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喪失

 シグルズは戦地の真ん中で佇んでいた。周囲には破壊したテスタメントの残骸が転がっている。敵はメトロポリスの中枢にこそ入り込んでいるが、まともな成果は得られていないはずだった。盗みに入った家はもぬけの殻であり、残された品物も大した価値のない物ときている。多少なりとも犠牲は出たが、損害は敵側の方が上のはずだ。

 だというのに、その男の歩みからは何一つ危惧が感じられなかった。焦燥もない。憂いもない。全ては予定調和だったと思わせる力強い歩調。

 障害は排除し、斬り捨て、駆逐する。禍々しくも美しい、鋼鉄の男。

 その男を一目見てシグルズが思い浮かべたのは強敵に対する畏怖でもなければ、自身の作戦が功を奏した達成感でもない。懐かしさだった。


「千年ぶりか、友よ」


 シグルズが呼びかける。反してアレスは無言だった。

 放った言葉こそ、旧友と再会の喜びを分かち合うためのもの。しかし、かつての友は変わり果て、再会した場所は戦場であり、互いに武器を装備している。


「大きく変わったな。昔はそこまで無愛想ではなかった」

「そういうお前は何一つ変わらん。シグルズ」


 アレスが初めて言い放つ。黒のマスクからは何一つ表情が窺えないが、それでも彼が仕方なく会話に応じたことだけはわかった。怒りを感じる。憎悪も。世界に対する、そして自分自身に対する強烈な怒りが、友を戦いの権化へと変えてしまったのだ。


「愚かさも健在だ。ゆえにお前は読み誤った」

「……私は確かに間違いを犯した。だが、此度の件は読み誤ってなどいない」

「どこまで愚鈍なのだ。今作戦の戦闘目的はメトロポリスの奪取などではない。……お前を葬り去ることだ」

「知っている。予想できていた」


 シグルズは怖じずに突き返す。全て承知の上の作戦だった。

 ゼウスは単純な物量でどうこうできる相手ではない。治安維持軍を再生したところで、奴に勝つことは難しい。奴が恐れるのは量の兵士ではなく質の伴う剣士であり、客観的評価として奴の眼鏡に適う実力を持つと考えられる自分が狙われるのは容易に推測できた。

 だが、だからこそ笑みを浮かべる。旧友に再会できた喜びと――敵が見誤っているという事実に。


「私の価値を高く見積もっているようだが、甘いな。私など、千年も時間を浪費した老人に過ぎん」

「お前こそ、自らの価値を過小評価している。お前たちの中で唯一脅威と呼べるのはお前だけだ。お前以外はただの雑兵に過ぎない」

「どうだろうか。お前はホープに肩入れしているようだが」


 不自然にアレスの装甲服が揺れる。表情が視えずとも、身体が反応していた。


「奴は体のいい駒に過ぎん。座標を示すための鍵だ」

「いいや。彼女は希望だ。現にお前は揺らいでいる。いつでも破壊できたはずなのに、破壊しなかった。それがお前の弱さであり強さだ」

「ふざけたことを抜かすな。……お前の戯言に付き合う猶予はない」


 アレスは話を切り上げると、獲物であるブレードの鞘ごと掴んで……捨てた。シグルズが不審に思った瞬間、ワームホールの中へと手を伸ばし、本来の獲物を取り出す。

 見覚えのある剣だった。勝利と栄光の輝かしい剣は、邪悪な漆黒に染まっている。


「……今までは一度も勝利したことがなかった。一度の敗北もなかったが」

「今日はお前が俺に敗北し、共和国が大敗を喫する記念すべき日となるのだ」


 アレスが剣を構える。剣の刀身に漆黒の刃が浮かび上がる。

 シグルズも剣を引き抜いた。青い光の刃が剣を形成する。

 青と黒の光が交差した。



 ※※※



「……く」


 初めてだった。こんな感覚は。

 自分の感情と理性がかい離する。自身が引き裂かれたかのような矛盾。

 そんなものを抱くのは、彼女の特権だと思っていた。心理的欠陥を抱えたホープのみの持つ感情優先型特有の不具合だと。

 だが、まさに今ブリュンヒルドは揺れている。命令と感情の狭間の中で。

 澄み切った青空の中を舞いながら、敵を蜂の巣にする最中で。


「マスター……!」


 シグルズは終始口に出すことはなかったが、長年仕えてきたブリュンヒルドならばわかる。マスターは敵の狙いが自分だと感じていた節があった。だからこうしている今も反応が街の中心部にあるのだ。しんがりではない。敵を引きつける囮として彼は任務を果たそうとしている。

 ……死は怖くない。むしろ望むところだ。パーソナルデータの喪失……心の光の消滅が、アンドロイドの死の条件。人間よりは幾ばくか死に難くできているが、それでも死は免れない。電子化された世界なら死を回避する方法はいくらでもあったが、今はそれを望めない。

 だが、それでいい。そう思考ルーチンは判断している。死んでもいいのだ。マスターと共になら。

 共和国の再興のため死を迎えるとするのなら、それはアンドロイドとして最良の在り方だ。

 だが、マスターは……シグルズはこう言葉を発するだろう。お前は生きろと。

 それが耐えられなかった。心理的エラーが検知され、アラートが唸っている。ブリュンヒルドはその心の叫びを理性で黙らせると、ブースターを吠えさせた。


「ウィッチ、どこですか」


 心の奔流をおくびにも出さずに、セントラルタワーへ接近する。索敵レーダーに反応はなかったが、それも今の間だけだ。すぐに敵は集結し、タワーを占拠するだろう。


「ここだよ、ここ!」


 窓からウィッチが手を振っている。放棄する施設を気遣う必要性を感じなかったブリュンヒルドは、サブマシンガンを窓へと向けて撃ち壊した。バイオレンスだねぇ、とウィッチが呟く。


「逃げましょう。コマンドを」

「オーケー。転移開始……同時に大規模ジャミングを実行」


 先んじて、転移の光が街中のあらゆる場所から点滅する。有益物資に装着されたコネクターが一斉に転移座標へと移動したのだ。滞りなく転移が済んだことを確認したウィッチは、ジャミング発生装置を起動する。

 あらゆるレーダーがノイズを奔らせて、通信が遮断された。これで敵も相互連絡はおろか、座標の追跡も困難になる。発生装置が破壊されない限り、敵の増援がワープすることもない。


「重力場発生まではどのくらいですか」

「三分ってとこかな。それまでに離れないと歩いて帰るはめになるぞー?」

「そんなへまはしません、私は。……掴まりなさい」


 スカイモービルや戦闘機の浮遊デバイスに影響を与える重力場に巻き込まれるような失敗など、自分が犯すはずもない。ブリュンヒルドはウィッチをレフトアームで抱きかかえると、有視界探査で索敵しながら天空へと舞い戻る。


「……平気なはずはないだろうが、今は――」

「何を言います。平気です」

「嘘つけよ。平気なもんか。マスターとアンドロイドはセットだ。あたしだったら絶対耐えらんないね」

「あなたは耐えてみせた。ホープでさえも」

「耐えてなんかないよ。どうにかして封じ込めてるだけ。ホープだってまだ、直視できていないんだ。使命にリソースを割り振って、見ないようにしてるだけだ」


 ウィッチは同情するようなフェイスモーションを浮かべる。そんなものはいらない。そう言い放つはずのスピーカーは出力に失敗していた。


「……やなんだよね、こういうの。自分の不甲斐なさに打ちひしがれるっていうか」

「あなたは最善を尽くした。それだけです」

「その最善がこれなんだ。あたしの最善は、いつも誰かに悲しい顔をさせちまうんだよ。……昔、ホープが味方を救えずに泣いてたって話をしたろ?」

「あの甘いドロイドらしいエピソードですね」


 風を切る音が、聴覚センサーを抜けていく。ウィッチの表情が曇った。


「あの子はちょっと変なんだよ。……別にそのことであたしを怒っても良かったんだ。悪かったのは作戦を考案したあたしたち後方支援部隊で、あの子が自分の力のなさを嘆く必要なんてなかった」

「……怒る理由なんてないでしょう。それは今も同じです」


 ブリュンヒルドは淡々と述べるが、その言葉が続くにつれて情念が燃え上がる。


「怒りを感じるとすれば、それはあなたにではなく――私自身にですよ」

「ブリュン……ヒルド」


 ウィッチが呆然と名前を呼ぶ。ブリュンヒルドは怒りの業火に義体制御を奪われないように感情を律しながら撤退を続行し、


「あれは……」


 とある物を発見して、空中制動する。ブリューちゃん? と疑問を呈したウィッチはフォーカスをブリュンヒルドのそれに合わせて瞠目した。


「だ、ダメだ! それはいけない!!」

「ここからなら、合流地点に独力でも辿りつけるはずです、ウィッチ」

「無理だ! そんなものを使っても戦況は変わらない! 無駄死にするだけだ!」

「無駄かどうかは私が決めます。あなたも言いました。……アンドロイドはマスターと常に共にいるべきなんですよ。生きる時も、死ぬ時も。それが完全なシンクロ二ティです」


 ブリュンヒルドは説得しようとするウィッチを両手で掴む。投擲地点へと投射角を設定し、準備を終えた。


「ダメだ! 聞け! いくらあんたでもコントロールできないっ! あんたは命令優先型なんだ! マスターの命令を優先しなくちゃいけない!!」

「だからですよ、ウィッチ」


 ブリュンヒルドは微笑んだ。仲間に贈る、諦観と達観を混ぜた笑みだった。


「だから、こうするしかないのです」

「ブリュンヒルド……!!」


 ブリュンヒルドはウィッチを合流地点の座標へと放り投げた。そうして、改めて眼下に放棄してある装備を見直す。

 二振りの剣と動きを補助するアーマーが乱雑に投棄されていた。装着者を狂化させ、戦闘CPUとして酷使するための装備であるバーサーカーパックが。



 ※※※



「どうにか撤退できましたが……」


 安全地帯へと避難したホープは、状況を憂い背後にある街へと視線を向ける。

 不安要素は大まかに三つ。

 未だ撤退中のウィッチとブリュンヒルド。

 所在が不明なシグルズ。

 そして、進撃したとされるアレスだった。


(アレスに察知されたが最後、守りきれるかどうか……)


 あの男が街の制圧を行うためにわざわざ転移したとは考えにくい。その程度、バトルドロイドとヘルメスで事足りるからだ。こちらの意図した作戦とは言え、敵側はスムーズに街を奪取して満足しているはずだ。ほぼ空き家の状態と知れば、激昂しそうなものではあるが。

 だが、アレスの出現は計画変更を余儀なくされる事態とも言える。あの男は脅威だ。最初に邂逅してからと言うもの、あの男の存在が電脳内にインプットされて離れない。

 自分と切っても切り離せない存在である。思考ルーチンではそう定義されていた。


(戦闘力は凄まじく、脅威判定もS……いやエクストラ。その性能は未知数です……)


 現義体性能ではまともに戦えない。いや、かつての力を取り戻したところで対抗できるかどうか。


「ちょいちょい、んな端っこで何してんの? ウィッチたちが戻ってきたらおさらばでしょ? 先行部隊はとっくに向かっちゃったし、お姫さんたちだって現地で合流だって」

「周辺警戒も何のことはない。お前たちは先に向かえ」


 周辺警戒中のチュートンが促す。だが、感情アルゴリズムが拒否していたので、動くにも動けなかった。ホープはシュノンに告げようとして、


「あーはいはい言わなくてもいいよ。全員来るまで待つ気でしょ? 全くこれだからホープって奴は、やれやれ」


 そう言ってシュノンはボンネットに寄り掛かった。言動こそ珍妙ではあるが、ホープの心理光がぽかぽかとした温もりを感じている。


「ありがとうございます、シュノン」

「いいって。オッケー? ティラミス」

「……全ては私の責任よ。発言権なんて……」

「うはーまだうじうじしてる。あんま妙なこと抜かしてると食後のデザートとしておいしくいただいちゃう……あれぃ、怒った?」


 プレミアムの横で体育座りしていたアルテミスが唐突に立ち上がる。そして、荒野の片隅へと目を注いだ。不審に思って視線を辿ると、憔悴しきったウィッチが走って来ていた。


「ほ、ホープ……」

「先輩!? どうしたのですか!!」


 慌ててレッグを動かす。彼女の義体を支えたホープは、浮かび上がる疑問の数々をぶつける。


「ヒルドさんは……シグルズ様は!」

「ブリュンヒルドが……シグルズ様の救援に……バーサーカーパックを使って……」


 驚愕に顔を染めるホープへウィッチが縋るような視線を送る。自虐的なセリフを振りまいて。


「頼りない先輩ってことはわかってる。偉そうなこと言って、肝心な時に何もできない無力な奴だってのは……。だが、頼む、ホープ。あいつを救ってやってくれ。……悲し過ぎるだろ。心の痛みから逃れるために、心を狂わせるなんてさ」

「言われなくとも! スカイモービルで……!」


 ホープは仲間のビークルを借りようと辺りを見回す。だが、その前にウィッチが事情を説明した。


「ダメだ……ジャマーを街周辺に使用してる。飛行ビークルは使えない。タイヤ付きの車じゃないと……」

「だったら……!」


 バイクタイプを探そうとしたホープの聴覚センサーが捉える、なじみ深いエンジン音。無意味にアクセルを吹かしながら、運転席に乗り込むシュノンが手招きをする。


「もうわかったって。いつもの無駄なやり取りも面倒くせーし。とっとと拾ってばいなら作戦よ!」

「わかりました!」


 ホープは荷台へと飛び乗る。助手席に乗るアルテミスが私なんかが行ったら、と沈痛な面持ちでぶつぶつ呟いていたが、シュノンに頭を引っ叩かれて声を荒げた。


「ぐちぐち言ってるとシュノンスペシャルをお見舞いするよ!」

「シュノンスペシャルって何よ、もう! どうなっても知らないんだからね!」

「いいってことよ! んじゃ出すよ!」

「ええ……! 行ってきます先輩! それと!」


 猛スピードで発車するプレミアムの荷台から、ホープはウィッチに言いそびれていた想いを伝える。そんなことはない、と。


「先輩は情けなくも、無力でもありませんよ!!」


 希望を乗せて荒野を駆けるプレミアム。見送るウィッチはか細い声で独白した。


「ごめんな、ホープ。……ありがとう」



 ※※※



 光刃と光刃がぶつかり、異音と火花を散らす。

 数度斬り合いの果てに鍔迫り合いとなったシグルズとアレスは、互いの実力を測るように睨み合う。


「やるな、シグルズ」

「千年の歳月を経ても、お前の実力は落ちないか」


 アレスが剣を振るってシグルズを弾く。友としては遠く、敵にしては近い距離を維持しながら、互いに攻撃のタイミングを見計らった。

 達人同士の剣戟は得てして地味となる――。一切無駄のない戦いは、一瞬の過ちで決着がつくことが多い。ゆえに、このような間も油断できない。戦いの火蓋は落とされているのだから。


「何がお前を狂わせた? 愛か?」


 挑発の意図を含めない、純粋な問いをシグルズは放つ。アレスは間合いを測りながら無感情に応じた。


「愚問だ。そのような些事で俺は動かん。全てゼウス様の采配だ」

「お前ほど賢い男なら、ゼウスに利用されていることに気付いているはずだ。なぜあえて傀儡に興じる? そんな価値があの男にあると本気で思うのか」

「無論だとも。あの方は全てを見通している」

「お前の心に眠る真なる想いを見抜けているとは思わん」

「そのようなもの、俺にはない」

「いいや、ある。私は確信している。……お前は忘れているだけだ」


 一瞬、アレスが止まる。これは明確なチャンスだが、シグルズは踏み込まなかった。今は別の機会でもある。忘れ去られた魂を呼び戻させる絶好の機会でも。


「お前の中には、希望が眠っている。私は予期しているぞ。いずれ過去がお前に追い付き、邪悪な殻を打ち砕くだろう。そうして、お前は帰ってくるのだ。そして、それを成すのは私ではない。……お前たちは間違いを犯した。私の存在など、ちっぽけなものに過ぎん。あの子に比べたらな。継承された希望が、ゼウスの野望を破壊するのだ」

「ヘラクレスの遺志は完全に破壊する! あのアンドロイドもだ!」


 アレスが踏み入ってくる。シグルズの間合いに。しかし、彼の剣圧は凄まじく、殺意の波動が脳波を通じて襲いかかって来た。やはり、鋭い。直情的な剣術はアレスを一つの戦争単位へと昇格させている。彼はワンマンアーミーであり、戦争そのものだ。

 自身の得意な間合いのはずが、完全にアレスの独壇場になっている。防御一辺倒を余儀なくされ、シグルズは押されていた。

 だが、その間に心中を渦巻くのは、変わり果てた友への憐れみと、残したブリュンヒルドへの詫び、そして無尽蔵に溢れる希望への期待だった。

 何も恐れるものはない。恐れ知らずのシグルズとして名を馳せた彼は、今まさにその真価を発揮していた。未来を見据えて、必要な死に興ずる。なぜ恐れる必要があろうか。希望は既に灯り、滅んだ世界を満たそうとしているのに。


(すまんな……ブリュンヒルド。我が相棒よ)


 謝罪の念を情報粒子に変換する。命令に背こうと必死にもがくアンドロイドに。

 結局自分はあの少女を振り回していた。マスターとして失格だ。長きに渡る時間、ブリュンヒルドはシグルズの傍を離れずに尽くしてくれていた。その仕打ちがこれである。恨まれても文句は言えない。

 世界が救われたその時は、あの子に人並みの生活を送らせてほしいと切に願う。

 柔和な表情を浮かべ、使命から解き放たれ、情念の赴くから生きる普遍的な少女として、生きて欲しいと。


「甘いな、シグルズ」


 漆黒が青を押し返す。マスクの内側でアレスは勝利を確信した笑みを浮かべる。

 対してシグルズも笑っていた。もう十分に時間は稼いだ。後はこうすることが、現状を打破する最善だった。自分のためにも、友のためにも……希望のためにも。


「また会おう、友よ」


 あえて手の力を緩めて、アレスの刺突を受け入れる。漆黒の刃がシグルズの身体を貫いた。


「マスター――――ッ!!」


 感情を色濃くしたブリュンヒルドの絶叫が、場をこだました。



 ※※※



 ブリュンヒルドの電脳内を占拠したのは、マスターだった。

 マスターシグルズ。千年にもわたる歳月の間仕えた人物。

 その彼が……偉大なるマスターが、アレスによってその身体を貫かれた。

 間に合わなかった。間に合わなかった。間に合わなかった。

 狂った感情が吠え、決壊し、アイカメラから処理液から溢れ出る。

 もはや心を推し留める必要性は掻き消えた。無残に貫かれた。

 枷は外れ、心の声に従う。情念のままに突き動かされる。

 シグルズの望みとはかけ離れた姿で、ブリュンヒルドは暴走した。


「殺す……アレス!!」

「復讐心のような低俗な情動で、俺を倒すことなどできん」


 獣のように叫び、ブリュンヒルドは大剣を振り下ろした。狂化システムがブリュンヒルドを命令から解放し、新たな呪縛で絡め取っている。

 

 ――敵ヲ破壊セヨ。敵ヲ殲滅セヨ。敵ヲ虐殺セヨ――。

 生キトシ生ケル者、周囲デ動ク者、辺リニ存在スル熱量ヲ全テ消滅サセロ。


 単純な命令文。そのシンプルさが……ただ敵を破壊せよという簡易な文章が、ブリュンヒルドの心に安寧を与えていた。偽りの安らぎを。


「死ねッ! 死ねぇ!」

「単調な動きだ」


 乱暴に振り回される双剣は、通常の兵士なら恐るべき威力だったのかもしれない。

 しかしアレスにとっては、ただ力を持て余すだけの子どものように見えていた。理性を持った相手ならば多少は抵抗できたかもしれないが、ただ闇雲に力を振るう獣など、神の前では駄々をこねる子どもも同然だった。


「くッ……! おおッ!!」

「選択を誤ったな」


 驚異的な速度で放たれた二連撃は、そのスピードを遥かに凌駕する見切りによって呆気なく対処される。左腕が切断され、本能のままに放った蹴りも、左手で軽くいなされた。大型ビークルでさえ直撃すれば爆発を免れない打撃も、アレスにとってはただの受け流しが可能な簡易攻撃でしかない。


「主の亡骸の傍で無残に果てるがいい。お前たちの愚かさが招いた結果だ」

「マスター……侮辱……許容不可!」


 燃え盛る怒りのまま再斬撃。だが、先程と同じように斬り返されただけだった。喪った右腕からドラウプニルエナジーを血のように噴射しながら、突くような蹴りを見舞う。

 アレスは紙一重で躱すと、漆黒剣を縦に振り下ろした。動物的直感で緊急回避し、身代わりとなったアーマーが両断される。次なる攻撃に転じようと距離を取ったブリュンヒルドの右アイカメラから映像が途切れた。アレスにより銃撃で、右眼が撃ち抜かれていた。


「ぐぅッ!」

「電脳も損傷したはずだ。もう諦めろ。お前は俺に届かん」

「ああああッ!! ――ぁ」


 もはや何の策もない突撃を、アレスは左腕で殴り返した。腹部に拳がめり込んで、内部パーツが壊される。衝撃ダメージを抑えきれずに吹き飛んだブリュンヒルドは、がれきの中へと埋もれた。

 両腕を喪い、左眼で天を仰ぐ。バーサーカーパックが破損し、理性が復活したというのに、なぜか涙は止まらなかった。


「マスター……っ」

「お前から情報を引き出す。所詮、アンドロイドは人形に過ぎん。俺に刃向かうことなど不可能なのだ」

「……ッ!」


 咄嗟に全データを破棄しようとしたが、アレスのハッキングデバイスがセキュリティを突破する方が速かった。マスターを救えずに、マスターの作戦すら無に帰す。

 これほど情けないアンドロイドがいるだろうか。いや、いまい。ホープとてここまで酷くはなかった。


(結局……私は……何も……! マスター……!!)


 泣く、などという行為はしたことがない。アンドロイドとして覚醒してからはずっと。悲しみを感じることはある。だが、耐えられた。アンドロイドだったからだ。

 だが今やかつての誇りは喪われ、マスターも喪失した。自分こそが不良品であり、欠陥品だったのだ。


「く……っ……あああ」

「その身を持って知るがいい。無駄な足掻きだったとな」


 データが抜かれる。計画が、マスターの命が全て水の泡へと帰してしまう――。

 絶望に心が貫かれそうになった時、アレスが不意に顔を上げた。

 何かに興味が引かれたように。……動揺したかのように。


「バカな……戻ってきたというのか。敵わないと知りながら」

「敵う敵わないの問題ではありません。私がしたいか、したくないかです!」

「ホー……プ……なぜ……どうして……」


 疑問系で言い漏らしたが、知っている。

 なぜホープが動くのか。どうしてホープが戻ってきたのかを。

 瞬間、ブリュンヒルドははたと思い知る。ホープこそが。

 ホープこそ、不完全であり欠陥品であり……希望を携えたアンドロイドであるということを。

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