閃光
「何だ!? 喰らったのか!!」
激しい振動で座席から浮かび上がったクォレンは、取っ手を掴んで座り直しながら声を飛ばす。しかしオペレーターも何が起きたのか全容を把握できてはいないようで、困惑の声を漏らした。
「くそっ……艦内の状況は!」
「損傷軽微……信じられない……」
「周辺状況をモニターに映せ!」
クォレンの指示で、モニターに映像が浮かび上がる。その光景を目にしたクルーたちが驚愕と感嘆を混ぜ込んだ歓声を上げた。
クォレンも同じように驚嘆の眼差しを画面へ注ぐ。思わず独り言が漏れ出た。
「スレイプニール……だと……」
グルファクシの姉妹艦であるスレイプニールが、庇うように左脇へと出現していた。
※※※
「やはー、やっぱりあんたはトラブルメーカーだったねぇ」
隣に航行するグルファクシを見ながら、ウィッチが苦笑した。操舵デバイスを使用していたリンが、謝罪を連呼する。
「すみません、すみませんすみません!」
「謝ることはありませんわ、リン。あなたの機転のおかげでグルファクシは撃沈を免れました」
「こっちのシールド発生率は三十パーセントまで低下してしまいましたけどね」
フノスの褒め言葉に嬉しそうに頬を緩ませ、ウィッチの苦言に顔を青ざめる。無茶なワープ航行だったとは思っている。間違いなく、戦術マニュアルに載ることのない無茶苦茶な方法だったと。
しかしそれでも見捨てることなんてできるはずがなかったのだ。大切な家族の乗るグルファクシを。
『何が起きたのさ! 説明してよ!』
航行用モニターの端に興奮気味のシュノンの顔が映る。その隣に立つホープも少し驚いたような表情だ。
「あ、シュノン……さん……」
「あたしが説明するから、リンちゃんは操舵に集中していーよ。ま、単純に言えば盾になったんだよ」
『盾!?』
「そ、盾。グングニールの狙いがグルファクシだってことを姫様が感じ取って、リンちゃんがやる気出しちゃって。無断でワープして、グルファクシの直撃コースに割って入り、スレイプニールのシールドを使って砲撃を受け流したってわけ」
「すみません……」
謝罪が口を衝いた。長方形型のスレイプニールを同型艦であるグルファクシの傍へ転移させ、シールドを一点に集中。もっとも砲撃を受け流しやすい角度へと艦を変えて、軌道を逸らした。
上手くいったとは自分でも思っている。が、それはグルファクシの視点から見た結果であり、スレイプニールのシールドはだいぶ消耗してしまった。
艦隊戦において重要な要素であるシールドは、言わば防御の要だ。あるまじき失態だということは理解している。
『スレイプニール、何て無茶を……』
「お父さん!」
グルファクシから入った通信相手に、リンが声を弾ませる。
父親はリンを一目見て驚いたが、すぐに軍人の顔へと戻った。
『……ともかく、助かった。シグルズ殿は……』
「戦死なされました。今はあたしが指揮官です。あたしはプロメテウスエージェント所属のアンドロイド、W117ウィッチ」
『……積もる話は後だな。そちらと激突した影響で、左舷の武装がいくつか破損してしまった』
「奇遇ですね。こちらも右舷の装備が潰れてしまっています」
お茶目にウィッチは言い返して、リンはさらに肩身が狭くなる。そこへクォレンは娘の失態と勇敢さを補うべく提案した。
「であれば、互いにカバーし合うのが賢明だろう」
「おっしゃる通りです。……姫様」
「私も出撃します。リン」
「は、はい!」
王女殿下のご指名に、背筋をぴんと伸ばすリン。彼女へ、フノスは柔和な笑みを湛えたまま優しく述べる。
「艦を任せますわ」
「ま、任されました!」
威勢よく応えて、グルファクシと航行速度を的確に合わせる。不安はとっくの昔にどこかへと吹き飛んでいた。
クォレンは娘の勇ましい姿を目にして微笑むと、軍人の顔へと戻って指示を出す。
「では、任せるぞ。我々は敵基地の懐へと侵入する。そうすれば、敵の砲撃も防げるはずだ」
「了解しました、クォレン艦長」
ウィッチが応えて、艦内の全員にコマンドテキストが送信される。常時更新される命令文章を気に掛けながら、リンは敵艦隊と味方艦の動向に神経を集中する。
※※※
「あー、リンちゃんねぇ。頭がソフトクリームだし仕方ないか」
「仲間の悪口を言うものでは」
と窘めながらもリンの行動にはホープも驚きを隠せなかった。まさに度肝を抜かれた。あのような方法で友軍艦を守るとは。
リンに対する人物評価を誤っていたかもしれない。そう人物データベースに載るリンの項目を更新しながら、ホープはヴィンテージのコックピットハッチを開く。
「さぁ、乗ってください。戦闘宙域の真っただ中に出てしまったので、道を切り開かなければ」
「あー、レディファーストって奴? あれって女を囮にする気満々のクズ男たちが考え付いた外道の極みだよね」
「ぶつぶつ言ってないで乗ってください。先陣を切ります」
悪態を吐きながらシュノンは後部座席に乗り込み、ホープはハッチを閉じる。OSとリンクを確立し、マシントレースシステムを起動。操縦桿を握りしめると、オートで機体がカタパルトへと移動していく。
「ジェットコースターみたいだね。“地獄の”って煽り文句が前につきそうだけど」
「そんな安っぽいB級アトラクションとカタパルト装置をいっしょにしないでください……っと」
機体が揺れる。シールドに敵の攻撃が干渉したようだ。
コントロールルームから常時アップロードされるスレイプニールのシールド耐久値を気に掛けながら、ウィッチに出撃コールを行う。
「先輩、出撃します」
『オッケー。頼んだ。味方の進路を切り開いて』
先輩の要請を請け負いながら、シュノンに最後通告をする。
「出します、Gが掛かるので身構えてください」
「Gって何のじ? じーさんのじぃ……うわぁ!!」
コネクターが前進し、連動して機体が急加速。その勢いに乗って、ヴィンテージが宇宙空間に放出される。久方ぶりの宇宙を駆ける感覚に懐かしさを感じつつも、前方の敵無人機から放たれた攻撃を回避するべく急転換。後方ではシュノンが喚いているが、戦闘に集中するため緊急音声コード以外をシャットアウト。
「やば、目が、目が回るー!!」
「簡易なドローンですね。シールドが非搭載……」
「冷静に分析してんなー! 私の声を聞いてー!!」
前に展開するのは円盤型の無人飛行物体。性能は貧弱だがコストが掛からないため、物量作戦を展開する上ではもっとも勝手の良い使い捨ての兵器群だ。
それの対処方法は、わざわざ戦術データベースを検索する必要もない。人並みに言えば身体に染みついている。
「この程度、敵の内には入りません!」
続々発進する味方の進路上に浮遊する敵を優先目標に設定。二連のレーザーキャノンの照準を円盤に合わせて、トリガーボタンを押しこむ。
爆発に次ぐ爆発。ドローンはまともな反撃もできない。そもそもそれほど複雑な思考デバイスが積まれていない。連携や協力の判断すら不可能な簡易AIは同士討ちも厭わずに敵目標へ機械的に射撃を繰り返すだけだ。そのような低レベルな攻撃など当たるはずもなかった。下手な銃器でも数撃てば当たる……ならば、撃たれる前にその数を減らすだけのこと。
「ちくしょー、ちくしょー! スペース映画じゃこんなしっちゃかめっちゃかになってねーし! ますますどっちが上かわかんなくなってきちまったよ!」
「だから上も下も、右も左もありませんよ。宇宙では」
「人間には指標が必要なんですぅ! 私はアンドロイドじゃないんですぅ! 儚い系美少女なんですぅ!」
余裕が出てきたためシュノンに話しかけたホープは、彼女の狂乱した言動に辟易するはめとなった。補助武装であるダブルライフルの使用を提案しようとした矢先にこれである。
エアーを吐くと、丁度通信が入る。それと同時に敵機体が爆散した。黄色いパーソナルカラーの機体が、ヴィンテージの隣についていた。
『そこの白い機体の方。聞こえますか』
「感度良好……問題ありません」
スピーカーからはノイズのないクリアな音声が響いている。調子が良すぎるために、シュノンの悪態が相手に届いていないか不安になるぐらいだった。
『私はレン。グルファクシ隊所属のパイロットです。私たちの目的はそちらも理解されてると存じます』
「はい。認識できています。敵部隊を駆逐し、グングニールの狙撃範囲内から艦隊を移動させる……」
『おっしゃる通り。活路を切り開くべく、私は敵本体の方へ仕掛けます。……同行願えますか?』
「もちろんです。追従します」
断わる理由はホープにはない。シュノンは……喚いているせいで、ホープの聴覚センサーでも解析は困難を極めた。
『それでは』
レンが通信を切り、速度を上げる。鮮やかな動きで敵ドローンを破壊しながらその群れを突っ切って、敵の艦砲射撃が押し寄せる中を自由自在に動いていく。
彼女の実力は紛れもなくA+判定だ。残存戦力にも優れたパイロットはいたらしい。
「負けてんじゃないの? エースパイロットさん?」
いつの間にかシュノンがにやにやして座席から身を乗り出している。ホープは憮然としたフェイスへと表情を切り替えて、
「負けてなどはいません。今から証明してみせます」
機体をさらに加速。周辺の敵へレーザーを穿ちながらきりもみ回転を行って、自身のパイロットスキルを後ろに座るマスターへ披露する。
「どうです……?」
「どうです、じゃねえって……酔い止め、効いてるこれ……」
グロッキーな表情で告げるシュノンに気を良くして、ホープはレンの背を追いかける。後方では、姫様やジェームズ、アルテミスが率いる航空部隊が次々と出撃していた。
グングニールの次射までタイムラグはあるだろうが、猶予はそこまで残されていない。後方部隊の安全を確認したホープは、ヴィンテージを敵艦隊へと飛ばす。圧倒的厚さを誇る弾幕がヴィンテージとレンの駆るウイング2を阻んだが、ホープもレンも隙間を縫って敵艦へと接近した。
「やばいよ! 弾幕厚いよ! 何してんの!」
「これくらい平気ですよ。ダブルライフルの発砲権限をそちらに譲渡しましたので」
「え、は? あぁ……シミュレートしてた奴!?」
「そうですよ、行きます!」
「う、うおおおやってやらぁ!!」
自暴自棄気味に叫んだシュノンは、ヴィンテージの下部に搭載されているダブルライフルをがむしゃらに撃ちまくる。その程度では敵艦のシールドに阻まれてしまうが、それでいい。敵の狙いが自機に向きさえすれば。
「貫通ミサイルの使いどころは……」
ホープはアイカメラで敵艦のスキャニングを開始。シールド発生装置はすぐに見つかった。
『そちらは平気ですか』
レンの通信。レンもホープと同じように敵艦のウィークポイントを分析し、突こうと考えているようだ。
もはやこれは競争だった。先程のシュノンの発言を踏まえて、ホープの闘争本能に火がつく。
「平気ですよ。見ててください!」
操縦桿を思いっきり右に傾ける。一気にシールド発生装置へと突撃したヴィンテージのコックピット内では、シュノンが不平不満をぶちまけている。しかし、ホープはそうした音声情報を遮断して、弱点へとミサイルを放った。
敵艦のシールドが消失。タイミングを見計らったかのように、スレイプニールとグルファクシの主砲が長方型の敵戦艦を撃ち抜いた。
『ナイス、ホープ』
「当然ですよ、先輩」
「ああ、そうね! 当然だよ当然! 当然のようにこの素晴らしきアンドロイドにはマスターへの配慮ってもんがないよ!」
「……しかし、容易すぎたのが引っかかります。なぜ有人機が出撃していないのでしょうか」
「聞け! 聞きなさいよ!」
シュノンの叫びを受け流して、ホープは独自に分析する。そこへ同意するように音声を送信したのは、ホープと全く同じやり方で敵艦のシールドを使用不能にしたレンだった。
『その意見には私も同意します。奇妙ですね。まるで誘い込まれているような』
「その可能性は有り得ますね。ですが……」
『そうするしかない。ええ、嘆いていても仕方ありませんね』
レンは応じながら、襲ってくる敵を難なく撃破する。ホープも似たように次々と敵の機体を宇宙空間に拡散するデブリへと変化させながら、後方部隊を一瞥する。
フノスはもちろんのこと、ジェームズやアルテミス、友軍たちも何ら問題なく宇宙空間に順応し、敵ドローンを撃ち壊していた。現状を鑑みても、我が軍が有利。だからこそ、ホープは不安を拭えない。危惧を携えたまま、次の戦艦へ攻撃を仕掛ける。
「次に行きましょう。シュノン、大丈夫ですか?」
「だから大丈夫じゃないってええええ!!」
後ろについた敵を振り切るため宙返り。空中制動を交えて、敵機体の後ろへ着くと、レーザーキャノンでドローンを八つ裂きにした。
※※※
「よもや生き残るとは。まぁよい」
ゼウスは凍てつく笑みのまま、独り言を漏らす。グルファクシは撃墜する予定であったが、スレイプニールの予期せぬ防御によって生存した。このままでは、防衛艦のほとんどが順当に破壊されてしまうだろう。
だが、艦隊戦に重要性などない。量は質で補える。そのことがわかっているからこそ、アレスを出動させたのだ。
「しかし、予想より動きが速い。少し、段取りを早めるとしよう……」
ゼウスは眼を瞑る。後は念じるだけで良かった。
※※※
「上手くいったようだな」
ジェームズは自分の護衛するスレイプニールとグルファクシ、そして友軍艦隊がグングニールの射程外に出たことを見て取った。
いくら長射程のグングニールとゼウスの命中補正の合わせ技だとしても、月が盾となってしまえば撃てまい。もしや砲弾が屈折するのなら別だが、それなら既に撃って来てもおかしくないはずだ。
『ええ、そうですわね。ですが、油断は禁物です』
『お父様はそんな安易な作戦は取らないわ。きっと何か裏があるはず』
「わかってるよ、そのことは。ああ、よくわかってる」
脳裏に浮かぶのは、簡素な部屋の一室だ。贅沢三昧に振る舞うこともできたはずなのに、父はそれを良しとしなかった。
これは使命だと。共和国再興のための下準備であり、贅沢を謳歌するのは願いが叶ってからだと。
そう夢想して死んでいった父親を夢見がちな男と思う反面、一種の憧れのようなものがあった。
自分には力がある。その力を存分に振るう時がいつか来る。そう信じてジェームズはオアシスを守ってきた。
丁度、その時が今だ。――ああ、油断なんてするはずがないとも。
「敵の意図。俺たちにはそれが感じ取れるはずだ」
そう呟いて、そのせいで一度ならず二度までも出し抜かれたことを思い出す。
オアシスを襲来したヘルメス自身は人造人間だったため、彼の存在は知覚できた。だが、同時に大量に降ってきたテスタメントに後れを取ってしまったのだ。
民を人質に取られれば、どれだけ能力があったとしても何の役にも立ちやしない。
それを避けるため、ジェームズは新たなる知見を増やした。能力に頼るだけではなく、己の頭脳で敵の狙いを導き出す……。
「……回避行動だ!」
『えっ……?』
呆けた声を出したのはアルテミス。しかし、フノスはすぐにジェームズの思考に同調してくれた。
「ウィッチ! クォレン大佐!」
『了解しました』
『指示に従う!』
ウィッチの従順な返信と、クォレンの緊迫の返答。
ジェームズは機体を左に逸らし、友軍も大体は追従したが、数機出遅れた。
最悪なことに、友軍艦も数艦意味不明な指示に対応が遅れてしまった。
「まずいぞっ!」
ジェームズの警句は、しかし、直後に迸った極太のレーザーに掻き消される。
凶悪無慈悲な巨大レーザー砲。それによる半径三十キロにも渡る超口径の閃光が、味方部隊を呑み込んだ。
手の込んだ作戦だった。大型兵器で敵を地上から狙撃しながら、さらなる巨大兵器で敵部隊を殲滅する、念には念を入れた殲滅作戦。
「くそ……あいつら!」
『なんてこと……』
フノスが苦々しげに漏らす。アルテミスに至っては言葉を喪っていた。
味方がいた個所には、僅かな破片が散らばっているだけで、まともな部品すら残っていない。彼らの断末魔が頭の中に響いてくる。悲痛な叫びだった。死を覚悟する時間も残されていない。人の死に方ではなかった。長年砂漠を悩ませてきたポウ族だって、このような惨たらしい殺戮方法は選ばない。
「ふざけたことをしやがって……!」
『冷静に。……敵の本体が来ます』
『や、やっぱり今までのは囮……!』
王女殿下の諭しに、ジェームズは了承する。無数の人間が検知できる。しかし、実際にレーダーが示した敵機体の全体数とは合わないので、テスタメントも混じっているのだろう。有人型の方は恐らく、サーヴァントなる変異体たちだ。
共に過ごし、酒を飲み、海賊稼業に勤しんだ愉快な奴らとは全く違う。人を殺すために最適化された強化人間たち。
「ドローンよりも……」
『こちらの方が多い。やっぱりこっちが本命!』
アルテミスが驚きながらも、機体を動かす。フノスも部下へと指示を出して、ジェームズもシルバーファルコンという名称の戦闘機を前進させる。
「俺の先祖は宇宙で戦ってたんだぜ? いくらお前らが宇宙に住んでいようが……舐めると痛い目見るぞ!」
筒状の敵戦闘機に突貫。キャノンとガトリングを併用し、敵主力部隊を撃ち落としていく。
※※※
星々が輝く暗闇の中に、花火のように炸裂する人の光。イルミネーションに見えるその煌めきを観測して、シュノンは眼を見開いていた。
綺麗に思える。だが、美しいとは思えない。
「無茶苦茶……!!」
巨大なレーザー砲台が味方を薙ぎ払い、跡形もなく消し去った。
これほどの蛮行は、地球に住む暴徒たちでさえ行わないだろう。敵を殺すことはする。生きるために。その延長線で、無意味な暴虐にその身を落とすこともあるだろう。
だが、これは絶対に有り得ない。こんな……めちゃくちゃな攻撃は。
「ゼウス……ふざけんな!」
憤って叫ぶ。聞こえはしないだろう。いや、もしかすると聞こえていて、遠くから嘲笑っているのかもしれなかった。ゼウスは黄金の種族だ。人の心の叫びが聞こえるはずだ。
相手の心がわからずに……共感できずに殺すのではない。相手が何を考えているかを知っていて、虫けらのように殺すのだ。知識がないわけでも常識が不足しているわけでも性格が破たんしているわけでもない。ただ不要だから殺している。
「あいつめ、出会ったら絶対に……!!」
「落ち着いてください、シュノン。興奮するとまともな判断ができなくなります」
「はぁ? こんなの見せられて落ち着いていられるわけないじゃん! ホープは何も……あ」
ホープは静かに操縦桿を握って、迫り来る敵機体を淡々と処理している……かのように見える。
だが、シュノンはわかる。弾みで反対のことを口走りそうになったが、わかっている。
ホープは怒っていた。感情優先型らしい、人間よりも人間らしい豊かな感情動作をして。
「私は冷静です。ええ、冷静に……怒っています」
静かな怒りを湛えながら、二枚羽の戦闘機を討つ。テスタメントが空中で投げ出され、果てしない宇宙空間へと投げ出されていく。
ホープは抵抗する意志のない敵を殺す気はない。殺すにしてもやむを得ない場合のみ。高潔で未来的な素晴らしい思想を持つアンドロイド。だが、だからと言って侮ってはいけない。殺さないのは甘さではなく強さだ。
「あの砲台を残しておくのは危険です。可及的速やかに破壊します。……先輩!」
『オッケー。そっちのコントロールは任せて』
「は? 何……ええっ!?」
驚愕するシュノンを後目に、ホープの身体が下へと降りていく。座席が下降して機体下部に潜り込む形となったホープは、次の瞬間には宇宙空間に射出されていた。
「え、ちょ、こんなの聞いていない!」
『ああ、すみません。言い忘れてました』
能天気なことを言いながら、ホープはコックピットの外から手を掛ける。
その全貌を見て、何の考えもなしに彼女が外へ出たわけではないことを理解する。
ホープは高機動用の追加パックミョルニルを背中に装備していた。宇宙空間での高速機動を可能にするそれは大型のジェットパックとでも言うべき代物であり、ヴィンテージに搭載されていた白兵戦用の装備だ。
てっきり基地に乗り込む際に使用すると思われたそれを、ホープはたった今身に着けている。確かに砲台を壊すために敵基地に乗り込む必要はあるが、それにしたっては急だ。
何より、自分をヴィンテージ内に置いてきぼりにしている。宇宙戦闘機の操縦などまともにできないのに。
「ちょっと! 置いてきぼりにするつもり! ってか私だけじゃ帰れないって!」
『置いてきぼりにはしません。追尾モジュールは組み込まれていますし、先輩のアシストがありますから』
「それはそれで大問題なんだけど!?」
『では、行きます!』
そう言って、ホープはヴィンテージの前を先行する。すると、機体が勝手に動き出してホープの後を追従し始めた。目を白黒とするシュノンなどおかまいなしにヴィンテージは出力を上げて、オートパイロットで戦闘までもしてみせる。
『やはりいいものですね。空を飛ぶ感覚は』
「最低だよチクショウ! でも、しょうがないか……」
単騎で敵の戦闘機を翻弄し、両手に構えるダブルライフルで撃破するホープを見ながら、シュノンは諦める。
仕方ないのだ。ゼウスのあの残虐性を目の当たりにした今は。
何としても、あの砲台は破壊しなければならない。そのためになら、多少の不自由は許そう。
「帰ったらおかんむりだからね」
『何か言いましたか?』
「何でも。とにかくやっちゃえホープ!」
シュノンはホープを囃し立てながら、トリガーを握りしめる。
やることは地上の時と同じだ。レーザーは銃弾とは違い、調整さえすればまっすぐ飛んでくれる。当てやすさはレーザー兵器の方が上。ただでさえ宇宙一のスナイパーである自分の命中精度は、さらなる向上を見せている。
引き金を引いて、紅いレーザーが宇宙を奔る。敵の羽が焼け焦げて、失速したところをホープが右腕に装備されるレーザーソードで切り裂いた。
※※※
「やはりやるのだな……H232!」
ヘルメスは月面基地のオペレーションルームから、H232の猛攻を俯瞰していた。
アンドロイド用の装備パックへ換装した彼女は、無人型よりも全てが勝る宇宙戦闘機を次々と撃墜している。艦隊の間を縫うように舞うその姿は、獲物を電光石火で捕らえる鷹のようだ。
もうまもなく、H232は最終防衛ラインを突破して基地内部へと進入を果たすだろう。そして砲台を破壊し、オリュンポスデータベースを停止しようとするはずだ。
そう……もうまもなく。
『戦況は芳しいようだな』
「はい……アレス殿!」
ホログラムとして出現したアレスに、ヘルメスは頭を垂れる。
もうまもなく、こちらの作戦の準備は整う。レーザー兵器もグングニールも、言わばここに敵を釘づけするための囮でしかないのだ。本命はたかが大量破壊兵器如きが肩を並べるような存在ではない。その存在は、今も敵の後ろから付け入る隙を狙っている。
もうまもなく。――まもなく、アレス殿が攻撃を開始する。
『曖昧な希望に縋る己の愚かさを知るがいい。まもなく攻撃に移る。準備は』
「できております!」
ヘルメスは返答し、ほくそ笑む。
――H232、お前はなかなかやるが、所詮はなかなかだ。シグルズを討った今、我らが主の次なるターゲットは、他ならぬお前自身だと気付いていない。
自爆コードは既に入力済み。カウントダウンは進行中。
後は獲物が罠に掛かるその時を、虎視眈々と座して待つ。