パートナー
メカコッコは黙々と端末を操作していた。モニターに映るデータは地上から観測したものだ。
そこへ、宇宙から測定したデータを混ぜ合わせる。ゼウスによる基地襲撃は予想外だったが、予定通りデータを収集できた。後方支援担当としてこれほど安息を感じることはない。
(いくつか修正しなければならない点が散見されるが、時期に解明できるだろう)
ウィッチは今、合流した治安維持軍残党をまとめ上げている。彼女が戻ってくれば作業効率はより向上するはずだ。
作戦の成否がこのデータにかかっている。ゆえに全身全霊を注いで精査し、確実に座標を特定する。
「伊達に年を食った老人ではないよ、私は」
気負いながら、演算を続ける。死んでいった仲間たちと視線に身を投じる友軍に最大限の支援をするために。
「私は確かにチキンだが、彼女たちは違うぞ、ゼウス」
自分たちが築き上げたものを一瞬の後に破壊したゼウスへと語り掛ける。
ニワトリドロイドから、ドロイド工学の革新者とまで言わしめた科学者の顔を覗かせて。
※※※
ホープたちがリブートしたブリュンヒルドと再会を喜んでいる間に、基地へスレイプニールが帰還した反応が検知され、ホープとシュノン、ブリュンヒルドは格納庫へと移動した。
スレイプニールの他に姉妹艦であるグルファクシも停泊している。艦隊の数が少ないのは、ウィッチによる戦術的判断だろうと推測できた。
「……レンが負傷したのですか」
担架で運ばれるレンを見て、感情表出の薄いブリュンヒルドが目を見開く。その担架をリンが声を掛けながら追い、ホープの感情アルゴリズムを哀が占めた。
「すみません、私がいながら」
「責めてはいません。逆方向にいたのでしょう」
ブリュンヒルドは淡々と告げる。彼女は元々対応不可能な問題について責め立てることはしない性格だったが、それでも温和な印象を受ける。人物データベースと比較し、差異を検出。
ブリュンヒルドは何かが変わったのだ。その原因と思しき少女が、スレイプニールから降りてくる。
「ブリュンヒルド!?」
「アルテミス」
アルテミスはブリュンヒルドの復帰にわかりやすく驚いた。まだスリープモードだと思っていたのだろう。通信アンテナが破壊された影響でスレイプニールと連絡をとれていなかったらしいので、その驚きは必然である。
彼女はブリュンヒルドに駆け寄って、少し顔を赤らめる。
「別に……嬉しくは……あるけど」
「いや誤魔化すのは流石に無理っしょ。ティラミスはバ……はぐっ!」
よい雰囲気をいつもの調子で台無しにしようとしたシュノンの口をホープは塞ぐ。はむむ、はむむむはむぐは! なんとなく言葉の意味を解析できる自分がこの時ばかりは微妙になる。
「あなたの呼びかけで私は覚醒できました。いくつか理由は考えられます」
「それって……まさか」
「あなたが特別な存在であり、そのために私の心理光にあなたの声が届いた、などというロマンチックな非科学的理論のおかげとは考えにくいですね」
「う……」
ホープも似たようなことを考えていたので、背中が少しだけ冷却される。アンドロイドとしては最適解なのかもしれないが、ブリュンヒルドはリアリストすぎる。そう思考から情報コードを編み出した瞬間、ブリュンヒルドは真逆の言葉を放出した。
「とは言え、今回の件については過程よりも結果が重要視されます。どんな理論でも構わないでしょう。例え、それが荒唐無稽で、理論がかけらも存在しなくとも」
「別に、私はどれでも……」
「だから、私もどれでも構わないと言っているのです」
奇妙なやり取りだった。どちらも素直ではない心理動作をしているので、要領を得ているような、そうでないようなふんわりとした地に足のつかない会話が続く。
そこへ一石を投じたのが、こういう場の対応が得意なウィッチだった。
「デレだねー。デレッデレだねー」
「違う!」「違います」
脊髄反射で応じるアルテミスとブリュンヒルド。外部観測からでも十分なシンクロニティ数値が計測できる。記憶データから今までの二人の関係を推察してみても、間違いなく相性はいいだろう。
その光景を喜ばしく思いながら、ふと初めてマスターと出会った時を回帰する。
初めてマスターと邂逅した時は戦場の真ん中だった。覚醒プロセスを終えた直後に、パートナー不在の状態でマスターが出撃したとドヴェルグ博士から報告を受け、あらかじめインプットされていた行動規範や戦術マニュアルに従い後を追ったのだ。
そして、因縁深い相手であるアレスを二人で撃破した。……その時のマスターの顔は、驚きと悲しみに満ちていたことを覚えている。
その後からだ。マスターからあらゆる追加命令が下されたのは。そのコマンドのどれもホープは正しいと考えているし、トラブルシューティングも問題を発見できてはいない。
だが、感情優先機構がどこかで、何かに反発していたように感じるのは確かだ。心が訴えていた。何かを。私の中にいる何かが、何かを変だと糾弾していた。
「ぷはっ! ちょっとホープ! 私を殺す気――……ホープ?」
「ヒルドさんが少し羨ましいかもしれません。先輩も」
「……もしかしなくても私に不満があるってことでよろしい?」
ホープの言葉を誤解したシュノンが見返してくる。釈明を送信。
「いえ、そんなことは。ですが……どうしてこうもうまくいかないのかと、少しだけ後悔してしまうことはあります。反省に意味はあれど、後悔には何の意味もないと知識はあるのに」
「……何が? 何のこと?」
「それがわかれば苦労しないのですが」
「やっぱりバカにしてんじゃないの? 悩んだってしょうがないって。過去は変えられないんだしさ。……そういや未来ってタイムマシンってなかったの?」
ぼそっと漏らしたシュノンの期待は、ブリュンヒルドの呆れ声とウィッチのからかいによって無残に撃ち落されることになる。言葉のマシンガンに晒されて苦虫を噛み潰したような表情になるシュノンを、アルテミスがくすくすと笑う。ざまあみなさい、という今までの恨みを込めた言葉を含んで。
タイムマシンは共和国時代にも発明されなかった。ワープドライブを上手く転用すれば時間の超越すらも可能なのではないかと模索した科学者は数知れなかったが、それでもあらゆる問題が邪魔をして開発には至らなかった。
だが、もしタイムマシンがあったのならば。ホープは考えてしまう。
ずっと感じていた……確信していた違和感をマスターにぶつけることもできたのではないか、と。
「私は……創造主の……パンドラの代わりだったのですか?」
誰も教えてくれなかったが、ホープはすぐに勘付いた。そして、確信した。マスターとパンドラは特別な絆で繋がっていたのだ。
愛があった。愛していた。パンドラはある目的のために自分を想像したのではないか、と思ってしまうぐらいには。
パンドラは自分にマスターを守って欲しかったのだ。それは覚醒した瞬間に体に染み付いていた願いであり希望だった。
だが、マスターを救うどころか、自身がマスターに守られてしまった。
それで良かったのか……わからない。シュノンと共に過ごすことが嫌なのではない。
だが、もし。もしマスターを救うことができていたのなら……。
「あなたが何を思っててもさ、私にはあなたが必要だから」
「……シュノン?」
シュノンは顔をそらしながら意外なことを口走った。そして、照れ隠しのようにホープの背中へ回ると両手で押し始める。
「ティラミスたちにあてられただけ! 当面はしばらくゆっくりできるんでしょ! ちゃっちゃとカエルを食いに行こう!」
「そうですね。カエルは遠慮したいですが……」
苦り切ったフェイスモーションに笑みを添えて、ホープは格納庫の外へ出る。
可能性がどうであれ、現在は現在だ。それはアンドロイドでなくとも平然と割り切れる事項である。ここにいる皆がタイムマシンがあれば、と考えたこともあるだろう。過去をやり直せるのなら、崩壊する前の世界を取り戻したいと。
しかし、そんなことを考えてもしょうがない。我儘を言う自分の心を統制すると、ホープは自分とマスター用の部屋へと移動していった。
※※※
「まぁ、確かに忌々しくはあるよねぇ。死人のくせにいつまでもうだうだと」
養成プラントを眺めながら、アプロディアはヘスティアに呼び掛けた。突然吐かれた愚痴が、先日の失言について言及したものであると気付くのに、だいぶ時間がかかった。
ハッとして、ごめんなさい、と告げる。謝るべきことは何度でも、きちんと謝る。それがヘスティアの性格だ。そう調律されている。そして、そのことに幸福を感じてもいる。
首を千切ったことで多少なりとも機嫌は緩和されているだろうが、だからとて謝るべき時は謝った方が良い。奥手だから、というよりも生じた性格が原因だ。
「なんであんな能無しに、あれほど強い男が惹かれるのか全くわからない。まぁ、そういう風にプログラミングされてたからしょうがないけどさ。……無自覚って怖いよね。自分が愛だと思ったものが、実はそうするように仕向けられたプログラムだったとかさー」
「珍しいタイプでしたからね。アルテミスとは真逆でした」
「本気で世界を救う気だったんでしょー? で、結局、愛情込めて作ったシステムも、実は情報を入れるためにあの方が用意させた箱でしかなかった。箱は箱で、自分の意志で自分が何かをなしていると誤解している。ちょっと調子に乗ってて、可哀想になるよ。折れるって決まってるのにさ」
アプロディアは人間によっては妖艶と感じるような笑みをみせる。そういったコードは恥ずかしいと感じるのでヘスティアの表情がレッドカラーとなった。コード反応を転化させるために、周囲のプラントへと目を凝らす。
プラント……人工養育器が並列される施設では、数多の命が蠢いている。ポセイドンの遺産や、ゼウス様直々の研究成果、故人であるヘパイトスの置き土産など、様々な生命体が入ったカプセルが鎮座していた。
アプロディアはそのカプセルの中身を一つ一つ確かめながら、目当ての個体を探している。誰を探しているのだろうとヘスティアは質問したい衝動に駆られたが、謹んで止めた。今のお姉様は殺気立っている。近く現れる敵を想起して興奮なされているのだ。性欲を伴う淫靡なものではなく、血潮に塗れる残虐的なもので。
「でも、ああやって、少し小生意気なぐらいがとても、そそる。私を愉しませてくれる。いいよねぇ、ああいう笑顔ってさ。ぶち壊したくなる顔ってあるよねぇ?」
「私にはわかりかねますよ……あ」
「気付いた? ヘスティア」
アプロディアが妹に得意げになる姉のような顔をする。年代的には自分の方が姉なのだが、そんな些細なことをヘスティアは気にしない。仕えるべき存在の希望に沿ってチューニングされるのが自分だ。自分には明確な自分がない。あるのは器だけ。
それを知りながらもヘスティアは、目の前に浮かぶ人造人間体よりも自我を持っていると自覚できた。
「被検体P232ですか」
「そう。コレ、使わないのにいつまでも放置してあるんだよね」
裸の女性がカプセルの培養液の中に浮かんでいる。いくら女性の裸の画像が受信されたとしても、ヘスティアの頬は紅潮しない。これは性的なコードとは別のものだ。
これに性欲をそそられるのは一部の特殊性癖でもない限り難しいだろう。それほどまでにこの被検体には生気がなかった。生きていなければ死んでもいない。生死が曖昧な状態だ。
「兵器として運用するのですか? お姉様」
「そんなことしたって意味ないよ、コレ。元々戦闘用じゃないし、かといって密偵にするにも敵の位置は割れている。そもそも敵はこっちに来るだろうし」
「では、一体……?」
「こうするんだって。このやり方が、一番有用でしょ」
アプロディアはおもむろにコンパクトサブマシンガンを取り出すと、被検体のカプセルに向かって乱射した。生ける屍が本物の死体に変わっていく。綺麗に整った白い肌には無数の穴が開いて、慎ましやかな胸にも銃創ができる。溢れ出る培養液とともに大量の血がこぼれだし、人工床を濡らした。健康的な黒髪にも、血がべとりとくっついている。返り血がこちらに飛んでくるほど、アプロディアは乱雑に引き金を引いた。
「ひゃ、汚れてしまいましたよう」
「えへ、へへへっ。気持ちいい……快感だね……」
嬉しそうに笑うアプロディア。その健やかな笑顔につられてヘスティアも嬉しくなる。姉のように言えば、快楽を感じるのだ。誰かに奉仕することにヘスティアは喜びを見出す。
笑う二神の前で、神造人間は自我を注ぎ込まれることもなく斃れていた。生きることすら許されなかった人もどきは、神々の娯楽に付き合い使い捨てられるのみ。
これがオリュンポス十二神。ゼウスのやり方だった。そしてそれをヘスティアは受け入れる。何の違和感を感じることもなく。
※※※
「よっしよっし。健康的なカエルをゲットっとぉ」
秘密基地があるご近所にも、カエルは生息している。カエルは地球上に存在し、どこにでも愉快な鳴き声を聞かせてくれる素敵な生き物だ。水がなくても生きられるし、毒がある個体もいない。突然変異が引き起こした奇跡だとメカコッコは説明していた。
シュノンはその愛すべき生き物をたくさん抱えて、施設内を歩き回っている。様々な視線がこちらに注がれてきた。羨望の眼差し、好奇な目線、そしてひぃっ!? という悲鳴を混ぜて手に持っていた花束を落としそうになった情けない瞳。
「リン? 何してんの?」
「こ、こっちのセリフですよ! カエルさんをどうする気ですか!?」
リンは血の気の引いた表情で叫んでいる。やれやれ、これだから……宇宙人? は。
「いやいや、カエルつったらカエル焼きでしょ。ここ、テストにも出るから」
「そんな荒唐無稽なテストなんてありませんよっ!」
「ってかさ、お見舞いに行くんじゃないの? お姉さんの」
「あ、や、そうでした。……本当に食べるんですか?」
「おすそわけする? ほら」
「ひぃい!! いりませんいりません!!」
乙女チックな反応をして、リンはメディカルセンターへと駆けていく。
なぜどいつもこいつも悲鳴を上げるのだろう? カエルはワールドスタンダードなのに。その背姿を首を傾げながら見送った後、シュノンはショップへと立ち寄った。
「こんちわー」
「こんにちは、お姉ちゃん」
「あ、少女じゃん。お久しぶり」
売店の店員は、海賊船で出会ったアンだった。なかなかやり手の少女で、ホープの嘘発見スキャナーを突破したこともある名俳優だ。彼女をスカウトすることができれば、きっと素晴らしい映画を撮影することができるだろう。もちろん、主役は自分だが。
「少女じゃなくてアンだよ。覚えてよ」
「覚えているからこその少女だって。お、第二少女発見」
「私はメアリーだよ。海賊のアンとメアリーって覚えてね?」
「オーケー、第二少女……」
ダメだこりゃ、とアンとメアリーが目を合わせて肩を竦める。やれやれはシュノンのみに許された特権だというのに。
まぁ、やれやれ使用権の争奪戦をする気はなかったので、今回は見逃してやることにする。シュノンは店のラインナップを一通り眺めて、砂漠の海の名産品であるイモムシの生肉が売られていることに気付いた。容姿はホープがフリーズするほど苦手だが、味は格別だと太鼓判を押していたほどの代物。
優しい優しい私様が、お土産として買って行ってやろう。シュノンはポケットに手を突っ込んで、売れそうなジャンクパーツを取り出す。
「ほい、こいつで物々交換」
「えー?」
少女が不満そうな声を漏らす。砂漠の海は元エナジー生産工場だったこともあり、そういう機械類のパーツが豊富だ。ポウ族というよくわからない一族を彼らが仲間に迎えたこともあり、部品を基地に納品しているとも聞いている。
「ダメ? なかなかの上物なんだけど。プロのスカベンジャーの目利きに間違いないって」
「でもさー、似たようなのいっぱい砂漠にはあるんだよ? ね、メアリーちゃん」
「うんうん。やっぱり珍しいものじゃないと、そう簡単には交換できないよねー」
「くそ、したたかな子どもさんのことで。どうすっかなー」
と、ふと思い立って手元にあるカエルを差し出す。これはどう? と訊ねるとリンのような可愛げのある悲鳴など一ミリも出すことなく、二人は手に取ってカエルを観察し始める。
砂漠にもカエルはいるらしいが、生息域が異なっていれば味も変わる。カエル通の常識であり、それはつまり世界であり宇宙の常識だ。ワールドワイドならぬスペースワイドだ。きっとモノホンの神様だって、カエルグルメには精通しているだろう。
「んー、結構良さそう」
「だよねー。なかなか美味しそう」
「でしょー? 少女たちわかってるぅ! お目が高い! お目が高いよ! 高すぎて軌道エレベーターなみだよ!」
それがどれくらい高いのかはさっぱりわからないが。
シュノン得意のおだてスマッシュはクリーンヒットしたようで、少女たちはカエルとイモムシの物々交換を了承してくれた。そんなに大量に仕入れるつもりはなかったので、数体のカエルを派遣して、イモムシを招集。ああ、達者で生きてくれ。もうお亡くなりになってるけど。
「哀れなカエルたちよ、敵地でも生き長らえるのだぞ……」
「何言ってんのお姉ちゃん?」
「んじゃ、そういうことで。またね」
「まいどありー。ばいばーい」「今度は名前覚えてよねー」
海賊少女たちと別れて、今度こそお家へとご帰還する。
ドアの前に立つと自動で勝手に扉が開いて、身体が心地よいと感じる環境温度にオート設定される。きっと昔の人間は絶対にダメ人間だったに違いない、と憶測しながら廊下を進むと、ホープのうめき声が聞こえてきた。
「ダメ……ダメです……」
「エイトが来てたっけ? ホープ……ホープ?」
リビングに入ると、ソファーでホープが横になっていた。エイトにビビっていたわけではなく、どうやら寝言らしい。変なドロイド、と思いながらキッチンに食材を並べる。
宇宙ではほんのちょっぴりだがホープが活躍してくれたので、今回はごちそうフルコースを振る舞ってやることにする。まな板の上にカエルやイモムシを並べて下ごしらえした後にフライパンに並べて……。
「待ってくだ……行かないで……」
「どんな夢見てんの? 私がいなくなって寂しいとか――」
「置いて行かないで、マスター……私はまだ、戦えます……」
「……」
掴んだ包丁をカウンターの上へ戻す。不思議だった。自分とホープはリンクしている。性格は反対と言って差し支えないのに、同じ痛みを抱えているのだ。
「開けてください……開けて……あなたをひとりには……」
「置いてく奴ってさ、こっちのことなんも考えてないよねー」
独り言を吐いて、嘘だ、と即座に否定する。頭ではわかっている。クレイドルは自分のためにその身を犠牲にしたのだ。ホープのマスター、ヘラクレスだって、ホープのことを第一に考えて、彼女をカプセルに閉じ込めたに違いない。崩壊した世界で人々を導け、なんてカッコいいことを言っていたようだが、別の想いもあったのだろう。
知る前は変だと思っていた。機械が人間を愛し、人間が機械を愛するなんて。
だが、もう知っている。学んでいる。それがどれだけ普通のことで、それがどれだけ美しいもので、それがどれだけ悲しみを生んでしまうのか。
「全くさ……もっと、もっと、本当は……」
どうしたかったのなんて、考えるまでもない。もっと、もっといっしょにいたかったのだ。面倒だしうるさいし、いちいち人のやることに文句をつけるような、鬱陶しいドロイドでも。
最高のパートナーであり、家族であったのは間違いなかったのだから。
「タイムマシンか……あれば」
あったのなら、クレイドルを死なさずに済んだのだろうか。
そう考えて、首を振る。あの生真面目なドロイドのことだ。どうせ、タイムパラドックスがどうとか言って拒否したに違いない。過去を不用意に変えて、未来のあなたに何かあったらどうするのですか。窘める言葉が容易に想像がつく。
「本当に積んでなかったの? 心を。私には心があったように思えるよ」
希薄だが、確かに愛を持っていたクレイドルの顔を思い浮かべる。だが、彼女は即答するだろう。自分は養育用ドロイドだと。
シュノンは懐かしむように首からぶら下げているAIチップを握りしめる。
「よし、驚かせてやるか!」
そうして、キッチンへと戻っていった。今の自分が思いつく最高の料理をホープに振る舞ってやるために。
「どうして……どうしてですか、マスター。応えてください……ひとりぼっちにしないで……」
泣きながらホープは誰かに訴えている。包丁で巨大イモムシの生肉をカットしながら、シュノンは心の中で思う。
代わりにはなれない。私は私であって、ヘラクレスではない。
でも支えにはなれる。彼女が自分の拠り所になっているように。
「クレイドルに会えないのは寂しいけど、あなたのおかげで私は……人らしくなれたと思う。だから、あなたも……。……これ、録音されてないよね?」
想いは嘘偽りない真実だが、だからこそ隠しておきたいという気持ちが湧く。AIコンシェルジュに質問を投げかけると、懇切丁寧にログが記録されています、という音声アナウンスが。
「あー、消去消去。……言う時は自分の口で言うから……って、何してんの私! こんなの私のキャラじゃない! 私はエリートスカベンジャーのスーパーメシア!」
気を取り直すために、頬をぱんぱんと二回叩く。今度こそ料理に集中するべく、食材の皆さんとにらめっこを始める。
「私は……パンドラとは……違います……」
その間にも、ホープはずっと泣きながらうなされていた。泣き虫ホープを体現するかのように。
※※※
その死体を黙して見下ろす。蹂躙された無垢なる遺体は、血だまりの中に沈み、色白な肌を真っ赤に染めていた。
「どうやらストレスのはけ口として利用したようだな」
「マスター」
声を掛けられて、アレスはゼウスの方へ振り向く。ゼウスは興味深そうに死体を眺めていた。怒りはない。ただの標本だったのだ。いや、記念品と言うべきか。
「意思をインストールすらしていないコピー品だ。壊れたところで何の支障も来さぬ。だが、そなたはどうだ?」
「……何も感じません、マスター」
「ふむ、良い兆候であるぞ」
主が満足なされる。偽りない言葉だった。
これには何の感慨も浮かばない。なるほど容姿は瓜二つだが、ただの器でしかないのだ。重要なのは中身であり本質だ。もし、中身が同一であれば心も揺れたかもしれないが、ただの器の死骸では、心が動くはずもない。
「そなたは過去に戻れたらという仮定を一考したことはあるか?」
唐突な問いかけだが、質問には意義を感じる。ゆえに、アレスは愚直な想いを吐露した。主には隠し事など不可能だ。全てを見通しておられるのだ。
「一度だけ、考えたことがあります」
「して、どんなものだ」
「もし仮に、過去に戻れたとするならば、私は……」
自然と刀の柄に手が触れる。ゼウスは酷薄な笑みを浮かべた。
「全ての元凶であるあの男を、抹殺します」
純真な願いが口からこぼれる。怒りと憎しみが合わさり、それらを超越した感情が、自身の中で燃え広がる。あの男だ。あの愚か者が余計な抵抗をしたせいで、死ななくてもよい命が失われた。
なぜなのか、理解に苦しむ。なぜH232は愚者の意志を継承したのか。
どこまで愚鈍なのか。自らの行いの先に何が待ち受けているのかわからないはずはないというのに。
「良いぞ、友よ。……実に、良い」
その隣でゼウスが笑う。凍てつく笑みを浮かべて、笑っておられる。




