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月と太陽

 ――その光景はまるでかつてあった戦争というものが、現代に蘇ってしまったかのように感じられた。


(でも、有り得ない。戦争なんて、有り得ない)


 湧き出た疑問を押し殺して、それを漫然と眺めている。隣では適当に見繕った石に座る男が、雪玉を作って弄んでいた。


「スノーフィールドはラグナロクのせいで天候環境が激変して、一年中ずっと氷の世界らしいね。まぁ……一年という概念が人々にあれば、だけど」


 雪玉が浮いては手に納まる。それを見る自分わたしという構図。何となく、今弄ばれている雪玉が自分のように感じられた。――奇妙な、感覚。


「何か妙な反応を示しているね、君は」


 男は問いかける。赤髪を持つ少女へと。少女は無意識的に背中に装備している弓へ触れ、目を逸らしながら応えた。


「そのようなことは。お兄様」

「僕に向かって嘘を吐くとは。よくないな」


 雪玉が虚空を描いた。少女の頬を掠って飛んでいき、地肌に命中して砕け散る。


「わかるだろう? 君は。余計なことは考えないことだ。確かに、君は生命体。普通の、かつての世界の常識だったら君の立場の方が上だったろうね。でもね、今は違う」


 パチン、と青い服を着込む男が指を鳴らした。身体の筋肉が弛緩して雪の上にうつ伏せに倒れる。口の中に雪が入ったが、吐き出すこともできなかった。文字通り声を放つこともできない。――息をすることも。

 呼吸不能に陥り窒息の恐怖が襲いかかって来た時、再び指が弾かれた。息を思いっきり吸い込む。生の実感を全身で得る。


「僕の方が上だ。何で人間と言う奴は、不完全な肉体に縛られるのだろうね」


 荒い息を吐き、両手を使って立とうとするが、一度窒息しかかったため思うようにいかない。その横を平然と通る男……兄。彼は妹に手を差し伸べる素振りすらみせなかった。


「君より僕の方が優れてるのに。どうしてかな」

「……お兄様が優れているからこそ、人々は劣る身体に甘んじるべきなのです」

「なるほど、流石僕の妹だ。いいことを言う。実にいい」


 兄は上機嫌に去っていった。任務を続行するためだ。兄は優秀である。その評価に偽りはない。あくまでも自分は補助的に連れてこられただけ。

 サポートドロイドとして。優越感を得るための矮小な道具として。


「……痛い……」


 身体が、心が、痛みを発している。だがこの程度の痛みは苦痛ではない。もっとひどい痛みはたくさん味わった。このぐらい平気だ。痛くない。ちっとも。


「仕方ないよね、運命だもの」


 急いで兄を追いかけなければならない。でなければまた罰を受けることになる。

 どうにか立ち上がった少女は、吹雪の中に消えて行った。

 赤色が白色に混じって溶けていく。


 

 ※※※



「テスタメントの数は多いですが、だからこそこの場所に何かがある証明となっています」

「いやそれはわざわざ言わなくてもわかるって。あれを見れば」


 シュノンがもう一度、山肌に突き刺さるスレイプニールを見上げた。

 救難信号を発した確率が99.9パーセントのその戦艦はかき氷に刺さったスプーンのような状態となって、不安定なオブジェクトと化している。いつ崩れてもおかしくなかったが、浮遊システムで落下を免れているだろうことは予想できた。

 しかし、それもあくまでエナジー量が枯渇するか、エンジンが故障するかまでの間だけ。早急に内部を調査して、乗員がいないか確かめる必要がある。


「中破していますが、あの状態なら生存者がいるはずです。墜落直前に脱出ポッドを使用した可能性も残されていますし」

「だからやっこさんたちも探してるんでしょ? で、私たちは敵に見つからないようにこそこそ作戦をしながら、必死になって隠れている初対面の味方を敵じゃないよアピールしながら救出しなきゃならない……あー、難易度高すぎ」

「それについては問題ありません。雪で有視界探査の効力は落ちていますし、彼らも私の姿を見れば味方だと気付いてくれるはずです」

「……つまり私を敵だと認識してくれちゃう可能性はある、ってことじゃん。恩知らずな奴らめ」

「実際に攻撃されたわけではないのですから、まだその結論は早いですよ」


 と説明しながらもホープは注意事項にシュノンの危惧を入力した。黄金の種族であればシュノンが味方であるとすぐに気付いてくれるだろうが、そうでなければ敵と誤認して攻撃してしまう可能性がある。

 気を引き締めて、雪に身体を半分沈ませながらゆっくりと移動し始める。当然、スキンはスノー迷彩へと変更済み。


「またまたスニーキングミッションか。最高だね」

「得意でしょう?」

「私はニンジャでありアサシンであってエージェントだからね。得意も得意の大得意――」

「おい、何か聞こえたぞ」

「シュノン!」


 ホワイトアウトの世界の中では聴力も低下していると思われたが、どうやらこの場にいるテスタメントはチューニングを施された寒冷地仕様のようだ。

 耳ざとくシュノンの冗談を聞きつけたテスタメントの二人組が、ホープとシュノンが隠れる茂みの影に接近してくる。


「やばいどうしよう」

「いざとなったら私が気絶させます。このジャミングなら信号を検知できないはずです」


 このジャミングがスレイプニールによるものなのか、テスタメントの仕業であるかは定かではないが、ホープたちにとっては有利に働いている。万が一敵に発見されても、その情報が部隊全体に伝達されることは有り得ないからだ。

 スタンモードへとライトアームを切り替えて、いつでも回線をショートできる準備をする。

 その間にテスタメントが近づいて、茂みに向かってレーザーライフルを構えた。ごくり、とシュノンが息を呑む。ホープはすぐに飛び出せるよう体勢を整える。

 次の瞬間、テスタメントが茂みに最接近する――かと思われた刹那、別のテスタメントが遠方から大声を上げた。


「こっちへ来い! 生き残りを発見したぞ!」

「了解!」

「な……」

「セーフ……?」


 突然方向転換する二人組。シュノンは安堵の表情を浮かべたが、むしろホープは状況が悪化したと判断していた。自分たちなら見つかっても独力で対処できるが、不時着した戦艦から生き延びた、怪我を負っている可能性もあるクルーたちが抵抗できる可能性は限りなく低い。この極限環境の中でならなおさらだ。

 ゆえにその判断への帰結は然るべきだった。


「攻めます!」

「ええっ、スニーキングは!?」


 驚くシュノンを後目に茂みから飛び出す。既に警戒を解いていたテスタメントたちは反応がワンテンポ遅く、反撃される前に接近できた。

 ぐあ! と機械の身体を通して人間的な悲鳴が響き、風音に掻き消される。もうひとりはレーザーを放とうとしたが、ホープにライフルを蹴り飛ばされて地面へと倒された。宙を描いたライフルがホープの腕の中へ納まる。

 足で義体を踏みつけながら、ホープはキャッチしたレーザーライフルを二人組を呼びかけたテスタメントがいると思しき方向へ向ける。が、サーモグラフィを駆使しても反応はなかった。既に発見個所へ向かってしまった後のようだ。

 ホープは視線を足元で倒れるテスタメントへと向け、


「……念のため聞きます。生存者はどこですか」

「知るわけないだろ、バカめ」

「でしょうね」


 義体の胴体部分を思いっきり踏みつける。ボディがスパークし、テスタメントが沈黙した。


「もう、せっかくの計画がぱーじゃん!」

「いえ、発覚はしてないでしょう。……このままではいずれ気付かれてしまいますが」


 いくら低性能なテスタメントたちとはいえ、仲間の数ぐらいは把握しているはず。

 二人組へ呼び掛けたテスタメントが不審に思い、部隊へ警告を送るのは必然だ。

 だが、情報はジャミングの影響ですぐには浸透しない。発覚には時間が掛かる。


「急いでいくよ! これで死なれたら何のために来たかわかんないし!」

「ええ、そうですね」


 シュノンはホープに喝を入れ、ライフルを片手に先導してくれる。ホープは頼もしく思いながらその後を追尾してテスタメントを追いかけた。

 距離こそ離れていたものの、テスタメントが痕跡の処理をしていなかったため、追跡は簡単だった。足跡を辿るとちょっとした丘に出て、その下方に大量のテスタメントが展開しているのが見えた。


「結構多いね……」

「この地点を重点的に捜索しているようです。恐らく一度発見された生存者が隠れているのでしょう」


 五十体はいるかと思われるテスタメントの中隊が、真っ白な世界の中で茂みや煌々と燃え盛る戦艦の残骸の影を探している。林の中をスキャンしたホープは、丁度反対側の岩のくぼみに数名の兵士が隠れているのを見つけた。


「いました、見てください」

「本当だ」


 ライフルのスコープでシュノンが確認。生存者の存在はホープの感情アルゴリズムに安心を芽生えさせるが、すぐにその安らぎが脅かされ始める。テスタメントが徐々に生存者の隠れる岩へ近づきつつあった。急いで注意を逸らさなければならない。

 となれば方法は一つだけ。ホープはシュノンに呼び掛ける。


「シュノン」

「わぁーったよ。援護は任せて」


 シュノンの即答に、ホープは信頼の笑みを浮かべて立ち上がる。できるだけ派手に登場しなければ敵の注意を惹けないからだ。


「では、行きます!」


 丘の上から飛び降りる。ドシン、という着地音に近場のテスタメントが不審がった。


「今のはなんだ?」

「俺が見に行く。お前は捜索を続けろ」


 警戒しながら近づいてくる一体のテスタメント。囮なので、ホープはアームソードによる格闘ではなく入手したレーザーライフルによる射撃を選択した。実弾の方が雪の影響を受け辛いが、このライフルは寒冷地仕様のため問題なく発射できる。付け加えるなら、派手でもあった。

 猛吹雪の中を駆け抜ける閃光。レーザーがテスタメントの頭部を撃ち抜き、それに反応して周辺のテスタメントが一斉に戦闘態勢へと移行した。


「敵襲だ!」「撃て撃て!」

「そうです、こちらへ……!」


 ホープはライフルで応戦しながら、シュノンからも生存者からも離れた位置へ移動する。安全が確保されたシュノンがスナイパーライフルによる銃撃を開始。視界が悪く風も強い中、シュノンはテクニカルな狙撃でテスタメントを精確に射抜く。


「流石です……!」


 相棒を褒め称えながら、ホープも射撃戦を続行。雪が舞う中を幾度なく閃光が煌めいて、雪を溶かしながら着弾する。雪が解け、義体が融解し、幻想的ながらも現実的な光景が繰り広げられる。

 交戦の最中、テスタメントの射撃精度や行動が洗練されていることを戦術データベースが注釈。ホープの戦闘データのフィードバックが加えられていた。


「ですが、私の劣化コピーでは太刀打ちできませんよ!」


 敵の動きの解析はスムーズに済んだ。今までは明らかに動きに乗っていた感情を、ホープのデータを使って強制的に上書きしている。もはや正真正銘の機械へと彼らは成り下がっていた。

 彼らのほとんどはゼウスの甘い言葉に騙されて精神をデータ化された。哀れではあり同情はするものの、攻撃してくるのなら手加減はできない。少なくとも、彼らに選択肢はあったのだ。選択の余地がなかった先輩ウィッチとは違う。


「ッ、この程度では!」


 レーザーが真横を掠ったが、ホープは木々を遮蔽物として利用しながら応射。命中精度が格段に上昇しており、前回よりは気を配らわなければならない。それでもホープの敵ではない。以前よりは強い。それだけだ。

 引き金を引くごとに大体のテスタメントが悲鳴を出す。何人かは回避し、勇んだ突撃を行ってくるが、つつがなく対処できる。このペースならすぐにでも殲滅し、生存者の保護が可能だ。

 そう思った矢先、電脳内にアラートが鳴り響いてホープは屈んだ。


「何です……!?」


 ひゅんという風切り音と共に地面に矢が突き刺さる。赤く点滅する矢羽に既視感を覚えたホープは急いで雪へとダイブする。

 直後に起きる爆発。瞬時にホープは理解した。起爆矢。それを得物として利用するオリュンポスの十二神はたったひとりしかいない。


「逃げ道はないわ、H232」

「アルテミス……!」


 赤い髪の少女が、弓を構えてホープに狙いをつけていた。矢継ぎ早に放たれる次撃を前転して回避し、レーザーライフルの銃撃をお返しする。アルテミスは走りながら矢を射始め、ホープも同じように駆けながら撃ち返した。

 レーザーと矢が交差して、木や雪、岩へと撃ち刺さっていく。熾烈な撃ち合い繰り広げるホープとアルテミスだが、急に月の女神が笑みをこぼした。


「テスタメント!」


 前方に潜んでいたテスタメントの集団がホープに襲いかかってくる。ホープはアームソードを展開し、敵を切り崩すがその合間にも矢は無慈悲に飛来する。

 ホープは腕剣を貫通させたテスタメントを盾に使って起爆矢を受け止めると、ライフルを構えるテスタメントの三人組へ放り投げた。義体が爆発し、敵が巻き添えになる。アルテミスは舌打ちして、再び矢を放った。

 遠距離戦では埒が明かないと思考したホープは矢を回避して彼女へと疾走する。木々を遮蔽物として利用し、回避不能な矢は銃撃で撃ち落とし、一気に距離を詰めていく。近くなれば近くなるほどアルテミスの精度は向上したが、しかし彼女の表情は打って変わって焦っていた。

 矢が風を切り、雪を射る。ホープは紙一重で急接近。アームソードを使って、近接攻撃に用いてきた矢を切断する。恐懼するアルテミスにスタンアームを使用。

 彼女はかろうじで躱して蹴りを放ってきたが、ホープはレフトアームで防御。お返しとばかりに右蹴りを返そうとして足を掴まれた。


「投降してください!」

「バカね、あなた」


 アルテミスは投降勧告をするホープを嘲笑う。あなたは間抜けだ、と。


「あなたが囮なように、私も囮よ。おバカさん」

「まさか……!」

「彼女の言う通りだよ、H232」


 背後から声がした。聞き覚えのある男の声だ。

 振り向くと、青い髪の男がいた。大量のテスタメントを従えて。


「アポロン……!」

「おっと、敵意を向けるのはやめた方がいい。妹を人質にとる、なんてこともな」

「私ならばあなたたち相手でも後れを取りませんよ」


 いつでもアルテミスを倒せる位置にいるホープは強気に応対。しかし、テスタメントが連れてきたシュノンを見て目を見開いた。


「ごめん、ホープ……」

「シュノン!? きゃ!」

「君は容姿こそ端麗だが、肝心なところで抜けている。僕のように完全無欠ではないからね」


 アルテミスに蹴り返されたホープは仰向けで倒れた。アポロンは気色悪い言葉を並べ立てながら、同じようにシュノンを放って地面へ倒す。


「君たちにはそんな無様な姿がふさわしい。頭が高い、というべきか」

「何あのキモい奴」


 シュノンは痛みに顔をしかめながらも、ホープに訊ねてきた。ホープは同等の気持ちを思い抱きながらシュノンに答える。


「アポロンです。一目で嫌な奴であることはわかるかと」


 シュノンを気落ちさせないために普段のトーンで会話を交わしたが、追いつめられることは事実だった。アポロンとアルテミスに囲まれ、テスタメントも周囲に展開している。守りながら戦うことも、シュノンと共に戦うこともこの状況では厳しい。


「どうすれば……ぐッ!?」

「ホープ!」


 思索しようとしたホープを、アポロンが踏みつけた。背中の加重センサーが唸り、アラートが鳴り響く。


「君のような低俗なアンドロイドが、僕に刃向かおうなんて千年早いよ」

「アポロン……!」

「やめ、やめろ、このッ!」


 ホープを助けるべくシュノンが雪玉をアポロンにぶつける。柔らかな雪の球体ではダメージが入るはずもないが、彼のプライドを傷付けるには十分すぎる威力を完備していた。


「僕に雪をぶつけただと? ……お仕置きが必要だな」

「シュノン!」


 アポロンはシュノンに接近して、その首を持ち上げる。苦しそうに呻くシュノンを掲げて、嗜虐的な笑みをみせた。


「君のようなゴミ虫が僕と同じ空間にいることだけでも耐えられないのに、あろうことか反抗する? 有り得ない。こんなことがあってはならないよ。僕は運命に祝福された、選ばれし者だからね」

「は、はぁ? 何が選ばれし者よ。あー、ごめん、なさい。確かに、えらばれ……てるわ」


 最初こそ反感をぶつけたシュノンの言動だが、首が絞められるごとに反抗的ではなくなっていく……かのように見えた。が、ホープにはわかる。今は堪えてください、という想いがシュノンに届くことはない。彼女は勝気な笑みを浮かべて言い放つ。


「世界でもっとも最高なくそ野郎……だってね!」


 唾をアポロンの顔に浴びせる。ぐ、とよろめいたアポロンは憤怒の表情でシュノンを見上げ、一気にその首を絞め始めた。


「愚かな、人間! 神に抗うとは!」

「シュノン……このッ!!」


 もはやなりふり構わず反抗するべき――そう判断したホープの思考ルーチンが義体に行動許可を与えるよりも早く動いたのは、意外なことにアルテミスだった。


「お待ちをお兄様! 殺してはなりません! 彼女には情報を――」

「黙れ!」

「きゃ!!」


 アルテミスが頬をぶたれ、地面に転がる。アポロンは怒り狂って叫び出した。狂乱したかのような発言を何度も繰り返す。


「僕に指図するだと? 僕に刃向かうだと!! 僕は神だぞ、ふざけるな!! 僕は完璧な存在なんだ! なのに、僕に生意気にも意見する? ただの人形のくせに! お前は僕に従ってればいいんだ! この小娘はここで殺す!!」

「させま……ッ!?」


 動こうとしたホープを雪で背中を冷やすアルテミスが弓で制した。


「させない。お兄様は絶対……」

「アルテミス……」


 妄信的なセリフのように思えて、なぜか諦観の念が含まれていることを多次元共感機能が観測。が、今はそれどころではない。シュノンは息を求めてもがき苦しんでいる。

 どうにか事態を打開するべくホープが捨て身の選択をしようとした時――轟音が山間部の方から響き渡った。この場にいた全員が雪山の頂上を見上げる。


「何……?」

「お兄様! 雪崩です!」


 アルテミスの警句が真実であると皆が即座に理解する。山に刺さっていたスレイプニールのバランスが崩れ、それを発端とした雪崩が山の上から流れて来ていた。


「シュノン! なッ!」

「お兄様の邪魔はさせない……!」


 シュノンを救おうとしたホープをアルテミスがしがみ付いて止める。


「放してください!」


 アルテミスを振りほどこうと奮戦。先では、アポロンが手放したシュノンが勢いよく咳き込んでいた。

 急いで彼女を回収し、安全地帯へ避難しなければ。感情アルゴリズムが焦燥で荒れ狂う。

 アルテミスを振り払うべく腕で叩き、彼女の拘束から脱する。臆せず妨害してきたテスタメントのレーザーをシールドで防ぎ、シュノンの元へと駆けた。

 しかし。


「邪魔させないって、言った!」

「アルテミス!!」


 アルテミスの自身を度外視した突撃。無我夢中のタックルにホープはバランスを崩し、シュノンへ辿りつく前に転倒してしまった。

 その直後、聴覚センサーが振動音を捉えて、すぐに視覚センサーも認識する。矮小な人間の存在すら厭わずに、全てを呑み込もうとする自然の力を。


「く……シュノン!!」

「ホープ!」


 こだまするシュノンとホープの叫び。咄嗟にETCSを発動しようとしたが間に合わない。轟音を立てて迫り来る流雪。ホープと合流しようと立ち上がるシュノン。

 電脳内に流れる体感時間が極端に長くなる。自分が雪崩に呑まれる瞬間も、シュノンが雪に絡め取られる瞬間も、はっきりと認識し記憶回路に集積された。

 もはや悲鳴も、彼女の名前を叫ぶことすらできず、義体に累積したダメージの影響で強制終了シャットダウンしてしまう。世界が闇に包まれた(ブラックアウト)



 ……システム再起動。自己診断を開始。トラブルシューティングの結果、義体の状態に問題あり。要修復箇所の修復を開始。同時に、意識覚醒プロセスを並行。

 義体状態チェック、問題あり。一時的に必要外機能の使用を停止。外界スキャン開始。視覚センサーオン。自機の覚醒を確認。


「シュノン!」


 覚醒を果たしたホープは開口一番シュノンの名を呼んだ。が、反応はない。周囲にマスターの生体反応がないので当然だった。こういう時、ホープは自分がアンドロイドであることを恨めしく思う。何かを信じたい時に、その可能性を自身に搭載されるあらゆるデバイスは自動で精査して否定してくる。

 しかし、心情的には不必要でも、理性は必要だと感じている。この場にいないとわかるだけで、すぐに違う場所への捜索へ踏み切れるからだ。


「急いで探さなければ。生きていますよね……!」


 諦めるという選択肢はホープにはない。今までこのような展開は何度もあった。そのたびに自分とシュノンは切り抜けてきたのだ。過信するわけではないが、諦めるには早すぎる。


「だいぶ下方まで流されてきたようですが」


 上にそびえ立つ山を見て、ホープは分析する。周辺には折れた木がいくつか散乱し、機能不全に陥ったテスタメントも確認できる。月光が周囲を照らす中、周辺を探ってみたが生体反応は見当たらない。


「夜間での捜索は厳しいですが……吹雪は止んでいる。問題ありません」


 弱りそうになる感情アルゴリズムを鼓舞するように呟いて、ホープは捜索を開始する。敵の大部分は雪崩れに巻き込まれたか遠方にいるはずなので、敵に所在がばれるリスクのあるソナー探査を遠慮なく使用することができる。

 あらゆる索敵方法をシュノンの居場所の探索へ利用して、ようやっと生体反応を検知できた。


「シュノン!」


 夜風の吹く雪山のふもとを、雪に足を取られながら走る。ざくざくざくと、雪を踏みしめる音を聴覚センサーが捉え続けた。月明かりに照らされる雪はとても美しく、幻想的な光景がアイカメラ一杯に録画されている。きっとシュノンなら感嘆の息を吐いただろう。このような状況でなければ、自分もエアーを吐いていた。


(ですが、今は!)


 シュノンの命が最優先。雪をかき分け、白い息を吐き出して、目的地である洞窟の傍へと赴く。どうやらホープよりも先に覚醒を果たして洞窟内へ逃げ込んだようだ。


「シュノン、ここですか?」


 氷の洞窟はまた違った感触を足の触覚センサーが感知する。雪がふわふわとしたふみ心地ならば、氷はこちこちとしたものだ。バランスに気を付けないと転倒の恐れがある。

 接地圧をベストな状態へと変更して、生体反応の元へと歩く。無事でいてください、シュノン。もし彼女がこの場にいたら、アンドロイドが祈るな! と言われてしまいそうなことを思いつつ、ホープは進む。

 そうして、ようやく発見した。ぐったりした状態で倒れる彼女を。


「……これは」


 ホープは腰を落として、注意深く観察する。赤毛の少女を。

 弓をお守りのように握りしめ、凍えるように自分の身体を抱きしめている。虚ろな眼差しはあらゆる方向を描き、苦悶に満ちた表情から発熱していると思しき症状が窺えた。


「うぅ……く……」

「アルテミス……」


 当惑しながら、その名を呼ぶ。

 ホープが発見したのはシュノンではなく、自分を倒そうとしていたアルテミスだった。


「……、どうしましょう」


 ホープは思考ルーチンを奔らせる。シュノンを優先するのは当然の事項なので、議論の余地はない。早急に彼女を確保し、安全な場所へと撤退し、体勢を立て直してから不時着したスレイプニールの乗員救出へ戻る。それが定石だ。

 しかし、だからと言ってアルテミスを放置するべきかと言えば、そうではない。彼女が持つ情報もそうだが、それよりももっと別な理由がある。


「人を守るのが私の使命……」


 人の定義にはアルテミスも当てはまる。情報によれば、アルテミスはゼウスの計画により生まれた創造物だ。遺伝子レベルから調整を加えられた改造人間。変異体ミュータントとはまた別種の人造人間ヒューマノイド


「見捨てるという選択肢もありますが、しかし」


 甘い、と言われるかもしれない。あの人には。救うべき人間と救うべきではない人間を選定しろ、と。私たちは治安維持軍。もし可能なら敵を救うことも許諾されるが、可能でないのなら容赦なく切り捨てろ、と。

 その意見の正しさをホープは理解できている。だが、正しさだけで世界が回るわけでもない。


「マスターならこうしました」


 ホープは腰に付けている装備から緊急用の医療キットを取り出し、最低限度の処置を始めた。メカコッコが長旅用に用意してくれた医療パックには、生命力を向上させる薬が含まれている。

 注射器を取り出して内容液を注入し、アルテミスの細腕へと注射する。

 低下していたバイタルサインが、正常値へと戻りつつあった。


「……シュノン」


 アルテミスへ救護処置を行いながら、考えているのはシュノンについてだった。本末転倒である、と自分でも理解している。マスターのことを大事に思うのなら、今すぐにでも向かうべきだ。

 そう思考ルーチンは叫び、感情アルゴリズムが拒否している。

 いつも悩まされる難題だ。どちらを選ぶか。どちらを救うか。

 この苦悩が電脳に浮かび上がるたびに、ホープはこう答える。

 ――私はどちらも救います、と。

 そして、こう突き返されるのだ。

 ――そんなことは不可能だ。


(不可能を可能にする女……シュノンは自分ことをそう言ってましたね)


 シュノンはちょくちょく自分のことを過大評価する。不死身のシュノン、不可能を可能にする女、世界を救う救世主、宇宙最強のドライバー、宇宙一のスナイパー……。挙げだしたらきりがない。彼女はそういう性格なのだ。色んなことやどうでもいいこと、妙なことを言って、彼女なりに冒険を楽しもうとしている。

 希望なんて見出せなくてもおかしくない世界で、人生を存分に生きようとしている。自分の中には世界を救済できるかもしれないデータが埋め込まれているが、そんな情報粒子よりもシュノンの存在に、ホープはずっと励まされてきた。

 彼女を見ていると、本当に不可能を可能にしてしまいそうな気分へと感情アルゴリズムが誘導されてしまう。その変異を確認するたびに確率が物を言うが、自分はこう返す。確率などくそったれ――。


「汚い言葉です」

「……ん」

「目覚めましたか。ドヴェルグ博士の支給品だけのことはありますね」


 現在の医療レベルなら無理なものも、共和国時代の医療レベルなら普遍的に解決可能。目を覚ましたアルテミスはゆっくりと身を起こし、目を擦りながら周囲を見渡す。


「私……助かった……?」

「ええ、あなたは生きてます」

「ありがとう……誰だかは知らな……ッ!?」


 覚醒したての頭でホープへの認識を誤っていたアルテミスは、瞬時に状況判断し弓へ手を伸ばした。しかし、ホープは予期していたため難なく彼女を取り押さえる。


「させませんよ」

「くッ……どういうつもり!?」


 アルテミスは信じられないものを見る目つきで問い質す。対して、ホープは冷静なまま、あるがままを告げた。


「こういうつもり、ですよ。あなたとの交戦意志はありません」


 しばらく至近距離で睨み合っていたが、どうやらホープが本気である、ということを理解したらしいアルテミスの腕の力が緩む。いくらヘルスパックによる回復をしたとはいえ、今の体力では勝ち目がないという要因も戦意放棄の一因だろう。


「……バカじゃないの?」

「なぜですか」


 医療キットを仕舞いながら質疑応答プログラム実行。アルテミスは壁に身体を寄り掛からせながら続けた。


「敵を助けるなんて。今、あなたに殺すかもしれない」

「多次元共感機能でも、サイコメトリックスでも、あなたの心理状態は観測済みです。殺意は確認できません」

「私、普通の人間とは違うし。見破れないかもしれない」

「私も普通のアンドロイドとは違うので、特に問題ありません」


 キットを片付けて、洞窟内へと視線を移す。ズームした外部環境は先程とは変わらないがまた少し風が出てきた。この静けさも嵐の前の前兆かもしれない。もう少し環境データがあれば吹雪の兆候も把握できるが、データが少なすぎた。どちらにしろこの場に長居はするつもりはないので問題ない、とデータ収集の必要性を却下する。


「……ちょっと、どこに行くつもり?」

「シュノンの捜索へ」


 目的を説明したホープに、アルテミスははぁ!? と声を荒げる。再び、有り得ないものを見る目つきをしてホープに指摘してきた。自己矛盾に陥りながら。


「何でそういうこと言っちゃうわけ!? 私は敵よ!? バカじゃない、やっぱり!!」

「私はバカじゃありませんよ。あなたの言動は不快です」


 シュノンよりはまだ素直に文句を言ってくれるのでわりかしマシではあるが、不快指数の上昇は止められない。

 だが、論点はそこじゃない、とアルテミスは興奮した様子で喚き立てる。


「だから、私がお兄様に報告したら、あなたはもう終わりよ!? そこのところわかってる!? 理解できてる!?」

「知ってますよ。私を侮らないでください」

「だったら!」

「でも、放ってはおけませんでしたし、戻れるかわからない状況であなたを拘束するつもりもありません。同行してくれればありがたいですが、現状の体力では難しいでしょうし」

「は……? 私のこと気遣ってんの……?」

「そういうことですね。ですから」

「なおさらバカじゃん! ポンコツドロイド! どうして敵を気遣う必要が……」


 アルテミスは自分が不利になることを混乱気味に並べ立てている。なおさら、ホープは自身の判断の正しさを信じられた。

 気が動転する彼女へ、ホープは真摯のフォーカスで凛然と応じる。


「あなたには他に選択肢がなかったからですよ。あなたに責任はない。少なくとも私はそう判断します。これは治安維持法というよりも私個人の采配です。誰に何を言われようと、この考えを変えるつもりはない」

「何言って……」

「私は感情優先型です。論破しようとしても聞く耳を持たなくなったら最後、頑として言うことは聞きませんよ。諦めて、好意を受け止めてください。まぁ、自分でも融通が利かない方だとは思っていますが、こればかりはどうしようもないですね」


 微笑のフェイスモーションで言い残し、洞窟を出ていく。タイムリミットを設定し、規定時間内での捜索を再開。時間内に見つからなければ一度帰還し、情報をまとめながら別エリアでの捜索へと移行する。


「シュノン、待っていてくださいね……!」


 ホープは吹雪き始める山の中へと飛び込んでいく。


「バッカ。ホント、バカ。H232……あんたはバカドロイドだ……」


 その背中を見送ったアルテミスが、呆けながら呟いた。じっと何かを考えるように、身体を丸めながら。

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