2ー2:明治探偵と待ち時間の相談
兄弟に案内された先は生花店と看板のついた小さな家だった
名前の部分の墨は薄くなり、読めなくなっている
ぼやけた視界をしぼめて、書いている文字を確認してみる
・・・見しか見えない
確か「かけい」と言っていたから、これに竹冠がついて「筧」なんだろうな
客足も少なく、店頭にある花は少し萎れているように見えた
そのせいか店の活気も全くと言っていいほどない
・・・あまり、儲かっているようには見えないな
「おかえりなさい、正太郎、正二」
「おかえり」
「ただいま、お母さん、お父さん。あのね・・・洗い場、使っていい?」
「正二、事情をちゃんと説明しないとお母さんもお父さんもわからないぞ」
「う、あのね。僕がこのお兄さんの袴にアンパン付けちゃって、汚れちゃって」
「あら・・・申し訳ないことを・・・」
「申し訳ありません。息子が・・・」
「いえ・・・俺も前を見ていなかったので・・・」
先程のように互いに謝りつつ、俺は二人の両親に家に上がるように促される
「しばらくは夫の着物をお使いください」
「はい。ありがとうございます」
「お母さん、店は私が見ておくよ」
「お願いしますねお父さん。じゃあ、正二・・・袴を洗いに行きましょうか」
「ん」
父親は店番を、母親と弟は俺の袴を洗いに行った
俺は素早く父親の着物に着替えて、桜彦さんをのんびり待つ
しかしなんだ。やることないな
「あの、お茶・・・」
「ありがとう」
兄である正太郎は俺の相手をしてくれるのだろう
俺は用意された湯呑を受け取り、それを口に含んだ
・・・うん。暖かくて美味しい
「お名前は、相良幸雪さん・・・でしたよね?」
「ああ。俺は相良幸雪だ」
「相良さん。冬月さんのことは父に話しています。到着したらこの部屋に案内してほしいとも伝えているので大丈夫だと思います。しばらくのんびりされていてください」
「何から何までありがとう」
「いえ。相良さんと冬月さんには申し訳ないことをしたと思います。お二人でどこかに向かわれる予定だったのでしょう?」
「気にしないでくれ」
「そう、ですか」
それから、話すことが無くなり部屋は沈黙に包まれる
用意してくれたお茶を飲みつつ、俺は正太郎の様子を窺った
「・・・・」
なんだか考え込んでいるようだった
邪魔しない方がいいかもしれないと思い、別のことを考えようとする
「相良さんって・・・もしかして「相談探偵」ですか?」
「そう呼ばれていると、依頼人から言われたことがあるからそうだろうな。それをどこで?」
「夜ノ森商店内に貼ってある広告で見ました」
「・・・小影の奴、そんなことしていたのか」
俺は一応、書店の店員とは別に探偵の仕事もしている
弟と共に上京する旅の中、猫探しから殺人事件まで色々なものに巻き込まれてしまった
それらに関わり、解決し続けたことで・・・いつしか俺は「探偵」と呼ばれるようになって、その仕事をするようになっていた
先ほど話に出てきた「夜ノ森商店」の店主である「夜ノ森小影」とは、ある殺人事件をきっかけに出会い、不思議なことに交友関係が続いている
まさか勝手に広告まで作られて宣伝されているとは思わなかった
「・・・あの、探偵さん」
「なんだ」
「一つ、相談に乗ってほしいことがあるんです」
「どうぞ」
正太郎は一度立ち、廊下を見に行く
店の方からは父親と客らしき女性の話し声
奥の方からは母親と弟の声がする
廊下に出て周囲を確認した後、襖を閉め・・・彼はゆっくりと息を吐く
「・・・最近、両親の様子がおかしいんです」
「おかしいって?」
「俺と正二に何かを隠していることがあるみたいで・・・」
「具体的には」
「店のこと。最近、毎日のようにガラの悪い人たちがよく来るんです」
「それが君の相談か?」
正太郎は無言で頷く
「ここは生花店だろう?花を買いに来たのでは?」
「いつも買わずに、店先でお父さんと何かを話すだけなんです」
「それなら一つだな。・・・正直に思ったことを言う。気を悪くするな」
「はい」
幼い子供なのに、真剣な表情をして俺の方を向く
その視線で俺は心の中で、この子には真実をはぐらかさずに伝えるべきだと思った
たとえそれが悲しい事実であっても、ちゃんと伝えてあげるべきなのか
真実を伝えず遠ざけるのが優しさである場合もあるだろう
けれど、俺は・・・
「俺は、借金の督促だと思うよ」
柄の悪い男が花を買いに来るのはおかしいことではないだろう
どんな人間でも、花を買う理由がどこかに存在している
柄の悪いからという理由で、全員が悪人なわけではない
けれどこの家が置かれている事情を考慮して、毎日訪れている上に花を買わずに毎日父親と会話をするだけ
彼が不審がるということは、父親と交友関係にあるような人間ではないことが伺える
俺に出せる答えは一つだけだ
「やはり、ですか・・・」
正太郎は酷く落ち込む
自分で言っておいてなんだが、もう少し言葉を選んだ方がよかっただろうか
いや、それではいけないだろう・・・彼にはちゃんと言うべきだ
「・・・あの、相良さん」
「なんだ」
「ありがとうございます。それともう二つ相談をさせてくれますか?」
「・・・いいだろう」
「これから先、俺たちは売られますか」
「状況次第だろうな。あの手の奴らの大半は人身売買にも手を染めているから、無事なのは保証できない。特に、君は」
「どうしてですか?」
「・・・君は弟とよく似ているが、弟と比べたら目を引く容姿をしている。立ち振る舞い、言動。何もかも」
「・・・そう、ですか」
「それが売り物になる可能性もあるが、逆に言えばその手の連中に捕まれば真っ先に売られるぞ。気をつけておけ」
「わかりました。じゃあ、本格的に大変なことになる前に準備をしないと。正二と二人で、生きていけるように」
「・・・弟と逃げるのか?」
「弟を見捨てることなんてできませんから」
彼の姿が過去の俺と重なる
弟を置いて生きる選択肢は過去の俺にも提示された
けれど俺は、弟と二人で生きるという選択をした
それがどんなに辛い道のりだとわかっていても・・・家族は見捨てられなかった
「・・・なるほど。もう一つは?」
「もう一つは相談というより、質問なのですが」
「ああ」
「・・・なぜ、貴方は俺に正直な答えを述べてくれたんですか?」
「隠してほしかったのか?」
「隠さないで教えてくれたのが意外だったんです。大人は、すぐに子供だからと理由をつけて真実から遠ざけるから」
「・・・俺は、間違ったことをしたとは思っていない」
「はい」
「俺は、ちゃんと現実を包み隠さず伝えて、君に真実を教え、それから最悪の結末から遠ざけることが俺にできる「優しさ」だと思ったんだよ。だから君に真実を伝えた。それだけだ」
「・・・ありがとうございます。探偵さん」
「礼には及ばない」
「あの、探偵さん」
「まだあるのか?」
「これまで探偵さんは色々な相談を受けていたんですよね・・・それって・・・お話してもらうことはできるのかなって・・・」
「・・・しょうがないな。教えられる範囲でな・・・弟にも内緒だぞ?」
「やった!」
嬉しそうに笑う彼の隣に腰かけて、俺は桜彦さんが来るまで過去の依頼の話をした
ある神社のおみくじの話、友人である小影と出会ったきっかけである殺人事件
猫探しで帝都中を駆け巡った話から、地方の田舎で起きた窃盗事件まで
流石に探偵になった理由は話せないけれど、それ以外の話をできるだけ
しばらく話続けていると、迎えが来たのか廊下が軋む音がした
「楽しそうだな、幸雪」
「桜彦さん!」
襖を開けたのは、俺の待ち人だった
「ほい、着替え。袴はまだ乾いてないってさ」
着替え一式が入った風呂敷を手渡される
これで、ぶかぶかの着物から卒業できるな
しかし、俺と話していた正太郎の表情はあまり浮かない
なんせ桜彦さんが来たということは、ここで過ごす時間も終わりということだから
「・・・話の続きはまたいつかだな」
「そ、それじゃあ、袴は明日にでも夜ノ森商店に持っていきます。その時に話の続きを聞いてもいいですか?」
「いいのか?」
「はい!」
「ありがとう。じゃあ、お願いするよ」
話も中途半端だし、明日の俺は書店ではなく小影の店の手伝いだ
正直な話、小影の店に持ってきてもらえるのは助かる
俺は正太郎の提案を受け入れ、彼の父親の着物から桜彦さんが持ってきてくれた服に着替えるために立ち上がり、隣の部屋へ行く
風呂敷を説くと、中から学生服が出てきた
・・・あの人、ノリで自分の学生時代の制服を持って来たな
学帽はないけれど、長袖の学生服はともかく厚手の外套は今の季節だと少々暑苦しく見えるのではないだろうか
しかし、持って歩くのも面倒だし・・・
しょうがない、外套も羽織ろう
重い外套を羽織り、元いた部屋に戻る
桜彦さんは今にでも笑いそうな表情で、正太郎は先ほどと変わらない表情で俺を出迎えた
「よくお似合いです・・・でも」
「でも?」
「探偵さんは、学生さんでしたっけ?」
「違うぞ。これは桜彦さんのだ」
「俺の服じゃ、幸雪に合うサイズがそれしかなくて」
「あ、あ・・・あー・・・・」
「おい正太郎、今俺と桜彦さんを見比べて何を納得した」
「それじゃあ、俺たちはそろそろいくよ。袴は明日に・・・よろしくな」
「はい。それではまた明日!」
二人して俺の訴えを無視し、話を進めていく
彼が店先まで付いてきて、父親と共に俺たちの背を見送ってくれる
俺と桜彦さんはそれに手を振りつつ、店を後にした
生花店から少し離れても、桜彦さんはなぜか笑い続けていた
「ふ・・・」
「何がおかしいんですか?」
「いや、短時間で懐かれたなって」
「色々話しましたからね」
「兄の方はガードが固そうなイメージがあったけど、意外と年相応で驚いてるよ」
「そういえば、聞くの忘れたんですけど・・・彼いくつかご存じですか?」
「七歳か八歳だったはずだ。弟は一つ下」
「しっかりしすぎじゃないか・・・正太郎」
「まあ、あの店はあの子が大きくなるまで持たないな」
「それは本人も理解していましたよ。家の状況もよくないことも」
「・・・彼、将来有望だな。今度の事業が軌道に乗ったらスカウトしに行こうかね」
「その時は俺もついていきますよ」
「お前に懐いてるから交渉も楽に進めそうだ。その時は頼んだぞー」
桜彦さんは俺の頭を乱暴に撫でて前を歩く
「そういえば、昼食・・・どうしましょうか」
「時間、思いきり過ぎたな。そうだアンパンでも買うか」
「構いませんよ。それなりにお腹にたまりますし」
「それから夜ノ森君のところに顔を見せに行きたいんだ。以前頼んでいた商品の件を聞いておきたい」
「ああ。懐中時計ですね。了解です」
俺たちは再び歩き始める
目的地を変えて・・・・・・始まりの、場所へと