パラダイム・シフト-3
「――あの野郎……バスターの奴に一発入れやがった……ッ!!」
拳王が思わず慄いた。
彼はビルの屋上のフチに腰を下ろし、ジンとバスターの戦いを見下ろしていた。すると、そんな拳王の背中に声をかける者が一人。
「――随分とエキサイトしてるじゃない、拳王?」
今や戦場にも等しいこのエリア1において、あまりにもそぐわない鮮やかな青いドレスを着た女性だった。ドレスの隙間から覗くしなやかな肢体と、歩き方一つとっても妖艶な雰囲気を醸し出す。
「ん……ファントムか。オールドライブラリの方は?」
「いやー、それがちょっと邪魔されちゃって。長引きそうだから逃げて来ちゃた♪」
「逃げてきたって、お前なぁ……なんだ、強えぇ奴でもいたのか?」
「そりゃもう……例の彼がね。あの『剣聖』の」
「ああ、プロフェッサーがツバ付けたっていう奴か。確か大怪我してたって話だったが……なるほど、うまくいってる訳か」
「まあそうみたいね。今のところは、だけれど。それより拳王、下でバスターとやり合ってる彼は何者?」
ファントムは拳王の横に腰をかけながら言った。二人とも互いに顔を合わせず、下方の戦いに注視しながら話を続ける。
「なんだ、いくらお前でもやっぱり気になるか?」
「そりゃ気になるでしょ。あのバスターに一撃入れるなんて、アンタ以外見たことないわよ」
「……だよなぁ。俺も流石に驚いたぜ。
――ま、ともかく面白いのはここからだぜ。こりゃひょっとすると……あいつの本気が見れるかもしれねぇな」
ジンは抱きかかえた女の子を親元に帰すべく、病院の方へ視線を向けた。さっきまであれだけ騒いでいた観衆は、突然冷水を浴びせられたかのように静まり返っていた。
人々の瞳に映るのは、自分に対する困惑と明らかな恐怖の色。ミシェルやアレックスも、もちろん例外では無かった。
(この子の親は……ダメだ、分からない。なら、とりあえず――)
その瞬間、まるで瞬間移動が如く速さでジンはミシェルの下へ歩み寄った。ただその手に抱えた女の子を刺激しないよう、音も無く、優しく、丁寧に。
「……ミシェルさん、この子を頼みます」
「え……あ。う、うん……」
泣きじゃくる女の子をミシェルの傍に下ろし、すぐにジンは身を翻す。ジンがミシェルに声をかけたその瞬間、ミシェルはその場から後ずさるような素振りを見せたからだ。
(……っ)
無理もない。この身はもはや、紛れもない変異体の喰らう者そのものなのだから。分かっていた筈だ。この姿になった俺を怖がらない人間なんていない。たとえそれが知っている人だったとしても。
それでも、ジンは胸が痛くなるのを感じた。人に、ましてや知っている人にそんな目で見られるのは……どうしようもなく、辛い。
――しかしそんな感傷に浸っている間は無い。
何事も無かったかのようにバスターは立ち上がり、強大な殺気を放ちながらこちらに問いかけてきた。
「――ようやくその姿になったか。やかましい観衆も静かになってありがたいものだ」
「……ほとんどノーダメージ、か。俺を変異させるために、わざとあんな真似をしたのか」
「そうだと言ったら? お前はどうする」
「……」
その瞬間、ジンは瞬時に移動する。先程ミシェルに近付いた時とは比べ物にならないほど速く、焔を漲らせ鮮やかな紅色を宿した陽炎を振り下ろす。
エリア1中に響いてしまいそうな衝突音とその衝撃波が発生する。バスターはジンの斬撃を難なく盾で受け止めた。ギリギリと音を立てながら陽炎と盾が互いを押し合い、赤黒い火花と青白い電光が漏れる。
「――決まってるだろ……ぶっ殺すッ!!!!」
「それでいい。来い、反逆者……!」
――焔。
通常の炎の色とは乖離した、まるで絵の具の色のような原色の赤色に、それに纏わり付くように発生している黒い炎。2色混合の独特な赤黒い炎を、ジンは『焔』と呼んだ。
これをその身に纏うことで爆発的に身体能力を高めることができ、得物に『入れる』ことで様々な効果を付与する。ただそのまま燃え上がらせるようにイメージすれば『爆炎』を。焔を圧縮してより高温のバーナーのようなイメージなら『極端な切れ味』を。
――そして、そのイメージはジンが変異体になることでより再現精度を高める。焔そのものの出力が上がり、イメージを実現させるだけの力になってくれるからだ。
更に激しい金属音が、絶え間なく響き続ける。
ジンの陽炎による連続斬撃がバスターを追い込んでいく。先程の剣戟とは打って変わって。ジンはバスターに反撃の隙を与えない。盾でガードしようとその衝撃を殺しきることができぬよう、斬撃に力を乗せる。
「ッ……これは……」
凄絶な斬撃の中、バスターは思わず驚きの声を漏らした。
先程までとは明らかにパワー、そしてスピードが違う。それに……わずかながら、斬撃の『質』が高まったように感じる。
『いいか、基本的に斬撃というのは接触面に対して垂直でいい。当たり前だが、最もそれが力を相手に伝えることができる』
ジンは刀也に教えて貰ったことを頭に浮かべながら、斬撃を重ねていく。刀也ほど刀という得物に慣れている訳でもなく、技や足運びもまだまだおぼつかない。
『お前の強みは身体能力だ。その人ならざる膂力があれば、基本を押しつけるだけでいい』
ガシャン、ガシャンと盾に陽炎を叩き付ける。攻撃が単調にならないよう、上段・中段・下段それぞれに斬撃を散らし、また反撃を受けないようバスターの側面、背後に目まぐるしく移動を続けて。
『無論、技はあった方が良いが……お前の場合はやはり基本斬術がメインになるだろう。そこまで教える時間も無いしな。だから――』
「――くっ……」
バスターはジンの斬撃に耐えかね、バックステップで一度距離を取った。ジンの斬撃の一つにタイミングを合わせて衝突のエネルギーを活かした完璧な離脱だった。
(――確かに強い。今の距離の取り方を見ても、刀也並みの達人だ。……何より、バスターはまだ変異体になってすらいない)
――しかし、だからこそ。変異体になる前にカタを付ける!!
バスターとの距離が空いた。銃を持っていないジンはここからもう一度距離を詰めなくてはならないが……ジンは刀也の言葉を思い出す。
『だから――見て盗め。俺の技でも、拳二でも誰でも。ここからはお前の頭で強くなるんだ』
ジンは腰だめに陽炎を構えた。イメージするものは『鞘』、そしてビッグホーンとの戦いで刀也が放ったあの技。
(原理は分からないし、刀也に直接教えて貰ったことも無い。けど、確かに一度見たんだ。ならきっと……!!)
最速の横薙ぎ一振り、『居合』。焔を乗せて、斬撃に合わせて放出させる。
「『焔空閃』ッ!!」
「なに……!?」
斬撃が、紅い焔を纏って飛んで行く。その一閃は正確にバスターを捉えたが……。
バスターはその場で振り返り、背後に迫るジンを見た。
「――ッ!!?」
「少し驚いたが……小細工に過ぎん。狙いはここだろう?」
ジンの描いていた一連の流れ。それは不意に放った焔空閃をバスターにガードさせるか、或いは回避行動を取らせるか、とにかく対応させている隙に、背後に回り込んで挟撃するというものだった。
バスターは飛来する焔空閃に盾を叩き付けるようにして打消し、背後から迫るジンの陽炎を片手剣で防いだ。
「……!」
――否。片手剣のガードはフェイク。剣を衝突させた瞬間にバスターは剣を引き、ジンは勢い余って前のめりに体勢を崩してしまった。
その瞬間、バスターの強烈な回し蹴りがジンの身体を吹き飛ばす。
「ぐあッ……!!」
ジンは地面を削るようにして滑りながら、何とか体勢を立て直すが……目の前に、雷撃が迫っていた。
「くっ……!!」
何とか身をよじって躱すが、その時に視界に入ってしまった。雷撃の先には、病院が――
――地響きと共に、その場にいる全ての人の身体を撃つ落雷音。
ミシェルは思わず目を閉じてしまったが、再び目を開けた時に視界に映ったのは――
「――ジン、くん……?」
変異体が中途半端に解け、人間の顔を半分残した姿のジンだった。人間の身体に戻った部分は雷撃に撃たれ黒焦げ、血が滲み、流れる。
その姿はミシェルだけではない。アレックスの目にも、その他の病院にいる全ての人の目に焼き付いた。
「う……おおおおおッッ!!」
ジンはすぐに身を翻し、見るも無残な姿でバスターに向かっていく。さっきまでのスピードもパワーも見る影は無く、よろよろと力無く向かっていく。
「……愚かな。今の雷撃は躱していただろう。受けたのか、人間を守るために」
バスターは高揚していたものが一気に冷めていくのを感じながら、吐き捨てるように言った。
ジンの持つ陽炎は色を失い、漆黒の刀身に戻っている。加えてもはや斬撃とは言えないほどの攻撃を繰り出し、そんなものはバスターの前では……。
「がはっ」
容赦なく袈裟斬りがジンを襲う。肩から腰まで一気に斬り降ろされ、ジンは朦朧とした意識で「ああ、刀也にも同じように斬られたっけ」などと思いながら倒れた。
「つまらん幕引きだったな……『本気』でやれると思ったのだが……ん?」
バスターは剣と盾をべノムに戻し、消滅させた。……が。
――あの人は立ち上がった。
ビチャビチャと血を流しながら、その半人半魔の醜い姿で、たくさんの人の命を背に。
「……あ……」
ミシェルは、その時自分が涙を流していることに気が付いた。
前にエリア5で助けて貰った時も、今この瞬間も。
あの人は何一つ変わらない。いつだって自分以外の人を救おうと必死になって戦っている。
どんな目に遭おうとも、どんなに傷ついても。どんな姿になろうとも。
「どうして……」
心からの疑問だった。
「どうしてそんなに……綺麗な生き方ができるの……!?」
思わず叫んでしまった。
喰らう者が蔓延るこの世界で、人の死は溢れるほどにある。
『人の死なんて珍しくない』
『だから、自分さえ生きていればいい』
『いつ死ぬか、いつまで生きられるか分からないのだから、他人を救うなんて馬鹿馬鹿しい』
事実、ミシェル自身もこんな足になって、強制されていた前線から離れることになって……安心している自分がいることを自覚していた。基地で同僚だった人たちの死も、心には何も響かなかった。残らなかった。ただ『ああ、自分が生き残れて良かった』と思った。
この世界ではきっと、自分と同じように考えている人しかいない。
軍やハウンドに志願して戦っている人たちは、心の壊れた『復讐者』。誰かを救いたいから戦う人なんて、いやしない。
でも……あの人は? 人間のようで人間ではない、あれは?
すると、ジンはこちらを見ることなく、掠れた声で叫び返した。
「俺は……助けたいんだ! 生きていて欲しいんだ!! ミシェルさんも、アレックスも……名前も知らない人たちにも!! 綺麗なんかじゃない、人のためなんかじゃない!
――俺が死なせたくないから、守るんだ!!!」
ジンが叫び、少しの間沈黙が流れ……そして泣き声にも似た、小さな声が聞こえた。
「お兄ちゃん……ガンバレ……」
そんな消えそうな声を上げたのは、ジンが助けた小さな女の子だった。ボロボロと涙を流しながら、震える声でジンを励ました。きっと怖いのだろう。今にでも泣き叫んでしまいたいのだろう。それでも女の子はぎゅっと服の裾を握り締めながら、声を上げ続ける。
「ガンバレ……お兄ちゃん、ガンバレ……!」
周りの大人たちは突然のことに、困惑の表情で女の子を見る。
「みんな、どうしてお兄ちゃんをおうえんあげないの? お兄ちゃんあんなぼろぼろになって、それでもみんなをたすけてくれて……かわいそうだよ……ぐすっ」
――今、私たちには何もできない。大人でありながら、戦う術を持たないから。それでも……一つだけ、出来ることがあるのなら。
ミシェルは女の子の目線に合わせるようにしゃがみ、笑顔を浮かべて言った。
「そうだ……そうだよね。応援、してあげなくちゃだよね」
「うん……!」
――意識が遠い。雷撃の直撃を受けたせいか、それとも斬撃をモロに食らったせいか……。
ビッグホーンとの戦いからずっと拘束され、まともな食事も摂れず、ひたすらに身体を傷付けられる日が続いたから、ハッキリと『ガス欠』を感じる。変異体が維持できない。
そんな状態が分かっているからこそ、こう考えてしまう。
ああ、勝てない。と。
そんな時、背中越しに声が聞こえた。声はどんどん大きくなっていき、その数も増えていく。
ジンはバスターへの警戒も忘れ、思わず振り返ってしまった。聞き間違えでなければ、ありえない言葉が聞こえたからだ。
「――お兄ちゃん、ガンバレーーーー!!」
「負けんな、数字持ちのあんちゃん!!」
「そうだ、頑張れーー!!」
「ジン君、頑張って!!」
「君だけが頼りなんだ! 諦めないでくれ!!」
さっきの女の子に、ミシェルさん、他にもたくさん……。
病院に避難してきた人々が、一斉になって声援を送っていた。他の誰でもない、こんな醜い姿の、俺に。
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