2ー5:拾われ探偵と兄の疑念
時刻は七時
濡れた外套は足取りを重くし、思った以上に神社へ辿り着くまで時間を要してしまった
「相良さん、大丈夫ですか?」
「へ、平気・・・だと思う」
自宅の方まで着いたはいいが、相良さんの息は酷く荒かった
元々川の中で倒れていたのだ
それから重い外套を羽織ったまま、長い階段を登った・・・当然といえば当然だが、かなり体力も消耗しているだろう
「お風呂入れてきます。タオルと着替えも持ってくるので、玄関先に座って待っていてください!」
「え・・・濡れてるけど・・・いいのか」
「あとで拭けば問題なしです!気にしないでください!」
私はまず風呂場に行ってお湯を浴槽に溜め始める
タオルを数枚とり、それから二階へと走った
今は寝ているであろうお兄ちゃんの部屋に突撃するためだ
・・・どうせ起きないだろうけど、念の為だ
「お兄ちゃん!」
「・・・」
ドアを勢いよく開けようが、何事もなかったかのように眠るお兄ちゃんの顔を覗いてみるが、後三十分ぐらいは起きそうにない
「こういうところはきっちりしてるよね・・・仕方ない」
お兄ちゃんの部屋を後にして、私は神社の衣裳部屋へと向かう
そこならアルバイトの人用の袴があるし・・・サイズ的にも色々あるから相良さんも着ることができるだろう
・・・お兄ちゃんとは体格差があるし、それに彼が本当に明治時代の人間ならば袴を着るのも素早い・・・かもしれない
彼にちょうどいいぐらいのサイズの袴一式を持って、再び玄関先に戻った
「お待たせしました!」
一式を片手に玄関先に戻ると、彼はなぜか立ったままで私を待っていた
「座っていてくださいよ。はいタオル」
「なんか申し訳なくてな・・・ありがとう」
彼はタオルを持って、少し不思議そうな顔をしていた
使い方がわからないなんてことはないよね?
あ、そうか。明治時代にタオルはないよね。手ぬぐいかな
「なあ、新橋さん」
「なんでしょう」
「これは、手ぬぐいみたいなものか?」
「そう、だと思います!」
「なるほど。未来の手ぬぐい・・・「タオル」と言ったか・・・ふわふわしているな」
興味津々にタオルを触りつつ、顔や頭を拭いていく
「それからこれ、着替えの袴です。お風呂に入った後、これ着替えてください。着方わかりますか?」
「もちろん」
「お風呂は一番奥です。もう少し歩いてもらうことになりますが」
「大丈夫だ。これぐらい・・・」
「外套、重いですよね?玄関先に脱ぎ捨ててもいいですよ。洗ってくるので」
「あ・・・いや。これも借りものなんだ」
「・・・なるほど。ではここで預かります。脱いでくれますか?」
「ありがとう。助かるよ・・・」
彼はボタンをはずし、紐を解いて外套を脱ぐ
私はそれを預かって、彼が風呂場に向かうのを見送った
「・・・洗濯か」
受け取ってなんだが、外套ってどう洗濯したらいいんだろう
借りものだって言っていた。ミスは許されない
これが仮に明治のものだったら、現代と布の強さが違うとか私にはわからないようなことがあったりするのだろうか
「・・・桶洗いでいこう」
学生服も同じように洗っておいたら問題はないと思う・・・多分
一番正当な気がする方法で洗濯するために、私は廊下を走って、縁側から庭へと向かう
そこに置いてある桶の中に水と外套を入れて、おしゃれ着洗剤を取りに行こうと室内に入ると・・・
「おい」
「え、お兄ちゃん!?」
そこには起きたてのお兄ちゃん「新橋冬樹」が立っていた
ということは、時刻はすでに七時半を回っているということだ
「おはよう夏樹・・・朝からばたばたして・・・どうしたんだ」
「あのねお兄ちゃん・・・・」
「新橋さん」
お兄ちゃんに事情を説明しようとすると、お風呂に入ってほかほか、それから袴に着替え終わった相良さんが私の方へやってくる
「お風呂ありがとうございました」
「いえいえ。早風呂ですね」
「・・・使い方がわからなかったから、その、溜まっていた水を浴びただけ。それからタオルで全身を拭いた後、袴を身につけた。制服を乾かしたいんだが、どこか干せる場所はないだろうか」
「あ、制服も外套と一緒に預かります」
「待て夏樹。こいつは誰だ」
「新橋さん・・・この方は?」
二人揃って不思議そうな顔で私を見る
お兄ちゃんに至っては、不審人物を見る目だ
当然と言えば当然だろうけど・・・
「お兄ちゃん。こちら相良幸雪さん。川で溺れてたところを助けたんだ」
「相良さん。こちら新橋冬樹。私のお兄ちゃんです」
普通に冷静に、私は互いを互いに紹介する
「「ど、どうも・・・」」
「しかし夏樹、せめて一声・・・」
「お兄ちゃん起きなかったから。冬夜君がいれば違ったかもだけど」
「まあ、そうだな・・・そこはしょうがない。相良君だっけ?」
「あ、はい・・・」
「この辺の川と言えば、草だらけな上に浅くて子供も溺れない永海川だろう?そんなところで溺れていたのか?」
「・・・・みたいです」
「お兄ちゃん。信じられないかもしれないけどさ、もしかしたら相良さんは過去からタイムスリップしてきたのかもしれないんだ・・・」
「何を言っているんだお前は」
「だって、相良さんが最後に覚えているのは、冬月桜彦さんとお友達と一緒にいた一九一二年の四月のことだって言ってたから・・・」
「夏樹・・・正直俺はお前の事をアホだとは思っていたが、まさかここまでとは。どう考えでも嘘ついている可能性の方が大きいだろ?たまには人を疑え?」
お兄ちゃんから真顔で発せられる言葉はすべて正論で、反論できない
「・・・確かに、俺が明治から来たという証明はできません。けど、事実なんです・・・俺は確かに一九一二年の四月八日から来たんです」
相良さんはうつむいたまま言葉をゆっくりと紡いでいく
お兄ちゃんは相良さんを見て、どうしようかと目をそらした後、彼の方を向く
「なあ、相良君。持っているもので時代が特定できそうなものとかないか?」
「持っているもの・・・」
「服の中に何か入っていなかったか?」
「ペンとか、手帳とか・・・時計とか・・・・あ・・・これは、どうでしょうか?」
相良さんはお兄ちゃんに一本のペンを差し出した
シンプルなデザインで、遠目から見てもわかるほどにしっかりした作りをしている印象を抱いた
「これは・・・万年筆か」
「俺の奉公先。冬月印刷所の所長である冬月桜彦さんからいただいた万年筆です。海外で作られた一品だと聞いています」
「・・・ヴィー・グステト。明治時代後期に起業し、戦争末期まで存在した伝説の万年筆の会社か」
「なんで万年筆の会社に詳しいのお兄ちゃん」
「こういうのに詳しい友達がいたんだ」
「冬夜君?」
「違う。あいつが懐いてた奴」
「へえ・・・」
なんかあの冬夜君が懐いてたって事実だけでも、すごく不思議な感じだ
凄く人見知り激しいし、私と初対面の時もお兄ちゃんの後ろから出てこなかったし
「世界大戦で工場ごと燃えて消失したから、現物は残ってないし・・・残っていたとしても使い物にならないジャンクばかりと聞いている」
お兄ちゃんは居間に行き、電話横に置いていたメモ帳を持ってくる
「使うぞ」
「構いません」
キャップをあけて、お兄ちゃんは万年筆をメモ帳に走らせた
黒いインクはその軌道通りに走っていた
「・・・状態、非常にいいな」
「はい。いただいたばかりなので・・・」
「・・・信じられるか信じられないかと言えば、まだ信じられない。けど、騙そうとか、何か盗もうとか考えているような悪い奴ではないことはわかる」
「なぜですか?」
「うちの神社、貧乏神社だし。盗めるようなものもねえし。古いだけが取り柄の民家にも金目のものは一切ない。むしろその万年筆を売った方が金になる」
お兄ちゃんは万年筆を相良さんに返す
確かに、伝説レベルの万年筆なら骨董を取り扱うところや、その界隈のマニアに話を持ちかければそれなりの額で売れるだろう
「この、万年筆が・・・」
「生前、俺にその万年筆会社の事を教えてくれた奴が「もし、完璧に使える状態で買えるのなら・・・億は出す」と言っていたぞ」
「お、億・・・」
「そんな大金をかけてまで手に入れたいと思うのか・・・」
「まあ、そんなところだ。でも、桜彦さん・・・だっけ?その人からもらったものを売るのは流石に抵抗あると思うんだが、どうなんだ?」
「恩人からもらったものを売るなんて考えられない。死ぬまで、持っておきたいぐらいだ」
相良さんは万年筆を大事そうに手で包む
彼にとって桜彦さんという人がどういう人物かよくわかった
とても大事な人なのだろう
「そうか。じゃあそれは大事に取っていろ。俺たち以外には口外しない方がいい。盗まれるかもしれないから。夏樹も気をつけろよ」
「うん」
「とりあえず、行くとこないならしばらくうちに居ればいい。働き先も用意してやる」
「働き先って・・・神社の手伝いでしょ」
「ご明察。まあ、基盤を整えるのが先決だからな。手伝いしつつ、現代の生活に慣れて給金ももらえる。相良にも悪くない話だ」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせてもらいます」
お兄ちゃんの笑顔に、安心したのか相良さんは胸を撫でおろした
「そういや、君・・・「相良幸雪」って言うんだよな」
「はい」
「・・・すまん」
お兄ちゃんが両手を合わせて謝る
「・・・君を明治時代の人間か確かめる方法、手っ取り早いのがある事を思い出した」
「もっと早く思い出してほしかったなあ・・・」
「・・・証明する方法があるんですか」
お兄ちゃんは居間からメモ帳と一緒に持ってきたペンで「それ」を素早く書き込んだ
「ああ。夏樹、お前今日入学式で帰り早いだろ?」
「うん。昼前には帰ってこれると思う」
「わかった。爺さんには俺が連絡しておくから、お前がここに連れていけ」
「ここって・・・」
メモを手渡される
それには、市内でも有名なわりと大きな家の住所が書かれていた
「・・・確かに、この家も相良さんだけど。何らかの関係があるのかな?」
「行ってみりゃわかる」
「何と投げやりな」
「・・・」
「相良さん、お昼から行ってみましょう。何かわかるかもしれませんから」
「ありがとう、新橋さん」
「新橋さん二人いるし、俺は冬樹、こいつは夏樹でいいよ。あと敬語もいらない」
「わかった。冬樹さん」
「これからよろしくな、幸雪」
「こちらこそ、よろしく。冬樹さん、夏樹さん」
「早速だけど、飯にしよう」
「用意してくるよ!」
「俺も手伝う」
「あ、洗濯物!」
「洗濯物は俺が後でやっておくから・・・飯食って学校行く準備しろ。初日から遅刻とか印象悪いぞ」
「了解!」
その後お兄ちゃんを交えて朝食を摂る
久々に賑やかな朝
そして今日から始まる新生活に胸を躍らせつつ
私は、新生活への一歩を踏み出した