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脱却

「ヒルドさん……」


 アレスに両腕を斬り落とされて大破したブリュンヒルドが、眼前で転がっている。普段のクールな印象から一転、絶望感が彼女の本来持つ魅力を覆い隠している。


「ホープ……どうして」

「仲間を救いに戻るのは当然ですよ」


 そう応えながら、テンペストをアレスに構える。戦術データベースを参照。エコー探査により周辺状況をアップデートして、あらかじめマーキングした逃走経路を再確認。


「その救済欲こそが、悲劇の引き金になることを知るがいい」


 アレスが漆黒のレーザーサーベルを振りかざす。初めて見る武器……ではあるが、なぜか懐かしい感覚がした。しかし、現実は変わらない。レーザーサーベルを用いたアレスの戦闘パターンのデータはデータベース内に存在しない。

 ただでさえアレスには劣っているのに、未知の攻撃を防ぎながら、ブリュンヒルドを救出する必要があった。高難易度のミッション。本来なら準備を重ねて戦術を整えて、万全なバックアップ体制で臨むべき作戦だ。


(でもヒルドさんは見捨てません。先輩に頼まれましたし……)


 ――それに個人的な借りもある。目標と言うべきか。

 ホープはいつか、ブリュンヒルドに認められるアンドロイドになるという志を密かに持ち合わせていた。それを叶えるチャンスをみすみす逃す理由はない。例え、困難な作戦だとしても。


「逃げなさい……ホープ。私は、もう」

「もちろん、逃げますよヒルドさん。あなたを連れて」

「ホープ……!」

「どこまで愚鈍なのだ、H232。W117の時のような奇跡は起きぬぞ」

「奇跡は起きないでしょうね。理解できています」


 テンペスト内でエナジーチャージ。最大出力へと調整し、発射態勢を確立。


「これは必然ですから!」


 フルチャージ射撃を放つ。高密度のレーザーがアレスを射抜く……はずもない。

 漆黒のレーザーが閃光を切り裂いて、何事もなかったかのようにアレスが平然と佇む。ここまでは予想の範囲内。前回防がれた攻撃を、今回は素直に喰らってくれるなどと楽観視はしていない。


(隙を作るための布石……上手くいけば!)


 アレスがレーザーを迎撃する刹那に、ホープはブリュンヒルドへと駆け寄っていた。同タイミングで脚部ポッド搭載のミサイルによる目くらましを穿ちながら。

 ミサイルに気付いたアレスは剣で巧みに斬り落とし、その間にホープは逃走を図る。最初から戦う気などない。今回は撤退戦なのだ。シュノンに言わせれば今回もではあったが。


(勝ち目のない相手に正面切って戦うなど……有り得ません!)


 無気力なブリュンヒルドを抱きかかえると、そのままプレミアムが停車するルートへと移動を開始する。一瞬上手くいくかと思考ルーチンが判断した。が、それはほんの一瞬であり、警告音が電脳内に響くこととなってしまう。


「その程度の目くらましが通用すると思ったのか」

「くッ……!」


 アレスが接近してくる。咄嗟に片手でピストルを撃ったが効果がない。銃弾ではアレスの歩みを阻むことなど敵わず、溶けた鉛玉が地面へと滴り落ちていく。


「お前もシグルズや……B53と同じだ。ありもしない希望に縋り、迫り来る絶望から目を逸らす。気付くべきなのだ。全てが仕組まれたことだと。治安維持軍は世界を滅亡させた大罪人なのだ。なぜ間違った道を行こうとする」

「間違いなどではありません! この道こそが正しい道です!」


 強い言葉を放つが、言葉ではアレスを制することなどできない。どれだけ高潔な想いがあろうとも、強大な力の前では無力だ。そう、力だけでは――。


(ETCS! これなら……!)

「小手先の技で俺から逃れる算段のようだが、無意味だ」

「――ッ!?」


 アレスはホープの逃げ道を塞ぐように、サーベルを薙いだ。洗練された太刀筋が、ホープとブリュンヒルドを切断しようと迫った。

 瞬間……既視感に襲われる。咄嗟にステップを踏んで、ホープは躱した。


「……!?」

「何?」


 アレスの斬撃を回避し、他ならぬホープ自身が驚く。なぜ避けられたのか。思考ルーチンが理由を説明できずにエラーを起こしている。初めて受ける攻撃のはずなのに。


「偶然……まぐれだ」

「ッ」


 アレスによる剣術。敵を的確にとらえ、一部の達人のみしか防げぬであろう一振りを再度ホープは避けた。一度ならず二度までも。


「バカな」

「何が……何で……」


 当惑しながらも、目に入るのは弱りきったブリュンヒルドと、穏やかな表情で眠るシグルズ。ホープは動揺を心の奥底へ押しやり、同じように惑うアレスを振り払うべくETCSを発動させた。


「待て……H232!」


 三度目の連撃。回避を前提として踏み込んだ斬り返しを、ホープは足捌きと屈みを駆使して全て避ける。そのままアレスから全力で距離を取って、街中を疾走していった。


「……」


 アレスは追撃してこない。――呆然と立ち尽くしているようにも見えた。




「どうにか振り切れましたか……」


 安堵しながらも、疑問が解消されていない。なぜ避けられたのか。所見である敵の剣術を。


(刀と剣では戦い方が違いました。……剣の方が鋭かった。なのになぜ)

「シグルズ……様……」

「ヒルドさん……」


 か細い音声が聞こえて、ホープは思考ルーチンを別方向へ働かせる。

 ブリュンヒルドは弱り切っていた。凛としたかつての面影はどこにも窺えない。両腕を破壊され、マスターを喪失し、自分自身すらも見失う彼女は、壊れかけたアンドロイドだ。機能不全に陥り、ファントムペインに苦しんで、心の光を維持できなくなる。アンドロイドの死。ポセイドンが自分に味わわせようとした暗く深く重い絶望。


「あなたに死んでもらっては困るのです……ヒルドさん!」


 それでもホープは諦めない。他者を蝕む絶望を振り払う希望の光。それが自分であるとホープは知っている。マスターから教わった、与えられた使命。


「あなたにもあるはずです、ヒルドさん! マスターから与えられた使命が!」


 ブリュンヒルドへ呼びかけを続けながら、ホープは退路を進んでいく。敵に発見されないよう迂回し回避し回り込み、マスターの元へと走り続けた。

 ブリュンヒルドのアイカメラは光を急速に失いつつある。感情アルゴリズムが痛むと同時に、ホープのスピードが上昇していく。



 ※※※



 何度経験したとしても、このようなシチュエーションに慣れることはない。壊れかけアンドロイドの宅配便ならなおさらだ。

 シュノンは苛立ちながら、プレミアムのハンドルを握りしめている。敵の群れがすぐ近くにいる状況下での待機は胃にきりきりとした痛みを与えてくるのだ。


「また迎えに行くとか冗談言わないでよね。……アレスの相手は流石に……」

「賢明な判断よ、シュノン。あなたじゃアレスに勝てないもの。私も……もしかしたらホープも」

「シグルズがどうにかするんじゃないの? あの人なら」

「……そう、かもね」


 助手席に座るアルテミスが意味深に目を逸らす。何よ? シュノンの問い質しに、彼女は沈痛な面持ちとなった。


「私は銀の種族よ。黄金の種族ほどじゃない。ジャミングの嵐が吹き荒れる中じゃ、ただでさえ人の心理光を読み取る私の能力は劣化する。けど……」

「けど、何? もったいぶらないでよ」


 アルテミスは顔を背けながら答えた。言葉に詰まりながら。


「消えた」

「は?」

「シグルズの反応が消えたの。……たぶん死んじゃったのよ」

「嘘……あの人が!?」


 死は身近にあるもの。例えホープと旅をして幾ばくか死に難くなったとしても、その自然法則はシュノンの身体に染みついている。だがそれでも、あれほどの英雄が死んでしまうなど到底信じられることではなかったが……シュノンは信じることにした。

 アルテミスはこんな時に嘘を吐くような人間ではない。それに、だからこそブリュンヒルドが暴走したのだと合点がいくところもあった。


「強かったのに……とても」

「強さは死を遠ざけない。むしろ近づけるのよ」

「そうかもしれないけど……」


 アルテミスの言葉は質量を伴ってシュノンへのしかかってくる。彼女の言葉は真実であり、ゆえに育て親であるクレイドルは自分に戦い以外の方法を教えようとしていた。

 シグルズは歴戦の戦士であったがために、何度もコールドスリープを重ねて生き続けていた。もはや戦うために生きるだけの、文字通りの戦士として。彼の存在が治安維持軍残党の支えとなっていた。

 研ぎ澄まされた眼光と、英雄としてのオーラが打ち消していたが、軍人としては高齢過ぎた。いくら進化した人類である黄金の種族でも、無茶なのではないかと思ってしまうほどには。


「やっぱり限界だったのかな……」

「そうかも。でも、理由はそれだけじゃないわ」

「え……?」


 気弱な表情のアルテミスは頬杖をついて、窓の外を眺めながら続ける。


「きっと友達を殺したくなかったのよ。信じていたのかも。元に戻ってくれるって」

「友達……何のこと?」

「それは……」


 アルテミスがシュノンへ目線を合わせる。逡巡の入り混じる顔で。

 言うべきか言わぬべきか。悩んでいるようにも見えた。息を呑んでその先を聞き届けようとしたシュノンは、


「来た……!」

「え?」

「戻って来た!」

「嘘!」


 別の報告に目を丸くして、慌てて彼女が指し示す方向へ振り向く。

 ホープがブリュンヒルドを抱えて走って来ていた。相棒の姿を目視するや否や、シュノンはキーを回してエンジンをかけ、発進準備を整える。


「アルテミス、頼みます」

「わかった……!」


 アルテミスが両腕を斬り落とされたブリュンヒルドを受けとり、助手席で抱きかかえる。狭い、などという文句を言える状態でないことはわかっていた。いくらアンドロイドと言えども、両腕を切断された状態が良好であるはずはない。ジョークの一つも思い浮かばず、ホープが荷台に飛び乗ったことを確認すると、アクセルペダルを踏み込んだ。


「出すよ!」


 プレミアムがシティを離れる。最初にホープと逃避行した時よりも最悪な状況の中で。

 幸いなのは浮遊型のビークルに襲われる危険はないことだ。ジャマーは未だ正常に動作して、いつぞやのスカイモービルが襲撃してくる可能性をゼロのままにしてくれている。が、喜ぶ気にはちっともなれなかった。嫌な予感がびんびんしている。


「何か来てない? 奪取した車で追ってくるとか!」

「主用ビークルは転送したと先輩から報告を受けています! ビークルに追われることはないかと!」

「なら安心……できそうかな?」

「私に聞かれても……あ、いけないッ!」


 同意を求めたシュノンの投げかけに、アルテミスはハッとして警句を放つ。何さ! と訊くまでもなく、ホープも警鐘を鳴らした。バックミラーにそれが映る。

 以前に出くわした、自分を殺そうと目論んだ忌々しい存在を思い出す。改良型変異体(ミュータント)……局地戦闘型生命体、忠実なる僕サーヴァント――。

 人とサイを混ぜ合わせたような巨体が、プレミアム目掛けて駆けてくる。圧倒的な加速力。人間離れしているのは見た目だけではない。中身もだ。


「あのサイ! ふざけんな!」

「迎撃します!」


 ホープが機銃を撃ち放つ。がサイ部分の体表は非常に硬く、ケンタウロスのような人型の上半身が嗜虐的笑みをみせている。獲物を捕らえた狩人の顔。もしくは忌々しいくそったれの顔。

 残忍な男の顔を撃ち砕くべくホープが照準を定めたが、恐るべきことにサイは障壁のようなものを前方へ展開して防ぎ切った。レーザーのバリアーだ。


「卑怯よ!」

「アンチレーザーシールド……! あんなものまで!」

「どうすんのホープ!」


 振り切ろうと悪戦苦闘しながら、シュノンは相棒に望みを託す。が、ホープも手をこまねいているようで、対策を打ち出せていなかった。


「実弾兵器は無効。ならばテンペストによる射撃を……いや、あれほどの俊敏性では……」

「ハッキリ言えって! どうすんの!」

「接近しないとダメだって、ホープは考えてるのよ」

「はぁっ!? バカじゃないの!」


 ホープの思考回路を読んだらしいアルテミスが告げた対応策の荒唐無稽さに、シュノンは声を荒げざるを得ない。ヤバそうなサイ《《クソ》》人間に追われてる今でさえ大変なのに、さらなる無茶な運転をしろと言う。運が良くても悪くても、プレミアムが破壊されてしまう恐れがあった。


「突撃されて死んじゃうでしょうが!」

「ですが、あのシールドを破るためには接近しなければ!」

「そしてプレミアムごとおじゃんだよ! 無理だって! ニトロ使って振り切った方が――」

「それはやめた方がいいわ。敵に居場所がばれる危険がある」


 ホープの意見に賛同するアルテミスが、シュノンの提案を押しのけた。私はゼウスのやり方をよくわかっているの。そう告げる彼女の言葉には説得力が付随している。


「そうやって、甘い対応をしたが最後、敵に避難先がばれるってことにもなりかねない。せっかくシグルズが自分の身を犠牲にしてまでみんなを避難させたのに、無意味になってしまう」

「でも、それじゃあ……!」

「ホープの作戦に乗るしかない。私も援護するわ。……罪滅ぼしになるとは思わないけど」

「ま、待って、ティラミス! 私はまだ」

「待たない。……ごめんね、シュノン。ありがとう、映画に誘ってくれて」


 まるで死亡フラグのようなことを言ってアルテミスはブリュンヒルドを助手席へと固定し、荷台へと移る。シュノンは前を見ながら叫んだ。自分勝手な友達へと。


「変なこと言って、もし死んだら殺すからね!」

「死んだら殺せないわよ。バカみたい」


 アルテミスはホープの補佐に付く。シュノンは不安と苛立ちを混ぜながら、バックミラーでその様子を見守った。



 ※※※



 彼女たちは受け入れてくれだが、それでチャラになるわけじゃない。

 今回の件は私が原因だ。私のせいだ。他人に利用されたから、なんて言い訳が通じる事態なんかじゃない。


「ふっ……危ない」


 転倒しないように気を付けながら、アルテミスはホープにしがみ付いた。ホープはサイ人間へ銃撃しながら、後ろ目で訊ねてくる。


「何か策があるのですか?」

「大体の流れはあなたと同じよ。……シールドにはウィークポイントがあるって、わかってるわよね」

「もちろんです」


 常識なので、ホープは即答。当然か、と自分の世間知らずさに呆れながら、アルテミスは説明を続ける。風で赤毛が暴れていた。


「今は悠長に弱点を分析している時間はない。でも、私がいれば別。フノス姫ほど完璧にはこなせないけど、私なら弱点を見抜けるわ。だから」

「そこへ私がテンペストを撃ち込めばいい。そうですね」

「そうよ」


 敵を撃退するのに、大仰な作戦は必要ない。ホープほどの強さがあれば。

 単調だが効果的な戦術だった。雪原地帯スノーフィールドで戦った時のように、ジャミングの台風が戦術的優位性タクティカルアドバンテージをこちらにもたらしている。

 プレミアムの後方――視界的には前方――から迫り来るサイを倒しさえすれば、敵に捕捉される可能性は限りなく低下する。運命……呪縛から逃れるラストチャンスだった。


「運命から逃れる方法は二種類ある。死ぬか、くびきから脱するか。以前の私は死を選ぼうとした。けど……もう死ねない。殺されるのはごめんだし」


 アルテミスは運転席でテクニカルを操縦するシュノンを一瞥する。微笑を漏らすと、サイ人間との脳波による接続を開始する。

 コンピューターがネットワークにアクセスし、リンクを確立するようなこと。他人の頭に侵入し、他愛のない、普遍的な情報断片の中から重要性の高いデータを盗み見る。ハッキングと言えば簡単だが、実際に行われるのはコンピューターをハッキングするよりも高度な情報戦だ。人の脳はコンピューターほど単純ではない。様々な記憶や想い、印象的な出来事が入り混じり、ダミーフォルダが大量に仕込まれている。


(く……やっぱり……)


 記憶読み取りへの対策として、このサーヴァントにも強烈なプロテクトが掛けられていた。おぞましいエピソード記憶の中を駆け抜けて、自分の心が砕けないように強く保つ。だが、セキュリティは強靭だ。ゼウスはこの展開も予期していたのかもしれない。


「アルテミス……しっかり!」


 ホープの声が聞こえてくるが、彼女の声援は儚く掠れていく。情報奔流の強さにアルテミスの意思は呑み込まれ、光の中へ吹き飛ばされた。力の制御権を喪ってしまう。


「おい――おい! 聞いているのかこの人形め!」

「ぐ……は、はい……お兄様」


 懐かしい記憶が再生される。アルテミスの意思に反して。心的外傷トラウマのフラッシュバックだ。アクセスに失敗しカウンターを貰うと、気が狂うような経験が無断で再生されてしまう。

 幼い自分が、アポロンに足蹴りされているシーンだった。アポロンは事あるごとにアルテミスに暴力を働いていた。彼自身がコンプレックスの塊だったからだ。ほとんどのアンドロイドは、人間よりも扱いが悪く見下されていた……少なくとも彼の中ではそうなっていた。

 ゆえに、人造人間ヒューマノイドである自分を見下し、心の平穏を保ったのだ。今の時代は違う。僕は人間よりも優れている。アポロンにとってアルテミスとは自己保全のためのチューナーであり、都合の良い奴隷だった。

 だから、意味もない暴力も許容される。彼のストレスケアのため生きてきた今までの人生。


「僕から逃れられると思うなよ、アルテミス。お前は一生僕のものだ」


 言葉が心に突き刺さる。埋め込まれたコードがかつての自分の在り方を思い出させて、束縛しようとしてきた。


「…………」


 もはや悲鳴を上げることもできない。嫌がる素振りすらも。全てが統制されていた。

 私はパーツであり、プログラムであり、システムである。そう定義が成されて一切の行動が制限される。呼吸さえ、命令がなければできないのだ。生きている(・・・・・)のではない。生かされている(・・・・・・・)

 それが私。オリュンポス十二神アルテミスの定義。


「……ぅ、っ」


 息ができない。コマンドがない。オーダーがない。

 息をしてよいという許可がない。だから、呼吸不全に陥る。

 生体ドロイドとしての性であり、運命だ。

 昏い闇の中で、息もできずにもがくことすら許されない。


「…………!!」


 誰か、と叫ぶことも。発声の不許可。行動の不許可。

 ――生存の、不許可。

 

 ――警告。生きることを許可されていません。命をシャットアウトします。


 無感情なテキスト分。そこへ急に降り注ぐ一筋の光。


『親の意志を継承することは運命ではないわ。例え人工物だとしても、意思があり、自由がある。運命から逃れることも、呪縛から背くことも、それは全て当人の意志が成す事象』

「……どうやって私の中に」


 忽然と語りかけられた声。黒髪の女性が暗闇の中で浮いていた。

 ホープとそっくりな女性は、困ったような表情を浮かべて回答する。


『あまりにも近いから』

「近い……距離……?」

『立場も』

「立場……」


 女性、或いは少女の答えは要領を得ない。しかし、彼女はアルテミスの疑問を解消することなく、自分の意見だけをぶつけてくる。そこのところはホープとそっくりだ。融通が利いているようで、頑固。こちらの意見など完全に無視する姿勢。


『宿命から逃れられないんじゃないの。逃れようとしないだけ。抗う努力をしなければ、人は運命に束縛されたまま。もちろん、それを選択するのは自由。他人が決めることじゃない』

「自由は……危険よ。混沌にもなりうる。現に今の世界だってそうでしょ」


 過ぎた自由は人に悪影響を与える。何をしてもいい驕りは人を愚人へと変質させるのだ。そして、母数が多ければそれが正しいと勘違いできるシステムを人間は搭載している。

 そうやって決められたある時代に正しかったものが後の世代にバカにされることなど、日常茶飯事だった。

 黒歴史として否定された過去もそうだ。何度も何度も繰り返し戦争をしてきた過去の人間たちは、過ちを犯した人間とカテゴライズされている。

 今の決断も……ホープが正しいと信じる自由も、未来では否定されてしまうかもしれないのだ。

 アルテミスの呈した意見を、幻影は肯定する。彼女は両手を広げた。


『あなたの意見は正しい。自由には責任がついている。人が責任を果たすことを忘れると、自由は混沌へと変貌するの』

「責任……私は取り返しのつかないことを……」


 輝きの失ったブリュンヒルドの表情を思い返す。彼女はマスターを喪った生きる希望を。全ての原因は自分にある。誰が何と言おうともその事実は変わらない。


『忘れないで、アルテミス。この世界は本質的に自由なの。人が少し、生き辛いように……生き易いように調整を加えているだけ。人が人とわかり合い、自らの自由の行使で生じた責任を取れば、人間は真なる自由を謳歌できる。幸福な未来を享受できる。もちろん、全てを夢物語として否定する自由はあなたにはある。選択権はあなたに委ねられた。生きたいように生きるの、アルテミス。生きれなかった私のようにはならないで』

「ま、待って……! 自分の言いたいことだけ言って消えるな!」


 アルテミスが静止する。消えかける女性に向かって。

 しかし、彼女はまたもや困ったような笑みを浮かべるだけだ。


『ごめんね。でも、見守ってるから……あの子の中で』

「待って――パンドラ!!」


 彼女が消滅すると同時に、光が周囲を包み始める。

 希望の光だった。反して、背後には絶望の闇が広がっている。


「パンドラ……? 私は今……」


 自分の放った名前に戸惑いながらも、アルテミスは前と後ろを見比べた。

 アルテミスは敵を、絶望を知っている。いくらホープやパンドラなる幻影が希望を謳っても、闇の力は強大だ。想いが全てを救うわけじゃない。想いで救われなかった命の方が多いくらいだ。

 それでも人が他者を想う心を捨てないのは、それが正しいと信じているからだ。

 こればかりはずっと昔からそうだった。黒歴史として指定され、反面教師として利用されてきた過去の世界においても。


「…………」


 アルテミスは口を閉ざす。今度は自分の意思で。

 苦悩も逡巡もなかった。何を思い悩む必要があるのか。

 背後では、アポロンが喚いている。僕の命令に従え、アルテミス! 今まで何度も何度も脳裏を貫き、自由を奪ってきたコマンドだ。

 それに背を向けて、希望へと歩き出す。――瞬間、父親の声が空間に反響した。


『我に抗うことはできぬ。どれほどの希望を謳おうが』

「そうかもしれません。でも、私はこちらへ進みます」


 アルテミスは毅然と応えると、さらに先へ進む。


『H232は未だ、真の絶望に辿りついておらぬ。勘付いてはいるであろう。しかし、真実に彼女が気付いた時、同じように希望を信ずると信頼できようか?』

「できます。さようなら、お父様」


 躊躇いのない、即答だった。暗闇が完全に晴れる。

 希望の光が運命を振り払い、真なる自由をアルテミスは手に入れる――。



「アルテミス!」「ティラミス!」

「……大丈夫。弱点はもう見抜いたわ」


 アルテミスは首を振って、脳裏に残る気色の悪い感覚を振り払った。

 相変わらずサイ人間はプレミアムを突き砕くべく駆けている。トランス状態の時間と現実の時間の流れは異なっていたようだ。

 アルテミスは当初の予定通り、シュノンへ指示を出す。


「ブレーキ踏んで、スピードを落として。サイ人間に接近するのよ」

「くそ……やってやらぁ!」

「アルテミス、ウィークポイントは?」


 ホープがテンペストをチャージしながら訊ねてくる。一発勝負だ。一度外したら最後、プレミアムはガラクタとなって死んでしまう。

 大丈夫、と心の中で念じる。私は大丈夫、やればできる。


「説明しづらいところにあるの。私が指した方向に撃って」

「わかりました!」


 ホープは疑いの声も上げずに頷いた。いつもなら呆れるところだが、今ならば頼もしく感じる。


「行くよ! ブレーキ!」

「うん……お願い!」


 シュノンがブレーキング。スピードが落ちて、アルテミスが追加命令。


「左側面につけて!」

「オーライ!」


 サイ人間とプレミアムが横に並ぶ。にやりとしたサーヴァントの笑み。そこへアルテミスは声を張り上げる。弱点を指さして頼んだ。


「ホープ、そこ! お願い!!」

「了解!!」


 テンペストのフルチャージ射撃がサイ部分の左脇を貫く。シールド発生装置が焼き焦げて胴体を喪失し、サーヴァントの表情が驚愕一色に染まった。

 だが――敵は諦めていなかった。獲物であるレーザーショットガンを取り出して、アルテミスに狙いを定める。


「――ッ」


 目を見開いたアルテミス。だが、突如視界が白い腕と盾の裏側に塞がり、車体が急転換してバランスを崩した。

 ホープとシュノンの連携技。おかげでアルテミスはしりもちをついただけで済んだ。その見事さに――バカらしさに、乾いた笑い声を漏らす。


「はは……あははは」

「大丈夫ですか!?」「大丈夫!? ティラミス!!」

「大丈夫に決まってるじゃない。……バカなんだから」


 隣ではサイ人間が事切れている。笑声を響かせながら、アルテミスは何気なく空を見上げた。

 空は真っ青で、快晴だ。憎たらしいほどに青く、そして月は見られない。


「今度こそ本当に……私は自由になれたんだ」

「そうですよ、アルテミス」

「もちろんだよ! ティラミスはずっと自由なティラミス!」


 ホープとシュノンが独り言に反応した。それぞれの間抜けな同調に呆れた表情となりながらも、心は晴れ晴れとしていた。

 もう籠の中の鳥ではない。自由に空を飛べる鳥として、アルテミスは生きていく。


「早く行こう。みんなが待ってるから」

「ですね……!」

「オッケー! 私の華麗なドライビングテクニックを披露しちゃうよ! 早くこっちへ!」


 アルテミスは助手席に移る。シートベルトからブリュンヒルドを外して、彼女を抱きかかえると、小さな声で囁いた。


「ごめんね、ブリュンヒルド。……責任はしっかり果たすから」

「よっしゃ、シートベルト良し、周囲確認、よぉーし! 敵さん、なぁーし! ちゃちゃっとおさらばとんずらさー!!」


 おちゃらけた様子でシュノンがペダルを踏む。プレミアムが希望の道を進んでいった。



 ※※※



「逃げられました」

『良い。本命を始末し、敵の狙いも読めている』


 鹵獲した通信システムでゼウスと交信するアレスは、主の言葉を不審に感じて見つめ直した。

 主は凍てつく笑みとなって応じる。


『B53から情報を奪っておらぬのに、なぜ我が承知しているのか不審に思っているな、友よ。敵の狙いなど、深く考えずともわかるのだ。戦いに興じる時、戦士が防御を意識する部分に注意を割けばよい』

「オリュンポスデータベースの破壊、ですか」


 アレスが導き出した結論に、ゼウスは満足げに頷く。


『そうだ、友よ。そなたも平常心であれば気付けたであろう』

「私は心を平常に保っております」

『嘘を吐くでない友よ。揺れておるな。過去の来襲に』

「はい」


 見抜かれていたので、素直に答える。恐れや怯え、悔恨のような負の情念ではない。そのような感情ならば、アレスは糧へと変換できた。

 だが、もっと漠然とした……曖昧でありながら明確な力を持つ未知なる感情には、対処法を持ち合わせていない。処理できない複雑な情動が、自身の中で渦巻いている。


『案ずることはない。いずれそなたは亡霊を断ち切り、遺志を葬り去れることだろう。そなたの選択を忘れるでない。そなたは自分の意思で我の元へ参じたのだ』

「わかっております、ゼウス様。……戦う機会を設けていただけますか」


 予想通りならば、戦いは近い。次なる戦場は今までの戦地よりもそれ専用の装備を整えなければならないので、入念な準備が必要だった。


『もちろんだとも。そなたに任せる。我はグングニールの準備をするとしよう』


 ゼウスのホロが掻き消える。アレスは通信タワーから外に出て、宇宙そらを見上げた。

 時刻は夜。満天の星空が輝いている。その中で忌むべき星座を見つけてアレスは握り潰した。


「グングニールの精度は向上している。前回の試験データによってな。……無駄な足掻きだと知るがいい」


 だが、何度握ろうとも、ヘルクレス座は消えない。まさにその行為こそが無駄な足掻きであると知りながらも、アレスは抵抗を止めなかった。

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