Awake-5
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サラは死を覚悟した。
突然後方から現れ、猛スピードで襲い来る喰らう者に、拳銃を向ける暇さえ無かった。
体は少しも動いてくれないのに、思考だけが素早く巡る。
――これは、もうどうしようもない。
サラが持っている武器は緋色合金を使用した大型拳銃。準備も万全で、喰らう者にも有効な弾丸がしっかりと装填されている状態だ。
しかしその備えも虚しく、ここまで不意を突かれて後方から、かつこの近距離では照準はまるで間に合わない。
その大きな牙を持つ口が、今にもサラを喰らい殺そうと眼前に迫ったその瞬間――
あの生存者の青年が、サラの目の前に割って入った。
ジンは何とか間に合った、と安堵した。
怪物はジンの右肩に喰らい付き、噛み千切ろうと強い力で離さない。肉を押し潰す音が聞こえ、血が噴き出す。
「ぐうっ……だけど、ゼロ距離ならどうだ……!!」
左手に持ったアサルトライフルを怪物目がけて連射する。しかし弾丸は怪物の表皮を通らず、音を立ててすべて地面に落ちる。
(やっぱり緋色合金の弾丸じゃないとダメか……! だけど、ここまで効かないなんて……!)
ジンは右肩の痛みに顔を歪ませる。怪物の牙は肉を突き破り骨まで達しており、千切られるのも時間の問題だ。
――ここで俺が突破されれば、間違いなく後ろの女性は喰われる。
きっとあの長髪の男ならばこいつを簡単に斬り捨てられるだろう。だがその男の剣は、他でもない自分が弾いてしまった。
男が剣を拾いに行ってからでは、この女性は助からない。
しかしあそこで飛び出さなければ、そもそもこの時点で間に合っていなかったのだから、それはもう仕方が無い。
やはりこの右腕を喰い千切られる前に、倒すしかない。
(……俺が間に合えたのは、きっとあの焔の奴の力なんだろう)
ナイフ越しに見た、自分の真っ赤な瞳。
長髪の男はその瞳の色で俺を喰らう者だと判断していた。
飛び出した時は無我夢中で気にも留められなかったが、ありえない速さでここまで到達した。
――なら出来る筈だ。あの醜悪な赤黒い焔を扱うことが。
血塗れの右腕を激痛に耐えながら動かし、怪物の首を絞めるように掴む。
全神経を焔のイメージに集中させる。
(迷ってる暇はない……! きっと出来る筈だ……!)
右肩はもう限界に近い。
出血が多く右腕は痺れ始めた。
「くっ……うおおおおおおおお!!!」
――ジンの叫びと共に、右腕からあの赤黒い焔が爆発的に噴き出す。
瞬く間に焔は怪物を包み、焼き尽くしていく。
「グアアアアアアアア……アアア……」
怪物の断末魔は激しく燃え上がる焔にかき消されるように、徐々に聞こえなくなっていった。
着ていた服の袖は燃え尽き、血塗れの右腕の表面を剥き出しにする。
炎上する怪物の体からジンは手を放す。
黒焦げになった怪物の体は地面に倒れた瞬間、形を崩し濡れた地面に散らばった。雨の中、激しい焔は徐々に勢いを失っていく。
(やった……のか……)
ジンはその場でガクリと膝を付く。
胴体に走る刀傷と喰らう者に噛みつかれた傷から、おびただしい量の血を流している。血は雨に濡れた地面に流れ、一面を赤く染めていく。
「はは……今の焔……それにこの出血でまだハッキリ意識があるなんて……。やっぱり俺、喰らう者になっちゃったのかな……」
自らを嘲笑うかのようにジンは呟いた。ただ目の前で燃える怪物の死体を見つめる。
この赤黒い焔は……姉さんを、先輩を、シンシアさんを…この街の人々を焼き払った忌むべき力だ。そんなものを身に宿し、あまつさえたった今自分の意思でそれを行使した。
(ごめん姉さん……。決意を固めて旅立つつもりだったけど、俺自身が早くも耐えられないみたいだ)
長髪の男とこの女性がここに来る前の、もう1体の喰らう者と戦ったその時は、ジンは自分の高まった身体能力に驚きながらも、どこか喜んでいた。
――この力があれば、喰らう者と戦うための良い力になってくれる。
例えその力が、倒すべき敵そのものの由来だとしても。
しかし、この赤黒い焔。
この色の焔を目にした途端、ジンの脳裏にはカガリの最期の瞬間がフラッシュバックする。
やっぱり駄目だ。ジンの強固な意志も決意も、この焔の前では何の意味も為さない。
ただ辛い記憶を呼び起こし、心の傷を抉ってジンの精神を削る。
(……憎い。醜悪なこの焔がたまらなく憎い。今すぐこの世から消し去りたい)
焔を出した右腕に、ジンはナイフを突き刺した。痛みも気にせずに何度も何度も刺し続けた。
「くそッ! くそッ! こんな力はいらない……! 俺は……俺は人間だ。人間のままでいたい……!!」
その時、ナイフを持った左腕が止まった。
後方にいた女性の両手が、ジンの左手を抑えたのであった。
「……あなたに!何があったのか、その力は何なのか私には分かりません……!」
女性は大声でジンに語りかける。雨音に負けないように、必死に声を張り上げている。
「ですが……、私はあなたに命を救われました! そこの彼らだって……あなたが救ったんです」
ジンが視線を移す。そこには2人の兵士が心配そうな表情でこちらを見ていた。
「あなたが……私達の明日を守ってくれたんです。紛れもない、その『力』で」
女性はジンの瞳を正面から見据え、両手を強く握る。
ジンの血が女性の両手にも付いたが、まるで気に留めずに言葉を続ける。
「だから……誇って下さい、その力を。私が……いいえ、私達が保証します。あなたは私達の命の恩人で……ちゃんと『人間』だって事を……!」
少し離れた位置で、2人の兵士も女性の言葉に続き、笑顔で言う。
「ああ……君が居なければ、我々はとっくに全滅していた。本当にありがとう」
「パニくった俺を、見捨てず飛び込んできてくれた……助かったよ」
――ジンの右目の瞳が真紅の色を失い、黒色に戻っていく。
この雨でもはっきり判るほどに、大粒の涙を流している。
(――俺は、正しい事をしたのか……。間違っていなかったんだ、あの力を使ってでも。守るべき人を今度こそ守ることが出来たんだ……!!)
「うっ……ううっ……」
ジンはその顔をクシャクシャに歪めながら涙を流した。
まるで泣くことを我慢し続けた、子供のようだった。
「……フン、どうやら今ので最後の様だな」
不意に刀也がゆっくりと歩き近づいて来る。その手には武器が雨粒に濡れ、輝いていた。
サラは青年を庇うように立ち塞がり、険しい表情で刀也に言った。
「まさか、まだ戦うつもりですか!? 今のを見ていたでしょう!? 彼は、私の命を救ったんですよ!? 彼は敵ではありませんよ!!」
サラは声を荒げる。いくら上位の数字持ちが相手でも、もう怖気づく事は出来ない。
(命を彼に救って貰ったんだ、私がここでビビってどうする……!!)
しかし刀也は冷たい鉄の如き視線を向ける。
さっきまでこの青年に向けていた、凄まじい殺気。
「くぅっ……っ……!」
足が、否、サラの体全体が余りの恐怖に竦み上がる。
同じ人間で、絶対に殺されたりしない筈なのに本能はそれを聞いてくれない。
――それでもサラは、道を開けることはしなかった。
半泣きになりながらも、凛とした表情で刀也を真っ直ぐ見据えている。
「――今のを見ていたから確信した。そいつの力は間違いなく喰らう者のものだ。あの爆発的な移動速度も、その傷で未だに生きている耐久力も、――何より、あの赤黒い焔もな」
刀也はその手に持った輝く剣を大きく掲げる。
(うそ……まさか本当に私ごと彼を……?)
サラは剣が振り下ろされたその瞬間、思わず目を閉じた。
ああ、斬られた。お父さんお母さんごめんなさい。私は不幸にも上司の逆鱗に触れてしまい、斬り殺されてしまうのでした。
喰らう者と戦う立派な人間になりたいと言った私に、精一杯協力してくれたよね。エリア1で代々小さな農家を経営してきた稼ぎの少ない労働者一家なのに、借金してまで軍学校に通わせてくれて。
本当に感謝しています。あなた達の娘は今、命の恩人に報いるためにその生涯を20年で終えます!!――
……ってあれ?
なかなか私、斬られないような……
恐る恐るサラは目を開くと、そこに広がっていたのはありえない光景だった。
なんとあの刀也が青年の手を優しく引いて、立たせようとしているではないか!
「酷い有様だな……。もっとも刀傷は俺が付けたものだが……すぐに船内で応急処置をしよう」
刀也は青年に肩を貸し、ゆっくりと船に向かっていく。
「いえ……喰らう者の力をこの身に宿していたのは本当の事ですし、あなたの判断は……間違ったものではないと思います。斬られた身としてはちょっと複雑ですけど……」
青年は最初は面食らったように驚きの表情を浮かべていたが、すぐに安堵の色を見せ、冗談交じりに会話なぞしている。
サラはあんぐりと口を開いたまま、数秒間動くことが出来なかった。
ハッと我に返り、小走りで2人を追いかけながら怪訝な面持ちで刀也を問い詰める。
「ち、ちょっと刀也さん?! 突然どうしたんですか! さっきまでとはまるで別人じゃないですか!!」
サラの言う通り、ついさっきまでとはまるで別人のような、柔らかな表情で刀也は応える。
「やれやれ、勘違いするな新人。この場で殺すのをやめただけだ。こいつの……済まない、君の名前は何と言う?」
「あ、えっと……ジンです」
「ジン君の身柄は我々が拘束し、連れ帰るだけの事。
喰らう者の力をその身に宿す『人間』など、俺も初めて見たのでな。本部に連れ帰り、詳細に調査した方が良いと判断した。」
その返答を聞き、サラは思わず大きなため息をついてしまった。
「な……なによそれ~! さっきの剣はただの脅しですか!? ビビってる私をからかったんですか!?」
割と本気で怒っているサラに、刀也は笑みを浮かべてからかう様に応答する。
「それもあなたの勘違いだ。ただ俺は自らの『刀』を『鞘』に納めたにすぎんよ。何と勘違いしたのかは分からぬが……確かに目を閉じたまま微動だにしないあなたは少し面白かったな」
そう言い残し、2人は先に船内へ入っていった。
「む、そこに段差がある、気を付けろ」とか優しく忠告なんかしてるし……。
(は、腹立つーーー!!! 絶対わざと剣振り上げたよあの人!)
船の入口で立ち止まり、むくれているサラを横目に兵士の1人が船内から入れ替わるように出て来た。その手には大きな黒い袋を持っている。
「とりあえず……そこで死んでしまった仲間の亡骸だけ回収させて下さい。その後、速やかに出港・脱出しますので、早めの乗船をお願いします」
サラは自分の無神経さを大いに恥じた。
ここでは既に兵士が1人、殉職していたのだった。
「す、すいません、無神経にも騒いでしまって……」
しかし兵士は、意外にも微笑んで答えた。
「いえ……。我々はもう仲間が先に逝ってしまう事には、慣れてしまっていますから……」
そう言いながら兵士はふと、船の方に目線を向ける。
「……それに、彼が見逃されて本当に良かった。てっきり我々も、あのまま数字持ち殿に斬られてしまうのでは、と思いましたから……。
あなたのあの時の言葉。彼が人間であることを証明するという……無論我々も同じように思っていますよ。彼は命を懸けて、我々を救ってくれたのですから。
もっとも、『11』の数字を持つ方が認めているのであれば、不要な心配かもしれませんがね」
そう言って兵士は、仲間の亡骸を回収しにその場を離れていく。
『喰らう者の力をその身に宿す人間など、俺も初めて見たのでな』
刀也が言っていた事を思い出す。
(そっか……。刀也さんも、拘束して連れて帰るとか言ってたけど、ちゃんと認めてくれたんだ)
サラは穏やかに微笑み、船内へ歩き出す。
(――良かったね、ジン君)
いつの間にか雨は上がり、その空は晴天そのものになっていた。
エリア1――人類最後の砦と言われる最大の都市に向け、船が大海原を走る。