不屈
「戦場の真ん中で目を瞑るなんて正気!? フノス!」
「勝機、ですわ」
「は? だから」
「勝機、勝つチャンスだと王女殿下は言っているのですよ、アルテミス」
「へ……?」
ブリュンヒルドは困惑するマスターを諭した。フノスの姿は確かに全てを諦め、死を受け入れる準備をしているかのようにも窺える。だがそうではないことをヴァルキュリアエージェントとして彼女と共に過ごしてきたブリュンヒルドは知っていた。
アルテミスの心色がようやく共感したものへと変化する。
「あ、ああ、そういうこと……」
「アルテミス、手伝ってくださいまし。あなたの力が必要ですわ」
「ふ、ふん。仕方ないわね」
フノスとアルテミスが手を繋いで、先程と同じように目を閉じた。そこに現れるヘスティアを、ブリュンヒルドはレーザーサブマシンガンで迎撃。しかし、彼女の速度は素早い。通常通りの対応でもブリュンヒルドは生存こそ可能だが、味方の全滅は必至だ。
しかし、彼女の行動パターンさえ読み取れれば対処は容易い。どれだけ早く、火力が高くとも行動さえ見切れれば対抗策を講じることは可能だ。
「お二人とも、早く! あまり持ちませんよ」
ブリュンヒルドは忠告しながらヘスティアの打撃が命中する瞬間に光学迷彩を起動。いくら素早くとも、姿が見えなければ攻撃は当たらない。しかし、それも一瞬だけだ。すぐさま見舞った腕に仕込まれたナイフによる刺突を、ヘスティアは動物的勘で避けてみせた。もはや彼女はアンドロイドではない。バーサーカーパックの暴走よりは理性的だが、敵に向かってがむしゃらに攻撃する自己犠牲の精神を持つ獣だ。
「これが私が見て取った所見ですわ。あなたの分析は?」
「ちょっと待って……よし、オッケー。パターンは読み取ったわよ」
「私とあなたのデータを合成して、全部隊に通知します。よろしいですわね」
「これほど大人数と共感したことなんて……」
「大丈夫ですわ、アルテミス。あなたと私なら、できます。ウィッチにも助力を願いましょう」
目を開けたフノスがアルテミスに微笑をみせる。共和国王女の笑顔には人々を安心させる不思議な力があった。その恩恵をアルテミスも受け、彼女は銀の種族の能力を使ってウィッチと連絡を取る。
「大丈夫だって。今、繋げたわ」
「では、参りましょう。――みなさん、聞いてください」
フノス、アルテミス、ウィッチの言葉が友軍たちの頭の中へ語り掛けられる。ブリュンヒルドもマスターから注がれる説明を感じ取っていた。共感し、共振し、彼女たちの言葉が治安維持軍に伝播されていく。状況を打開するための方法が。
『現在のヘスティアは単調な行動パターンで動いてるようです。リミッターを排除した弊害ですわね』
『フノス姫の言う通り、彼女はまともなロジックで動いていない。だから、その動きを注意深く観察すれば避けられるし、攻撃も当たるわ』
『その解析データを二人が送ってくれたんだ。しかも、情報粒子で。あたしもマニュアルを作成したから戦術データベースに送信するし、二人もあんたたちの心理光にダイレクトでヘスティアの戦闘パターンを送信してくれるようだから、安心してくれ。じゃあ、行くよ』
ウィッチの言葉を皮切りに、ヘスティアの戦闘データがダウンロードされる。ブリュンヒルドは瞬時にそのデータをインストール、自身にフィードバックを加えて、ヘスティアの攻撃を予期して躱した。
「流石王女殿下と、アルテミスです」
小さく笑みのフェイスモーション。笑いながら、ブリュンヒルドはヘスティアの回避予測範囲にレーザーを連射して彼女の行動を制限し、距離を詰めて足に仕込んだスタンナイフを彼女の頭部パーツへめり込ませた。
「こちらは問題ありません。後はあなた次第ですよ、不良品。……私たちの、希望」
ヘスティアを撃破したブリュンヒルドは次の個体を破壊するために飛翔する。フノスとアルテミスもそれに続いた。
※※※
「なるほど、これは素晴らしい。敵の動きが手に取るようにわかるぞ」
「ミャーたちの勝ちにゃ……ふぎゃ!」
ネコキングの背後でミャッハーの一人が油断したところを蹴り飛ばされた。否、ヘスティアが一体のミャッハーへ狙いを集中しているのだ。
単純な論理回路だとしても、共同して同じ標的を狙う程度の連携は可能なのだろう。元々自壊を厭わない連携戦術を執っていた連中だ。そう簡単には行くまい。
だが、だとしても愛しき娘を狙った暴挙は断固として見過ごせない。ネコキングは助太刀するべく距離を詰めて、自慢の剣でヘスティアに斬りかかった。
彼女の行動パターンは既に頭の中にインプットされている。対応するのは簡単だった。しかし、二人掛かりの攻撃を同時に剣で防御するなどとは、さしものネコの王とて不能だった。
「何と!?」
「ネコキング!!」
隣で交戦中のミャッハーの悲鳴。臣下たちの王を案じる声。剣は天へと煌き、ネコキングの手を離れてしまった。
そこへ同時に殴り掛かってくるヘスティア。愛すべき娘の一人が、恐怖のあまり目を瞑る。おお、愛しき娘よ。そのような表情をするな。ネコキングの胸は痛み、ゆえに、彼の野生が目覚める。
「忘れることなかれ。我輩はネコキング、ネコミュータントである!」
ネコとしての力を目覚めさせ、ネコキングは垂直に跳躍。ヘスティアの連携殴打を大ジャンプで回避すると両腕をクロスさせ、ネコが生まれついて所持している武装を展開させた。そして、重力に引かれるまま降下する。研ぎ澄まされた爪が、ヘスティアの首を斬り折った。
「機械の兵士たちよ。恐れるがいい、我輩たちはネコである」
「ミャッハー!」
ミャッハーが魂の叫びを上げる。勢いに乗って、攻勢に転じる。ネコを侮ることなかれ。――ネコは、肉食動物だ。
※※※
「く、どうにか、どうにかしないと!」
リンはスレイプニールであらゆる軌道を取りながら、タロスの右腕を振り切ろうと必死だった。
だが、腕はがっちりと縦長の戦艦の中央部分を掴んで離れない。このままでは握り潰されて二つに折れてしまう。
一瞬浮かんできたのは、甘えだった。仮に私たちが死んでも、グルファクシが、お父さんがまだ残っている。父親は優秀な指揮官だ。自分たちが死んだって、父親が無事ならきっとどうにかしてくれるに違いない……。
『諦めなんて弱音、私は聞きませんよ、リン』
「お姉ちゃん……」
妹の弱気を悟ったのか、レンが通信を送ってきた。メカコッコも戦場を俯瞰しながら諦めるな、と言葉を掛ける。
「我々に諦めの言葉を使うことは許されない。君は救えなかった父君を救ってみせた。まだやりようはあるはずだ」
「……そうですね。うん、そうだ。やりたいこといっぱいあるし……」
リンは操舵に集中する。普段はコマンド入力式のデバイスを使用するが、あえてマニュアル式の操舵輪を選択し、交換。握りしめるとウィッチにお願いをした。
「魔女さん! タロスを妨害できますか!」
『もうやってるよ。二号機はどうやら攻撃に演算を集中しているせいか、セキュリティが甘いんだ。乗っ取りはできないけど、動きを鈍化させることはできる。……他にして欲しいことは?』
「それだけで十分です! お姉ちゃん!」
今度は姉を通信モニターに呼び出す。姉のパイロットスーツの姿が映った。
『どうしたの、リン』
「タロスの気を引いて! 時間を稼いで欲しいの!」
「わかった」
レンは二つ返事で了承してくれた。次は父親であるクォレンに嘆願しようとしたところ、メカコッコが先に指示を飛ばしてくれた。
「クォレン大佐、今聞いた通りだ。タロスの注意を引いてくれ」
『もちろんだ。やれる限りのことを全力でやらせてもらおう。……リン』
「何? お父さん」
「お前は実力を持っている。後は気力だけだ」
父親は珍しく父親のようなことを言って、通信を終えた。リンは決意を秘めた眼差しでスレイプニールのスピードを上げる。スレイプニールは神馬だ。その速度はまさに神速。オーディンが自身の専用艦として設計した宇宙戦艦は、地上でもその性能を十分に発揮できる。
クォレンやレン、ウィッチがタロスに集中砲火し、タロスの脅威判定に影響を与え続けてくれている。
強引に掴まれた腕を払う方法。それをリンは思いついていた。とてもじゃないが、まともな操舵士として教育された士官なら思いついても実行する手段ではない。だが、今は緊急時で、共和国の未来が掛かっている。家族の、仲間の命、そして共和国の再興が。
「行きます、みなさん、衝撃に備えてください!」
船の速度をひたすら上げる。そして、タロスに突っ込んでいく。シールド位置を左右に設定。もっとも防御力を高めるのはタロスの右腕が握りしめる左舷だ。
「突貫します!」
天を駆けるスレイプニール。リンの狙いに気付いたレンとクォレンが攻撃を止める。タロスがこちらを脅威だと判定した時にはもう遅い。スレイプニールを掴んでいた右腕はタロスの頭部の目の前にあった。
「私の艦を放せ!!」
タロスの腕部とタロスが激突。腕が外れ、タロスがバランスを崩して背後に倒れる。そこへウィッチがグルファクシに向かってハイパーリングを縦列展開し、クォレンが主砲発射指示。タロスは完全に破壊された。
危うく地上に墜落しそうになったスレイプニールをどうにかして空中に戻して、ふぅ、と安堵のため息。
「よくやった、リン」
「いえ、みなさんのおかげです……」
リンははにかんで、操舵に神経を集中する。残存する敵戦闘機がスレイプニールに攻撃を仕掛けようとしている。
『あまり姉の仕事を奪うべきではありませんよ、リン。私に任せなさい』
「うん、お願い……」
張り詰めた神経を少しだけ、解きほぐす。友軍艦隊へと再合流するべく、スレイプニールを後退させた。
※※※
「すごい、すごい! 映画みたい!」
倒れるチュートンの前でアプロディアは飛び跳ねている。無邪気に。恋人と花火を見て喜んでいる少女のように。しかし、手に持つ打撃武器は少女に似つかわしくないものだ。メイスはチュートンが装着する強化鎧の防御を無視して内部を砕くためのものだろう。
それを見受けたチュートンはゆっくりと立ち上がる。ヘルム越しに見えるアプロディアは優しくメイスの打突部分を撫でていた。
「うふふ、これであなたをじっくり持て成してあげる。近接戦闘はお好きかしら?」
「ああ、俺が一番得意なのが、近接戦だ」
チュートンは左腰に差してあるレーザーマチェットを引き抜く。その様子を意外そうにアプロディアは見つめて、サプライズプレゼントを受け取った女のように顔を綻ばせた。
「嬉しい。嬉しいわチュートン! あなたにそんな一面があっただなんて!」
「俺も驚きだ。まさか怖じないとはな。……馬鹿者のふりをしているが、本当は賢明だろう?」
「私、一途なの。こう見えてもね。もしパートナーが聡明なら、私も聡明になる。そして、戦闘好きだったら、私も戦闘好きになる。……アプロディアはもっとも他人の模倣を得意とするオリュンポス十二神。どう対応するの? あ、な、た。うふふ」
「依頼は必ず果たす。邪魔をするなら、消えてもらう」
「そうこなくっちゃ。そうでなくちゃあ! アハハハハッ!」
チュートンはマチェットを、アプロディアはメイスを振りかざす。山刀と鈍器による対決ののろしが上がった。
※※※
「海賊に敵うと思うか? クソ野郎ども!」
ヘスティアを切り壊しながら、ジェームズは部下たちを一人ひとり救出し、サーヴァントたちすら凌駕して、指揮を続けていた。
元より、フノスとアルテミス、ウィッチによる支援がなくとも、ジェームズはヘスティアへの対抗策を大方構築できていた。学んでいたのである。読み取れない未知なる敵の行動予測方法を。
(余計なお世話、とまでは言わないが、そろそろ俺にも活躍させてもらいたいな)
船の下部に設置される昇降機を使って、船上に舞い戻る。甲板では、狼男が二人の少女を捕らえてジェームズに刃向かうつもりだった。
「来るな。来たらこの娘たちを殺す」
「やれると思うか?」
「何を……ぐっ!?」
アンとメアリーが息ぴったりの動きで、左右の足の小指を同時に踏んだ。片方だけならまだしも、同タイミングで放たれた二者による痛撃にさしものサーヴァントも動きが乱れる。そして、その一瞬さえあれば二人を助けることなど造作もなかった。
左手にレーザーピストルを掴んだジェームズは、まず先制射撃を狼男に見舞う。少女を捕まえようとして、回避に移る狼人間。そこへジェームズが踏み込む。
「ただの人間如きに!」
「ジェームズはただの人間じゃないよ! 黄金の種族だよ!」
「アンちゃんの言う通り! 海賊だよ!」
二人の少女が言った通り、ジェームズは黄金の種族で海賊だった。狼男の考えていることが手に取るようにわかる。男の記憶が、直近の誉れが流れ込んできた。奴はアレスの副官として活動できていたことを誇りに思っていた。好みは少女の肉だ。アレスと行動を共にしてた時、偶然生き残った子供たちを奴は喰らっていた……。
「俺はサーヴァント! 最高傑作だ!」
「いいや、お前はただのミュータントで、人間だ」
狼の鋭い爪が三日月の刃と激突し、火花を散らす。ものすごい腕力ではあった。しかし、ジェームズには相手の怪力を受け流す技がある。力は、筋力は、技量を相手に有効打とは成り得ない。技量を持ち合わせて始めて有用となるのだ。
最低限の技量を狼男は持っていたが、それでもジェームズには及ばなかった。力で敵をねじ伏せてきたのだろう。ヘスティアよりは手こずったが、所詮はその程度だ。爪を振るう両腕をジェームズは一振りの剣で弾き飛ばし、どうにか持ち直そうとする狼男の首筋に突きつける。狼男が息を呑んだ。
蘇るのは走馬灯のように駆け巡った男の誉れ……残虐行為だ。さらには、こいつは少女たちを喰らおうとした。小さく幼い海賊の仲間を。
だが、最後に浮かんだのは親父の姿だった。治安維持軍の戦士として共和国の再興を望んだ父親の。
「投降しろ」
「何?」
「言葉通りだ。武器を収めろ。そうすれば命は取らない。お前次第では、仲間にしてやってもいい」
「慈悲を掛けるだと、俺に? 治安維持軍が?」
「奴らとは同盟関係だが、俺はあくまで海賊だ。海賊は掟に縛られても法には縛られない。ゴールデンホーク号はあらゆる人間を受け入れる。それが例え敵でもな」
本心から告げた言葉だった。ジェームズは海賊で、治安を守る軍人ではない。だから、もし抵抗をやめ、仲間になるというのなら加える。海賊とは寄せ集めの軍団に過ぎず、そこに敵も味方もない。ただ海賊という生き様が存在するだけだ。混沌ではなく、自由。そこには責任が存在している。己を見失い、暴走することもない。
「……わかった。了承しよう。仲間に迎えてくれ」
思いのほかすんなりと狼男は了承した。そうか、と応えて剣を鞘に仕舞うと仲間の援護のために背中を見せる。
そして、首が飛んだ。危ない! という少女たちの悲鳴がワンテンポ遅れて届く。
「バカ野郎。黄金の種族に嘘が通じるはずないだろうが」
ジェームズは首の無くなった狼男の死体を一瞥した後、船員たちを救うため船の下へと飛び降りた。
※※※
「行け……倒しちゃえ、ホープ」
本調子の出ない掠れた声でシュノンが声援を送る。ホープはその言葉で感情優先機構をフル稼働させ、ゼウスに向かって進撃した。
気合のボイスを出力しながら、レーザーソードで切りかかる。それをケラウノスで難なくゼウスは防ぐ。
「友が修繕した義体。なるほど、いくつかの問題点を解消した最高の状態であるようだ。いささかやり過ぎたな、友よ。しかし、我とてそなたの復活は予想外であった」
「ならば読み違ったまま倒れてもらいます、ゼウス!」
「それは早計過ぎるのではないか、我が娘よ」
「私はあなたの娘ではない――なッ!」
急にケラウノスが輝いて、雷に槍が染まる。マスターやシグルズが使うレーザーサーベルのように。それはまさにライトニングランスでも形容するべき装備だった。雷にコーティングされた槍の出力は驚異的の一言だ。数値が跳ね上がっているせいで、明確な数字としての強さが計測できない。最高神の前では、あらゆる計器が役立たずだった。
その強さを補完するかのように、槍から衝撃波が迸る。ホープの義体出力では抗えずに遥か後方へ吹き飛ばされてしまう。
「ああッ!!」
「ほ、ホープ……だいじょぶ……?」
「大丈夫です、しかし……」
「抜かったな。そなたの反乱は、とても小さな事象に過ぎぬ。矮小な出来事だ。旅路の途中で雨が降り、雨具を使用する羽目となった。その程度のことでしかない」
態勢を立て直すホープに、ゼウスは凍てつく笑みのまま告げる。驚異的なんてものではない。まさに最低最悪の敵である。現状では全てで負けている。スペックも、経験も。
だが、諦めるという選択肢はホープの中に存在しない。シュノンが命を賭して私を助けてくれたのだ。今度は自分が助ける番だ。そう強く念を持ち、心理光を発光させる。
その光を感じ取ったのか、ゼウスが関心を寄せた。その様はプロがアマチュアの試合を眺めながら、想定よりも少し上回っていた実力を褒め称えるかのような雲の上に立つ雰囲気を感じさせる。
「もしやそのエルピスコアは、パンドラが我に抵抗するべく作ったものなのかもしれん。だがだとすれば愚かだとしか言いようがない。その程度の出力では、我に触れることすら不可能だ」
「やってみなければ……」
「やってみるのだ、娘よ。そして、学ぶがいい。我に抗うとどうなるかを」
ゼウスは酷薄な笑みを維持したまま、まともな攻撃をしてこない。カウンターだけで潰せると考えているのだ。そして、今のままでは確かに事実だ。パンドラがくれた身体と心。そしてヘラクレスから教わった技術と思想。それだけでは足りない。どうしようもなく、力が足りない。これが温かく優しい光と、飽くなき力への探求を続け人の命すら厭わなかった闇との力量の差なのかもしれない。
だが、諦めるの文字はアンインストールした。ホープは再び接近戦を試みる。
「このッ!」
「なぜ勝てぬ敵に抗うのか、理解に苦しむ。そなたたちは愚鈍だ。共和国はいつもそうであった」
「だからでしょう! だから抗うのです。あなたの言う通り、私は愚鈍です! 共和国の守護はおろか、マスターすらも敵に寝返らせてしまった! 敵に捕縛され、大切な友人すら危うく手に掛けるところだった! それでも、だからこそ! 私たちは何度でもあなたに立ち向かいます! 何度でも! 幾度でも!」
「では二度と抗うことができぬよう、徹底的に破壊してみせよう」
がむしゃらに右腕に搭載されたレーザーデバイスを振るうホープを、ゼウスは槍を使って再度後ろへと薙ぎ飛ばす。たった二度、槍に吹き飛ばされただけ。ただそれだけで、性能の差を自覚することになるとは思いもよらなかった。
戦術データベースは撤退を進言し、思考ルーチンは納得しつつも量子演算が逃走可能確率は限りなく低いと計算している。逃げた方がいいが、逃げられないだろう。そう電脳は計測結果を弾き出したのだ。
「くそったれ、ですね。まさに」
「ホープ……」
歯ぎしりしながら、レーザーデバイスをガンモードへと変更。左腕を添えて右腕を突き出し、レーザーをゼウスに放つ。当然の如く、槍にレーザーは消し飛ばされた。スタンミサイルを穿つ。これは落雷によって槍にすら当たらない。ミサイル射撃を中断して、腰に装備してあるテンペストを構える。
自身にテンペストが装備済みであると知った時、ホープはチャンスであると考えていた。だが、それは違ったのだ。迂闊な敵が、間抜けにも敵の装備を外し忘れたという映画的お約束ではない。問題なく対処できるから、そのままにしていたのだ。
それでも、諦めるというワードは凍結した。フルチャージ射撃を実行。
「効かぬ。わかっているであろう?」
「くッ――」
砂漠の海の巨大イモムシさえ瞬時に蒸発させる強烈なチャージ射撃を、ゼウスはより強力な雷撃によるシールドで防御する。閃光が掻き消えた後、天空神は槍の先端をホープへ向ける。回避しようとしたが、背後にはシュノンがいた。パーソナルシールドを展開し、防御姿勢。
「哀れな。避ければまだ戦えたものを」
「ぐッ……ああああああ!!」
「ホープ! しっかりして!!」
シールドは意味をなさなかった。シールドから雷が溢れ出て義体中を駆け巡る。あらゆる回線がショートし、絶縁処理を施されたパーツさえ焦げる。神の雷の前に、防護処理は効果がなかった。
煙が義体のあちこちから噴出し、義体性能が極端に低下。人工筋肉が痙攣し、立つことすらままならなくなる。レンズ内にノイズが奔り、視覚情報もまともではなくなった。割れたアイカメラの内側から、漆黒の神を見上げる。
「これはまた驚かされた。我の雷撃を受けても無事だとは。オーディンめ、我の戦術を予期していたな。その技術を同志であるドヴェルグに伝え、ケラウノス用の処置を極秘裏に加えていたか。我の目を誤魔化すとは、流石、共和国と言ったところか」
「ホープに近づかないで……!」
シュノンがリボルバーを構える。それを小事であるかのように、ゼウスは彼女を見もしなかった。
「止すがいい、娘よ。そのような武器では我を捉えることすらできん」
「うるさい! この……後悔させてやるわ!!」
シュノンは叫んで、本当に撃った。ゼウスは反応せずに……弾丸が眉間に吸い込まれる。そして、金属音が鳴った。銃弾が生身かと思われていた額に弾かれたのだ。ホープはその事実に違和感を感じて目を見開いたが、ゼウスもまた驚嘆していた。
「よもや本当に我を撃つとは。大抵の人間は吠えるだけで何もできぬというのに」
「私をなめんなっての……。この世で最高のスカベンジャーよ」
「良いだろう。その心意気を称えて、まずはそなたから葬って進ぜよう」
「シュノ……ン!!」
ゼウスがケラウノスをシュノンに向ける。しかし、シュノンは怖じることなくリボルバーを撃ちまくり、とうとう弾が切れた。チッ、と舌打ちして背中のライフルを構えようと手を伸ばすが、無駄と知って手を止める。代わりに凄まじい形相で睨み付けた。
きっと、睨みで敵を射殺す気分でいるのだろう。でも眼差しでは敵を殺せない。このままではシュノンが殺されてしまう。それは避けねばならなかった。
いや、誰の命令でもない。ホープ自身、私という一存在が嫌だった。だから、それは奇跡でも何でもなく、当たり前の事象として起きた。
「ホープ! 何して」
「ほう? あのダメージで動けるとは」
「私を舐めないでください……最高のスカベンジャーの、アンドロイドですよ」
両脚はがくがくと震えて、バランサーも揺らぎと調整を繰り返している。それでも意思は明確に、ホープの義体をホープの感情アルゴリズム通りに動かしていた。感情優先機構が成した当然の奇跡だ。
――シュノンはあなたに殺させません。私が嫌だからです。両手を広げて、想いを吐露する。
「私は感情優先型。私の思い通りに、私は動きます」
「そして思うがまま、死ぬというのか?」
「違います。それは、違う」
「じゃあ、なんなの?」
シュノンがふらつきながらも、信念を灯した瞳で訊ねる。ホープもまた彼女と似た顔つきで答えた。彼女に似たのか、彼女が似たのか。もはやその境界線は定かでなく、だからこそどうでもよかった。私がここにいて、シュノンもここにいる。それだけが重要だった。
「人を助けたい。人を守りたい。私がそう思うから、こうします」
「守れると、本気で思うのか?」
「思います。無理でも不可能でも思います。それが私の心だからです」
「それを我は愚鈍と言い、そなたたちは希望などと世迷言をほざく。絶望を希望と誤解した愚か者たちよ」
ゼウスは嘲笑う。だが、そんな些事でホープの心は折れない。笑われてもホープは信じる。妄信する。それが正しいと信じているからだ。そう教わったからだ。
「あなたが何をしようと私の考えは変わりません。それがマスターとパンドラの……私が継承した遺志。――人を守るのが私の使命、です」
ホープがマスターから与えられた使命を口に出した途端、アレスが僅かに揺らいだ気がした。しかし、今のホープにもシュノンにも気にする余裕はなく、ゼウスすらも気にかけていなかった。
ただ掲げた槍の出力を増大させる。ゼウスはホープとシュノンを一斉に消滅させる腹積もりだった。凍てつく笑みが、浮かび上がる。
「なれば、その使命ごと、忘却の彼方へと果てるがいい」
あらゆる万物を破壊する雷が、槍の先端から解き放たれた。