戦支度
クォレン大佐は待ちきれず、ブリッジ内を歩き回っていた。これほどまでに浮足立ったのは、妻の出産に立ち会った時以来だ。
その時産まれた娘はすっかり成長し、先遣隊へと志願した。少々抜けているところはあるが、航海士として優秀だったのでクォレンとしても憂いなく送り出せた。
今回の作戦の成否はその娘に掛かっているといっていい。親子共々、重要な立場に身を置いている。そのことを、喜ばしく思っていた。緊張と期待で歩みが加速する。
「敵艦隊出現位置から転移座標の逆算を行い、位置を特定しました!」
「本当か!」
艦長兼司令官の立場として、常に冷静沈着でいなければならない。そう考えていたが、この時ばかりは興奮を隠しきれなかった。それはクルーたちも同じだったようで、驚きと歓声が入り混じる。
「場所は!」
皆の気持ちを代弁した問いに、オペレーターは感極まった声で応じる。
「月の裏側です!」
「崩壊した月面基地を再利用していたようだな」
モニターに映し出された画像を注視して、顎に手を置く。偉大な指導者から教わった、忌むべき敵の基本手法だ。敵から略奪し、利用する。リソースが不十分だった敵が、我らが祖国を崩壊に追いやった手腕は未だ健在だ。
「……全艦隊に連絡しろ。総力戦になるぞ!」
「了解しました!」
弾む声でオペレーターが周囲に展開する艦隊へ連絡を送る。クォレンの顔が引き締まった。今回の作戦に失敗は許されない。出し惜しみも様子見も有り得ない。機会はたった一度きり。
悪手ではあるが、全戦力を集結し、目標を撃破する。長きに渡り味わわされてきた雪辱を果たすチャンスであり、反撃の時だった。
「目標座標、治安維持軍旧宇宙本部月面基地! 各部隊は戦闘準備を整えた後、こちらの指令を待たれたし!」
(あれをここで破壊しなければ、シグルズ殿に顔向けができん。総司令官自ら、陽動を買って出たのだ。……敵による罠の可能性も残っているが、もし罠ならば突き破るだけのこと)
オペレーターの通信を聞き流しながら、クォレンは真剣な眼差しとなってモニターを見つめている。座っていた副官が立ち上がり、無重力の中でふわりと浮きながら、緊張をほぐすようにその肩へ手を置いた。
「大丈夫ですよ、司令官。そう緊張なさらずに」
「無茶を言ってくれるな、レン」
普段ならこのような親しげな口調をブリッジ内で出したりはしない。プライベートルームで家族として相対する時のみだが、今ばかりは例外だった。
家族……もうひとりの愛娘であるレンにクォレンは父親としての顔をみせる。
「リンはスレイプニールを無事に地球へ届けてくれた。娘が務めを果たしたのだ。ならば、今度は私が使命を全うせねばなるまい」
「そう気負わずに。リラックスですよ、お父さん。それに、リンはああ見えて強い子。私は何も心配していませんでした」
「ふむ……そうだな」
レンの言葉は的を得ている。クォレンは深呼吸を行うと、友軍へ通達した。
「十二時間後、月面基地へ襲撃作戦を開始する! 目標はオリュンポスデータベースの破壊だ! 反撃ののろしを上げるぞ! 共和国再興のために!」
共和国再興のために! 部下たちが千年に渡る悲願を復唱した。
※※※
中央にあるメンテナンス用ポッドの前にホープは佇み、半壊した同僚を複雑なフォーカスで眺めていた。ポッドに入るブリュンヒルドはスリープ状態を維持し、覚醒する兆しは窺えない。
「心配するなって。連れて帰ってくれたんだ。あたしがどうにかするさ」
「先輩……」
端末を操作するウィッチは、適性コードをブリュンヒルドのコアに送信している。
ブリュンヒルドの保全は彼女に一任していた。彼女の方が適任だからだ。
「大丈夫なの?」
「ああ、シュノンちゃん。保護プログラムをインストールしたから、パーソナルデータの喪失は有り得ない。心理光の消滅もね。後は彼女の意思次第。目覚めてさえくれれば、あたしがカウンセリングできる」
「……つまり?」
「人並みに言っちゃえば、一命は取り留めたってこと。休んでていいよ」
「先輩のおっしゃる通りです。休みましょう」
ブリュンヒルドの容態が気掛かりなシュノンの背中を押して、メンテナンスルームを後にする。と、通路で彼女を心配するアルテミスと鉢合わせた。多次元共感機能が彼女の不安を測定。
「大丈夫ですよ、アルテミス」
「まだ何も言ってない……」
「言わなくともわかります。あなたも行きましょう。疲労が蓄積しています」
アルテミスも連れ立って、ホープは施設の外に出た。光量を調整し、最適化されたアイカメラで周囲を見渡す。
メトロポリスの新たな移転先、というよりは本格的な軍事施設にホープたちは立っていた。広大な空間に多くの市民たちが集っている。設備を起動し、住宅に荷を下ろし……。その光景に違和感を覚えるのは、様々な自然に周囲が囲まれているからだ。遠くには大きな山脈が見え、別方向には巨大な滝もあり、はたまた雄大な海も確認できる。
周囲をきょろきょろと何度も見回したシュノンが、疑問を口ずさんだ。
「本当にここって地下なの?」
「ホログラムで外にいるように錯覚させていますが、地下です」
各種センサーが正常に稼働するホープには検知できる。フィルターを切り替えることで現実的光景と幻想的光景を見比べられた。本来のここは地下に隠匿された秘密基地だ。本当の景観は岩に囲まれた味気ない場所。それをウィッチが考案した大自然プログラムによってコーディネイトしている。
「こんなに綺麗なのに……」
「どれだけ綺麗でも偽物よ。まぁ……偽物が絶対悪いとは言わないけど」
景色にうつつを抜かすシュノンへアルテミスがそっぽを向きながら言う。
そこへ同意する声が加わった。データベースで検索する必要すらない人物がこちらに向かって歩いてくる。
「彼女の言う通りですわ」
「お姫さん」「姫様」
「フノス姫……」
一礼するホープと名前を呼ぶシュノンたち。対応の違いに思わず彼女の姿を探してしまい、諫めるはずの彼女がこの場にいないことをメモリーが指摘する。
気落ちするホープの横で、アルテミスが微妙な面持ちとなっていた。彼女は一歩踏み出すと、頭を下げる。その行動にシュノンが驚き、ホープも目を見開いた。
フノスだけが柔和な笑みを浮かべて、平然と応対する。頭を上げてください、と。
「今回は私のせいで敵に襲撃されてしまったわ。この程度の謝罪じゃ足りない」
「あなたのおかげで友軍が今頃奇襲作戦を立案しているはずですわ。むしろ、謝罪するべきはこちらの方。あなたの立場を利用した私たちの方です」
「そんなことは……」
「あります。けど、もう構いませんでしょう? あなたは清々しい表情をしていますわ。憑き物が落ちたような、そんな顔。共通の敵を倒すために必要なことを成しましょう」
アルテミスに追従するように頭を下げたフノスは顔を上げて、手を差し出した。アルテミスは戸惑いながらも小さく笑ってその手を握る。アルテミスが真の意味で仲間となった瞬間だった。アルテミスの救済がゼウスの計画通りだったとしても、この展開までは予想していないはずだ。
ゼウスの計画には小さな、しかし致命的な綻びが発生しているように感じる。希望の光は闇の中にも差し込んでいるのだ。
「とにかく休息を取ってください。後十時間を切っています。ゼウスは艦隊の大部分をメトロポリス付近へ降ろしましたが、まだ楽観視はできませんから」
「あーそっか。地上に注意を引きつけるために反撃しなくちゃならないのか。かー、また戦いねぇ。みなさん戦い好き過ぎない?」
シュノンが呆れたように呟くが、ホープとしては首を傾げざるを得ない。アルテミスも同じように疑問を顔に表出させ、あら? とフノスも疑問の声を漏らしている。
へ? とシュノンも困り果て、何かに気付いたように愕然とし出した。
「え、あ……まさかまさかまさか」
「私はそのまさか、だと思うわ」
「余計なこと言わないで! 私は何にも聞きたくない!」
アルテミスの諫言に、両手で耳を塞ぐシュノン。しかしその程度で逃れられるほど黄金の種族は甘くない。フノスは眼を瞑って情報粒子のネットワークを繋げた。
シュノンが気が狂ったかのように奇声を上げる。その気持ちにホープは多少なりとも共感し、苦笑フェイスとなった。
「ぐわーやめろ作戦内容を私の頭の中に直接流すんじゃない! 嘘だぁ……何で……マジで……? 空飛ぶのは海に潜るくらいやーなのに!」
「でも出会った当初に、行ってみたいと言っていたではないですか。予想していた形とはだいぶかけ離れていましたが、念願が叶いますよ?」
初めてシュノンと一夜を共にした時のことを再生し、ホープが諭す。だが、シュノンは苛立つように叫んで、悲痛な声を放った。
「んな昔……っほどでもない時のことなんか覚えてねーですし! その希望はあくまでエアカーが殺人マッシーンだって知る前のことだっし! どうしても行かなくちゃダメなの……?」
「ダメです」「ダメね」「ダメですわ」
言葉のハーモニーを三人一斉に奏でると、シュノンはほわぁー! と言語中枢が無意味言語として放置してしまうような狂声を叫び、現状を嘆いた。灰色の髪をくしゃくしゃに乱れさせながら。
「あーくそ、くそくそくそぉ! 行ってやる! 行ってやるわよ! 宇宙ってところにさぁ!!」
シュノンが自暴自棄になったように言い、ホープはフェイスモーションのまますみませんね、と小さく呟く。視線をこれから利用するソレへと移して、宇宙戦闘シミュレーションを開始した。
レンズの内側に捕捉されたのは、改修されたスレイプニール。十時間後、あらゆる準備が整い次第、ホープたちはそれに搭乗して友軍の艦隊と合流を果たす。
※※※
「ああ、不安です不安です……シグルズ様がいないのに、私がどうにかできるのでしょうか。戦乙女さんも今回の作戦には不参加って言ってましたし……うぅ」
「にゃに歩き回ってるにょにゃ? 落ち着くがいいにゃ」
「ああ、ごめんなさいごめんなさい……不安になると歩き回るくせがありまして……」
仮設テント内を、リンは忙しく歩き回っていた。滲み出た不安が行動にまで出てしまっているが、自省しようとしても止まらない。その様子をミャッハーなるネコミミ少女たちが不思議そうに見つめていた。
テントの外ではやる気に漲る仲間たちが装備の点検や作戦の見直し、休息などを取っているが、胃潰瘍の節もあるリンには眠る気力が湧いてこない。胃痛と戦いながら、不安に苛まれることのみしか選択肢は残されていなかった。
「ああお姉ちゃんもお父さんも頑張ってるのに……何で私軍人一家に生まれちゃったんだろ……神様の人選ミスだよぅ」
「にゃにか壮大にゃことを言ってるにゃ」
「きっと彼女は選ばれし勇者かにゃにかにゃにょにゃ」
「彼女がみんにゃを救ってくれるにょにゃ!」
短絡的思考を終えたミャッハーたちは突然リンを取り囲み、唐突な胴上げを開始した。ええ!? どうしてこうなるんですか!! というリンの声はにゃーしょい! という独特の掛け声に掻き消される。
胴上げはネコのミュータントがテントを訪問するまで続いた。いるか? 麗しい娘たちよ。その一声で三人のミャッハーたちはリンから手を離す。リンの背中に衝撃が奔った。
「あぅ……ううう」
「ネコキングにゃ!」「みゃーたちの王にゃ!」「会いたかったにゃー!」
「酷いですよぅネコさんたち……」
ミャッハーたちはリンのことなどすっかり忘れて、ネコキングと共に街に繰り出していく。その姿は珍妙だったが、曲がりなりにも青春の一ページ的な何かだ。人生に充実している彼女たちが羨ましい。
「はぁ……彼氏ができたこともないのに」
年齢的には花も恥じらうお年頃、のはずが戦艦の操舵手として小さい頃から訓練を重ねるうちに、そのような青春とは無縁となってしまっていた。同年代の友達が恋愛や遊びに興じる間も操舵訓練か趣味であるメカいじりに明け暮れ、完全にそういうものからは疎くなってしまった。
「適性があったから仕方ないし、そのことを恨む気はないけど……ないけど」
もし日常生活を謳歌できたのなら、同じような趣味を持つ友達と遊んだりして、上手い具合に自分を受け入れてくれる丁度良い顔立ちの男子と恋愛したのだろうか。
自分の境遇にため息を吐いていると、外からにぎやかな声とそれをあしらう声が聞こえてきた。テントに入ってきた白銀の騎士が、後をぴったりとくっついて離れない少女に困っている様子だ。
「パパ……また行っちゃうの? 依頼を果たすの?」
「依頼は必ず果たすのが俺の信条だ。レイン、この信条を覚えておけ」
「もう何百回も聞いたよ。パパ……」
子どもが飽きたように言う。親の気持ち子知らず。子の気持ち親知らず。不器用な親子関係を気だるげに見ていると、不思議と懐かしい気持ちが蘇る。小さい頃、火星を防衛するために出撃する父に、遊んでくれとせがんでは泣いたものだ。そのたびに父は共和国再興のためにやらなければならない使命がある、と力強く言っていた。
今ならその気持ちはわかるが、やはり寂しさも心に居残る。
「少しだけ、でもいいですから、遊んであげたらどうでしょうか」
口を衝いて本音が出ていた。出過ぎたことを言ってしまい、あ、と思わず口を塞ぐ。バケツヘルムの傭兵は訝しむようにこちらを見て、値踏みするように視線を逸らさない。あわあわとしながらも、リンはどうにか言葉を捻り出す。
「い、いつ何が起こるかわかりませんし、遊べる時に遊ばないと、こ、後悔しちゃうかもしれないですし」
チュートンという名前の傭兵は何も言わない。リンは顔を俯かせた。
「わ、私も似たような経験が……あったので」
「なるほど、一理あるな」
チュートンは同調すると、装備をテント内に置き始めた。ジェットパックや銃器を床に置くと、ヘルムへと手を掛ける。誰も見たことがない、とまで言われる彼の顔が露わとなり、
「――ふぇ!?」
リンは息を呑んだ。彼の顔は言語での説明が不可能なほど……麗しかった。なぜいつもヘルムを被っているのか謎なぐらいだ。あらゆる異性が彼に一目ぼれしてしまうほどの美貌を振りまいて、チュートンは装備を片付ける。
異性としてよりも戦士として意識していたはずが、一気に別の方向へ心情が移り変わる。いや……あれほどの容姿なら別に付き合わずとも良い。遠くで見ているだけで幸福感が得られる。そのような顔立ちだ。
「忠告を感謝する」
エフェクトが掛からない美声が、リンの鼓膜を震わせる。完璧。まさに完璧だった。美男子、などという括りで括ってしまうことがおこがましい。彼はまさに彼という単一な評価がふさわしい。
「いこー、パパ!」
レインはその父親に無邪気についていく。幼い彼女は自分の父親がどんな存在か知らないのだ。いずれ父親の魅力に気づいた時、彼女はどうするのだろう。付け加えるのならば、彼女とチュートンは実の親子ではない。ああ、いけない妄想が止まらない……。
「ちょっと、おーい。何してんの?」
「うきゃあああ!!」
「何さ、驚くようなサプライズあった!?」
「あ、ある意味シュノンさんが最大のサプライズって言うか……」
「何それ。私がゾンビ的だって言いたいの? 失礼しちゃうね」
「ゾンビとまでは言いませんけど……」
ただただシュノンに声を掛けられて驚いた。考え事が考え事だったので。
そう説明するまでもなく、シュノンはリンの隣にどっかしと座り込んだ。
「まぁいいや。聞きたいことあんだけどさ」
「……見なかったんですか?」
「は?」
「い、いえ何でもないです……」
どうやらシュノンはチュートンと入れ違いになったらしい。ホッとするのか残念なのか。よくわからないままシュノンの話を聞き入れる。
「で、何でしょうか」
「宇宙ってどんな感じ?」
「え?」
「だから宇宙ってどんな感じってば」
今のえ? はシュノンの質問に対する疑問だったのではない。なぜ自分に聞くのかという謎から発せられたものだった。そう説明するとシュノンはいやねー、と口を動かして、
「ホープはテキスト通りのセリフしか言わないし、お姫さんはなんかずっとにたにたしてるし、アルテミスはよくわからないみたいだし……お手頃なあなたが適当かなって」
「それはそれでちょっと複雑ですね……」
苦笑いがこぼれる。が、シュノンの性格については最初に出会った時のインパクトでもはや慣れっこだ。ぎこちなく笑いながら、そうですねぇ、と前置きを漏らし、
「ふわふわしてるんですよ、宇宙って」
「ふわふわ……? 無重力のこと?」
「それもあるんですけど、何ていうか……曖昧な空間なんです。こうしている今も、宇宙さんは広がって拡大を続けています。無限大に! 無限に続くフィールドを精製して、そのついでに私たちのような生命体を作っている。きっと宇宙さんの目的は、領土の拡大なんですよ」
「何言ってんの?」
両手を広げるジェスチャーを交えて説明したが、返ってきたのは訝しげな眼差しだった。あれ? と疑問符を浮かべながらも主観を混ぜた解説を続けていく。
「と、とにかく、宇宙ってのは生命の源なんです。いや、惑星の源ですか。宇宙があるから星があって海ができて、そこから私たちが生まれた。無限に広がる宇宙は、無限大に広がる可能性なんですよ。だから、かつてオーディンって科学者は外宇宙に進出しようとしたんです。地球の保護という名目もありましたけど、本当は人類の可能性を試したかったんだと思います。でも……」
「ゼウスが出てきて全部ぶち壊した。……私が聞きたいのはそういうことじゃないんだけど」
小さな声でシュノンが相槌を入れたが、自身の振りまく宇宙論に夢中になっていたリンは聞き逃した。戦艦の操舵士になったのは適性があったからでも、軍人一家に生まれたからでもない。単に宇宙が好きだったのだ。無限に広がる宇宙に繰り出したかった。
(あ、そっか……そうだ、私宇宙が好きだった……)
ふとしたことから、原初の気持ちを思い出す。そう、無限に広がるスペースフロンティアに焦がれたから、自分はスレイプニールの操舵手として戦っている。
戦いが好きなわけじゃない。不安がないわけでもない。でも、戦うしかないのだ。
自分の夢を追いかけるためには。同じように夢を追いかけようとする人々のためには。
「そうだ……そうでした! ありがとうございます! 自信が漲ってきました!」
「へ? ど、どうも? ってちょま! 私の話はまだ!」
「ごめんなさい! やること思い出しました! スレイプニールに行ってきます!」
そうとも、テントで燻っている場合じゃない。夢のために、みんなのために、自分のために、戦う準備をしなくちゃいけない。
リンはシュノンを置いてテントから飛び出した。彼女が何か言っていた気がするが、熱中する耳には届かない。――家族からちょくちょく窘められる悪癖を存分に発揮してしまっている。
「ちゃっちゃと終わらせて、新しいオモチャを作るんです! 共和国再興のために!」
格納庫エリアへと一直線に、髪をはためかせながら進んでいく。
「うっそーマジかよ、何にもわからなかったんですけど? ……ふわふわね。あなたの頭の方がふわふわしてんじゃないの?」
その背中を見送ったシュノンが、諦めきったため息を吐いた。
※※※
「頼むよキルケ―。あたしに力を貸してくれ」
祈るように呟いて、ホロキーボードを叩く。啖呵を切ったのはいいが、状況は芳しくない。前のポッドに収まるブリュンヒルドの心理状態は最悪の一言であり、ウィッチは焦っていた。
「こういうことしかできないのに、これすらも満足にできないなんて、そんなことはないだろう……?」
「あまり根を詰めるべきじゃないな、ウィッチ。君はスレイプニールのシステムチェックも同時進行しているんだろう?」
メカコッコが気遣う。ホープの新装備のセッティングと、搭乗機である宇宙戦闘機を調整しながら。
この程度の並行作業は問題なくできる。無論、どちらも完璧に。気遣われるようなことではない普遍的な行為だったが、それでもその一声のおかげで気が楽になった。
あたしはひとりじゃない。あの時とは違う。それを再確認できただけで。
「お気遣い感謝します、ドヴェルグ博士」
「とにかくシステムの保全に努めるしかない。目覚めるタイミングは完全に彼女に譲渡される。急く必要はないよ。君は十分頑張っている」
「……その十分な頑張りじゃ、足らないんです。理想論だってことはわかっていますけど、どうしても……」
「割り切れないか。……技術者も似たような気持ちになることはある」
「博士?」
メカコッコはニワトリドロイド用に高さを調整した端末の操作を止めた。横で作業するウィッチを見上げる。この時ばかりは変なニワトリではなく、知性に富んだ老人の顔がメモリーを刺激した。
「もう少し安全性を高めれば。もう少し機能性を拡張できれば。……悩みと後悔は尽きない。もっとやりようはあったのではないか、とね。たったひとりを死なせたり、怪我させたりしてもそう思ってしまうのだから、世界が滅んだのならなおさらだ。正直、崩壊する世界と共に、消えてしまいたい衝動に駆られたよ。わざわざ人格を残す必要はないのではないかと」
「でも、博士がいなければ」
「そうだ。それは自負している。そうでなくては、わざわざ生き恥を晒す甲斐がない。……ずっと、彼女が……誰かが現われるのを、ニワトリの姿を模して待ち続けた。この哀れなチキンに助けを求めるのをね。我ながら典型的な蔑称だな」
「だから、ニワトリなんですか。自分のことを戒めるために」
今までドヴェルグがニワトリに扮していたのはただの趣味だと誤解していたが、どうやらちゃんとした理由があったようだ。己の勘の鈍さを恥じながら、彼の言葉をインプットし続ける。噛み締めるように。
「世界は変わった。かつてのように安全ではなくなった。治安が守られることもなければ、法律が存在するわけでもない。崩壊当初こそ、まだ良識を持っていた市民たちが集落を結成し、自衛していたが、それも時が経つにつれて失われた。暴徒が跋扈し、自由が混沌へ変質する姿を、ずっと観察し続けた」
「……辛かった、ですか?」
「君ほどではないが、真実だ。歯がゆかったよ。何が正しいのかを知っているのに、それを教えることができない。彼らはなかなか学んでくれなかった。文明の再生は容易ではないと痛感したよ。自らの無力さを情けなく思いながら、私は譲歩することにした」
「譲歩?」
「妥協とも言う。彼らに合わせることにしたんだ。そうすることで……方法は劣悪だったが……それでも救える数が増えた。全ては救えない。取りこぼしもある。だが、単独でどうにかするよりは、確実に良かった」
それがまた皮肉だがね。メカコッコは自嘲気味に笑う。
まるで賢者のような顔をしていたが、結局は他人頼りだったと。
「私たちは結局、ホープ頼みだ。彼女を喪えば、私たちの勝ち目はなくなる。……肝心な時に何もできないことも多い。だが、だとしても私たちは全力を注ぐ。戦士たちが帰ってくる場所を守るために」
「博士……そうですね。あたしたちは全力を尽くす。それだけ、ですね」
「その通りだ。だが、先程も言った通り、適度な休息は必要だ。休める時に休みなさい。……実力を余すことなく発揮するために」
「はい……じゃ、後少しだけ」
ウィッチは笑みのフェイスモーションを作ると、区切りが良いところまで作業を続けた。焦りは検知されない。自信だけが出力されていた。
時間はまだ十分にある。かつての相棒が自分を見守っていてくれている気がした。




