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降臨

 世界は狭い。どうしようもなく、狭い。

 身体が固定されて、身動きが取れない。抗うことはできない。意志の力ではどうしようもならない。 

 しかし、唯一の例外があった。

 それが涙だった。


「う、うう……」


 涙を流す。ただがむしゃらに。他人に哀の感情を伝達するシステムを、自分ひとりのためにこぼす。

 周囲には誰もいなかった。閉じ込められている。私という牢獄に。自分自身に。


「シュノン……ダメです、逃げてください……」


 前方に浮かぶホロモニターは、意図して設置されたものだ。

 相棒が死ぬ瞬間をホープに見せるために。

 目を閉じることも耳を塞ぐことも許されない。身体が拘束されている。


 ――警告。感情値の上昇を確認。エラー。行動は認可されていません。


 心が叫ぶだけで、身体は動かない。

 精神が騒ぐだけで、外に声は届かない。

 永久の時を、待ち続ける。自分の心が砕け散るまで。


「――泣き虫なのですね、H232」


 そこへ声が掛けられた。塞ぐことのできない耳が言葉を知覚する。

 そして、閉じることのない瞳が、その姿を捉えた。メイド姿の、ドロイドを。


「あなたは……」

「私は共和国汎用型養育ドロイド、クレイドル。……シュノンの教育を担当した、ドロイドです」



 ※※※



 リンがメインモニターに表示される映像を見て息を呑んだ。動揺はスレイプニールのブリッジ内、いや治安維持軍全兵士に広がっている。

 ――青の巨人が左側の山から現れていた。先の戦闘で破壊したはずのタロスが。


「タロスがもう一機……!?」

「あたしが出ます。後は頼みます、ドヴェルグ博士」

「頼む。しかし、同じ戦術がそう易々と通用するかどうか……」


 メカコッコの危惧を背中で聞きながら、ウィッチは出撃準備を整える。攻略法はできているので、同じ方法を行えばタロスは破壊できる。

 問題は、その方法が無事に行えるかどうかだ。しかし、議論の是非はなく、戦うしかなかった。猶予は残されていない。ハットを被るウィッチのレーダーが、高熱源体を複数感知する。


「これは……まさか」


 ホロモニターを出現させて、周囲の状況を俯瞰する。補足するように、現地のブリュンヒルドから状況報告。


『ヘスティアが赤く発光しています。……性能が三倍に上昇』

「……っ、今行く!」


 魔女が空に身を投げ出す。しかしその表情は焦りを隠せない。

 ドローンを自身の周囲に展開し、ハイパーリングを縦列接続。リングをタロスの弱点である胸部コアに向けて並べ、リンがスレイプニールの進路を変更。山から下り、敵と味方を踏み潰しながら侵攻するタロスへ照準を合わせる。


「クォレン大佐!」

『わかっている。注意を引き付けよう』


 グルファクシが支援砲撃を開始。しかし、タロスはスレイプニールだけを見ていた。

 だが、タロスとスレイプニールの距離は開けている。遠距離武装がないタロスでは、反撃もままならない。短期決戦で行く。ヘスティアのスペックが何の前触れもなく増大したのだ。タロスに構っている時間も余裕もない。


「ドヴェルグ博士!」

『よろしい、主砲発射!』


 轟音と共にスレイプニールの先端上部に搭載される主砲からレーザーが放たれる。それはリングを通るたびに鋭さを増し、一本の線となった。

 それがタロスに命中する――瞬間、拡散し、タロスの内部へと吸い込まれていく。


『バカな、イーターシステムだと。これほど巨大な機体に……』

「くッ……なら、装置を破壊してもう一度!」


 ウィッチはタロスをスキャンしながら、システム搭載位置を探し始める。

 刹那、フォーカスした義眼がタロスのアクションを認めた。タロスは右腕部を突き出すように構えると、右腕を射出した。さながらロケットパンチとでも呼称すべきか。

 そのパンチはジェット噴射で前進しながらスレイプニールへ突き進む。ウィッチは吠えるように叫んだ。


「リン! 回避を!」

『や、やってま……追尾する!? ワープドライブを使います!』


 追いかける右腕を振り切れずに、スレイプニールは転移する。が、タロスの腕は転移した座標を予期していたかのように軌道を描き、スレイプニールをまるで棒でも掴むかのような身軽さで掴み取った。


『なっ……何がどうなって!!』

『スレイプニール! 腕に掴まれているぞ! リン、何とか引き離せ! 援護射撃ができない!』


 クォレンが悲痛な声を出す。リンも苦しげな声を通信に乗せた。


『コントロールが……船が言うことを効かない……っ』

『まずいな。装甲が握りつぶされる』

『今、援護に向かいます』


 名乗りを上げたのはレンだ。ウィッチもドローンを杖を使って支援に向かわせる。しかし、直掩につくはずのレンはあと残りわずかだったはずの敵航空部隊の増援によって阻まれることになった。


『どこから、来たの……!?』

「く……ッ」


 無線からはあらゆる部隊の援軍要請がひっきりなしに届いている。

 絶対絶命だった。ゼウスの策略にはまっていた。



 ※※※



「これは、想定外ですわね」


 装甲車から降りたフノスは戦況を感じ取りながら呟いた。レーザーピストルを近場のヘスティアに向かって撃つが、彼女は高速移動して避けて狙っていた治安維持軍の兵士の首を刎ねた。

 その兵士の叫びが頭の中に届く。助けてください、姫様――。


「このッ!」


 アルテミスも矢を穿ったが、ヘスティアは矢を掴んで投げ返してくる。起爆矢の爆発範囲内にいたアルテミスをブリュンヒルドが滑空して救った。だが、窮地を脱しても、また別の危機が襲い来る。最悪の状況だった。


「どうするの、フノス! 撤退!?」

「撤退しようにも、敵は追いつくでしょう。全滅も時間の問題ですか」

「諦めるのですか、王女殿下」

「……」


 ブリュンヒルドの問いかけに、フノスは応じない。

 ただ、目を瞑った。諦観したかのように。



 ※※※



「船長、逃げてくだせぇ。俺たちゃもうダメだ……」

「諦めるな、くそったれ。お前の図体に弱音は似合わねえ」


 ジェームズは三日月剣でヘスティアと斬り合いながら、崩れ落ちるミノタウロスに喝を入れた。だが、部下の戦闘力では彼女たちの相手は難しい。かくいう自分自身も追い詰められている。ヘスティアの力は突然倍以上に跳ね上がった。ホープたちが使っていたETCSと原理は同じだろう。

 だが、ホープのものとは決定的な違いがある。それは、ヘスティアは自壊を厭わない、という部分だ。

 現に、何体かは義体が耐えられずに爆発している。安全を考慮しない出力の上昇は諸刃の剣となって使用者本人を襲っている。

 しかし、ヘスティアは気にも留めない。ある意味究極的な奉仕の精神だ。身も心も、命さえも主人に捧ぐ。ジェームズがもっとも忌み嫌うやり方だった。


「アンちゃん!」

「く、この、放して!」


 船上では、アンとメアリーがサーヴァントに捕まっていた。どう見繕ってもあの狼男は二人の少女を捕食するつもりだろう。助けに向かいたいが、ヘスティアが阻んでいた。

 黄金の種族の倒し方を熟知している。アルテミスをアンドロイドキラーとするならば、ヘスティアこそが黄金の種族を殺すための殺人マシーンだった。


『くそっ、そっちはどうにか打開できないのか』

「すまんなヌァザ、こっちも全力だ。援護には行けない」

『娘たちに手出しはさせん! ぬぅ!!』


 ネコキングの苦悶の声が無線に響く。ヌァザの支援要請を蹴って、ジェームズはヘスティアと斬り合った。力がありながら、何も成せない。無力な自分に怒りを感じながら。



 ※※※



「まずいな、このままでは」


 下方の部隊が追い込まれている。それはチュートンからも確認できた。

 しかし、ジェットパックで浮遊する彼にアプロディアはアプローチを続ける。ランチャーを捨てた彼女は狙撃銃へ持ち替えて、チュートンの気を逸らしている。


「私だけを見て、私だけを見てよ!」

「面倒な女だ」


 ライフルで応射。アプロディアが回避。時間を掛ければいずれ勝機は見出せるが、その間に味方が全滅する恐れがあった。

 そのため、チュートンは博打に出る。安全マージンを程よく取る普段の彼ならば考えつかない思い切った戦法で。


「うふ、ふふ! 傍に来てくれるの?」

「ああ、向かう」


 チュートンは脳波コントロールでジェットパックをまっすぐ進ませる。アプロディアの狙撃に晒されるが、それを銃撃することによってある程度制御する。

 レーザーがアーマーを撫でるように掠る。至近弾をぎりぎりで避ける度、ヘルムのオペレーションシステムが警鐘を鳴らした。

 だが、厭わない。詰めて、攻めて、迫る。ヘルム内に移るアプロディアの恍惚とした表情が大きくなっていく。


「あははっ!」

「そこだ!」


 チュートンは銃剣を振り上げた。速度を維持したままの一撃離脱。しかし、アプロディアも予想していた。彼女は寸前のところでレーザーショットガンを取り出して引き金を引く。


「チッ」


 危険を承知したチュートンはあえて背中のジェットパックを盾にするように反転した。面積が広い精密な空中起動用パックは即席の盾としても機能する。

 無論、最大の特徴である飛行機能は失われてしまうが。

 強引に山肌へと着地する。パージされたジェットパックが地表を転がり爆散した。


「うふふ、もうおしまい? チュートン?」

「……追い詰められたか」


 表示されるアーマーの防御有効数値低下の警告音をチェックしながら、チュートンは弱音を吐く。



 ※※※



「あ、ああ……あ」


 苦しい。息ができない。

 そう思った瞬間に僅かに力が緩む。あえて息を吸わせている。

 敵の狙いを思考できるぐらいには、酸素量は足りていた。


「ホー……プ……」


 首を絞められながら、シュノンは相棒の名前を呼んだ。

 漆黒に染まったホープは無言で、シュノンの首を掴んでいる。本気を出せばいつでも絞め殺せるというのに、あえて窒息させる気なのだ。ゆっくり時間を掛けて。

 ――ホープの心を殺すために。


(そう……つご、よく……いかないっ)


 やっぱりそうか、と思考の余地のある頭の中でシュノンは自己完結する。

 そうそう上手くいかないのだ。クレイドルのチップはあくまでクレイドルのAIデータをインストールする記録媒体に過ぎない。ウイルスを駆除する機能もなければ、バグを除去するシステムすら積んでいない。

 奇跡なんて起きない。諦めるのは簡単だった。

 むしろ、さっさと自害することによってホープの心を生かす可能性に賭けた方がマシなのかもしれない。

 そんなことを思いながら、徐々に灰色になっていく視界の中でホープの顔を見つめた。


「……チクショウが!」


 声を張り上げて、自分の心をまんまと操られている相棒に一喝する。まだ、ホープは泣いていた。不本意な行動を強いられて泣きじゃくっている。あんなメンタルの弱いアンドロイドだ。気を遣って自殺したところで心が折れるに決まっているではないか。

 くそったれ。本当にくそったれ。怒りと希望を込めて相棒の身体を蹴り飛ばす。

 だが、その程度で拘束は解かれない。むしろ抵抗する気力を奪うかのように締まりは強くなった。

 だが、知ったことかと飽くなき抵抗を続ける。ホープは泣いているのだ。

 私の友達が、仲間が、相棒が泣きじゃくっている。


「ホープを、離せ!」

「捕まっているのはお前だぞ、娘」

「あなた、あなたなら! 拘束を、解ける……ぐ……でしょ!」

「実行と実現は別物だ。俺に拘束を解く理由はない」

「嘘つき!」


 会話に応じないアレスに、シュノンは精一杯の根気で叫んだ。意識を手放したら気絶では済まない。文字通り死んでしまう。気力で動いていた。


「あな、た! ホープの! マスター!」

「俺はホープのマスターではない。アレスだ」

「どれだ……け! 逃げても! 過去は! あなたを! 逃がさない!」

「そうだ。だからこうしているのだ。……そろそろその減らず口を閉じろ」


 アレスがハッキングデバイスをホープに向ける。ホープの力が強まる。

 言葉もまともに発せない。息ができない。

 この まじゃ 窒 す

 意識 途切れ


「ほ、ぷ……」



 ※※※



「クレイドル、とはまさか」

「あなたのデータベースを検索したところ、私の情報が記載されていました。詳細説明の必要性を感じません」

「……養育ドロイドにしては、辛辣ですね」


 思わず感想が口を衝いて出る。ホープが知る教育型ドロイドは礼儀正しく、誰とコミュニケーションをとっても丁寧に対応する社会の規範のような存在だ。しかしこのドロイドには、どこか……個性のようなものを感じる。


「今は私のことなどどうでもいいでしょう。問題は山積しています。タスク管理を忘れることなきよう」

「シュノン……!」


 問題を再認識したホープはモニターへ目を移す。まさに今、自分がシュノンを殺そうとしていた。自分の身体が自分の意に反して、自分の大切な友達を、仲間を、相棒を殺害しようとしている。


「ダメです! クレイドル! 私を解放してください!」

「実行不能なコマンドです」

「なっ……!」


 クレイドルは簡素なフェイスモーションで淡々と述べる。どこかブリュンヒルドを思い浮かべるが、彼女より感情表現は希薄だ。


「私は養育ドロイド。問題の解決方法はインストールされていません」

「悠長なことを言っている場合では!」

「あなたこそ、何を悠長に泣いているのです」

「な、何を……」


 当惑するホープに、クレイドルは告げる。いや、思い起こさせる。


「あなたの視覚センサーを用いて外部情報をスキャンしたところ、私のメモリーチップと同型のチップが複数検知できました。恐らく、そちらが本来の用途を成すソフトだったのでしょう。しかし、トラブルが起き、一縷の望みを託して、シュノンは私をあなたにインストールした」

「それは、わかってます。ですから」

「ですが、私にそのような機能はない。わかっているはずです。認識プログラム……思考ルーチンにもエラーは見られない。トラブルシューティングの結果では、あなたの感情アルゴリズムがそれを認めようとしないとレポートされています」


 まるで他人事のように報告するクレイドルに、ホープは苛立ちを隠せなかった。では、彼女は何のためにここにいる。これが無意味で、シュノンが死ぬ姿を看取る以外に方法がないと、彼女はわざわざ伝えに来たのか。


「あなたにとってもシュノンは重要でしょう」

「もちろんです。ですから、全力であなたを諭している」

「私を、諭す?」

「方法は私にはない。ですが、あなたには搭載されている」


 クレイドルの指摘には思い当たる点がある。だが、それを試してもダメだったのだ。ゼウスはより強力なシステムで束縛している。


「む、無理です。今の私では。実行と実現は違う。私ができる力を持っているからとはいえ、必ずしも実現できるとは限らないのです」

「でしたら、シュノンを諦める、ということですね」

「そんなことはありません!」


 強い感情がホープに言葉を吠えさせる。と同時に、動かないはずの右腕が僅かに動いた。

 その時初めて、クレイドルは笑みを浮かべた。簡素なフェイスディテールによる、作られた笑みではない。自然で柔和な笑みだった。まさに奇跡のような。


「それです、ホープ。感情を暴走させなさい」

「しかし、それでは負の、暗い情念に」

「怒りは悪ではありません。怒ることは普遍的なことです。問題は怒りを制御できるかどうかです。あなたが怒るのは何に対してでしょう。自分をコントロールデバイスで束縛するゼウスですか。自身の義体にコマンドを送信するアレスですか。それとも、マスターを、シュノンを守れないあなた自身に対してですか」

「私は……」


 確かに等しく、怒りを向けるべき対象だった。

 だが今、一番ホープが怒りを感じるのは……怒鳴り散らしたいのは――。


「私です。私自身にです」

「では、怒りなさい。ホープ。多目的支援型アンドロイド」


 クレイドルの催促に頷いて、ホープは吠えた。身体の自由が段階的に解放されていく。だが、速度が遅い。こうしている合間にもシュノンの顔は鬱血し、バイタルサインの低下がモニタリングされている。


「もっとです、ホープ。思い出すのです。あなたは何者ですか」

「私はホープ232! 多目的支援型、感情優先型アンドロイド!」


 パンドラがくれた義体と心理光を持ち、ヘラクレスから教わった技術と思想を遵守する共和国治安維持軍特殊作戦群プロメテウス所属。


「あなたに搭載されるものは?」

「エルピスコア! 感情優先機構! 不本意な命令、疑問視するオーダー! その全てを拒否し、心赴くまま任務を遂行することができるパンドラがくれた特別なシステム!」


 そのシステムのせいで、苦しんだこともあった。葛藤もあった。

 でも今はそれで良かったと心から思う。このシステムのおかげでたくさんの人々を救うことができたのだから。


「あなたのマスターは誰です?」

「かつてのマスターは偉大な戦士であるヘラクレス。現行のマスターは地球生まれ地球育ち、映画を教本として利用し、性格には難があるが、他者に思いやりを持ち、私に力をくれるスカベンジャーのシュノン!」


 シュノンとの思い出が白い空間の中で次々と浮かび上がっている。もうどうしようもないくらい、彼女はホープの一部だった。彼女が死ねば私も死ぬ。私が死ねば彼女も死ぬ。一心同体。最高の心理同調シンクロニティ

 それを聞き受けたクレイドルは嬉しそうに顔を綻ばせて追加の質問を付け加えた。


「そのことを踏まえて、あなたの使命は?」

「私の使命は、人を守ること! マスターを守ることです!!」


 ――君は僕たちの希望だ。人を守ってくれ。守れなかった、僕の代わりに。


 マスターは最後まで人々の今後を憂い、希望を託した。確かにマスターは変わってしまったかもしれない。でも、私は変わらない。

 否、変わったのだ。シュノンのおかげで。だからこそ、この使命を実行し、実現する――。


「外れろ――!!」


 ぱきぱきと音がして、拘束具が外れていく。それは粒子となっていずこかへと消えていった。

 クレイドルの存在も曖昧になっていく。私の中に溶けていく――。


「ありがとう、ホープ。そして、お願いです。あの子を守ってください。ちゃんと最後まで見届けられなかった、私の代わりに」

「もちろんです、クレイドル。ありがとう」


 クレイドルが消失する。訂正。確かに私の中に存在している。

 希望は、私の中に。


 ――再起動開始。マスターの命令及びクレイドルの要請を最優先事項に設定し、任務を遂行します。



 ※※※



「――ッ」


 ふわりと揺れる彼女の身体を抱きかかえる。サーモグラフィは彼女の熱量を感知していた。並行して行ったバイタルチェックでも、目立った問題は見られない。徐々に彼女の身体は本来の機能を取り戻しつつあった。


「……ホープ……?」

「はい、私です。すみません。少し、寝坊してしまいました」

「黒くて、誰だか、わからない」

「そうですね。今、スキンカラーを戻します」


 ブラックスキンの義体をホワイトスキンに戻す。連動して、義体に装着されていたコントロールデバイスをパージ。

 その姿をアレスが呆然と見つめていた。


「どうやった、ホープ。なぜだ」

「その方法はあなたが教えてくれました、マスター」

「それは過ちだ」

「いいえ。過ちではありません」

「確証はないはずだ」

「ですが、確信しています」


 毅然と答えるホープに対し、アレスからはどこか揺らいでいる印象を受ける。

 ホープはシュノンの身体を優しく寝かせると、アレスと対峙しようとした。

 切断された左腕と破損したシールドは修理されている。ホープの義体はエナジーの補給も済まされた完璧な状態だった。マスターが直したのだ。かつて、共和国時代にそうしてくれたように。

 マスターは過ちと切り捨てた時代のことを覚えている。明確に、明瞭に。


「まだ、戻れます。マスター。あなたはヘラクレスに」

「有り得ん。俺はアレスだ」

「自分を騙しているだけです」

「ではお前を倒して証明しよう」


 そう前置きしてアレスは剣の柄へ手を置く。ヘラクレスが使っていた名剣は漆黒に染まり果てていた。だが、ホープは首を横に振る。量子演算するまでもなかった。強さは数字では語れない。


「あなたがヘラクレスであれば、私に勝ち目はありません。ですが、アレスならば勝てます。あなたは勝てない」

「お前にその技術を教えたのは俺だぞ、ホープ」

「そうです。マスターは完璧でした。だからこそ、あなたは勝てないのです」

「黙れ」


 アレスがサーベルを鞘から引き抜こうとする。

 しかしその行動は止められた。最高神の御言葉によって。


「急くな、友よ。なるほど、そなたは我の予想を超えたアンドロイドのようだな」

「ゼウス!!」


 決闘場へゼウスがゆっくりと姿を現した。黒い外套は全身を覆い隠し、僅かに窺える表情には、凍てつく笑みが張り付いている。まさに他者を射殺す笑みだ。

 しかし、ホープは怖じなかった。背後のシュノンもゆっくりと立ち上がっている。


「神様だって、言うから、どれだけ贅沢者かと思えば……随分謙虚なのね」

「大丈夫ですか、シュノン」

「へっちゃら……ごほっ」


 シュノンが咳き込んだ。聴覚センサーは血が混じる機微な音を捉えている。

 ホープは今一度ゼウスを睨み付けた。アイカメラでスキャニング中だが、外套はステルスコーティングを施されているようで、その中身を検知できない。


「謙虚? いや、我は強欲であるのでな。それを悟られないように質素な衣服で身を隠しているに過ぎん」

「ただの、老人にしか、見えないけど?」


 シュノンの強気な発言に、しかしゼウスは気をよくしたように頷いた。


「では、我の真の姿を披露するとしよう」


 ゼウスが外套を右腕で掴む。露出した腕は機械でできていた。

 そうして、脱ぎ捨てる。戦術データベースが該当項目をレンズ内に表示。


「サイボーグ……」


 ゼウスの身体は、機械化されていた。それもアレス……ヘラクレスのように治療の発展ではない。最初から意図して設計された義体だった。黒い肉体は人工筋肉と特殊合金で構成され、そのスペックは計り知れない。

 脅威判定が更新される。更新内容は判定不能エクストラ。強さの判別が、戦術データベースでは不可能だった。


「この身体を獲得するために、いくつもの実験体……子どもたちを製造した。それを皆が神と呼称した」

「あなたが完成体である、と」

「いかにも。我は最高神。ゼウスだ」


 ゼウスは白髪の老人という脆弱な姿から一変し、屈強な、究極の戦士としての姿を晒して右腕を掲げた。ワームホールが生成され、彼の象徴的武装であるケラウノスが転送される。金色の槍だった。雷が槍を覆っている。


「喜べ、H232。そなたは我の予想を上回った。ゆえに」


 雷が周囲にいくつも落ちる。雷鳴が轟き、閃光が薄暗い空間を満たした。


「我が直接葬って進ぜよう」


 ゼウスが槍を構える。ホープは苦々しい表情を浮かべて、レーザーソードを展開した。

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