるまでずっとその件に関してだけ文句を言われ続けたから」
・・・ひたすら言葉で納得するまで押したのだろう
その光景は想像に容易いし、むしろやってほし・・・
いえ・・・雑念が混じりました
でも、文句を言われ続けたというのは面白いですね
何があったのでしょう
「一つだけとは言いましたが、文句の内容、聞かせてくれます?」
「ここまで来たらね。あのね、私、あの時雪季君を押し倒しているんだよね」
「・・・押し?」
「うん。押し倒したんだ」
笑顔で告げるが、それはつまり、そういうことなのではないか?
「中学生の僕に話すような過激な話じゃ・・・!」
「いや、コンクリートに叩きつけて、押し倒す感じの体勢で「大人しく私と一緒に生きて」って言ったの。それを死ぬまで文句言われたってだけだけど・・・」
「うぐ」
「ナニを、想像したのかな?」
十年後の夏樹さんが、妖しく笑う
歳を重ねているだけあって、今の夏樹さんと異なり大人らしい笑みだ
意識をするようになってから一ヶ月
十年後だろうが、現代だろうが・・・夏樹さんであればふと意識をしてしまう
「べ、別に・・・」
「なんか、安心した」
「この状況で安心します!?」
「うん。だって、十年前の雪季君は、中学生だし、こういう話は嫌いなのかなって思ってたけど・・・人並みに想像したりするんだなって思って」
ぽん、と楽しそうに笑う彼女の手が僕の頭の上に載せられました
自業自得ですが、彼女に遊ばれた気がします
「・・・子ども扱いしないでください」
「私にとっては、子供だよ」
「・・・十歳離れているんですから、当然ですよ。一歳差の今ではありませんから」
「うん。それに、私としては八年ぶりの雪季君だからさ、少しは堪能させてほしいな」
そう言われると、拒否するのは申し訳ないというか・・・罪悪感が芽生える
同時に僕という存在と、その思い出を彼女に八年も引きずらせていることに、気が付いてしまう
彼女がどれほど僕を思ってくれているのか見えてしまう
眠っている彼女も同じならば、いつか彼女にも・・・・目の前にいる彼女と同じ思いをさせてしまうのだろうか
「・・・」
「どうしたの、雪季君」
「夏樹さんは、運命は変えられると思いますか?」
「・・・今も、変えられると思ってるよ。けど「私」じゃ変えられなかった」
そう言って彼女は視線を眠る彼女へ移す
何かを期待したような眼差し、そして何かを決意したような眼差しで今度は僕の方を見る
「なんとなくだけど「私」は変えられる気がするんだ」
「・・・根拠を」
「私と、十年前の私の時間旅行とは全然違うから。もしかしたらもう、運命は変わっているのかもしれない」
「・・・それは早瀬さんも言われていました」
「うん。特に大きく違うのは、私じゃないかな」
彼女は眠る夏樹さんの髪を整えながら話を続ける
「それとあの眼帯の子、見覚えないんだよね」
「え・・・」
十年後の夏樹さんは、夜ノ森さんと面識がない
それは、この時間旅行と、十年後の時間旅行で大きく異なる点だ
「・・・ほ、他に、相違点に心当たりは?」
彼女は首を振る
大きな相違点としては、夏樹さんが怪我をした事、おかしな状態になったこと
そして、夜ノ森さんがいない事
その三つは、何を意味している・・・?
「・・・とにかく、この時間旅行は既に私と冬夜君が知る時間旅行じゃない。これから先のことなんて、全然わからない」
「・・・はい」
「だから、危険なことはしちゃだめ。何がきっかけで発作が起こるかなんて予想できないから。それに・・・」
十年後の夏樹さんの表情が暗くなる
「・・・ルミナリアの奇蹟」
「・・・なぜ、それを?」
「わかるってことは、もう隷属まで使えるんだね」
夏樹さんは悔しそうにこちらを見る
彼女としては、僕にルミナリアの奇蹟を得てほしくなかったかのような・・・
「・・・僕は、夏樹さんにルミナリアの奇蹟のことを話しているんですか?」
「うん。今まで能力の制限があったのを、三池さんから解除してもらったって喜んでいたから。これで、貴方に守られるだけの僕ではありませんって言って笑っていたよ・・・でもね」
僕の手を取り、彼女はそれを自分の両手で強く握り締める
強くて、痛い
悔しそうに顔は歪められて、絞るような声で僕にこう告げた
「・・・心臓発作が直接的な死因だったのは確かだよ。でも、その前に、君はルミナリアの奇蹟を行使していた。それが、私が持つ雪季君との最後の記憶」
「それは・・・」
「この時間軸でも「そうだ」とは言い切れない。でも、注意していて」
夏樹さんは立ち上がり、この部屋を出ようと扉の方に向かっていく
そして、背を向けたまま会話を続ける
「前提として、私は君に死んでほしくない。不死薬を、やばい連中を敵に回して求めるぐらいには、君のことが大事なんだよ」
異常だと思うけどね、と付け加える
僕はそれを無言で聞き続けた
「君が、私のことを思って戦うことは知っているよ。そう、教えてくれたから」
「・・・僕は」
「嬉しかった。だからこそ、油断していた」
「・・・・」
「私はね、君の心臓疾患を知らなかったんだ」
「え・・・」
夏樹さんから告げたのは、僕が知る過去と異なることだ
僕自身が彼女に告げたことなのだから、知らなかったということはないはずなのに・・・
「・・・眠る私は、君の心臓疾患のこと、知っているのかな?」
「ええ。僕自身が、すでに伝えています」
「だったら、可能性があるかもね」
「可能性、ですか?」
十年後の夏樹さんは部屋を出る前に一度こちらを振り返る
「この時間軸は、もしかしたら君が生きられる時間軸なのかもしれない」
「・・・!」
「その可能性を、どうか否定しないで、掴み取ってほしい。その為に、能力の行使は最低限に留めてほしい。約束できる?」
「・・・」
まだ、答えを出すことはできない
可能性に、全てを賭けられるかと言われたら・・・無理だ
「・・・まだ、可能性だもんね。でも、心のどこかに留めておいてくれると嬉しいな」
「・・・わかり、ました」
「それじゃあ、これでお別れだね」
「なぜ、です?」
「私がそろそろ起きそうだから。岸間に捕まるのは嫌だから、先に離脱させてもらうね」
「そうですか」
確かに、岸間さんが夏樹さんを逃がしてくれるとは思わない
今、逃げておいた方がリスクは少ないと思う
「元気でね、雪季君」
「・・・ご武運を、夏樹さん」
いつもと変わらない笑みを浮かべて、彼女は部屋から出ていく
いつもと変わらず、普通に部屋を出ていく
最後も、いつもどおり
今回で、彼女とはもう会えなくなるけれど
僕らには、これが丁度いいのかもしれない
再び部屋は静かになる
いつも通り変わらない、静かな部屋
けど、彼女が言う通りならば・・・そろそろ?
しかし相変わらず彼女が起きる気配はない
「・・・まあ、早く逃げた方が彼女の為ですからね」
いつも通り、本を開いて交代の時間までを過ごす
「・・・今日の本は、童話ですか」
小さい頃に読んでいた童話集。今回はグリムの童話集だ
「星の銀貨、赤ずきん、白雪姫、ヘンゼルとグレーテル、ブレーメンの音楽隊、しらゆきべにばら、そして茨姫は・・・・今は、何となく読む気が」
ふと、肩に窮屈感を覚える
よく見ると、服の裾を引かれているようだ
この部屋には、僕と夏樹さんしか・・・
「・・・き、くん?」
腕から視線を上にあげて、彼女の方を向く
ベッドの上で横たわる彼女の夕陽色の瞳がうっすらとこちらを覗いていた
「・・・夏樹さん?」
さっきまで聞いていたけど、一ヶ月ぶりの声
持っていた本は手から滑り落ちる
それでも構わない
僕の服の裾を掴んでいた手を握り締めていた手を、自身の手で包む
そして、こういうのだ
ずっと、起きたら言おうと思っていた言葉
それは一つしかない
「・・・おはようございます、夏樹さん」
「・・・おはよ、ゆき、くん」
本調子ではない、少しかすれた声で彼女は返事を返してくれる
痛みに耐えたような笑みをわざわざ浮かべなくていいのにと思いながら、一ヶ月ぶりに目覚める彼女の手を握り締めた
嬉しさがこみあげてくる
帰ってきてくれて、本当によかった
本当は、朝比奈さんを、他の誰かを呼んでこないといけない状況だと頭の中では理解しているけれど・・・・
「・・・・・」
「あれ、雪季君?泣いてる?」
「泣いてません。目から汗が出ているだけです」
「・・・泣いてるって言うんじゃないかな」
やせ我慢をいうと、彼女は仕方ないなあと目を細める
泣いているところなんて、他の誰にも見せたくないので
今は、このままでいさせてください。夏樹さん
時間旅行三十一日目
重傷を負った彼女が目覚めた
十年後の夏樹さんは十年後の街へ戻っていく
穏やかな時間旅行の幕開けかと思われたが・・・
まだまだ、十年後の永海を舞台にした時間旅行は二ヶ月も残っている
当然と言えば、当然だが
時間旅行は何事もなく、終わってくれはしない




