再戦
「お姉ちゃん!」
ブリッジの下部では、操舵席から蒼白とした顔色のリンが叫んでいる。彼女が使用するモニターの端には大破した機体からレンが運び出される様子が映っていた。
多次元共感機能を使うまでもなく、彼女の心境に理解を示したウィッチはリンに告げる。
「行っていいよ。安全圏だから。敵も追って来ないだろうし」
「あ、ありがとうございます! お任せします!」
慌ただしくリンが無重力で浮かびながら通路へと移動していった。ウィッチは精神負荷のサインであるエアーを吐きながら、眼前に浮かぶ墓標を見つめる。
巨大な施設の残骸がスレイプニールと艦隊の前に立ち塞がっていた。宇宙探査計画の名残。箱船を外宇宙に送り届けるはずだったオービタルゲート。
世界最後の日に破壊されてしまった希望の扉は、今もなお宇宙に鎮座して、人間の愚かさを象徴する墓標となっている。知性のない動物ならば様々な要因で対立するかもしれないが、人間は知性があり、さらなる進化を遂げているのだ。その上でなお、人はまだ完全ではない。
そして、人間が完璧でない限り、その模造品であるアンドロイドはもっと不完全な存在となる。結局、自身の判断が正しかったのかウィッチは判別つかなかった。
「ホープ……」
後輩の名前をコールする。しかし返事はない。まだ彼女は月面基地周辺の座標にいる。爆発の影響下で詳細は把握できないが、彼女のスペックを鑑みれば問題なく切り抜けられるとデータ上でも裏打ちされている。
なのに、まだ彼女は帰還していない。それはつまり、転移できない状況に追い詰められているということ。
「アレス……くそっ。ホープとアレスが戦うのは……」
ホープとアレスの相性は致命的に悪い。下手をすれば自分よりも。
それでもなお、ウィッチは信じると言う非論理的心理動作を行うしか術はない。
だとすれば、することは限られている。手筈通りに端末を起動した。
「演算を開始……クォレン大佐」
『被害は最小限に抑えられた。貴君の判断のおかげだ。感謝する』
「……あたしはそんな。娘さんのこと、申し訳ございません……」
『あの子が自分で選んだことだ。気に病むことはない』
ホロキーボードを叩くウィッチを、モニターのクォレンは気遣ってくる。クォレンの眼差しを見れば、彼が本心からそう言っていることは容易に観測できた。
しかし、それでもウィッチは思考ルーチンに戒めの念を出力する。妥協してはいけない。全力を尽くすのだ。メカコッコの言葉通り。
『して、これからどうする?』
「……最優先事項を終わらせます。あたしにできる仕事を全力で行い、彼女の帰還を待つ。それが後方支援係の仕事ですから」
『援護しなくて良いのか? 敵基地が壊滅した今なら――』
「下手に数を送ったところで返り討ちにされるのが関の山です。それに、ホープのポテンシャルを最大限に発揮する条件は整っています。問題は……」
ある意味最大の弱点が、ホープを蝕んでいる。それは希望であると同時に絶望であり、未来を不透明にする予兆なのだ。ホープがそれに対抗できるか。
ブリュンヒルドが危惧していたような事態に陥らないか。シグルズが最後まで信じていた結末に導き出せるのか。
それは全てホープと、彼女が秘めるエルピスコアに託されている。
『指示に従おう。地上に降りるべきと思うか?』
「……火星の警備状況に問題がないのなら。やはり、友軍が傍にいるという事実は皆に力を与えてくれますので」
戦力的な意味合いと精神的な事象の両方で、友軍の存在は力強い。もし地上部隊と合流してくれると言うのなら、わざわざ足踏みしている理由はウィッチにはなかった。
が、戦術を考えるに当たっては早計な行動は慎みたい。なので、まずはメカコッコと調整した作戦データをグルファクシに転送した。
『ふむ、これは?』
「これから行う大規模作戦のデータですわ」
「姫様」
ブリッジに戻ってきた姫様が空気を読んで発言した。クォレンは訝しみながら画面を注視して、内容を一読。ほう? と感心の声を漏らした。
『さらなる攻勢に出ると申すか』
「守ってばかりいたら持ちませんからね」
レンズ内では量子コンピューターによる演算が続いている。あらゆる可能性を踏まえて検出しているので、通常の演算よりも時間が掛かっている。敵が適正運用してくれていればこんなに処理を重ねずにも済んだのだが、生憎、敵は本来とは別の用途で利用しているのだ。未知数の領域をあらゆる角度から考慮して結果を導き出さなければならない。
「あの子は無事だ。そっちは?」
姫と同じく現れたジェームズが訊ねてくる。しかし、まだ特定中の段階だ。
「やっぱり海賊たちの協力がないと厳しいかも。ちょっと大雑把すぎるね」
「奴らなら問題ない。眼だけは飛び抜けていいからな。だが、気掛かりなのは新居の方だ。強い悪意を感じるが……」
そちらの問題についてもウィッチはある程度認識していた。予想の範囲内ではあるが、最悪のシナリオだったことは否定できない。
もし何の問題もなければ、メカコッコの通信が繋がっているはずである。しかし、先程の戦闘途中から通信が断裂し、こちらの呼びかけにも応えない。通信アンテナが破壊されてしまったのだろう。
だが、ウィッチは心配の感情動作を内部にも外部にも出力していない。不必要だからだ。薄情という意味ではなく、信頼という意味で。
ドヴェルグ博士の言葉を忠実に履行して、ウィッチは全力を注ぐ。今のうちに撮れるデータはできるだけ取っておく。宇宙空間の現在の流動性をモニタリングして、意味があるかないか関係なしに片っぱしからダウンロードしていく。
「あたしは今、あたしにできることをするだけ。信じてるからね」
間違っているか、正しいか。そんなことはわからない。
ただがむしゃらにコマンドを実行する。前にある墓標のような悲劇を繰り返さないために。
※※※
閃光が放たれて、消える。消えては撃たれる。穿たれては、宇宙の端へと駆けていく。
白色と黒色の二つの戦闘機が、宇宙空間で死闘を繰り広げていた。
「やはり優れた操縦技術……一筋縄ではいきませんね」
敵の苛烈な攻撃を躱しながら、ホープは後部に座るシュノンへの状況報告も兼ねて呟いた。狙いは精確であり、こちらの射撃も紙一重で避けてくる。やはりアレスは対人戦だけでなく空中戦、宇宙戦も得意だった。
戦神としてふさわしい戦闘力を保持しており、恐らくはゼウスの腹心であるはずだ。他のオリュンポス十二神はここまで生き残っていない。一度や二度戦って、一定の戦果を挙げられなければ容赦なく切り捨てられる。そこはテスタメントと変わっていない。
しかし、アレスは違う。敗北してなお認められる力がある。かつて共和国時代に戦った人物とは姿も強さも変わり果て、無双に近しい強靭さを誇っている。
今も気を抜けば、宇宙のゴミになってしまう。無意味な情報粒子の断片になるには、やるべきことが多すぎる。マスターの遺志をここで無駄にする訳にはいかなかった。
トリガーを引く。反撃のレーザー。回避。射撃。回避。射撃――。
同じことを繰り返しているようで、少しずつ追い詰められていると戦術データベースが指摘。
「時間が経過するごとに敵の攻撃が鋭くなっていく……。学習していると言うのですか」
「は? マジで? まだ強くなってんのアイツ!?」
「厄介ですね……長期戦は不利」
これほどやりにくい相手は久しぶりだ。交戦中に実力を上げる敵というものは。
リアルタイムで学習を繰り返し、敵の弱点を見抜いて躊躇いなく撃ち抜く。そんな戦闘モデルケースを行える人間はほんの僅かしかいない。学習機能は誰しもが……アンドロイドでさえも当然のように搭載しているが、戦闘中に実行できる者など限られていた。常人であれば戦闘終了後に自身へのフィードバックとしてデータを加えるだけだろう。
だが、アレスは違う。平然とできる。慢心せず、常に強さを高めてもっとも効率の良い戦い方を瞬時に構築できる。
「……どうするのよ!?」
「シンプルですよ。敵の学習速度を上回ればいい。しかし――」
そう簡単にはいかない。いくら多目的支援型アンドロイドとは言え、そう容易には……。
――相手を観察すればいい。心を使うんだ。システムではなく君自身の心で敵の動きを感じ取り、自分へフィードバックする。他のアンドロイドにはない優位性を生かせばいい……。
「……やってみます」
「できるの!?」
当惑の声を上げるシュノンを差し置いて、ホープは心の声に耳を傾ける。追い詰められた時、いつも表出するのはマスターの言葉だ。マスターの遺志。マスターの遺産。その全てをホープは継承している。
ホープは操縦しながら目を凝らし、じっとアレスの操縦を捕捉し続ける。しばらくレンズで録画し終えると、目を瞑って視覚情報を遮断した。
背後のシュノンが喚くが、今はその音声情報は不要なのでシャットアウト。静かな時が流れる。体内時計とはまた別の、なだらかな流れが。
心で感じる。例え他者の心をベースにしたものだとしても、今コアに秘められているのは間違いなく自分の心だ。母親の作ってくれたコアを依り代にして自分は生まれた。
――私の義体は私の身体であり、私の心は私の心。
人とアンドロイドは心を持つ。曖昧で不透明な、見えざる概念物質。あらゆる情報粒子の塊。静かに、確かに、そこにある、希望と絶望が合わさった不可思議な光。
「……行きます!」
アイカメラを開いて音声案内したホープは、操縦桿を横に倒した。直後、ホープがいた場所にレーザーが煌めく。紙一重で射撃を躱した。
『何?』
アレスの通信。驚いている。しかし、まだその驚愕はさしたるものではない。
しかし、僅かだった衝撃が脅威に変わるまでそこまでの時間は擁しなかった。
立て続けにホープはアレスの機銃を寸前で回避し、シュノンの悲鳴とアレスの驚声が混ざり合う。
「だ、大丈夫なのこれ!?」
『……学んだというのか。この短期間で』
「あなたに言われたくはないですね。……単なる戦士としてあなたは尊敬に値する存在。学習する対象にもなり得る千年に一度の逸材です。しかし、だからこそ放置する訳にはいかない。ここで倒れてもらいます……!」
思想こそ違うが、アレスは軍人として間違いなく畏敬の念を抱かせられる戦闘力を持っている。が、いくら技量が素晴らしくとも考え方が決定的に違えば共に過ごすことはできない。
こちらにわかり合う意思はある。共存の手立ても。しかし相手が拒否している。武力行使をしながら。
ならば、倒すしかない。彼の屈強な意志を変えさせることは困難……いや、不可能に思える。
「一気に叩きます!」
『論理的な学習方法ではない。……エルピスコアの、感情優先型の特性を使ったか。だが、H232、お前が愚かであることに変わりはない!』
ホープの目覚ましい成長速度を目の当たりにしても、アレスの指針は変わらない。
ハードボイルドは味方限定! 敵が信念を貫くとかふざけんな! シュノンが意味不明なことを叫んで、ホープはヴィンテージを自分の身体のように扱う。
理論的な同調ではなく、感情的な共調。命令優先型では理性という枷が邪魔をするが、ホープならばできる。
「行けます、マスター。私なら」
レンズに写る幻影に向かって主張する。不意にユグドラシル内でのやり取りが脳裏をよぎった。似たような言葉をマスターに言い、しかしマスターは最後の最期で信じてくれなかったのだ。
しかし、あの時とは違う。後ろで混乱しているシュノンのおかげで。
「今の私は我儘ですよ。似たようなことがあっても私は――」
次は。次があれば絶対にホープは。
「言うことなんて聞きませんッ!!」
トリガーを引く。マスターの幻影が消え失せる。代わりにアレスの機体がレンズ内で強調された。
アレスの動きを読んだ連続射撃だった。アレスは数発避けた後に回避を断念し、バレルロールによる受け流しを行う。そこへミサイルを発射。アレスはミサイルをフレアを使って振り切ると、煙幕を張って姿を消した。
「大丈夫!?」
「心配には及びません」
ホープは煙幕の範囲外から様子を窺う。そして、タイミングを見計らってマニュアル射撃を実行した。
「当たった!?」
シュノンが声を張り上げる。アレスがどこから現れるかを読んだ先読み射撃は、さしもの彼とて回避不能だった。シールドのダメージ値が上昇。と、アレスが不意にこちらへと向かってくる。
「闇雲な射撃……?」
「いいえ、違います。明確な目的がありますね」
ホープは同じように突進しながら解説する。攻撃用エナジー残量を無視した撃ち方でレーザーキャノンを見舞いながら、白と黒の二つの機体が同じ軌道に乗る。着弾して、被弾する。相討ち覚悟とも思える急加速。
「ちょ、え? マジで!?」
「見ててくださいッ、マスター!!」
撃って撃たれて、撃ち返す。単一のコマンドを入力し続けて、シールド発生装置がエマージェンシーを訴えてくる。
「シールドが解けそうだよ!」
「ご安心を!」
「できるか! ってうわぁ!!」
ヴィンテージとデストロイヤーが今まさに衝突する――刹那、ホープは機体にブレーキをかけて、急停止。シールド展開部分を前方に設定しながら、敵機の胴体に向けて全武装射撃。
デストロイヤーのシールドが使用不能になり、レーザーが機体を貫く。コントロールを喪った機体がヴィンテージへと激突し、その衝撃を受け切ってシールド発生装置がダウンした。
「……生きてる? 夢じゃない?」
「生きてますよ。武装は潰れましたが」
「そ、そう……? 夢じゃない? ほっぺでもつねって見るか」
「それはまだやめてください」
「どうして?」
デストロイヤーが爆発する前に退避するホープへ、シュノンが不思議そうに尋ねる。その表情はホープとは全くの反対だった。全てが終わったと安堵する顔。
反して、ホープのフェイスモーションは戦闘モードである凛としたそれだった。
「まだ終わっていません!」
「え? なッ……!?」
機体から金属音が響く。後部上方、ワープドライブが収納されている位置だった。すぐにエラーアラートが鳴り響いて、ワープドライブが破壊された旨の警告テキストが画面に表示される。
「出ます! 掴まって!」
「で、出るって……うわッ!!」
コックピットハッチを開いて、ホープは宇宙空間へと躍り出る。ハッチを閉じながら、マシントレース機能を使用。オートパイロットモードへと設定しながら、グラップリングフックを使ってヴィンテージの天井へ着地する。
『嘘……マジ!? 夢なら醒めて! いや、夢なら夢のままで!』
「コードを送信した。すぐにでもグングニールがこの機体を撃ち抜くぞ」
アレスはヴィンテージから刀を引き抜いてそう語る。その段取りを理解していたホープは既に進路を定めていた。
「撃たれる前に逃げ切ります。幸いにも家はすぐそこですから」
「……ならば俺が直接倒す」
「倒せるものなら。今の私は以前と違いますので」
ヴィンテージは加速を続けて、スピードをどんどん上げていく。中ではシュノンがしっちゃかめっちゃかとなっているが、そこまで気に掛けている余裕はない。
アレスの後方には月が広がり、ホープの背後には地球がそびえ立つ。加速中の機体の上で、ホープはレーザーソードを展開し、アレスは刀を構えた。
「――ッ!」
先手を取ったのはホープ。腕剣による横薙ぎを、アレスは難なく防御する。
が、アレスの反撃をホープはいなせた。単一の装備で斬撃を加えるアレスに対し、ホープはレーザーソードとチェーンソーで対応。右腕と右足に装備されたレーザー剣と実体鋸を組み合わせて、アレスの超電磁ブレードと切り合っていく。
仮想音が静かな宇宙を彩り、壮大な光景が周囲に広がる。
「なぜだ。なぜ……そこまで愚かなのだ、お前は」
「どうして……どうしてあなたはわからないのですか。それほどの実力がありながら!」
ホープの疑念コードはずっと電脳に送信され続けている。なぜ、なぜアレスほどの人物がゼウスに従う? 彼は何でもできる。なのに、道を決定的に間違っている。こちらの方が正しいのは明らかだ。なぜ地球の保全の名目で世界を滅ぼした男に、彼は従っているのか。
「治安維持軍は……共和国は愚かだ。なぜ一度犯した失態を、また演じようとするのだ」
「敗北は……確かに、非は私たちにあります。しかし、直接的な要因はゼウスです。彼を排除できれば共和国はまた!」
「そうして、また滅ぶのだ。無意味な死を増やす意義がどこにあると言うのだ」
「無意味な死などと!」
『ホープ! ヤバいよ!』
シュノンが悲痛な叫びを出す。白い機体が色づいていた。ホープ自身の真っ白な義体も赤みを帯びている。ヴィンテージが大気圏に突入し、断熱圧縮によって高温となっている。無論、宇宙戦闘機であるため耐熱用のシールドは完備されているが、このまま剥き出しではホープの義体が持たない。早急に決着をつける必要があった。
違和感を検出。アレスはゼウスの腹心だったはずだが、仮にこのまま勝利しても彼は燃え尽きてしまう。その状況がわからないアレスではないはず。
しかし彼は臆せず怖じることもなかった。強烈な、苛烈過ぎる意思を感じる。それほどまでに自分とマスターを恨んでいるのか。
「このまま続けると言うのなら!」
「続けるとも。継承した遺志と共に燃え尽きるがいい!」
レーザーと刀を鳴らす。しかし純粋な剣戟では埒が明かない。時間がないので、ホープは博打に出た。確率などくそったれ。数字では測れない事象も宇宙では起きる。
「やッ!!」
アレスに同調しながら、彼の行動パターンを見切る。観察して学習する。屈みながらステップを踏んで横薙ぎを避けながら懐へと押し入り、彼の次撃を左腕部のシールドで受け流す。
「ふッ!」
そうして、レーザーソードによる突き。これを身体を横に逸らして回避するアレスだが、そこまでは予定調和だ。あくまでこの刺突は布石でしかない。
度重なる斬撃をレーザーで受け止め、反射的に放たれる左拳をシールドでガード。一瞬生じたアレスの隙を縫って、左足を彼の腹部へと蹴り当てる。
「むッ!?」
「終わりです!」
足底がアレスの胴に切迫した瞬間、ジャンプジェットを始動。跳躍のアシストに使われるはずの補助パーツが、アレスの身体をヴィンテージの上部から吹き飛ばした。
アレスが地球へ落ちていく。太陽に近づきすぎて翼を喪った傲慢な男のように。
しかし、彼の最期を看取っている時間は残されていない。早急にコックピットハッチを開いてシートに座ると、自己修復プログラムによって機能を回復したシールド発生装置を再起動。破損した個所を防護しながら、目標地点へ帰還するために再調整。
内部の設定温度を人間が過ごしやすい温度まで冷却し、恐々としているシュノンへ呼びかける。
「だ、大丈夫? これ……?」
「平気です。宇宙戦闘機ですから」
「ああ……そうであることを切に願うよ。焼かれるのはカエルだけで十分。シュノン焼きとかきっと需要ないから……」
シュノンが祈るように手を組んで、神頼みをしている。しかし、こればかりは奇跡を祈らなくてもテクノロジーで対処可能な事項だ。ゆえにホープは安堵して、義体が帯びる熱を放出しながら視線を前方に浮かぶ青い星から逸らした。
アレスが吹き飛んだ方向を注視する。なぜかエルピスコアが不自然な反応を示している。
人並みに言い換えれば、胸が締め付けられるような。
(なぜです……? なぜ……)
力をくれるはずのコアが、なぜか痛みを発している。
ホープは左手を胸の前に当てた。それでも痛みは治まらない。
(エラーが解消できない。なぜ、私は……なぜ――)
なぜ泣いているのでしょうか?
その問いを言葉には変換しなかった。ただ自分の中で消化しながら、ヴィンテージは地球へと降下していく。
※※※
「あれぇ! あれあれあれ!? うっそ、マジ?」
「どうかしたのですか? お姉様」
のほほんと訊ねてくるヘスティアは非常に可愛い妹ではあるが、今のアプロディアに彼女の愛らしさを愛でている暇はない。
これぞまさに敗北だ。戦神が負けた。無敗を誇っていたアレスが。
「あーあ。だから言ったのに。勝てたら勝てるのに、ずっと舐めプしてるんだもん。焦らすのも大概にしないと本番がつまらなくなっちゃうのに」
「あまり変な話をするのは……。私はそういうのちょっと」
「えー? 今別におかしな話してないけどなぁ。ヘスティアちゃんって結構……」
「な、何を言いますか……! 私は別に」
「別に何を言おうとしてたのかなーん? なんて……はぁ、全く」
「お姉様?」
アプロディアはため息を吐いてソファーにどっぷり座り込む。ヘスティアは困惑したように直立を維持しながら首を傾げた。人形のようで着せ替えてしまいたい衝動に駆られるが、生憎今は理性の方が優勢だ。欲望に忠実なはずの自分から欲望を奪ってしまったら、後は残りかすしか残らない。だというのに、この事実はアプロディアのアイデンティティーを奪ってしまうくらいには衝撃的だった。
「だから言ったのにさ。昔の女に引っ張られるから」
「……もしかして嫉妬なされてるのですか? お姉様は」
「は? 何言ってんの?」
普段とは違う凄みの効かせた声が自然と零れる。ヘスティアは委縮し、部屋の隅に縮こまって謝罪を連呼した。ごめんなさいごめんなさい。瞳の色に殺気が付随するアプロディアはその愛玩動物のような姿に気を良くして、
「いいっていいって。でも、お仕置き」
「お、おねえさ……!!」
ヘスティアの首をへし折る。ぶちり、と彼女の首が取れて、床に転がった。
その後、アプロディアは何事もなかったかのように首を戻す。すると、彼女の瞳から大量の涙がこぼれ出た。謝罪を交えた嗚咽も。
「ごめんなさい、ごめんなさい! 赦して下さい……!」
「んー、赦すよ。赦すけど、次は禁止ね?」
柔らかな笑みを浮かべて再びソファーへ座る。ホロモニターには着地地点が映っている。
「奇襲作戦もダメダメだし、そろそろ私も出ないとダメかな」
「お姉様が出撃なさるのですか?」
「……いいや。どうせ向こうから来るし。それに……まだ……」
ふふふふ、と意味深な笑みを漏らして笑う。
ターゲットは二人いるが、どちらにするかは非常に悩む。メインディッシュは間違いなくあの偽善的かつどうせ中身は淫乱なアンドロイドだが、もう片方の副菜――と言うよりはデザートである灰色の少女も大変興味深い。
あちらを捕らえて凌辱して、心を折って解体して、希望と対面させたら一体どうなるのか。興味は尽きない。関心は止まらない。いずれにせよ愉しそうだ。
そもそも治安維持軍自体がフルコース料理のようなものだ。いや、ビュッフェ形式と表現する方が正しいか。
より取り見取り、犯し放題。どいつもこいつも、絶望させれば芸術的な表情を浮かべてくれるに違いない。
「どうせ主菜は取られちゃうだろうし、余り物をいっぱい食べるのもなかなかいい考えかもしれないわね」
「た、食べるってどういう意味でしょうか、お姉様……」
震える声で訊ねるヘスティア。アプロディアはにんまりと笑う。
「どういう意味だと思う? ヘスティアちゃん。うふふふ」
※※※
母なる大地へ再突入したヴィンテージは、フライトモードへと移行。可及的速やかに基地へ帰還する必要があった。
「本当に襲撃を受けてるの!? だったらヤバいじゃん! 戦力のほとんどは宇宙に……!」
「だから急いでいるんです! チュートンたちがいるとは言え、やはり戦い慣れたアンドロイドがいなければ……!」
残留組の戦力を過小評価しているわけではない。オリュンポスの十二神相手にも、彼らなら引けを取らない戦闘力を所持している。
だが、一般市民への被害は避けられないだろう。ゆえに早鐘のように検知された心理エラーアラートが鳴り響いて、ホープは小破したヴィンテージを急がせる。
「見えてきた!」
「着陸します! 臨戦態勢を!」
秘匿された基地の入り口となっている大岩の付近で、大量の敵ビークルを確認。どうやらメトロポリスを襲撃した部隊をこちらに派遣しているようだった。
少し離れた位置に機体を着地させて、急いでビークルの大部隊の傍へと駆け寄る。シュノンも後ろでライフルを担ぎ、転びそうになりながら走っていた。
「宇宙と地球じゃ全然違う……おおっと!」
「急いで! でなければ……え?」
接近して敵部隊をスキャニングし、ホープは違和感に気付いた。
どれも反応こそあるが、まともに活動していない。大破したか、戦闘不能状態に追い込まれている。ダウンしたテスタメントも悔しそうな声を漏らすばかり。少し離れたところでは、サーヴァントが昏倒させられている。
「遅かったですね、ホープ」
「この声は……!」
聴覚センサーが捉えた音声情報の発声元へ、急いで義体の方向を変える。
アイカメラが捉えたのは青い髪。代用した作りかけの両腕、破損した義眼を保護するために装着した眼帯。
急場しのぎでリペア処置が施されたヴァルキュリアエージェントだった。
「ヒルドさん! 復活なされたのですね!!」
「一時間と三十四分二十一秒」
「え? 何?」
シュノンが驚きながらも、ブリュンヒルドの発言の意味を確かめる。彼女は、依然と同じく淡々とホープに対して不足部分を指摘した。
「シグルズ様と私であれば、後一時間以上は短縮できたと言っているのです」
「な……! 結構頑張ったんだよ! 主に私が!」
「……今回ばかりはほとんど私が独力で対処したと思うのですが……」
シュノンの存在は大きな力を与えてくれる。それに、月面基地に侵攻した際には、彼女がヴィンテージを守護してくれた。それは事実だ。
しかし、今回ばかりは異論を挟まずにはいられない。そう思って出力したホープの反論は、ブリュンヒルドが滅多に見せない感情によって上書きされた。
「ですが、努力は認めましょう。ホープ、シュノン。ありがとう……」
「…………」
慎ましやかな笑顔。その眩しさに電脳がフリーズする。
シュノンも驚きで表情が固定されていた。
それほどまでの驚愕と、衝撃、感激をブリュンヒルドの笑顔は他者に与えてくる。
「……何を呆けた表情をしているのです。やはり、重大な欠陥が感情優先型にはあるの……何です?」
「今の! 今の顔もっかいやって! アンコール! アンコールぅ!」
「何を言っているのですか。このアンドロイドにこのマスターあり、ですね」
いつもの表情に戻り、いつもと同じように呆れ果てる。ブリュンヒルドは完全に再起動を果たした。その事実がホープの幸福指数を高まらせる。
「気色悪い笑顔ですね。フェイスモーションにもバグが……シュノン、跳ねるのを慎みなさい」
「やって! ねえやって! 写真撮るから! お願い! お願いしますよブリュンヒルドさぁーん!」
「私に命令できるのはマスターだけです。あなたはマスターではない」
「んじゃ今日から私がマスターになるから! ペットが一匹増えようがどうってことないし」
「それはどういう意味ですか? シュノン?」
せっかくの幸福感を台無しにする発言に、ホープが質疑応答プログラムを実行。
しかし、その疑問はまたしてもブリュンヒルドに遮られる。補足すれば、シュノンにも聞き流された。宇宙戦闘時に音声情報を遮断したお返しと言わんばかりに。
「ホープはペットとしても不適格品ですが、私はペットではありませんので訂正を。……それに、私のマスターはもう決まっていますので」
「え? どういうこと? 一体誰が……あぁ!」
そこで勘付いたように声を荒げて、とびっきりの笑顔をみせるシュノン。
ホープもマスターが誰なのかを気が付いて、まだいるであろう宇宙へと視線を上げる。
「隅に置けないなー、ティラミスも」
「そうですね。意外と手が早いです」
「あくまで戦術的判断として、彼女を傍に置くだけです。アンドロイドの思考を読み取れるのなら、時間を掛けずとも最大限のシンクロ二ティを発揮できるでしょう」
「とか言っちゃってるけど本当はー」
「あまり不快な発言を連発するようであれば、教育プログラムを実施しますがよろしいのですか」
冷淡にブリュンヒルドに言われて、シュノンは飛び上がってホープの後ろへ隠れる。
普段と同じだが、明確に差がある。その変化にホープは喜びを感じる。
が、同時に不穏な予兆も感じ取っている。なぜ心が、コアが疼いたのか。
そして、アレスは本当に死んだのか。幸福と不幸の予兆だけが連鎖して、とめどなく溢れていく。
※※※
大量の水蒸気が発生し、周囲の景色を覆い隠している。その中に佇む男は、突如脳裏に聞こえ出した言葉に耳を傾けていた。
『無事のようだな、友よ』
「敗北しました、マスター」
五体満足のアレスはもやを見ながら応える。しかしマスターはさほど驚いていなかった。記憶から引き出される姿と同じように、凍てつく表情をしておられる。
『良い。計画を最終段階へと進める』
「敵にこちらの場所が露呈するのも時間の問題でしょう」
『そうとも。ゆえに迎え撃つ算段だけを整えていればよい。わざわざ攻め立てぬとも敵が来てくれると言うのなら、こちらも最大限の戦力でもてなせばいいのだ』
「しかし、奴は、私を」
『越えてなどおらぬし、仮に越えていたとしても何ら問題はあるまい。もし真実に気付けば、義体は耐えられても心が耐えられぬだろうて』
「……了承しました、マスター」
了解の旨を伝えると、マスターの声が消え失せた。同時に水蒸気も蒸発して、周囲の景色が露わになる。
アレスは湖に佇んでいた。過去に幾度か訪れたことがある場所だ。
視線の先には何もなく、森しか広がっていないが、アレスには公園が見えていた。
過去の幻影。そして亡霊。一人の女がベンチに座り、その横に自分が佇んでいる。
青い軍服を着込み、英雄などともてはやされ、結局は何も守れなかった自分が。
不意に幻影が入れ替わり、今度は白い女が戸惑いながら腰を落とした。
――これでよろしいのですか? マスター。なぜ私だけベンチに――。
「消えろ」
静かな、しかし怒りを携えた声で命令する。
だが、幻は消えなかった。どう足掻いても脳裏にこびりついて離れない。




