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最強の種族

「ギガスシステムだと? バカな」


 ゼウスは攻撃を中断して黄金の鎧を纏ったホープを見つめていた。眼下のヘラクレスも行うはずの反撃の手を止めて、神々しい輝きを見上げている。

 ギガスシステムは、ゼウスがオーディンと共調していた頃に提唱し、発明していたシステムだった。一騎当千の究極。まさに神すらも屠る力を持つ最強の種族。戦場で会いまみえた自身と似た実力を持つオーディンとゼウスは、戦争を止める完璧にして最後の兵器を開発しようとしていた。

 もっとも、計画は途中で頓挫した。戦争に終わりの兆しが見え始めたのと、人類の未来についての方針が異なっていたからである。


「パンドラが完成させたというのか? しかし、愚かな。あれは戦争に終止符を打つと同時に世界の存在すら危うくするシステムであるぞ」

「使い手次第です。それにこれは、平和への祈りが込められたシステムだと、今の私には理解できる」


 H232は神殺しの兵装を身に纏いながら、聖母のような微笑を浮かべていた。

 なるほど、確かに脅威ではある。ようやく。

 放置しては身に危険が及ぶ可能性がある敵。H232の戦闘力は最高神の存在を脅かすレベルには達していた。

 しかし。


「いくら最強の種族と言えども、我は最高の神だ」

「では、どちらが最良なのか、決着を付けるとしましょう」

「良いぞ、我が娘よ。実に、いい」


 ゼウスは槍を構える。H232……いや、ホープも高出力のレーザーソードを起動した。


「今度こそ確実に、希望の息の根を止めて見せよう」


 凍てつく笑みを浮かべる。オーディンを屠った時と、全く変わらない笑みだった。



 ※※※



 自分の義体なのに、自分のではないような……不思議な感覚を、センサーは感じ取っている。だが、ゆえに好調だった。私であって、私ではない。

 その感覚は、センスは勝てない敵にすらも打ち勝つ好機となる。


(未来予測シミュレーション……私の持つ演算処理能力を上回っていますね)


 戦術の初歩である敵行動予測演算機能は、ホープの処理限界を突破していた。変化が生じたのは外見だけではないが、これでは使えない。悩ましく思っていると、心理光の中から声が聞こえた。


『私も支援するわ、ホープ。あなたは一人だけじゃないのよ』

「パンドラ……」

『私も手伝いましょう。奉仕と協力は、人間の持つ基礎プロセスです』

「クレイドル、あなたまで」

「一体誰とぶつくさしゃべってんの、ホープ」


 苦り切った、苦悶に満ちた声を放つシュノンの声を聞いて、ホープの中のクレイドルが反応を示した。フェイスモーションを強制的に上書きして、にこり、とぎこちない笑みをみせる。

 それだけでシュノンは把握できた。言葉に詰まり、泣きそうになる。


「あなたは泣き虫ではないでしょう、シュノン。まだ、泣くには早いですよ」

「うっさいな、ホープは。あなたもちゃっちゃとあのくそ神を倒しちまえ」

「嘆かわしい言葉遣いですね。……ああ、これは面倒な感覚です」


 クレイドルの意識がホープに多大な影響を与えている。条件反射でシュノンの口癖が受信されるごとに哀の感情が出力されてしまう。きっとクレイドルはシュノンの口調から悪癖までを直そうと努めていたのだろう。

 しかし面倒ではあるが、嫌ではない。ウィッチの時と同じだ。いやそれよりも濃い。


「そのおかげで、今の私は未来も見通せますから、了承しましょう」

「では、避けてみせよ」


 唐突に雷が降り注ぐ。それをホープはステップを踏んで避け始めた。攻撃を回避する、というよりは前もって見えている水たまりを飛んで避ける、という感覚が近い。

 どこに雷が落ちるかを、雷が発生する前に認識している。これがギガスの力の一部だった。


「その調子じゃ埒が明きませんよ。私は全知全能に近いのです」

「ではこれではどうだ」


 今度は槍の先端から雷が迸った。それをホープは高出力レーザーソードで難なく切り裂く。そして、ゼウスが行動を起こす前にシュノンの前へと高速移動した。えっ? とシュノンが驚く最中に左腕のレーザーシールドを展開。シュノンを狙った雷撃を全部防御した。


「私だけを見なさい、ゼウス。私だけを」


 先程と状況が逆転する。さっきはゼウスを振り向かすことすらできなかったが、今はゼウスにこちらを向けと命令している。だが、やはりゼウスの表情は不変。

 まだ彼にも隠し玉があると推測。パンドラが気を付けて、と警告を送る。


『こちらから攻勢に出るべきだと、私は進言します』

「了解しました、クレイドル」


 養育ドロイドの情報体に応えて、ホープは右腕を横一直線に薙ぐ。この距離からじゃ、と戸惑うシュノンにホープはいつも通り言い返した。


「問題ありません。伸びますので」


 ホープの発言通り、ソードの刀身が勢いよく伸びる。高出力の深紅のレーザーは射程が一気に数倍伸びて、ゼウスは雷の槍で受け止めた。


「ふむ。我の設計思想通りの代物ではあるようだな」

「ギガスはあなたの想像を超えます。例えば」


 ホープの身体が黄金の粒子を残して消失。次の瞬間には、ゼウスに肉薄済み。ゼウスは槍を構え直して一突。それをホープはもはや視覚で捉えきれない速度で躱し打撃を見舞った。

 だがゼウスは黄金の種族の能力で避ける。そこへ追撃、回避、追撃、回避……。


「流石、と言ったところでしょうか。ですが」

『シンクロジャマーのセットアップが完了。いつでも行けるわ』

「ジャミング開始!」


 パンドラの報告を聞き、直感的にコマンドを音声入力する。エルピスコアから金色の粒子が発生して、フィールドを包んだ。直後、明らかにゼウスの反応速度が低下。

 その理由をパンドラの情報体が説明してくれた。


『これは黄金の種族の能力を弱めるジャマーなの。そして、あなたを補強するフィールドでもある。私も今、そちらに行くわ』

「どういう……」

「こういうことよ」

「パンドラが……」


 呆然とするシュノンが、その姿を眺める。パンドラが粒子で象られて浮かんでいた。


「我の能力を抑えつけたつもりか」

「その通りです、お父様。あなたは勝てません」

「我は負けぬぞ」


 やはりゼウスは恐れを知らない。防御が困難であると悟った神は、唐突に反撃に出てパンドラの粒子体を斬り消した。そして、ホープに斬撃を放ってくる。先程と同じ速度で。ジャマーによる影響を受けていないようにも取れるが、ホープにはその理由が思い当たった。


「今度はアルテミスの……!」

「そうとも。我の力を理解しつつあるようだな」


 黄金の種族の力ではなく、銀の種族の力で先読みをして、ゼウスは切迫してくる。速度も反射も今のところは互角だった。その展開を変えるべく動いたのはゼウスの方が先だ。事態の進行よりも早く、ホープは未来予知ができた。


「パラス……」

「アテナだ。そなたは我を学んでいるが、完全ではない」


 ウィッチがアテナに改修されて使用していたドローンが戦場に出現した。ウィッチの倍である十六機。大型のドローンがフィールドを埋め尽くす。本来ならジャミングの影響で使用不能になるはずのそれは、微塵も影響下に置かれていない。シンクロジャマーは片方の力しか抑制できないのだ。両方は不可能。

 だとすれば、自力で切り抜けるのみ。ホープはレーザーデバイスをガンモードへ。


「やッ!」


 狙いは精確に、ドローンの軌道を読んで放たれる。外しようがない。クレイドルの演算補助はホープに未来を見せてくれていた。しかし、その射撃技術は逆手に取られる。

 レーザーが屈折し、ホープの元へ返ってきたからだ。ミラーコーティングだけではない。屈折可能とするナノマシンが、ドローンと接触時に付着したのだ。


「アポロンですか!」

「そなたは神殺しではあろう。何体もの子どもたちを葬ってきた。だが、最高神殺しではない。そなたの力は神を殺せんぞ」

「くッ――」


 レーザーは湾曲して、ホープの義体を貫こうと迫る。タクティカルレーザーデバイスをレーザーソードへ変更するが、レーザーはソードを避けるようにシュノンの方角へと曲進した。


「シュノン!」

「ちょこざい!」


 シュノンはテンペストでレーザーとレーザーを激突させようと試みる。が、クレイドルの情報体はその行動のデメリットを警告。


『その対応は非推奨です。ホープ、あの子を――』

「わかってます!」


 駆けるホープのフォーカス先では、見事にレーザー同士をぶつけたシュノンが喜んでいる。が、すぐにその表情が驚愕へとチェンジした。レーザーが吸収し合ってさらに強力なエナジー集合体へと変化したのだ。


「嘘ッ!?」

「シュノン、危ない!」

「……ぬぅ!」


 そこへ割って入ったのはマスターだった。ヘラクレスが装甲の防御力を生かして人間の盾となる。

 はずが、ゼウスはそれすらも予期し、着弾の直前で軌道を変異、マスクへと命中させた。溶解したマスクが落ちる。マスターの顔が露わとなった。


「マスター!」

「……を、使え」


 即座に一斉攻撃を開始したドローンに対応を追われるホープへ、マスターが何かを語り掛ける。


「何を」

「剣を使うんだ、ホープ」


 ヘラクレスは苦悶の息を吐き出しながらも、右手に持つ剣をホープへ差し出した。

 だが、取りに戻る隙はない。ターゲットがホープのみに設定されていれば回収することも可能だったが、ドローンはマスターとシュノンも狙っている。

 シールドを展開し、デバイスで射撃を続ける防戦状態では、行動が制限された。


「私に任せて……ッ!」


 名乗りを上げたシュノンの足取りが、雷撃によって制される。


「身の程知らずが。ここは人間が立つべき場所ではない」

「……ッ」

「――そうですね、確かに」


 そこへ同調する声。息を呑むシュノンの前に、クレイドルの粒子体が現れる。


「彼女にはもっと相応しい場所がある。ここよりももっと綺麗で、優しい場所です」

「クレイド」

「お早く。長くは持ちません」

「うん!」


 シュノンは剣を持ってホープの元へと駆け出す。見咎めたゼウスが雷を放つが、狙いは粒子によって歪められた。雷撃が無効化されると認めたゼウスが神速移動。クレイドルの粒子体を突き壊して、シュノンを殺そうと奔る。


「ホープ!」

「シュノン!」


 ホープもシュノンの元へ駆け出した。ホープ、シュノン、ゼウスが一直線に並ぶ。

 誰が誰に追いつくか。誰が誰を救うか。誰が誰を刺し殺すか。

 金色の粒子によって彩られた世界で起こる命の駆け引き。一瞬だが、非常に長い。

 アイカメラがシュノンとその前に回り込んだゼウスを捉える。勝敗を分けたのは性能でも実力でも経験でもなく、位置取りだった。単純に、ゼウスの方がシュノンに近い距離に立っていたのだ。

 レンズと瞳が大きく見開かれ、互いに伸ばす手の前に凍てつく笑みを浮かべる最高神。ゼウスは無慈悲にシュノンに向けて、槍を振り下ろす……。


「――ゼウス!!」


 刹那、刀が飛来し、ゼウスの槍を弾いた。ヘラクレスがワームホールで呼び出したアレスの武器をゼウスに投擲したのだ。

 ゼウスがよろめいた瞬間、ホープは右足のレーザーチェーンソーを発動。槍の柄で防いだゼウスを飛び退かせるとシュノンが投げたサーベルに手を伸ばした。

 強引に投げ飛ばされたヘラクレスのレーザーサーベルは鞘から抜け刀身が露わとなる。灰色の剣は虚空を描き、柄がホープの右手に収まる。

 そして、真っ白に発光した。心理光の輝きのままに。

 ヘラクレスの剣を継承し、ホープは両腕で剣を握りしめる。


「やぁ!!」


 高らかに飛び上がると、レーザーを放つドローンに接近。一つ、二つ、三つ、四つ……人間が知覚できないスピードでドローンを破壊していく。

 全てを壊し終えた時、ようやくゼウスから笑みが消えた。


「その輝き……見覚えがある」

「そうでしょう。私も覚えがあります」


 神々しい輝き。清く、正しく、常に自分を、私という脆弱な存在を導いてくれた高貴な光。これこそが、ヘラクレスの剣が放つ真の輝きだった。黒でも灰でもない、眩しいほどの白。その光は暗闇を照らし、迷い惑う子羊を救う、まさにプロメテウスの剣だった。

 剣の切っ先をゼウスに合わせる。ここにきて、ゼウスの運命が狂い始めている。ホープはそう直感した。確証はないが確信している。


『あなたには最初から運命の呪縛なんてない。自由なの。自分で判断し、自分で行動する。責任を持たない混沌とは違う』

『人は自らの責任を全うし、事態に対し適切なリアクションを行って、生きていく。それは人を元に製造されたアンドロイドも同じことです』

「あなたなら、勝てるよ、ホープ!!」


 パンドラ、クレイドル、シュノンのそれぞれが声援を自身に送る。その言葉の数々は感情優先機構に強く働きかけた。義体の出力が向上する。限界の先の限界、またその先にまで。

 心理光が強まると同時に、剣の輝きも一層増していた。その煌きを目の当たりにしたマスターが、血を吐きながら言葉を投げる。命令を、使命を託す。


「人を守ってくれ、ホープ……僕の、代わりに」

「――はい!」

「創造物が創造主に刃向かおうなど!」


 激高したゼウスが、ケラウノスの出力を増大させた。同じように輝いているが、やがてその雷は黒き稲妻へと変わり果てる。それがゼウスの心の光。闇しか信仰できなくなった哀れな賢者の姿。

 人間の心は灰。白くもあれば黒くもある。今こうして白く輝く刀身も、一歩間違えれば黒く染まってしまうかもしれない。マスターがそうなってしまったように。

 しかし、そうした人間を救うのも、共和国であり、治安維持軍であり、プロメテウスエージェントだ。人を守り、救う。

 ――それが私の、使命であり、願いであり、希望である。


「終わりです、ゼウス!」


 ホープが駆ける。

 ゼウスも速度を上げて駆け出した。

 剣と槍が激突し、鍔迫り合いとなる。ホープは凛とした眼差しを、ゼウスは凍てつく瞳の中に怒りの炎を滾らせていた。


「愚鈍だ、そなたらは! 人間などという傀儡に希望を見出すか!」

「人は傀儡ではありません! 迷っているだけです! 暗闇の中で道に迷い、行き先がわからず泣いている! そこに希望の光を灯すのが、私たちプロメテウスエージェントです!」

「人間はその光を利用し、他者を傷つけるぞ。人々は大戦を七度引き起こした。また起こさぬとどうして言えるのだ。宇宙の果てに向かったとて、人間はまた同じ轍を踏む」

「人は変われる! 変われるのですよ、ゼウス!」

「もういい、そなたとの議論の余地はない! 今一度、世界を滅ぼしてみせよう!」


 剣と槍が離れ、再度切迫する。剣を振るい、槍で防がれ、槍を避け、剣を当てる。互いに譲らぬ攻防戦は終わりなき戦いになる予感がした。

 だが、予想に反して唐突に剣戟は終わりを告げる。ゼウスの能力が弱まり始めていた。

 否、ホープの強さがゼウスを超え始めていたのだ。学習によってアレス……ヘラクレスを超えたように。


「ギガス……最強の種族。第六の種族……神に抗う愚か者め」

「無理です、もうあなたには。あなたに勝ち目は、ありません」


 ホープがゼウスへと踏み込む。斜めに切り上げた斬撃をゼウスは防御するが、ホープの腕力とヘラクレスの剣の強靭さがゼウスのケラウノスを上回った。

 ゼウスは後方へと飛ばされ、床を軽く抉りながら強引に体勢を整える。無理な動きをしたせいで、身体を纏う漆黒の鎧から火花が生じていた。

 ギガスシステムの恩恵を受けたスキャニングでゼウスの戦闘力を改めて計測。脅威判定は相変わらずエクストラ。

 しかし、自身の義体性能もエクストラとなっている。何も問題はない。


「運命を受け入れるべき時です、ゼウス」

「そなたが我に運命を語るか……だが、我の命運はまだ尽きておらん」


 ゼウスは槍をホープに向かって構える。急速に膨れ上がるエナジー反応を検知。呼応して施設内の電源が落ちていく。

 ゼウスは施設のエナジーを全て槍に収束させ、ホープを消し去ろうとしているのだ。対して、ホープは剣を握りしめ、目を閉じるだけ。

 それは、一種の諦めのようにも見える。実際にホープは諦めていた。


「説得はやはり、不可能ですか。方法は明確に違い、あなたは数多の命を奪った大罪人です。ですが、曲がりなりにも人類の未来を考えていた。もし、可能なら、こうしたくはありませんでしたが」

「戯言はその程度にするがいい。オーディンもそうだった。奴もそのようなことをのたまい、我が抹殺したのだ」

「そう、ですね。ゼウス!」


 目を見開き、剣を両手で掴んで全エナジーを刀身に集中。タイミングを見計らい、ゼウスを睨み合う。そこへシュノンが声援を送った。


「行け! ホープ! 希望で貫いちゃえ!」

「あなたならできる。私の愛しい子」

「使命を果たして。あの子のために」


 左右から語り掛けるパンドラとクレイドル。最後に言葉を送ったのは、瀕死の状態のマスターだった。


「使命を、果たせ、ホープ。……人を、守れ……」

「滅びるがいい、希望よ!」

「――ッ!!」


 ゼウスの基地ごとホープを破滅させんとする破壊の雷が穿たれる。

 それを剣で迎撃する。何にも拘束されない、眩いほどに美しい希望の光で。

 純白のレーザーは巨大な一振りの剣となって、雷の槍と衝突する。しばし拮抗した光と雷の勝敗は、瞬く間に決した。

 光の勝利、希望の勝利。雷撃は掻き消え、溢れ出たエナジーが基地に大穴を開け消失する。


「…………」


 ホープは義体をよろめかせたが、すぐに姿勢を立て直した。周囲に浮かぶ情報粒子、施設内に残るエナジーの残滓が尽きかけたエナジーを瞬時に補給する。ギガスシステムにエナジー切れは有り得ない。まさに最強だった。攻守共に優れ、速度も圧倒的。エナジー不足にも陥らない。神すらも超越した力。

 しかしパンドラはその力を最初から使わせなかった。今となってはその理由がわかる。

 強すぎる力は慢心や傲慢を生む。他人には憎悪や復讐心を植え付ける。

 一歩間違えれば第二のゼウスとなっていたかもしれない。それは恐らくゼウスの策略通りだったはずだ。全て、無駄ではなかったのだ。今までの冒険は。


「ホープ」

「挨拶に、行ってきます」


 ホープはシュノンに二つ返事で応じる。シュノンもヘラクレスの傍に駆け寄りながら快諾した。

 ゆっくりとした時間が流れている。外の喧騒は静まっていた。昨今の戦争では、質の勝敗が対局を決定づける。だからゼウスは全知全能を自称するまで力を蓄え、ホープはギガスシステムを開眼させたのだ。


「ゼウス……」


 焼け焦げた大穴の先に、神が倒れていた。立ち上がる気力は残っていないのだろう。隣に落ちたケラウノスに手を伸ばそうとしているが、届きそうで届かない。仮に届いたとしても、ギガスには敵わない。彼は他人を、人間を信じられなかった。

 ゆえに侮っていた。希望の力を。愛を、勇気を、信念を。


「我を、本気で、倒せたと思うのか……」

「主観的及び客観的事実において、そう認識しています」


 回答しながら近づいた時だ。ホープは違和感に気が付いた。

 ゼウスに生体反応が存在しない。てっきりそれはステルスコーティングのせいだと結論付けていたが、露出する機械の身体は完全なる義体だ。破損した胸の中央から、球体が露わになっている。それは紛れもなくコアだった。

 彼はアンドロイドだったのだ。使われていなかったオリュンポス十二神の特性が電脳から警告と共に表示される。


「ヘスティア……」

「そうとも。我はバックアップを取っている。不完全な人間の肉体など、とうの昔に捨て去った」


 ゼウスは凍てつく笑みを浮かべた。全て予定調和とでも言うべき笑みを。


「黄金と銀の種族の研究は、完成していた。我は義体を通して自我を出力することが可能だ。永遠の不死性を我は獲得したのだ。そして、そのデータベースの場所は完全に秘匿してある。我は何度でも、蘇るぞ」

「…………」


 ゼウスは最後まで徹底していた。未だ、彼には暗い情熱が灯っているのだ。全知全能を、最高神を騙るのは伊達ではない。ホープは無言となり、笑声を漏らす男の壊れかけた義体を見下ろす。

 そして、笑顔を浮かべた。嫌味の一つも混じらない、不敵の笑顔。それはシュノンの笑顔を彷彿とさせる。ホープは学んでいた。シュノンのどんなピンチに陥っても自身のリズムを崩さない、ポジティブさを。


「でしたら、私が何度でもお相手しましょう。あなたが、希望を信じるその時まで」

「…………」


 ゼウスから凍てつく笑顔が消えた。そこには一種の諦めのような色が混じる。

 目を閉じ、その瞬間を待った。ホープはヘラクレスの剣を振りかざす。

 そして、ゼウスのコアを貫く。

 ギガントマキアが集結した。千年にも渡る因縁が。

 運命のくびきが、砕け散った。



 ※※※



 終結の知らせは、唐突に、最悪な形で施設内をこだました。


 ――自爆シークエンスを開始します。自爆まで五分前。


「はぁ、冗談でしょ!?」


 勝利の余韻に浸る時間は微塵も残されていない。あまりにあんまりな状況に、思わず悪態をつく。そうして、クレイドルの幻影の眉がつり上がる。そして、すぐに行動を促すように頷いた。


「クレイドル……。わかってる。でも……」


 シュノンは優先事項を理解しながらも、傍で瀕死の重傷であるヘラクレスを見直した。ヘラクレスは死にかけながらも、信念の灯った眼差しをシュノンに向ける。


「僕のことは、放っておけ」

「でもそれじゃあ」

「君は、君にできることをするんだ」


 再度言われて、シュノンは首肯する。目指すべき場所、帰るべきホームに向かって走って行った。



 ※※※



「自爆シークエンス……予測して然るべきでしたか……っ」


 突如として黄金の輝きが義体から発せられた瞬間、ギガスフォームが解除されていた。黄金の鎧が粒子となって消えて、コアも元の位置へ格納される。システムの強制停止理由は、戦う相手がいなくなったからだ。そう理解しながらも、都合が悪いことは否めない。


「間が悪いですよ、パンドラ……」


 いつも通りのホワイトスキンの姿で、警告音が響き渡る施設を逆戻りする。

 マスターの元へ辿り着いたホープは、彼を抱きかかえようとした。


「帰りましょう、マスター」

「いや、いいんだ、ホープ。どうせもう……助からない」


 死期を悟った顔でマスターは宣告する。それはモニタリング結果でも表示されていた。

 だが、だからこそホープの感情アルゴリズムは騒ぐ。自分でも手の付けようがないほどに暴れ狂う。処理液が溢れて止まらなかった。マスター、と嗚咽交じりの言葉を出力。


「わ、私は、私は、パンドラと約束しました。あなたを救うと」

「もう十分すぎるほど、君は僕を救ってくれた。僕に、使命を、理想を、思い出させてくれた。大丈夫だよ、僕は。幸せすぎだ。これ以上望んでしまっては、罰が当たる」


 マスターは吐血した。バイタルサインは徐々に小さくなっている。こういう時にホープはアンドロイドであることを恨めしく思う。人間であれば、希望を持てるのに、と。

 しかしそれはアレスが言っていたように見せかけの希望だ。どう抗っても現実は変わらない。そのことが悲しくてたまらない。


「ですが、マスター!」

「もう僕は、君のマスターじゃない。君のマスターは、シュノンだ」

「でも、でも……」


 マスターの、ヘラクレスの言葉は的を射ている。論理的に間違っているのは自分だ。

 ホープはわかっている。電脳も思考ルーチンも量子演算も。我儘を言っているのは感情アルゴリズムと感情優先機構だ。


「マス、ター……」


 またあのような思いをしなければならないのですか。

 また私を置いて行ってしまうのですか。

 想いの代わりに涙が止まらない。ようやく全てが終わったのに、ゼウスを倒したのに、悲しみが無尽蔵に溢れている。

 どうしてですか。どうして……。

 苦悩するホープの肩にヘラクレスは右手を置く。かつてのマスターと同じように。


「泣くな。君は僕たちの希望だ。これからも、人を……守ってくれ。僕の、僕たちの、代わりに……」


 ヘラクレスは出口へ視線を変える。聴覚センサーがその奥から馴染み深いエンジンサウンドを捉えた。同時にカウントが既に三分を切っていることも。


「わかりました、マスター。ヘラクレス……」


 ホープは震える足を進ませる。嫌がる身体に鞭を打つ。

 涙を振り払い、希望を継承する。


「ありがとう、ホープ……」

「こちらこそ。こちらこそ、私に全てを与えてくれて……ありがとうございました」


 それがかつてのマスターと交わした最期の言葉となった。

 代わりに新しいマスターの叫び声が聞こえてくる。


「急いでホープ! 逃げるよ! 早く!!」



 ※※※



 ――他ならぬ俺、いや僕自身が愚鈍だった。大切なものを忘却し、無実の人間を何人も手に掛けてしまうとは。


 ホープの背中を見送った後、ヘラクレスは自由に思考し、自身の過ちを振り返ることができていた。

 身体中が痛む。それは罰のようにも感じられた。正義を忘れ、悪に身を落とした愚か者を罰する鋭い痛み。複雑な痛みだ。

 それでも心は安堵している。ホープが先に進んでくれた。

 希望は潰えなかった。無駄ではなかったのだ。ヘラクレスとして戦った日々は。

 世界は滅んでしまった。人々は守れなかった。ゼウスの傀儡とまでなってしまった。

 それでも、希望は残っていた。いつもそこに存在していた。


「みんな、僕を赦してくれるだろうか。いや、無理だな……」


 当然か、と自虐する。僕は親友であるシグルズを殺してしまった。

 僕は市民を虐殺した。崩壊した世界で苦しむ人々を惨殺した。

 僕は助けを求める人々から搾取した。人間を奴隷のように扱った。

 許されぬ行為に幾度なく手を染めた。重罪人、という言葉では表しきれないほどに。


「私はあなたを赦すわ、ヘラクレス」

「パンドラ、君か。君なのか……」


 いつの間にかパンドラが横にいた。粒子で象られた彼女は、幻想的な輝きを放っている。それは希望の光だ。ヘラクレスは身体を貫く痛みの中でそう感じた。


「もし、みんなが赦さないのなら、いっしょに謝罪に行きましょう」

「そうか、そうだな。謝らなければ……」


 謝って済む問題ではない。だが、謝らないと気が済まない。赦しを得なければ、どうしようもない。


「でも、みんなあなたのしたことを知っているわ。アレスとして犯した過ちだけじゃない。ヘラクレスとして人々を守った功績も」

「僕は……人を守れなかった」

「でも、人を守ろうとした。そして、希望を繋いだの」


 それだけでいいじゃない。パンドラは朗らかに笑う。

 自分の救えなかった女性が、笑顔をみせている。なぜだかその理由が思い当たった。

 彼女はとても強い女性なのだ。ホープと同じように。


「これからはずっといっしょよ、ヘラクレス」

「ああ、ずっと、いっしょだ。パンドラ……」


 パンドラの笑顔がヘラクレスに移る。業火がヘラクレスの身体を呑み込んだ。



 ※※※



「ほら、急いで乗って!」

「はい、シュノン!」


 ホープが荷台へと飛び乗ったと同時に、シュノンはアクセルを思いっきり踏み込む。

 ノーミスで、事故らずに基地内から脱出する必要があった。くそったれめ。悪口を言いながらシュノンはプレミアムをかっ飛ばす。


「どうしてどいつもこいつも爆発が大好きなわけ?」

「とにかく、急いで! 死ねません!」

「わかってるよ!」


 しかしそう易々と脱出できるはずもない。ゼウスは敵を逃がさないように爆発の仕方を計算していた。先に進路を塞いで閉じ込めて蒸し焼きにする。そんな親切設計が基地内には施されている。


「マシンガンで吹っ飛ばして!」

「もうやってます!」


 出口を塞いだ瓦礫を、ホープがマシンガンで破壊する。そこを強引に突っ切って、落ちてくる破片をハンドルを切って回避。ひたすら前進。自身が持つドライビングテクニックを信じて、相棒の射撃精度に希望を託す。


「シュノン、爆発が!」

「行っけぇ!!」


 背後から迫る爆風に怖じることなく突き進んで、白のテクニカルが荒野へと飛び出す。その瞬間、既にスタンバイモードとしていたETCSを始動。全速力で爆発の範囲外から退避した。

 直後、大爆発。基地が吹き飛び、轟音が鳴り響く。プレミアムを転回して停車させた。


「終わった、の……?」

「ええ、終わりました」


 シュノンが運転席から降りると、ホープも荷台から飛び降りてきた。

 二人並んで、燃え盛る基地を見つめる。厄介な縁があった高地とは完全に絶縁した。


『プレミアムを確認。二人は無事だ』


 メカコッコの通信がイヤーモニターから響く。喧しいほどにうるさい歓声も。

 シュノンは笑顔を浮かべて、やったね! とホープの顔を覗き込む。そして、相棒の泣きじゃくる顔を見た。


「ちょっと、何で泣いてんのよ」

「なぜ、でしょう。なぜか、涙が止まらないのです。エラーが起きているのかもしれません……」

「全く、しょうが、ない、ドロイド……あれ……」


 頬を伝うしずくの感触で、シュノンも自分が泣いていることに気付く。あれ? 何で私も泣いてんだろ。そう思って涙を拭うが、厄介なことに止まる気配がない。

 きっとホープのせいだ。原因が思い当たったシュノンがホープに文句を言う。


「ちょっとやめてよ! あなたのせいで私も涙が止まらないじゃない!」

「わ、私のせいではないでしょう……くっ……」

「あなたのせいだよ! あなたのせいなんだから! あなたはもう私の一部なんだから、あなたが悲しいと……う、ううう……」


 これは嬉しいせいか。悲しいせいか。シュノンは漠然と考える。

 きっと両方だ。シュノンはホープに抱き着いた。

 なぜか涙が止まらなかった時に、クレイドルにそうしたように。

 ホープもシュノンを抱きしめる。どうしようもなく悲しくて、マスターに慰めてもらった時と同じように。

 涙が止まるまで、ずっと泣き続けた。

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