>エリート意識になっている者はあまり戦争で使えませんね。
>エリート意識になっている者はあまり戦争で使えませんね。
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エリート意識というのは精神構造の一部分で全体ではないので偏見無く語るなら
社会に対しての「自負と責任感」をどう持つかという意識で
「ノブレス・オブリージュ」などもその一種です。
「権威主義社会」を否定した「民主主義社会」では
役職は「役割」にすぎないので個人のエリート意識は公私混同による権力の私物化という反社会性を持ちますが
封建社会は「権威主義社会」そのものなので
役職は「身分」と同等ですから
個人のエリート意識は社会秩序そのものになります。
また「エリート意識」という概念自体が生まれたのが近代で
世襲社会で家長相続の時代では
役職=身分ですから「貴族のプライド」と不可分の意識でした。
自分達を「貴い」と自称する人間が差別で常識を造る社会と
万民は平等の権利を持ち、たまたま生まれで権力格差を持つだけと考える人間が常識を造る社会と
その二つの意識を混沌とさせる誤魔化しの常識で責任を有耶無耶にして自負も持とうとしない人間が常識を造る社会。
その違いで「エリート意識」は別の方向性を持ちます。
これは政治で言うと
「施政という役割を民衆から与えられた諮政者」と考えるか
「権力を勝ち取り、征服統治を行う身分を得た権威者」と考えるかの違いで
世襲政治屋などだと教育で後者になりがちで
最初はそうでなくても利権の代表者でもあるために
そう振舞わなければならず権威主義に傾倒していきます
現代日本の「民主制度を権威主義で動かす社会」の感性では「個人としてのエリート意識」を持つ者は偽善を騙る有害な悪党ですが
本来の民主主義社会では、「公僕としてのエリート意識」という役割に対しての自負と責任感を必要とします。
というわけですので
個人が「エリート意識」をどう考えるかという
そこら辺は文明度と民主化度などの社会形態というか世界設定に関与する描写にもなってしまいますね。




