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騙し討ち

「お目覚めか?」


 再起動と同時に言葉を掛けられる。薄暗い室内の中で、義手の男がホープの前に立っていた。

 対して、ホープは浮いている――鎖で両腕を縛られて天井から吊り下げられているのだ。


「シュノンは……姫様はどこですか」

「裏切り者を心配するのか。たまげた精神だ。それが治安維持軍のモットーなのか」

「…………」


 ホープは無言で男を見据える。姫の真意が何であれ、あの局面で裏切ったことは確実。男がホープの攻撃を避け続けられたのはフノスが能力を使って指示を出していたからだ。男は実力者のようだが、それでもあのような奇跡は有り得ない。近場でホープを観察していたフノスが逐一男に報告したため、彼はことごとく先手を取れた。


「……案ずることはない。二人とも無事だ。まぁ片方については――」

「――あなたの対応次第、ですわ。ホープ」


 暗闇からフノスが姿を現す。いつものように笑ってはいるが、その笑みは冷淡だ。


「姫様は、本当に……」

「ええ、わたくしは本気ですの。ずっと機会を窺っていました」


 姫は語る。かつてと同じように、かつてとは違う表情で。


「待ち望んでいましたのよ。この時を」

「このお嬢さんのおかげで作戦立案はスムーズに行きそうだ。……俺の計画もすんなり進むというもの」


 男は義手に目を移して握りしめた。黒い、高性能の義手。崩壊時代に創られたものではなく、共和国時代の遺物をレストアしたものだ。

 先程は余裕がなかったが、身動きを封じられている今、その義手をじっくりモニタリングすることができる。ホープの感心は義手の出所でどころに向けられていた。


「その義手は、どこで……?」

「今訊くべきことはそこじゃないと思うんだが……いいだろう。友人の遺品だ」


 男は義手を掲げて応じる。フノスがおかしそうに笑みを作る。


「あなたは昔と同じで、相変わらず肝心なところが抜けていますわね」

「シュノンはどこですか……姫さ……フノス姫」


 呼称を言い直したホープにフノスは小悪魔のような笑みのままで説明する。


「ここ、ブラッドユニコーンの本拠地で、あなたと同じように捕まっていますわ」

「ブラッド、ユニコーン……?」

「ここら辺一帯を取り仕切る方々です。要は」

「バルチャーファミリーのようなもの、ですか。なぜ、あなたがそのような組織と」


 ホープの知り得るフノスであれば、そのような連中と手を組むはずがない。しかし、現にフノスはブラッドユニコーンの刺客である男と共闘し、自分とシュノンを捕縛した。紛れもない裏切り行為だ。感情アルゴリズムが悲しみに疼く。


「僭越ながら……友人だと思っていましたが」

わたくしもそうでしたわ、ホープ。少し頭を冷やしてください。その後に本題へ入りますわ。では、行きましょう、ヌァザ。情報を共有しなくてはいけませんし」


 そう言い残してフノスは、ヌァザと呼ばれた黒髪の男と去っていく。


「待ってください……! 姫様!」


 漆黒の中へ言葉が呑み込まれ、消える。言語的意味を持つ情報粒子が霧散した。



 ※※※



 任務から帰還したチュートンは、フルプレートの強化装甲鎧パワードアーマーを脱ぐことも中世の騎士を模したヘルメットを外すこともせず、戦士の出で立ちのままコントロールルームへと足を運んだ。そして、報告するべき依頼主がいないとの返答を受け、搬入した機械類が保守される保管庫へと移動する。

 言われた通り、雇い主は保管庫に佇んでいた。隣にいる古代文明の騎士と共に。


「ここにいたか、ドヴェルグ」

「チュートンか。すまないね、わざわざ手間をかけた」

「例のネコキングとやらは無事、海賊共と合流した。ミュータントの数も増加している」

「戦力の増強は上手くいっているようだ」


 騎士が感服した。チュートンは一目で男が賢く、優れた戦士であることを見抜いている。名前をシグルズというこの騎士はヴァルキュリアという特殊作戦群のエージェントであり、自身の戦闘能力もさることながら、戦闘指揮にも長けている。

 普通の奴らはここで安堵を抱くだろうが、チュートンは違った。それほどの男を千年にも渡る長い年月もの間、火星に押しやった敵がいる。いくら戦力が増えているからと言って、楽観視できるような状況ではない。そう判断を下している。


「よい所見だ、チュートン」

「俺の心を読んだのか」


 その程度の分析はある程度の学があれば誰にでも可能なものと思っているので、不快感は示さない。少なくとも味方である内は。

 だが、不運なことに目下の障害は、シグルズやフノス姫と同じような力を持つであろうゼウスだった。彼の生存はアルテミスの証言によって裏打ちされた。敵に対しての不快感――警戒は然るべきだ。

 現状、ドヴェルグの予想通りに事態は進んでいる。その点では敵に後れを取っていないが、大した慰めにはならない。


(ドヴェルグの推測通りなら、このまま平穏を維持できることは有り得ない)


 早急に対策を講じなければ、事態の悪化は免れなかった。そのためドヴェルグは、一部の信頼できるメンバーのみに情報を共有し準備を進めている。今回の依頼もその秘密任務の一環であり、眼前にあるシステムもまた然りだった。


「これはなんだ」


 初めて見る装置にチュートンが問いかける。形状としてはジェットパックに似ているが、決定的に何かが違う装備だった。――自分用の装備でないことは明白だ。


「アンドロイド用の追加装備だ。以前発掘した装備を調整中でね」


 空中機動用のブースターに加え、目立つのは二振りの大型剣だ。白色を基調とした装備は、近接戦闘を前提としたパックであると推測される。義体部分にも装着するパーツがあるようで、軽量のアーマーを作業スペースの上に並べられていた。

 だが、それよりも目を引くのは台座に密封されている球体だ。輝きを失っているソレは、アンドロイドのコアのはずだった。


「それは確か」

「エルピスコア。パンドラが友のために残した遺品だ」


 説明したのはシグルズだった。何らかのシグナルがコアに埋めつけられており、そのせいでホープはアレスと呼ばれる敵に追跡された、と言われている。敵に回収されたはずのコアは、巡り巡ってまたこちらの元へ戻ってきていた。


「今ホープが使っているコアは、エルピスコアよりも劣るからね。やはり、こちらを使えるに越したことはない。解析を進めて障害となるであろう機能を除去した後、再搭載する予定だ」

「戦力向上に異論はない。……フノス姫はどこだ」


 メカコッコにフノスの居場所を尋ねると、代わりにシグルズが応える。


「彼女ならホープと共に敵の排除に向かっている……恐らくは、な」

「そうか。では俺も動くとしよう」


 チュートンは所持するライフルを鳴らしながら動き出す。シグルズがその背中へ問いかけた。


「王女殿下に何か依頼されたのか?」

「守秘義務がある。無闇に口外したりなどしない。もっとも、記憶を覗くというのなら別だがな」

「……私も無闇に他者の心を盗み見たりなどはせんさ」

「ならばいい」


 チュートンはそのまま出口へと向かう。シグルズが意味深な眼差しでその背中を見送った。

 通路へと出ると、何やら不審な動きをするアルテミスと出くわした。このエリアにアルテミスがいること自体が不自然なのでチュートンが訊ねる。


「何をしている? アルテミス」

「あ、う、み、道に迷って……」

「その横にある看板が目に入らないか? ここは立ち入り禁止だ」

「あ、ほ、ほんとだ。あはは、どうしてこんなところに来ちゃったんだろ」


 赤髪を揺らしながらアルテミスは困惑気味に笑う。――どこか奇妙な感覚が脳裏をよぎる。


「様子がおかしいな」

「べ、別に私は平気……ただ、こっちに来てから偏頭痛がするくらいで」

「偏頭痛か。メディカルルームに医薬品を貰いに行くんだな」


 ヘルムの内部処理によってエフェクトが掛かったチュートンの忠告を聞き、アルテミスは挙動不審に頷く。


「う、うん。そうする。忠告をどうも。別に、感謝なんかしてないけどね」


 話を交わす間に、アルテミスの状態が正常な物へと戻っていく。疑念を抱かずにはいられなかったが、それを口に出す気も暇もチュートンには残されていない。

 別れの挨拶を交わして、依頼へと赴く。

 ――依頼は必ず果たすのが信条であるがゆえに。


「ではな」

「じゃあ……」


 去り際に何かアルテミスが小さな声で呟いたが、チュートンのヘルムの聴覚センサーでは捉えられない。


「良い手玉が揃っているようだ。これは破壊するのが惜しい。そうであろう……」


 

 ※※※



 ブラッドユニコーンのメンバーは、この世界における一般的な人種、と言い換えて差支えがない。要は、略奪と暴力が大好きな暴徒だ。秩序を失った世界で指針を見失った人間が至る、混沌渦巻く最終地点。

 だからこそ、とフノスは思う。だからこそ、実に律しやすい――。


「……これがメトロポリスの現状ですわ。人民及び物資は豊富。最先端の科学技術も」


 フノスの報告にボスが気を良くする。暴徒たちは言わずもがな。


「素晴らしい。良くやったぞヌァザ。これほどの情報源を俺たちの元に連れてくるとは」

「やぁ、運が良かった。このお嬢さんのおかげだ。俺だけじゃあここまで上手く事態は運ばなかっただろう」


 円卓に座るヌァザが謙遜した。周囲にはブラッドユニコーンの兵隊たちと、鎖に繋がれた女性……それも少女を中心とした奴隷が多くいた。部屋の隅には、白骨化した死体が転がっている。骨格からして年若い少女のものだ。周囲に充満する死の匂いい……情報粒子が黄金の種族の力を通してフノスの中に流れ込んでくる。どれも悲痛な叫びだった。ここにいる暴徒たちは皆、天国に逝くことは不可能だろう。


「女の扱いがお上手、ですわね」


 フノスが皮肉を玉座をイメージしたであろう大椅子に座るボスへ放つ。が、ボスはゲスめいた笑みをこぼすだけでまともに取り合わなかった。むしろ、フノスの言葉を褒め言葉だと受け取って、


「男は女を支配するべきだ。そう思わないか? お姫様?」


 嘲笑と奴隷たちの怯えが入り混じる。フノスははぁ、と軽くため息を吐くとドレスの内側に仕舞ってある拳銃を抜いて、いきり立って奴隷を貪ろうとする男の腕を撃ち抜く。


「えぁッ!? い、いでぇ!!」

「こいつ!?」「このアマ!!」


 兵隊たちが立ち上がり、めいめいの武器を執る。大してフノスは上品かつ冷静に対応した。ごめんあそばせ、そう前置きし、


「思わず自衛をしてしまいましたわ」

「自衛とは?」


 唯一敵意を見せなかったボスが興味深そうに質問を投げる。隣に座るヌァザが臨戦態勢を取っていないことは言うまでもない。ヌァザも、飲み物を飲みながら耳を傾けている。


「いえ、まかり間違って、わたくしも同じように襲われたらかなわない。そう思いましたの。それと、わたくしも年頃の娘。目の前でそのようなはしたない行為をされては、不快感を禁じ得ません」

「何だと、テメェ!」

「姫殿下の言葉が聞こえなかったか? リック」


 ボスがリックという名の男を制す。フノスとヌァザを除く全員が驚きの眼でボスを見上げた。


「どうしてですか、ボス!? 女は男に従う――それがブラッドユニコーンの掟では!?」

「だがそのお姫様は例外だ。……どうやらまだ全てを俺たちに話してくれてはなさそうだしな」

「ごめんなさいね。わたくしも儚い女。下手に全てを話せば、無用の長物として処分されてしまうでしょう? それは嫌ですの」

「いいとも。信頼を勝ち取ればよいだけだ」

「うふふ、お心遣い、感謝いたしますわ」


 意外にもボスの懐は深かった。組織こそ幼稚なものだが、ボスのカリスマ性についてはフノスも認めざるを得ない。育ちがもう少しよければ、立派なリーダーとして振る舞えただろう。

 だが、彼は致命的な間違いを犯している。その過ちに気付くのはもう少し先の話となるが。


「あら、ヌァザ? どちらへ」


 パートナーであるヌァザが離席する。彼は笑みをこぼして言う。


「勧誘に行ってくる。彼女がいれば計画も楽に進む」

「簡単には行きません。あの子の意志は非常に強固。ですが、弱点を突けばあっさりとこちらになびく……はずですわ」

「心に留めておこう。ではまた」


 ヌァザが立ち去る。見送ったフノスも立ち上がり、


「さて、わたくしも友人の世話をしてきますわ」

「着いて早々仕事熱心だな」


 ボスが玉座の横に侍らせる奴隷の少女の頭を撫でながら褒めた。フノスはその姿を後目に、目的の場所へと向かい始める。


「お褒めに預かり光栄ですわ。ブラッドユニコーンのボスさん。可憐な花も水をやらないと枯れてしまう。……壊れてしまったら使い物になりませんからね」



 ※※※



「く……外れない……」


 手錠を破壊しようと試みたが、出力抑制機能が付加された高性能タイプのため、外れる気配が一向に見えない。ホープは目覚めてからずっと天井から宙吊りの状態であり、焦燥感のあまり感情アルゴリズムが壊れてしまいそうだった。


「シュノンを助けなければ」


 優先タスクを呟いて、どうにか義体出力を向上させようとする。が、無駄な足掻きだった。なぜかアレスの言葉が脳裏に再生される。

 

 ――お前では勝てん。無駄な抵抗は止せ。

 

 さらに意味不明なことに、マスターの言葉がアレスの言葉と重なった。

 

 ――今の君では僕に勝てない。戦い方を変えるべきだ。


「……っ。再生を中断!」


 ホープの感情動作がそれ以上の記録再生を拒んだ。具体的な理由は明示できない。

 ただ不快だったから、嫌だったから停止した。もし誰かに問われても曖昧な答えを返すことしかできなかった。

 だが、今はその心配は無用だ。質問者はこの場にいないからだ。それが幸運かどうかはさておき。


「脱出するためのマニュアルは……」


 逃走方法を模索するホープの聴覚が扉の軋む音を捉える。音声を遮断したホープに、ヌァザは笑みを浮かべて近づいてきた。


「もう逃げる算段か? うかうかしていると本当に逃げられそうだ」

「まさか。心が折れてどうにかなってしまいそうですよ」

「本当に嘘が下手なんだな」


 ヌァザはまるでホープを知っているかのような口ぶりをする。実際に知っているのだろう。姫様から詳細を聞いているはずだ。

 フノス姫は昔馴染みの自分ではなく、ヌァザをパートナーとして選んだ。解せないと同時にフノスの嘘を見抜けなかった自分を恥じる。あれだけ長い間接しながら、姫の本質を気付けなかったとは。


「感情豊かでもあるな。だが、だからこそ平和の守護者としては有能なんだろう」

「皮肉、ですか」

「いや、本心だ。……なるほど、友の気持ちも理解できる」


 ヌァザが小声で何か独り言を放ったが、更新される会話ログの下方へと流されていく。


「シュノンは無事ですか」

「姫様の心配はしなくていいのか?」

「……姫様……フノス姫は嘘を吐きました」

「ああ、そうだな。嘘発見スキャナーでも見破れない高度な嘘だ。あのお姫様は人を騙すのが上手い。取り入るのもな。そう気にすることはないさ」


 なぜかヌァザが親身になってくる。嫌気がさしてホープは質問を変えた。


「あなたはなぜこんなことを……」

「必要だから、では不満か?」


 わざわざ返答するまでもないので、ホープは毅然としたフォーカスで応じる。

 これは参った。ヌァザは後ろ髪を右手で掻いて、


「なかなかお姫様のようにはいかないな。……俺なりの交渉術を取るとしよう」

「交渉? 私は暴徒と交渉などする気は……」

「まぁ、これを聞けばすぐに気が変わるさ」


 男は付近にあるテーブルの上にレコーダーを置いた。右手でボタンを操作して、音声データを再生する。瞬間、義体全身にエナジーが巡った。


「これは――何です!?」

「お友達の声だ。聞きたいかと思ってな」


 ホープが抵抗しようともがき、鎖ががちゃがちゃと鳴り響く。

 聞こえてきたのはシュノンの悲鳴だった。止めて、助けて! 彼女の泣き叫ぶ声が聞こえる。


「シュノン、シュノンに……何をしたんですか!」

「それを言うのは憚られる。きっと心が持ちはしないだろう」

「……ッ!!」


 薄暗い室内にこだまするシュノンの叫び。彼女の声が頭の中に入り込み、あらゆるプログラムやコードを侵略してくる感覚に襲われる。急がなければ。焦燥だけが思考ルーチンを占める。

 急がなければ。急がなければ。急がなければ。連続したコードが、電脳内を満たす。あらゆる類の不具合と動作エラーが混同し、トラブルシューティングが始動。

 問題解決の方法が、電脳内に提示された。


「……使命……」

「ん、何だ?」


 ヌァザがにんまりとした笑顔で訊き返す。次の瞬間、その顔が驚愕に染まった。


「人を救うのが私の使命! シュノンを返しなさい!」


 その発言が起動コードとなり、外部要因を排除して全ての制御権がホープに移る。感情優先機構により自由行動認可を得たホープは義体の出力を上昇させて鎖を引きちぎり、瞠目するヌァザを差し置いて牢獄から逃走を開始した。


「シュノン、シュノン、どこです!!」


 もはや自身の安全など二の次で、ホープはエコーとセンサー、レーダーを駆使してシュノンの生体反応を探す。即座には観測できず、シュノンの灯が失せている可能性にコンバーターを冷やしたが、幸いにも彼女の生命反応は検知できた。

 思いのほか近い場所に監禁されているようだ。別の反応も確認できたが、構っている暇はない。猛スピードでステルス行動を度外視した疾走をし、シュノンがいる部屋へと押し入る。


「シュノン!! 助けに来ました!」


 アイカメラでシュノンと……裏切り者を目視。瞬時に戦闘態勢に移行したホープは、


「くぁー、奴らはくそ野郎共だけど、飯だけは上手いねぇ! どう? お姫さんも食べるー?」

「うふふ、是非私わたくしの分もお食べになって? 協力してもらったお礼とお詫びです」

「でもさー、せっかくだし……あれぇ? ホープ? 今お鎖サーカスしてる最中じゃなかったの?」


 などというほんわか極まりないやり取りを目の当たりにする。シュノンは大量に並べられた食事をご満悦に頬張り、ベッドに腰掛けるフノスと談笑していた。


「…………」


 ショックのあまりフリーズしかかったホープは義体の出力が弛緩し、床へと腰を落とす。一気に怒りが吹き飛んだ。感情アルゴリズムの動きが既知のものへと変化する。懐かしき記憶が古いフォルダの中から選び出されて再生された。


「そう、でした。姫様は、そうでした……」

「あらあらホープ。ちょっと予定より早いですわ。計画が狂ってしまいます」

「ああ、すまんな。気になってどんなものか試してしまった」


 ヌァザがレコーダーを片手に現れる。シュノンはあーっ、とその記録媒体を指して、


「私が渾身の演技を吹き込んだ奴! ってことはホープに聞かせたんだ! どうだった? 私の演技? 声優になる日も遠くないよね?」

「……ぜ、全然下手でしたよ、シュノン」

「ええー? 嘘だよ、絶対嘘! 私の悲鳴をマジな奴と思って顔を真っ青にしたんでしょ? ありがとねー、ホープ。流石私の相棒! くはー、感動で泣けてくるわ!」

「私も泣きたいです……せめて一言言ってくれれば」


 シュノンとは別の意味で処理液を流したい衝動に駆られるホープに、フノスはごめんなさいね、と頭を下げる。通常時なら滅相もございません、と礼儀正しく応じるが今は義体の出力がゼロに近いので不可能だった。


「でも、ホープは嘘を吐くのが下手ですし、変に疑われても困りますからね。敵を騙すにはまず味方から、ですわ」

「下手に事態を荒げると人々に被害が及ぶ可能性があるからな。君たちの来訪は幸運だった」


 ヌァザはまるで仲間のように会話に加わる。実際に姫様が見初めた仲間なのだろう。ヌァザが何らかの目的を持ってブラッドユニコーンに潜入していると心理光を読んで悟った姫様は、あえて彼に歩み寄りホープたちを騙すことで敵の信頼を勝ち取った。これが一連の流れのはずだ。


「結局、彼は何者なのです。味方であることはわかりますが」

「奴らに恨みを持つ流れ者。この認識でいい」

「恨み?」


 どうやら深く事情を聞いていなかったらしいシュノンも、フォークを動かす手を止める。

 ヌァザは一瞬躊躇したが、フノスに促されて仕方なしに話し始めた。


「奴らは俺の友達を殺した。これは敵討ちだ」

「復讐ってこと?」


 シュノンの問いにヌァザは肯定。肩を竦める。


「その通りだ」

「あまり感心しませんね」


 あくまで治安維持軍のエージェントとしてホープは呟く。だろうな、とヌァザも同意した。


「復讐なんてのはバカのすることだ。で、俺はバカだ。何の問題もない」

わたくしも復讐の手伝いをする気はありませんわ。敵を倒すことには協力しますが」


 姫様は王族らしいセリフを放つ。シュノンもパンを頬張りながら意見を呈す。


「ふくじゅーはよろじくないぞー!」

「食べてから話してください。ですが、その意見には賛成です」


 改めてホープはヌァザを見る。ヌァザは顔をしかめて左腕に触れた。


「幻肢痛、ですか」

「ああ。この痛みとおさらばするためにも、俺は奴らを片づけなければいけない」

「治療方法はありますわ。そんな方法でなくとも」


 姫様の忠告を既知であるかのようにヌァザは受け流す。


「知っているが、それでは無理だ。この痛みは俺自身の心の問題でね」

「幻肢痛とは違いますが、私も理解は示せます」


 幻肢痛と同じ名前を持つアンドロイド特有の心理疾患は、ホープの心理光の中にも封じられている。使命が良き薬となり、仲間たちが支えとなってくれているが、もし何もない世界で忽然と目覚めたと仮定したならば、今こうして正常な思考を保持してはいないだろう。

 それに、マスターによる意図的なメモリーキーのおかげでサイコダメージが抑えられた部分もある。或いは、マスターは予期していたのかもしれなかった。


「喪い、二度と取り戻せない痛みは耐えがたいものです。ですが、だからと言って復讐を容認することはできません。今の世界が無法地帯だったとしても、止められるのなら止めるべきです。……あなたのためにも」

「その気遣いは受け取っておく。だが、これは俺の問題だ」

「っていうのはキャツラに言っても無駄無駄。もう諦めるしかないよー?」


 満腹になったらしいシュノンは、くはーと幸福的な吐息を漏らしながらアドバイス。彼女もああいう態度こそ取っているが、大切な相棒を喪っているのだ。説得力は言葉に宿っている。

 しかし、強い意志というものはそう簡単には曲げられない。正しい、正しくないの前にやりたいかやりたくないかの実現欲が先に立っているので、善悪のものさしなど関係ないのだ。


「それでも意志を曲げる気はない。そっちで勝手にするんだな」

「では、邪魔立てされても文句は言わない、ということでよろしいですわね?」


 姫様の切り替えは早い。オレンジのふわふわとした髪を揺らしながら、愛らしいながらも凛とした表情でヌァザを見上げる。これにはヌァザも了承するしかなかった。


「いいとも。邪魔されて折れるようなら、そこまでだったというだけだ」

「では方針は決まりましたわね。まず、平民たちを解放しなければ」

「そこについては異論はない。彼らの保護が難題だった。そちらを先に片付けよう」


 ヌァザは復讐よりも人々の安全を優先する腹積もりのようだ。彼も珍しく良識のある人物なのだろう。

 しかも、それは偶然ではない可能性が高い。ホープは鋼鉄の馬を思い返し、義手にアイカメラを向けながら訊ねた。


「それで、どうするつもりなのですか? 力押しで言ってもそう簡単には……」


 と呟いて、背部パーツの温度が低下する。人間に言いなぞらえれば背筋が凍った。

 額からは冷却液が溢れ出し、義体内部の循環器官であるコンバーターが底冷えする。フェイスモーションも苦りきったものへと変化した。嫌な推測データが思考ルーチンに表出。感情アルゴリズムが震えて縮こまっている。

 そこへ投げかけられる期待の視線。シュノンもヌァザもフノスも、全員がホープへ同じ眼差しを向けている。


「まぁもう大体わかってるとは思うがな。わざわざ君だけに嘘を吐いたのは、単に君が嘘を吐くのが苦手だったから、という理由だけじゃない」


 腕を組みながら語るヌァザ。できればその先は聞きたくないが、シュノンもにやにやしながら解説を続ける。


「ま、安全性とやらを考えたらこうするのが一番なんだよ? だって多目的支援型なんだっしー」


 どうにか代理案を考案しようとしたホープだが、彼らが考える以上に安全かつ効率的な代案を導き出すことができない。量子演算も現状の作戦がベストだという結果をレポートしてきた。

 苦心するホープへフノスが極上の笑顔をみせる。ホープはフェイスカラーを青くしながらその命令を聞くしかない。


「あなたが囮となって、ブラッドユニコーンの気を逸らしてください。その間に、わたくしたちが平民を解放する準備を進めますわ。……よろしいかしら?」

「はい……もちろんです、姫様」


 沈痛な面持ちで項垂れる。姫様はかつての再来のように、小悪魔的だった。

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