暗躍する者
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「――ジン君、しっかり。まだ意識はあるか?」
鉄格子の扉を開き、牢の中入ってジンに声をかけてきた者がいた。
「……あな……た……は……?」
霞んだ視界でその者を捉える。武装していることからも、間違い無くバーテクス正規軍の兵士……恐らくはこの牢の看守係といったところだろう。
(この声……前にどこかで……?)
ジンにはその声に聞き覚えがあった。しかし今の状態ではうまく思考が巡らない。その声をどこで聞いたのか、果たして誰の声なのかは分からなかった。
すると看守はジンの口元に何かを差し出した。
「私のことなど後でいい。少しずつ注ぐから、ゆっくり飲んでくれ」
そう言ってジンの口内に注がれたのは……水だった。
「……!」
枯れ果て、焼け付くような痛みを伴う渇きが徐々に溶けていく。水分が沁みわたり、死にかけていた細胞が力を取り戻していく……そんな感じがした。
霞んでいた視界が輪郭を取り戻していき、水をくれた看守の顔をようやく認識できた。
「あなたは……まさか、あの時の……!?」
「久し振りだ、ジン君。形はどうであれ、また会えてよかった」
驚きを隠すことができなかった。
名前は知らない。だがジンはこの看守のことを知っていたのだ。
故郷であるエリア3のスラムを、刀也やサラに連れられ発ったあの日のこと。
目の前にいるこの看守は、その時に救った正規軍の兵士だった。
――消灯された病室の中に1人、抜身の刀を左手に取って刀身に映った己の姿を見る者がいた。窓から差し込む月明りだけが部屋の中を照らしている。
「……」
ランク11・神薙刀也。
齢18にしてかつて最強の戦士と謳われていた『剣聖』の異名と名刀『神薙』を継ぐ、ハウンドきっての実力者だ。
刀也は視線を神薙の刀身から外し、右腕に移す。
もう使い物にならないと宣告された、利き腕を力無く眺める。
変異体になったビッグホーンの一撃。その一撃を受け流し、直撃を避けた代償がこの結果だ。腕の骨はもちろんの事、それに付随する筋組織や神経などがズタズタにされてしまったのだ。
既に壊死は始まっており、近日中に切断の手術が行われるそうだ。
「……腕だけなら、何とかなったかもしれないが……」
使い物にならないのは、右腕だけではなかった。
強い衝撃を背中に受けたことが原因で脊髄損傷、下半身不随。全く動かない訳ではないが、長い年月のリハビリをしてようやく杖をついて歩くまでが関の山だという。
こんな状態ではもう、戦い続けることは不可能だった。
怒り、悲しみ、或いは師への罪悪感か。形容し難い感情が押し寄せ、刀也は顔を歪ませる。
――戦えなくなったこの俺に、存在理由はあるのか?
「――私ならば、君を救えるかもしれん」
言葉と共に病室の扉が開き、白衣を纏った老人が入ってきた。その服装から恐らくは病院関係者なのだろうが……老人は不気味な笑みを浮かべており、何となく信用できない、というのが刀也の老人へ対する第一印象だった。
「俺を救う……それは、どういう意味だ」
「聡明そうな君なら分かっているだろう。君の身体を元通りにしてやる、と言ったんだ」
「……」
「クク……まぁ警戒するのも無理はないがね。しかし生憎こちらもそう暇ではないし、この話は私の気紛れのようなものだ。よって君の選択肢は2つ……イエスかノーか。身体を治すか、一生ガラクタのように過ごすかだ。私はどちらでも構わないが……君はどうだろうねぇ? ククク、色よい返事を待っているよ」
老人はそう言って1枚の紙切れを刀也に手渡し、病室を後にした。
しかし扉が閉まる直前に、老人は思い出したように言った。
「ああそれと……この話は他言無用で頼むよ。君を治す方法なんだが、まだ臨床試験も済んでいない方法を使う。モラルがどうとか非人道的だとか、やかましい連中が多いんだ」
最後に老人はそう言い残し、去っていった。
「……治るのか、こんなになった身体が」
刀也は小さく呟いた。
あの老人の話、どう考えてもおかしな話だ。臨床試験も済んでいないなんらかの方法を使う……すなわちそれは、人体実験に該当する行為だ。道徳的に考えてもそれは一種のタブーであり、内容次第では危険人物として牢獄へ、或いは人類に害する者として正規軍に射殺されるだろう。
――だが、本当に身体が治るとしたら……?
「……」
刀也は再び神薙の刀身を見つめ……そしてある決心をした。
(どの道このままの俺には何の価値も無い。ならば、僅かな可能性に賭けてみるのもいいだろう。例えあの老人の言っていたことが嘘で、命を落すことになったとしても、俺は――)
そこには月明りと一振りの刀、そして先程までとはまるで違う、刀也の力強い眼差しがあった。
刀也は老人から渡された紙切れに視線を落とす。どうやらこれはあの老人の所属を示すカードのようだ。いわゆる名刺、というものだろう。
『エボルヴ所属 職員権限SSS
喰らう者研究部門・代表
グレッグ・ジャクソン』
そう記載されていた。
暗くなった病院の廊下。
その中を歩く白衣の老人の背中に、声が掛けられた。
老人に声をかけたのは、レイヴンだった。
「プロフェッサー、彼で試すのか」
「クク……そうとも。あの剣聖の名を継ぐ者だ、これ以上ない素体だろう」
「……レイザーは?」
「ああ、この間自分から実験台に名乗り出た彼か。なんでも大角と『例の彼』の戦いを目撃していたそうじゃないか。ビッグホーンが生きていた事にも驚いたが……それはともかく。であれば力不足を実感し、求めるのは当然のことだ。
なに、心配することは無い。彼も若く、成体になっている優秀な素体ではある。きっと良い作品になってくれることだろう……クク、今から楽しみだよ」
「前に実験に行き詰まりを感じていると言っていたが……それほどまでに『例の彼』の血液は進展をもたらしたのか?」
「進展なんてものじゃないぞ! あれこそ『答え』のようなものだ!! 近いうちに私の研究は完成する。その時は、きっと『母』の復活も成し遂げるだろう。
――覚悟しておけよ、レイヴン。
世界はもうじき、ひっくり返るぞ」