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海神

 クレイドルの背中は、時が経つにつれて小さくなっていったことを覚えている。

 正確には、自分が大きくなったのだ。彼女は自分が成長するごとにどんどん儚げとなっていって。

 やがてごく小さなチップとなって、もはやかつての原型を留めていない。機械仕掛けの相棒は、いずれ壊れゆく運命にあった。

 形見である防護処理の施されたチップを握りしめて、シュノンは前に立つ相棒を見つめる。


「このエリアにも敵の気配がします。……ん? どうかしましたか?」


 ホープは神妙な顔つきで訊ねてくる。フェイスディティールも、性能も、彼女は全てがクレイドルよりも完璧だ。だからシュノンは何も言わない。


「別に。こんなとこからはさっさとトンズラ」


 リボルバーを引き抜いて、撃鉄を起こす。水がなければ銃は使える。

 水があっても使えるのだが、あまり撃つのはオススメできない。レーザー兵器よりはマシだが、それでも威力減退や故障の原因になりかねない。


「……まだ怒っているのですか」

「別に」


 ――怒っているわけではない。ただ、胸の奥が、心理的な光って奴がむずむずしているのだ。

 彼女はポンコツではあるが完璧で、しかも自分の同行を許可してくれた。自分の存在が力になると。でも、彼女はどこか自己犠牲的な思考を携えているように思えてならない。

 そういうのは大っ嫌いだ。別に、死んでまで守ってくれとは頼んでいない。むしろ、彼女を守るために、支えるために自分がいるというのに。


「複雑な心理状態のようです。ですが、メンタルケアを行ってる時間は……」

「ないでしょ。というか、ここから出るのが最大のケアだって」


 こんな閉塞感の溢れる海底レジャーランドにいたら、気が滅入ってしょうがない。さっさとトンズラして、後でお説教タイムがベスト……なのだが、再び聞こえてきたのはあの忌々しい呻き声で、シュノンの背筋がピンとなった。


「――!」

「ゾンビ、ですか。しつこい連中ですね」


 ホープが拳銃のセーフティを外す。薄暗いエリアの中には、赤い蛍光ランプが灯るだけであり、ホラー映画のような雰囲気が醸し出されている。高性能なゴーグルは最適な光量で周囲を見やすくしてくれるが、さらさらつける気は起きなかった。

 こういう場面では、むしろ見えない方が気楽である。シュノンは自身の不満などかなぐり捨ててホープの傍に駆け寄った。やべえ時に体裁を気にしている余裕はない。


「……後でじっくり話を聞きますから、まずはここを切り抜けましょう」

「もうそれ何回も聞いてるから。ホントのホントに早く抜け出そ!」

『そう簡単に抜けられたら困るのう』

「ポセイドン!」


 ポセイドンの音声が部屋中を跳ねまわる。周囲に佇んでいるであろうゾンビが、音の発生源を探して動き回り始めた。――実に厄介で大ピンチな事態。


『どうやら生半可な実験体を投入したところで、お主は撃退してしまうようじゃ。いくら性能テストとデータフィードバックを兼ねた試験とはいえ、こうも簡単に突破されては困る。なのでのう、儂もちと本気を出すことにした』

「いや、本気は是非とも明日からの方向性でお願いしたいな!」


 シュノンの願いも虚しく、働き者であるじいさんは即日行動がモットーらしい。

 それは聞けん頼みじゃのう。そう笑って、じいさんは周囲の証明を一気に点灯した。眩しさのあまりに目を瞑る。瞬間、一斉に叫び出すゾンビ。


「来ます!」

「待って! 何も見えない!」

「掴まって! 行きます!」

「見えてないって言ってるぅ!」


 シュノンの事情など知ったことではない相棒とゾンビたち。眼が視えない状況での逃避行はかなりの精神的負担をシュノンに与えたが、見えたら見えたでどっちにしろ精神的ダメージを受けるので、どっちに転んでもくそったれである。

 あまりにあんまりな状況に吐き気を催しながら、順応し始めた目を開けた。


「弾薬数が足りませんね……!」

「リボルバー使う?」

「いえ、このまま距離を取って――ッ!? 伏せて!」


 ホープがシュノンを付き飛ばし、そこへ飛来する汚物めいた液体。

 ホープは瞬時にシールドを展開したが、ゾンビの嘔吐物が彼女の右眼に付着した。


「ぐ……ッ! これは!!」

「ゲロ喰らったの!? 平気!?」

「……ええ、平気ですよ」


 ホープは嘔吐物をボディクリーニングで落としながら応じる。そして、確かめるように右手を握りしめ、なぜか眉を顰めていた。


「どこか不調なの……?」

「いえ……」


 そう返答しながらもホープの整えられた顔は違和感を張り付けている。彼女に異変を覚えたのも束の間、右斜め後ろからゾンビが奇襲を仕掛けてきた。


「ホープ、後ろ!」

「ッ!?」


 ホープは咄嗟に拳銃を構えるが、狙いが明らかにずれている。反射が遅れてゾンビに飛びつかれ、床に倒れてしまった。


「く、くッ!」

「ホープ!」


 ホープはアームソードでゾンビの頭部に穴を開けるが、そこから漏れてきた黄色の液体を明らかに忌避した。反射的に左腕を使って義体を庇い、庇った部位からしゅうしゅうと異音が響く。

 瞬間、ゾンビの忌々しい特性の一つが思い当たった。そして、ポセイドンがどうやらホープを目の仇にしていたことも思い出す。


「まさか、それって酸、なの? やっぱり?」

「……ええ」


 ホープは左腕に装着されたパーソナルシールドを外しながら同意した。床に落ちたシールドがじわじわと溶けて液体状になっていく。


「対アンドロイド用の強酸です。決して触れないように」

「いや頼まれても触らないけどさ、まさか……右眼」


 先程の違和感から推察したシュノンの危惧は最悪なことに的中した。

 ホープは申し訳なさそうな顔色で項垂れる。


「はい。酸でやられて……見えません」


 観測媒体であると同時に記録媒体でもあるホープの機械眼は、右眼だけ光を喪っていた。



 ※※※



 ――異常を検知。速やかなパーツ交換を推奨します。


 電脳内では同じ警告がひっきりなしに続いているが、今はそんなレポートを山積みにされても対処できない。交換用のパーツは海の上であり、今いる場所は海の底なのだ。

 ホープは右眼を瞑りながらレポートの表示を停止させる。タスク管理の優先度を変更。


「自己修復も不可能です。完全に破壊されてしまいました」


 あの強力な酸は明らかにアンドロイドを……ひいては自分を意識しての強度だ。ゾンビへの脅威判定が更新され、ランクがCへと跳ね上がる。


「油断大敵とはこのことですね。不覚を取りました」


 片目で周囲の状況を確認しながら、正直に白状する。今度こそシュノンも失望するだろう。先程、あろうことかウイルスにやられて主を襲ってしまったばかりである。加えて、この体たらく。プロメテウスエージェントの風上にも置けない。

 こんな状態でどうやってシュノンを守るというのか。彼女を連れてきたこと自体が間違いだったのかもしれない。

 エラーで感情抑制機能が働かず、右眼だけが処理液をこぼす。ホープは今一度謝罪した。


「すみません、エラーが起きてまして」

「別に、いいよ」


 また《《別に》》。シュノンは顔を俯かせて、彼女の表情は窺えない。

 怒っているのだ。多次元共感機能を使わなくてもわかる。


「周辺の敵を始末して、安全を確保します」


 片目が視えない以上、下手な守備は後れを取ってしまう可能性がある。先制攻撃で敵を殲滅し、エリアの安全を確保するのが最優先。そう判断を下したホープはアームソードを展開させるが、


「待ってよ、待って。まだ話は終わってないよ」

「何でしょうか」


 恐ろしくて彼女の顔を直視できない。自分がどんなに情けないフェイスモーションなのかも、ホープは思考したくなかった。感情アルゴリズムが荒波のようにいきり立つ。

 そんなホープにシュノンは告げる。彼女が今胸に秘める想いを。


「……やっぱりついて来て正解だったね」

「へ……?」


 間の抜けた音声出力。アイカメラが拡大し、驚きのフェイスモーションで彼女を見抜く。

 驚くべきことに彼女は笑っていた。笑顔でホープを見て、肩へ手を置いてくる。


「スーパーシュノンちゃんがいないとポンコツドロイドのあなたは頼りないわけよ。こういう時こそ私の出番! あ、でもゾンビだけはどうしようもないから……どうしようか」


 シュノンはいつもの調子で周囲をきょろきょろ見回した。視界内にゾンビはいないが、奴らは音もなく背後から忍び寄るので周辺警戒は怠らない。

 そう、怠ってはならない。今優先すべきは感情ではなく理性であるはずなのだが。


「うぅ……」

「や、ここで泣くぅ?」


 改善すべき問題点が表出してしまったが、今のホープには対処不能。元よりホープは感情優先型。感情によって行動が左右されてしまう。

 だが、今流す涙は恐怖や悲哀によって誘発したものではない。歓喜によってあふれ出したもの。

 ゆえに、ホープの義体出力は向上し、運動量が増加する。やる気が満ち溢れ、メンタルアドバンテージを得られる。


「やはりシュノンは私の相棒ですね……!」

「もう、当たり前のことでいちいち泣かないでよ。ったく、やれやれ」


 大げさに両手を広げたシュノンは、遠くから聞こえてきたゾンビの呻き声にばたり、と正常位置へと腕を戻す。まるで教官ドロイドに叱責を受けた訓練兵のようで、ホープは小さく笑みを漏らした。


「ちょ、笑わないでよ……!」

「犬の時のお返しですよ」


 そう言いながら、ホープは拳銃を構える。シュノンもおっかなびっくり銃を向けた。


「では、二人で行きましょうか。死角のカバーをお願いします」

「いいけど、お手柔らかにね」


 若干シュノンの顔は青い。ホープは強気な表情で応じた。


「それはゾンビにおっしゃってください。行きます!」


 ホープとシュノンは二人揃って進んでいく。互いを信頼し合った動きで、カバーし合いながら。



 ※※※



「試練はさー。失敗しちゃったみたいだけどー?」

「フハハハ。それでこそ我が仇敵というものよ。これで試験の結果がどうであれ、儂の溜飲は下がるというもの」


 ポセイドンは映像の中で信頼し合った動きを見せるホープたちを、満足げな表情で目す。

 そう、こうでなくてはならん。二人の行動が同期し、心を通わせていなければ真なる意味での復讐は果たされない。


「あらーおじいちゃん残酷ー」


 ポセイドンの策謀に気付いたセイレーンが、彼に勝るとも劣らない嗜虐的な笑みを浮かべた。ポセイドンは愛娘の勘の良さに気をよくし、饒舌に話し出す。


「絶望を与える時はのう、ただ襲いかかるだけではダメなのじゃ。きちんとした演出を施さなければならん。主殿より教わりたもうた、破滅の鉄則よ」

「恐怖の力は無限大ー」

「そうとも、恐怖じゃ。ホープが最も恐れるもの。それはのう……信頼しきった相棒が、目の前で力尽きることじゃろうて」


 ポセイドンはひとしきり笑うと、酷薄な笑みでトリアイナを取り出す。


「さて行くぞ。メドゥーサの敵討ちじゃ」

「りょうかーい! たのしーころしー、みなごろしー!」


 ポセイドンが水槽に手を翳す。水槽の底部が開き、セイレーンがホープの元へと放たれる。



 ※※※



「どうにか抜けたねー」

「はい。思いのほか簡単でしたね」


 ゾンビがいたエリアを抜けたホープたちはまた別のエリアへと進行していた。いまいち施設全体の構造が把握できないが、それもポセイドンを倒せば解決する。


「地上が恋しいよ。はぁー早くカエルが喰いたい」

「カエルだけは遠慮願います……」


 シュノンの提案に苦言を呈しながら、ホープはエリア内をスキャニング。しかし、暗号化されているためアップデートに時間が掛かる。このエリアだけ、厳重にステルスコーティングを施されているようだ。

 それはつまり強敵の来訪を意味する。ホープは拳銃のスライドを引いた。


「シュノン」

「敵さん来る? どうかゾンビだけは……」

「安心せい。今度はミュータント……いや、サーヴァントじゃ」

「ポセイドン……とうとう姿を現しましたか!」


 前方の壁が突然開き、三叉槍を持つポセイドンが現われる。どうやらそこがエレベーターらしく、ホープはマップにマーキングを施す。


「もう帰る算段か? 嘆かわしいの。儂は敵として見られてすらおらんか」

「いいえ。ただやるべきことを成すだけです。あなたが強者でも、弱者でも」


 ホープは義体の硬度を高め、戦闘準備を整える。その横で、同じように準備万端な状態となったシュノンが疑問を投げた。発端は先程のポセイドンの発言によるものだ。


「サーヴァントって何? 召使い?」

「テスタメントの不備をお主たちはよく知っているであろう? いくら衛星のバックアップがなくなったとはいえ、あれでは使い物にならん。今度はより忠実な使い魔も我らが陣営に加えることになったのじゃ」

「……どこに?」


 シュノンが周囲を見回す。ホープのスキャナーやセンサーでも使いサーヴァントなる存在は感知できない。


「まぁ、そちらの登場の前に、じゃ。まずは感謝を述べなければならんな」

「ああ、だね。どういたしまして」


 シュノンがいつもの口調で言い返す。真面目にじゃぞ? とポセイドンはゆったりとした調子で笑い、


「H232。お主の戦闘データを取らせてもらった」

「私のデータでテスタメントを強化するつもりですか」


 すぐに狙いを演算したホープにポセイドンは愉快そうに笑う。隣に立つシュノンも笑みを浮かべていたが、それはポセイドンとは全く異なるものであり、


「じゃあデータ使用料、徴収しなきゃね」

「そうですね、シュノン」


 ホープに無限の力を与えてくれる。そのやり取りを聞き届けたポセイドンは、むしろ先程よりも機嫌よく槍を構えた。


「そうとも。それでいい。お主たちは絆を深めるがよい」


 槍に水がまとわりつく。水力で攻撃力を増加させる槍――ポセイドンの得物、トリアイナ。

 未知の武器に対し相応の分析と警戒を続けるホープと、勝気な笑みをみせるシュノン。

 二人の表情はすぐに困惑のそれへと変化することになった。轟音を立てて、水がエリアを満たし始める。


「また水!!」

「ここは深海じゃぞ? 水があっても何も不思議ではあるまい」

「そうでしょうね、ポセイドン」


 あわあわと戸惑うシュノンの傍に立ち、ホープは凛として応じる。


「今の私は破損しているがゆえに絶好調。何の不足もありません!」


 足底に装備されているジャンプジェットをスクリューモードへと変更。アームソードを展開し、ポセイドンへ突撃を仕掛ける。

 が、水をかき分けながら進むホープに対し、ポセイドンは薄ら笑いを張り付けるのみ。不審に思ったホープへとシュノンが警告を発した。


「ホープ、右!」

「ッ!!」


 死角からの不意打ち。スクリューを使って高速移動するホープよりもなお早い敵が右方から打撃してきた。水中をきりもみ回転しながら対象を測定。


人魚セイレーン!!」

「水中適応変異体……ゼウス様の忠実なるしもべ、サーヴァント。白いロボちゃん、残念だけど……あなたのような換装タイプよりも局地戦用に調整されたわたしの方がッ!」

「速い!」


 突然出没した人魚セイレーンは、下半身が魚のまさに人魚のような風体をしている。最大の特徴である尾ひれによる高速遊泳はホープのスクリューすらも凌駕し、上半身の半裸の女性体は、ポセイドンと同一の邪悪を秘めた笑みを浮かべている。

 反撃に出たホープはアームソードを横に一閃させたが、それすらも人魚は回避。強烈な尾ひれのよる打撃をホープの背部に喰らわせた。


「ああッ!」

「水の中でわたしに勝とうだなんて、十年早い!」


 床へと激突し、スキンの表示が乱れる。片目の故障が響いていた。


(見えても対処が困難だと言うのに!)


 人魚は狡猾にもホープの死角から連撃を繰り出している。敵にとっての正攻法であり、ホープにとって最悪手。下手な迎撃行動はより大きな隙を生み、さらなる威力の攻撃を喰らう布石となる。

 迂闊な行動はできず、かといって何もしなければ義体の損傷率は増加する一方だ。


「そろそろ儂も戦うとしよう」

「ポセ……ぐぅ!」


 槍を持ったポセイドンが参戦。熾烈な刺突を躱すが、その瞬間に人魚セイレーンの打撃を食らってしまい、怯んだところを槍が貫通した。胴体の左脇に裂傷。ドラウプニルエナジーが水中へ溢れ出す。


(エナジーコントロール、内部隔壁閉鎖……! 戦術データベース、水中戦三十八ー二参照……!)


 思考ルーチンには撤退戦の提案も上がっているが、即座に不可能であると演算結果が表示される。逃げるためには二人に勝たなければならない。だが、現在の義体状態では勝利は難しい。


「地の利を得た、H232!」

「はは、ははは! 残念でしたー!」


 義体損傷率二十三パーセント。自己修復プログラムの演算容量が不足。


「く――うッ!」

「ホープ!」


 損傷率増加。二十六、二十九、三十一――。このままいけば、義体が行動不能に陥る。起死回生の策を編み出さなければならない。


(マスター……マスターなら)


 確実にこの状況を切り抜ける素質をヘラクレスは持っていた。彼の助言。仲間を頼れ。独力で全てを成そうとは思わないこと。

 シュノンは脅えながらも、自分を援護するタイミングを見計らっている。


「……ッ!」


 ホープは打撃と刺突を防ぎ避けながら、攻撃の狭間にシュノンへとアイコンタクトを送った。シュノンは気付いて頷き返す。ホープは敵のデータを解析し、攻撃兆候を見極めた。

 そして、ひたすら待つ。その時を。時間は僅か五秒にも満たない一瞬だったが、内部処理時間は永遠のように感じられた。


「!」

「ぬん!?」


 ポセイドンの驚愕。ホープはあえてトリアイナの刺突を受け止め、裂傷ができていた左脇腹に突き刺させた。これでポセイドンはホープに釘付けとなる。人間と機械の中間であるからこそできる自傷戦法。


「トリアイナ……掴まえました!」

「やるのぅ、H232。じゃがな!」


 槍に纏わる水圧が段々と拡張されていく。水流をコントロールできるトリアイナは、見た目よりもはるかに戦闘バリエーションが豊富だ。義体の内部に水が流れ込み、中身をぐちゃぐちゃに掻き回す。まさに人体のはらわたが掻き混ぜられるが如く、ホープの脳内に真っ赤な危険信号が送受信され続ける。


「ありゃりゃ。せっかく捕まえたのに、どん詰まりー。しかも、しかもね! 後ろががら空きすぎてびっくりー!」


 背後で優雅に泳ぐ人魚は、所持していたナイフらしきものを引き抜いた。ナイフを明かりに反射させて、扇情的なしぐさで刃先を舐める。


「腕ぐらい切り取っちゃっても、誰も文句言わないよねー?」

「……ッ」


 人魚はゆっくりとホープに近づき、トリアイナを掴む左腕を切り取ろうとして来る。

 ホープはまともに迎撃できなかった。ただ成すがままに、人魚の刃先を受け入れる。

 ――その瞬間を待っていたからだ。


「えッ!?」

「こちらも……掴まえた!」


 ナイフが煌めいた瞬間、ホープは左手でナイフを握る右手を掴み返した。流石にこの反撃は想定外だったようで、人魚の愛らしい瞳が見開かれる。ポセイドンとセイレーン。どちらも想定通り確保できた。後はじっと耐えるのみ。

 マスターを信じて、待機するのみ。


「メカコッコからのプレゼント、組み立て終わり!」


 離れたところで作業していたシュノンが、特殊な銃器を握りしめていた。正確には弓矢の類。水中でも威力減退を気にせず発射可能なコンパクトクロスボウ。持ち運び便利なソレが、メカコッコのギアの中に含まれていた。荷物がかさばるために組み立てていなかったソレは、ようやく日の目を見た。


「使う気なかったのに。水で戦うとかやーだしさぁ。上手く潜入できた時は濡れなくて済むと思ってたし」


 波紋を立てながら人魚に照準を合わせるシュノンの表情はしたり顔だ。ゆっくりとセイレーンの右手に狙いをつけて、焦るセイレーンの顔が至近距離で確認できる。


「く、はな、放せ!」

「安心しなよ、ベイビー。ちょっとチクッとするだけだから!」

「――!!」


 悲鳴と共に拡散する血潮。矢に右腕を射抜かれたセイレーンが聴覚センサーにダメージを与えるほどのハウリングを行った。


「流石、人魚ですね! 驚くべき声量です。ですが!」


 保護すれば音波ダメージをシャットアウトできる。空いた左腕で、ホープはポセイドンの首を掴んだ。


「ポセイドン……! 降参してください!」

「ホホ、どうして降参などしようか。未だ儂が有利だと言うのに。ここは深海じゃぞ、H232」

「それが何だと言うのです! 私には――」

「そうじゃろうて。お主には効かん。じゃが、相棒の酸素量は持つかの?」

「まさか!」


 ホープの驚嘆にポセイドンは心底嬉しそうに告げる。


「元より儂は死ぬつもりであったわ。メドゥーサのいない人生など、空虚にも等しいものじゃった。我らが主殿にはきちんと恩を返したしのう。……言ったであろう? お主は――」


 ポセイドンから急速な熱量の上昇を感知し、ホープは距離を取ろうとスクリューを起動する。だが、今度は逆にポセイドンから掴まれた。絶対に放さんぞ。そう吹っ切れた笑みをみせて。


「くッ……!」

「さぁ嘆くがよい、アンドロイドよ。儂が受けた哀しみ、とくと味わえ」

「ホープを放せ!」


 再び炸裂する矢。直撃してポセイドンの手の力が緩んだ刹那、ホープが彼の身体を蹴り飛ばす。瞬間、ポセイドンが自爆した。吹き飛ばされて、壁にぶつかる。浮遊用のエアーを幾ばくか吐き出した後、強力な引力が義体に働きかかった。


「壁が……!」


 ポセイドンが爆発した地点の内壁がごっそり崩れている。内部の水が急速に外の海水へ合流しているのだ。ホープはスクリューによって耐えられたが、シュノンはそうはいかない。片目で必死に主を捜索したホープは、彼女が外へと放出される瞬間を目の当たりにした。


「ホープ!!」

「シュノン!!」


 もみくちゃになって、シュノンは暗い海の中へ放り出された。ホープは即座に救出活動へと移行。暗視モードへとアイカメラを切り替えて、暗き海を漂うシュノンの元へ泳ぎ出す。


「シュノン……!」


 海中は透き通り、有視界探知とソナー探査を搭載しているホープならば彼女の発見は容易なはず。そう思考ルーチンは分析し、それでも感情アルゴリズムは不安に苛まれている。


「シュノン、どこです……!」


 反響があった個所へズーム。シュノンが必死にもがいている姿を捕捉。


「シュノン、今……」

「行かせるものかぁ!」

「セイレーン!!」


 救出に向かおうとしたホープを阻んだのはサーヴァント。忠実な隷属戦士である彼女はホープに背後から抱き着き、行動範囲を制限してくる。肘による打撃を加えても、チェーンソーによる斬撃で尾に裂傷を与えても揺るがない。彼女は病的な笑みでホープに笑いかけた。


「この施設は、施設はね!」


 血がホープとセイレーンの周囲を彩る。彼女はボロボロになって拘束を解かない。


「おじいさんの施設。おじいさんのお家! この意味がわかって!?」

「意味不明です! 放せ!」

「一心同体! わたしも、じーさんも! じいさんの死はわたしの死! そして、施設の死でもある! じーさんはね、爆発にこだわってた。メドゥーサの死に様が爆死だったから! つまり、つまりね! へへへへッ!」

「――ッ!」


 ホープの思考ルーチンが結論に達した時、ようやくセイレーンの拘束が解けた。ホープは彼女を踏み台にしてシュノンの元へと急ぐ。――施設が爆発する前に。


「遅い! もう無駄、むだむだむだ! みんないっしょにばくはつしちゃえ! ハハ、ハハハハハハッ!!」

「シュノン!!」


 強烈な衝撃波が背部から襲いかかる。海底施設の自爆シークエンスが完了し、姿勢制御が困難となった。爆風に巻き込まれたホープはシュノンの方角へ手を伸ばす。

 シュノンもホープに気付いて手を伸ばしていた。だが、荒れ狂う水流がその手を掴ませない。


「シュノン、シュノン――!!」


 ホープは吹き飛ばされた。深海の奥深くへと。

 手を伸ばしても届かない、暗闇の中に。

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