虚偽
スレイプニールが運んできた手土産は、戦術的装備ばかりではなかった。ホープはその土産を手にしながら嬉々とした表情で廊下を進む。
「まさか火星産の紅茶が手に入るとは思いませんでした」
「それって本当においしいの?」
ホープが運ぶ紅茶の袋包みに目を送りながらシュノンが訊ねてくる。もちろんです、と首肯のモーション。
「テラフォーミングされた火星の環境は、紅茶栽培に適しているのです」
「全然想像がつかない……。ってか、赤い星でしょ?」
「望遠では赤く見えますが、水も緑も地球に劣らず豊富ですよ」
少なくとも、千年前はそうだった。今もそうであることを切に願いながら、ホープは部屋の戸を開く。
「失礼します」
「楽しみにしていましたわ、ホープ」
ソファーに座るフノスが微笑む。フノスは珍しく浮ついていた。姫様は紅茶が好みであり、特に生まれ故郷である火星のマーズティーが大のお気に入りだ。
「今淹れますので」
「ああ、待ち遠しいですわ。どうぞシュノン、こちらへ」
「どっこらせっ、と」
シュノンが姫様の横に座る。ヒルドさんがこの場にいなくて助かった。そう安堵しながら、ホープは紅茶を淹れ始めた。マスターと共に姫の警護任務を任されていた時のように。
「懐かしいですわね、ホープ」
「そうですね……」
微笑が漏れた。プロメテウスエージェント時代の記憶が、簡素な部屋を豪華な王室へと変化させる。フノスはソファーに座っていつも優雅に笑っていた。何かせずとも、自分といるととても楽しいと言ってくれたほどだ。
「私は蚊帳の外なのかしらん?」
「ふふ、データがあれば火星の景色を再現したいところですが、今は紅茶を楽しみましょう」
「私はコーヒー派なんだけどねぇ」
「マーズティーを飲めばきっと紅茶派になりますわ」
カップに注ぎ終わり、シュノンとフノス両名の前に並べる。どうぞ、と言ってトレイを抱えた。不思議とタイムスリップした錯覚に陥る。
フノスが当時と全く同じ動きでカップを手に取り、一口含んだ。そして、昔のままの幸福そうな微笑を浮かべて、おいしいですわ、と大地の恵みに感謝をし――。
「うはー、やっべえ! ナニコレ!? 超おいしいんですけど!!」
――シュノンが全てをぶち壊す。せっかくの絢爛な雰囲気な台無しとなった。
「シュノン……」
「うふふ、元気が良いのはいいことですよ、ホープ」
恨めし気なフォーカスをするホープをフノスは上機嫌で諭した瞬間、眼を鋭くする。隣のシュノンはお姫さん? と問いを投げ、ホープは味が気に食わなかったのかとコンバーターを冷やした。
「お気に召しませんでしたか……?」
「いいえ、懐かしき故郷の味を堪能させていただきましたわ。……悪意を感じました」
「悪意? また神々のくそったれ共が来たとか……?」
「いいえ、ゼウスの手引きする者たちではない……。ホープ、よろしいかしら?」
シュノンに説明しながらフノスは立ち上がった。ホープは即座に首肯し、カップを持って惑うシュノンへ呼びかける。
「はい、もちろん。行きますよ、シュノン」
「え……は……ティータイムは?」
「残念ながら次の機会に。仕事ができてしまいましたし」
「や、ちょ、ま。せっかくの休暇だよ?」
焦るシュノンへホープは起立を促すジェスチャー。運転手がいなければプレミアムは動かせない。
「何で? ねぇ、他の誰かに任せればいいじゃん!」
そそくさと部屋を後にするフノスにシュノンが悲痛な叫びを上げる。だが、フノスは軽く受け流した。
「これは私にしかできないことですわ、シュノン」
「シュノン、早く。帰りが遅くなってしまいますよ」
ホープとフノスは通路に出た。開くドアから覗くシュノンは仕事に巻き込まれた事実に打ちひしがれて、ふるふると震えている。
「え、マジで? ホントに? まだ一日しか休んでない……ああ、もう、わぁーったよ! くふぅ!!」
シュノンは勢いよく紅茶を飲み干すと、灰色の髪をなびかせながら走り出した。
「行くよ、行きますよ! このブラック会社がぁ!!」
※※※
ボスから命じられた最初の任務は、移動中の敵の鹵獲だった。
何でも、敵――同僚たち曰く治安なんたら軍――は、どこかからか大量のエナジーやパーツ、ドロイドを強いれているらしい。そのため、しょっちゅうトラックが走り回っているそうだ。
「お友達はどこにいるかな」
荒野の上から双眼鏡で周囲を見渡す。が、目立った輸送用ビークルは見当たらない。ヌァザはほんの僅かな変化も見逃さないようにしながら、敵の分析を続ける。
連中は明らかに素人とは違う、訓練された動きをしているという。そのため、周辺でなりを利かせていた大方の暴徒たちは鎮圧されて、敵に絆された者もいるという噂だ。信憑性は定かではない。大昔ならばともかく、今時そんな甘い言葉に惑わされる奴がいるとは思えない。一つの例外を除いては。
「昔いたと言われる超能力者なら別だが」
古代文明にいたと言われる、人の心を読み取る能力者。奴らは周囲に漂う情報粒子を辿って、他人の心を透視するという。言わば、通信システムと同じだ。奴らは独自の仕組みを使って人の心と心を繋ぐネットワークにアクセスし、他者の心を理解することができる。
ゆえに、他者の欲望を見抜き、争いの種を浄化させ、適切な関係を築くことができる。力で他人をねじ伏せる必要もない。古代文明の繁栄を支えた強力かつ堅牢なシステム。
(だが、それでも古代文明滅んだ。……弱点はあるということだ)
ヌァザは怖じない。倒せない敵というのは存在し得ないからだ。通常の戦法が無効化されるのならば、相応の対処方法を構築すればいい。
そう攻略法を模索していると、背後で待機する馬が嘶いた。悪い悪い、とヌァザは振り返って馬の頭を撫でる。――鋼鉄製の馬を。
「……エンジン音。派手な音だな」
馬を宥めていたヌァザは、音に惹かれて振り返る。一台の車が荒野を疾走していた。双眼鏡を覗きこむ。テクニカルが派手な音を響かせて乱雑な運転をしている。
「あんな動きをしたら、エナジー消費量が無駄に上がる。エナジーに余裕があるわけか……」
にやり、と笑みをみせる。――網を張っていた甲斐あったというものだ。
※※※
「シュノン! もう少し控えめな運転はできませんか!」
「うるさいうるさい! ストレス発散させろーっ!!」
シュノンはホープとフノスに不満を垂れながらも付き添ってくれた。そこまでは良かったが、運転席に乗り込むや否や、いつかの乱雑な運転を行ったのだ。ハンドルは左右に振られ、アクセルは踏みっぱなし。もはや事故る気なのか、とホープを不安視させるほどの暴挙だった。
しかし、助手席に座るフノスは愉しそうに笑っている。ジェットコースターみたいで楽しいですわ。楽しんでくれているのは何よりだが、荷台で自身が振り落とされないように気を配るホープとしてはたまったものではない。
「いつもの二人乗りとは違うのですよ、シュノン!」
「いいじゃん、お姫さんも喜んでるし! 最高でしょ!」
シュノンは嬉々として、最高の笑顔をみせて応じた。
「私の状況は最低ですよ……!」
「私の休みを奪ったその罪、全身全霊を持って贖え――!」
「それは私のせいでは……!」
「だったら何? お姫さんのせいだって言うの? うわ、ホープ、あなたお姫さんのせいにすんの!?」
「あらあら、悲しいですわ、ホープ」
フノスが振り返ってホープを見る。その表情は楽しげであり、多次元共感機能でもフノスが悲しんでいる様子は微塵も計測できなかったが、それでもホープは咄嗟に訂正テキストを打ち込んだ。
「い、いえ、滅相もございません。全て私のせいで……」
「だそうですわ、シュノン」
「なら文句はナンセンス! そこで私のドライビングテクニックをしかと焼き付けやがれぃ!」
「く……っ」
ホープは咀嚼パーツを鳴らす。最悪なのは、この乱暴なドライブがいつまで続くかは未知数なところだ。姫様が停止、とおっしゃるまでシュノンの暴走は続く。わざわざ派手な運転をしなくても十分役目を果たせると説明は前以て受けている。この地を走行していれば、いずれ然るべき存在が現われると。
(なのに、なぜ、こんな!)
――絶対にこのようなくねくねした動きは必要ない。シュノンは節約の二文字を都合よく忘れて、自由奔放に振る舞っている。
自由の先にある混沌の横暴さのあまりレンズの遠近調整に不具合が起き、エナジーコントロールエラーに襲われそうになっていると、急にフノスが声を張り上げた。同時に生命反応をレーダーが検出する。
「来ましたわ。お二方、準備を」
「後方から、ですね」
戦闘モードへと自身を律したホープはレストアされた機関銃の前に座る。新設された銃座の性能を確認する良いチャンスだ。幸いにも敵は単騎だった。ホープのアイカメラが、馬に跨る男を捉える。
「はっ。お馬さんが私のプレミアムに敵うわけないじゃん」
「それはどうでしょうかね」
クス、と笑いながらシュノンを挑発するフノス。彼女は見事に煽られて、厄介極まりない負けず嫌いな闘争心に火がついた。
「む、だったら見てなよ……!」
「姫様、あまりシュノンを挑発して、はっ!?」
シュノンは姫様に誘導されるがままアクセルを全開にする。流石にメカコッコ版ニトロを使う素振りこそないものの、謎の接近者を全速力で引き剥がそうとしている。
「シュノン、離れては意味がありませんよ!」
「うっさい! どう見た? 私は宇宙一のドライバーで……あれっ?」
得意げにフノスへ自慢しようとしたシュノンは、バックミラーを見て慌てて後ろを振り返る。距離を離したはずの男が猛烈な勢いで追いかけて来ていた。
シュノンが戸惑った様子で叫んだ。
「何で!? ただの馬がプレミアムに追い付けるはずがない――」
「ただの馬ではありませんよ。アニマルドロイドです。それも、かなりの改造が施されている」
荒野を疾走する鋼鉄の馬は、恐るべき速度で追い上げていた。共和国時代にも趣味としての乗馬は存在し、競馬などの賭け事もありはした。だが、あそこまで本格的なカスタムを施したホースドロイドをホープは初めて見る。これも、崩壊世界の不可思議だった。
「来ます、お気をつけて!」
「くそ、頼むよホープ!」
ホープは機関銃の照準を馬へと定める。今回の敵も、可能な限り始末したくはない。わざわざ殺す必要があるなら、姫様が自分を誘ったりはしないからだ。信頼の証として、姫様は自分を同行者として指定して下さった。
ホープのやる気は滾り、感情アルゴリズムが荒ぶる――はずが、思考ルーチンが再生したのは、昨日シュノンが漏らした不安だった。
……なんか、みんな秘密にしてることがある気がするんだけど――。
(ッ、邪魔です)
余計な言語ログウインドウを端へと押しやり、ホープが眼前のミッションへ集中する。照準器を覗いて弾道寄越す。荒野を駆ける馬が最適射程内に納まった瞬間、馬のみを狙った射撃を放った。
そして、ホープは瞠目することになる。
「――避けた!?」
「何してんの!? さくっと倒しちゃってよ!」
シュノンの怒号。ホープは惑いながらも再び弾道計算を開始。
男はどうやらやり手のようだ。強さとはスペックと運、フィールドと心理状態を加味して決定する。男の戦闘力、脅威判定はA+。難敵だが、適切な対処法を行えばすぐにでも鎮圧できる。
そう戦術シミュレーションを終えたホープは引き金を引くが、何度撃っても男は弾道を予期しているように回避した。鮮やか過ぎる動き。巧みに手綱を操って、ホープが銃撃した時にはもう回避行動を取っている。
(よもや、黄金の種族? にしては……)
動きが洗練され過ぎた。まるであらかじめホープの射撃タイミングがわかっているような動きだ。敵のアクションを見抜く前に、どこに銃弾が放たれるかを男は理解している。まさにアルテミスのようにアンドロイドの心理光を読み解く銀の種族ならば有り得ないことではない。
しかし、そんな例外がそう簡単に姿を現すだろうか? 周囲にテスタメントもいない状態で、オリュンポスの十二神が易々と姿を晒す? さらに謎なのは、フノスが敵がオリュンポスの神々だと伝えなかったことだ。ホープは一度もそんな報告を受けていない。悪しき心を感じました。そう言われ、ホープは付き従ったのだ。かつて、共和国時代にマスターとしていた時のように。
だが、男の動きは未来予知をしているかのように精確に、ホープの連射を見事に躱している。何してんの! と怒るシュノンと、何も言わずに黙っているフノス。
なぜ姫様は黙っているのだろうか。彼女の力があれば、ホープは男の先手を取ることができるというのに。
思考ルーチンが疑問を浮かべると同時に、再生回路が昨日の記憶を再生して、感情アルゴリズムを乱した。
「くッ、当たれ!」
ホープは疑心に駆られながらも撃ちまくる。精密射撃から連続射撃に切り替えて。
無駄弾の消費も厭わない荒い射撃なら一発でもまぐれあたりがあってもよさそうなものだが、なぜか男とその愛馬に着弾することはない。瞬く間に男は肉薄し、ソードオフモデルの水平二連散弾銃を構えてきた。
「治安維持軍のエージェントだな。お前たちには大人しくなってもらう」
「やはりあなたはオリュンポスの……!」
ホープの推測を男は肯定も否定もしなかった。ただあるがままの事実を告げる。
「……まぁ、なんにせよ敵であることには変わりない。だが、抵抗しないなら命は保障する。どうする? まだ続けるか?」
「誰が従いますか!」
ホープはピストルを引き抜いて撃つ。至近距離ならば機関銃よりも拳銃の方が取り回しが良い。が、男はまた事前に知っていたかのような華麗な動きで銃弾を躱しながらプレミアムに飛び移る。
「散弾は痛いぞ? 例え、アンドロイドだろうともな」
「……ッ!」
ホープは再び拳銃を撃とうとしたが、男は予期したかのように、義手らしき左腕を振るいホープの拳銃を叩き落とした。咄嗟に格闘戦へ移る。今度は互角……いや、地の利を得ているホープの方が優勢だった。振り落とされないようにバランサーの調整は終わっている。義手を左手で抑え込み、右腕での反撃も右手でいなす。加えて、シュノンによる急ブレーキで男はバランスを崩した。息の合ったコンビネーションでホープは最後の一撃を放つ。
「終わりです、市民、いや、十二神!」
対して、男は防御を行わなかった。ただ、にやりとした笑みを浮かべている。
「ああ、終わりのようだ。そうだろ? お嬢ちゃん」
「ええ。よく、私の指示に従ってくれました」
「な……ッ!?」
カチャリ、と。拳銃の銃口が向けられる。運転席に座るシュノンへと。
後部窓から窺える車内では、驚愕の事態が進行していた。フノスの言葉が力を持って、現実に侵食し始めている。
ホープは同じように驚き、絶句しているシュノンを一瞥した後それを見た。
――フノスがシュノンにピストルを突きつけている姿を。
「どうしたのですか、ホープ。そんな、呆けた表情をして」
「な、なぜです……」
ホープは敵が目の前にいることを忘れて叫んだ。背後に現れた新しい敵に。
「なぜあなたがこんなことを――!」
「退屈だったのです。昔と同じことをするのが。平民を守るのが」
フノスは王族にあるまじき発言をして、軽蔑の眼差しを注ぐ。
「世界は生まれ変わったのですわ。なぜ、昔と同じことを繰り返すのです?」
「姫、様……!」
「お姫さん、一体どうしちゃったの! あなたはそんな人じゃ……!」
「会って間もないあなたに何がわかるというのです? シュノン」
「……!!」
左手がホープから見えない角度でシュノンに何かをした。直後、シュノンがぴたりと固まって閉口する。抵抗の意志が完全に失せていた。
「シュノン! 姫様!」
「ヌァザ、ホープを黙らせて。もうあなたのびーびーうるさい音声を聞くのが堪えられませんわ」
「く……ぁ!」
抵抗しようとして、ホープはヌァザの義手に顔面を掴まれる。高性能な、共和国時代の遺物。強力なハッキングシステムを搭載していた。アレスと同等か、それ以上の――。
「悪い様にはしない、少し眠ってくれ」
「シュノン……姫、様……」
スリープモードに移行する前に、フノスが声を投げかける。
「ごめんなさいね、ホープ。嘘を吐いて……」
※※※
火星の大地は美しい。赤色の地面をコーティングする数多の花々。湖を満たす繊細な輝きを放つ湖。視覚センサーから得られた映像データは感嘆に値するものだ。
しかし、現段階ではその美麗さを楽しむことは難しかった。――自身に与えられた使命の無理難題さのあまり、思考回路がショートしかかっている。
「一体、どうすれば……」
ホープは苦悩しながらエアーを放出。全ての原因はフノス姫だった。
『ホープ、あなたに最初の仕事を与えますわ』
そう告げられた時、ホープは前傾姿勢で任務の発表を待ち望んだ。ヴァルキュリアエージェントの代打として護衛についてから与えられる始めての仕事だった。
が、それはプロメテウスエージェントを持ってしても、答えを導き出すのが難しい難問。ゆえに、どうにかして答えを弾き出そうと窓に映る景色を眺めながら模索している。
「急がなければ、姫様の不興を買ってしまいます……。さらに、マスターにもご迷惑を……」
呟いて、その言葉の恐ろしさに感情アルゴリズムを哀にする。フェイスカラーも青くなった。アンドロイドのミスで、マスターの評価が下がるなどあってはならない事態だ。アンドロイドは、マスターをサポートし評価を上げるために存在する。本末転倒の事態であり、ヒルドさんにまた心を抉るような冷声を浴びせられてしまう。
「ど、どうすれば……」
レンズから処理液が溢れ出そうになる。それをじっと耐えた。泣いてはいけない。自分は泣き虫ではないのだ。そう言語中枢から言葉を引き出して、感情アルゴリズムに送信する。
だが、意思に反してほんの少し処理液が漏れた。慌てて拭いながら、自身の設計思想に若干の不満を抱く。
(どうして私だけ感情優先型なのです。普通のアンドロイドだったら、こんな思いはしません。完璧に職務をこなし、感情を完全に律せるのに……)
ウィッチやブリュンヒルドなどの仲間たちなら、いざという時に感情をシャットアウトできる機能が備わっている。しかし、ホープはそれができない。人と同じように独力で心を黙らせるしかないのだ。でも、それが上手くいかない。
発達した心理学を用いても、どうしても粗が出る。完璧にはこなせない。
「やはり私は欠陥品……」
「どうしかしたのか? ホープ」
「マスター!?」
突然背後から声を掛けられて、ホープは飛び上がった。青い軍服を羽織ったマスターへ振り返る。そう、まさにこのリアクションも完全に精神を統一できていない不甲斐なさの現れ。
ホープは自分の情けなさに打ちひしがれながら、何でもありませんと応える。
「別に、異常は、何も……」
「はっきり言おう。君は嘘を吐くのが下手だ。顔に全て出ているよ」
「う……」
心理光を読み取られるまでもなく、表情だけで見抜かれる。ますます自分が情けなくなった。
「だが、それはいいことだと僕は思っている。嘘を吐くのが下手な分……君は他のアンドロイドよりも信用されやすい」
「本当、ですか……!」
だが、急に褒められて破顔した。そして刹那にはその表情も沈む。
「でも、やはりもう少し嘘は吐けた方がいい」
「うぅ……わかって、います」
時には嘘も有用。良い嘘と悪い嘘がある。味方を救うために、あえて欺くことも必要になるのだ。だが、ホープはまともに嘘がつけない。嘘を吐いても即座に見抜かれてしまう。顔に出ているのだという。自分の豊かなフェイスモーションが恨めしくなる。
しかし、マスターは嬉しそうに微笑んだ。いつもの不思議な瞳。自分に自分以外の誰かを見出している目。
「やはり君はパンドラにそっくりだな」
「私の、創造主ですか……」
マスターは時折こうやって、自分と創造主を重ね合わせることがある。感情優先型を創造するに辺り、ホープの創造主は自分の身体と精神を投影した。
つまりパンドラの現身がホープと言っても過言ではない。ところどころに差異はあるが、全体的にホープとパンドラは似ている。双子のように。親子のように。
「どうして、こんな手間を掛けてまで創造主は私を生み出したのでしょうか」
一般的なアンドロイド開発は、オリジナルの義体にコアを投入して、身体と心を育ませる。ホープも手順こそ同じだが、通常のアンドロイドとは違う特別製だ。感情が負の方向へ暴走しないように補助精神としてインストールされたパンドラの心は、今なおエルピスコアの中に漂っている。温かく、優しいその心は、ホープをホープとして存在させてくれている。
だが、それほどのコストを掛けて製造された自分は、満足に仕事一つできやしない。何のために莫大な資金が投入されたのかわからなかった。故人であるパンドラも、ホープの現状を嘆いているに違いない。いや、もしやマスターまでも。
沈痛な面持ちとなったホープの肩に、ヘラクレスは手を置いた。
「君が必要だったからだ、ホープ。君は自分の不甲斐なさを悔いているのかもしれないが……それは違う。最初から完璧な人間などいない。アンドロイドもな。それに、僕もパンドラも君に完璧など望んでいない」
「では、何を……」
ホープの問いに、ヘラクレスは真剣な眼差しで応じる。切なる願いを込めた瞳だった。子に夢を託す親のように。
「君には希望になってほしい。人々に寄り添い、夢を与え、彼らを守る……。例え絶望の淵に立たされたとしても、人々を導く希望に」
「希望……私は、希望、ですか」
そのような大役が自分に務まるだろうか。そう思うと同時に、これが自分に与えられし使命……命題だと強く理解する。
だから私はホープなのですか――自身の奥深くに眠る創造主に問いかける。答えはないが、あった。
自分の使命を、自覚する。――人を守るのが私の使命。
「わかりました。私の使命は人々を守り、希望を与えること」
「忘れないでくれ、ホープ。……ところで、仕事は終わったのか?」
その言葉でホープは自身を取り巻く状況を再認識する。
「あ、いけません! 手早く初仕事を終えなければ!」
「……姫様の好きな紅茶はマーズティーだ」
「え、あ、マスター!?」
前触れなく言い渡される任務の答え。マスターは全てお見通しだったらしい。
答えを得たホープはそそくさとその場を立ち去る。
「すみま、いえ、ありがとうございます、マスター! 急いで紅茶をお出ししなくては……!」
「転ばないように気を付けるんだ、ホープ」
「大丈夫で、きゃあ!」
危うく転びそうになって、体勢を取り戻す。その背姿をヘラクレスは苦笑しながら見守る。
「本当にそっくりだな、パンドラ。……君はホープに僕を守らせたいと言っていたが……僕は大丈夫だ」
独りごちて、警護任務に戻る。腰にはプロメテウスエージェントの証であるレーザーサーベルが差してあった。
「姫様、今紅茶を!」
駆けこむようにフノスのいる部屋へと戻ったホープは、叱責を覚悟の上で紅茶の準備を始めた。しかし、ソファーに座り待機していたフノスは笑みを作って驚く。
「思いのほか早かったですわね、ホープ」
「は……遅くなり申し訳ございま――え?」
言葉が食い違う。会話ログによれば、フノスは早かったと感心していた。
その言葉の意味の変換にホープが苦戦していると、フノスが言葉を投げる。
「試すような真似をしてごめんなさいね。てっきり自分で答えを模索しようとして、もっと時間が掛かるのかと思いましたの」
「あ、それは……」
確かに、マスターに言われるまでは自力で答えを導き出そうとしていた。レッドカラーにフェイスを染めるホープにフノスは微笑んで、
「必要な時は他人の力を借りていいのですよ。私の紅茶の好みなど、近くで過ごさなければ知る由もないのですから」
「は、はい……」
ホープは手を止めて俯いてしまう。そこへさらなる笑いを漏らすフノス。
「やはり、いいですあなたは。ブリュンヒルドたちは完璧に仕事をこなします。私が望む前に、私が望む物を与えてくれる。でも、少々時間がかかっても、このように会話をしながら紅茶を待てることがどんなに心の清涼剤となるか。あなたはわかりまして?」
「私には、よく……」
「うふふ。あなたといると楽しいのです。心が躍りますわ。思わず意地悪をしたくなってしまうぐらいに」
「姫様……!?」
ホープは慄いてフノスを見る。が、心の底から楽しそうにしている姫様には、何も言えるはずがなかった。紅茶を淹れて、テーブルに置く。言葉を添えて。
「私で良ければ、いつでも遊び相手になりますよ。……限度はありますが」
「あら嬉しいわホープ。これから共に過ごすのが楽しみです。うふふふふ」
姫様は嬉しそうに紅茶を飲んだ。少々気苦労はあったが、それは懐かしい、幸福感に溢れた記憶だった。