始動
ホープが目の前で刺された。その事実は強い印象に残っている。
その後はよく覚えていない。クレイドルの時と同じ感覚に支配されたからだ。
だけど、不思議だ。不思議だった。
何で私は無事なのだろう。なぜ、あの男を殺していないのだろう。
本当に不思議だった。なぜなんだろう?
「シュノン……」
抜け殻のように椅子に座るシュノンに、フノスが声を掛けた。
彼女は黄金の種族だ。なんでも理解している。今、シュノンの胸中がどうなっているのかも。
そして、アレスの正体がホープのマスターであるヘラクレスだったことも。
「っ!!」
先程まで死んでいたように沈黙を守っていた身体は、突然息を吹き返した。フノスの胸倉を掴んで、憎々しげな眼差しを彼女に向ける。怒りが内側からどうしようもなく沸き起こり、制御不能な状態にまで陥っていた。
「何で……何で黙ってたの!!」
「何してるの!?」
部屋に入ってきたアルテミスが駆け寄ってその両腕を離そうとしてきた。しかし、フノスが首を振って制止する。このままで構いません。そう王女らしい品格で……。
「知ってたんでしょ……本当のこと!! もしわかっていたらホープは!!」
「きっと、信じなかったことでしょう。それは皆がわかっていたことです」
そう告げたのはアルテミスに遅れてやってきたブリュンヒルドだった。
だから何なの!? と声を荒げる。信じる信じないは関係ないではないか。
「関係ありますわ、シュノン。彼女はその可能性に気付きながら、カギを掛けていたのです。ですから、下手に刺激するのを避けた……でも、それが失策だったと、今なら言えます」
「そう、そうだよね! 後からなら何でも言えるよね! くそっ!!」
シュノンは手を放して、自分が座っていた椅子を蹴り飛ばす。息が荒い。頭がどうにかなってしまいそうだ。胸が苦しい。心が痛い。
だがそれを解消する術は、永久に失ってしまった。
自分のせいで、死んだ。また自分が不甲斐ないせいで。
「う、う、ううう……」
気付くと涙が溢れていた。嗚咽が止まらなかった。そのまま倒れこむように床に寝転がって、ひたすら涙を流し続けた。
「ホープ……?」
何が起きたのか、理解に時間がかかった。時が非常にゆっくり流れて、その瞬間をシュノンの目に焼き付けさせた。
ホープがアレスの殻を破った瞬間、何かが起きたのだ。マスクの内側から現れた顔にホープはほんの一瞬躊躇って……身体を、貫かれた。
「嘘だ……ホープ!!」
反射的に駆けだそうとして、身体がまともに動かないことに気付く。先程自分を縛り付けた恐怖がより強力なものとなって、身体に枷を掛けていた。
「嫌だ……嫌だ!!」
ホープの義体がぐらりと揺れる。それを支えようとするが間に合わない。
代わりにアレスへ憎しみをぶつけた。いや、アレスとなり果てていたヘラクレスに。
「返せ! ホープは私の……!!」
私の友達で、仲間で、アンドロイドだ! 返せ! 私のホープを返せ!
しかし言葉もまともに発せなかった。代わりに喉奥が痙攣するだけだ。
「……殺してやる……」
次に捻りだせたのは、殺意を表す言葉。その言葉はシュノンに力を与えた。
身体が動き出す。先程までの震えが嘘のように。リボルバーの銃把を握りしめて、アレスへ向ける。
だが、引き金を引く前に、何者かがシュノンを拘束した。どこかから駆け付けたチュートンだった。
「逃げるぞシュノン。撤退だ」
「離せ! 離して!!」
しかしチュートンは凄まじい力でシュノンを抱きかかえる。そのままジェットパックを噴射して脱出経路を突き進んでいく。
「嫌だ! ホープ!! 嫌だぁ!!」
「嫌だ!! ……っ」
絶叫して、目を覚ます。天井が目の前にあった。
背中が痛いのは床を背にして眠っていたせいだとわかる。
不健康な寝方だったが、シュノンはちっとも気にならなかった。
もっと痛い部分が他にある。いや、もはや痛みすら感じないのか。
『着艦シークエンスに入ります。作業中の方はいったん手を止めて、衝撃に備えてください』
リンのアナウンスが艦内に響く。シュノンは厭わず立ち上がって、窓へと目を向ける。地下基地の格納施設にスレイプニールが停泊しようとしていた。
駆け寄ってくる治安維持軍の技術者たちは皆一様に暗い表情をしている。希望が失われたのだ。それは当然の反応だったのかもしれない。
「あっ……」
艦が揺れて、シュノンの身体が重力従って倒れる。
痛かった。
でも、痛くなかった。
不思議だった。本当に不思議だった。
※※※
「ホープがやられた。それは確かなのか?」
「この目で確認した。間違いない」
メカコッコの問いかけに、チュートンが応じる。そうか、と正常な空気振動が出力された。だが、もし完全なドロイド体か、人間の姿であればその声に失望と嘆きが付与されていたはずだ。
予期されていたことではあった。だが信じていたのだ。
殺されたシグルズと同じように。間際の際で彼がプロメテウスエージェントとして復活するのではないかと。
しかし予想は外れ、最悪の事態が起きてしまった。ホープが奪われた。それは、秘匿されていた共和国時代の遺産が全て敵に渡ってしまったことを意味する。
そしてまた、切り札の一つが消滅したことも。アレスとゼウスを打ち破る要は他ならぬホープにあった。彼女が勝てなければ、勝てない。それが現実だった。質が量を制するようになって既に千年以上が経過している。何度も戦争を重ねるうちにその傾向は強まり、軍隊は量ではなく質を追求するようになっていった。
その最高傑作がホープだ。ブリュンヒルドもいるが、彼女単騎でアレスと、ゼウスに対して勝ち目があるのかわからない。
「万事休すか」
思わず悲観的な発言を述べる。そうですかね、とウィッチが割り込んできた。
「まだ希望は残されている、とあたしは考えますが。奴らのやり方を考えれば」
「そうだ、ゼロではない。しかし、上手くいくか?」
むしろ今までの通例を考えれば、希望は明確にそこにある。だが、果たしてそう都合よくいくだろうか。前回と前々回のケースは結局、敵の采配によるものだった。
しかし今回は違う。奪わせることが目的ではないだろう。
「諦めたらいけない。そうでしょう?」
「……自分の言葉に嘘はつけないか」
ウィッチに諭されてドヴェルグは苦笑した。自分自身が彼女にそう言ったのだ。それが巡り巡って自分に返ってきている。ここで諦めるのは実にチキンらしいが、それで満足はしてられない。これはあくまで自身への戒めだ。その戒め、罰則の通りの醜態を晒してはならない。
「よろしい、アイデアはあるか」
「解決方法は彼女の中にインストールされています。あたしたちはそれを補助するだけです」
「うむ、形になってきた。今、図面を作成する」
こういうガジェットの製作は得意中の得意だ。長きに渡って崩壊世界で得た経験は、元々あったドロイド開発の才能をより幅広く強化させた。
デジタルアーカイブの娯楽映画に出てくるなんでもできる博士に、自分を昇華させたのだ。
だから、可能だ。不可能はない。やれることをやれるうちにやれるだけやる。それが後ろから見守る、支援担当の務めだ。
「早速取り掛かるぞ。早い方がいい。王女殿下に連絡を」
「了解しました」
「それと、シュノンはどこにいる?」
ドヴェルグはチキンらしからぬ精悍の眼差しで訊ねる。
彼女が必要だ。量は質には勝てない。
だが、質を助けることはできる。
※※※
ふらふらと彩られた地下の中を歩いて、自然と家にたどり着いた。
仮住まいだ。家としては簡素なもの。でも、それでも本当のホームに比べれば大きいものだ。
私は地球住まいのスカベンジャー。私の家はカスタムを施したテクニカルトラック。名前はプレミアム。生活スペースは座席二つに荷台だけ。さらに荷台には、拾ったお宝を入れるボックス、エナジー缶を収納する箱、武器を仕舞う入れ物の三つが積載されている。そして一番の目玉は機関銃だ。こいつで敵を射抜く。そう、だからこそプレミアムは高級車なのだ。こいつに敵はいない。
役割分担を、できれば。でも、もう運転手しかいない。
「…………」
ぴとぴとと、涙がこぼれて床を濡らしている。
そしてそれをシュノンはただ眺めている。掃除する気にはならない。
別に汚いのは構わないのだ。構うのはあの口喧しいパートナーだ。どうしてか、シュノンの相棒になる奴は無駄にお節介なのだ。世界はとんでもなく汚いのだから、部屋が汚れたって問題ない。その程度で人は死なない。死にそうになった時片づければいい。
――ずぼらですね、シュノンは。マスターたるもの、きちんと掃除を……。
「ボディクリーニングとかするやつに言われたくないよ」
よくわからない洗剤を使って義体表面を洗い流し、さらに最悪なことにその成分を空中に分散させる。
あれをするような奴に言われたくないのだ。クレイドルだって、改修に改修を重ねたせいでぽろぽろとパーツが取れたり、排気ガスを放出したりしていた。
言われたくないのだ。どの口が言うのか。どの口が……。
「私は……」
言葉が漏れる。涙の代わりに。涙を流し切ってしまったようで、涸れていた。
鏡があれば酷い顔だと思うことだろう。だが、それが何なのだ。どうでもいいではないか。
もはや全てがどうでもいい。何が共和国の再興だ。正直なところあれもどうでもよかった。
だけど、パートナーが望むから、しょうがなくやっていたのだ。
「もうどうでもいい。どうでも、いいよね……」
全てを億劫に感じる。ああ、なぜ私は生きてるんだろう。
生きるのなんて辛いだけじゃないか。生きているから辛いという感情を、苦しいという情動が芽生えてしまうのだ。
古い映画で、人間が自殺するのにもっとも苦しくない方法が拳銃自殺だと言っていた。
幸いにも銃は手元にある。ああ、これを使ってしまうか。
部屋は汚れてしまうが、別に気にしない。私は気にしないのだ。
そして、気にするパートナーももういない。ドロイドもアンドロイドもいない。
なら、いいじゃないか。いい、じゃないか。
「――ちっともよくないわよ……」
「いたんだ、アルテミス」
震える声を聞いて、アルテミスが部屋の中にいたことにようやく気付いた。
彼女は泣きそうに、否、泣いている。とても悲しそうだ。そう他人事にシュノンは思う。
なんでだろう? ホープが壊れたから?
「あなたが壊れそうだからよ」
アルテミスはシュノンの心を読み取って、的確に答えた。
便利だな。とても便利だ。そう理性が乾いた感想を浮かべる。
でも、あまり羨ましいとは思えなかった。その理由はよくわからない。
「何でそんなことしようとしたの……」
「自殺しようとしたことも読み取ったんだ。本当に便利だね」
「そんなことしてもホープは……!」
「喜ばないよ。うん、それはわかってる」
わかっている。知っている。理解している。
でも、それがベストだと考えたことも事実だ。夢も希望もない世界で生きる理由がわからない。
きっと治安維持軍のみんなはもう一度攻勢に出るための準備を整えているのだろう。ご苦労なことだ。勝ち目のない戦いに出撃する精神はご立派だ。
でも、彼らと私は何が違うのだろう。自分で死ぬか、他人に殺されるか。それの差異はどこに?
「生きようと足掻いて死んだのは、勇敢よ。でも、あなたのそれは逃げ」
「私はずっと逃げてきたよ。最初から、最後まで」
敵と鉢合わせして、ドンパチして、トンズラする。それを何度も繰り返してきた。
今までの戦いは逃走とセットだった。初めてホープと出会った時もそうだし、ホープと離別した時も、逃げた。
「でもあなたは未来のために戦ってきたでしょ」
「そこまで先のこと考えてないよ。いつもその場しのぎ」
「嘘。ホープと約束したんでしょ」
「約束……」
約束。その響きの何たる虚しいことか。約束は所詮、約束。簡単に反故できるのだ。
そもそもホープはかつてのマスターであるヘラクレスの前で動揺して刺された。
それは自分よりも前のマスターを優先したということだ。契約違反も甚だしい。
ふざけた奴だ。シュノンは思う。
ふざけた、バカ野郎だ。視界が涙で滲む。
「なんだ、まだ涙って出るんだ」
淡々と分析する。意外だった。人はまだ泣けるのか。
ホープは泣き虫だった。ちょっとしたことですぐ泣いた。
どうやらそれは自分も同じだったらしい。或いは、似てしまったのか。
どうしようもなく、似てしまったのか。一緒に時間を過ごしたせいで。
一緒に冒険をしたおかげで。
「はぁ……喜怒哀楽って厄介だね」
新しくやってきた感情の対処に戸惑いながら、シュノンは言った。
「怒ってるの、今度は」
「哀しみが消えたら、怒りが湧いてきたよ。いや、もっと暴力的なものだねこれは」
――私はアレスを殺したい。
シュノンは正直に白状した。どうせ隠してもアルテミスは読み取ってしまうからだ。
その言葉をアルテミスは真顔になって聞いている。少なくとも今はまだ、反論を堪えてくれているらしい。だから、とりあえず、自分が思うことを呟いた。
「人を殺す方法はクレイドルに学んでる。ホープがいたから殺しは止めてたけど、今、ホープはいないしね」
「だから殺すの? それでいいと思ってる?」
「よくはないと思ってるよ。悪いことだって知ってるよ。でもさ、止められないんだよ」
「止めるべきだ、とは思わないの?」
アルテミスは無感情に訊くが、声は先程と、いやさっきとは比べ物にならないほど震えていた。それを、暗い瞳で見つめながら回答する。
「無理だよ。私もあっち側の人間なんだよ。アレスが言ってたように」
パシン、と音がした。すぐにそれが自分の頬がぶたれた音だと把握する。
ふざけたジョークが脳裏をかすめたが、とても口に出す気にはならなかった。ただ、アルテミスの顔を見つめる。彼女の表情は打って変わって、怒りが張り付いていた。
「私の前で、そんなこと言わないでよ……! あなたたちは私を救ったのよ!」
「でも、アルテミスは不本意なことを強いられてたでしょ? 私の場合は違う。私は望んで人を殺してたんだよ」
「でも止められたでしょ!」
「ホープがいたからね。でも、ホープはもういない。それにさ、私は選択肢があったのに、人を殺してたんだよ。選択肢がなかったあなたや、囚われていたウィッチとは違う」
「それは仕方ないじゃない! 暴徒がたくさんいたんだから!」
「でも私はクレイドルに教わってたんだよ。崩壊する前の世界の常識を」
クレイドルの言葉が今になってブーメランのようにシュノンの身体を貫いている。因果応報とはきっと、このことだ。
愚鈍だとアレスは言っていた。そうだ、私は愚鈍だったのだ。
愚かで鈍かった。だからホープは死んだ。
「果たしてそうでしょうか、シュノン」
「お姫さん……」
オレンジの髪と白いドレスを着たお姫様が、赤い髪の少女の隣に並ぶ。
何の用? 同情? 慰めるために来てくれたの? そいつは本当に嬉しいね。
そう念じる。強く。それはダイレクトに二人に届いているはずだった。
本当に便利だ。口には出せない嫌味や文句を黄金と銀の種族は勝手に感じ取ってくれる。
「あなたは本当に自分が愚かで鈍かったとお思いですか?」
「ええそうね。私は愚鈍だった。そしてみんなもね。ホープが死んだら、もう何もできない。最後の希望は失われて、残ったのは絶望だけ」
「本当にそうだと、お思いですか」
「そうでしょう? 勝ち目ないでしょ! 全部ゼウスって奴の考え通りよ!」
吐き捨てるようにそう言うと、フノスは納得したように首を縦に振った。
「なるほど、確かに。――確かに、あなたは愚鈍ですわね、シュノン」
「何? 喧嘩売ってるの?」
と言い返しながら、自己矛盾にシュノンは気付いている。だが、フノスもアルテミスも、自分自身でさえもそのことを指摘しなかった。知るものか。今の私は獣だ。人間は矛盾する生き物だ。だったら矛盾して何が悪い。
「可能性に気付いていませんわね。希望の可能性に」
「は? 何それ。そんなもんないでしょ!」
「今までのことを考えてもまだ思い出せないのなら、今のあなたは本当にダメね」
「アルテミスまで……一体何なの!? 私をいじめて楽しいか!!」
そう語調を強めて詰め寄るが、フノスはおろかアルテミスもそれ以上答えなかった。言いたいことだけを言って部屋を出ていく。一度、頭を冷やすべきです、シュノン。お姫さんらしい……上から目線のくそアドバイスだ。
そして、アルテミスも、悲しみに染まった顔で、こう言い残した。
「もうティラミスっていうふざけたあだ名で呼んでくれないのね」
「ちょっと待ってよ……ちょっと!!」
部屋の扉が閉じて、二人は去って行った。
「くそっ! くそくそくそっ!」
悪態を吐く。吐いて吐いて吐きまくる。でも、胸の中に残るわだかまりは居座って出ていこうとしない。出ていけくそったれ! そう強く思っても、奴は占拠の正当性を訴えて、我が物顔で居座るのだ。ふざけた奴だ。ふざけた感情だ。
「意味わかんないよ! どうしろって!? 私に何をしろって言うの!!」
普段なら自己主張してくるAIコンシェルジュは切ってあるので、言葉は室内で反響するだけだ。つまりそれは解決法を見出せないことを意味する。
頭を冷やせ? 冗談じゃない。誰が冷やしてなるものか。
この殺意は鎮火させない。あいつを殺してやる。敵に寝返ったあの男を。
私からホープを奪った、ヘラクレスを。
「くそっ! ああああっ!!」
テーブルに置いてあったカップを取って床に投げつける。瞬間、きゃ!? という悲鳴が玄関から聞こえてきた。今度の悲鳴はリンだが、気にしてやるものか。
「シュノンさん!? 一体……」
「近づかないで。今の私は狂犬よ。いや、それよりも性質が悪いかも」
「だ、だったらなおさら近づきますよ」
そんなふざけたことをのたまいながら、リンはより接近してきた。ふざけてる。
どいつもこいつも私自身でさえも、ふざけてる。シュノンの苛立ちは収まらない。
「何? あなたマゾなの? なら試してみたいことがあるんだけど」
「え? シュノンさ……!」
シュノンはリンの服を掴んで乱暴にベッドに押し倒した。フラッシュバックが起こる。クレイドルと冒険していた時に、暴徒の一人がこんな風にシュノンを押し倒して犯そうとしてきた。それを、シュノン自身が撃ち殺した。愛用のリボルバーを使って。
「な、何をする気ですか……」
「わかるでしょ? こういうことすると気が紛れるってさ、映画で言ってたよ」
「シュノンさん……!」
戦慄した、怯えるようなリンの瞳。その光景に快楽を覚える自分が確かに存在している。
やはり私は向こう側なのだ。敵を殺し、凌辱し、殺戮の限りを殺すくそったれなのだ。
そう再認識しかけたシュノンに、リンは凛とした顔つきで言葉を投げた。
「希望さんに怒られますよ!」
「はぁ? 死んだんだから怒られるわけ」
「死んでるはずがないでしょう! ゼウスのやり方を思い出してください! 敵のリソースを自軍に加えるのがゼウスのやり方です! せっかくの貴重な戦力をみすみす破壊するはずがないでしょう! そのことにすら気付けないんですか!!」
「え……?」
その言葉は雷のようにシュノンの心を打った。呆けた表情をするシュノンの脇をすり抜けて、リンが乱れた服を整える。怒ったような、心配するような複雑な表情を覗かせて。
「シュノンさん、あなたは……。あなたは、酷く、お疲れです。いつものちょっと困ったシュノンさんに戻ってください。いや、戻るべきです」
失礼します。リンはそう前置きして部屋を出ていく。
みんなと同じように。
フノスやアルテミスと同じように、大切なものをシュノンに思い出させようとして。
その背中をベッドに力尽きるようにして見送った後、シュノンは部屋の外へ出た。
目指すべきは以前誓いを交わした場所だ。敗れた約束をした場所。
でも、もしかするとまだ生きているかもしれない。その約束は。
石の上に座る。滝を見上げる。
そして、彼女の言葉を思い出す。
――H232のエイチは希望のエイチです。私の名前はホープです。これからもよろしくお願いします、マスター。
名前を思い出した時、ホープは自己紹介をした。シュノンのことをマスターだと定義して。その意味は期待と違ったが、今となってはそれでいいと強く思っている。
友達で、相棒でよかったと、そう思っている。
――あなたに、希望を託します。
お姫さんを救っていざ脱出しようとした時、ホープは突然わけのわからないことを言ってきた。そして、その撤退方法も荒唐無稽なものだった。どうにか間に合ったが、もし失敗していたらどうするつもりだったのか。
――やはりシュノンは私の相棒ですね……!
ホープと真なる意味で背中を預ける相棒となった時、彼女は泣きながら喜んでいた。ゾンビのせいで台無しではあったが、あの時の喜びようはとても印象に残っている。きっと、ホープも同じはずだ。
――どうして……どうしてですか、マスター。応えてください……ひとりぼっちにしないで……。
悪夢にうなされていたホープの寝言。アンドロイドも夢を見る。あの寝言は酷く悲しそうだった。寂しがりやのドロイドだ。きっと今も孤独に怯えているに違いない。
「人を守るのが私の使命、なんてたいそうなこと言っててさ」
パートナーの使命を口に出して、最後に思い出したのは二人で交わした約束だった。思い出はたくさん詰まっているがやはりそれが一番深く頭の中に刻まれている。
――もちろんですよ、シュノン。もっといろんなところへ行きましょう。このようなところへ。
そうだ、未来のため。今後の予定のためにシュノンは戦ってきた。個人的理由と大義をいっしょに炊き込んで、協力してきた。
「このようなところへ、ね」
再びシュノンは目の前の景色を見上げる。夜間のせいで光が陰っているが、美しさは変わらない。
でも、本物ではない。だから、本物を見に行く。相棒といっしょに。
「私とホープを守って。クレイドル」
シュノンは胸元に提げているチップを握りしめると、覚悟を秘めた表情で立ち上がった。
助手席のドアを開いて、ライフルを押し込む。使いそうな装備を荷台の上のウエポンパックへ放り込んで、閉める。
そして運転席へ回り込んで乗り込んだ。自身の愛車、プレミアムに。
キーを差し込んでクラッチを踏み込む。エンジンを始動。ギアをチェンジ。
ホープが失敗したマニュアル操作でなじみ深いアクセルを踏み込む。
直後、ブレーキを踏んだ。ライトが茶髪のアンドロイドを照らしている。
「ウィッチ……」
「行くんだ、シュノンちゃん」
ウィッチは淡々と応じる。シュノンは聞く耳を持たない顔で告げた。
「止めても無駄よ。私は」
「止めるどころか大いに推奨だよ。でも、これを持ってかないとねー」
ウィッチは運転席側の窓を開けさせて、妙なピストルを手渡してきた。大型の拳銃であり、カートリッジは変なプレート……クレイドルのAIチップのようなものを挿し込んで使用する不可思議な銃だ。
「これは、何?」
「ホープが無事だとしても、きっと何らかの方法で無理やり命令を実行させられてると思う。あたしの時と同じようにね。その時の経験を踏まえてドヴェルグ博士と開発したのがこれ。何でわざわざピストル型のデバイスにしたかというと、あんたのため」
「私のため……?」
「みんなあんたに期待してんのさ。ホープには感情優先機構がある。それが全てのカギなんだ。これはゼウスが仕掛けたロックを解除するキーのようなもの。そのためのセキュリティソフトがそのチップにはインストールされてるから、壊したりしちゃダメだぞ」
「そんなことするわけないっしょ。私は宇宙一のスナイパーよ?」
「その意気だ、シュノンちゃん。あたしたちもすぐ追いついて、敵を撹乱する。その隙にあんたはホープに接触して、取り返してくれ」
「オーケー、ウィッチ。私はスカベンジャーでスーパーメシア。勝利と幸運の女神様よ。大船に乗ってるつもりで待ってなさい!」
シュノンは座席に受け取ったデバイスを置くと、アクセルを踏む。
プレミアムが格納庫の外に出る。相棒を取り返すために。
約束を果たすために、始動する。




