33:ルミナリアの奇蹟
何事も起こることなく、時だけが過ぎていく
何事もないということは、彼女が生きているという「いいこと」だ
しかし、それは彼女が目覚める気配がない「悪いこと」でもある
朝比奈さんがあの後、夜食と布団を持って来てくれた
少しだけ、食事を摂った。味は、感じることができなかった
それから布団にくるまり、彼女の容態を見守る
正直なところ、眠気がないのだ
単に昼間、寝ているからという理由だけではない
それよりも、眠っている間に彼女がいなくなってしまう不安の方が大きいのだ
丑三つ時の時刻まで起きているのは初めて
なんだか、冷たくて不気味な空気が肌を撫でる
色々なものの声が聞こえる夜は怖い
けど、もっと怖いものがすぐそこにある
「・・・僕が、きちんと受け入れれば、逃げなければこんなことには」
これは僕の選択が招いてしまった結果だ
どうせ死んでしまう運命ならば、どこで死んだってかまわないだろうと思ってしまった
でも、僕は死んでいない
目的を果たせなかったその代わりに、彼女が死にかけている
「僕が、あんなことをしなければ、貴方は今頃、ここで普通に眠っていたでしょうに」
こんなことになってから、僕は二つのことに気が付く
一つは、僕が今もなお死を受け入れていない事
どこで死んでも構わない。いつ死んでも構わないと思いながらも
僕はあの時、発作を抑える薬を飲んだ
飲まなければ死ねることは理解しているのに
それは、僕自身が死を恐れている事実ということに変わりありません
「死ぬのは、怖い・・・それよりも、死なれる方が怖い」
もう一つは、僕にとって夏樹さんと幸雪さんの存在が意外にも大きかったということだ
二人と出会ってからまだ三ヶ月
しかも、会ったのは休みの日ぐらいで・・・片手で数えられるほどしか共に行動をしていないのに
時代も、境遇も何もかも違う二人のことが凄く、大事なのだ
元より、僕の友達といえる存在は三池さんたち動物だけでした
冬夜さんと彼方さんが友達かと言われれば、年上のお兄さんとお姉さんという感じでしたし、二人も僕のことは弟のように接してくれていました
それは、冬樹さんも同じです
そう考えると、人の友達というのは、二人が初めてなのでしょう
僕の病のことを知っても、二人は遠ざかることなく「どうしたらいい?」と聞いてくれました
他の人は、面倒を覚えて遠ざかったのに
唯一残ってくれた人でさえも、教師に言いつけられて僕の面倒を仕事で見ていたのに
二人は、自分の意志で僕の側にいてくれました
僕も二人とこれからも一緒に入れたら、楽しいだろうなと思っていたので
とても、嬉しかったんです
「・・・幸雪さんも、夏樹さんも僕の大切、なんですよ」
血の気のない彼女の手を包むように握る
あの日とは大違いの、温もりの失せた手
病室にいた時は知らなかった、ごく普通の「楽しいこと」を教えてくれた
病気のことを打ち明けた時、この手が不安を拭ってくれたのは記憶に新しい
彼女の手も震えていて、動揺が伝わって来た
けれど、彼女は笑って逆に僕を安心させてくれた
「・・・失いたくない」
この日々も、二人のことも、自分のことも
何一つ失いたくないと気づけただけでも良かったのだろうか
でも、気づきたくなかったことが一つある
「・・・大切だけど、それは同じ大切ではなくて・・・特別な大切」
少しだけ痛む胸を抑える
少しだけ心地よさも覚えるこの痛みは、動悸だと思っていた
でも、違う
幸雪さんと夏樹さんの「大切」は、同じようで異なる大切だということは気が付きたくなかった
こんな想いを抱いたところで僕は二年後にはもういなくなっている
彼女の側にいたい
でも、いられない
「・・・諦めるしか、ないじゃないですか」
なぜ、こんなことになって気が付いてしまうのか
命と、死と、向き合ったからか
それならば、逃げない方がはるかによかった
もし、その未来に進めていれば僕が向き合うのは「自分の死」だけだった
夏樹さんが死んでしまうかもしれないという恐怖と、僕が抱いてしまったこの感情にも向き合うことはなかった
彼女の手を握り締める
「・・・ごめんなさい、夏樹さん」
貴方を、こんな目に遭わせてしまって
僕を追いかけて、あんなことになるなんて思っていませんでした
本当に、後悔しています
僕が逃げなければ、貴方がこんな生死の境をさまようことはなかったのですから
「・・・僕は」
僕には何もない
彼女を守る力も何もない
だから、こんな目に遭わせてしまった
自分の弱さも、虚弱さも理解しているからこそ
今回の結果が酷く悔しい
所詮、動物と会話するだけの力なんです
大体の子は言う事を聞いてくれますけど、それが限界なんです
僕は、誰かの力を借りるしか何もできない
無力な、人間だから―――――――――
「にゃあ」
「・・・三池さん」
この船でネズミ捕りをすると言ってどこかに行ってしまった三池さんが、僕の元へやってくる
ベッドサイドに座り、僕を見る
「ねえ、雪季」
「何ですか、三池さん」
「・・・雪季の声は、聞こえていた」
「・・・聞こえたって」
「貴方の心の声。全部、聞こえていた」
「・・・」
「だから、貴方は次へ至れると「我々」は判断した」
「・・・次?」
「そう、次」
三池さんはベッドサイドから降り、床に立つ
そしてその姿を更に大きくする
本物の妖怪のように、三池さんは大きくなった
今の三池さんは、妖怪猫又というにふさわしい姿へと変貌を遂げていた
「雪季。貴方は自分の弱さを知った」
「・・・言われなくても、理解してます」
「今までの雪季は逃げていた。でも、今回は全てに向き合った。自分の想いにも、彼女への想いにも」
「・・・だから、何だというんですか?」
「君の身体は未だに脆い。けれどね、君はもっと強くなれる」
三池さんの言葉に息を飲む
「ねえ、雪季。強くなりたい?」
三池さんから問われる
答えは、決まっている
「・・・なれるものなら、なりたいです」
「貴方が、強さを求める理由は?」
「・・・自分が生きるために。彼女にもう二度と怪我をさせないために」
「ならばよし」
三池さんは尾を僕に向ける
その尾はいつもみたいに柔らかなそれではなく、固く鋭く、刃のような尾だった
「それなら、雪季。貴方のリミッターを外すわ」
「・・・リミッター?」
「元々壊れかかっていたもの。雪季自身の意思で、少しずつ壊していた。貴方の意思が決まった今、リミッターはもう必要ない」
思い当たる節は二つ
現代で、船の中でもしものことがあっていいよう、船のネズミにお願いしていたこと
十年後で街の探索に、もしもの時があっていいように護衛を依頼していたカラス
・・・それがすべて、僕の能力だというのか
会話するだけだと思っていた力の先に、まだ何かあるのか
「今の雪季は、会話だけじゃなくて「隷属」の前段階である「使役」も少しだけ使える。それでネズミとカラスを使役した・・・」
「僕は動物に好かれる体質だから、いうことを聞いてくれた・・・ではないのですか?」
「否定する。雪季は常に使役を無意識に使っていた。行使された動物も、逆らえなかった」
それはつまり、今まで友達だと思っていた皆とは・・・主従関係にあったという事実となる
驚きと悲しみが渦巻く
皆とは本当の友達ではなかったということを知ってしまって、少しだけ項垂れる
「けど、雪季を皆慕っていた。それだけは事実」
「気休めはいりません。話を続けてください」
「・・・雪季。貴方のリミッターを完全に取り払うことで、貴方は更に強くなる」
「・・・美味しい話に、裏があったりします?」
「ある。使えば使うほど、貴方の存在は「孤独」になる」
三池さんは尾を仕舞いながら話を続けた
「隷属は上の者にしか許されない。隷属を行使するということは、貴方はその者にとって絶対的な存在になる」
「・・・簡単に、わかりやすく言うと僕は生きとし生けるものの「王様」になるということですか?」
「そういうこと。雪季。それでも貴方が力を求めるのなら、私は貴方の「ルミナリアの奇蹟」その全てを解放するわ。答えは決まっている?」
三池さんの尾が僕の方に伸びていきます
それに向き合うために、名残惜しいですが彼女の手を離して立ち上がりました
三池さんがやりやすいように
「・・・望むところです。お願いします」
「それは良かった」
三池さんの尾が完全に巻き付き、何かが外れた音がしました
一気に何かが流れ込んで、苦しい
しかし、それはもとより僕の力です
・・・これぐらい、抑えきれなくて何が隷属ですか
先程と変わらない様子で立つ
三池さんの表情は変わらなかったが、若干、楽しそうで無性に苛立ちを覚えた
「これで貴方は、すべての生き物を従える存在になる」
能力の使い方は自然と理解できていた
そして、目にはその人の名前が映る
ああ、そういうことでいいのか
「・・・真名を言えば、何でも隷属可能なのですか三池さん・・・いや、猫又「風樹」」
「・・・驚いた。真名が見えているの?」
「・・・もちろん」
風樹の首に、黄緑色に光る紋が刻まれる
「・・・まさか、早速妖怪を隷属するとは。恐れ入ったよ、雪季」
「・・・僕の力量で、隷属可能な者は増える?」
「肯定する。貴方が強くなれば強くなるほど、すべて貴方が隷属できる。人間だって夢じゃない。彼女だって・・・」
「・・・一つ、聞いておくけど。風樹は今まで僕が使役していたという事実は確認できていたんだよね」
「うん」
「・・・彼女に、使役は?」
一つ、この隷属と使役で気になる部分があるとするならば彼女のことだった
もし、あの時の言葉が僕の無意識の使役で出された言葉ならば、この想いに踏ん切りをつけることができるから
「使っていないよ」
「その言葉に、嘘偽りは?」
「今の私は雪季に隷属している存在。雪季に虚偽の報告ができると思う?」
風樹の言葉に嘘は感じられない
虚偽の報告ができないというのはいいことを聞いた
それに、彼女に能力を使っていないと知れただけでもいい
彼女の言葉に、僕の都合は介入していなかったのだから
しかし同時に、あの言葉が彼女の意思で出たものと知り・・・更に胸が痛む
そう簡単に、この想いを切り捨てることはできないらしい
「・・・それならいいです」
「・・・雪季」
「なんですか?」
「・・・無理はしないように」
「わかっています」
眠る彼女の方へ歩き、再び手を握り締めます
僕はもう逃げません
自分の死の運命を理解した上で、今の僕にできることを
・・・大好きな貴方に、二度と怪我を負わせないために
僕ができるのは、ただ一つ
「もう二度と、彼女に戦わせません」
「・・・「ルミナリアの奇蹟」ならば、成しえるさ」
僕は再び、彼女の様子を窺い続けます
先程のことなんて何もなかったかのように、再び彼女の呼吸だけが聞こえる部屋になりました
でも、先ほどと明白に変わった部分が二つ
この部屋に三池さん・・・風樹がいること
そして、僕が本当の意味で能力者になってしまったこと
もうただの特技とは言い切れなくなった
一般人とは明確に道が異なってしまった
「・・・今さらですけど、強くなりますね」
冬夜さんよりも、星月さんよりも、誰よりも強くなれる
貴方を守れる力を、得た・・・否、取り戻したのですから
時間旅行一日目
怒涛の一日目は終わる
それと同時に、僕は様々なものを得た
それを落とさないように、守り抜くために
そして、隠し通すために
残り少ない時間を、全力で生き抜くために
抗い、戦い続ける道へと進んでいく




