計画
ヌァザの道案内のおかげでスムーズにシェルターへと到着することができた。周囲に展開する治安維持軍の部隊……現地で合流し指揮を執ることになったネコキングがフノスへと指示を仰ぐ。
「これからどうするのだ?」
「中へ入って棺の状態を確認……そして覚醒プロセスを行いますわ」
「……本当に問題ないのか? 年代物だぞ」
案内した当人であるヌァザが訊ねる。フノスは安心させるために微笑をみせた。
「他ならぬ私自身がコールドスリープで目覚めたのです。生命維持装置さえ無事なら問題ありませんわ」
ゲートに近づくと、認証システム――AIコンシェルジュがフノスの存在を検知。自動音声のアナウンスが来訪の喜びを伝えてきた。
『音声認証開始。波形の一致を確認。対象、地球連合共和国第一王女。ようこそ、フノス王女殿下。当シェルターはあなた様の来訪を歓迎します』
「ふむ、本当に貴君は王族なのだな」
「ええ。あなたと似たような物。いえ、私は亡国の姫。実際に国を持つあなたとは違いますわ」
ネコキングに釈明するが、鎧を着込むネコのミュータントは頭を振って、
「いや、既に貴君は国を持っている。誇るべきだ」
「……ありがとう。では、先に向かいましょう」
フノスはゲートを開く。入り口から中に入り、外部と内部の環境の変化を検める。外と中の温度差を初めて体験したネコキングは感心の声を漏らした。
「砂漠の街の時も感じたが、やはり驚きは隠せない」
「砂漠にいたのか」
「しばらくはエナジーの運搬の警護を任されていた。しかし、我輩の部下たちが手馴れてきたのでな。一任して、メトロポリスへとやってきたというわけだ。……逢瀬したい者たちも、おったのでな」
「ふむ?」
ヌァザとネコキングの会話を背中で聞きながら、フノスは中へと進んでいく。アースガルズとは違い、多少戦闘の痕跡が残っていた。ヌァザの友である番人がブラッドユニコーンのボスと行った戦闘の跡だ。ヌァザを心配するように振り向くが、彼は義手を振ってアピールをする。
「構うな。もう過去は振り切った。それに、俺が見た限りでは、棺に損傷はなかった」
「……急ぎましょうか」
破壊された清掃用ドロイドが、フノスの心中を焦らせる。無事なのか無事でないのか。二つに一つの可能性が、頭の中で争っている。もしやホープやシュノンは自分を完璧な王族だと思っているかもしれない。総合スペックは確かに、平民よりは上回っていると自負している。そうでなければ王族である資格がない。
だが、心は違うのだ。自分の心が完璧とは程遠いことをフノスは知っている。共和国の遺産を見る時に、フノスの心は揺れるのだ。悔恨によって。
焦燥の念に体を突き動かされ、急ぎ足で扉を開く。現れた雄大な光景に仲間たちが目を奪われる間に、コンソールのチェックを行った。
そして、安堵の息を吐く。――メインシステムは正常に稼働中。
「黄金の種族とは言え、普通の人間なんだな」
「……普通の定義にもよりますけど、そうですわね。私はまだまだ未熟な人間です」
観察眼の鋭いヌァザに心情を吐露しながら生体認証。覚醒プロセスを開始し、ネコキングに周辺への部隊配置を要請する。
「周囲の警戒を。念のために」
「無論だ。同胞たちよ、位置につくがいい」
オペレーションマニュアルに従って、部隊が最適な位置へと展開していく。その様子を見守りながらも今回は安全だとフノスは考えていた。
今度ばかりは情報流出は有り得ない。加えて、ここに眠る市民たちはゼウスのメインターゲットではない。
あの男の本命について、フノスは心当たりがあった。そのことについて説明するべく、ヌァザとネコキングを呼び寄せる。
「二人とも、こちらへ。お話がありますの」
「ふむ?」「如何様かな?」
ヌァザとネコキングが端末を見守るフノスの傍へ歩み寄る。フノスはホープやシュノンに心の中で詫びを入れながら、語り出した。
「あなたたちには話しておかねばなりません。我々の運命を担う、計画について」
※※※
「にしてもなんか退屈だね、メトロポリスって。暴徒に襲われることもないし」
「退屈でいいのですよ。今までが異常だったのです」
並んで歩くシュノンへ、ホープはレスポンス。お気楽に述べるシュノンの心理状態変化を歓迎しながらも、彼女の意見には賛成できなかった。
襲われるのが当たり前だった日常と比較すると、退屈であることは間違いない。……それを退屈と表現してしまう言語力に多少なりとも異常は見られるが。
だが大きなトラブルに出くわさない、何気ない日常こそが尊いものであり、その素晴らしさを伝えるべく説教を始めようとしたホープは、
「あ、面白そうなの見っけー」
「ちょ、ちょっとお待ちを。話はまだ終わってませんよ」
興味が移り変わったシュノンの背中を追いかける。彼女は退屈だなどとぼやいているが、先程からずっとこの調子なのでホープは全く賛同できない。
シュノンが見つけたのは、観賞用のアニマルドロイドだ。犬やネコのオーソドックスなタイプや鳥類などの飛行型も見られる。人々のストレスケアに効果があるので、共和国時代にはこのようなドロイドが無数に存在していた。
犬型のドロイドを迂回しながら、手始めにうさぎを持ち上げたシュノンへと近づく。
「やっぱロボットなのかぁ。本物は難しいよね」
「発展が進めば動物園も開園するでしょう。当分先のこととは思いますが」
「エイトも街の構造を覚えるまで危険だからって、メカコッコが世話してるみたいだし。……飼い主なのに」
「あの部屋に犬を連れ込むことには断固はんた――きゃ! いきなり吠えないでください!」
なぜかドッグドロイドが吠えて、ホープは飛び上がるはめになった。無意味だと知りながらも、感情に身体が突き動かされてしまうのだ。
自分の融通の利かなさと年甲斐もなく驚いてしまった事実に不機嫌になりながらも、ラビットドロイドを愛でるシュノンを優しく見守る。
シュノンはうさぎを掴んでぶらぶらさせて、反応を楽しんでいた。寂しいと死ぬって本当? 発声機能がないドロイドに問いかけている。
そこに無粋なツッコミを入れるほど、ホープは間の抜けたドロイドではない。そのための沈黙に対しシュノンは、
「ちょっと、こいつ喋んないよ?」
「……いや、喋りませんよ」
どうやら本気でラビットドロイドが会話できると踏んでいたらしい。呆れるホープにシュノンは腹を立てていると多次元共感機能は観測。
「何で教えてくれないのよ。バカみたいじゃん、私」
「前例があったのですから存じているものと」
「メカコッコは話すじゃん。あれは?」
「あれはドヴェルグ博士のパーソナルデータをインストールした特注品ですよ」
「ちぇっ。つまんないの」
そう言いながらもうさぎの可愛さは評価しているようで、地面へと戻して頭を撫でる。うさぎが嬉しそうに跳ねた。本物のうさぎならこうはいかない。人とふれあいができるように、反応パターンは意図的に調整されている。
緊急時にはもはやうさぎという概念を捨て去って、共和国のドロイドとしての役目を果たすシステムが組み込まれている。本来の動物とは程遠い社会が創った模造品。玩具の類の一つだ。
裏事情を知り得る身としては残酷な紛い物とも思えるが、このドロイドは他者を傷付ける意図から創作されたものではもちろんない。善意が創り出した人々を癒すためのシステムへとホープは手を伸ばして、シュノンと同じように持ち上げる。うさぎ型の素晴らしい可愛さで心理システムをメンテナンスしようとして、
「これは……?」
奇妙なパーツに手が触れる。ホープの推測が正しければ、小型の転移用コネクターがただの観賞用ドロイドに接続してある。
「どうしてこんな物が……」
「うさぎと戯れる暇があるとは、流石欠陥品と言ったところでしょうか」
「ブリュンヒルド?」
背後から声を掛けられ、その名前をシュノンが呼ぶ。ホープは目の前の疑問ウインドウを画面の端へと追いやり、エアーを吐きながらコミュニケーション機構を起動させる。
「現在は休暇中です。何も問題はないでしょう」
うさぎを置いて、立ち上がる。振り返って目に入るのは、ブリュンヒルドの冷ややかな眼差しだ。ブルーのアイカメラから注がれるフォーカスは、しかしいつもよりも敵意が増しているようにセンサーが指摘。違和感を拭えないホープが質疑応答プログラムを奔らせる前に、ブリュンヒルドは言語中枢から対人言語に毒を付加する。
「休暇中とはいえ、アンドロイドにふさわしい態度は常に求められるものです」
「……公共の場での諍いが、アンドロイドとしてふさわしい態度だと?」
「諍い、などと感じるのはあなたの心ですよ、ホープ。私はただ見咎めただけです。緩み切ったあなたのみっともない表情を」
「平時なのですから問題ないでしょう」
突き放すように言うが、反面フェイスモーションは彼女を案ずる顔のそれへと変化している。ブリュンヒルドの様子は明らかにおかしい。何かに焦っているような、ひりついたもののそれである。いくら彼女がホープの前で感情表出傾向が高いとはいえ、普段は鉄面皮を維持する彼女にしては挙動が変だ。
そんなホープの疑いに気付く様子を微塵も見せず、ブリュンヒルドは言葉を吐き返す。怒るような情けないような……泣きたくなるような複雑なフェイスで。
「平時であり戦時です。敵は常にそこにいる。いかなる時もアンドロイドは警戒を怠ってはなりません。ゼウスとの決着はまだついていない。敵は虎視眈々とこちらの隙を窺っているのですよ。なのにあなたは……他ならぬあなたが……そのような態度では」
「ヒルドさん……?」
疑惑が確信へと変わる。ホープが指摘しようとした時、シュノンがうさぎを抱えてブリュンヒルドの前へと突き出した。
「なんか嫌なことでもあった? まずはうさぎでももふって落ち着きなよ」
「無用です……私は」
「無用かどうかは私が決める。一旦落ち着いてさ……それから」
「……っ」
ブリュンヒルドは顔を背ける。事を荒げることなく穏便に済ませる拒否行動。だが、ずっと彼女と付き合ってきたホープには、それが如何に感情を含めた行為なのかが手に取るようにわかる。
彼女はまさにシュノンが手に持つうさぎ……アニマルドロイドなのだ。アンドロイドは通常のドロイドとは違う。心を持っている。しかし、心があるからと言って命令に背くことができるわけではない。それが可能なのは自分だけだ。
「シグルズ様に何か命じられているのですか。不本意な、ことを」
「あなたには関係ないことです。ホープ」
そう返答するブリュンヒルドの姿は、否定ではなく肯定しているようにも見える。言動と立ち振る舞いが一致していない。レンズを通して見える彼女は不安定そのものだった。
「本当に……」
とさらなる追及をしたホープは、ブリュンヒルドの様子が一変したせいで音声出力を中断する。彼女がアイカメラを見開く先には、アルテミスが立っていた。
こちらも様子がおかしい。シュノンがティラミス? とうさぎを置きながら訊く。
「何? またお散歩?」
「……ええ、そのようなところ」
と答えるアルテミスは何やら不穏な笑みをみせている。他者を凍てつかせるような視線が赤い瞳から注がれていた。冷却液が背中を伝う。シュノンも彼女の異様な雰囲気に困惑していた。
姿形はアルテミスだが、まるで別人が成りすましているように感じる。すぐにアポロンの存在がデータベース内で検索されるが、彼に操作されたというよりは、ウィッチがアテナとして服従させられていた時の方が感覚は近しい。
「アルテミス……どうしましたか?」
彼女を案ずるように呟きながら、モニタリングはスタートしている。じりじりと近づくホープに、アルテミスは堂々と立ち振る舞いながら、笑みを顔に張り付かせていた。
「準備が終わったの。時間が掛かったわ。自由行動も制限されているし」
アルテミスが回るように動き出す。必然的にその背中を追いかけるようにホープは歩く。大人を困らせる無邪気な子どものような笑みを浮かべるアルテミスへ、ホープは発言を訂正しようとした。
「自由行動は保障されています。今のあなたは自由です」
「どうかしら。私は自由のように見えて、自由じゃないわ。現に、メトロポリスでも進入不能区域が存在する。みんなは行けるのに」
からかうようにアルテミスは言う。だがその言い方はフノスのものとはまるで違う。ブラッドユニコーンの一件で、彼女がホープを騙った時のものにそっくりだった。
ホープは念のため義体の硬度を戦闘状態へ設定する。連動して緊張度も高まっていた。
「私だって全てのエリアにアクセスできるというわけではありません」
「そうね。そう。あなたもいくつか制限を受けている。情報共有だって万全じゃない。……おかしいと思わない? 私もあなたも、シュノンも仲間なのに全てを知らされていない」
「そんなことは」
「そんなことは、ある。薄々勘付いているでしょう? みんなが何か隠し事してるって」
「それは……」
ホープは即座に否定できない。シュノンもホープとアルテミス、そしてブリュンヒルドの顔を見比べて惑っている。ブリュンヒルドは顔を俯かせ、何かと葛藤するように押し黙るだけだ。いつもなら放つはずの反論を何一つ口にしない。その動作が、さらなる違和感を電脳に送信してくる。
「あなたは利用されたのよ。私と同じように。結局、体のいい道具でしかないの。私も、あなたも、運命に翻弄されっぱなし。こうなる運命だったのよ。全ては仕組まれた計画の内でしかない」
「計画……? 何を……何が……」
ホープも視線を彷徨わせる。沈黙を守るブリュンヒルドと、饒舌に語るアルテミスへ。相反するかのように思わせる存在は、一時距離を縮めたようにも見えた。
しかし今は決定的に距離が離れている。どうしようもない溝ができているように感じる。
「計画。……私、我はメトロポリスの所在が気掛かりだった。ある程度予測は立てておったが、やはり直接目にするに越したことはない。既に艦隊は動いておる。今更抗ったところで、我の計画は滞りなく完遂する。……そなたが月の女神を絆すのは、当初の予定に組み込まれていた事態でな」
「――ゼウス!」
独特の語り口調が、該当の人物をレンズ内に出力させる。ゼウスはアルテミスの中に潜み、メトロポリスの地点を本体に連絡していた。その事実にホープが気付いた瞬間、沈黙を破ってブリュンヒルドがサブマシンガンを抜く。
だが、狙われているはずのゼウス――アルテミスは笑みを維持して動じない。
「撃てば良かろう。娘の死は我の計画に支障をきたさない」
「ダメです、ヒルドさん! アルテミスは!」
「そうしてこの街は危機を迎えたッ! あなたがアルテミスを迎え入れたせいで!」
「ブリュンヒルド……」
ブリュンヒルドの感情の爆流にシュノンが居た堪れない表情となる。ホープはアルテミスの前に出て、ブリュンヒルドの射線を塞いだ。もしゼウスの言葉が真実なら、今更彼女を射殺したところで何のメリットもない。――此度の原因が自分自身である、ということも覆らない。
「今は市民の避難を優先すべきでしょう! 先輩に連絡を!」
「もう手遅れです」
「何をッ!」
「B53の言葉は正しい。もう間に合わん」
そんなことはない。そう叫ぼうとした刹那、街中にサイレンが響いた。ホープの観測レーダーも上空に巨大な熱量を検知する。ゼウス陣営の宇宙艦隊が大気圏を突入し、部隊を送り込んで来ていた。
「そんな……こんなに早く!」
「時は満ちた。我の計画はまた一歩近づく。嘆くがいい、H232。救いの代償をその身を持って受けるがよい」
笑声と共に言い放つと、アルテミスが糸の切れた人形のように倒れ込んだ。彼女を支えて、降下する敵艦隊へと目を向ける。焦燥のフェイスモーションを浮かべるホープへ、抱きかかえるアルテミスの弱弱しい声が聞こえてきた。
「ごめん……やっぱり私死ぬべきだった。こんなところに、来ちゃいけなかった……!」
「そんなことは!」
「あるでしょう、ホープ! あなたのせいで……計画が進行した! もう後戻りはできない! あなたの……あなたのせいで!」
「ちょっとブリュンヒルド! 今はそんなこと言ってる場合じゃ……ホープも!」
シュノンが仲裁しようと努めるが、ホープもブリュンヒルドも事態の重さに動けなくなっていた。むしゃくしゃしたシュノンがヤケになったように叫ぶ。
「ほらホープ、ブリュンヒルド……あーもう、こんな時にあの魔女っ娘は何してんのよ!」
『呼んだ? ブリューちゃん、かりかりしなさんなって。ホープのせいじゃなくておかげなんだからさ』
「先輩……?」
街のホログラムを使って通信したウィッチが、半透明な姿でブリュンヒルドを諫める。彼女は飄々とした中に緊迫感を交えながらも、皆の精神を落ち着かせるように心がけながら説明を始める。
『これはゼウスの計画であると同時に、あたしたちの計画でもあるんだ。敵艦隊と……テスタメントたちのAIバンクであるオリュンポスデータベースを炙り出すための陽動だよ』
「陽動とは、どういうことです?」
『それは私から説明する』
「メカコッコ! どういうこと! 私たちに嘘ついてたの!?」
ヒステリックに訊ねるシュノンへ、彼は落ち着きたまえ、と余裕さえ感じる口調で言う。予定通り、と言わんばかりの平時のものだ。奇襲を受けた緊急時のものではない。
『元より今あるメトロポリスはバルチャーファミリーの居城をリフォームしたものだ。彼らはあまり賢いとは言えなかったからね。立地的にも安全とは言えなかった。いくら修正したところで大本が悪ければどうしようもない。街の移設計画は、メトロポリスを建造した時から上がっていた。言わばこの街は』
『プレハブってことだね。本命の街を作るための急場の仮設住宅。ちょっと豪華にはし過ぎたけど』
「仮設住宅……? 本当にここは囮なの?」
シュノンが視線を凝らしながら疑う。ホープも目線は定めてはいるものの同様の心理状態だった。アルテミスは呆けたような表情で説明を聞いている。
『そう。アルテミスを救うとホープが決断した時点で、あたしたちは万が一に備えて動いてきた。重要なシステムはいつでも搬送できるようにコネクターに接続されているし、市民たちへの緊急対応マニュアルも配布してある。……でも、ある程度のリスクは……犠牲は覚悟しなくちゃいけない。だからさホープ。力を貸して』
「……言われるまでもありません。事前に言ってくれれば……いや、前回と似たようなこと、ですね」
これが悪意ある嘘であれば反感も抱くが、善意を含んだ嘘である以上咎める理由はホープにはない。それはシュノンも同じようで、しゃーないか、と受け入れている。
だがアルテミスは違った。どうしていいかわからない。そんな顔をしている。彼女はアンドロイドの心理光を読み取れるがそれでも混乱を隠せていないようだ。
「だ、ダメよ。きっとそっちもお父様は見切っている……私は心理光を……他人の心を読めるのよ!?」
『そちらについては問題ない。主にシグルズが先導して情報流出を防いだからね。君の能力を使ったところでこちらの計画が向こうに漏れることは有り得ないよ』
「でも……ブリュンヒルド、は……」
アルテミスがブリュンヒルドを見る。彼女は表情に焦燥を張りつかせていた。この襲撃が計画通りなら彼女は淡々と職務をこなして良いはずだが、彼女からは不安が滲み出ている。何かを恐れているようだ。アンドロイドが恐れること。それはたったひとつしか有り得ない。ホープには身に沁みるように理解できた。
「大丈夫ですよ。私が――」
「あなたには期待してません。シュノンとアルテミス、市民たちの護衛を任せます。私は」
『ブリュンヒルド。お前は撤退戦へと移行する部隊を掩護しろ』
「シグルズ……様。しかし」
ブリュンヒルドが珍しくシグルズに異論を申し出ようとする。が、その言葉は爆音に遮られた。敵部隊が街へと侵入したのだ。レーザー音も呼応して響き渡る。
『急げ。私のことは気にするな』
「マスター!」
一方的に通信が切られる。ウィッチが気遣うような表情で続ける。
「とりあえず今は目下の任務に集中してくれ。ホープはバーサーカーパックを換装後、敵部隊へ切り込んで欲しい。ブリュンヒルドは――」
「命令は守ります、ウィッチ。くっ……!」
「ヒルドさん……」
ブリュンヒルドが高機動パックを用いて飛翔する。部隊の直掩に回ったのだろう。
ホープはシュノンに頷くと、アルテミスを抱えながらプレミアムの停車する格納庫へと走り出す。
「待って、ホープ。ブリュンヒルド……彼女が恐れるものは……!」
「痛いほどわかっていますよ、アルテミス。でも、私が何とかします」
ブリュンヒルドの危惧は痛いほどわかる。自分も似たような経験をしていた。
あの感覚は理性で割り切れるものではない。マスターと離ればなれになる感覚は――。
「どういうこと? さっぱりわからないんだけど」
並走するシュノンが問い質すが、風切り音と共にやってきたエアカーに恐恐してそれどころではなくなる。ホープはアルテミスを後部座席に乗せて、運転席へと乗り込む。嫌な表情を全開とするシュノンへ乗車を促した。
「乗ってください!」
「何でこれなの!? 他に……うわッ!」
駄々をこねようとしたシュノンだが、直後に起きた爆発で背後の建物が崩壊するのを目の当たりにすると悪態を吐きながら助手席へ乗ってくれた。
ホープは自動運転モードを解除してマシントレースシステムを起動する。エアカーとリンクを確立し、まずはプレミアムのところへと直行する。
「急ぎますよ! 歯を食いしばって!」
「くそ……くっそ――! テスタメント共め呪い殺してやる――!!」
道路交通法を無視した速度で空飛ぶ車を走らせる。最悪の事態を回避し、反撃ののろしを上げるために。
※※※
『私めに襲撃作戦を任せてくださり光栄にございます、ゼウス様!』
ホログラムで恭しく跪くのはヘルメス。オリュンポス十二神の一柱であり、神速の異名を持つ男だった。立体神速機動を可能とする羽のついた兜とブーツが特徴的な彼は、アレスの傍に座るゼウスに感謝を述べている。
「謝辞は良い、ヘルメス。面を上げよ」
『承知しました』
ヘルメスが顔を上げる。若い男だ。彼もまた人造人間であるが、アンドロイドキラーであるアルテミスとは方向性が違う。主に身体能力強化に重きをおいたタイプであり、全てのスペックが鉄の種族を上回っている。
無論、その程度ではアンドロイドと大差ないが、彼は特にスピード重視の攪乱や奇襲用の人造人間だ。今回のような作戦にうってつけの人物。
ゆえにアレスは異論を口にしなかった。全てはマスターの計画通りである。
「戦況はどうだ? 順調か?」
『もちろんでございますとも! テスタメントは既に市街へ侵入し、奴らを血祭にあげております』
ヘルメスの嬉々とした報告に、アレスは口を挟んだ。異論ではなく、助言をするために。
「油断するな、ヘルメス。雑兵同士の戦いに大した意味はない」
『わかっております、アレス殿! 本命を抹殺する準備は既に!』
アレスの意見にヘルメスは理解を示した。彼は自分の立場を着実に理解できている。アポロンを傲慢とするのなら、ヘルメスは謙虚だ。己のスペックと敵のスペックを照らし合わせもっとも効率的な作戦を選択する。卑怯な手をも厭わない堅実な戦闘手法をアレスは評価していた。
『ゲートも開いております! 準備は万端です』
「良かろう。俺もすぐにそちらへ向かう」
『承知しました。それではゼウス様。私めも出撃いたします』
「成果を期待しておるぞ、ヘルメス」
ゼウスに期待された嬉しさのあまり破顔して、ヘルメスは通信を切った。ゼウスは椅子から立ち上がり、部屋の中央に戦況を投影する。市街地では局地的に戦闘が行われていた。市民の避難は完了しているようで、敵軍の数もまばらだ。仕組まれたものを感じる。
「マスター」
「良い。予想通りだ」
しかしマスターの表情は不変。まさに予想通りであり、予定通り。
「では、私は本命を殺りに参ります」
「任せたぞ、アレス。……過去を斬り払うのだ」
アレスは一礼の後、自動ドアを通り抜けた。ワープゲートへと赴く足取りが、乱れることはない。何の不安もなく、真っ直ぐに進んでいく。