>私は主人公を、そこまでのサイコパスだとは思っておらず、どちらかといえば善人として思考させ、行動させようとしていたわけですが
>私は主人公を、そこまでのサイコパスだとは思っておらず、どちらかといえば善人として思考させ、行動させようとしていたわけですが
>、ここまで一刀両断にされてしまうのであれば、これはもう、作品がとか、あるいはキャラクターが、とか、そういう次元ですらなく、この私自身の人間性に原因があるのではないかと思いました。
そういうつもりはなかったのですが批難に聞こえたのなら申し訳ありません。
「無思慮で出たとこ勝負で動き、頭に血が昇りやすく感情で行動する割には、愛情などの面では薄情で切り替えが早く、自分を善人に見せたいけど本性は殺人に嫌悪感を持たない無自覚サイコパスタイプ」に見えるというのは
これは心理学的に好く見れば
「情熱的で機転が利き、けれど命の危機には感情を殺して即断即決でき、善人でいたいと思ってるけれど、悪を憎むために無力な善人でいられない英雄願望タイプ」
とも言えます。
そこは描写で簡単にひっくり返り
読者にそれぞれの印象を与えますが
お人好しや凡人ばかりでなく一度普通の人間のふりをして犯罪を行うサイコパスタイプの人間に関わった事があると特にそうですが
下手な役者が演じるヒーロータイプを見てもヒーローでなくサイコパスに見えやすくなります。
この二つの差は小説で表現するなら
「命に対する敬意」と「死に対する恐怖」を持ちえるかどうかでしょうか。
前回の感想はそこらへんを感じさせる描写が小説に少ないという話で
それは個人の性質ではなく、文章による表現テクニックの問題だと思います。
ファンタジーやSFなどだと「現実離れ」が強すぎて
そこらを「どうせ絵空事」と割り切って読みやすいですが
物語が現実に近づくほど
そこらへんの描写は必要になり
現代を舞台にした犯罪ものなどのリアルな話だと
この二つの差は明確に表現しなければならなくなります。
この物語は戦国時代っぽい並行世界か異世界でしょうから
そこまでではないのですが
ファンタジーでリアルさのないキャラばかり出てくるタイプの物語ではないので、気になってしまったという話です。
昨今、死と触れ合う機会は少なくなり
死を穢れというように考える公家文化が広まって
田舎でも裏山に家族を葬るような風習もなくなり
巷には絵空事の死ばかりしか感じられなくなってきています。
命は尊いもので人は命を奪う事で生かされているという実感。
自分の死は怖いし、家族の死も、身近な人の死も、出会った人の死も怖いものであるという実感。
そういうものが薄くなっている時代ですので
そういう描写が難しいのは
現代社会ではしかたがないのかもしれませんが
「特殊な生い立ちや経験による死生観」という演出なしに
凡人がある日突然にヒーローになるという子供向けの創作物があふれたせいか
そんな事をできるのが
人間としての普通という幻想を感じる人もいますが
生まれながらのヒーローなんてものは実際にはいません。
そのせいで
○○○を「正義のヒーロー」に近く描写しようとしたのが
人によっては「人間性の欠如」に近く描写してるように見えるだろうという感想だったのですが
誤解を招いたようで、すみませんでした。
「正義」とは「必要悪」の別名であって
「善」という共存原理ではなく「悪」という暴力原理を否定して「善」を護るための現実的な指標です。
「善」も「悪」も組織や人格の方向性を示す概念であって、現実で実体を持つ存在ではありませんから
人は理性で「善」を好むか「悪」を好むかとは別に
征服と従属による「服従強制競争型の階層社会」では
生まれ育った環境で差はあっても
たいてい「敵と味方」という基本的な差別意識を持ちます。
そういった「敵と味方」の割り切りは
理性による「必要悪」と
無意識による「悪」
その二つに分類されて考えられます。
軍人などは教育と訓練で「必要悪」を正義として精神に叩き込まれて「人格改造」により殺人を反射的に躊躇なく行えるように訓練されますが
「サイコパス」は人格改造されるまでもなく育つ過程でそういった人格を得て無意識で行い得ます。
これが「必要悪」と「悪」の違いで
「善」は相手を自分と同じ者だと考えるから
「命に敬意を持って接している」からこそ
暴力を否定して暴力に対して無力です。
「命への敬意」を振り払い行動する「必要悪」は
「善」を護る時にのみ「正義」ですが
そうでなければ何時でも「ただの悪」にもなり得ます。
サイコパスも損得が絡まなければ「正義」であり続ける事もでき
味方につけるために情を絡めた人助けもします。
けれどいつでも「悪」にもどれるのと
いつでも「必要悪」になれるのは違い
前者は「覚悟」を必要とせず
後者は必要とします。
これは「命に対する敬意」を無意識にでも持っているかどうかの違いともいえます。
命への敬意
人への敬意
誰かへの敬意
自分への敬意
これを失う事は
聖書宗教などが「傲慢の原罪」と語り
仏教が「煩悩」の一つとしてと語り
「人道主義」が「ヒューマニズムの欠如」として語る状態で
そういったものを失う危うさを自覚するように軍人は訓練されなければ犯罪者と変りません。
そういった事を考えて描写できるかどうかが
現実的なヒーローやダークヒーローとサイコパスの違いの描写で
それを表現できるかどうかは
作者の人格には関係のない小説テクニックです。
最近ではメディアミックス前提のラノベなどでは
情景描写は最低限でいいという風潮もあるようですが
心情描写はそうはいかず
映像メディアだとそこらはバック音楽や俳優の演技や作画表現といったものに頼れるのですが
小説だと文章表現で全てを表さなければなりません。
そういう意味でこの物語は「映像表現の御約束」に引きずられすぎていて
似たようなシーンがある映像作品を見ていれば想像できても
そうでなければ戦闘への導入や感情を爆発させる場面が想像しづらいように思えました。
そこがヒーローとサイコパスの境を曖昧にしているように感じられるというのが前回の感想です。
それが誤解されたのは申し訳なく
これで伝わったかどうかも不安ですが
あくまでも
そういった作品に対する感想で作者への批判や感情的な攻撃ではないのは御理解ください。
あくまで一読者の無責任な感想なんですが
「どうにも細かなことが気になってしまうのが僕の悪い癖で」




