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決戦前夜

 治安維持軍の全軍人が一堂に会した大規模なブリーフィングが行われようとしている。どこもかしこも顔見知りばかり。そしてまた、その表情は一様に緊張と期待を混ぜ合わせたものだった。

 その張り詰めた空気に辟易しながらも、しょうがないかと諦める。つい先日自分も似たような状態に陥っていたのだ。


「でも、やっぱり堅苦しい……」

「静かにしなさいよ。ほら。周りを見習いなさい」


 横のアルテミスが諭す。見習おうと目を凝らして入ってきたのはぽやぽやとしているリンだった。その隣のレンとは対照的に、退屈さを滲ませている。あれは手本として実に優れていそうだ。そう思ってシュノンは口を開き、


「リンちゃんはやっぱりマイペースだね」

「リンは例外でしょ」


 アルテミスが難なく突っぱねる。チクショウめ。

 周囲には元ジャンク屋で少佐のアバロや、最初は敵だった凄腕の傭兵チュートン、ちょっと離れたスペースにはエイトが行儀よくお座りをし、フノスはメカコッコやウィッチ、ブリュンヒルドやホープと共に壇上に立っている。ジェームズは完璧な統制力で元来喧しい奇奇怪怪な海賊たちを静かにさせて、ネコキングは派兵した部下のネコミュータントたちと共にミャッハーたちと内容を傾聴している。ヌァザは腕を組んでしっかりと作戦の中身に耳を傾け、隣のアルテミスは言わずもがな。クォレンは宇宙からホログラムでの登場だった。

 ブリーフィングは要約すると敵の本拠地を襲撃し、大量破壊兵器である超電磁砲グングニールを破壊、そして最高神であるゼウスを倒す、という流れのものだ。

 単純だが、敵は今まで悉くこちらの裏を掻いてきた相手。反撃ができるほどには成長しているものの、そう易々と倒すことができるのか?

 いいや、倒せるに決まっている。そう約束したから。それに……。


「私がいればどうにかなっちゃうって。幸運の女神様よ」

「そういうところは見習うべきなのかもね。いいや、前言撤回」

「えー、なしてさ」

「今すっごい鬱陶しいぐらいに目を輝かせたからよ」

「酷いんだからティラミスは」

「正常反応の範囲内」


 ツンとするアルテミス。これでも彼女はだいぶ丸くなった方だが、ウィッチのように言い直せばデレが足りない。

 しかしそれを求めるには、周囲の空気が重すぎた。やれやれ。いつものように肩を竦める。もう少し気楽に行こうぜ。そう言いたくなってしまう。

 ゼウスの相手は気がほんのちょびっとだけ参ってしまうが、それ以外の敵はなんてことないのだ。これは油断ではなく今までの経験と自身の実力を踏まえた客観的事実だ。


「それは主観」

「そうとも言うかも。ってか人の考えを覗き込まないでよ、……なんだっけ? 変態?」

「違うわよ!」

「そこ、静かに」


 大声で言い返したアルテミスの声量を遥かに上回る注意。視線を壇上で移すと、ブリュンヒルドが冷たい視線を注がれておられる。なんてこったい。シュノンは慌てて寝たふり……ならぬ真面目に聞いてたふり。

 隣のアルテミスだけがしゅんとしながらも悔しさを混ぜた表情をしていた。銀の種族の特性なんてものがなくても、彼女がこちらを恨めし気に思ってることは手に取るようにわかるが、口笛を吹いて誤魔化す。


「吹けてないわよ、くそっ」

「シュノン……」


 珍しく勢ぞろいしているアンドロイドの一角、ホープが呆れたように呟く。が、むしろ誇りに思ってほしいところだ、と白々しく思うシュノン。今のやり取りのおかげで軍人たちの緊張がほぐれたのは気のせいではないはずだ。

 遥か千年前の、きちんとした治安維持軍ならばご法度だったかもしれないが、今の軍は寄せ集めの集団だ。だからこそ規則や規範は必要なのだが、それらは人を縛るものではなく人が守るべきもののはずだ、などと言うセリフを映画で見た気がする。


「というわけで、クォレン大佐率いる宇宙軍とあたしが指揮する地上軍の合同作戦、となります。地上にも母艦としてスレイプニールを使用し、敵砲台の注意を引き付けている間に、宇宙軍が大気圏を突入して――」


 ウィッチの説明は続く。作戦としては前回行ったオリュンポスデータベース破壊作戦と骨組みは同じようだが、最初から友軍と連携できるという点と、奇襲を受ける可能性が少ないという点、そして戦場が宇宙ではなく地に足が立つ地上での戦闘という部分が異なっている。

 特に最後はかなりの変化を戦場にもたらす。ふわふわで脳みそがとろけちまうような無重力よりは重力の方がずっといい。地球というゆりかごの中で戦えることがどれだけ素晴らしくありがたいことなのかということを学んだ。

 いや、もし冒険に出るならば宇宙でも構わない、とは思える。が、宇宙戦争はごめんだった。宇宙人が侵略してきたというのなら止むを得まい。しかし、地球人同士の戦いで宇宙で戦うのは嫌だ。


「サンドイッチ、か」


 それはこの作戦を表すと同時に、人々の現状を示している。地球と宇宙、味方と敵、ゼウスとオーディン。世界は二つに分かれていて、人々という具材を挟んでいる。シュノンはオーディンのやり方……治安維持軍が正しいと思っている。それはこの場にいる多くの人間の共通認識だ。中には違う者もいるだろうが、そんな人たちでもゼウスがアウトだということは知っている。

 でも、世界は板挟み……サンドウィッチだ。もし適切な関係に落とし込むことができれば、ふんわりとした食感の美味しいサンドウィッチができる。でも、もし力加減を誤れば具材がはみ出てしまったり、パンが非常に硬くなってしまうだろう。

 それは避けねばならない。やる気が漲ってくる。


「最高のドライビングテクニックを披露するとしますか」


 大方のブリーフィングを聞き終えたシュノンはポケットの携帯端末を取り出した。検索するのはデジタルアーカイブに保存された映画ではない。現在確認されている敵戦力の情報だった。

 その様子を見て、アルテミスがやる気じゃん、と笑顔をみせる。もちろんだとも。

 やる気は満々、絶好調のロケット花火だ。この戦争が終わったら、ホープと共にたくさん冒険するのだから。



 ※※※



 ――敵の考えることは自分のことのようにわかる。現在の敵の戦力では執れる戦略に限りがある。奇をてらった作戦を敵が執るとは考えにくい。そんな方法ではこちらの戦力を突破することは不可能だ。

 ゆえに、こちらの執る戦略も決まっている。


「……」


 アレスは一振りの剣の状態を確かめていた。父親から継承した剣だ。もはや父が何を志し、何のためにその身を犠牲にしたか忘れてしまった。

 だが、それでいいとアレスは考える。過去は無用の長物だ。俺は未来の為に戦うのだ。偽善的な正義を振りかざす愚か者共に鉄槌を下すために生きている。


「学ばぬと言うのなら薙ぎ払うだけだ」


 H232は戦い方は学んだが、肝心であるソフト……思想的な意味では全く学習していない。様々な意思を継承できるはずの器は、一つの考え方に染まり切り、盲目的な観点からしか世情を見ることしかできなくなっている。哀れなレンズだ。曇り、もはや何も見えない。その先に何が待ち受けているのかも、彼女は理解できていないのだ。

 どれだけ愚鈍なのか。そう何度も諭したが、奴らは学ばない。

 だから、絶望的な死が必要だ。

 起動キーにアレスの指先が触れる。

 漆黒のレーザーが空間に表出。それは何人たりとも阻めない無双の一振りだ。

 この剣が斬れなかった相手は二人だけだ。昔は三人だったが、そのうちの一人は抹殺した。

 ひとりは、我らが指導者。神々を司る全知全能の最高神。

 もうひとりは、剣筋を完全に覚えていたパンドラの箱。


「次は避けられん」


 アレスは確信している。次に奴が剣を避けることは有り得ない。漆黒のレーザーサーベルが、奴のはらわたを貫く。いつまでもへばりついて離れないヘラクレスの遺志と共に。

 その時を千年待ちわび続けていた。身体が震える。武者震いだ。


「後少し、後少しだ。早く来い……」


 アレスは告げる。自分自身に。遥か遠くにいる敵に。



 ※※※



 作戦決行の前日は非常に慌ただしかった。単純な準備、というだけでは言い表せない。装備や装置のメンテナンスはもちろんのこと、大切な友人や家族との時間の共有などやるべきことが山積していた。

 チュートンは拾った娘であるレインとゆったりとした時間を過ごし、アバロは平和が訪れたら再開する予定のジャンク屋を無意味に見て回っていた。フノスは思い出の紅茶を嗜みながら死した家族へ思いを馳せて、ミャッハーたちはいつも通りの日常を噛みしめるように味わった。ジェームズは海賊仲間たちとどんちゃん騒ぎをし、ウィッチはキルケーの写真を眺めながら最後の調整を行っている。メカコッコも同様に静かに最後の仕事に着手し、ネコキングは自分と共についてきた民をねぎらう。ヌァザは死んだ友に乾杯し、ブリュンヒルドはシグルズに決意を語りながら新たなるマスターであるアルテミスと共に絆を深める。

 そしてホープもシュノンといっしょに、やるべきこと全てを終わらせた。部屋へと戻り、ホロモニターを起動。そこへずっと秘めていた思い出の画像を出力する。

 ヘラクレスとホープの写真が画面に映し出された。湖のほとりで撮った写真だ。マスターはあまり撮影されるのが好きではなかった。そのため、残っている写真はわずかだ。


「何でホープがベンチに座ってるの?」


 不思議がってシュノンが問う。それは当時のホープも抱いた疑問だった。


「その構図が良かったそうです。恐らく……パンドラと重ね合わせたのでしょう」

「パンドラって……ああ、ホープの育て親?」

「少しニュアンスが違いますが……私の母親とも言うべき存在でしょうか」


 ここに初めて訪れた時、救った子どもに母親はいないと言った。その時のログはまだ残っているが、その認識は間違っていたのかもしれない。

 パンドラは私の母親だ。そして、ヘラクレスは私の父親だ。

 マスターと創造主であると同時に、家族だったのだ。ヘラクレスは私に意志を注ぎ、パンドラは私に身体と心を与えた。それは確かに人工的なやり取りだったのかもしれない。生体のように温かいものではなかったのかもしれない。

 だが、確かに優しかった。どうしようもなく愛おしかった。


「私はあの場所へ……戻りたいのです。きっと、当時のままではないのでしょう。もしかすると湖ですらなくなっているのかもしれない。でも、私は戻りたいのです」


 シュノンと冒険に出た時のことを夢想して、ホープは行き先リストを構築していた。思いのほか、行きたい場所はたくさんあった。どれもこれも、崩壊しているに違いない。

 それでも行きたい。そう思ったからには行かねばなるまい。


「はいこれ」

「これは?」


 覚悟を決めたホープに、シュノンが紙切れを手放した。反射的に放った問いに、シュノンは映画の主人公よろしくやれやれと肩を竦める。これだから古代人は、といつも通りながら感情アルゴリズムを逆なでにする言葉を接続させて。


「地図に決まってるでしょ? 地図がなきゃ行けないよ」

「端末に座標を入力すれば……」

「それじゃ映画っぽくないじゃん」

「現実は映画ではないですよ、シュノン。断言してもいいですが、絶対に後悔しますよ、手書きでは」


 ソナーやレーダー探査を駆使してマップ情報をアップデートした方がいいに決まっている。でも、マニアなマスターはそれを拒否する。遠足を楽しみにする無邪気な子供のように笑いながら。


「だったらその時考えりゃあいいって。でしょ?」

「仕方ないですね、シュノンは。一度だけ、ですよ?」


 ホープはペンを受け取ると丁寧に図を書き始めた。記されるのは過去の模写だ。リアルタイムの情報ではない。百パーセント修正が必要な案件だ。

 だが、これも確かに“味”はある。人は無意味な行為に意味を見出し、幸福を感じる生き物だ。なら、機械と人間の中間に位置する自分がそのことに幸せを見つけ出しても何も問題はないはずだ。


「おお、結構綺麗に書くんだね」

「多目的支援型ですから」

「アーウン、ソウダネー」

「引っかかる発音ですね」

「気のせいだよっと。完成?」


 首肯するや否や、シュノンは手書きの地図をひったくる。宝の地図を見つけた子供のように。実際に彼女にとってその一枚の紙切れは宝の地図なのだ。冒険という名の宝、概念的な目に見えない、曖昧なトレジャー。

 以前、ホープはシュノンをトレジャーハンターなのではないかと誤診断したことがある。スカベンジャーに対する知識も、崩壊した世界の現状も、自身の記憶でさえわからなかった初期バージョンの時に。

 その認識は誤りではなかった、と思う。シュノンは間違いなくトレジャーハンターで、夢を見る少女だった。


「オーケーオーケー! 地図はいいねぇ! 冒険の匂いがする! うふふー!」

「匂いは検出されませんよ、シュノン」


 と検索結果を述べながらも、ホープも匂いを感じている。それはきっと、シュノンが抱いているものと同じ類の匂いだ。

 優しい想いが光となって、二人を包み込む。対人言語に変換する必要性がないほど、ホープは幸福を感じていた。



 ※※※



 まだ夜も明けぬ薄明けの空の下で、ビークルたちは最大限の静穏をシステムで維持しながら行進している。通常状態なら巻き上がるはずの砂埃も最新鋭の車両なら発生しない。進化したレーダーやセンサーは、自然状態の中に起きる不自然さを非常に鋭敏な感度で捕捉する。それを避けるためには、神経質なほどの気遣いが必要だった。

 一方で、皆一様にその行為の無意味さに気付いてもいる、と判定。敵は自然現象を超越した力を使って、こちらの来訪を待ち構えている。例え風一つ……砂粒一つ微動だにしない完璧なステルスを行ったとしても、敵は気付けるのだ。

 その力を敵は有している。少人数であれば試行錯誤を凝らして誤魔化せるが、これほどの大部隊となると不可能だ。

 だが、それでいいとも皆は考えている。囮の役目も兼ねているからだ。


「見つかっちゃ嫌だけど、見つかって欲しくもある。くはーイラつくぐらいのチラチラ作戦だね」

「無駄かもしれなくても全力で行うのが勝利の秘訣ですよ、シュノン」


 勝利者のほとんどは凡人が無駄と切り捨てるものを有用だと信じて有効活用してきた。無駄が無駄になる確率も、無駄ではなくなる確率も大して変わらないのだ。問題なく行使できるのならやれるべきだ。やらないで後悔するよりもやって後悔する方が精神的にずっと楽でもある。やらないと、何かが起こった時に可能性に蝕まれる。それがみんな怖いのだ。

 しかし全てを出し切ってしまえば、可能性に襲われることはない。ただ無理だったという事実だけを直視するだけでいい。それがどれだけ救いをもたらすことか。


「ま、シュノン様は聖母のように慈悲深いから、付き合ったげる」

「それは初耳ですね」

「既耳でしょ。……こんな言葉あったっけ」


 知りませんよ、と答える。データベースを検索すれば一発だが、そこまでの手間をかける理由が見当たらない。有用なのはこの会話であって、本質は言葉の意味ではないのだ。会話自体に意義がある。他愛のない会話自体に。

 シュノンは平然とした様子であり、それは多次元共感機能と、何より自身の心によって精査されている。

 完璧すぎて怖くなってしまうぐらいの状態だ。他ならぬ自分自身に。今やホープはシュノンであり、シュノンはホープだった。それは継承のようであって、シンクロニティである。

 心理的には同一でも、明確に違う得意分野を生かすため、二人はそれぞれ別の位置についている。シュノンはスペシャルと名付けたビークルの運転座席へ。無論、このビークルはタイヤ付きだ。エアカーの操縦をシュノンは忌避した。その訳もホープには容易に想像がつく。シュノンは空を飛ぶ感覚が嫌いなのだ。どれだけ心を通わせても、他人の好き嫌いに干渉できるわけではない。それはまた別次元の話だ。


「後ろはどう?」

「プレミアムよりも断然快適です」


 オンボロトラックに比べて振り落とされる気配のない安定的なそう応じて、シュノンのムッとする顔がレンズ内で独自想起される。どれだけ住みづらくてもホームはホームなのだ。

 崩壊世界の混沌を愛して止まなかったブラッドユニコーンのボスのことが思い浮かぶ。彼は歪んではいたが、いびつなりに世界を愛していた。名前すらわからなかった男は、そのカオスな存在感だけを残して死んだ。

 彼を始末したのはアレスだったのではないか、と今では確信できる。

 放棄されたメトロポリスは、地下基地へ襲撃した占拠部隊の壊滅を経て、再び治安維持軍の手に戻ってきていた。こちらで作戦準備を進めている間、調査員が送り込まれて状態を調査していたのだ。

 そこで転移装置の故障のせいで行方不明になっていたブラッドユニコーンのボスと、アポロンの死亡・破壊が確認された。

 アルテミスはアポロンの死に関してはアレスのせいだと結論付けていた。理由は単純、無能だったからだ。元より人間に対してコンプレックスを抱いていたアンドロイドは欠点があった。一度敗北した神に無様に生を晒す資格はない。

 ――ただひとり、アレスを除いては。ホープだけがアレスの生存を確信し、気付くとそれは治安維持軍の総意となっていた。

 だからこそ謎は尽きない。なぜアレスはアポロンだけでなく暴徒でしかなかったボスを殺したのか。彼としては共和国の愚かさを示す良いサンプルだったはずだ。ホープたちに共和国の愚かさを訴えてきた彼が、なぜ共和国の心理システムを使っても社会適応させられなかったボスを殺したのかがわからない。それではまるで、共和国を擁護するようではないか。


(アレスはもしや、共和国の正しさを知っているのでは?)


 その兆候はいくつもあった。ホープ自身、彼に問うたことがある。しかし質疑応答プログラムに投げられた回答は、どれもゼウスの正しさを肯定するものばかり。

 否、仕方なく。それしか選択肢がないからアレスは彼を支持しているのか? そんな疑問がふと沸き起こる。不思議とホープはアレスに対しても感情移入できていた。シュノンと同じように。

 なぜでしょうか。一つの疑問に次いで新たなる疑問がまた目を覚ます。

 しかしその問いには明確な答えが存在しない。処理のエラーを避けるため、トラブルシューティングは問題そのものをなかったことにする。

 いつの間にかホープは疑問を感じていることすら忘れている。ヘラクレスによって意図的に仕掛けられたロックの影響なのか、エルピスコア……感情優先機構パンドラが原因なのかわからない。忘れることは覚えている。しかし、疑問を感じるというプロセスが存在しない。

 意味不明な状態、そして、その意味不明さを理解しながらも克服できないという、理解不能な状況へと陥ってしまう。そこでシステムは強制終了するのだ。


「ちょっと、聞いてる? 話してんだけど!」

「……ええ、聞いてますよ、はい」


 外部音声を聴覚センサーがキャッチして、またもや思考ルーチンの議題が強制転換された。既にホープは先程の疑問を感じることができない。疑問がそこにあるのは知っている。しかし、機能が働かない。それは一種の脳障害と形容しても致し方ない状態だった。脳障害には脳機能が損なわれているという確定的な理由がある。そこへ至る原因や、破損した部位に差異はあれど。

 それは同時にホープの機能障害にも原因があることを示唆している。しかし、トラブルシューティングやスキャニングシステム、自己診断プログラムでは特定できなかった。周りを見ることに夢中になって、足元にある探し物を見つけることができない人のように。


「あれ、あそこに見えるのがそう?」

「ええ。あれが無縁高地ですよ」


 連なる土と岩で構成された山々たち。そこにグングニールが秘匿され、ゼウスが居を構え、宿敵であるアレスが座して待っている。


「全然無縁じゃないじゃん。縁ありまくりだよ。最高すぎる感じだけど」

「そうですね……」


 その縁は可能であれば断ち切ってしまいたい衝動に駆られるほどに重い。

 そう、だから。だからホープはシュノンと共にその縁を切りに行く。


「絶縁のためにレッツラゴー!」

「はい……!」


 ホープはリディルパックに身を包んで、開戦の合図を待つ。それは、すぐにでも打ち上がるはずだ。



 ※※※



 ヘスティアは画面を眺めていた。周囲には忙しくテスタメントたちが走り回り、配置についている。様々な武装を装備した神との契約者や召使いたちが、それぞれに与えられた役目を果たすために奔走している。

 その姿は実にいい。命令に忠実なのは善いことだ。人々は善くあらなければならない。今この場に接近している悪しき者たちのようになってはならない。


「では、私たちも頑張りましょう。善くあらなければならないのですから」


 ヘスティアは振り向いて、語り掛ける。暗い室内の中で無数の小さな光が点灯した。それは規則的な並び方で佇んでいた。よく観察すれば、それが何百体と揃う赤い双眸であることに気付けるだろう。

 その全てが同じ高さ。身長も同じ、容姿も同じ、そして性能も同一。


「始まりますよ、みなさん……いえ、私たち」


 ヘスティアは微笑を浮かべる。自分自身に、笑いかける。人工的で、とても愛らしい笑顔だった。とても、戦いに赴く者の表情ではないほどに。



 ※※※



「マスター」

「わかっておる」


 アレスの呼びかけにゼウスは応じる。目を見開き、虚空を見つめながら。

 わかっておるのだ。既に敵は来ている。敵は例え無策に等しい突撃でも平気でこなすような蛮勇ぞろいだ。そのような者たちに言葉は無用だ。警句も何の意味もなさない。

 オーディンに鍛えられただけのことはある。我が宿敵、戦場で会いまみえた異質だが同質の存在。

 知恵を持つようで、盲目的な連中だ。ゆえに、死を与えなければならない。

 絶望的な死と恐怖はいずれ希望を駆逐するであろう。そして、そのためののろしはもう上がっているのだ。

 遥か千年も前に。しかし、希望というものが厄介だ。倒せど倒せど、現れる。太陽が必ず昇って来るかの如く。

 だが、明けない夜がないのと同じく、暮れない日もない。太陽はいずれ沈み、世界の本質がそこに浮かび上がるのだ。連中には窒息してもらわなければならない。そのための箱だ。あれには予兆を仕込んである。


「見せかけの希望に縋る愚か者共よ。真実を知るがよい」


 ゼウスは凍てつく笑みを浮かべて、グングニールを起動させた。

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