2ー4:新橋神社のごく普通の始まり
目覚まし時計のアラームが部屋に響く
私は寝ぼけた状態で目覚ましを手探りで探していく
手が目覚ましに辿り着き、アラームを止める頃には私の意識も覚醒していた
目覚まし時計に表示されている時刻は朝五時
いつもと同じ時間で安堵する。今日もきちんと起きられた
私は背伸びをした後、布団から出る
春になったが、まだまだ朝は少し寒い
正直、まだ布団で寝ていたいぐらいだ
けれど起きなければいけない
朝にこなさないといけない仕事が沢山あるのだから
私はゆっくりとした足取りで窓に近づいて、カーテンを開ける
今日はとても晴れていた
窓を開けると、冷たい空気が部屋の中に入ってくる
今日は晴れているし、昼になれば四月らしい暖かな気候になるだろう
雲一つない空には太陽が昇り始めていた
「今日もいい天気だ」
今日は四月八日
今日から私も高校一年生だ
何か新しい予感を感じさせる朝が始まりを告げた
私は寝間着のまま「いつもの作業着」と、今日からはこの後に着る真新しい制服と、昨日のうちに準備しておいたものを入れた真新しい鞄をもって部屋を出る
あまり足音を立てないように階段を下り、二階の自室から一階に行く
私の隣の部屋・・・二階の奥の部屋がお兄ちゃんの部屋だ
お兄ちゃんは朝に弱く、早くても七時半以降しか起きることができない
学生時代は、お兄ちゃんの一つ下の友達の冬夜君に蹴り起されていたけれど・・・
今は誰も起こせないし、起こさない
私が起こそうとしてもお兄ちゃんは反応一つせず、眠り続ける
お兄ちゃんはもう社会人・・・というか、家の手伝いをしているのでのんびりしていても問題はほとんどない
そして毎日お兄ちゃんを起こしてくれていた冬夜君は、高校を卒業してから一度も会っていない
たった一つ「忘れ物を取りに行く」と、メモを残して・・・どこかへ行ってしまったのだ
誰もいない居間に向かう
兄妹共有の服掛けに制服を、必要なものを入れた真新しい学生鞄を床に置いて・・・素早く作業着に着替える
寝間着を洗濯機の中にいれて、他の洗濯物と共に洗い始めた
それから洗面台に向かって、顔を洗い寝癖を整えて・・・次は台所
湯呑に水を入れて、茶碗に炊き立てのご飯をよそう
「・・・いつもより多めにしようかな」
準備を終え、それらをお盆の上に載せる
お盆を手に再び居間に戻り、小さな仏壇の前に座り、戸を開ける
「おはよう」
祖父母と両親に挨拶をした後、私は湯呑と茶碗をその前に置いた
お父さんとお母さんは私を産んでから半年後ぐらいに、事故に遭って亡くなったとお爺ちゃんから聞いている
お爺ちゃんとお婆ちゃんは私が小学四年生の時に亡くなった
それからは遠縁の親戚を頼りつつ、お兄ちゃんと二人で暮らしている
「お線香とろうそく・・・そろそろお線香なくなりそうだな」
隣の棚から二つを取り出し、ついでに残りの確認もしておく
「お兄ちゃんにお線香買ってきてもらわないと・・・」
仏壇周辺を乾拭きした後、線香に火をつける
ろうそくに火をつけるのは、お兄ちゃんが起きてきてからだ
仏壇周りはこれで一通り終了
次は外。朝はやることが多い
急ぎ足で玄関に向かい、草鞋を履いて外に出る
物置まで走り、そこから竹箒とちりとりを持っていき境内に向かう
うちは高台にある小さな神社だ
ご先祖様が残した巻物によると、新橋町に江戸時代初期からある由緒ある神社らしい
そしてこの神社の仕事全般は、すべて新橋家の仕事なのだ
そのため、毎朝忙しい日課が存在している
「あら、夏樹ちゃん。おはよう。今日も朝早くからお疲れ様」
「おはようございます、皆瀬のおばあちゃん!お参りですか?」
こんな朝早くから、すでに参拝しに来た人がいた
皆瀬のおばあちゃんは最近、腰を悪くしていたと他のおばあちゃんから聞いている
ここに来るのも久々だ
元気そうにしているようだから、安心した
「ええ。最近腰の調子が悪かったんだけど、お参りした後良くなったのよ。だから今日は神様にお礼を言いに来たの。それとこれ」
「え、これは・・・」
皆瀬のおばあちゃんから大きなビニール袋を受け取る
その中にはミカンがたくさん入っていた
「うちの息子がミカン農園をしていてね。少しだけどおすそ分け」
「いいんですか!ありがとうございます!」
「いえいえ。冬樹君にもよろしく伝えておいてね」
「はい!」
そういって皆瀬のおばあちゃんは階段を下りていく
「さて、掃除!」
気を取られていたらあっという間に時間が無くなってしまう
少なくとも掃除の後に朝ごはんも作らないといけないのだ
ミカンの入った袋を邪魔にならないところにおいて、私は境内の掃除に取り掛かった
・・
時計を見ると、気が付けば六時半
掃除もやっと完了した
いつも以上に頑張ったこともあって、一時間ほど時間が経過していたようだ
「次はごみ捨てだね・・・うう、仕事が多い」
掃除道具とミカンの袋を片手に、家の方に戻る
物置に寄り、掃除道具を直した
それから家に戻り、玄関先にミカンの袋を置く
同時に昨日のうちから玄関に用意しておいたゴミ袋を持って再び来た道を戻る
今度は境内から長めの階段を下り、平坦な道を歩く
うちからゴミ捨て場まで少しだけ距離があるから大変だ
永海川の川沿いの道を歩き、ゴミ捨て場までたどり着く
小さなゴミ袋を網の下に入れて、終わりだ
「さて、これで終わりだね」
朝の仕事は一通り終えたことだし、元来た道を歩いて家に戻ろう
あの階段をまた登らないといけないのが億劫だけど、それが終われば朝ご飯だ
川沿いを歩き・・・ふと、川を覗いてみる
永海川・・・溺れる心配がないほど浅い小さな川だ
小さい頃はよくお兄ちゃんとここで遊んでいた
昔もだが、どちらかといえば水より草の方が多い
季節は春だし、草も青々しいものばかりだ
緑に、少し枯れかけの草・・・そして黒いひらひら
・・・マントだろうか
「近所の子供が置いて行ったものかな・・・?」
ふと気になって、その黒いマントを立ち止まって観察してみる
それは水の流れでゆらゆらと揺れている
その隙間から手が出てきた
「いやいやいやいや」
二度見した
けれど現実は変わらない
見間違いかと思いきや、全然見間違いじゃない
模型・・・とか?最近そういうリアルな玩具が売られているみたいだし、やっぱり子供がおいていったんだよ。多分
・・・でも、念のため確認しておかないとだよね
何かあった後が怖いし
ゆっくりと川の方に近づいていく
近くで見るとより鮮明に見えてくる
マントの隙間からちゃんと肌色の物体が見えている
しかも黒いマントの上の方、若干色が違うみたいだ
あれ・・・
「髪だ」
その言葉を口に出した瞬間、私はすぐに川の方に駆けだした
草履が水で濡れるのなんか気にしない
故意的だろうが事故だろうが・・・目の前に人が死ぬかもしれないんだ
「げほっ・・・」
まだ、生きているみたい!
「ちょっと、そこの人!」
倒れている黒マントさんの元に駆け寄り、頭を持ち上げる
半分川に浸かっていたけれど、咳き込んでいたし、まだ大丈夫なはずだ
「・・・げほっ」
黒マントさんが咳き込んで、口に含んでいた水をもう一度吐き出す
「あの、聞こえていますか?」
「あ・・・?ああ・・・」
「大丈夫ですか?立てますか?」
「手を、貸してくれるだろうか・・・?」
「お安い御用です!手どころか肩も貸しますよ!」
「・・・ありがとう」
そういって黒マントさんはゆっくりと上体を起こす
そして私は肩に腕を回して、黒マントさんが立ち上がるのを補助する
水を含んだ服がとてつもなく重い
歩調を合わせながら私たちは川辺に進み、やっと川から足を出すことができた
「ふう・・・」
「疲れた・・・」
黒マントさんは何が起きているのかさっぱりわからない様子
私もさっぱりわからない
・・・お兄ちゃんより年上ってことはないよね。私と同じぐらいかな
外見で年齢を予想するのは失礼かもしれないけれど、判断材料がそれしかないのだから今は仕方がない
肩を貸した時も、身長は黒マントさんが高かったけれど、私とそこまで変わらないぐらいだった
服装はよく見れば学生服だし、マントだと思ったのは外套だ
この近辺で学生服が制服な学校はなかったはずだ
少なくとも、この近くにある永海高校と聖華大学付属高校、後は永海商業でもないな・・・全部男子制服はブレザーだ
しかし、この服装どこかで見た気がする
この前、受験勉強した時に見た気がする・・・社会の・・・そう!明治時代ぐらいの学生で紹介されていた人によく似ている
マントもよく見れば外套っていうんだっけ。近くで見たらわかるが上着のようだ
もしかして、コスプレ・・・?
でも、こんな早朝からするかな、普通?
「助けてくれてありがとう・・・ええっと・・・」
「私は新橋夏樹といいます。貴方は?自分の名前、わかりますか?」
「ああ。俺は相良幸雪。帝都で探偵をしている」
「探偵さんなんですか。ええっと、帝都の?」
「ああ。帝都の」
帝都、帝都・・・聞いたことがあるような
教科書で見たような気がする
かつて、この国の首都は「東京」ではなく「帝都」と呼ばれていたんだよね・・・
とりあえず、スルーして話を聞いていこうかな
「あの、相良さん。どうして川に浸かっていたんですか?」
「わからない・・・気が付けばここに。意識を失う前に小影と桜彦さんと話していたのは覚えているんだが・・・」
小影に桜彦さん・・・人物名だよね
小影って人は呼び捨てだ。友人関係か、家族かどちらかだろう
桜彦さんって人は敬称があるし、相良さんにとって目上の人かな
探偵って言っていたし、上司に当たる人かもしれない
桜彦さん・・・帝都にいた「桜彦」で有名な人と言えば、あの冬月財閥の創始者の「冬月桜彦」だよね
永海に住む人だったら必ず知っているような名前
同名の人が知り合いにいたのかな
それとも・・・・
「あの、相良さん。その桜彦さんって・・・」
「冬月印刷所の所長、冬月桜彦・・・彼が、俺の雇い主だ」
予想はしていたが、本当に冬月桜彦とは
この永海市で、冬月桜彦の名前を知らない者はいない
この町に拠点を置く「冬月財閥」その創始者
二十一世紀が始まる前に、息を引き取った死人に連絡を取ることなど不可能だ
「・・・知らないのですか?」
「は?」
「冬月桜彦さんは、二十世紀の最後の四月二十九日に・・・亡くなっていますよ」
「・・・二十世紀の最後?二十世紀は始まったばかりだろう?それに・・・桜彦さんが、亡くなった?どういうことなんだ・・・?」
まさか、まさか本当にこんなことがあるのだろうか
「相良さん・・・意識を失う前の日付、わかりますか?できれば、年からお願いしたいです」
「ああ・・・」
彼は濡れた髪を邪魔にならないように横にやりながら、私の方に向く
「・・・今日は、1912年4月8日だろう?」
彼の言葉に息を飲む
彼は・・・嘘をついているような感じではない
そんなまさか
現実にこんなことがあるのだろうか
「今日は、2030年4月8日・・・なのですが」
「・・・にせんさんじゅう、ねん。百年以上、先?」
彼は状況を上手く呑み込めないようで、ずっと年数を復唱していた
目も揺れて、こちらにも動揺が伝わってくる
「相良さん」
「あ、ああ・・・なんだ、新橋さん」
「状況を呑み込めないのはこちらも一緒です。今の状況はまるで物語のような出来事ですから」
彼を落ち着かせるように、ゆっくりと話しかける
彼が本当にタイムスリップをした人間かと言われれば断言することはできない
まだ、信じられない
けれど、彼の動揺は本物だと思う
記憶の混濁っていうのだろうか。彼の中でそんな事が起きているのは事実だろう
・・・何もしないわけにはいかない
「確かに・・・夢物語のようだな」
「はい。だからまずはきちんと状況を整理するところから始めませんか?」
「ああ。けど・・・」
「行く宛がないのはわかっています。うちに来てください」
「・・・いいのか?」
「もちろんです。困っている人を助けるのは、当然ですから」
私は先に立ち上がり、彼に向かって手を伸ばす
彼は私の言葉に驚いたようで、目を見開いた
「え、あ・・・私、何か変なこと・・・」
「いいや。いい人だなって思って・・・ありがとう、新橋さん」
彼は私が伸ばした手を取り、ゆっくりと立ち上がる
「・・・しばらく、お願いします」
「了解です。まずは家に行って・・・その濡れた服をどうにかしましょう。お風呂も沸かさないとですね。寒いでしょう?」
「あ、ああ・・・」
「それからご飯を食べましょう。安心は満腹から始まります。それから状況を整理していきましょう!」
「本当に何から何まで・・・すまない。ありがとう・・・」
私は彼の手を引いて、のんびり神社への帰路を歩いていく
高校入学の日
私は、人を拾いました。自称、明治時代から来た探偵
その日は何でもない穏やかな日だったのを、今でも覚えている
その日をきっかけに「私」は、否「私たち」は
時間と終末を巻き込んだ物語に巻き込まれていたなんて、この時は知る故もない