『ただいま』
「――うん。いい感じだ」
ジンは肩を回しながら、病院を後にする。
身体の方はほとんど回復し、病院のベッドを空けるためにも自分から退院を申し出た。医師は心配し、念のため、もう1日は安静にするべきだと言ってくれたが……同時に、喰らう者の力を宿していれば、大丈夫かもしれない、と言ってくれた。
医師や看護師、彼らはジンが必死にバスターと戦ったその一部始終を目にしていたのだ。病院を去る際に、医師にはこう言われた。『どうか、生き抜いてくれ。反逆者』と。
病院の正面玄関に向かう際、すれ違う人に何度も激励の言葉を貰った。
「おお、反逆者のあんちゃん。助けてくれて、ありがとなぁ」
「あ、反逆者! 守ってくれてありがとう」
……どうやら、俺は『反逆者』の渾名で知られることとなったらしい。戦いの最中、バスターが俺の事をそう呼んだからだろうか。
「……怖くないのだろうか。あんな姿になった、俺の事」
ジンはそう無意識に呟きながら、いつの間にか病院の玄関口に辿り着いていた。すると後ろから肩をトン、と叩かれる。
「――あの戦いを見て、君のことを怖いなんて言う人はいないと思うな。私も……胸を打たれたよ」
「! ミシェルさん……!」
ジンの肩を叩いたのは、ミシェル・マローンだった。なにやら大荷物を持っているようだが……。
「や、ジン君。退院おめでとう!」
「ありがとうございます。ところで……どうしたんです、その荷物?」
「おお、よくぞ聞いてくれました。実は就職先が決まりまして! 今日からそっちに移るんだ」
「それは……おめでとうございます! でも……まだ、義足が……」
ジンはミシェルの義足に注視する。まだ関節の無い簡易義足を使っていたのだ。確かバーミリオン社が保証してくれる、という話だった気がしたが。
「……もしかして、バーミリオン社がエリア4に移転したから……?」
「フフ、流石ジン君。探偵みたいだね。まったく、その通りだよ。私の義足の話もパーになっちゃって。でも、新しい職場でそっちは何とか面倒見て貰えそうなんだ」
バーミリオン社のエリア4移転の話。場所の移転だけでなく、バーテクス正規軍傘下からアークの傘下になったことで、正規軍絡みの話は諸々全て白紙にされてしまったのだろう。酷い話だが……取り締まる法やルールなんてものもある筈がなく。
「……その。ミシェルさん、すみませ――」
「――も~~!! いい加減、いいってば、ジン君。新しい職場で面倒見てくれるって言ったでしょ? いつまで引きずってるのよ」
「で、でも……!」
「でも、もナシナシ!! 私はあの時も、この病院でも。また君に救われた。だから胸張ってよ、『反逆者』。私たちのヒーロー」
……ヒーロー? 俺が?
ジンはミシェルの言葉に面食らい、思わずフリーズしてしまう。
「もしかして、『反逆者』の渾名を広めたのは……」
「ギクッ。 ま、まあ、私は病院の人としか話しはしてないけどね。すぐに広まっちゃった、アハハハ。でもかっこいいじゃない? 喰らう者の力を持ちながら、人間に味方してくれる。反逆のヒーロー」
「そんな……そんな大層なものじゃないですよ。ただ必死だっただけです」
「そっか。でも、本当に胸を張っていいと私は思うよ。それじゃまたね」
ミシェルはそう言い残して、一足先に病院を後にした。
「……凄いな。敵わないや」
ジンはぎこちないながらも、あたかもそれが普通かのように歩き、遠くなっていくミシェルの後姿を見て、そう思った。
ジンは病院を出た後、ひとまず第3層の自室に戻ろうとした……が。問題発生だ。
街の損壊が酷く、下層に降りるための巨大エレベーターが動いていない。歩き回ってようやく3基目に辿り着いたが、どうやらここもダメらしい。
「参ったな……とりあえず本部に行くか」
現在位置は第2層。病院とオールドライブラリを中心に、様々な会社が集中している階層だが、ハウンドの本部もこの階層にある。帰れない以上、とりあえずは本部へ行くしかない。
往来の人々は誰もが忙しそうに動いており、いかに被害が大きかったかを物語る。忙しく人が動いているのに、その人の数自体は少なかったからだ。
あれだけ賑やかで綺麗だったのに、今はまるで……ボロボロになって、それでも涙を堪えて空元気をしているようだった。
そんなことを考え辺りを見渡しながら歩いていたら、いつの間にかジンは本部に着いていた。
「っと。誰かいるかな……?」
扉を開けると室内に人影は無かったが、何やら奥が騒がしい。シュミレートルームからのようだ。ジンはなんとなく音を殺しながら中を覗いてみる。するとそこには――
「――斬ッ!!」
「なるほど、流石は剣聖か」
そこでは刀也と、ランク2・ファングが戦っていた。互いに木製の訓練用武器で打ち合っているようだ。
刀也の袈裟懸けの大振りな斬撃を受けきれず、ファングが体勢を崩したところだった。
しかしファングも流石はランク2、華麗な体捌きで体勢を立て直し、すぐさま双剣による反撃を行う。
「甘い――!」
刀也はファングの双剣を受けるのではなく、強引に再び大振りの横薙ぎ一閃を放つ。先の一撃の隙を突いたはずだったファングも、この一閃は予想外だったのだろう。何とか反撃を防御に切り替えたが、咄嗟の防御で受けきれる生半可な一閃では無かった。
「くっ……!?」
ファングは先程よりも大きく体勢を崩す。
(崩した! チャンスだ、刀也!)
ジンは思わず見入ってしまい、手に汗握って刀也を応援してしまう。
刀也にとっては勝負を決める絶好の機会だったが――そう甘い勝負では無かったようだ。後ろからもう1人、刀也に襲い掛かった。
まるで本物の武器を使っているかのような、強い衝撃音が響く。刀也に斬りかかったのは、大振りのコンバットナイフを得物とするマイルズだった。
しかし刀也はそれをも受け止める。刀を瞬時に逆手に持ち替え、ナイフならではの超近距離に対応する。
「こりゃ……不意を突いたと思ったんだけどなァ……!」
「――ッシ!」
風を切るような声と共に、刀也は鍔迫り合いから刀を引く。そしてその刀を引いた勢いを殺さず、そのまま身体を回転させて斬撃を放つ。これに対し、マイルズは対応できず。胴に鮮やかな一閃が叩き込まれた。木刀ゆえに、そのままファングのいる方に吹き飛び尻餅をついた。
「っててて!! あー、くそ。こりゃ完敗だなァ。2対1だってのによ」
「ここまでとは。ランク6への昇格に剣聖の渾名は伊達ではありませんね、刀也君」
「……あくまで接近戦限定、それも試合形式での結果だ。戦闘スタイル的にはむしろ俺にハンデがあったくらいさ」
刀也の勝利、ということで勝敗は決したようだ。
(あの技……)
ジンは刀也が最後に見せた回転斬り見覚えがあった。正確に言うと回転斬りに繋げる前の、鍔迫り合いで刀を引いたあの動きに。ビッグホーンと戦う前に何度か稽古をつけて貰ったが、その中にあの技はあった。
(なるほど……ああやって回転を駆使して反撃に繋げられるのか。でも、なんだか刀也の剣筋が変わったような気がする。力強くなった……というよりどこか荒々しくなったというか)
「……おうジン、中に入ったらどうだ?」
「ッわあ!? け、拳二さん」
扉の前で中をこそこそと覗くようにしているジンに、声をかけたのは拳二だった。
……情けない話、刀也たちの戦いに夢中になり過ぎて、全く気付いていなかった。
「! ジン、身体はもういいのか」
刀也たちもこっちに気付いたようだ。
「あ、ああ。もう大丈夫だよ。それにしても凄い戦いだった。流石は刀也だな」
「お、見られちまったかァ! 2人がかりで情け無ぇなァ」
「情け無くはないでしょう。それほどまでに、刀也君は強いですよ」
「そうだけどよ、もうちょいやれたぜ。お前と俺の連携がウンヌンカンヌン……」
「ふむ、確かにそれは一理あります。でしたら次はドーノコーノ……」
マイルズとファングが先の戦いの反省会を始めてしまった。そんな2人に拳二が割って入る。
「ええい、オッサン! 後にしろよ。とりあえずまずは……」
すっ、と拳二が掌をジンの前に出す。
「えっ……と。これは?」
ジンはその手の意味が分からず、素直に尋ねる。
「バーカ、握手だよ。ったく、刀也もそうだが散々俺らに心配かけやがって……このクソ後輩。
まぁ……なんつーかアレだ。よくここに戻ってきた。
――おかえりさん、ジン」
「あ……はい。その、た……ただいま」
そう言って、ジンは拳二の手を取る。嬉しさのあまり、顔を赤らめ思わず涙ぐんでしまう。
『ただいま』
この言葉を心の底から言ったのは、随分と久しぶりな気がする。
信頼できる仲間、そして友。お互い少し痛いくらいに握ったこの掌こそが、その証明だった。
今は……間違い無く。俺の居場所はここにある。
「……え、いない? さっき退院した? ……どこに行ったんだろう、ジン……」
ジンが病院を出た5分後、何やら袋を抱えたアームズが、病院を入れ違いで訪ねていた。