不安
共和国時代の建築様式に合わせて新設された監視塔。この塔は通信塔の役割を兼ね備えており、街中にもある程度のネットワークが張り巡らされている。もちろん、かつての時代のそれと比べれば低レベルの一言だ。それでも何もない荒野に比べれば、ここは楽園と言っても差し支えない。
ここはヴァルハラであり、ユートピアだ。今の乾いた世界に生きる人類が目指すべき最後の砦でもある。
「……」
ブリュンヒルドはその塔の一室から、遥か彼方にそびえ立つユグドラシルを眺めていた。人類救済用の複合施設は、かつての原型を留めていない。既に何度か調査団は派遣され、スカベンジャーたちが回収し忘れたパーツなどは発見されており、機能修復にも努めている。だが、あの施設が本来の役割を取り戻すには長き年月がかかるだろう。
現状でも、困難なのだ。今の世界水準ではマシとは言え、共和国から見ればまだまだ未発達なのがこの街でありこの世界だ。
そして、その進捗状況すらも無に帰す可能性のある危機が迫っている。嘆くべくは、その危機を回避する方法が残されていないことだ。否、本当なら自分がその原因を排除できたかもしれない。
しかし、実際には食い止められなかった。例えマスターの命令だとしてもだ。
だが、その結果を悪いとは思っていない。感情アルゴリズムは複雑な波形反応を示している。
「私はアンドロイド。感情を度外視して、最善な選択を行うことができる」
自分に言い聞かせるように、スピーカーから声を出力する。
しかし、あまり気休めにならなかった。
昼間であるというのに、月が自分たちを見下ろしている。
※※※
「なるほどぅ。んじゃ、回収チームを編成しなきゃねー」
『お願いします。ヌァザのご友人が管理していたヴァナヘイムにも大勢の市民がコールドスリープしているようです』
ホログラムのホープが清々しい表情で報告する。それを、ウィッチはホロパネルにコードを打ち込みながら視聴していた。
イイコトがあった時の顔をしているので、お姉さんアンドロイドとしてはからかいたくなってくるが、心苦しい面もあるので控えた。ドヴェルグ博士の予想ではもうそろそろだ。願わくば、最悪の展開だけは避けたいが。
ウィッチは感情と理性を切り離して並列して入力を続ける。
『先輩? 神妙なフェイスモーションですが』
「ん? んんー? 悩める乙女に相談に乗ってくれるの?」
『……遠慮しておきます、と言いたいところですが、本当に大事なことならば私は――』
ホープは生真面目に答える。この子はこういうところが可愛いんだよね。そんな風に思いながら、ウィッチは普段の通りにおどけた。まだ、悟られてはならない。
「そう? じゃあさ、どうやったらシュノンちゃんともっとお近づきになれるか――」
『遠慮しておきます』
電光石火の如くリピートされる対人言語。ウィッチはクスッとした笑みモーションをしながら、準備完了報告をした。
「オッケー、発注完了。多少は時間はかかると思うけど。……そのヌァザって男の人に同行意志を確認したいな」
『了解しました。呼んできます』
ホープのホログラムが消える。ふぅ、と気疲れしたエアーを吐き出すと再度幻影が出現してウィッチは姿勢を整える。
出現したホロは王女殿下のものだった。フノスは上品な笑みを湛えて述べる。
『そう気遣わなくていいのですわ、ウィッチ』
「そういうプログラム、ですから。気を悪くしないでください」
『残念。私、あなたたちとは気心知れた友人として付き合いたいのに』
「親しき仲にも礼儀あり、と言うではないですか、姫様」
ウィッチはホープほど天然で愛らしく、ドジっ子のように振る舞うことなどできない。そういう風にインプットされている。自分を開発した開発者はこれでも融通が利いた方だが、やはり基本的な部分は雁字搦めだ。
自由気ままに、それこそ完全な自由にアンドロイドを解き放った開発者は後にも先にもパンドラだけ。その他のアンドロイドは何かしらの枷――制約のようなものがある。
命令に束縛されている。無論、これは命令を下す立場の者が良き人間である限り、何の問題にもならない。だから今までは問題がなかった。ゼウス陣営に自分が捕縛されるまでは。
(パンドラは、あたしたちが敵に捕らわれるかもしれないって予期していたのか?)
疑問を思い起こしたが、思考プログラムの片隅へと追いやる。姫様との会話プロセスを続行。
「それで、本題は何でしょうか?」
『本題、とは?』
「あなたがそこにいたということは、わざわざホープが彼を呼びに行かなくとも済んだはずです。能力を使えば。それをしなかった理由は、秘密の話があるからでしょう」
『流石ですね、ウィッチ。ホープなら気付かないでしょう』
「先輩、ですから」
ウィッチは胸を張って答える。ホープの先輩であることにウィッチは誇りを持っていた。
フノスはそうでしたわね、と相槌を打って続ける。
『気に病んでいるのではないかと思いまして』
「……問題ありません。嘘は得意ですから」
『でも好きではない。違いますか?』
ウィッチは苦笑気味に応じた。姫様は見抜いている。心理光を覗けないというのに。
「その通りですね。……正直、不安ではあります。でも一番の心配はブリュンヒルドの方ですね。私はある意味安全圏にいますが、彼女はやはり辛いでしょう」
『意志に反することを行う。……悲しいですわね』
「でも、その悲しみは皆共有しています。もしかしたら、彼ですらも」
『あなたには期待しています。アンドロイドのケアは、あなたにおいて他にはいませんから。もちろん、ケアする事態に陥らないことを祈っていますが、しかし』
「万全を期すに越したことはない。わかっていますよ。都合の良い展開だけではなく、最悪のパターンも考えなくてはなりません」
そう、心が拒絶しても、想定しなければならないのだ。最悪のケースを。
だが、ホープは違う。自分の信じる未来へ向かって一直線に進もうとする。
もし目の前にあるのが予兆があれば、良い兆候だけをホープは掴む。そんな危なっかしい後輩をサポートするのが自分の役目だ。――今ほど、自分が生きていてよかったと思える瞬間はない。壊れなかったこと、消去されなかったことを喜ぶ日が来るとは、キルケ―と死に別れた時には考えもしなかった。
「あたしは自分にできることをします。姫様は」
『私がやれることをやるだけですわ。あら……?』
『あなたたち、何の話してんの?』
ホログラムが増える。シュノンの幻影が会話に割り込んできた。
彼女は通信相手がウィッチだと知るとげぇ、という声を出したが、ウィッチはにこにこと彼女を迎え入れる。愛らしいのだ。シュノンちゃんは。
「ちぃーす、シュノンちゃん!」
『くはー、なんか忘れ物した気がするから私はこれで』
『……何か、聞きたいことがあるのではありませんか?』
フノスが確信的な眼差しで質問を投げる。シュノンはえ? と目を丸くしたがどうにか勢いで誤魔化そうとする。だが、こういう時に機転を利かせられるのが情報支援型アンドロイドだ。
『な、何のことだかさっぱりー』
「秘密を話してくれたら、最先端ビークルのレンタル権、優先的にシュノンちゃんに回しちゃうよー?」
『マジで!? あのでっかい奴!? ぁ……コホン』
わざとらしい咳払い。ウィッチの趣味の一つが釣りだ。その対象が魚であるとは限らない。
獲物は釣り針を物欲しそうに眺めている。チラチラと。欲望と理性の狭間で葛藤し、ついに行動を起こした。
『や、でもレンタルでしょ? くれるわけじゃないし……』
「んじゃ試作型ビークル配給権もおまけしとくよー?」
『ん、実はさ、大した悩みじゃないんだけど――』
変わり身の速さを披露して、シュノンはぺらぺらと話し出した。電脳内でガッツポーズしながらウィッチは聴覚センサーを傾ける。
内容は、ある意味予想できたものだった。気を悪くしないで聞いてね? そう前置きし、
『何かさ、みんなで隠し事してない? ホープに』
一瞬時が止まったかのように錯覚するが、体内時計は現実時間とリンクして正常に作動していた。
ウィッチが言語出力に失敗していると、フノスが柔らかな笑みを浮かべて訊き返す。
『どうしてそう思われるのですか?』
『私のスカベンジャーとしての勘が告げてるの』
スカベンジャーが関係あるかはさておき、シュノンちゃんは鋭いなぁ、と内心で思う。姫様へと目配せし、ウィッチは告白することにした。
「そうだよー? 嘘ついてるよー?」
『や、やっぱり!!』
「実はさ、あたし、シュノンちゃんのことが……」
私のこと? と驚愕しながらもごくりと息を呑むシュノン。ウィッチは悠然と告げる――全米を震撼させそうな驚愕の真実を。
「とっても大好きなんだよねー! 抱きしめたいぐらいに!」
「バカにしてんのか!」
シュノンが感情豊かに怒る。ウィッチはまぁまぁ、と宥め作業へと移る。
「試作機のテスト権と新型ビークルのレンタル権ゲットできたし儲けもんじゃん。それに、あたしは結構本気でホープのこと羨ましいし、どうにかしてシュノンちゃんをあたしのマスターにできないかなって思ってるぞー?」
『あんま聞きたくないし、それ』
「こう見えてあたし、優柔不断とは程遠い存在だからね。マスターにするんなら、もち専属契約。誰もあたしのマスターに触らせないから。手取り足取りじぃっくり、あたしの魅力をたっぷり教えてあげるからさ、どう……?」
『どう? じゃねえわ! 相談して損……いや、得をした……? もういい!』
シュノンのホログラムが消失。ひとしきり笑い終えた後、ウィッチは謝罪プログラムを込めて言語出力をした。
「その通りだよ、シュノンちゃん。あたしはホープに嘘を吐いてるよ」
※※※
ヌァザはフノスといっしょに去って行った。ウィッチが手配した治安維持軍の部隊を連れて。
目的地はヴァナヘイムだ。認証コードを解除するために、わざわざ姫様もご同行なされた。
本当ならホープとしても隊に参加したかったのだが、シュノンが休暇を訴えていたため諦めた。姫様に諫められた面もある。休息は大事ですよ、ホープ。そう姫に諭されたのなら、プロメテウスエージェントとしても休憩を取らなければならない。丁度、メンテナンスの必要性を薄々感じていた頃合いだった。
そのため、ホープはプレミアムの助手席でるんるん気分でドライブをするシュノンの横顔を眺めている。
「ようやく休憩、ようやく休暇! 映画コレクションが私を待っている~!」
「いつでも見れるじゃないですか、映画は」
「余所見運転を推奨しちゃうの? うわ、不良ドロイド」
「今更交通法に照らし合わせたところで無意味ですよ。それに私が代わりに運転すれば姫様の元へと」
「やーよ。運転は好きだけど、どっぷり座って見る映画も楽しいし! 何ならホープもいっしょに見る? 今ハマってるのは国際エージェントが悪の組織が牛耳る国家を単独で解放する奴で――」
「遠慮しておきます」
「ちぇーつまんないの」
今日は遠慮の回数が多いような気がする。何気なくそんなことを思考ルーチンに流しながら、窓の外へとフォーカスした。遠方にはユグドラシルが見えている。自分の終わりの場所であり、始まりの場所。あそこにシュノンが立ち寄ってくれたおかげで、自分はこうして活動できている。
ふとホープの感情アルゴリズムに変化があった。視線を戻して呼びかける。
「もし」
「ん?」
「もし、どうしてもと言うのなら考えなくもないですよ。仕事が終わってから、になりますが」
「本当!? じゃあ、セレクトしとかなきゃね!」
シュノンがはしゃぐ。勢い余って車体が揺れる。ホープはその様子に幸福を見出し、苦笑交じりに窘めた。
映画を見るのは別に構わない。構わないのだが、現状の様子を踏まえると一本では終わらない気がする。それだけは勘弁してもらいたいのですが。
そう思うホープを乗せて、プレミアムはメトロポリスへと走行していく。
「んじゃ用事済んだら部屋に来てね! ふふーん!」
シュノンはメカコッコにあてがわれた部屋へとスキップしながら向かって行った。その背中に若干の苦みモーションを送りながら、追従を指示したメカコッコへと付き従う。
「どこへ向かうのです?」
「格納庫だ。来たまえ」
「はぁ」
街の方からは活気溢れる喧騒が聞こえるが、チキンラボを始めとした治安維持軍の主要施設は打って変わって静寂が支配していた。時折擦れ違う兵士もしっかりと敬礼を行ってくる。
音声こそ静かだが、皆活き活きとした表情で職務に当たっていた。惰性ではなく、自分の意志で生きる。そのプロセスが彼らに活力を与えている。
「このまま行けばそう遠からず、共和国が復活できそうですね」
喜ばしく思うホープに対しメカコッコは、
「ああ、このまま行けばな」
と未来を憂う発言を漏らす。私が守りますから大丈夫です、と彼に伝える暇もなくメカコッコは格納庫の扉を遠隔操作で開いた。
そして、ホープは新装備と台座に置かれるコアを目の当たりにする。
「私の、コア……それにバーサーカーパック、ですか」
「その通りだ」
台座で淡く発光しているのはエルピスコアだ。マスターによって全周波に座標が発信され、アレスに捕捉される原因となってしまったホープの心の拠り所。だが、既にメカコッコがシステムチェックをし、トラップが仕掛けられていないか確認済みなはずなので、ホープは何も不安に思うことはなかった。
「使えるのですか、ようやく」
「ああ。ETCSも搭載しておいた。これで性能が上がるはずだ」
彼の言う通り、メカコッコが現代技術で構築した即席のコアよりは、創造主が遺してくれたコアの方が相性がいい。エナジー循環効率向上に加え、消費率も抑えることが可能になる。
「これでアレスとも……」
「無茶も油断も禁物だがね」
メカコッコは渋めの声で忠告を投げる。おっしゃる通りです。ホープは同意しながら、
「バーサーカーパックはやはり?」
「ああ、発掘した。一世代前のパックだな。全ての収納物資が最新型、とはいかないようだ」
アイカメラが見つめるのは、ホープがパック換装システムでメインに使っていた物よりも古い。レーヴァテインほど古くはないが、これもやはり戦争中の代物だ。
一番人類の存亡が危ぶまれた時代の代物が、保存されている確率が高い。その理由にホープは理解を示せた。戦争の終結した共和国時代は、平和が保たれていたのだ。結果的に、偽りの平和でしかなかったが。
「しかし、カタログスペックによるとこのパックは」
「ああ、装着者のパーソナルデータに少なからず影響を与える。非戦闘用アンドロイドを強制的に戦闘させるための装備だ。まさに狂戦士だな」
戦時下でアンドロイド不足に陥った部隊が使用したとされる特攻兵器。装着することで装着者の人格へ働きかけ狂化させ、敵味方すら判別できない殺戮ドロイドへと変化させる。非人道兵器としてお蔵入りになったソレをメカコッコは自分に使わせようとしていた。もちろん、彼は対抗策を考案済み。
「私ならば平気。そうお考えですか」
「その通りだ。君なら感情で命令を押し殺せる。そう確信している」
「一理はありますが……やはり、心配ですね」
先程とは違い、感情アルゴリズムからは不安が検知。その反応を見てますますメカコッコは満足げにニワトリ首を振った。
だからこそだよ、と饒舌に、
「ゆえに君は大丈夫なんだ。コマンドに縛られずバーサーカーの狂化システムの恩恵を受けられる。敵味方を識別し、理性を持って行動が可能なはずだ。もし使いこなせればタクティカルアドバンテージになる」
「否定しません。ですが、テストをするべきでしょうね」
「もちろんだとも」
メカコッコはマッドサイエンティストではないので、ホープの意見を聞いてくれる。
改めて、二つの品を見比べる。感情優先型という自らの性質を創生したエルピスコアと、装着者の意思を捻じ曲げて強制的に戦闘を強いるバーサーカーパックを。
(何事もなければ良いのですが)
電脳内で切実に思うホープへと、メカコッコは促す。
指示通り作業台へと乗ってコアの換装を開始した。スリープモードへと入り、不安データが保持されることなく消し飛んだ。
※※※
「いいお部屋! 最高! ふかふかのおベッドさんに、柔らかそーなソファー! なんかアホみたいに画質がいい大型ホロテレビに、おいしそうな食材がたっぷり詰まった冷蔵庫! トイレはもちろん、高性能シャワー付き! まさにVIPの待遇と言っても過言なし!」
一通りはしゃいで、声が室内に拡散する。防音設備なので、爆音で映画を再生したとしてもご近所さんが拳銃をぶっ放すことは有り得ない。
だが、逆に言えばこの感動を誰かと分かち合うことはできないということだ。一人で部屋を見終わったシュノンは、テンションを下げて微妙な面持ちとなる。
「ホープ、早く帰って来ないかなぁ」
クレイドルと死別してからは主に一人旅だったので、今更一人でいることに不安はない。が、やはり寂しくはあった。いつの間にか、ホープはシュノンの大部分を占めていたらしい。
せっかくの休暇だというのにシュノンはため息を吐いて、ソファーに座る。枕もどきを抱きしめて、少しうだうだとした時間を過ごしてみる。
外套を脱いで楽な格好となっているシュノンはしばらく枕を両腕で抱えていたが、突然ぶん投げると灰色の髪をくしゃくしゃに掻きむしった。
「あーもう、お暇! シュノンさんはお暇ですよ!」
叫ぶが、防音機能は素晴らしい。この声が誰かに響くことはない。
「むーっ、むっ!」
退屈に耐えかねたシュノンが立ち上がる。適温に保たれた街の中へと歩き出した。
「この私を退屈させるなんて……共和国ってのはこんなにつまらないとこだったの?」
独り言を交えながら通路を進み、エレベーターへと乗り込む。つまらない、と感じれること自体がすごい変化なのだが、今のシュノンにそんなご立派な考えは必要ない。退屈を紛らわすエキサイティングでエクセレントな出来事が必要なわけよ。そう呟いて、チンという音が目的地への到着を知らせた。便利なおエレベーターさん。
「せめてお姫さん……はいないし、ウィッチは論外だし、ブリュンヒルドとかも無理だし……あ、そうだ」
ぶつぶつ独白するシュノンを治安維持軍の兵士は咎めない。立派な軍人さんたち。びしりと敬礼する横を素通りしたシュノンは、思い当たる人物の居場所を言い漏らす。
「アルテミス……! 赤毛のティラミスはどこかしらん」
『E-754居住区になります』
「うわっびくった!! 何さ! ナニコレ!?」
突然目の前に出現したホロマップが赤いマーカーでアルテミスの住居を示していた。無礼な親切設計に悪態を吐きながらも、シュノンはマップを確認する。
「くそ、くそくそ! 私を驚かせた罪は重いわよ……どれどれ」
少し遠いかもしれないな。心の中でそう思うと、まるで心を盗み見たかのようにナビゲーションが進行した。別の地点に新しいマーキングが施され、そこに何があるかをご丁寧に解説し始める。
『レンタカーの使用を推奨します。自動運転機能が搭載された試験型エアカーのため、スムーズに移動が可能です』
「はいはいご親切にどうも、くそったれ。行ってみるか」
案内通りに大通りへと出て、建造物が立ち並ぶ街の喧騒へと合流を果たす。ナビのルート通りの場所まで歩くとエアカーなるタイヤがない車が停車していた。ホープが得意げに語っていたタイプの車だ。地面をべたべた走るプレミアムとは違い、空を飛ぶエアカーは爽快だと言っていた。
「試してやろうじゃない、乗り心地を」
乗り方は普通の車と変わらなかったので、運転席に乗り込んでシートベルトを締める。と今度は車が勝手に喋り出し、ガイドが行き先を確かめてくる。
『行き先はどこでしょうか』
「えーっと、何だったっけ……」
『E-754居住区ですね』
「そうそうそれ……って私まだ何も言ってないんだけど」
どうやらこの車も無断で人の脳内をスキャニングしたらしい。ホープやお姫さんのおかげで読心術には慣れているが、こうもほいほい思考を読み取られるとなると気が滅入ってくる。
『ご安心ください。私たちのプログラムは、あくまでもお客様の目的遂行を第一に考え、適した情報をスキャニングするのみに限られます。顧客情報は任務達成と同時に速やかに破棄され、個人情報の流失は万に一つ有り得ません』
「聞いてないことをべらべら喋んなくていいから、さっさと行って……うきゃあ!?」
急に車体が浮いた。文字通り、空中に浮かんでいる。突如とした飛行体験に驚愕するシュノンをさしおいて、ガイドはご機嫌な音声を送り届けてくれる。
『では、発進いたします』
「ちょ、や、やっぱたん……たんま――!!」
ガイドは無情にもシュノンの言葉を無視する。苦情マニュアルに従い、目的地へ進行するという簡易命令以外の音声認証を受け付けなくなった結果だった。
髪は乱れ、吐き気すら堪えている。最悪だった。空を飛ぶというものは。
「つ、ついた……?」
『目的地に到着しました』
その声を聞くや否や、シュノンはそそくさとエアカーから飛び降りる。用事が済むまで待機しますか? という問いかけは、もういい! というシュノンの返答によってキャンセルされた。二度と乗ってたまるものか。
「死ぬかと思った……はぁ」
ぜぁはぁと荒い息の中、こんなものと自分のプレミアムを比較していたホープに怒りを抱く。どう考えたってプレミアムの方が乗り心地がいい。あのポンコツドロイドは、頭に深刻かつ重大なエラーとバグを抱えている恐れがある。
「ふ、ふぅ……落ち着いた」
幾ばくか顔色が戻ると、シュノンはナビゲーション通りに歩き出した。アルテミスが住む複合住宅を見つけ、インターフォンを鳴らす。すると、家の奥から怪訝な表情を張り付けて、アルテミスが現われた。
「……何? 何の用?」
「や、遊ぼうかと、思って……」
「……何で息が乱れてるのよ、全く」
呆れながらも明らかにアルテミスの表情は一変した。誤魔化しているつもりだろうが、嬉しさ満点なのは見え見えだ。そして、照れ隠しをしながら訊いてくる。
「家で? 悪いけど家に遊べるようなものは何もないわよ。……その資格があるとは思えないし」
「あーはいはい、そういうひねくれはやめてよね。なら、家に来ない? ホープと映画を見る約束してんだよね」
「それ、私がホープの代わりのように聞こえるけど」
「違う違うって。ま、確かにホープがなかなか戻って来なくて退屈だったけど、大人数で見た方が絶対楽しいって」
「結局身代わりなんじゃない……ま、まぁ、どうしてもって言うのなら付き合ってあげなくもないけど」
アルテミスはツンデレぶりを発揮して、満更でもない答えを返す。その返答に気を良くしたシュノンはじゃあ決定! と元気よく言い放った。
「じゃあ、準備してくるから……っぁ」
「ティラミス?」
中へと引っ込もうとしたアルテミスが急に止まる。心配するシュノンへ背中越しに彼女は語りかけてきた。
「あ……ごめん。用事があることを忘れてた」
「え? 本当に? 気を使ってるとかじゃないよね?」
疑心に駆られるシュノンが問う。少し不機嫌さを交えた口調も、アルテミスの釈明によってがっかりとしたものへと変わっていく。
「本当なの。次は絶対に行くから」
「そっか。ならしょうがないか……」
振り向かずに答えたアルテミスを奇妙に思いながらも納得し、シュノンは予定を当初通りのものへ変更する。
「オーケー、んじゃ次回は絶対! 絶対ね!」
「うん……またね」
シュノンはアルテミスに別れを告げて、部屋を後にする。アルテミスが一度も振り向かなかったのは寂しさを悟られないようにする照れ隠しだ。そう結論付けて。
「そうだ。次回があればのう……」
アルテミスが凍てつく笑みを浮かべていたことに気付かずに。




