プロローグ だれか忘れ物をなくすように言ってくれ
<転生物ではございません。現代物です。>
都会の外れのぼろアパートで、目覚まし時計が鳴り響いた。
ジリリリリリッ
「んんんんんっ」
もうちょっと寝かしてほしい。もそもそと布団から手を伸ばし、バシンっとそのおぞましい音の根元を断つ。
「ううう、ああ、起きないとね…バイトに遅れるっとあの悪魔店長うるさいしな……」
頭ボサボサの女はようやく大きく伸びをし、布団から重い腰をあげる。その2Kの部屋の角の机に置いてある写真に微笑みかける。
「おはよ…」
さすがに、コンビニの早朝バイトと深夜のビルの清掃が重なる朝は起きるのがかなりきつい。だけれど、時給の高さと時間の効率を考えるとこれをしばらくするしか道はなかった。体に鞭を入れながら、がんばって布団から這い上がった。
今日の朝ごはんは、納豆と白ご飯。時間がないから、インスタントの味噌汁をさっと作ってこれを急いで食べ終える。あまり寝てない体の胃には、食べ物があまりうけつけないのだが、これからの仕事を考えるとなにかお腹に入れとかないと体力が持たない。
ああ味噌汁が胃にシミる。
いつものように眼鏡をかける。そして、だれもいないであろうそのアパートの一室に向かって、「行ってきます!」と言って、彼女はその部屋から駆け足で去っていった。
急足で道の角を曲がった瞬間、体から血の気が引いた。あっと思った瞬間、自分の体がバランスを失う。横目で車がこちらに進行してくるのがわかった。
あ、もうダメかも、わたし。そのまま、意識を失い道に倒れこんだ…。
それが、三ヶ月前の話。
***
そして、三ヶ月後。
急がなくては…。
指定された都内の一流ホテルの会場にたどり着く。ロビーには普段ではお目にかかることのない絢爛たる大輪の生花が色彩を放ち、完全に私がこの世界では異物であることを思い出させる雰囲気。はあー、すでにもう帰りたい。
顔を眼鏡と長い前髪でちょっと隠す。
華やかな装いの者たちが行き交う中、地下にある大広間の会場にたどり着く。
携帯のテキストでもう一度、行先を確かめる。
ーーえっと、なに、鳳凰の間ね。
メディファクト創立10周年パーティーと書かれているサインボードが目につく。
気持ちを切り替え、受付で自分の名前と名刺を出す。
大原株式会社 土屋美代 会長補佐、と書かれている。
すみません。実質、忘れ物お届け係なんですっと言いたい。
ちょっと怪訝そうな顔をされるが、まあそれは、自分のかなり情けない格好からするとしょうがない。
ほとんどの女性が、これから結婚式にでも出れそうな装いなのに、自分は大学生の入学式に買った地味な紺のスーツなのだ。見た目より機能重視のため、おしゃれなポイントが一切ないに近い。箪笥に眠っていた白シャツに合わせてあり、色気も何もありゃしない。
まあ良い点は自分の体型があの時からかなり痩せて、ちょっとぶかぶかになってしまった点だろう。
だって、しょうがないではないか! いつもなら時間があれば職場で着替えてからの仕事なのに、今日はなぜか自宅に待機していたのに、連絡があったんだから……
うちには正装の洋服はこれしかないんですからね。
ーーああ、またこの状態だ。
会場にはやはり例のごとく美女たちの固まりが見える。
ーーああ、いつものことだけど、気が重いわ。
仕方がなく足を早める。事態は一刻を争うのだ。