ヴァルキュリアコード
「外れました」
「外したのだ、友よ」
宙に浮かぶ幻影で戦況を俯瞰するアレスの事実報告に、ゼウスは眼を瞑りながら応じる。球体のホログラムに映る戦艦スレイプニールの挙動を確認して、マスターの偉大さにアレスは改めて気づかされた。
「運用試験ですか」
「これほど巨大な装置となると、迂闊に試射もできぬのでな」
アレスは背後のスクリーンに写る巨大電磁兵器グレイプニールを一瞥する。かの兵器はオーディンが宇宙に退避した避難民へ物資を送り届けるために開発した人類救済用の運搬機をゼウスが兵器へと転用したものだ。
これが主のやり方だった。優れた物を自分で創造する必要はない。持つ者から奪えばいいのだ。主が自分の意志で何かを創造することは滅多にない。常に、敵の遺品を自軍の増強に利用してきた。
「しかし、連中は地球へと距離を縮めています。このままでは」
「そなたはわかっておるだろう? 距離が近くなれば近くなるほど、グレイプニールの精度も向上する」
ゼウスのおっしゃる通りだった。スレイプニールのシールドはグレイプニールの砲弾に削り取られて、丸裸の状態にされつつある。ただでさえ直撃すれば危ういのだ。シールドのなくなった状態での神槍の被弾は、装甲を破壊するには十分すぎる威力。
だが、予想に反してスレイプニールは着実に距離を縮め、精度が向上しているはずのグレイプニールも明確に弱点であるドライブ内臓位置へと着弾することもない。
敵指揮官が有能という理由もあるにはあるだろうが、それだけが要因とは考えられなかった。すぐにアレスは気付く。
これは当たらないのではなく、あえて急所を外しているのだと。
「当てぬのですか、マスター」
「かつての規模は誇っていないとはいえ、仮にも旧文明の遺産を保持している軍隊だ。わざわざ塵芥にすることもあるまい」
「では、私が参りましょう」
主の意図を悟った今、この場で手をこまねいている意味はない。即座に出撃しようとしたアレスをゼウスは呼び止める。閉じていた瞳が見開かれた。
「それには及ばん。既に《《現地》》へ部隊を派遣しておる」
主の発言は予言めいている。アレスは無駄と知りながらも進言した。
「しかし奴には敵いません」
「敵わぬともよい」
アレスは敵指揮官の正体を知っている。そしてそれはゼウスも同じだった。
主は全て理解しておられる。次に何が起こるかも、このお方は把握済み。
敵は自分の意志で動いていると誤解しているだろうが、実際は違う。全て主の思惑通りに事は進んでいる。
愚かな、と思わずにいられなかった。恐らく異変を察知して首を突っ込むであろうH232に。
「お父様、ならアレスをお借りしてもよろしいでしょうかぁ?」
「アプロディア」
露出の多い服装をした金髪の女が、緊迫感のあるコントロールルームへと入室してきた。アレスはマスクを彼女へと向ける。内面にはほんの僅かな怒りが灯っている。
「お前に付き合う暇はない」
「そう言わずにさぁ。せっかくだから、キモチいいことしようよぉ。どうせ暇なんだしさ。昔の女なんか忘れて、楽しい楽しいセック――おっ?」
刀が一閃し、アプロディアの喉元に切っ先が突きつけられる。内面の怒りの炎は煌々と燃え滾っていた。
「もしどうしてもと言うのなら、相手をするぞ。俺のやり方でな」
「きゃあきゃあこわーい。そんなに死んだ女が忘れられない――いたっ」
手首を切り落としたが、アプロディアは軽傷を負っただけかのように笑う。
「あららー。再生手術大変だよぉ。まぁ、これはこれでゾクゾクするけど」
異常性の強い眼差し。アプロディアはあろうことか興奮し、劣情を含んだ視線をアレスに向けている。こういう女なので、アレスはそれ以上何も言わなかった。
無言のアレスの目前で、アプロディアは手首を拾って弄び始めた。何かいい利用方法ないかぁ、と自身の欠損部位による遊び方を模索する彼女へ、別の女の声が響く。
「ああっ、お姉様! またお怪我をなされたのですか?」
「うんうん、ヘスティア。また手術お願いねぇ」
アプロディアよりも幼い少女である黒髪のヘスティアは、姉の大怪我を心配していた。まるで年相応の少女のような反応だが、手首を切り落とされた者を見た反応としては異質である。彼女が常人とは違う位置に立つ証だ。
H232はポセイドンを打ち倒し、敵の戦力を削いだと思いあがっているかもしれないが、そんなことは有り得ない。半数へと減ったとしてもオリュンポスの十二神の強さは健在である。
今も二人の神が主の命令を帯びて、現地へ向かっているところだ。
(手並みを拝見するとしよう)
それはH232へ向けた期待だったのか、同胞へのものだったのか定かではない。
思いに耽るアレスを見て、ゼウスは表情を凍てつく笑みに変えていた。
※※※
プレミアムに設置される情報送受信機から信号をホープが受信したのは、ジャンク広場に寄り道をしてうきうきとしているシュノンを眺めている時だった。
積み重なった大量の機械の残骸を見て、目をきらきらと輝かせている。
「ひゃはー! 信じられない! こんなことってある!? 夢ならお願い、醒めないで!!」
大量の宝の山を目の前にして、ぴょんぴょんとうさぎのように跳ねていた。散らばるジャンクパーツのほとんどは使い物にならないが、丁寧に探索すればレストア可能なパーツを発見できる可能性はある。
ゴミの山から宝を探す、スカベンジャーの仕事場だ。
センサー三等兵というあだ名のついた探知センサーをパーツの山へと翳し、嬉々として選別を始めたシュノンは、ホープに手伝いを願うべく振り返った。
「ちょっと、手を貸してよ。センサー三等兵は微妙だし……ホープ?」
「…………」
ホープは黙し、デバイスリンクで送受信機と接続を確立。受信した信号の暗号化を解除して、詳細を読み取っている最中であった。
そのための沈黙だが、しかしシュノンは無視されたと思ったようでホープの頬を抓った。軟化しているためもちっとした弾力のある頬パーツが伸びる。
「は、はにすふのへふか」
「シカトしないでよ。手伝ってってば」
両頬が伸びてるため発声機能に異常をきたしている。ホープはシュノンの手を下げさせながら事情を説明した。並行しての解析作業は怠らずに。
「無視したわけではありません。情報コードが入力されたので調査していたのです」
「メカコッコの通信?」
「いえ……これは治安維持軍のものです」
暗号のパターンから割り出したホープに、やっぱり、とシュノンは両手を頭の後ろに回す。
「メカコッコからの通信じゃん。治安維持軍でしょ?」
「説明不足でした。旧治安維持軍の通信です」
「……時代を越えたメッセージ?」
シュノンは茶化したが、ホープはあくまでも真剣に答えた。感情アルゴリズムに連動して空気循環器が高鳴っている。
「違います。鮮明ですから」
「罠、とか。また誘き出すための」
「その可能性は否定できませんが、それにしてはあからさま過ぎます。いくらゼウスとは言えここまで堂々としたトラップは仕掛けないでしょう」
シュノンの言う通り罠である可能性もゼロではないが、それにしては露骨すぎる。今までのデータを鑑みるに、罠を仕込むにしてももうひと手間加えるのがゼウスだ。
無論、罠を張ったのがゼウス本人ではなく、その部下ならば有り得ない手法ではないが、それにしても自分たちを侮り過ぎである。
「自分たちが崩壊させた組織の残党を装って網を張るなど、愚策以外の何物でもありません」
「にしてはさ、効果抜群みたいなんだけど」
シュノンは浮足立つホープを見て、苦笑交じりに呟く。ホープは自然とレッグパーツがそわそわしていたことを確認し、ハッとして直立モードへと戻った。
「そ、そんなことはありません」
「嘘つけ。急いで助けに行かなきゃ! とか思ってるでしょ? 思うつぼじゃん、たこつぼじゃん!」
「たこつぼは関係ないでしょう! ……信頼性の高いコードなのです。少数精鋭の特殊部隊が使用していた暗号鍵なので、いくらゼウスと言えども偽装するのは不可能ですから」
「そうやって一度騙されてるんだよ? ウィッチの件をもう忘れちゃった? 修理出そうか?」
「そうではありませんが……」
元より記憶力の高いアンドロイドなのだ。ウィッチの件は忘れたくても忘れられない。記憶をデリートしない限り、ホープの中に居残り続ける。
危うく、シュノンを喪うところだった。その恐怖はまだ燻っているが、しかしもし本当に同胞からのSOSだったら……? そう考えると、ホープの回線はショートしそうになる。
その様子を見て、シュノンは名残惜しそうに宝の山を見つめた後、大きなため息を吐いた。しょうがないな。そんな顔をしながら。
「っても聞かないんでしょ? 私の意見はがん無視なんでしょ? これじゃどっちがマスターかわからないじゃん」
「シュノンはマスターで」
「だろうね。形式上は。建前はね。あーあー、せっかくこんなにいいものがあるのに諦めなきゃならないなんて……」
ぼやきつつも、ホープの意志を尊重するシュノンはせっせと移動準備を始めてくれる。彼女の行動に心理光があたたかいものに包まれて、ホープはスキャナーを周辺に奔らせる。
そして、使えそうな部品をいくつか拾い上げると、ゴミ箱という名のジャンクボックスに放り込んだ。
「ホープ?」
「お礼です、シュノン」
微笑みのモーションを表情に出す。シュノンも釣られて笑顔となった。
「オーケー。じゃ、さっさと行こ。ミャッハーたちにも伝えないと」
「ええ」
ホープはシュノンと共にプレミアムへと乗り込んだ。
発信コードヴァルキュリア。その持ち主に想いを馳せて。
※※※
議論した結果、ミャッハーたちとは別行動を取ることになった。罠である可能性も十分に残されている以上、少数精鋭で向かった方が良いというホープの判断ゆえだ。
その決断を頼もしさ半分、不安半分で聞き届けた後、シュノンはミャッハーたちとは別方向へハンドルを切った。
「またにゃ!」
「ちゃんと帰って私の武勇伝を報告してよ!」
「お断りにゃ」
シュノンが叫ぶと、ミャッハーは叫び返す。否定的な言葉が乗っていて、シュノンは訝った。
「なに?」
「そういうのは自分で言うにゃ。にゃんで後で聞けるはにゃしをみゃーたちがしなくちゃにゃらにゃいのか、にゃ!」
「あー、うん、そうだね。わかった。じゃあまた」
「みゃみゃー!!」
疾風にネコ耳をなびかせて、ミャッハーたちが去っていく。その背中を見送った後、ホープの言う座標へとプレミアムを発進させた。
ホープは助手席でナビに情報を打ち込みながら改めて説明を再開する。
「ヴァルキュリアとは治安維持軍の秘匿コードの一つです」
「で、そのヴァルなんとかさんが何だって? ヘルプミー! ってことでしょ?」
「救難信号が出ているので、その認識はあっています。ですが、ビーコンが……」
「ベーコンが何だって?」
「ビーコンですよ。わざとですね?」
ホープが眉根を顰めて言い返してくる。ばれたか、と茶目っ気たっぷりの笑みをみせて、シュノンは情報共有を図った。
――会話ってのはジョーク混じりじゃないと愉しくない。映画でもよくあるし。
「で? その信号の位置はどこらへん。めっさ遠かったりする?」
「幸いなことにそこまで離れてはいないようです。ですが、奇妙なことに……」
「奇妙なことに?」
ホープは少し間をおいて応じた。疑問符を浮かべながら。
「その座標にはまだいないようなのです」
「どゆこと?」
助けを求めてるくせに、助けを求める地点にいらっしゃらない。意味がさっぱりわからない。
そんなシュノンの困惑を見透かしたように、彼女もまた戸惑いながら告げる。
「そこへ向かうから来て欲しい、とだけ」
「敵を警戒して、待ち合わせ場所を別の場所にしたってこと?」
「そうとも考えられますが、それにしては回りくどいですね」
ホープは顎に手を当てて考え事を始めた。シュノンもそれとなく謎のSOS信号について考えてみる。
ウィッチたちが受信した謎の電波も、今回の件とは無関係ではない。それくらいはわかる。が、何で急にピンチにまだ見ぬお友達が陥ったのかは謎だ。
そもそも彼ら、もしくは彼女らは一体何者なのか? 宇宙から飛んできた謎の電波。それに続いて送られてきた救難信号。それらから導き出される結論は……。
「もしかして宇宙じ……!」
「宇宙人、だなんて荒唐無稽なことは言いませんよね?」
鋭い相棒の言葉。鋭すぎて血がどばどば溢れ出そうだ。
「宇宙事故! きっと宇宙で事故を起こしちゃったんだよ!」
読心されかかったので慌ててベクトルを変える。ふー危ない危ない。そう心の中で安堵しながら、ホープの眼差し疑心添えを受け流す。
「宇宙事故、ですか? デブリとの衝突やエンジントラブルの類だと?」
「そーそー、そうだよ! ジェームズの祖先が宇宙で戦ってたように、きっと治安維持軍の生き残りが宇宙にいたんだよ! それでどうにかこうにかホープの存在に気付いてどっかの惑星から遥々やってきたけど、ドジって事故ってあー大変! だから救難信号を送信してーって感じ?」
その場しのぎで紡ぎ出したそれっぽい理由づけに、意外にもホープは食いついた。
「なるほど。一理あります」
「……マジ?」
「エルピスコアからマスターによる座標送信が行われていましたし、その信号をキャッチした生き残りが地球に舞い戻って来ても不思議ではありません。トラブルが起きたかは定かではありませんが、指定地点への着陸をする予定なのでしょう。流石ですね、シュノン。素晴らしい洞察力です」
「え、や? あはは? そりゃもう、私は一流のスカベンジャーですからね!」
適当にそれっぽいことを言っただけ、とは伝えない。そっと胸の中へしまっておく。
経緯はどうであれ、ある程度の予測は付いた。とあれば、次に知るべきは今向かっている着地場所だ。具体的にどんな場所なのか、もう一度シュノンはホープに尋ねる。
「で? 場所はどこ? また海とは言わないでよ?」
「海ではありません。山です」
ホープの返答にシュノンはやった! と片手で小さくガッツポーズ。水さえなければどうにでもなる。特に山は大地の恵みの宝庫だ。過ごしやすいし、食料も豊富。おまけにカエルもたくさんいる……。
「山とは言っても雪山ですが。雪原地帯で合流予定です」
「山ーやまヤマ、雪山ぁ!?」
即興で創った山の歌を歌い始めたシュノンは、ホープの追加情報に驚愕し、危うくハンドル操作を失敗するところだった。
「何でよりによってまたそんなやべえとこなの!?」
「私に言われても仕方ありません。彼らが指定した場所がそこなのですから」
「嘘だぁ、またかぁ。何で皆さん危険地帯大好きなの? もっと安全な、快適な場所で過ごそうよ。絶対そのほうがいいって、ねえ」
「だから、私に言われても」
切実なシュノンの嘆願にも、ホープの態度はドライだ。
「なら今すぐにでも場所変えるように言ってよ!」
「そんな無茶な。一方通信ですよ?」
「気合で何とか!」
「不可能ですよ」
ホープはシュノンの頼みをことごとく突っぱねた。何たることか、とシュノンは相棒の融通の利かなさと救難者のチョイスミス、そして何が何でも自分を不幸にしたがっている運命って奴に辟易する。
「嘘でしょ……マジか。ここんとここんなんばっか」
「それについては……謝ります」
「いーよ、もう。せめてポンコツじゃなけりゃなぁ」
「私はポンコツではありませんよ。ポンコツなのはこの車です」
しおらしい態度から一変して、ホープが憮然とした様子で言う。それが拗ねた子どものように見えて、シュノンのがっかり度はさらに上昇してしまう。どうせならもっと従順でもいいだろうに。
そう心の中で思ったが、口にはしない。旅路の中ではある程度個性があった方がいいからだ。ホープは道具ではなく仲間だと、今までの旅を経て何度も痛感させられている。その方が楽しいのは間違いない、ということも学習した。
だから、ため息を吐くだけで赦してやる。
「行くよ、はぁ。行きますよぉ、はふー、ほへー」
「あからさまに嫌がる態度はやめていただけますか。不快です」
「こうなったら雪ガエルを試してやる。えーい、寒いのやーだけど、気合と根性でどうにかする!!」
「っ、いきなりスピードを上げては!」
助手席でホープは焦るが、こうなってしまった以上どうにでもなれ、だ。
シュノンはテンポよくギアを操作してアクセルを思いっきり踏み込んだ。燃費のことなど考えない。先のことは後回し。
今は現在のことだけを考えて、進むんだ。そうヤケになって。
幸いなことに指定された雪原地帯は近場だったので、そんなに日数は掛からなかった。雪山を視界にとらえたシュノンはプレミアムを停車し、タイヤの交換を行っている。
「よし、これで終わりっと」
頬にほんのちょびっとオイルを付着させて、手の甲で額の汗を拭う。メカコッコ特製のタイヤは環境に合わせて最適な状態へと変形する賢いタイヤなので、よほどのことがない限りスリップを起こすことはない。
「終わったのなら下ろしますよ」
「オッケー」
プレミアムを持ち上げていたホープがゆっくりと地面へ降ろした。ジャッキをいちいち使わなくてもすぐにタイヤ交換をできるのはちょっといい点である。
とは言えもちろん……。
「本当ならタイヤの交換自体を手伝って欲しいところだけどね」
「仕方ないでしょう、知識不足なのですから。……この高性能タイヤに最初から変えておけば問題なかったのでは? 全環境対応型ですよね」
ホープの指摘にシュノンは肩を竦めた。やれやれ、これだから素人は。
「こういうのはヤバい時に使うっていつも言ってるでしょ? タイヤがパンクしちゃったら帰れないんだよ?」
「また出し惜しみ、ですか。私は反対ですよ」
「あなたとはココが違うの、ココが。私は先進的な人間だからね」
頭をとんとんと人差し指で叩きながら、ドヤ顔で言い張る。無論、先程の考えなしの猛スピードはなかったことにして。
ホープはプレミアムとシュノンを見比べて、困惑気味に呟いた。
「先進的、ですか。どれもアンティークですが……」
「何か文句ある?」
「山ほどありますが、保留にしておきましょう」
ホープはさっと話題を切り上げる。あくまでも平静を装っているつもりだろうが、内面は忙しく走り回っていることは明らかだ。
一刻も早く、目標地点へ向かいたいのだろう。その気持ちは自分も似たようなものなので、無粋なツッコミは入れなかった。
さっさと向かって、帰りたいという想いはシュノンも同じだ。若干の齟齬はあるかもしれないが。
「先に乗ってて。私は着替えるから」
シュノンはいつもの外套を脱ぎ去る。ありがたいことに、いつもの服には温度調節機能なんて言う素晴らしいシステムは載ってないので、寒冷地用の白い毛皮のコートを羽織らなくてはならない。
「もふもふ服、使う気なかったのになぁ」
衣料品ボックスから取り出した毛皮のコートを広げて、シュノンは顔をしかめる。
ホープと出会う前に、お得意の”交渉”を経てあるお友達軍団から拝借したものだ。愛すべきお友達は数人の仲間と共にシュノンをレイプしようと襲いかかってきた。その時、銃で丁重におもてなしをした時の戦利品がこれだった。
「そこそこ気に入ってるのに、これ」
「なら着るべきです。似合うと思いますよ」
「そう?」
コートに袖を通し、着こなしてみる。雪原地帯に近づいたせいで冷えていた身体を温もりが包んだ。サイズはぴったりに調整してあるので、袖が邪魔になることもない。
「似合ってますよ、シュノン」
「そう? ま、美少女である私は何を着ても似合うんだけどさ」
着心地を確かめながら茶化すが、ホープは予想に反して同調してくる。
「そうですね、シュノンは何を着ても似合います」
「む、そ、そこは突っ込むところなんだけど」
気恥ずかしさに顔を赤くしながら、シュノンは運転席へと乗り込む。エンジンを始動させせっせと発進準備を終了。雪山はもう視えているので、後は前に進むだけだ。
「雪は水ほどじゃないけどあんま好きじゃないや。かき氷食い放題なのは嬉しいけど」
「雪は不衛生ですよ。あまりオススメできません」
「冷却液氷を喰わせようとした奴のセリフじゃない」
他愛のない会話を繰り広げて、ちらほらと降ってきた雪に目を奪われる。海と同じく見る分には嫌いではなかった。それと、雪遊びもそれとなく好きである。
豪雪地域に潜ることは滅多にないので機会は少ないが、雪だるまを作ったこともあった。自分がせっせと雪を固めている横で、機械的な、しかし感情を秘めた笑顔を見せていたクレイドル。
かつて彼女が座っていた席には自分が座り、新しい相棒は雪を見て子供じみた興奮をしている。シュノンはクスッと笑みをこぼして、
(全く、これじゃどっちが保護者なんだか)
呆れながらも喜んで、積雪を吹っ飛ばしながら前進。隣のホープはアイカメラで障害物が雪に覆われていないか確認しながら、メカコッコと通信を開始した。
「メカコッコ、これから指定されたポイントへ向かいます」
『了解した。教えてくれた救難信号及び前回の情報を精査した結果、ウィッチが興味深いことに気付いた。ウィッチ』
今度はシュノンにとっても大事な通信なので、スピーカーからメカコッコたちの音声が出力されている。プレミアム内に反響する音声はメカコッコからウィッチへと変動し、シュノンは少しだけ苦り切った表情となった。
『やっほー。ま、詳細はおいといて単刀直入に言うよ』
「お願いします、先輩」
ホープの信頼しきった返答。こういう時のウィッチは本当に頼りになる。戦闘時のホープのように。
『ヴァルキュリアは治安維持軍の秘匿コード。それは二人ともアンダスタン?』
「わかってるから、その先」
『おけおけ。で、件のコードなんだけどさ、打ち方に癖があるんだよね』
「癖、ですか? そのようなパターンは」
『あー、ホープは知らなくてもしょうがないよ。たぶんわかるのはあたしだけかな。こういう暗号はなるべく癖が出ないように調律するんだけど、あたしの目は誤魔化せない。でさ、この暗号の送り元、あたしたちの共通の知り合いだ』
「たぶん私は仲間外れですけどね」
二人のやり取りからおおよその見当がついたシュノンが口を挟む。そうですね、とホープも相槌を入れてウィッチの結論を待った。
『そもそもがヴァルキュリアのコードネームを使う存在なんて限られてるんだよ。ホープもいくつか候補上げてたでしょ? その中でたぶん一番嫌だなーって思ってたのが今回のメッセンジャー』
「……つまり、ヒルドさんですか?」
躊躇いがちに訊き返すホープ。ウィッチの時とは明らかに反応が違う。だが、ウィッチはあくまで朗らかにホープへ回答を告げた。
『そーゆーこと』
「どなた?」
ヒルドなんて名前は今まで聞いたことがない。
シュノンの問いに、ホープは答えようとして言葉に詰まった。そこへウィッチが解説を述べる。
『B53ブリュンヒルド。機動戦闘と隠密戦闘に長けたアンドロイドで、オーディンの直属部隊ヴァルキュリア所属のエージェント。ま、性能的な面はおいといて、問題は……』
「問題は?」
ホープに脇目を振りながら、さらなる質問。ウィッチは饒舌に答えようとする。
『実は、ホー…………ブ……あ、れ? つう……ジャミ…………』
が、ノイズが混じったと思いきや、突然ブツリと通信が切断された。
「え? ちょ、壊れた?」
「いえ、機器は正常に作動してます」
通信システムをスキャニングしたホープの即答。
では、一体何が原因なのか。
「じゃ何? 雪で電波が届かないの?」
「そうとも思えません。むしろ――ッ、止まって!」
「わぁ!!」
ホープは強引にハンドルを左へと回し、シュノンは慌てて急ブレーキを踏んだ。横に回って停止したプレミアムの中でシュノンは抗議しようとするが、ホープの戦闘モードの眼差しを見て口をつぐんだ。
「静かに。見てください」
「何が……あ、あれ!」
ホープの指し示す方向へ窓を覗き込むと、雪が降り注ぎ視界が不透明な雪山のふもとに巡回中らしき人影……機械影を発見した。あのごてごてした無骨なシルエットを見れば、一目で正体を看破できる。
ゼウス陣営所属のバトルドロイド、テスタメント――。
「何で奴らがここにいんの? やっぱり罠だったの?」
身体を屈めて小声で囁くシュノンに、ホープは周囲を見渡しながら言う。
「そうとは考えられません。待ち構えるにしても警備の数が少なすぎます」
「んじゃわざと誘い込もうとしてるとか? ポセイドンみたいに」
連中の手口をシュノンも何となく理解している。一見穴があるように見えて、その穴こそが本命であったりしてしまうのが神々のやり方だ。勝利でも敗北でも、ゼウスにとって都合のいい結果に終わる。
最高神にとって勝ち負けはただの分岐でしかない。となると、下手に首を突っ込むべきか悩みどころだ。首を突っ込まないのも計画の内である可能性が高いせいだ。
「どうすんの? 行く? 帰る? や、私は雪山でなんて戦いたくないから帰る方を推したいなーなんて」
「お待ちを。あれは……!」
「え? 今ドアを開けたらふぶっ……!」
勢いよく開かれたドアから吹雪いてくる大量の粉雪。これが雪原地帯の日常光景。
小さな雪がひらひら降って、全身真っ赤な袋を持ったおじさんがプレゼントなんてくれはしない。
「ホープ! 見つかっちゃうって!」
慌ててシュノンも車から降りる。ザクッとした雪の感触がブーツの上から伝わってきた。急いで助手席側に回り、ドアを閉める。襲いかかってくる雪の暴挙に眉をしかめつつも、一目散に進み始めたホープの後を追う。
「どこ行くのさ! 寒い! 氷漬けになっちゃうって!」
超人なら冷凍されても素知らぬ顔で蘇生できるかもしれないが、生憎シュノンは普通の人間である。アンドロイドに寒いという概念がなくとも、せっかく心を積んでいるのだから気遣いを見せて欲しいところだ。
しかし、むしろ心があるからこそ自分優先の多目的支援型アンドロイドは、シュノンを一切気に掛けることなく進んで突然止まった。白い息を吐き、肺の中を冷たい空気で満たしてようやく彼女の元へと追い付く。
「さぶいつってんじゃん!」
鼻水が垂れそうになってので啜る。しかし、ホープは脇目もふらずに何かを一心に見続けている。
シュノンは文句のマキシマムトルネードを放ちながら不親切な相棒の視線を辿り、
「へ……?」
と驚いた声を漏らす。驚愕に顔を染めて、それをまじまじと見た。信じられない。
目に映るこの光景の信じ切れず頬を抓る。痛い。超痛い。
「これって……」
瞠目するシュノンに、それ以上の動揺を隠せていないホープが声を捻り出した。
「スレイプニール……治安維持軍オーディン直轄部隊ヴァルキュリアが使用する宇宙戦艦です……」
震える声の説明を聞きながら、シュノンは吹雪による視界不良の中それを見つめる。
――全長数百メートルはあろうかと思われる宇宙戦艦が、山肌に突き刺さっている姿を。