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>農業改革


>農業改革


中世封建社会でも保守的な近畿から中部だと

自分の農地という感覚はなく「先祖から受け継ぎ子孫へ伝えるべき宝」に近い感性なので「革新的」試みは嫌う気がしますね。


「御上の言うとおりに致します、へへー」とか

「御坊様がいう事なら」とか


土地持ちの地主豪族がいうのは権力に媚を売るときくらいでしょう。


土地を持たない小作人とかなら貸し出しで便利に使えても彼等も人間ですから自分達のしてきた仕事に誇りを持つ事もあるでしょうし。


判りやすく手軽に「農業改革」というエピソードなのでしょうが


「革新」する信長に味方して旧弊たる中世封建社会を造り変える物語なので少し突っ込んだ話にしてもいいかもしれませんね。


武士が豪族を服従させ豪族が土地を持たない小作を服従させるという社会機構が当時の常識で


これはGHQが農地解放の名の下に豪族を解体するまで続いた制度と感覚です。


土地持ちになった小作農の第一世代には残る感覚でも

既にその孫の世代になった現代だと解り辛いのかもしれませんが


外国の財閥の傘下に入った日本の大企業の都合で

商業主体の権力によって意図的に「加工工業国家」に造り変えられた現代日本の感覚と


太平洋戦争を実感できる世代の感覚では違いがあり

明治生まれと江戸時代でも違いがあり

戦国と江戸時代でも違いがありと


ジェネレーションギャップというものは民俗学に興味を持てば深く感じられます。


要は

誰だろうと生活がありその生活を護ることを考えて生きているという話で


その生活が苦しいならば好くしたいと考えたり

新しい何かに不安を感じたりリスクを考える自立した人間であるという話ですね。


武士だけを人間として農民を飼い馴らされた奴隷として描くのではなく

農民も自立した人間として描くなら違和感のあるエピソードでした。


この違和感を例えるなら

欧米の昔の作家が「未開の土人」として植民地の人間を描くかのような

黒人を従順で愚かな奴隷として描くかのような違和感でしょうか。


現代日本の若い世代にはマスコミによって植えつけられた

外国人が「外は黄色だが中は白いバナナ」と揶揄する傲慢な偏見に似た感覚があります。



「きちんと古いものの良さもあれば新しいものの悪さもあると考える」自主性を貶める愚民化政策として



「古い時代の全てが愚かさでできている」

「先進的なものは素晴らしく古臭いものは劣っている」

「先進的な欧米文化は素晴らしく旧来の日本は愚か」


欧米のフィクションやマスコミにより

無意識的にあるいは意識的にそういったイメージを植えつけられているのでは?


そういった疑問の声も今では小さくなりましたが

ふとした切欠でそう考えてしまいます。


これもジェネレーションギャップなのでしょうか


「奴隷のような感覚」を普通としたフィクションには違和感を覚えるようですねぇ。


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