神馬
義体の修復には意外と時間を有してしまった。
原因はアイカメラの交換だ。レンズの交換は人がコンタクトレンズを着用するようにはいかないため、シュノンに手伝ってもらうしかなかった。
その作業をなぜかシュノンが気味悪がったのだ。うげぇ、と苦虫を噛み潰してしまったかのような声を出して彼女は、
「何でここ無駄にハイクオリティなの? 本物の目ん玉みたいなんですけど!」
「当然でしょう。だからこそ私はアンドロイドなのです」
誇りながらホープは説明。機械でも、ましてや人でもない。それこそがアンドロイド。人間的でいて、機械の要素も兼ね備えているからこそ、人波の中に混じっても違和感なく受け入れられる。
だというのに、シュノンは取り出した義眼体を気持ち悪そうにつまみ、
「いやだぁ、これ。ホントやだ」
「カエルが平気なら問題ないでしょう?」
「そういう問題じゃないって。あぁ……しばらくごはんが喉を通らなそう」
「意味不明です。私の義眼がカエル以下だというのですか……?」
「や、カエルと張り合ってもしょうがないから。なんでそこで拗ねちゃうかな……」
首を傾げながら、恐る恐る右眼へとパーツを押し込んでいく。おっかなびっくり挿入したので映像が乱れて画面がちらつき、ノイズが縦横無尽に亀裂を作る。
「もう少し丁寧にお願いします!」
「んなこと言ったってさぁ、えい」
強引に押し込まれるレンズから発生する接触が、ホープの触感センサーを刺激してくる。
「う、く、くすぐったい……」
「あーその情報いらない。眼の奥くすぐったいとか聞きたくないわ」
「事実なのですから仕方ないでしょう」
「報告がいらないって言ってんの。親しき仲にも礼儀ありと言いましてね」
「この事例には当てはまらない……シュノン」
ようやく納まった右眼が、シュノンの後方からやってくる人影を捉えた。
「お、ミャッハーたち」
「ミャッホー。やっぱり帰ってきたのかにゃ」
「キングの言った通りにゃ! ミャニュー!」
現れたのはミャッハーたちとネコキング。ミャッハーのひとりがネコキングに抱き着くと、彼は満更でもなさそうな顔となった。やれやれ、これだから男は。眼前で肩を竦めるシュノンからネコキングへとフォーカスし、ホープは謝罪を行った。
「申し訳ありません、ネコキング。ご隣人たちは……」
「良い。事情はこの子たちから聞いた。我が隣人たちは、我輩に良い顔をして裏で悪行を繰り返していたようだな」
納得ずくだったネコキングを見て、シュノンが意気揚々と捲し立てる。
「大爆発って感じだったよ。ハリウッド級! CGじゃなくてモノホンの爆発にこだわってたね!」
「CGであったらどれだけ良かったでしょうか」
なぜか興奮気味のシュノンに呆れつつも、ホープは安堵していた。これでネコキングと無用な争いを起こさずに済むだけでなく、彼をゼウス陣営から切り離すこともできた。
微笑を浮かべたホープに、彼はさらなる嬉しい知らせを届けてくれる。
「我輩もお前たちに協力しようと考えている」
「本当ですか!?」
喜びに目を見開いたホープにネコキングはいかにも、と仰々しい態度で応じた。やるじゃんキャッツ! とシュノンも喜んで肘でつんつんしてくる。
「我輩にとってもお前たちとの協定は実のあるものだ。いくつか修理できずに困っていた機械もあったからな。優秀なメカニックとやらに修理を頼もう」
「あのニワトリはいつでも利用オッケーよ! さってじゃ、早速――」
とプレミアムに追加された通信機器を起動しようとしたシュノンへ、ミャッハーたちが立ち塞がった。何さ、と問うシュノンに彼女たちは両手を差し出す。
「にゃ、報酬をお受け取り」
「は……?」
「今までの護衛任務の見返りにゃ」
「はへ!? え? チャラじゃないの!?」
驚愕するシュノンへ、ミャッハーたちはジェスチャーで見えない箱を順番に横へ渡す動作をした。
「それはそれ」
「これはこれ」
「にゃ!」
「うぜえ!」
愛らしい笑顔を振りまいて空気ボックスを差し出してきたミャッハーに憤るシュノン。
彼女の背後に立つネコキングの険しい表情を見て、慌ててホープはマスターを言い包めた。
「か、彼女たちの言う通りですよ。しっかりと報酬分は払いましょう。共和国時代にも仕事に応じた適性賃金を払わなければ悪質企業認定されて、業務体系の改善が――」
「あーもうわかったよ、くそ! 払えばいいんでしょう?」
ぶっきらぼうに言って、シュノンは中濃縮エナジー缶を投げる。しかしミャッハーたちの反応はシュノンの予想とは異なり、首の横振り。さらに苛立ったシュノンは高濃縮缶を放り投げた。
「持ってけドロボー!」
「まいどありにゃー」
「そうカリカリしないでください。まだエナジー缶は残ってるのですから」
シュノンの感情を落ち着かせながら、エナジーの補給のためにエナジー缶へと手を伸ばす。と、その手を彼女が掴んだ。はい? と疑問視するホープへシュノンは迫真の顔つきで言う。
「ダメだよ、飲んじゃ」
「え? で、でもエナジー残量が……」
「食事だよ、食事で賄って」
シュノンはホープの手から高濃縮エナジー缶を没収。慌てたホープは急いで反論を捲し立てた。
「で、ですが本当にもう少しでエナジー不足に陥ります! エナジーの補給は急務で――」
「ほい」
ぽいっと弧を描いたのは、低濃縮エナジー缶。受け取ったホープは露骨にフェイスモーションを歪めた。
「こ、これは低濃縮……」
「何か文句ある?」
「人並みに言えばこれはあまりおいしく……」
「補給したいんでしょ? ねえ」
理不尽なことを冷たい視線で言い放つシュノン。マスターの横暴ぶりに戦慄しながらも、ホープは泣く泣く低濃縮エナジー缶のタブを開けて一口含んだ。
あまり好ましいとは言えない味を味覚センサーが検出する。アイカメラからほろりと一筋の処理液が零れた。
「まぁなんにせよ、だ」
一連のやり取りを静観していたネコキングが口を開く。ホープとシュノンをそれぞれ交互に見つめた後、腕を組んで彼はこう告げた。
「今日から我々とお前たちは盟友だ。これからはよろしく頼むぞ」
「了解キャッツ!」
「もちろんです、ネコキング。うぐ……」
跳ねるように言ったシュノンに合わせ、ホープは元気よく応じた。低濃縮エナジーの低品質な味に顔をしかめつつも。
レポートを行動ログを参照しながら速やかに作成し、ホープは新設された情報網を使ってメカコッコへと送信した。セキュリティには万全を期しているし、この情報をゼウス陣営に見られたとしても大した問題はない。
位置情報さえ知られなければ特に問題はなかった。もっとも、既に場所が知られている可能性があるため、メカコッコは対策を取っているという。
『レポートがたった今届いた。拝見させてもらうよ』
「お願いします、メカコッコ」
簡易的な通信機器ではホログラムの再生は不可能だっため、ホープは新生メトロポリスに設置されるカメラと自身のアイカメラをリンクさせて、メカコッコの姿を目視していた。音声情報だけでも問題はないが、なるべく姿は確認しておきたい。
幸いなことに、彼はいつも通りのニワトリだ。首を左右に動かしながら部屋の中を無意味に歩き回っている。
「姫様はどうなされましたか」
『王女殿下は私の予想以上に仕事を行ってくれている。賛同する同志も数を増やしている。我々よりも統制された組織はオリュンポス十二神を除いて他にいないだろう』
「ねえ? どんな感じ? お姫さんいるー?」
「ちょっと、シュノン。前で跳ねないでください……失礼しました」
ぴょんぴょん跳ねてホープのレンズを覗き込むシュノンを抑えて、ホープは会話を続行する。メカコッコはさして気になる様子もなく笑声を漏らした。
『構わないよ。どうやら彼女も無事なようだね』
「情勢に何か変化は」
『相変わらずゼウスたちが何をするつもりなのか、はっきりと確証を得られていない。だが、こちらも着実に力をつけつつある。チュートンは回収部隊を率いて君が教えてくれた座標に向かい、大量の機械部品を発見してくれた。ジェームズは仲間たちと共に供給ルートを順調に開拓中だ。ウィッチは義体の復元を完了し――っと』
『こうして無事にぴんぴんしてるぞー?』
「先輩……良かったです」
先輩が通信に割り込んできて、ホープはホッと安堵する。反面、前に立つシュノンはげ、と露骨に嫌がる表情となって、
「あ、後で報告よろしく……ってな、何さ?」
がっしり二の腕を掴まれて、困惑気味に訊ねる。
「捕まえたー。……また割り込まれたようです」
観念した口調で告げたホープに、シュノンはますます顔を歪めた。
「嘘でしょ? またハッキングされたの!?」
「先輩以上に電脳戦が得意なアンドロイドはいないのでってことさ。逃げられないぞー」
「あー最悪……毒を仕込まれてたくせに……」
じとっとした視線で文句を言うシュノンに、今回ばかりはウィッチもホープの義体を通して謝罪する。先輩は謝るべき時にはちゃんと謝れる性格だ。
「それについては本当にごめん。まさか最初から盗まれる前提だったとはね……仕方ありません。それがゼウスたちのやり方ですから。うん。気を付けないといけない――」
「だから一人二役すんなって! しゃべるなら交互にしゃべって!」
怒るシュノンへウィッチは後ろ髪を掻きながら、
「やーごめんごめん。ブリューちゃんいたらこんなもんじゃすまなかったなー」
「ブリュー? 変な名前」
ウィッチの口から唐突に放たれた愛称は、ホープが最も苦手とするタイプの名称だった。苦りきったフェイスモーションに表情を変えたホープは、慌てて話題転換を要請する。
「先輩、その話はもう。あーそういやあんま仲良くなかったよねえ、二人は。はい、あの人はあまり得意な方ではなかったので。そーそーいっつも説教されて――」
「だから!」
「わかった、わかったからそうカッカしなさんな」
ウィッチはシュノンの背中へ回り、肩を揉んでご機嫌取りをした。
「まーさ、無事で良かったよ、ホント。あたしじゃまともに戦えないから、ホープとシュノンちゃんが生きててホント嬉しい。もしシュノンちゃんが死んでたらホープはきっと精神的に死んでたからね。それはアンドロイドにとって致命的だからさ」
「なんかホープが壊れないために生きてるみたいじゃん、その言い方だと」
「でも満更でもなくない? 自分のために生きるってよりは、他人のために生きてる方が目標見失わなくて済むしねー。特にこんな世界では」
「む、それは……」
シュノンが確かに、という顔をする。
平和な時代ならばともかく、今の時代は特にそうだ。環境に合わせてアップデートされるストレスケアのパターンにもその兆候は見られる。
自分のために生きる生き方も間違いではないが、今の混沌とした世界の中では、死にやすくなってしまう。絶望した時の寄り掛かりがなければ、人は躊躇なく死を選ぶ。目標があることはいいことだ。何か生きたい理由があるだけで、人は生存本能を強めることができる。
「ま、情けないポンコツアンドロイドを、スーパーシュノンちゃんが導かなきゃならないしね」
「それを言うなら私も以前に増して、シュノンを守らなければなりません。人を守ることが私の使命ですから」
一言申したくなったホープが表出権を獲得し、胸を張るシュノンに言う。シュノンはふっと笑って、ホープに拳を突き出してきた。その行為がシュノンがよく見ているデジタルアーカイブ、映画特有の友好表現であると思い出し、拳と拳を突き合わせる。
「……で、ウィッチは?」
「たぶん、先輩にまたハメられたのでしょう」
既に先輩はホープとのリンクを切っていた。レンズの内側、新生メトロポリス側でカメラに向かって手をひらひら振っている。
『仲が良いことはいいことだよー? こっち戻ってきたらよろしくねー!』
「何がよろしくなのかはわかりませんが……よろしくお願いします」
ホープとウィッチの会話が終わると、メカコッコは咳払いをし、
『……まぁ、報告は後で構わないだろう。一度こちらへ戻ってきてくれ。実は先日から奇妙な反応をレーダーが検出していてね』
「奇妙な反応とは?」
『宇宙からの通信だ。恐らく最新式の粒子通信を使用しているため、互換性に難があってまだ解析できてはいないが……』
「ゼウスの罠、ですか?」
即座にプロメテウスエージェントとしての思考ルーチンに切り替えたホープに、ウィッチは首を横に振った。
『にしては、甘いんだよねえ、暗号化が。あたしがちょろっと介入しただけでばっちり収集自体はできたし』
「また私たちを釣るためのニセ情報では」
「いーや、流石のあたしも何度も引っ掛からないって。それにこの暗号化のパターン、懐かしい匂いがすんだよね。既視感ありあり」
「匂い、ですか」
『そ。あたしにとって情報とは感覚だからね。それこそさっき話題に出てた……っと、お、なんかいい具合に』
「先輩?」
ホープが疑問視する前で、ウィッチは横にホログラムを出現させた。映像を直接タップして、コードを入力し始めた彼女はちょっとごめんねー、と謝罪して、
『今からマジモード入るから、後でおいおい連絡するよ。博士、キーを変換再配置して、情報海の流れを調律するから、それを――』
「わかりました。それでは」
通信を終えて、シュノンへと向き直る。シュノンは灰の髪を潮風になびかせながら訊いてきた。
「どうなったの?」
「とりあえず一度帰還するようにと。次の方針はそれからですね」
「ようやくこのくそったれ海からおさらばできるよ」
「海は生命の母ですよ? そのような罵倒は」
「あーはいはいはいはい。ごめんなさい」
「はいは一回、ですよ」
「はいはい」
シュノンはホープの諫言をあしらいながら、運転席へと乗り込んだ。ホープは言われるまでもなくミャッハーたちの元へ向かい、帰還する旨を伝える。
ミャッハーとネコ語でのコミュニケーションを愉しんでいたネコキングは残念がったが、すぐに会えるにゃと元気よく言われてすぐに機嫌を良くした。
「では盟友よ。近いうちにまた会おう」
「はい。またの機会に」
「ばいならー」
プレミアムのエンジンが始動し、同時にミャッハーたちのクルーザーバイクも唸りを上げた。シュノンがアクセルを踏み出した瞬間に、ミャッハーグループもバイクを発進。砂煙をあげて、メトロポリスへと帰還する。
「じゃにゃー!」
「再会を楽しみにしているぞ、麗しい娘たちよ!」
ミャッハーとネコキングの挨拶が窓から聞こえてくる。シュノンは上機嫌でハンドルを握り進んでいた。
「いいねいいね! あの狭苦しい潜水艇とは大違い!」
「あれに比べればプレミアムは幾分快適ですね。比較的、ではありますが」
「ならわからせてあげよっか? プレミアムの素晴らしさを!」
シュノンの言葉に、記憶回路が再生される。乱暴極まりない運転の再来を予測演算したホープは、慌てて基本拒否モーションである首の横振りを三度も行った。
「結構です……」
「ちぇー、つまんないの」
つまらなそうに前方へと視線を戻したシュノンを見て、ホープはエアーを放出。後方では、ミャッハーたちの楽しそうな笑い声が響いている。
「ごちそう振る舞ってもらったらしいよね。私も食べたかったなぁ」
「またたびがどうとか言ってましたね」
主にネコの好物として知られるまたたびだが、食用のものも存在しているのでネコのコスプレをしたミャッハーたちでも問題なく食べられる。未知なる味に興味がないこともなかったが、シュノンの驚異的食生活による偏食が続いている今、新しい食材に挑戦するメンタル値には達していないとサイコメトリックスは診断していた。
「今日こそはまともな食事をしたいところです。魚を獲ってくれば良かったですね」
「大丈夫。今日はまともだよ? まともなカエル焼き! カエルはどこでも生活しているからね!」
「……進化というものも考えものですね。どんな環境にも適応してしまうとは……」
共和国時代には、カエルはそこまで万能な生物ではなかった。出現する時期は決まっており、極度に熱いもしくは寒い環境では休眠状態に入っていたが、崩壊世界ではどんな環境にも出現する。
幸いなことにエンカウントこそしなかったが、砂漠では砂漠ガエル、海では海ガエルもいるらしい。降雪地域では雪ガエルなんてものもいるとメカコッコから教わった。
「カエルがいるから、世界は回ってるんだよ?」
「その意見には同調しかねます……」
難色を示すホープにシュノンは左手で天井を指さして、
「空からカエルだって降るし。フロッグツキーズ……」
「ファフロツキーズ現象のことなら嵐が原因ですよ」
「そーそー、ファフロなんちゃら。あれあると超ラッキー。カエル食べ放題!」
「不幸だと私は考えますが」
カエルが空から降ってくるなど怪奇現象以外の何物でもない。原理がわかっていても、心理的恐怖というものは誘発されるものである。
シュノンはホープがカエルが嫌いという事実をきちんと認識していない節がある。犬やイモムシ、蛾や触手状生物ほどではないが、好んで観察するような存在ではない。ましてや食べるなど言語道断……であるはずが、ここ数か月における旅路ですっかり慣れてしまった感がある。
改めて、自分の嗜好を伝達する必要があると思い立ち、音声による情報共有を試みようとしたホープは、
「シュノン、今一度伝え――」
「ほい、保存ガエルの串焼き!」
「ひっ!?」
突然目の前に差し出されたカエルの丸焼きに、フェイスカラーを青くした。
悲鳴を漏らしたホープにシュノンは首を傾げながら、
「何? 虫でも付いてた?」
「何でカエルを保存しているのですか!」
「だって、食料がピンチになったらてーへんでしょ?」
相変わらずのおかしな言動をしながら、シュノンは運転そっちのけでホープに言う。自分が普通であり、ホープが異端であるとでも言いたげな表情をして。
しかし、ホープはシュノンの表情スキャニングから読み取れる彼女の思考に異を唱え、カエル焼きを下げさせながら応じた。
「いりませんよ、カエルは!」
「でも何だかんだ言って今まで食べてきたじゃん? おいしさは保障されてるよ?」
「それは否定しませんが、おいしければ良いということでもないのです。食事とは栄養補給の他に健康維持のために行う生活行動。その健康とは肉体的な栄養バランスだけでなく、精神的なものも含まれます。私にとって、カエルとはメンタルブレイクをもたらす――」
「ごちゃごちゃ言ってないで食いなって、ほい」
「むぐっ!?」
対人マニュアルに従いシュノンへ交渉を続けていたホープは、強制的に口の中へカエルを突っ込まれてくぐもった声を上げる。この暴挙は予想外だった。よもや無理矢理口の中へカエルを放り込むなどとは。
「あ、う、は!」
「ね? やっぱりうまいでしょ? 肉は熟成させるとうまいんだよ?」
「けふ……こふ……うぅ……」
「そのうちカエルなしじゃ生きられない身体になるって。だから安心……」
にこやかな笑顔でおぞましいことをのたまうシュノンにホープは涙目のまま反論。
「どこに安心できる要素があるのですか! カエルに中毒性なんてものはありませんが、共和国が復興した暁には法律にカエルの摂取を禁止する法案を盛り込みます!」
「これが圧政って奴? ホープは汚職政治家? 革命戦士が必要だぜ! カエル革命を起こそう!」
「その組み合わせはやめた方がいいですよ……」
エナジー変換器にカエルが伝送されたことを確認し、嘆息しながら前を見た。そしてハッとして、ハンドルへと手を伸ばす。
「シュノン!!」
「ってやば!!」
前方へと視線を戻したホープが捉えたのは、進路を塞ぐ巨大な岩石だった。危うく激突するところをギリギリ回避し、今度は安堵のエアーを吐く。
「危うくカエルに殺されるところでした……」
「カエルに罪はないよ! 冤罪よくない!」
「そもそもシュノンが余所見運転をしたせいです! シュノンの運転は本来なら免許はく奪処分が順当なんですよ!」
「んなこと言ってもここにポリ公はいないですしー」
余裕を振りまくシュノンに千年前から変わらない事実を述べる。
「ここに治安維持軍プロメテウス所属のエージェントがいますよ。本当ならば、いつでもその腕に手錠を掛けて更生コロニーに送りたいところです」
「権力の悪用だ! 検察に逮捕されるよ!」
「私が逮捕する側なのです、シュノン」
呆れて物も言えない。疲れ切ったフェイスモーションを浮かべて、背もたれに寄り掛かった。
不思議と奇妙な感覚に包まれる。今でこそこうしてシュノンを窘めているが、昔はむしろ同僚と意見がぶつかることもあった。正義と悪のぶつかり合いではなく、正義と正義の激突の方が、その実対処は難しい。前者は単純に悪を倒すだけでいい。しかし、後者は互いの妥協点を見つけ合うまで止まらない。
黄金の種族の出現で、そのような争いは滅多に起きなくなった。しかし、相手の心を読めたとしてもどうしても問題が発生してしまうケースがある。
そのような事態が起きた時、解決は困難を極めるのだ。諍いの理由が単に相手の心情がわからなかった、というものであれば心理光の読み取りで決着がつく。
だが、心理光を……相手の想いを知った上での争いは、収束に大きな時間が掛かってしまう。
(ヒルドさん……)
結局、世界が崩壊する時まで距離を縮めることができなかった。
アンドロイドはマスターの指示に服従するべきという思想を持った同僚とは。
※※※
「過去を回想しているのか」
マスターの隣で直立不動し、モニターから周囲の状況を確認している自分に、マスターはそう言った。訊いた、ではない。事実を口にしたのだ。
「はい、マスター。予習も兼ねて」
ブリュンヒルドは感情を伴わない淡泊な音声出力で応える。指揮官席に座るシグルズは、地球を見据えたまま続けた。
ブリュンヒルドもまた、目的地を俯瞰しながら聴覚センサーを傾ける。
「彼女と協力はできないか?」
「いえ。マスターのご命令とあらば、私は」
「言い方を変えよう。彼女と交遊を深められんか?」
ブリュンヒルドはマスターを見つめた。質問の意図がわかりかねる。
「……おっしゃる言葉の意味が理解できません」
「私と彼女のマスターは親友だった。接触機会も多かった。だがお前は彼女と距離を縮めるどころか、むしろ距離を取っていたな」
「マスター同士の交流は有意義ですが、アンドロイド同士の交流に何のメリットも見出せません」
あくまで冷静に、必要最低限の言語要領で応答する。が、シグルズはにやりと微笑んで優しげな眼差しを覗かせた。
「彼女のことになるとえらく感情的になるな、ブリュンヒルド」
「そんなことは、ありません」
アンドロイドの感情は人間に共感するため搭載されたもの。全ては人のためだ。
人間を保護し、彼らに危害を加える外敵を討伐する。社会を検閲し、心理レベルが危険域に達した者を捕縛、然るべき処置を加えたのち更生させる。
人間が第一であり、自己の保全は二の次だ。道具に備わる感情は必要分だけでいい。ずっとそう考えて、国の平和のために戦ってきた。ゆえに、”彼女”の出現は自身の思考ルーチンに疑念を植え付けた。
(感情を優先するアンドロイド……。なぜそのような欠陥品を)
未だその疑問は解けていない。さらに不思議なのは、その欠陥品に人類の希望が託されたことだ。カタログスペックだけを見れば申し分ない。彼女の性能は自分と比較しても甲乙つけがたいものであることは明白。
しかし、命令を逸脱できる権限を搭載した個体に託すのは、いささかリスクが大きすぎる。安心要素より、不安要素の方が高すぎるのだ。過ぎてしまった今、過去に戻ることはできないが、もし自分が過去に戻れるのなら彼女とは別の個体を推薦するつもりでいる。
「彼女が自身の役目を果たすことができていれば、マスターのご友人は……」
「彼女は十分に役目を果たしてくれている。今は納得できないだろうが、直に明らかとなるだろう」
マスターは厳かに、確信した目つきで告げる。ブリュンヒルドはそれ以上何も言わず押し黙った。これこそがアンドロイドとして理想の姿。
しかし、彼女は平然とこう言うだろう。必要に応じて主に進言することも、アンドロイドの務めです、と。
「…………」
感情アルゴリズムに若干の怒成分が混じり、無であるはずのフェイスモーションに僅かな変化が生じた瞬間、マスターが急に指令を飛ばした。
「リン、転移だ」
「シグルズ様……?」
何の前触れもない転移命令に、操舵士であるリンが振り返る。ブリュンヒルドはマスターの意志を尊重しすぐに命令を復唱した。
「リン、命令通りに。転移を」
「は、はい! 転移します! 座標は……」
「こちらから指定する。ワープドライブを起動させろ」
マスターはパネルを操作して座標コードを打ち込み、リンが指示された通りに転移する。艦艇が虹色の光に包まれて、別の地点へと転移。
瞬間、閃光が先程いた地点に奔った。
「な、何ですか!?」
若い少女であるリンが困惑する。反対にシグルズは冷静沈着のままだった。指揮官としてあるべき姿をその身を持って体現している。
「強烈な善意を感じる」
「悪意ではなく、善意ですか」
「そうだ。ゼウスのやり口だ。……物資搬送機を兵器へと転用したな」
「オーディンの遺した救済機を兵器に? しかし、あれは王族の血がなければ起動できないはずですが」
シグルズに淡々と情報提示するブリュンヒルドに、シグルズは同調しながらパネルをタップする。
「そうだな。つまり、連中はコールドスリープしていた王族を発見したということだ。……ここまで近づけば、微かにだが思念を感じる。次、来るぞ。右方へ舵を取れ」
「は、はい!!」
リンは右へ舵を取った。直後に左舷へ光弾が煌めく。転移しても敵の精度が下がるどころかむしろ増すばかりだった。そもそも敵は照準器で狙いをつけているわけではないので、距離を取ったり位置取りを変えた程度では意味がない。
「このままでは遠からず命中する。一気に速度を上げて地球へ進め。大気圏さえ突入してしまえばこちらのものだ」
「で、ですがまだかなりの距離が……!」
「転移しろ」
「それでは船が持ちません!」
ワープの連続使用は、ワープドライブに多大な負荷を掛けてしまう。それを心配しての発言だった。
「構わない」
しかしマスターはリンの叫びを一蹴。ブリュンヒルドも既にその算段で準備を進めていた。新米であるがゆえに絶句したリンに、シグルズは平然としたまま命じる。
「船は放棄する。リン、ワープしたら君は脱出ポッドへ向かえ」
「え、で、でもスレイプニールがなくなったら、私たち!」
リンとシグルズの最終目標に相違があると多次元共感機能が指摘。
「落ち着いてください、リン。ここが帰る場所です。私たちの故郷は火星ではない」
ブリュンヒルドが鎮静効果を高めた音声波形で言い聞かせると、リンは動揺しながらも首肯を返した。
そのやり取りを見ていたシグルズがブリュンヒルドに視線を投げる。
「ブリュンヒルド、私に力を貸してくれ。死線に身を投じるぞ」
「了解しました」
マスターの要請に、ブリュンヒルドは何ら疑問を浮かべることなく従った。
マスターに従順に、不平を漏らすことなく従う。
アンドロイドの手本として。自身の感情を度外視する、命令優先型として。




