パラダイム・シフト-4
「負けるなーー!!」
「頑張れーー!!」
本当に、本当にたくさんの人々の叫び声が聞こえる。
信じられなかった。
この声全てが、自分に向けて放たれているということに。
「……ぁ……」
ジンは微かな嗚咽と共に、涙を流した。中途半端に半分だけ人間に戻ったその顔の、真紅の瞳からボロボロと大粒の雫を流した。
――今まで、ずっと怖かった。
敵である喰らう者の力を使い戦う自分に、いつか敵意を向けられる日が来るのではないかと。『人間の敵』と思われる日が来るのではないかと。
今や友人となった刀也や、サラ、拳二、アームズ……彼らと話している時も、喰らう者と戦っている時でさえも。いつもその恐れは脳裏にこびりついていたのだ。
それが、今、この瞬間……ジンの脳裏から剥がれて消えた。
「その涙は、嬉し泣きか? だが残念だったな。そんなもので強くはならない。何も結果は変わらない。お前はここで死に、それで終わりだ」
バスターはそんなジンの様子を見ながら、もう一度雷を両手に発生させ、剣と盾を顕現させる。放つ殺気は相も変わらず凄まじく、瀕死一歩手前のジン相手に一分の隙も感じさせない。しかし――
「――いや……そんなことはないよ」
「何?」
「こんな姿になった俺を頼ってくれる人がいる。応援してくれる人がいる……これで強くなれない『人間』なんか、いやしない……ッ!! おおおおおおおおッッ!!!」
ジンは雄叫びを上げながら、再び完全な変異体に姿を変えて真っ直ぐ突っ込んだ。まるで心に溢れた喜びの感情を力に変えるように。
ジンの意識は既に遠い。バスター相手に何の駆け引きも無く、ただ正面から陽炎を振り回す。対するバスターは、そんなふざけているとも取れるジンの攻撃に何の隙も見せず、確実に盾で守りを固めていた。
『身体が痛い。あちこちがもう動かない、動きたくないと悲鳴を上げている』
――それがなんだ。
『勝てるわけないだろう。変異体は何とか戻せたが、見てくれだけだ。力も速さもまるで足りない、焔だってもう纏ってやいない』
――だからって、戦わない理由にはならない。
ジンの頭は自問自答を繰り返す。消し炭のように真っ黒のままの陽炎を、愚直にバスターの盾にぶつけ続ける。
「――もういい、死ね」
見えなかった。反応なんてとても出来なかった。
バスターの剣が、ジンの腹を貫いた。
「……」
ジンは何の声も上げることができなかった。右腕は陽炎を持っていられず、その場にカランと金属音を立てて落ちた。
「お前は弱い……が、その不屈には正直驚いた。敬意すら感じるほどにな」
バスターはジンの耳元でそう呟き、ジンから剣を引き抜いた。ジンはおぞましいほどの血を噴出させながら、そのまま仰向けに倒れる。
ジンの意識は、ここでプツリと途切れた。
バスターは病院の方に目を向ける。
ジンが倒れたことで、騒がしかった観衆が再び静まり返ったのだ。
(……自らの保身は他人任せ。武器を持っている者もいるようだが、向かってくる者はいない、か。心底貧弱な生物だな、人間とは)
バスターはジンの死体を跨ぎ、そのまま病院に歩いて直進する。
「皆殺しだ。お前たちに生きる価値など無い」
「く……やらせない!!」
「下がってて!」
咄嗟にバスターの前に立ちはだかったのは、アレックスとミシェルだった。その足は恐怖に竦み、震えている。
「抗うだけ無駄だ。逃げた方がよっぽど――」
――グチャリ、という水音のような音が聞こえた。
「――ッ!?」
バスターが思わず振り返ると、そこで死体が立ち上がっていた。
「ジン……さん……」
「うそ……」
アレックスもミシェルも、共にバスターへの恐怖も忘れてそれを見た。
意識が無いのか、立ち上がった状態でピクリとも動かない。
――何故?
バスターだけではない。アレックスもミシェルも、ただそう思っていた。
腹を貫かれ、今もビチャビチャと音を立てて血を流している。明らかに致命傷だ。にもかかわらず、何故生きている? 何故立ち上がれる?
「……いい加減にしろ。お前にもう用は無い。弱き者が、俺の前に立ちふさがるな……ッ!!」
バスターは苛立ちをぶつけるように言い放ち、ジンに向かって斬りかかった。
――その時、ジンとバスターの間に銃弾が降り注いだ。
「――!!」
バスターは寸前で立ち止まり、その場を飛び退く。踏み潰すのが狙いだったのか、次の瞬間バスターが立っていたその場所に、黒き鎧がまるで隕石のように勢いよく着地した。
黒き鎧の正体、それは全身をアームドアーマーに覆ったハウンドのランク3・アームズだった。
「……お前は」
バスターが問いかけようとしたその時、着地から間髪入れずに銃撃が行われた。バスターはその身に雷を纏い、凄まじい速度で銃弾を回避する。
(ハウンドのランク3だったな。見る限りあの黒い鎧は機械か……ならば)
バスターは即座にアームズの後ろを取り、装甲を掴んだ。
そして、そのまま直接雷撃を叩き込んだ。
「――うあッ……!!」
アームズは強烈な雷撃に感電し、苦悶の声を上げた。
『シsテfd596romエj9dfhラー! 警jforweg///:]eコク』
バイザーに意味不明な文字列が流れる。電気系統のシステムが完全にエラーを起こしていた。
アームズは全身に焼けるような痛みを感じ、同時に意思とは無関係に身体がビクンと跳ね上がる。
(これ……電流……っ!?)
アームズがその場に倒れこむと、今度は物理的な痛みを感じた。痺れてうまく動かない身体を強引に起こすと、アームドアーマーは既に消え去ってアームズ本人の姿が露わになっていた。
「エラーできょうせい……解除された……」
気付いた時には既に遅し、緊急用に持っていたハンドガンも取り出せないままバスターが眼前に迫っていた。
「俺の異能力は『雷』……天敵だったな、ランク3」
倒れ込み、上半身だけ身を起こした状態のアームズの顔面を最短距離で狙う、片手剣による刺突。抵抗する隙などアームズには微塵も無かった。が、その攻撃はアームズには届かず、代わりに血がアームズに降り注いだ。
ジンが、アームズの盾となったのだ。
「ジ……ン……」
「馬鹿な、まだ……」
アームズは目を見開き、バスターも同様に驚愕していた。
ジンはそのまま倒れ込むように力無く膝を付く。しかしバスターはあまりの驚きに気が付かなかった。
ジンの右手には、落としたはずの陽炎が握られていることに。
「っあああああああああ!!!」
力無く膝を付き、倒れ込む動きはフェイク。逆に一歩分、動揺していたバスターとの距離を詰め、大振りの斬り上げがバスターを捉えた。
刃先がバスターの上半身を掠め、大きな傷を刻む。刀傷自体は浅く、表皮を薄く斬り裂いた程度に過ぎない。しかしバスターは追撃することはせず、すぐに距離を取った。
「俺に……傷を」
バスターは傷に触りながらポツリと呟いた。信じられない、という驚愕の中に、どこか嬉しそうな。そんな表情を浮べながら。
「……もういい、ヤメだ。どの道その有様で生き残ることはできまい」
そう言って、バスターはその場を去った。
「……」
何故退いてくれたのか。分からないまま、ジンは今にも糸が切れ崩れ落ちそうな身体を無理矢理動かし、振り返る。
どんどん遠くなる意識の中、今度こそ死んでしまうかもしれないと思っていた。
「アー……ムズ……君に……」
「ジン……!!」
アームズも痺れで動かない身体を引きずり、ジンの下に行く。ジンはアームズに身体を預けるように倒れ、アームズはそれを抱きしめるように受け止める。
「ずっと君に……会いたかったんだ……」
それだけ言って、アームズの腕の中でジンは再び意識を失った。
ひとまずエリア1での騒動はこの話で一段落。
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