雪林の戦乙女
おかしいと思った。意味不明だと。
でも、そいつは何を言っても譲らない。自分が正しいと譲歩しない。
だから私は言った。バカであると。私の意見が正しくて、あなたの意見は間違っていると。
なのになぜか。どうしてか。
そいつの意見が正しければいいのにと、思ってしまう自分がいた。
「バカじゃないの……」
その罵倒は彼女に対してか、それとも自分に言ったのか。
自分でもよくわからないままアルテミスは口ずさんだ。
「私が動けるようになったら、あなたは破滅する。それをわかっているの」
氷でコーティングされた洞窟に、自分の言葉が反響する。冷たい感触が全身を覆っているが、それでも温かく感じるのだから不思議だ。外はここよりももっと寒い。一見すれば地獄でも、住んでみれば都なのだ。そう、自分の立場だってそうだ。
最初は他者を僻んだこともあった。自分の出自を恨んだことも。でも、消去されてしまうテスタメントや、失敗作として廃人になった実験体たち、そして荒廃した世界でのたれ死んでいく人々を見て、自分は恵まれているんだ、と思うようになった。
一見すれば地獄でも、住んでみれば都。例え、運命に絡め取られた生体ドロイドだとしても、生きている分マシなのだ。
「本当にバカだよ。あの方に逆らっても死ぬだけ。いや、死んだ方がマシだと思うようになる。あなたは自分の足で進んでいるつもりのようだけど、実際は違う。全てがあの方の予想通り。全てあの方の思うがまま。あなたたちは偽りの希望に縋っているだけなのに」
なのに、どうしてここまで自分の心に響くのか。甘く優しいキレイゴトというものは。
自分自身にチョロイ、という感想を抱く。敵が言った言葉を純情の乙女のように信じて、もしかしたら自由を手に入れられるのではないかと期待する。そんなことに意味はない。もし仮に自分が自由を手に入れられたとすれば、それはゼウス様の采配だ。H232の希望があの方を上回ったからではない。最初から仕組まれていただけ。
そんな仮初の自由に、何の意味がある――。揺れる自分の心を律し、アルテミスは立ち上がった。
「お兄様は……」
目を瞑って念を受信する。兄であるアポロンの心理光を探知する。銀の種族であるアルテミスは、黄金の種族よりは劣るものの、心理光を探すことができる。さらに言えば、アンドロイドの心理光をキャッチすることも可能。
H232の不意を衝けたのは、そのアドバンテージがゆえだった。H232は恐らく気付いてすらいない。アンドロイドの心は通じ合ったマスターしか読み取れない。そう思っているはずだ。
「見つけた。すぐに、参ります……」
インプットされた通りの言葉遣いで、アルテミスは洞窟を出ようとする。そして、感知した心理光に瞠目した。慌てて奥へと戻ろうとして滑ってお尻を強打する。
「あいたた……」
「何をしてるんです?」
戻ってきたH232が首を傾げる。間抜けな失態を見られた恥ずかしさと、彼女の理解不能な行動に対する怒りが相まって、アルテミスは思いっきり声を荒げた。
「それはこっちのセリフ! バカじゃないの!?」
「私はバカではないと何度言えば……」
「あなたはバカだと何度言えばわかってくれるの!? おかしいわよ!!」
本当に意味がわからない。同情する理由がない。何が選択肢がなかった、だ。選択の余地がないから人を殺していいわけがない。人殺しは人殺しとして、理由を問わずに扱うべきだ。
だが、H232から漂う優しい心は、アルテミスの意見を却下する。彼女は、自分のことを保護すべき市民だと考えている。心を読み取れる分、その気持ちが否が応でもわかってしまう。
初めてだった。自分の能力をここまで忌々しく思ったのは。普段なら、敵を屠るアドバンテージとして受け入れられるのに。
「調子を取り戻したようですね、良かったです」
「良くない……全然良くない!」
アルテミスはそっぽを向いて鼻を鳴らす。何が良い、だ。私の身体が治ったってことはいつでもあなたを殺せるってことよ? わかってる? そう言ってやろうか悩んだ。
だが、H232は気付いている。その余地があることを。気付いた上で、救おうとしている。なおさら苛立った。偽りの言葉で着飾った嘘つきな気持ちではなく、H232は本心でアルテミスを救済しようとしている。
「なぜです? 健康なのはいいことですよ?」
「アホ! バカ! 間抜け!」
もはや丁寧に教えることを諦めて、直接的な罵倒を放る。何だコイツは。何を言っても通じやしない。言語学習からやり直した方がいい。何だったら、私がじっくりたっぷり教えてやる。
「……シュノンよりはマシ、と感じてしまうのが不思議ですね……」
苦笑交じりに呟いて、H232はアルテミスの横に座り込む。何かを思案……今後の方針を考えているようだ。今名前が出たシュノンという少女に関連していることは明らかだった。
「……心配じゃないの?」
お前が言うな、と自分自身に突っ込みながら無責任に問いかける。こうして神経を逆なでするような問いかけをすれば、彼女が自分を敵として認識してくれるのでは、という期待もあった。なぜそんな期待をしているかは、自分でもわからない。もしかしたら死にたいのかもしれない。そう自分の心理状態を分析する。
「心配はしていません」
H232は笑顔を作ってそう応えたが、アルテミスは彼女の心を読めている。
その後に続く言葉を考えるまでもなく予想できた。答えは勝手に頭の中へ入ってくる。優しい温もりと共に。
「と、言えば嘘になります。でも、信じていますから」
「何でもかんでも信じればいいってわけじゃない。……信心は隙を生むわ。悪に狙われる隙を」
「かもしれませんね。でも、疑心は希望を打ち砕く毒になります」
強者のセリフだった。弱者なら、おっかなびっくり生きていき、自分を襲う可能性がある者を排除していくしかない。だが、強者なら危険と隣り合わせでも生きられる。全てを傷付ける獣ではなく、信じる者と疑う者を切り分けて、適材適所に対処できる希望の光。
流石、人類最後の希望というだけはある。本心からそう思った。だが、彼女は見くびっている。既に、本当の絶望に囚われていることに気付いていない。
――あなたが輝けば輝くほど、絶望は深くなる。自分の存在を根底から否定する事実があることに、あなたは全く気付いていない――。
そう指摘してやろうとして、アルテミスは止めた。
――なぜ私が敵を救う必要がある。私とH232の関係性は敵。それ以上でもそれ以下でもない。
「……次のエリアを探しに行くんでしょ? 何で戻ってくる必要があったの」
「あなたが心配だったので」
「身内より敵を優先ってわけ? シュノンって子も泣いてるわ。雪の下で生き埋めになってね!」
普通なら殴られてもおかしくないことを言い放つが、H232はあくまでも平然を装っていた。
「きっと私のことを誇りに思ってくれますよ、シュノンは」
「何でそう言い切れるの? あの子をどうしてそこまで信じられる?」
「シュノンが私を信じてくれたのです。なら、私もシュノンを信じるべきでしょう。あの子はあなたが思っている以上に強く、賢く、優しい少女です。生まれる時代が違ければ、英雄として迎え入れられたことでしょう」
「英雄……は? 本当にバカね。救いようのないバカ。こんな殺風景な世界に英雄なんて……」
「殺風景、と思うのはきっと、私たちが過去の世界を知っているからでしょう。でも、今の世界は良くも悪くも活き活きとしている。人を殺してしまうほど過酷でいて、人を生かしてしまうほど懐が深い。そんな世界です」
ふふ、と笑声を漏らしながら微笑を浮かべるH232。アルテミスがイエスと言えばノーと言い、ノーと言えばイエスと言う。あまのじゃくなアンドロイドだ、と思わざるを得ない。
もしくはアルテミスが拗ねているのか。そう考えて、違う、と即座に否定する。
どれだけH232が希望を信じようが、変えられない現実がそこにある。彼女も自分も傀儡なのだ。自由に視えて、その実庭の中で放し飼いにされている家畜に過ぎない。無限に広がると想える世界は、視えない柵に囲まれている。
「……あなたがどれだけ希望を信じようが勝手。好きなだけ歌えばいい。希望の歌を。でも、あなたが信じる分だけ、私は絶望を信じる。あなたが何を言っても聞かないように、私だってあなたのことを認めない……闇の力は、あなたが思っているより深いのよ」
居た堪れなくなって、自分の信ずる事象を口走る。希望は美しいだけで脆い。絶望は昏いが非常に堅牢だ。どれだけ魅力的な言葉を並べても、その事実は変わらない。
なのに、H232は聞く耳を持たない。頑固な親父のように、希望を口ずさむ。
「光の力を、あなたは侮っているのではないでしょうか。闇が深いからと言って、光が浅いとは限りませんよ?」
「あなたは闇の力を見誤っている。気付くのはどうせ手遅れになった時よ。……後悔しても知らないんだから」
それ以上何を言っても無駄だと今までのやり取りで学んだので、アルテミスは膝の中へ顔を埋める。本当なら、ここでH232を攻撃するか、急いでマスターであるアポロンの元へはせ参じるべきだ。なのになぜか……身体が動かない。
「私は泣き虫だと、色んな人に言われてきました。でも、後悔だけは有り得ませんよ。絶対に」
H232の言葉と心が、頭の中へ入って居座った。不思議と、出ていけと怒鳴る気はしなかった。
※※※
チョー寒い。死ぬほど寒い。それが目覚めた瞬間脳裏に浮かんだ最初の言葉だった。
「ひぃぃ!!」
あまりの冷たさに悲鳴を上げて、雪の大地から飛び上がる。急いでコートを脱ぎ取って、中に素知らぬ顔で居座っている雪さんたちにお帰りを願った。
「何で私雪だるまになってんの!? ちょっとホープ! どうして……ホープ?」
相棒の名を呼んで、ようやく現状を認識する。雪崩れに巻き込まれてホープと離ればなれになり、不可能を可能にする女であるシュノンは、ノーダメージで生き残った。それが現在。
「さっすが私! 神様に愛されてる!」
自分の強運を誇りながら、シュノンは近くの雪に埋もれていたライフルを拾い上げる。クレイドルから貰った大切な自衛武器は少々の手入れは必要なものの、問題なく動作していた。リボルバーも腰のホルスターに納まっている。
「良かった良かった。無駄な出費しなくて済んだ。ところでさ……ここ、どこ?」
疑問系で訊ねたが、周囲には誰もいない。ホープもいなければテスタメントもいない。完全なるぼっちだった。友達いない系女子だった。
「ちょっと! 私を独りにしないでよ! 凍え死んだらどうすんの! 誰が責任とってくれるのよ!」
無論、誰も責任など取りはしない。自業自得、自己責任なのが今の世界だ。昔ならあったらしい保険制度も、国の補てんや保証も有り得ない。なので、仕方なく自分の足でホープを探そうとする。とりあえずプレミアムの元へ戻れば彼女と合流できるかもしれない。そう考えて一歩踏み出し、背後でざく、という雪を踏みしめる音を聞いた。
「ホープ?」
期待を込めて振り向く。そして、見事に裏切られた。
「小娘……僕をコケにしてくれたな……」
「アポロン!? あっ!」
咄嗟に自衛しようとして、雪に足を取られる。転倒したシュノンを、アポロンが怒り狂った眼差しで見下ろした。
全然神様に愛されてない。シュノンは引きつった顔でそう思った。
※※※
マップにマーキングをし終えたホープは、再び洞窟の外へと向かうべく起立した。
「では私はもう一度シュノンを捜索しに行きます。恐らく、もう戻っては来れないかと」
「……私も行く」
アルテミスは意外にもホープに追従すると言い出した。なぜです? とホープが問いかける前に、なぜか彼女は顔を赤くして理由を諳んじる。
「か、勘違いしないでよね! あなたをいつでも殺せるように、あなたがお兄様に危害を加えるようなことがないように付いて行くんだから! 別に、あなたの言動がちょっといいななんて思ったり、シュノンって子が死んだかどうか気になってるわけじゃないから!」
「は、はぁ」
多次元共感機能は明らかに逆の反応を示しているが、ホープはあえて何も言わなかった。アルテミスは何を言っても否定する。彼女の肯定など望むべくもない。彼女の真意は、言葉ではなく行動に付随するのだろうと推測していた。
「ほら、さっさと行く! 相棒が凍死しちゃっても知らないわよ」
「待ってください……!」
どういうわけかアルテミスが先導して、一気に体感温度が切り替わる洞窟の外へと出た。急な温度変化にアルテミスは身を縮こませ、くしゅんとくしゃみをしている。
人間の反応。人造人間らしからぬ、年相応の少女にその姿は見える。
だがきっと、あの人ならこう言うだろう。これは罠である、と。油断させるための偽装でしかない。アンドロイドが市民衣装で身を偽るように、ヒューマノイドもまた普通の人間のフリをしているのだと。
「…………」
ホープはそれ以上何も思わず、先へと進んだ。アルテミスが意味ありげな表情で彼女のことを見ていたが、気に留めなかった。
「こちらもはずれですか」
「……そうみたいね」
シュノンの捜索は難航していた。
林の中を探し終えたホープは次なるエリアを設定すべく、レンズ内に雪山マップを表示させる。雪崩れに巻き込まれた地点から逆算し、流れ着いた個所と思われる場所をマーキング。
「では次のエリアへ」
そちらへと向かおうとしたホープにアルテミスは仕方ないわね! となぜかそっぽを向きながら応対し、
「――あ」
と漏らして急に明後日の方向を見た。
「……?」
当初はそのしぐさに疑問を抱いたホープだが、
「――ッ!」
直後に迸った閃光に、反応を余儀なくされる。
パーソナルシールドを展開し、射線へと割り込む。アルテミスを狙った狙撃を、シールドでガードした。
「大丈夫ですか!?」
「……な、何で……」
ホープの問いにアルテミスは惑うばかり。困惑してはいるものの外傷はないようだ、というモニタリング結果に安堵したホープは、すぐに射撃主を探知する。
が、反応は見当たらない。ステルスコーティングが施されているだけではなく、隠密行動にも長けている。さらに、機動性にも特化している、と瞬時に判断できた。
確証はないが確信して、周囲に目を凝らす。その解析はホープの思考ルーチンが導き出した推論ではなく、人物データベース内に記載されている結論だった。
「……いるんでしょう?」
「――いるとわかっていながら、どうして問いかけるのでしょうか。以前から、いや、以前にも増して浅はかですね、ホープ」
言葉だけが林の中に響き渡る。発声源からの彼女の捕捉は困難。元々諜報・隠密・奇襲用の義体なので、それらの性能はホープよりも上だ。情報戦でホープがウィッチに敵わないように、彼女の得意分野では多目的支援型アンドロイドでも太刀打ちできない。
それをわかっているからこそ、ホープは言葉を交わす。
――不必要です。そう強く念じて。
「私とあなたは同胞です。こんなことをする必要はないはずです」
「同胞だからこそ、ですよ。あなたはまた同じ過ちを繰り返そうとしている。敵に手を差し出して、寝首を掻かれる。メドゥーサの件をもう忘れてしまいましたか? ああ、忘れても仕方ないでしょう。あなたは劣化品であり、欠陥ドロイドなのですから」
ブン、という光学迷彩が解かれる独特の音が鳴り、彼女が姿を晒した。機動性を高める高機動ブースターを背中に装備済み。右腕にはレーザーサブマシンガン、左腕には中型のシールドを所持している。
青い髪が特徴的な彼女は、多数の暗器が仕込まれている義体を露わとしながらホープの元へ歩み寄った。
「ヒルドさん……」
B53ブリュンヒルド。プロメテウスエージェントと対を成す、ヴァルキュリアエージェントである彼女は失望した義眼でホープを見つめている。
いつもの冷ややか視線。毎度のことながら、その視線はホープの不快指数を他の誰よりも増幅してくる。
「言っておきますが、心外です」
訊いてもいないのに語り出したブリュンヒルドは、仲間にしては遠い、しかし敵にしては最適な距離を取って停止した。
「あなたに希望を託した覚えはありません。可能ならあなたのデータをハッキングして、座標データを奪取したいぐらいです。無論、あなたのパーソナルデータは故意的にデリートさせていただきますが」
「変わりませんね、ヒルドさん。相変わらず言動が不快です」
無表情でつらつらと毒を吐き出すブリュンヒルドに、ホープは毅然と対応した。氷のようなイメージグラフィックを与える彼女からは、共和国時代から目の仇にされてきた。理由は不明だが、どうやら何かが気に入らないらしい。
感情表出の少ない彼女が自分に対して饒舌になるのは奇妙だと、常々感じていた。最悪なことに負の方向なのだから手におえない。
感情アルゴリズムが怒と哀を融合させている合間にも、ヒルドの毒舌は続く。
「存在自体が不快のあなたに比べればマシですね」
「その発言は是非とも訂正していただきたいところですが」
哀よりも怒の成分が強くなり、ホープのフォーカスが鋭くなる。昔なら立ち去るか、よりヒートアップして口論を重ねるところだが、生憎今は時間がないので早々に要求を突き付けた。
「時間がありません。どうか退いてください。願わくばあなたに協力を依頼したいところですが、そこまでは望みませんので」
希望だけを言い切って、アルテミスと共に立ち去ろうとする。が、ヒルドはそこへノーを突き返してきた。
「お待ちなさい。どこへ行くつもりですか」
「……あなたなら既に知っていると思われますが、私はマスターと離ればなれになっているのです。急いで救出しなければならないのですよ。わかりますか?」
極力怒りを抑えたが、それでも僅かに露呈してしまっている。ヒルドはなるほど、と頷いて、
「ならばなおさらアルテミスをここに置いて行きなさい。彼女は不要です」
「……意味がわかりません。私の話が通じていますか」
「単独で探しに行きなさいと申しているのですよ。あなたこそ、言語中枢にバグが発生しているのでは?」
その言葉は焦燥の念に駆られるホープの感情アルゴリズムを暴発させるに十分だった。
「彼女は無抵抗です! わかりませんか!」
ホープの怒声にしかしヒルドも負けずと言い返す。
「そうやって油断を誘っていることをなぜ学習しないのかと指摘しています。それすらも理解できなくなるほど、あなたのバグは酷いのですか」
「ヒルドさん……!」
「なぜ敵と馴れ合って、自分の主を優先しないのか理解に苦しみます。……その過ちゆえに、あなたはもうマスターを救えなくなってしまいましたが」
「……今、何と?」
恐ろしいことをヒルドは言い放った。間違いであると思いたくて、ホープは訊き返す。だが、ヒルドは冷酷な眼差しで、同じことを復唱しただけだった。
「聴覚センサーに不備があるようですね。いいでしょう。あなたのマスターはもう救えません。早急にこの場を立ち去り、自分の任務を優先することを推奨いたします」
「――本気で、そうおっしゃってるのですか」
「無論、本気です。……私のマスターは、危険性を排除しろ、と命令しました。ゆえに、アルテミスという危険因子をこの場に放置することはできない」
ブリュンヒルドはサブマシンガンをアルテミスに向ける。一方、ホープは俯いて何のアクションも起こさなかった。
アルテミスは何か言おうと口を開けたが、すぐに口を閉ざして歩み出す。全てを諦めたかのような顔で、ホープの脇を通り抜けようとする。
――が、通る直前で肩を掴まれた。驚くの眼でホープを見上げて、彼女の屈強な意志を垣間見る。
「ホープ?」
「彼女は私が保護しました。治安維持法に則って。これがプロメテウスエージェントのやり方です」
凛然と応じるホープに、ブリュンヒルドは冷笑を浮かべた。笑みを浮かべることが少ない彼女は、ホープに対してのみ希少な笑みをみせる。冷ややかな笑みを。
「では、ヴァルキュリアエージェントのやり方を披露しましょうか、ホープ。勢い余って破壊しても、謝罪はしませんよ」
「それはこちらのセリフです! ヒルドさん!!」
ホープが啖呵を切った瞬間、ヒルドが動いた。光学迷彩が起動して、彼女の姿が消え失せる。普通の相手なら全身を透明にしたところで周囲の環境が居場所を教えてくれるが、ヒルドの場合はそうはいかない。完全に環境に溶け込んで、自然と一体になるスキルを彼女は身に着けている。
だが、唯一ホープに与えられているアドバンテージは、アルテミスの存在だ。彼女の助力が得られるという意味ではなく、ヒルドの狙いは彼女だと言うことをホープは理解している――。
「――などと、あなたは思っているでしょうが、すみませんね」
淡々としながらも嘲笑を乗せた言葉が拡散する。直後、ホープに向かってレーザーの雨が降り注いだ。シールドで防御したが、大幅に耐久値を削られてしまう。
「標的を確実に始末するためには、まずあなたを撃退するのが最善かと」
視えないヒルドの冷笑が脳裏に浮かぶ。通常なら考えられない戦法だが、彼女はアルテミスの抹殺よりも、ホープの破壊を優先している節があった。
どこまで嫌われているのでしょうか、私は。ホープは一度そう考えて、
「でも、私も嫌いですから、おあいこですね!」
レーザーライフルを構え、周囲に目を配る。雪に足跡を残すなどという初歩的なミスをヒルドは絶対にしないので、ホープの攻撃は後手に回らざるを得ない。加えて、高機動ブースターがヒルドの機動力を大幅に強化している。どうにかして、カウンターを与えなければならないが……。
「右」
「何です?」
「右」
背後のアルテミスが右と指示した。訝しみながらも他に手立てがないので射撃する。と、木の葉が不自然に揺れた。緊急回避行動の名残だ。
「これは……!」
人工的に誘発された風の軌道を予測演算し、ホープはライフルを射撃を敢行する。ある程度撃ち放ったところで、レーザーが視えない壁にぶち当たり拡散した。対レーザー用のラミネート加工を施されたシールドに命中したのだ。
「なぜ私の居場所を!」
ヒルドの叫びとホープは全く同じ想いを胸におぼえたが、口に出すことはしなかった。今はアルテミスが頼りだ。ステルスでの遠距離射撃戦はヒルドに分がある。
だが、予測不能な精確射撃を受け続ければ、近接戦闘へ移行するだろうとホープは踏んでいた。数発シールドでレーザー粒子を受け止めたヒルドは、ホープの予測通りシールドを投げ捨てる。
「アルテミスと共闘するとは。やはり、あなたは破壊するべきですね。よもや敵になびくとは。裏切り者」
「裏切っているのはあなたでしょう。私は自分の正しさを信じています」
「その過信、私が切り裂いてみせましょう!」
ヒルドが叫ぶ。ブースターの火が噴き、一直線へ突進してくる。ホープはライフルで迎撃したが、三発全てを避けられたため放り捨てた。スピードがあまりに早くレーザーでも捉えられない。撃てば無駄なエナジーを消費するだけだ。
アームソードを展開して、格闘戦のスタイルへと切り替え。そこへ猛突してくるヒルド。ナイフが煌めき、アームソードと交差。肉薄した刹那、ホープはチェーンソーを発動し、ヒルドは脚部のスタンナイフを唸らせた。
「くッ!」
「チッ」
ヒルドの舌打ち。だが、単純な力の比べ合いではヒルドが有利だ。ホープは何の追加パックも装備していない素体の状態であるのに対し、ヒルドは高機動パックを装備中。加えてホープの義体は劣化しているのだ。ただの力のぶつけ合いでは、すぐに押されてしまう。
そう判断したホープは右足でヒルドのスタンナイフを抑え込みながら、左足で雪を巻き上げる。
「目くらまし!」
「――やぁ!」
対応がほんの僅かに遅れたところを、スタンアームによる打撃。ぐふッ、とヒルドのエアー放出音が響き、彼女は空中へ放り投げられる。
しかし、それだけでやられるほどヒルドはヤワではない。体勢を即座に立て直し、レーザーサブマシンガンの速射しながら、投げナイフの投擲。レーザーの暴風雨とナイフの合わせ技にパーソナルシールドの耐久値がゼロとなり破損、パージ。
「これで勝ったというのは思い上がりもよいところです」
「その言葉、そっくりそのままお返しします!」
ホープは腰に差してあるテンペストを抜き取る。ヒルドも右手でマシンガンを構えて、左手でナイフを抜刀した。
「次撃で仕留めてみせましょう」
「望むところです!」
ホープとヒルドが、林の中で交差する。アルテミスの処遇を賭けて。
「何で、何を、やってるの……」
当のアルテミスが瞠目し、慄いている眼前で。