Beginning-5
第5部分です!よければ覗いていってください!
「ハァ……ハァ……あいつは……追って来ていない?」
ジンは足を止め、後方を確認する。
あの焔を纏う喰らう者は目視できない。息を整えながら、改めてカガリに声をかける。
「姉さん、無事で本当に良かった……。大きな怪我はしてない?」
ジンが安堵の表情を浮かべながら、カガリを気遣う。
パッと見ただけでも、その体には無数の擦り傷や火傷が目立つ。大怪我こそ無いものの、よくぞここまで走ってくれたとジンは内心思った。
「はぁ……はぁ……大丈夫」
息を切らしながらもカガリはなんとか応える。
「よし……距離はあるけど、港湾区画に向かおう。あそこには何人か生存者がいたし、船もある。きっと脱出できるはずだよ」
ジンがそう言って再びカガリの手を引き走り出すと、カガリがそれを拒否するように、強く立ち止まる。
「姉さん……?」
「ジン……どうしても今言わなきゃいけないことがあるの……」
いつもの姉と違う雰囲気にジンは足を止め、思わずその声に聞き入った。まるで昨日の……バーテクス正規軍に志願することを話した時のような。
「私……本当は……ジンに会う前の私は――――」
カガリが話しているその刹那――あの怪物が現れた。
デタラメにもその怪物は、2人がいる場所の真横の建物を突き破って、大量の飛散する瓦礫と共に姿を見せたのだ。
その大量の瓦礫は、容赦なく2人を襲う。
ジンは飛んで来たコンクリート片で頭を強打し、吹き飛ばされ地面を転がった。温かいものが頭から流れる。朦朧とする意識、大きく歪む視界。今自分が立っているのか、地面に伏しているのかさえ判らない。
それでもジンはカガリの姿を探す。
「……ねえ……さん……」
カガリも血塗れだが、こちらを見ていない。その場に座り込み、覚悟したような強い視線で何かを見上げている。
そんなカガリの視線の先には――
(喰らう者……あいつ、ねえさんを狙ってるのか……。だったら……だったら守らなきゃ……)
吹き飛ばされ、傷だらけになった体を。
(おれが……ねえさんを守る……)
今も遠のき、朦朧とする意識を。
(おれが……姉さんを……俺が、)
あの怪物の放つ強大な殺気。
纏っているあの焔に恐れ、折れた心を。
(今ここで守る。――姉さんだけは、守って見せる!)
その全てを奮い立たせ、ジンは勢いよく立ち上がる。
――乾坤一擲。ジンの体は悲鳴をあげ、血を流し過ぎたせいか焦点が合わない。
ならば取れる選択肢はただ1つ。
焔を纏うその大きな背中を、ジンは渾身の力で斬りつけた。
「グアアアアアアアアアアア!!!」
大量の血が噴き出し、喰らう者は絶叫する。
――が、怪物はカガリへの歩みを止めない。
大きな傷を与えたものの致命傷にはならず、それどころか注意を引き付ける事すら出来ていない。
(明らかにおかしい……。まさか……姉さん個人を……狙っているのか……)
ジンは追撃を試みたが、大きくよろけ立ち止まる。
足が言うことを聞かない。
遂に喰らう者は、カガリの眼前に辿り着く。
腕を大きく振りかぶりながら、再び声を発する。
「アァ……オマエダ……ワタシハヨウヤク……」
ジンは怪物の声を聞き取れない。
意識は既に限界。体の感覚は鈍くなっており、頭から流れる生温い血の温度しか感じられない。
焦点の合わない視界に映る、その光景。
赤黒い焔を纏う怪物が、大きく腕を上げ、今にも振り下ろさんとしている。
――まるで死神が大鎌を振り下ろすかのように。
このフラッシュバックは、ジンを再び立ち上がり、走らせる。
――――心臓を目がけて一直線。
怪物の剛腕はジンの胸部を貫き、纏う焔はその身を焦がす。
「――――がはっ」
大量の血を吐き出す。
胸を貫く痛みと衝撃が、ジンの意識を鮮明にさせた。
「ジャマヲスルナヨ……コゾウ……」
今度はハッキリと聞き取れた。――しかし。
確実な致命傷。
胸部の大部分は貫かれており、きっとどんな治療でも救うことは出来ないだろう。
それは医療に心得の無いジンにも明白だった。
しかしジンは微笑み、吐血しながら言い放つ。
「……邪魔は……させてもらう……。姉さんは殺させない……。それに……」
もう呼吸などしていない。ただ魂を込める。
ガンツとシンシアの顔を思い出していた。
「――仇討ちだ! 絶対にお前は俺が殺す!」
文字通り最期の力すべてを込め、右腕に持っていたブレードを怪物の胸部に突き立てる。
「オオオオオオオオオオオオオオ!!!」
怪物は赤黒い焔を煌めかせ、必死にジンから腕を引き抜こうとする……が、ジンのブレードはそれよりも早く、強く怪物を貫いていく。
「おおおおおおおおおおおおおお!!!」
ジンは叫ぶ。
自らの死すら超える、大切な人々への想い。
その想いは、あの悪夢を乗り越えた。
「――オモシロイ。ナラバワタシハ、オマエヲ――」
不意にジンの頭に声が響く。怪物の口元に目をやるが、動いていない。
こいつが発した声ではないようだ。
――ただ、その口元は歪んでいた。
ジンにはそれが気味の悪い笑顔に見えた。
ブレードが怪物の体を完全に貫いたその瞬間、怪物は無数の美しい火花となって霧散した。
ジンはその場で膝をつき、ブレードから手を放した。
「ぐっ……うっ……アァァ……」
唐突にジンは、あまりの違和感に堪えられず苦悶する。怪物の体は美しい色の火花となって消えた。
しかしあの醜悪な赤黒い焔――奴の力そのものが、自分に空いた胸の穴から流れ込んできたような……そんな違和感を感じた。
その違和感がある程度治まると、ジンは自分の胸に触れる。
大きな傷跡はあり抉れているものの、穴自体は塞がっている。
――ありえない。
この急激な治癒を疑問に思ったが、ジンにとって自分の体のことなど後回しだった。
周囲を見渡し、カガリの姿を探す。
カガリは座り込んだまま、穏やかな表情でこちらを見ていた。
ジンは痛む体を引きずりながら、フラフラと歩み寄る。
「姉さん……何とかやったみたいだ。怪物はなんか消えちゃったし、よく分からないけど俺も生きてる」
焼けるように痛い喉を震わせ、カガリに語りかける。
しかしカガリは応えない。
「姉さん……?」
ジンはカガリの方へ視点を移す。しかし焦点が未だにうまく合わない。
カガリは出血が多く、特に首元の血痕が目立つ。
「……?」
ジンは目元を擦り、カガリを凝視する。ようやく焦点が合ってきた。
――目立っていた首元の血痕は、喉元を斬り裂かれた、無残な傷によるものだった。
「う、嘘……だよな……? 姉さん……姉さん……?」
返事は無い。正確には返事がジンの耳まで届かない。
カガリの声は既に失われており、声を出そうとしてもヒュウヒュウと虚しい音を立てるばかり。
血痕に目を取られ気付かなかったが、顔色も蒼白としていた。
「嘘だ、嘘だ! 返事をしてくれよ姉さん! 姉さん姉さん姉さん!!」
大粒の涙を流しながら、ジンは必死に呼びかける。
抱き寄せた体は冷たい。まるで昨日の背中の温もりが嘘だったかのように冷たい。
――喰らう者が建物を破壊して2人に追いついた時、飛散した大量の瓦礫。
その時既にカガリは飛来したガラス片により、この致命傷を負ってしまっていたのだ。
カガリは腕をゆっくりと伸ばし、弱々しくジンの頬を撫でる。その頬は火傷で真っ赤になっていて、鋭い痛みが走った。
何かを語るようにカガリの唇が動く。が、虚しく風の音を立てるばかり。
「姉さん! 何言ってるか全っ然わかんねぇよ! 頼むから……頼むから死なないでくれよ!」
カガリは腕を力なく投げ出し、その目には涙を浮かべていた。
「や、約束したろ!『絶対死なない』って! 俺は守ったぞ! 胸に穴開けられてもちゃんと約束は守ったぞ!」
カガリはその目に浮かべた涙をぽろぽろと流し、少し微笑んだ。
「だから……だから姉さんも、約束を返してくれよ……頼むよ……」
口元を再び動かした。
もう風の音すら聞こえない。
ただジンはその言葉が分かった。分かってしまった。
――ただ一言。ごめんね、と。
「姉さん……姉さん……」
――カガリはそれを最後に、二度と動くことは無かった。
エリア3には無数にある、貧しくも必死に生きる労働者達の街。その内の1つが、地獄と化した。
街は焔に包まれ、生存者も片手で数えられる程しかいないという。
その地獄の中心。
焔の海の中、もう誰もいなくなった街の中。
1人の青年の慟哭だけが、虚しく響く。
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