異変
「おっそーい!」
コアの交換を終え帰宅したホープの聞いた第一声が、シュノンの不満声だった。
時刻はもう六時を回っている。コアを馴染ませるのに時間が掛かったのだ。
「だから仕事を終えた後、と言ったではないですか」
「つっても限度ってものがあるでしょ限度が! ティラミスにもふられちまうし」
「アルテミスを誘って断られたのですね? どうせまた無理強いしようとしたのでしょう。シュノンはコミュニケーションに難があるのですから……」
「違う! 用事があるって言ってたから諦めてやったの!」
「言い訳の典型ではないですか」
呆れながら、冷蔵庫に赴く。任務の終わりは高品質エナジー缶を堪能するのが共和国時代での、ホープの楽しみだった。ついでにプリンなどがあればさらに良い。
だが、扉を開けて対面したのは、あろうことか冷蔵保存されたカエルの死骸だった。ひっ……! と声を荒げたホープに、シュノンがちょっと! と文句を垂れる。
「勝手に開けないでよ!」
「これは冷蔵庫ですよ、シュノン! なぜカエルが入ってるのですか!」
「カエル冷やすためのもんでしょ、それ」
「違います! 断じて違います! 普遍的な食料品を一定期間保存するためのシステムが冷蔵庫なのです。冷えたエナジー缶に、おいしい食事、そして甘いスイーツを収納するべきところですよ!」
「スイーツ、ねぇ。カエルほどの高級食材を前にしながら、なんて悲しい味覚センスなアンドロイドなの」
悲しい味覚センスは他ならぬあなたの方ですよ! と大音量で言い返したかったが、生憎エナジーの補給が急務だ。ホープはカエルに触れないよう細心の注意を払いながらエナジー缶を取り出すと、うきうきとした表情でプルタブを開けた。
「仕事終わりの一杯を、また味わえるとは……!」
「親父みてえなこと言ってねえで、こっち来る! 楽しい楽しい映画タイムだよ!」
「約束しましたしね……わかりましたよ」
ホープは粛々と従う。ソファーに座り、リラックスした体勢でモニターを見つめる。シュノンが端末を操作して投影したデジタルアーカイブが表示され、セレクトされていた映画が流れ始めた。
ダイナミックな爆発から始まり、主人公らしき男性が銃を持って疾走している。物語を紐解く上で、最終的に序盤のシーンに繋がる構成のようだ。
「いいねーイカすねぇ!」
「……もしやアクションしか楽しんでいないのでは」
「アクションこそ至高でしょ! ストーリーは二の次三の次~~」
観方は人それぞれなのでホープは何も言わない。ただ変わった視聴方法だと思いながらシュノンの横顔を見つめる。
(まぁ、悪くはない、ですね)
ヘラクレスと共に過ごした時とは、随分印象が違う。このようにいっしょに並んで映画を見ることなどありはしなかった。
配慮をしていた。遠慮とも言う。自分がマスターとありふれた日常生活を過ごすことで、パンドラの姿を思い出してしまうのではないかと。
(……こういう過ごし方もあったのでしょうか)
何気なく思い起こしてみる。自分の隣にヘラクレスが座り、その横にパンドラが座る光景を。
「ちょっと、私を見てどうすんの?」
「……すみません。少し考え事を」
ホープは頬を膨らますシュノンの気を画面の中へ戻すべく正面に向き直る。幸福のあまり浮かべてしまった笑みを、悟られたくはなかった。
「こっから反撃開始だよ! 主人公の逆襲が始まるんだよ! 敵さん全滅皆殺し!」
「あまり教育的に良い内容とは言えませんね……」
さらに不満を付け加えるなら、先にネタバレをしてしまうシュノンのせいで映画の楽しみも半減している。だが、離席する気は起きなかった。映画自体の面白さはともかく、誰かといっしょに映画を鑑賞するという行為がとても楽しい。
マスターはアンドロイドの大事な部分を占めている。そのマスターとの日常生活の楽しさを享受しながら、ホープは幸福のフェイスモーションのまま視聴し続けた。
※※※
赤い閃光によってテスタメントが爆ぜた。爆発は一度ならず、二、三、四……カウントするのもバカらしくなるほどに続いていく。
淡々と敵の群れを処置するのはブリュンヒルド。自身の射撃の腕前を持ってすれば、テスタメントの軍団の一掃など赤子の手を捻るようなものだった。
『ステージ3-56訓練の終了。撃破率100パーセント。被弾率0パーセント』
「……当然です」
報告を聞くまでもない結果に、ブリュンヒルドは眉を顰める。シミュレーターに対してではなく、自身に対して訝しんでいた。
サブマシンガンタイプのコントローラーを返却しながら、自分の疑念を電脳内で論議する。
議題はなぜ訓練をしたか、というものだった。
(私に訓練は必要ない……はず)
人間とは違い、アンドロイドの学習能力は高い。一度基本を学べば、訓練なしに応用することも可能だった。初めての武装を扱う上で、シミュレーターを用いて使い勝手を確かめることはある。だが、今回シミュレーションしたのは馴染みの武器であるサブマシンガンで、相手も累計247543体は撃破したテスタメントだった。
完全に意味のない訓練。ホープのような出来損ないならともかく、自分がすべきことではない。
思考ルーチンを回していると、センサーが顔馴染みを捉える。こちらに会話意思はなかったが向こうにはあったようで、壁に寄り掛かった彼女が問いかけてきた。
「どうだった? ブリューちゃん」
「聞くまでもないでしょう」
「だろうねぇ」
横を通り過ぎるブリュンヒルドを、ウィッチは追従してくる。移動速度をウィッチに合わせないブリュンヒルドを彼女は気にした様子もなく口を開いて、
「不安?」
と訊ねてくる。ブリュンヒルドの歩みが止まった。
「不安、とは?」
「不安じゃなきゃ備えないでしょ」
「そのような心理的不具合を……」
「エラーなんかじゃないって。不安ってのは危機管理システムの一部だし」
ウィッチはブリュンヒルドの横に付く。両腕を頭に回して、茶に着色されたアイカメラでモニタリングを続ける。
そのフォーカスから顔を背けるように動かし、反論を述べた。
「私にそのような危惧はありません。私は常に目的を忠実に履行してきました」
「そうだよねー。だからあんたは生き残った。肝心な時に無力だったあたしなんかとは違ってさ」
「あなたは情報支援型です。仕方……」
「なかった、で割り切れるもんじゃないでしょ、感情ってさ。だからあんたも迷って、無意味なはずの訓練をした。不安だから」
先程と同じ指摘に、ブリュンヒルドは言葉を返せなかった。思考ルーチンも同じ心理動作を結論付けている。サイコメトリックスで裏付けもされていた。
「別におかしなことじゃないって。あたしだって上手く行くかどうかわからない。何度も確率を計算して、予測演算を繰り返してる。行動パターンを何千通りも試して、最善の結果を導き出そうとした。誰も不幸にならない結末に至るように」
「……結果は」
ウィッチは答えない。その沈黙が回答だった。
ブリュンヒルドは何も言わず立ち去ろうとするが、ウィッチが呼び止める。
「待って。でもさ、まだわからないぞ」
「結果は出たのでしょう。ならば」
あしらうブリュンヒルドの聴覚センサーが捉えたのは、“また”あの名前だった。
「ホープがいる。あの子は不確定要素なんだ。あたしの演算能力でもあの子の行動を完全に予測することはできない。だから……」
「だから、希望を抱けと? 無理な要望ですね」
不確定は所詮不確定に過ぎない。確定的でない限り、何の意味もなさない。
不快感を露わにして去ろうとするブリュンヒルドの肩をウィッチが掴む。
「何ですか」
「まだ話は終わってない。……あたしがエルピスコアを解析したのは知ってるよな」
「それが何か?」
邪険にしようとするが、ウィッチの眼差しは本気だった。その熱意に負けて、ブリュンヒルドはウィッチに向き直る。幾ばくか、期待していた。何か具体案があるのでは、と。
「不明なプログラムがインストールされてるんだ。あたしにも詳細が読み取れない高度な奴が。もちろん、ホープも知らない。……パンドラが仕込んだんだと思う」
「……ゼウスが何か仕掛けたのではないですか」
フェイスモーションが失望の色を見せる。どう計測したとしても、罠だとしか考えられない。むしろホープに対する警戒を強めたブリュンヒルドに、ウィッチは首を横に振って否定動作を行う。
「いや、それはない。間違いなくパンドラのものだ。後付けのプログラムじゃなく、開発中に仕込まれた物。あたしの目は誤魔化せない」
「だとしても、私の意見は変わりません。……記憶消失バグが起きたわけではないでしょう。パンドラにあった疑惑を覚えていますよね」
「……パンドラがヒューマノイドの可能性、か。忘れてはいないよ」
パンドラにはゼウスが創造した人造人間の疑いがあった。出生記録や戸籍、経歴が意図的に改ざんされており、詳細を明らかにするため調査中だったのだ。その最中、彼女が事故に巻き込まれて死亡したため調査は打ち切られたが、ブリュンヒルドはまだ疑念を抱いている。ホープを完全に信用できないのも、それが要因の一つだった。
「それもまた不確定要素。ゼウスの罠である可能性が否定できない以上、むしろホープに対して警戒を強めるべきです。……あの子のためにも。皆、ホープに信頼を寄せすぎている。それがゼウスの罠である可能性を忘れてはいけません」
「……それは考え過ぎじゃないか、ブリューちゃん」
「考えたくもなります。……私が欲するのは確定要素。危機を回避する直接的な方法が目の前にあるのに、実行が禁じられているとは」
ブリュンヒルドは珍しく感情を際立たせて、窓から明かりを注ぐ月を見上げる。ウィッチは同情しながらも、きっぱりとその方法を否定してきた。論理的な、共和国の法に照らし合わせた正しさを突きつけて。
「ダメだ。その方法では。……あの子には何の罪もない」
「私は咎人になる覚悟ができています。命令さえなければ……」
苦心しながら弱音を吐いて、皮肉めいた笑みを浮かべる。まさに皮肉だった。
今ほどホープを羨ましいと感じたことはない。もし自分が感情優先型だったら、命令に抗い自身の思う最善手を取ることができるのに。
「ブリューちゃん」
「わかっています。私はアンドロイド。命令優先型の、アンドロイド。マスターの命令に従い、任務を実行する。それが私の使命です」
開発者の意図通りの動作をして、ブリュンヒルドは通路を進む。
「不本意、ですが」
噛み締めるように言い漏らす。俯瞰視点における自身のフェイスインターフェースがどのような表情をしているかなど、思考するまでもなかった。
「あたしにはこれが限界か。後輩頼みとは、我ながら情けない先輩だねぇ」
ブリュンヒルドの背中を見送るウィッチが、自身の不甲斐なさに呆れて呟いた。
※※※
「っ! 何事……!!」
腹部に打撃を感じて、スリープモードが解除される。再起動したホープはアイカメラを見開いて、ダメージエフェクトの原因を調査を開始する……が。
「シュノン……寝相……」
物の一瞬で状況を理解したホープは、シュノンによって自分がベッドから蹴落とされたと把握した。昨夜、映画を連続観賞するの一点張りだったシュノンは、案の定途中で眠ってしまい、ホープが彼女をベッドに寝かしつけたのだ。
そこまでは滞りなく済んだのだが、寝ぼけた彼女はホープの身体を掴んで離さず、やむを得ず同じベッドで就寝、という形になったのである。
その恩を仇で返した誇るべきマスターは、寝言を交えながらすやすやと眠りについている。時刻は五時。休暇中にわざわざ起床するような時間帯ではなかった。
「参りましたね……」
一度覚醒してしまった以上、二度寝をする気にもなれない。強制的にスリープモードに移行すれば寝れるのだが、寝心地は悪くなってしまう。
そのため、ホープは台所で水を飲みながら、改めてシュノンの安らかな寝顔を見下ろす。
「段々寝相が悪くなってきましたね、ふふ……」
蹴り飛ばされたことに不満はあれど、無防備な寝姿を微笑ましく思う。
最初に一夜を共にした時は、ここまで荒々しくはなっていなかった。いびきを掻くこともない静かな就寝だ。だが今や、安全のあの字も考えない乱雑な寝方へと変わっている。ホープを信頼し、敵を警戒する必要がなくなったからだ。その変化に幸福を感じる。
「カエルは……もう食えな……」
「夢でまでカエルとは……夢がない……」
シュノンの寝言に苦笑しつつ、ホープは飲み終わったコップをテーブルに置く。その足で玄関へと向かい出した。
「散歩へ行ってきます」
自動化された管理システムに伝言を残して、街へと繰り出す。明け方である今は治安維持軍の兵士と回収されレストアされたテスタメントが巡回しているだけだ。多くの市民はまだ眠りの中で、静寂が街を包み込んでいる。
その雰囲気は嫌いではない。ホープは街を散策して、共和国時代の懐かしい思い出に浸る。メモリー内のメトロポリスと新生された街並みとでは、だいぶ街の造りが違う。それでも懐かしさは感情アルゴリズムを刺激して、心理光に温かいものが流れ出す。
「公園、ですか。いいですね」
古代の最先端技術を駆使して構築された建築学に基づく建造物を通り抜けたホープは、噴水が綺麗な公園に辿りついた。何気なくベンチへと腰を掛ける。ホロディスプレイがあちこちに出力されているが、こちらから話しかけない限り向こうからのコンタクトを有り得ない。
水が奏でる音楽に聴覚センサーを傾けていると、生体反応をキャッチした。識別コードが特異なものでホープは対象へとアイカメラを向ける。赤髪の少女が歩いて来ていた。
「アルテミス? 何をしているのですか?」
「……ホープ? 何してるのよ」
双方とも同じ問いを投げる。そして、全く同じ答えを同時に放った。
「散歩で」「散歩よ」
しばしの沈黙。迷ったホープは対人コミュニケーションマニュアルに従い、着席を促した。
「どうです、こちらへ」
「面白い話はできないわよ」
「望んでませんよ。シュノンではあるまいし」
アルテミスが横に座る。彼女が話題に困っているようだったので、ホープは昨夜の会話ログを参照しながら話題喚起を行った。シュノンの愚痴が電脳内で再生される。
「シュノンの誘いを断ったようですね。用事があったのなら仕方ありませんが」
「何のこと?」
アルテミスがとぼける。気恥ずかしいと感じているのだろうか。
「……映画の誘いですよ。シュノンはがっかりしてました」
「何言ってるの? 一体?」
アルテミスは困惑を隠せない。いつものあまのじゃくではなく、本気で戸惑っているようだ。多次元共感機能で裏付けされた結果を不審に思ったホープは、訝しみフェイスで会話を続ける。
「覚えていないのですか? シュノンがあなたの家に訪れたはずです」
「いつごろ……」
「少し待ってください。記録にアクセスします」
一応シュノンが嘘を吐いている、もしくは記憶違いという可能性も有り得なくはないので、シュノンの行動記録を確認する。が、やはりシュノンはアルテミスの住居を訪れている。監視カメラには、彼女がアルテミスと会話する様子が明瞭に映っていた。
「やはり昨日の昼頃、あなたはシュノンと会っています」
「え、でも、その時間帯は……」
「私の心を覗いて見てください。嘘を吐いていないとわかるはずです」
アルテミスは惑いながらも銀の種族としての力を使用。裏が取れたことで、混乱の度合いを強めた。ホープの嘘発見スキャナーにも、アルテミスが嘘を吐いている兆候は見られない。アンの時と同じ過ちを繰り返さないべく、アップデートは済んでいる。
こめかみを手で押さえながら、アルテミスは必死に記憶を手繰り始めた。
「うーん……でも、その時間帯は寝てたわ。最近、寝不足なのか睡眠サイクルがおかしくなってて」
「……もし、あなたさえよろしければ室内データを参照しますが」
必要に応じてプライベートの空間を閲覧する権利は、プロメテウスエージェントに与えられている。だが、権限があることと対象者への配慮は別だ。急務事項でないのならなおのこと、個人の意思を尊重しなければならない。
ホープの慎重な心遣いに、アルテミスは首を縦に振った。
「大丈夫……だと思う。変なことはしてないし。恥ずかしいことも特に……ないし」
アルテミスは物憂げに呟く。許可を取ったホープはアイカメラを閉じ、街に張り巡らされる監視ネットワークへとアクセス開始。アルテミスの住居であるE-754居住区から、該当データをダウンロード。
詳細をチェックしようとした彼女の肩部パーツが振動を検知。何事かと目を開けると、彼女は焦った様子で捲し立てた。必死な風体で。
「思い出したわ! 寝ぼけてたから忘れてたのよ! 確かにシュノンが来て、私を誘ったけど眠かったから断ったのよ!」
「……用事というのはつまり、睡眠ですか?」
「そう! やっぱりいざとなったら恥ずかしいから、お願い!」
嘆願されたのなら、聞かない理由はない。ホープはアクセスを中断し、ダウンロードしたデータも破棄する。検閲は好きではないのだ。特に近しい人間のプライベートを盗み見るのは気乗りしない。
素直に応じたホープにアルテミスは感謝を述べて、おもむろに立ち上がる。どちらへ? と訊ねると彼女は忙しく歩き始めた。
「急な用事を思い出したの。家へ戻らなきゃ」
「急な用事……ですか? しかし」
「じゃあまた、別に会えなくてもいいけどね!」
アルテミスは駆けて行ってしまう。そのあまりの素早さに呆けたホープへ、着信通知が届けられる。通信に出ると、パジャマ姿のシュノンがなぜか腹を立てていた。
『ちょっと! どこ行ってんの!?』
「散歩ですよ。メッセージを残したはずです」
『はぁ……? んなもんどこに……まぁいいよ、早く帰ってきて!』
「緊急の用事でも?」
『超緊急よ! 非常事態よ! 私の朝ごはん!』
「なっ……。はぁ、わかりました、帰りますよ」
『急いでね! おなかペコペコだから!』
通信が切れる。エアーを吐いたホープは、今一度アルテミスが駆けて行った先を見つめる。既に彼女の姿は見えない。どこかへと行ってしまった後だ。
「時間を持て余したから、散歩していたのではないのですか……?」
ホープの問いかけに応えるはずもない。静寂の中に鳥の鳴き声が混じった。
※※※
「はふてひすもぼうすがほはしい?」
「ちゃんと呑み込んでから喋って頂けますか?」
対面席のホープが冷たい視線でシュノンに言い返す。口の中に放り込んだ緊急発進エッグを呑み込んで、復唱し直した。
「コホン、アルテミスの様子がおかしい、だって? 何を今さら」
ホープが用意した料理に舌鼓を打ちながら、シュノンは適当に応じる。オートクッキングで作ったという料理は、あのポンコツホープが作ったとは思えないほどの美味しさで、シュノンを夢中にさせるには十分だった。いくら友達とは言え、既成事実の再確認に擁する時間がないくらいには。
「ティラミスがちょっと変わり者なのは前からじゃない。何だっけ? ツンデレだし」
「今回は彼女の性格が原因だとは思えないのです」
ホープがトーストを頬張って、満足げな笑みを浮かべる。流石私のレシピです。なぜか誇らしげだが、作ったのは自動化されたキッチンなので釈然としないものを感じる。
「つってもさ、悪意が検出とかそういうんじゃないんでしょ?」
こんがり焼けたトーストにバターと緊急発進エッグをのせて、一気にかぶりつく。急場しのぎとは思えない、完成された味だ。どうして昔の人はこの卵料理にスクランブルなどという名前をつけたのか理解しがたい。気になって名前の由来を聞いてみようとする。
「ねぇ、何でこれ緊急発進……」
「まさかスクランブルの意味を誤解しているのではないですよね?」
たまに出る、心を貫くような鋭い視線。自らの間違いに気付いたシュノンは咄嗟に話題を逸らした。
「ティ、ティラミスのことはおいといてさ、スレイプニールはどこ行っちゃったの? 街の横にどかーんとあった奴が忽然と姿を消してるじゃん。そっちの方がミステリーだよ」
ホープは疑惑を携えた視線を注ぎながらも、予想を述べてくる。
「目立ちますので別地点に転移したのでしょう。あのままの状態では作業しづらいですし」
「あれもやっぱリサイクルすんの?」
「もちろんです。修理できれば宇宙にも出れますしね」
「宇宙、宇宙ねぇ……」
シュノンはプチトマトをフォークをで転がす。自分にとっては未開の地である遥か空の上に、シュノンは憧れを抱いていた。もし行けるというのなら、行ってみたいとは思う。
が、素直に賛同できない理由があった。話し忘れていた忌々しい事件を思い出し、声を荒げる。弄んでいたトマトがぷちっと潰れた。
「あっ、そうだ! あなたのせいで死ぬところだったんだからね!」
「一体どういうことです? 私が何か――」
「しらばっくれんじゃないやいこの殺人未遂者! 何がエアカーは快適、よ! 素晴らしさのあまり昇天しそうになったわ!」
「なら良かったではないですか。乗り心地が良かったのでしょう?」
ホープは素知らぬ顔で言ってくる。その笑顔が素敵過ぎて、殴りたい衝動を堪えねばならなかった。何を言っているのか。この能天気ドロイドは。
「ちげーよ! 皮肉なのですわ! あんな気持ち悪い乗り物よく乗れるね! さっすがポンコツ! それとも何? 主を謀殺しようしちゃった悪の黒幕ってわけ?」
ようやく真意を理解したホープが眉を顰める。なんですって? 理解能力の乏しいお花畑ドロイドが問い返した。
「あれほど快適な乗り物が気持ち悪い……? やはりシュノンの感覚はずれています」
「何度言ってもわからないようだけど、私は心がとっても広いから赦してあげる。あれは悪魔の乗り物よ! 殺人兵器だわ! 一刻も早く運用を停止すべきね!」
真っ向対立。睨むシュノンと毅然とするホープ。このまま言い争いに発展する空気が醸し出される。構うものか、とシュノンは強く思う。あの殺人マシーンの運用停止を求めるという重大使命が自分にはあるのだ。
と覚悟を決めた矢先、ホープが冷蔵庫へと歩き出す。拍子抜けしたシュノンにホープは容器を差し出した。中にはプリンが入っている。
「甘い物を食べて落ち着きましょう、シュノン。きっと、あなたは乗り方を間違えたのです」
「はっ。甘い物で釣ろうにゃんて……はふぅ」
口の中でとろける。甘さが口いっぱいに広がる。もはやエアカー殺人未遂事件のことなど頭の中から吹き飛んで、シュノンはホープのお手製プリンを味わった。流石甘党ドロイドだけのことはある。スイーツの選択は完璧だ。
「どうせならミッション中もこれぐらいパーフェクツに済ましてくれれば」
「私は完璧ではないですか。そうでしょう? シュノン」
「んー、かもしれないかも。プリンおいしいからどうでもいいや」
プリンを瞬く間に消費していく。今度ティラミスも誘ったげよう。そう思いながら、シュノンはご機嫌に甘味を食べ進める。ふと、最初の話題へと戻り、
「ま、確かにティラミスの様子はおかしいかもね。銀の種族ってデリケートなのかな」
「デリケート……。何事もなければいいのですが」
ホープのスプーンを動かす手が止まる。その隙にシュノンが彼女のプリンをひったくる。
ああっ! とホープの少女らしい悲鳴。シュノンはパクパクと一瞬で食べ終えて、
「大丈夫だって。ここはメトロポリス、でしょ? それにみんなもいるし、あなたもいるじゃん。いざって時は何とかしてよね。希望でしょ?」
「……そうですね。ああ……」
名残惜しそうな瞳。別にこれくらいはいいだろう。エアカーへの追及を止めてやったのだから。
シュノンはスプーンの先端をホープに向けて、とびきりの笑顔をみせる。
「今度また作ってよ。そん時はティラミスも呼ぶからさ」
「……そうですね、そうします。次は横取りしないでくださいね……?」
「なんのことかなー」
「シュノン! もう……」
スプーンの柄を唇と鼻の間に乗せて、口笛を吹く。ブレックファストで活力を得たシュノンは、顔を洗って服を着替えると、ホープといっしょにお出かけの準備をする。
今日もまた、ワンダフルでエクセレントな一日になるような気がした。




