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「ああ、憂鬱だわ……」


 基地の外、殺風景な荒野が広がる景色を見つめながら、アルテミスは頭を抱えていた。ブリュンヒルドが提示したマスターとしての心得が、量と質の伴う凄まじいものばかりだったせいだ。彼女の注意事項の端々にシグルズの影が見え隠れしている。

 彼がどれだけ堅実でいて、高潔な戦士であって、偉大な英雄だったのかを感じさせる。ブリュンヒルドはシグルズのパートナーとして、その全てを受け継いでいるのだ。多少柔和になったとはいえ、その根本は変わらない。責任を取ると言ってしまった手前、彼女の期待に応えようとはするものの……。


「はぁ……それでも、あの時よりはマシなんだけど」


 運命のくびきから脱し、自由を謳歌してしまった身としては、やはり窮屈に感じてしまう。ゼウスの束縛に晒されていた時とは比べ物にならないほどの好待遇であるのだが、それでもシグルズが背負ってきたものは重く、アルテミスを押し潰そうとしてくる。

 シグルズに成り代わる必要はない。そう頭ではわかっているが、どうしても考えてしまうのだ。彼ほどに信頼されるマスターに自分がなれるのか。自分が自由になることばかりを考えて、みんなに迷惑をかけっぱなしだった自分が。


「はぁ……」


 ため息が漏れる。何度も何度も。それに呼応するようにして吹き抜ける砂塵交じりの風。お尻から伝わる無骨な石の感触が、アルテミスの心色を表しているかのようだった。


「なーにしてんの?」

「げ、ウィッチ……」

「げ? とはお姉さんに向かって失礼だなー。そこは会えてハッピー! って感じじゃない」


 突然視界に入ってきた顔を見て、アルテミスは顔をしかめる。だが、ウィッチは快活に笑ってアルテミスの横に座った。そして、すぐに悩みを言い当ててくる。対人センサーでも使ったのだろうか。


「ブリューちゃんのことでしょ」

「ええ、そうよ。なんていうか……」

「肩がこる」

「そうね。そうかも」

「仕方ないって初めてなんだし。処女なんだしー」

「……その表現の仕方止めてくれない?」

「冗談なんだからキツ目は止めてって。からかいがいがないなぁ」


 そんなことを言われても、そうなるに決まっている、と思う。人造人間ヒューマノイドとはいえ、年頃の娘なのだ。異性との甘酸っぱい出会いどころか、同性のパートナーの扱いに気苦労しているぐらいではあるが。


「はぁ……」


 三度目のため息。と、急にウィッチが天を仰いでしんみりとした表情となった。苦手と言っていた寂しさを混ぜ込んだ顔に。


「でもさ、時間はたくさんあるから」

「……そうね。それはいいところ」

「アンドロイドとマスターの関係性には、明確な答えなんてものが存在しないんだ。マニュアルだったり規範だったりは確かにあるよ。アンドロイドは基本的にマスターの命令を優先しなくちゃいけない。そして、命令を下すマスターは的確な判断をしなくちゃならない。唯一の例外はホープとシュノンだけ」

「でもだからと言ってそっけなく扱うのは違う」

「わかってるじゃん」

「わかってるわよ。だから悩んでるんじゃない」


 振出しに戻る。原初の苦悩がまたやってきて、我が物顔で心の中に不当占拠しようとしてくる。今のアルテミスには不法侵入者を追い出すための法が存在せず、悔しがりながらそいつらを受け入れるしか術がない。

 だが、ウィッチの言わんとしていることはなんとなくわかる。まだ悩める分マシなのだ。悩めないよりは。

 ウィッチのマスターであるキルケーは、アテナに襲撃されて死んでしまった。そしてゼウスは機能不全に陥ったウィッチを回収し、仇であるアテナとして再利用した。

 これがどれだけ非道な行いだったのか、今のアルテミスには理解できる。自分と自分のパートナーを殺した相手に利用され、大切な後輩までも破壊させようとしたとは。


「キルケーとあなたはどうだったの」


 それらを踏まえた上であえて、アルテミスは問う。ウィッチが話したそうにしていたからだ。銀の種族としての能力を使わなくても、想像がついた。


「姉妹、かな」

「姉妹?」

「そ、そ。あたしが姉であの子が妹」

「主従関係が逆転してるわね」

「ま、どちらが上かなんてのは、誰が決めるでもないしね。それに、そういう命令だったから」

「そういう命令?」

「そう、そういう命令。頼りない私を、どうか導いてくださいって」

「それってマスターとしてはどうなの……?」


 思わず口を衝いた疑問に、ウィッチはおかしそうに笑みを浮かべた。懐かしむように。


「そうそう、確かに変だった。びっくりしたけど、あたしはそういう意味では忠実に命令を厳守してたね。ある意味、ブリューちゃんよりもさ」


 その言葉を皮切りに、情報粒子の塊が奔流のように放出される。ウィッチの記録媒体に保存される数々の思い出が、アルテミスの心の中に入り込んできた。

 ウィッチのマスターは、気弱そうな自分よりも年下の少女だった。特異かつ天才的な情報処理能力を買われてプロメテウスエージェントに所属した彼女は、後方支援として数多の任務に就いた。

 その補佐を任されたのが魔女ウィッチ。キルケーは彼女を実の姉のように慕い、まさに仲睦まじい姉妹のような関係性だった。


「戦いなんてできる子じゃなかったんだ。直接戦闘に参加しないことを条件に入隊したんだから当然だ。でも、世界が滅亡する日、あの子は無茶をして、あたしもそれに付き合った」


 で、その結果がこれなわけ。自嘲気味な声でウィッチは言い、ホロデバイスを使ってキルケーとウィッチのツーショット画像をアップロードする。

 幸せそうな笑顔を浮かべていた。はつらつなウィッチが奥手のキルケーを前面へと押し出して、平和の祈りの普遍化であるピースサインをしている。黒髪のキルケーは自信こそなさそうなものの、その不慣れな笑顔の中に、確かに幸福が含まれていた。


「たぶんさ、これは。この関係はさ、やっぱり主従関係としては不適切だと思うよ。でも間違いではないとも思ってる。……あんたとアポロンの関係が最悪極まりなかったことは知ってるけど」

「ええ、そうね。私は最悪なケースを知っている。正しさはわからないけど、間違いについてはわかってる」


 兄妹として隷属的な契約を結んでいた当時と、今目の前に広がるウィッチとキルケーの姉妹画像。比較するまでもなく、どちらがより良いのか、どちらに惹かれるのか判断できる。


「姉妹になる必要はないと思う。でも、私はブリュンヒルドと友達になりたい」

「ならもう簡単だよね」


 ウィッチの言う通りだった。何ら難しいことはない。

 昔の人がそうしてきたように、話し合い、語り合って、距離を詰めていけばいいのだ。例え難儀な相手でも、言葉を重ねれば見えてくるものがある。

 幸いにも自分には特殊能力があるのだ。もしどうしようもない時はその力に頼ればいい。負の面から生まれた力でも、上手く利用すれば善行に利用できる。

 不思議と気が楽になり、占領されていた自分の心が自由を取り戻した。


「ありがとう。早速話してみるわ」

「うんうん、言ってきなー。デレデレしちゃってきなー」

「次、変なこと言うの禁止ね」

「オッケー」


 ウィッチの返事を聞くや否や、そそくさと基地内のブリュンヒルドの元へと駆ける。彼女は義体に装着された代替部品を新品と交換しているはずだ。


「はぁー……羨ましいな……。でもさ、あたしのマスターはやっぱり……」


 意気揚々とした背中を見送った後、青空を見上げながらウィッチは呟いた。死者に語り掛けるように。死者を悼むように。



 ※※※



「解析は順調ですか?」


 フノスはメカコッコのラボへ訪れると、彼に進捗状況を訊ねた。端末で計算していたメカコッコは首をぐるりと動かして、


「もう少し、と言ったところでしょう」

「そうですか」


 端目で自動化されたマニピュレーターがスリープモードのブリュンヒルドのアームを交換するのを見ながら、フノスはモニターを覗き込んだ。座標の特定のために複数の演算システムを同時活用し、別のプログラムが結果の信ぴょう性を診断している。

 時が過ぎれば、いずれ答えも出るだろう。そこについては心配していないが、それでも浮足立ってしまうのは、上手くいけばその戦いで全ての決着がつくからだ。

 敵は可能な限り殺さない。それが治安維持軍の、地球連合共和国の王族としての基本方針ではある。相手に共感し、上手に説得できれば敵を味方へと変換できる。これは容易に可能なことだ。五感だけでなく第六感をコミュニケーションツールとして扱える黄金の種族であれば。

 だが、それが不可能な相手も存在する。そんな例外を、怒りや憎しみ、恨みや復讐ではなく、単に障害となるから排除する。


「話し合いで終わればそれに越したことはないのですがね」

「今のリソースなら、悪感情を問題なく処理できる。かつての共和国時代のように、犯罪者を正規市民へと変容させることも容易。ですが、奴は不可能でしょう」

「わかり合える力を持っているからこそ、絶対にわかり合えないというのも、皮肉ですわね」


 だが、嘆いていてもしょうがない。放置していても敵は襲ってくるのだ。なら正当防衛として適時対処していくしかない。

 だからこそ、足が地につかない。敵との対決が待ち受けているからこそ。


「前回の戦いよりも酷くなるでしょう」

「先日の戦いが総力戦なら、此度の戦いは最終決戦となるでしょうか」


 メカコッコの所見は正しい。ゆえにベストな方法を模索して、死人や怪我人がひとりも出ないような完璧な作戦を何度も模索した。だが、どう足掻いてもそれは不可能なのだ。戦いである以上、誰かしらの負傷者が出て、死が襲ってくる。

 冷たく、悲しいものだ。誰かが死ぬという感覚は。世界が崩壊する間際に自身の中へ入り込んできた市民の叫び声は、フノスの精神をぐちゃぐちゃに掻き混ぜるには十分すぎた。

 結果として、やるべきことがあるという現実に心が救われた。守るべき市民、助けるべき人々がいるという事実がどれほどの救いだったか。


わたくしがやれることを全力ですればいい。それはわかっていますが、どうしてこうも心というものはままならないのでしょうね」

「あなたが心のシステムに疑問を感じるのなら、多くの心理学者はお手上げでしょう。ですが、気持ちはわかります。だからこそ人間は尊く、心というものは難解で、ゆえに美しさを感じるのです」

「人々の心の光は美しい。それを守るために戦う。ふふ、至極単純、でしたわね」

「思い出してくれたようで何よりです。……あなたは優れた力を持っているが、それでもまだ年端のいかない少女だ。時には少女らしく振る舞うことも必要でしょう」

「少女らしく、ですか。ふふ、千年も長生きすると自分が子どもなのか大人なのかわからなくなりますわね」


 自分自身は未熟であり幼稚である。その定義は常に脳裏の片隅に張り付いているが、自分は十七歳である、という年齢については忘却してしまっていた。

 王族に年齢は関係ない。若かろうが老いていようが責務を果たさなければならない。そんな固定観念に囚われて、自分を見失ってしまっていたのかもしれない。


「うふふ、そうですわね。せっかくですから遊んできましょう」

「その方がいい。お父上も王女殿下は責任感が強すぎると案じておりました」

「それは初耳でした。では、存分に少女らしく振る舞ってくるとしましょう」


 フノスは踵を返して、ブリュンヒルドを一瞥。そして、窓の外から中を物言いたげに観察するアルテミスに笑いかけると、目当ての人物のところまで歩き始めた。

 対象は決まっている。美味しい紅茶を淹れてくれるアンドロイドと、礼儀がないからこそ気楽に接せるお調子者のスカベンジャーだ。



 ※※※



 ――心理的エラーを検知。心理メンテナンスを推奨いたします。


 エラーコードに付随して、自身に発生した問題の対象方法がレンズ内のウインドウに表示されるが、その対処コマンドを実行するには周囲の状況が不適切すぎた。人並みに変換するなら、彼女たちは気遣いというものが足りない。圧倒的なコミュニケーション経験の不足であり、対人コミュニケーションマニュアルの一読が必須事項となりえるはずの状態だ。

 しかし、自分の発明品を勝手に使用され困り顔を浮かべている少女はともかく、喜々として他人の持ち物を無断使用する常識のなっていない少女がそのようなマニュアルに目を通すはずもない。さらに感情アルゴリズムを哀とするのは、その人物のプロフィールデータがマスターとなっていることだ。


(感情優先型で本当に良かったと思う日が来るとは……)


 かつては様々な弊害をもたらした感情優先機構が、崩壊世界で目覚めてからというもの、ほぼ確実に恩恵を与えてくれている。戦闘面はもちろん、このような日常面でも。


「止めて、止めてください、シュノンさん!」

「いいじゃんいいじゃん、けちけちすんなって。どうせお暇なんでしょー?」

「ひ、暇じゃありません! お姉ちゃんと面会が終わったので、作りかけのガジェットを完成させようと……」

「それを暇って言うんですぅ。これはなんだーっと」

「あ、そ、それは!」


 ガラクタ箱からシュノンはリモコンを手に取って、軽やかなステップを踏んでリンの手から逃れている。まるで弱い者いじめをしているような状況に嘆息したホープが回収しようとしたところ、


「あ、ボタン押しちった」

「……っ!?」


 身体がフリーズして動かなくなる。いや、電脳は正常に稼働しているので、義体の命令権事態が剥奪されたと推測。


「ありっ? ホープが止まった」

「フリーズストップ君は不用意に押しちゃダメですっ。戦乙女さんの義体をタオルで拭いてあげたくて開発した試作品なので……」

「リンってさ、善意のようで悪意の塊みたいな発明品を量産してるよね」

「え?」

「え? ではありません! 早く解除してください!」


 必死に訴えながら、義体操作権限を取り返そうと苦心する。先程は日常面でも感情優先型が役に立つなどと思考ルーチンを回していたものだが、前言撤退する必要が出てきた。

 こういう時には全く役に立たない。なぜなのかいまいち理由が判然としないが、確実に拒否反応が出るような項目でない限り、感情優先機構が発動しないのだ。


「あれれ? これってさ、もしかして」

「な、なんですその顔は……」


 何かに気付いたらしき、シュノンのしたり顔。その表情はさっきと同じように意地悪げであると同時に、どこかアンドロイドコンプレックスを持った性的犯罪者に近しいものがある。否……嗜虐的と表現するべきか。

 幸いかどうかは不明だが、ホープには彼女が悪しきことを考えていると即座に認識できる。


「いやー、いやーね、ちょっとね、良いことを考えついちゃったかなって」

「それは絶対に良からぬことですので止めて――くはっ、ははははっ!!」


 脇腹の触覚センサーに連続的な反応を検知。指が滑らかに蠢いて、ホワイトスキンに包まれる脇腹を刺激してくる。人間的に言い直せばくすぐりを、シュノンはホープに行っていた。不自然に発生する笑いのコードがホープのフェイスモーションを強制的に笑みのそれへと変更する。


「いいね、いいねいいねこれ! 最高の発明だよ! 一家に一台は欲しいかもしんないね!」

「や、やめっ、やめて、ははっ、あははははっ、ひぃ……」


 息苦しくなる、ということはありえないが、気体循環器が不具合を起こして呼吸のリズムが乱れ始める。義体が弛緩して、気恥ずかしさのサインである赤色に顔が染まる。動作バグによって放出される処理液が目からこぼれだして、言うことを聞かない義体がくねくねとうねった。

 リンはその光景を眺めて息を呑み、


「な、なんていうか背徳的な光景ですね……」

「か、感心してないで止め……くふはっ」

「おりゃー、おりゃりゃりゃりゃ!」


 大声で発信される笑声がリンの部屋の中で反響する。完全防音の室内では、外部に声が漏れることは有り得ずに、ホープの声なき悲鳴が誰かの耳に届くことは有り得ない。

 大音量で笑いながらもこれはまずいのではないかと危機を感じた瞬間に、救世主が部屋に入ってきた。


「何やらにぎやかですわね」

「あれ? お姫さん!」

「ひ、ひひひぃひめさまぁ……」


 音声出力に障害が出て、まともな発声に失敗する。おやおや、とフノスは興味深そうにホープを眺めて、


「お二人の居場所を探して、紅茶を飲みに参りましたのですけれど……」


 そのセリフはホープにとって事態を打開するための天啓のように聞こえた。シュノンの手が止まっている間に、急いで姫様へと呼び掛ける。


「い、いいですね! 拘束を解いてさえくれればすぐにでも」

「でも、面白そうですし、少しだけ遊んでからにしましょうか」

「っ!?」


 希望とは、こうも簡単に絶望へと成り代わってしまうものなのか。

 真っ青に染まったホープのフェイスカラーは即座に赤色へと戻る。苦しそうな笑い声をセットにして。

 ぽかんとするリンを後目に、シュノンとフノスはホープの義体をじっくりたっぷり堪能した。あらゆる触覚センサーが刺激されて、意図しない笑声が強制出力される。身体がうねり、エラーコードがウインドウを満たし、不要な処理液が止まらない。


「あひっ、ひっ、ひめっ、しゅ、シュノ、おねが、い、ですっ、からぁ!」

「やばいこれ超楽しい! 最高! ふは、はは! 無抵抗の相手を蹂躙するのがこれほどにも楽しいなんて!」

「貴重な体験ですね。これも平民が行うスキンシップというものでしょうか」


 姫様は珍しくまばゆいばかりの笑顔をみせて、子どものように無邪気に楽しんでおられた。もし、状況が状況でないのならこちらにも自然と笑みが伝播してしまいそうな可愛らしい笑顔だ。


「そ、そんなわ、くはっ、くふ、ふひ、う、うぅぅぅぅ!!」


 地獄はシュノンの飽きたという一言が放たれるまで続いた。




「…………」

「やー、ごめん。ちょっと調子に乗ったのは事実だからさ、ね? 大目に見てよ」


 ごめんなさいポーズをしながら、シュノンは平然とのたまう。ウインクまでついていた。姫様の眼前であるため露骨な説教は避けるものの、アイカメラのフォーカスだけはナイフのように鋭くしていた。


「では、早速お願いできますか、ホープ」

「……ええ……」


 ソファーに腰を落としたフノスはいつものように紅茶を注文してくる。少々納得いかない部分があるものの、きちんと三人分の紅茶の準備に取り掛かった。

 既にマーズティーは注文してあるので、美味しい紅茶の淹れ方マニュアルに沿って行動パターンをコピー&ペーストするだけでいい。いつもなら自身の判断でちゃんと手順を守って淹れるのだが、今の状態ではそこまでの気力が湧かなかった。これもまた感情優先型ゆえの欠点であり融通だ。

 手際よく紅茶の注がれたカップを手に持ってそれぞれの目の前に並べる。姫様、リン、そして……自分。


「え? あれ? 私の分は?」

「はて、何のことでしょう。シュノンには見えませんか?」


 ソファーに座るシュノンの横に腰を落として、自分の分である紅茶を吟味。味覚センサーはいつもの通りの味だと報告してきた。フノス姫も微笑を湛えて好物である紅茶を嗜み、リンもその味を懐かしむように味わっている。状況が呑み込めずきょとんとしているのはシュノンだけだ。


「え? や、私だけ仲間はずれとか……」

「目の前にあるでしょう。清く正しいものしか見えないカップが」

「……おっと? 視覚センサーとやらに重大な欠陥ですかい? 大統領」


 飄々と茶化すシュノンだが、姫様の言葉に混乱ポイントが数量加味される。


「見えませんの? シュノン」

「いや、いやいや。お姫さんまで何を――」

「わ、私にも……見えます? よ?」


 リンも話半分といった様子で同調する。大方、姫様が情報粒子のネットワークを使って指示を出したのだろう。

 あれ? へ? ん? とシュノンは何もない空間をすかすかと手を振っている。しかし、机の上には何もないので手が透明なカップに触れるなどありえない。

 だが、シュノンは光学迷彩というものを知っている。なので、ここまで来るとマジで存在していらっしゃるのか? などと勝手に勘違いしているのだ。

 その滑稽な姿を紅茶を啜りながら見て、ふ、と笑みを浮かべる。その笑顔は先程の暴挙を行った時点のシュノンの顔ととてもよく酷似していた。


「え? ない……いや、ある? ん? や、やっぱりない……」

「あまり乱暴に手を振るとこぼしますよ」

「嘘? え? いや、ホープ? 嘘ついてない? さっきの仕返しをしてるんじゃあ」

「まさか。私は嘘などつきませんよ」

「ちょいとカップを口元から離せや」

「嫌です。紅茶を飲んでますから」


 つーんと視線を逸らしながら、カップの紅茶をちびちびと消費していく。嘘が得意ではないという結論は当の昔に出ているので、顔を合わせるのは避ける。表情でばれてしまうのなら、その表情を隠せばいい。至極単純な理論であり、根本的な問題解決には至らないが、当座をしのぐことは十分に可能。

 ……と思われたが、シュノンが身を乗り出してきて状況が一変する。


「シュノ……こ、こふっ!?」

「んなじっくり味わってねーで一気に飲んじまえ! そら、そらそらそらぁ!」

「んぐ……く、ふっ!!」


 シュノンは強引にカップの角度を変えて、ホープの口の中へ紅茶を無理やり押し込んだ。紅茶の一気飲みなど風味を損なう最悪の行為だが、シュノンにはそんな知識も心遣いもありはしない。

 大量に紅茶を飲んでしまい、消化器官とは別のところに紅茶が侵入。ごほごほと咽て本来あるべき回路へと紅茶を戻して、循環のために息を急速に荒くしながら前のめりになる。そこへ図々しく顔をのぞかせるシュノン。


「どれどれ……? ん? よくわかんないよ」

「何するんですか! 人間だったら窒息の可能性が……」

「やーでも、ホープは人間じゃないし。アンドロイドですし? これも信頼の表れって奴ですことよ」

「シュノン……!」


 確かに嘘を吐いたが、それはさっきの所業に対する仕返しであり、今回の暴挙でまたシュノンはホープより一歩リードした。悪行という項目において。

 恨めし気なフォーカスでシュノンを睨み付けるホープは、あれ? 怒った? と後ろ髪を掻くシュノンと目を合わせて、


「うふふふっ。本当に仲がよろしいんですわね」


 という姫様の笑い声で顔を上げる。王族らしい上品な笑い方ではあるものの、その笑顔の中には年相応の少女らしいあどけなさと純粋さが含まれている。


「良いと思えますか? 姫様」

「ええ、とても」


 フノスの即答に、ホープは苦笑を浮かべる。

 確かにシュノンとの関係は鬱陶しく、最悪で、心理状態に悪影響を与える。

 そして素晴らしく、最高で、心理的好影響を付加してくるのだ。


「そりゃあ超仲いいって。ね? 怒ったりもしないもんねー」

「いえ、怒りはしますよ、シュノン。いくら嘘を吐いたとはいえ……」

「ほらやっぱり嘘ついてんじゃん! じゃあノーカウントでしょ?」

「さっきのでカウントが増えましたよ!」


 と言い返しながらも、フェイスモーションは笑みをキープしている。

 いつの間にかレンズ内に表示されるエラーコードは消えていた。


 ――心理的エラーの解消を確認。心理状態は良好です。

 現在確認されている不安要素による感情アルゴリズムの乱れが復旧されました。


「全く……本当にあなたという人は」


 ――本当に、無意識のうちに私に力を与えてくれる。


「え? 何? 私が最高に素晴らしい英雄様だって?」

「そんなことは言ってませんよ!」


 ホープは強く反論しながらも、内側で安堵していた。アレスと最後に交戦してからずっと心を蝕んでいた不安因子が、どこかへと流れて消えていく。不調だったサイコメトリックスが好調に変わったのは間違いなくシュノンが原因であり、だからこそホープはシュノンがマスターで良かったと、そう思ってしまうのだ。



 ※※※



 自分用の部屋で、熱心に作業を続ける。寝室で日課の“行為”を忘れてしまうほどの熱中ぶりだった。


「ふんふーふーん」

「楽しそうですね、お姉様」

「そりゃそうよ。敵のことを考えると胸がときめいてときめいて、きゅんきゅうしちゃう」


 乙女のように笑いながら、アプロディアは準備をしていた。恋人とデートに行くかのような熱狂を帯びながら、手元に置かれる数多の武器の手入れを行う。その様子をヘスティアが後ろから見守っている。


「どうしよう。何を使おうかな」

「自分の手になじむものをお選びに……」

「いやそれだとさー、卑猥な感じに」

「禁止です。禁止ですよ、お姉様」


 ヘスティアの窘めに、アプロディアは失態を誤魔化すかのように笑う。


「そうだよねぇ。使うのは捕まえてからだよねぇ」

「お姉様……」

「でもさ、誰を捕まえるのか、誰と戦うのか微妙なんだよねぇ。そもそも戦えるのかどうかすらわからないし」

「しかし、お父様は準備せよと」

「準備はあくまで準備じゃない? 準備したからって絶対にできるとは限らないし。デートすっぽかされたらそれでしまいだからねぇ」


 もっとも、そこまで不義理な相手ではない。相手はこちらにぞっこんなのだ。絶対にこちらに向かってきて、楽しい楽しい殺し合い(デート)が幕を開ける。

 だが、上手く事態が運んで戦えるとしても、誰と戦えるかはわからないのだ。一番の望みはホープだが、彼女は恐らくアレスと戦うだろう。

 だから、誰と戦うのか、誰と一夜を共にするのか考えなければならない。相手によって武装は変わる。身体の相性が変わるように武器の相性も変わるのだ。


「私は戦闘タイプじゃないからねぇ……うふふ」


 机に並べた写真立てに目を移す。プリントアウトした標的の写真が、レトロチックな入れ物に並べられていた。白の印象を与えるアンドロイドに、灰色の髪の少女、オレンジ色のお姫様、茶髪の情報支援型、海賊風の金髪男、青い髪のエージェントに、赤い髪のヒューマノイド……取り留めてピックアップできたのはこれくらいだが、凄腕は他にもいるだろう。

 H232の次に一押しなのはシュノンという名の少女だが、彼女とまともに戦えるかどうか。だが、一番楽しそうなのは間違いない。H232よりも。彼女からは同じ匂いがするのだ。


「本当は人殺し大好きなのに無理しちゃってぇ。私がそのうちに秘める欲望を解放してあげちゃう。うふふふ」


 ――ああ、楽しい。興奮が止まらない。リクエストはあるが、この際誰でもいい。私を愉しませてくれ。欲求不満なこの身体を、存分に満たしてくれ。


「楽しみですね、お姉様」


 ヘスティアは語り掛け、満足そうに微笑む。遠足に向かう子どもを嬉しそうに眺める母親のように。人工的で平常な笑顔を、異常な行為を続ける対象に向けている。

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