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機械少女の継承 アンドロイドとスカベンジャーと  作者: 白銀悠一
第四章 試練

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24/65

ゆりかご

 ゴーグルで明るさを調整したとしても、何もない深海は恐ろしい。辺りに広がるのは全身を包み込む水と、爆発した施設の破片だけ。

 水圧死はダイビングギアで回避されている。死ぬとしたら、酸素の枯渇。

 息ができなくなって死ぬ。酸素メーターは刻々と酸素量の減少を教えてくれる。

 そのことが返って恐怖感を増長させていた。どうせならわからなければいいのに。

 わからなければ、死のタイムリミットを意識しないで済むのに、と。


「ホープ……」


 どちらが上なのか下なのか。右なのか左なのかもわからない海の底で、シュノンは希望を探し求めていた。

 だが、彼女は吹き飛ばされてしまった。深海施設の爆発に巻き込まれて。

 しっかりと手を握っていればこんなことにはならなかったかもしれない。いや……それではホープはポセイドンにやられて死んでいただろう。

 今度は自分の意志で手を離した。彼女を守るために。クレイドルの二の舞を避けるべく。

 その結果がこれである。自分の死。溺死……呼吸不能による死は苦しいだろうが、それでも希望はある。ホープが死ぬことはない。たっぷりと時間を掛けて地上に戻れる。

 その事実が、折れそうな心をぎりぎりで保たせてくれている。シュノンはそっと目を瞑った。


(クレイドル……)


 不思議と懐かしき相棒が目の前にいるような感覚に包まれる。クレイドルは女性であって、人間ではなかった。そして、アンドロイドですらない。

 彼女は自分のことを児童養育支援ドロイドだと言っていた。感情はなく、愛もなく、心もない。ただそういう義務があるから自分を救い、養育したのだと。


(結局、愛って何だったの)


 クレイドルが破壊される少し前、シュノンは彼女に問うた。愛とは何なの、と。

 彼女は当初搭載されているデータベースで検索し、共和国知識の通りの説明をした。それに不満を持ったシュノンによるさらなる追及に、とうとう彼女は、


「わかりません」


 と返答していた。その後、彼女は暴徒に襲われたシュノンを守るべく身を挺して壊れた。

 その時のクレイドルの顔を覚えている。ホープよりもフェイスパターンが少ない安物の養育ロボットはなぜか。


(笑っているように、見えた。ぎこちない、テンプレートの笑顔しかできないはずなのに)


 それが愛というものだと、シュノンは考えるようになった。正しいのか間違っているのかはよくわからない。

 でも、ホープと共に過ごすことでいつかわかる日が来るのではないか。

 そんな期待もあったが、今となっては叶わぬ願い。


『酸素量の減少を確認』

「無粋なギアめ」


 人が感傷に浸ってるところに割って入った無礼なギアは、酸素が現在進行形で少なくなっていることを逐一報告してくれる。

 とても親切で涙が出そうだ。同時に心折でもある。

 ――この忌々しいギアは、どうにかして見て見ぬフリをしようとしている私を、現実に引き戻そうとして来る。くそったれ。わかったところでどうしようもない。どちらが上なのかも定かじゃないってのに。

 しかし、ギアはシュノンの事情などおかまいなしに、酸素量がヤバいと何度も喚いてくる。お節介過ぎるこのAIをどうやって黙らせるか思案を始めたシュノンは、丁度、自分がクレイドルにも同じことをしようとしていたことを思い出した。


「あーそうだったそうだった。あまりにも注意がうるさいから黙らせようとしたっけ……」


 だが、クレイドルの方が一枚上手で。むしろその行為を逆手にとって、より注意喚起率が増したのだ。

 一体どういう不具合バグが教育用ドロイドを戦闘及び隠密行動のスペシャリストに仕立てあげたのか、今でも疑問だ。シュノンに自衛方法とサバイバル知識を教えたのは、本来は勉強や常識を叩き込むための養育ドロイド。

 そういう不具合バグを調律するはずのメカコッコは、むしろクレイドルの行動を推奨していた。


「はぁ、全く。あなたは結局何を考えていたわけ……」


 殺し方を教えながら、シュノンが実際に人を殺せば注意し。

 治療方法を教示しながら、実際にシュノンが怪我をすると窘め。

 そしてシュノンが死にそうになると、自壊すら厭わずにその身を差し出した。


「ホープと比べると、ぎこちなかったけどさ」


 頭の中に、クレイドルの全体像を思い起こす。戦闘に不向きなメイド調の衣装。なぜか大型のバトルライフルを背負い、サブウエポンに大口径のマシンガンを使っていた。しかも、片手で。

 お前はバトルマシーンか。そう突っ込みたくなるほどの暴れっぷりだった。


「はは……今ぐらいの腕前があったら」


 ――もしかしたらクレイドルを救えたかもしれない。


「ああ……いけないいけない。後悔は禁止だった……」


 そもそも、クレイドルが強くなった自分を参戦させたかどうかすら怪しい。クレイドルはシュノンに殺人を強要することは一度もなかった。どうしようもない時の最後の自衛手段として教え込んだのだ。

 ホープの《《普通》》と出会った今なら、彼女の言わんとしていたことがわかる。

 彼女はシュノンを市民……人間として育てたかった。条件反射と生存本能で動く獣ではなく。

 弱肉強食な世界の中、獣であれば人よりも生きやすいのかもしれないが、それはあくまで自分が強い間だけである。

 もし、より強力な獣と鉢合わせた場合、哀れな被食者として食されるしかない。

 だが、人ならば。学習し協力し合える人間ならば。

 強敵に対し共闘し、弱いままでも生き残れるかもしれない。


「言ってくれれば良かったのに」


 すぐさま、私はお伝えしましたという幻聴が脳裏に響く。


「ああ、そうだったね。そうだった」


 クレイドルは大切なことを全て教えてくれた。

 例え絶望しそうになっても、希望は捨ててはいけないと。

 一パーセントでも生存の確率があるのなら、諦めてはいけないと。


「でも……もう」


 自力ではどう頑張ったって間に合わない。

 悔恨するシュノンの脳裏へ、再び声が響いた。


 ――そのための仲間です、シュノン。助け合いの精神は、あなたの生存確率を上昇させてくれます――。


 クレイドルは笑っていた。シュノンを励ますように。シュノンを元気づけるように。

 そして、自分の生存そのものが嬉しくて、ぎこちない笑顔で笑っていた。


「シュノン!! 聞こえますか!!」

「……ホープ!?」


 クレイドルの残像が掻き消え、その先からホープが接近してくる。

 必死な表情の中に笑顔を交えて。


「シュノン!! ようやく見つけました!!」


 歓喜を顔に張り付けて、シュノンに手を伸ばしてくる。


「ああ……わかったよ、クレイドル」


 ったく。仕方がない。本当にどうしようもない。

 まだ生きろって言うのなら、私の生存がそんなに嬉しいってんのなら……。


「まだ諦めないよ、私は」


 シュノンは手を伸ばし返す。

 二人は互いの手を握りしめて、海上へと急速浮上を始めた。



 ※※※



「でも、ホントに私を見つけるとは……」

「しっ、静かに。酸素量が少ないのです。発声は控えてください」


 シュノンの状態をモニタリングをしながら、ホープは警句を放った。現在の測定値では海上まで酸素が持つかは微妙なところ。現在の深さからでは、万全状態での全速力を持ってしてもギリギリだ。


(損傷率四十二パーセント……行けますか)


 スクリューで全力で浮上しながらホープは生存確率を計算する。

 生存率……そのあまりの数値の低さにホープは目を逸らした。

 確率なんてくそったれ。シュノンが以前言っていた言葉を復唱し、浮上行動に全容量を注ぐ。


「なるべく呼吸量を抑えて。耐えてください」


 こんな事態になるのなら、大容量の酸素ボンベを無理やりにでも積んでくるべきだった。敵の自爆は予想できなかった、などという言い訳は通用しない。


(ですが後悔している暇はありません)


 早急に海上を目指す。最短ルートを算出し、一直線に上昇していく。

 抱き上げるシュノンは呼吸を可能な限り少なくして、ホープに身体を預けていた。見上げるのは信頼の眼差し。その瞳はホープに力を付与し、出力も向上している。


(光量の増加を確認。もう少し……)


 暗い海から明るい海へと視界が変化し、魚の種類も深海魚から通常の遊泳魚等に種類が変わった。目まぐるしく変わる海内の景色に目を奪われそうになりつつも、思考ルーチンは常に上へ泳ぐことだけを考えていた。


(この調子なら……ッ!?)


 現状の速度なら何とかなる。そう判断を下し感情アルゴリズムを安堵のそれへと移行しようとした瞬間、


「んんッ!?」

「シュノン、静かに……ッ」


 驚く声を漏らしたシュノンを制しながら、ホープは進路方向を遮った巨大な影を観察する。大量の足を持つ軟体生物。全体スキャニングで、全長を優に三十メートルを越えるその生命体はクラーケンであると判定が出た。

 遺伝子改良を施された巨大なタコである。加えて、ホープが苦手な触手状の足を八本も持っている。


「ひ……!」


 ホープは委縮した声を出すが、同じように怖がっているシュノンを見てすぐに気持ちを切り替えた。ここで立ち止まっている時間はない。そして、迂回する時間も惜しい。


「クロスボウを!」

「え? 戦う気?」

「しゃべらないで! 私の指示に従ってくれるだけでいいのです!」


 シュノンはこくこくと頷いて、背中に提げていたクロスボウを差し出した。ホープは右手で受け取り、左手でシュノンを支えながら射撃を行う。図体が大きいので特に狙いをつけなくとも命中した。

 ぷっくりと膨らんだ赤茶の頭部に刺さった矢。しかし、クラーケンは何事もなかったかのように平然としている。


「矢が小さすぎる……! しかし」


 クラーケンは既にホープたちを捕捉している。恐らく、脱出を阻止するためにポセイドンが用意していたのだ。クラーケンは打ち込まれた遺伝子コードに従って、ポセイドンの遺志通りに動く。大量の足がホープたちを阻み、巻き取ろうと迫り来る。

 足にある吸盤を目の当たりにし、ホープは思わずフリーズしそうになる。寸前のところで気配を察知したシュノンがホープを叩き、直撃を喰らう前に避けた。


「忌々しい生命体です! デビルフィッシュ……!」

「ふむ、へむむむほむー!」

「わかってます。どうにかしますよ」


 ホープはクロスボウを背中に仕舞い、代わりに右手を銃のカタチにした。フィンガーピストルのセーフティを外し、グラップリングフックの照準をクラーケンに合わせる。


「へも、へへふぁーへーきふぁ」

「黙っててください。全部、わかってますから」


 無理にでも言葉を捻り出そうとするシュノンを黙らせて、ホープはフックをタコの顔に当たる部分で括りつける。そのまま勢いよく突進し、指先を体表に密着させた。

 ぬめぬめとした触感に背筋を冷却させながらも、指の熱量を増加する。


「水中ではレーザー兵器は使い物になりません。ですが……」


 充填が終了し、発射態勢。ホープはシュノンを強く抱きしめて射撃を敢行した。


「レーザーを直に肉体へ触れさせれば!」


 レーザーがクラーケンの肉を焼き、穴を空ける。クラーケンが苦悶に揺らめき、ホープはすぐさま上昇を開始した。

 クラーケンに付き合う理由はない。ただでさえ油断すると処理落ちしてしまいそうなのだ。


「離脱して……ッ!」


 しかしホープに理由はなくとも、クラーケンには本能のレベルで刻み込まれている。ポセイドンの命令に抗うことなく忠実に従えと。もはや、命令を実行するためだけに生きている生命体は、ホープの足をご自慢の触手で絡め取った。


「ホープ!!」

「きき気持ち悪いですね! 放しなさい! 放せッ!」


 チェーンソーを展開し、足を切り落とす。が、吸盤で肉片が張り付き、思いのほか上手く外れない。足をじたばたさせるホープへ追加の触手が襲いかかり、ホープは判断を迫られた。


(まだ使うつもりはありませんでしたが、止むをえませんね!)


 瞬時にホープはETCSの使用を決断。加速力攻撃力防御力全ての性能が格段に強化されたホープは一気に浮上。クラーケンから十分に距離を取り、左脚部に搭載するスタンミサイルを発射。


「終わりです!」


 クラーケンは電撃をまともに浴びて気絶した。水は電気を通すが、ここまで離れれば影響を受けなくて済む。


「これで良し……シュノン?」


 ホープはシュノンに再び水泳開始を伝えるべく彼女を見た。しかし、彼女はぐったりとしてホープに応答を返さない。

 すぐにモニタリング。酸素残量が残りわずか。


「シュノン!! くッ……!」


 ホープは即座に浮上を再開。そうする合間にもシュノンの生命反応はじわじわと弱まっている。シュノンのバイタルサインの低下が、ホープの感情アルゴリズムを刺激し、その影響で義体の出力がさらに増加した。


「気を確かに!」


 しかし空気の枯渇は気力でどうにかなるものではない。それがわかっていながらも、声を掛けずにはいられなかった。幻想的な日光に包まれながら、ひたすらに地上へと進み続ける。

 ようやく海面が視えてきたところで、シュノンのバイタルサインが完全に消失。ホープの心理光を凍りつかせたが、諦めると言う選択肢はホープの中に存在していない。


「シュノン……!」


 浮上したホープは急いで浜へとシュノンを運び、蘇生措置を始めた。適性出力のスタンアームを適性位置に当てて電気ショック。シュノンの身体が跳ねて、ホープは胸部への圧迫を開始。

 応急マニュアル通りの処置をして、口の中へ息を吹き込む。


「シュノン……死なないでください!」


 自分の処理液でシュノンの頬が濡れる。片目に写るシュノンの顔は生気が失せて死人のようだった。何度も措置を繰り返し、もう何回目かわからない人工呼吸を加えようとした時、


「ごほっ! かっ! えふえふ! ヤバい逃げろぉ!!」


 シュノンはいきなり目をかっと見開いて、大声で警告を放つ。そして、自分を見下ろしているのが巨大なタコではなく相棒であると知り、疲れたようなため息を吐いた。


「なんだ……ホープか。ビビッてそんし――な、何!?」

「シュノン……シュノン!! 良かったです! 本当に良かった!!」

「わ! いきなり抱き着かないでよ……」


 そんなことを言われても無理な相談である。ホープはスパークする義体を労わらずに、シュノンへの抱擁コマンドを実行し続けた。今離れろと命令されても従うつもりは毛頭ない。感情優先型なので、意に反する命令は無視できる。


「ちょ……ったく。あなたは自分を信じてなかったの? 私は全く心配してなかったけどね」

「……はい。自分を信じ切れてませんでした。私は」

「や、そこは否定してよ。つーか相当やばかったみたいね……これが噂の臨死体験って奴か」


 ホープが抱擁を解くと、シュノンはしみじみ自分の身体を見つめ直した。感慨深そうに腕を組んで、何かを思い出そうとする。


「変な夢を見た気がする……」

「どんな夢ですか?」


 ホープが夢の内容について問うと、シュノンはうーむと唸りながら、


「……それが、よくわからないんだよね。ホープそっくりの女の人が出て来てさ、私に言うんだよ。あなたはまだ死ぬべき人間じゃない。あなたたちには使命があるって」

「私にそっくり……ですか?」

「そそ。でも、白髪じゃなくて黒髪で、人工的なホープよりも自然に近かった感じ。なんていうか温かい雰囲気で……あれが母親って感覚なのかな?」


 シュノンは首を傾げている。恐らくシュノンは母親というものがどういう存在なのか知らないのだろう。ホープは何気なく自分の容姿とそっくりな人物を検索し、データベース内の記録を漁り出した。


「まぁ、生き返った今となっちゃあ、悪くない体験だったかもね。二度とごめんだけど」

「当然ですよ。もう二度と人工呼吸などしませんからね」


 人工呼吸など研修以外で行ったことなどない。基礎的な治療処置訓練は受けているが、治安維持軍に溺れるような兵士はいなかった。民間人も然り。海洋近辺に所属するアンドロイドならまだしも、宇宙を股に掛けるプロメテウスエージェントに人工呼吸の経験などあるはずがなかった。

 自らの記憶懐古を行っていると、検索結果が表示される。一件の該当データあり。

 気になって参照しようとした矢先、シュノンが深刻そうな顔で問いかけてきた。


「ちょっと待って、ホープ。……今人工呼吸って言った?」

「……? ええ」


 過酷な世界でサバイバルをしてきたシュノンの方が、なじみ深い単語であるはずである。全てが自動化されていた過去とは違って、今は何でも独力でこなさなければならない。


「マウストゥマウス?」

「そうでなくては人工呼吸とは……あ」


 やっと合点がいった。慌てて口元を抑える。

 すると、シュノンは憂鬱な表情を浮かべてため息を吐き出した。


「……いやさ、ね? まず勘違いしないで欲しいんだけどさ、私、別に恋愛とか興味ないわけよ。恋愛映画も好きじゃないし、私が好きなジャンルはドンパチ系だしさ。好きな男ってのもいないし、こんな世界じゃ恋にうつつ抜かしてたりしたら死んでしまいますし」

「は、はい……」


 当惑するホープを後目に、アンニュイなシュノンの一方的な語りは続く。


「でも、でもさ。だからってさ? 消費しなくちゃいけないわけでもないんだよ。確かに使い道はなかったよ? 使う予定もなかったけれど……けれども、いつ予定入るかもわかんないしさ……ね? ここまでで何か質問ある?」

「特に……ありません」


 何を言わんとしているか、ホープの演算能力ならば余裕で推測できる。が、それを口にする勇気はなかった。表示されるウインドウを画面の端へ追いやって、息を呑んでシュノンを見守る。

 シュノンはもう一度嘆息した後に、がっくりとうなだれた。


「……私のファーストキスが……」

「ノーカウントですよ。あくまでも人工呼吸ですから」

「でも行為はまさにキスでしょう! チューって奴でしょう!」

「そういう表現は止めてください。……気まずくなります」

「う……そうだね、止めよう」


 しばしの間流れる沈黙。数分経った後に、今度はホープから切り出した。


「お気になさらずに。こういうものは意思の問題ですよ」

「意思でもどうにもならんでしょうよこれは。次回のチューはどう見繕ったってセカンドキスだよ。いや、予定は未定なんですけどね、へへーんだ!」

「……それを言うなら私だって……」


 ホープはアイカメラを逸らしながら白状する。あまり言いたくはなかったが、この際しょうがない。対人コミュニケーションマニュアルにも、他者との諍いを解決する方法の一つが痛み分けであると記載されている。

 ゆえにフェイスカラーを朱色に染めながら、質疑応答プログラムを奔らせた。


「何? 何だって?」

「私だって、ファーストキスでしたよ」


 丸くなるシュノンの瞳。一幕おいて、彼女は聞き返した。


「…………マジ?」

「マジ、です」


 また静寂が訪れる。潮風が二人の間を通り抜けた。


「は、はは……ははは」

「ふふ、ふ……ふふふ」


 シュノンが乾いた笑いを漏らす。ホープも意味も分からないままとりあえずフェイスモーションを笑みとして、二人同時に笑い出した。

 ひとしきり笑い終えて、同タイミングで真顔となる。その後、シュノンが二、三度何かに閃いたように頷き口火を切った。


「これは二人だけの秘密。超重要極秘事項。いいね?」

「はい。私たちのファーストキスは未だ保守されています。そのように」


 誓約の握手を交わす。秘密の誓いを終えた今、この極秘事項が外部に漏れることはない。例えハッキングを受けようとも、最高クリアランスのセキュリティが侵入者を出迎える。


「……じゃ、ごはんにしよう。って、そうだ! ミャッハーたち! 彼女たちを迎えに行かないと!」

「ネコキングにも事情を説明しなければなりません。それに、メカコッコへの連絡も」


 やるべきことリストは積み上がり山となっていた。まずはパーツ交換をしなくてはいけない。次にネコキング及びミャッハーたちとの合流。その後、メカコッコに詳細報告。ポセイドンから得た情報をまとめたレポートの作成も必要だ。


「忙しくなりそうですね……ん」

「さくっとやってとりあえずメシ……ホープ?」


 プレミアムの場所へと移動しようとしたシュノンが振り返る。ホープは左眼を細めて、レンズの内側に映る情報を眺めていた。


「どうしたん?」

「……いえ、何でもありません。急いで交換しましょう。エナジー残量も残り僅かですし」


 ホープは情報を画面から消して、シュノンの後を追う。


(私とそっくりな人。考えてみれば、検索する必要もありません)


 該当人物はたったひとりしかいない。記録媒体に不備があろうとも、その人物をホープが忘却することは有り得ない。

 まさにゆりかご。自分の母親といっても差し支えない人物。


「私の創造主……まさか」


 小声で呟いて、驚く。彼女は自分が起動する前に死んでいる。

 創造主をシュノンが知り得るはずはない。なのに。


「偶然で片付けてしまうのは味気ないですね」


 ホープは微笑を浮かべながら結論付ける。


「奇跡と呼称しましょうか」


 そこへすっかり生き返ったシュノンが急かしてきた。


「何やってんの、早く!」

「はい、今行きます」


 プレミアムの前に辿りついたホープは荷台から交換用のパーツを取り出す。

 シュノンと共に修復作業を始めた。優しい想いに心理光を浸しつつ。



 ※※※



 眼下には広大な深淵が広がっている。

 世界の元である宇宙と、非常に小さな微粒子が。


「目標……目視確認」


 モニターを通して見るソレは、感情アルゴリズムを僅かに浮き足立たせる。

 端的な感想を述べれば、綺麗な構造体である。だが、その感傷を表出させることは有り得ない。

 青髪の少女は凛々しい、人によっては無感情であるとも思える表情で優先事項を発声する。


「マスターの現在位置……確認」


 至る所に設置された監視カメラの映像をチェックして、主がブリッジにいることを把握。

 報告をするために、ブリッジへと移動を開始する。極力エナジーの浪費を抑えて、効率化された動作によって目的地へと辿りついた。


「ブリュンヒルド」

「マスター、視えました」


 ブリュンヒルドは指揮官用の椅子に座るマスターへ報告する。

 白髪の老人は彼女を一瞥して頷いた。


「そうだな。よく視える」

「……戻ってきましたね」


 フェイスモーションを微笑へ変更。相棒の笑みを見たマスターは青髪のアンドロイドへ笑い返した。


「ああ、そうだ。何十……いや、何百年ぶりか……」

「千年ぶりです、マスター」

「そうか。そんなに経つのか」


 苦りきった笑みとなり、マスターは腰の剣へ触れる。操れる者の限られたレーザーサーベル。一握りの、それも一流の剣士にしか与えられない名剣だ。


「友との約束を果たすべき時が来た」

「……しかし、大丈夫でしょうか」


 覚悟を呟いた主に失礼を承知で物申す。ブリュンヒルドは懐疑的だった。

 本当に彼女が戻ったというのか。アレが自壊せずに生き延びているなど奇跡に等しい。


「間違いない。エルピスコアの波動を感知したのだろう」

「あれは全周波に向けられて信号が放たれていました。怪し過ぎます」

「疑うことも大切だが、信じることも大事だぞ、ブリュンヒルド」

「……ポセイドンの反応が消失したようですね」


 ブリュンヒルドは話題を変える。此度の情報も無関係とは思えないと彼女は推測していた。マスターは前方にある大型モニターを見つめながら応じる。彼も自分と同意見だった。


「ああ。確かに消えた。そのことも信ずるに足る証拠だ」

「ですが、確証はない」

「だが、確信はある」


 マスターは断言する。ブリュンヒルドとしてもマスターの最終決定には異論はない。だが、注意深く、危険を予期する必要がある。いつどこにどんな落とし穴が潜んでいるのかわからないのだ。

 予測演算を行いながら、様々な可能性を選別する。思考ルーチンはどうあってもこのままの進行は危険であるとの結論が出ている。それでもマスターは進路を変えないのだろう。

 危険を承知で、前へ進んでいる。それを邪魔立てするつもりは微塵もない。

 無言となったブリュンヒルドに、主は申し訳なさそうに述べた。


「すまないな、ブリュンヒルド。何があろうとも私は前に進む」

「……私とあなたは一心同体です。死ぬ時も、生きる時も」


 覚悟を言い放ち、主の横へ立つ。

 主は再びモニターを見上げた。視線は画面の中央にある美しき惑星、母なる大地へ向けられている。


「助かる。地球への道のりは過酷となるだろう」


 目的地である地球を見ながら主は呟いた。一度は捨てた故郷だが、今一度、自分たちは戻ろうとしている。人類のルーツ、豊かな自然にあふれたゆりかごへ。


「今まで過酷じゃなかったことがありますか、マスター」

「そうだったな。コールドスリープを用いて、ここまで生き長らえてきた。ようやく、機が熟した」


 年齢を重ねた主は、しかし、精悍とした顔つきで前を見据えている。いくつになろうともその屈強な意志は変わらない。英雄として崇められていた頃から、アンドロイドとして彼に仕えたその時から、眼差しは不変のままだ。


「危惧すべきは罠と」

「……敵の攻撃か。奴には会いたくないな」


 主が苦々しげに言う。誰のことを考えての発言か、データベースと照合しなくてもすぐに理解できた。

 これこそがマスターとアンドロイドとの心理同期《シンクロ二シティ》だ。黄金の種族のように心理光を感覚で掴むことはできなくても、経験で覚えることはできる。


(あの子のような不一致は有り得ない。私からしてみれば、アレは一番の欠陥品と存じますが……)


 だがマスターの友は違った。そして、マスターも優良品と評価している。

 マスターの判断に異言はない。しかし、感情アルゴリズムは好ましい反応を示さない。それでもブリュンヒルドは感情を度外視して自分の意見を封殺できる。これは優れたアンドロイドであることを示す一要因……のはずだ。


「解せませんね」

「そのようなことはないぞ、ブリュンヒルド」


 主は彼女の心を見通したような瞳で言い聞かせる。


「全ては理解が足りぬだけなのだ。ゆっくりと時間を掛けて学べばいい」

「はい、シグルズ様」


 老人シグルズは、古めかしい軍服の脇に差してある剣に再び手を置いた。昔からの癖だ。何かを重大な決断をする時、無意識的に剣へと手が伸びる。


「よろしい。……このまま前進だ。目標、地球連合共和国、人類救済施設ユグドラシル。試練の時だ、皆。地球へ辿りつくぞ」


 マスターシグルズは全部隊に通達。同胞たちからの気合と希望が籠った返事が通信で響く。

 ブリュンヒルドは姿勢を正し、宇宙戦艦スレイプニールの進行を見守った。

 千年の時を経て、ようやく故郷へ戻る時が来たのだ。未だ胸の内に存在する使命を全うするために。

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