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機械少女の継承 アンドロイドとスカベンジャーと  作者: 白銀悠一
第四章 試練

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22/65

実験

「とりあえずは安全……ですか」


 後ろにある扉からは、ゾンビたちが扉を叩く音がひっきりなしに響いている。その音楽はシュノンを震え上がらせているが、ホープの計測ではゾンビたちが扉を破る確率はゼロパーセント。浸水を防ぐためなのか、恐ろしいほどに堅牢な鋼鉄製の扉だった。

 この広いエリアは当面の安全が確保されている。ホープは優しい笑顔でシュノンを励ました。


「ここなら安全です」

「うぅ……でもここ海ん中」

「精神を張りつめていては肝心な時に動けませんよ? 普段の負けん気はどうしたのですか。子守唄を歌ってあげます」


 ゾンビの太鼓よりは精神が安らぐはずである。歌には精神安定の力があるのだ。


「歌って……お願い」

「了承しました」


 ホープはシュノンのリクエストに応じて小さな声で歌を歌い始めた。アームパーツでは並行して別作業を行っている。拳銃の点検と所持弾薬の確認だ。ネコキングから借り受けた魚類輸送用の潜水艇は中が狭くライフルの類は持って来れなかった。

 今、ホープとシュノンの手の内にある銃器はピストルのみ。サブマシンガンも持ってくれば良かったか、と自身の判断ミスを悔いる。


「なんか音程が外れだしたけど」

「う、申し訳ありません」


 気分が優れないと歌も乱れる。赤面するホープだが、そんなホープを見てシュノンも多少の落ち着きを取り戻した。


「いいよ、ゾンビもういないし……。ってか何であなたは平気なわけ?」

「何で、とは? 私は多目的支援型アンドロイド――」

「犬とイモムシが苦手なビビりドロイドがゾンビが平気なのはおかしいじゃん」


 平然と述べるシュノンにホープは、ざわめく感情アルゴリズムの乱れを調律。


「その言い方は不快ですが、今回は見逃しましょう。実のところ、ゾンビは見慣れているのです。共和国時代に……主に先輩のせいで」


 記憶単語の並びはこうなっている。先輩、無理矢理、ゲーム、映画、ゾンビ。

 思い出を再生することなく状況は思い出せる。懐かしく、同時に腹立たしく、怖さすら紛れている記憶だ。


「なぜアンドロイドがホラーゲームを嗜む必要があったのでしょうか。なぜアンドロイドが夏のゾンビ映画祭りとかする必要があったのでしょうか。なぜ……」


 暗いアイカメラでリピート。無限に続いてしまうかと思われたホープの疑問羅列にシュノンが終止符を打った。同情的な眼差しで。


「あーもうわかった! そりゃ辛いよね、わかるよその気持ち」


 シュノンはホープの気持ちを察してくれた。どうやら彼女も先輩の暴挙に辟易しているらしい。


「彼女がいれば安全かなとは思ったけど、やっぱりあのからかいぐせがねぇ」

「私に言わせればシュノンともいい勝負ですけどね……」


 しかしどちらも厄介ではあるがいい人でもある。サイコメトリックス、人物データベース内が表示するデータは二人とも世話好きの優しい人であると記録されている。

 そんなホープのぼやきをシュノンは無視し、


「とりあえずゾンビ出せば売れる! とか誤解しちゃってるクリエイターとかいう人種を私はぶん殴ってやりたい! もう死んでるけど!」

「暴力は反対ですが、意見をぶつける権利はあります。ゾンビというジャンルはこの世に存在してはいけないものです。死者に対する冒涜ですよ。もう亡くなっていますが」


 もしアンケートを送れるのならゾンビ好きのクリエイターに所要読破時間二十四時間ほどのメッセージを送信したところだが、残念ながら彼らは皆亡くなってしまっているので文句のぶつけようがない。

 そも、ゾンビコンテンツはゾンビが好きな人のためにあるものである。それを無理やり不適合者に押し付けた先輩が悪い、と当時と同じ結論に思考ルーチンが回ったところで、シュノンが立ち上がった。


「この怒り、誰にぶつけてくれようか!」

「ゾンビへ」

「却下!」


 恐ろしいスピードでホープの提案を跳ね除けるシュノン。一度は戻した撃鉄を再び起こして、意気揚々と捲し立てる。

 目指せ! 打倒ポセイドン! どうやらゾンビへの怒りを行動力へと変換したようだ。動機が何であろうとも、彼女の復活は喜ばしい。

 微笑みながら拳銃を取り出し、彼女の発言に同意したホープは、


『では、儂の研究成果を披露しよう。忠実なるサーヴァントをな』


 モニターしていたポセイドンの楽しげな音声情報を受信する。


「ッ! 来ます!」

「え? なになに? 不意打ち禁止!」


 前方の床の不穏な動きを検知。床がせり上がり棺のようなものが現われる。その棺の中には生体反応が含まれていた。想定よりも熱量が大きい。拳銃を向けたホープは、棺に納まる謎の敵を注視する。

 引き金に指を掛けて、じっと待つ。轟音を立てて棺が開く。その間に小規模なパニックを起こすシュノン。


「あわ、わわ! どうしよう! またゾンビ!?」

「にしては仕掛けが大がかり……それに、もしやあの扉の堅牢性は……」


 ホープが予測を並び立てたと同時に、棺が開放。中に入っていたソレがゆっくりと歩み出す。

 全体のフォルムとしては人型。体躯は大きく、ホープの二倍はある。まさに巨人と言うべきか。だが、それでも二足歩行兵器の類には遠く及ばない大きさ。

 この程度の大きさならば、ホープの脅威にはならない。だが、重要なのは見た目ではなくその中身だ。


「脅威判定……不明、ですか。データ不足ですね」

「早く測定してよ! 強さがわかんないと大変だよ!」

「こればかりは直接対峙してみないとわかりません。それに、逃げ場はないようですし」


 今のところホープたちはポセイドンの策に乗せられて動いている。この生命体との邂逅も彼の計画であることは間違いない。

 意図は不明。自分を倒す意志があることは違いないが、やり方が非効率的。ホープを試していたジェームズと同じやり方である。

 とは言え、一方にとっては非効率のやり方であっても、別の尺度から見れば効率的である可能性がある。マスターの教訓が脳裏を駆け巡る。


「観点を変えなければなりませんね」

「寒天が何だって!?」

「お静かに。……並列思考のまま戦闘ができることを祈ります」


 拳銃の狙いを生命体に向ける。緑色の体表は見るだけで嫌悪感を増幅させるが、幸か不幸か先輩との付き合いでこのような化け物は見慣れている。イモムシに比べればなんてことはない。できれば、蛾をモチーフとしたクリ―チャーがいないことを望んでいるが。


「最小限のプロテクターでは、まともな防御力を得られないはずです」


 分析を続けながら、引き金を引く。拳銃が撃発し、九mmの弾丸が緑色の皮膚を裂く。敵は避けなかった。それはつまり。


「回避しない。優れているのは加速力ではないのですか」


 次に注視するのは銃創だ。アイカメラのフォーカスを抉れた皮膚へと注ぐ。

 そして、予想していた通りの現象が起きた。――ゆっくりと傷が塞がっていく。


「なるほど。想定内です」

「傷口が再生しちゃったよ! 勝てんの!?」


 シュノンの混乱度に拍車がかかる。ホープは彼女を落ち着けるべく懇切丁寧な解説を言語中枢からスピーカーへと送信した。


「ええ。勝てます。敵の修復力を上回る火力を持ってすれ――ッ!?」


 その説明は突然打ち切られることになる。驚異的な速度をもって、謎のクリ―チャーが動き出したからだ。一瞬でホープの眼前に肉薄したクリ―チャーは、ホープの頭部パーツへと拳を見舞う。それをギリギリのところで回避して、チェーンソーで迎撃行動。

 だが、それを軽く避けたクリ―チャーはまたもや目を見張るスピードで距離を取った。


「まさか、あえて撃たせたというのですか」

「ちょい! 全然勝てそうにないんですけど!」

「大丈夫ですから、信じてください!」


 そう叫ぶホープだが、突如響き渡ったポセイドンの通信に掻き消される。


『儂の実験体はどうかね?』

「ポセイドン! ッ」


 彼の通信が響く間にも、実験体は動きを止めない。緑色の右腕による突きをホープは左手で受け止めて、脅威判定が更新される。


「パワーもあるのですか!」


 左手が悲鳴を上げた。性能が劣化している状態ではあるものの、それでもホープの義体はそれなりの出力と防御性を保持している。それすらも上回る怪力。間違いなくランクAクラスの強敵だ。

 しかし、実際の評価はランクB。なぜならば、この実験体には――。


「知性がない! 学がない怪物は、所詮!」


 あえてレフトアームの出力を低下させ、クリ―チャーの力に押される。突然ホープが力を抜いたせいで前のめりになったクリ―チャーの腹に右足を放ち、追加オプションであるジャンプジェットを噴射させる。


「グゥゥ!?」

「ただの怪物です!」


 よろめいた怪物へホープは飛び掛かる。スタンモードへと変更したライトアームで敵の顔面を掴んで電撃を浴びせた。しばらくは耐えていたが、脊髄反射で繰り広げられる反撃は実に単調である。左腕で軽くあしらいながら顔面へと雷撃を続け、とうとう怪物は床の上へ撃沈した。


「そこそこやりますね、ポセイドン」


 天井に設置されている監視カメラに向けて、ホープは語りかける。相手への挑発も兼ねた状況言語だが、ポセイドンは気にする兆候すらみせず平坦に応対した。


『そうでなくては困るぞい。お主はかのヘラクレスの継承者』

「マスターの名前をあなたの口から聞きたくないですね」


 オリュンポス十二神がマスターの名を口にするその行為が、ホープの感情アルゴリズムを怒とする。しかし、ポセイドンがホープに対する気遣いを見せるはずもなく、彼は笑いながら続けた。


『そう怒るではないぞ、H232。お主は泣き虫と聞いていたが、どうやら間違いだったようだのう』

「……誰に聞いたと言うのです」

『さてはて。そんなことはどうでもいい。急ぐがよい、H232。儂は退屈しており、そしてお主を憎悪してもいるぞ。お主は覚えていないであろうが……』

「メドゥーサのことなら覚えていますよ」


 ポセイドンが創造し、愛した変異体ミュータント

 プロメテウスエージェントとしてマスターと活動していた時、ホープは単独で彼女を倒した。死因は自爆であるが、そのことでポセイドンが自身を恨んでいても不思議ではない。愛という感情とは、そういうものだ。


「私を殺したいのですか、ポセイドン」

『機械であることを忘れ人であると言い張るか、H232よ。お主は殺されるのではなく壊されるのだ。儂のトリアイナでな』

「望むところです、ポセイドン」


 ホープは凛としたフェイスモーションで応える。メドゥーサの死は不憫ではあるが、だからと言って彼を赦免するという判断が下されることは有り得ない。きちんと罪は償ってもらう。個人的な感情ではなく、治安維持軍のプロメテウスエージェントとして。


『儂もじゃよ、H232。ホホホ、実に気力が漲るわい。お主を待つのも退屈じゃったからのう……』

「それは失礼しました、ポセイドン。今すぐにでもあなたをぉ!?」


 毅然とながら因縁のある敵との会話に興じていたホープは、いきなり背中に飛び掛かってきたシュノンに調子を崩される。何をするのですか! そう憤慨するホープへシュノンは怒り返し、


「そりゃこっちのセリフ! さっさと出ようよ!」

「う、わかってます。ですが、今は敵との」

「敵さんとコミュニケーション取ってどうすんのよ! リアルは映画と違うのよ! いつもと違って今回は敵を敵だとわかってんでしょ! ほら、早く!」


 シュノンの言葉は事実であり、ゆえに感情アルゴリズムはふるわない。


「ですが!」

「いいから行く! ほら、おっさんもドアを開ける! 待ちくたびれてたんでしょ! 早くしないと老衰でお亡くなりよ!?」

『ホホホ、それは困るのう。では、開くとしよう……』


 シュノンに言われた通り、コードを打ち込むポセイドン。その従順さにホープが違和感を覚えた刹那、扉が開かれた。

 進路上の扉と、後方にあるゾンビエリアに通ずる扉が――。


「ひい!? そっちは開けちゃだめぇ!」

「仕方ありませんね! お先に!」


 ホープはシュノンを先に行かせながら、拳銃の狙いを手前のゾンビの脚部に向ける。足を撃ち抜かれ転倒したゾンビが後続のゾンビの進路を妨げた。


「ホープ、ホープぅ!」

「ゾンビが嫌いなら不必要な挑発は避けてください!」


 ホープはゾンビが追い付く前に前方の扉へと走り出す。現在の性能ならば、ゾンビを振り切るのもそう難しくないと思われた。ゾンビの性能はテスタメント以下である。特に問題なく次のエリアへと向かえる……。

 そう思考ルーチンが結論付けた瞬間、ホープの足を何かが掴んだ。


「実験体!」


 驚異的な再生能力を持つ怪物が、復活を果たしていた。怪物はホープの左足を腕力で握りしめ、レッグパーツのダメージエフェクトが一際激しくなる。自己診断プログラムがデンジャーゾーンだと喚く最中、ホープは右足のチェーンソーを起動させ、まとわりつく右腕を切断した。紫色の血が足へと付着する。


「うげぇ、グロぉ」

「扉の操作をお願いします!」


 怪物から離れ、全速力で扉へと駆ける。ホープの指示を聞いたシュノンは困惑しながらも開閉ボタンを押した。


「早く! 後ろにゾンビが来てる! つか走ってる、ゾンビ!」

「走るゾンビは嫌いです!」


 銃を後ろへ構え、銃弾のストッピングパワー頼みの射撃を行う。後方射撃を繰り出しながらブザーを鳴らす扉へとスライディングし、かろうじて潜った。


「ふぅ、セーフです」

「危なかったなぁ、もう」

「もう一度言います、セーフです。計算通りですよ」


 ――実験体の行動は完全に想定外ではありましたが。

 他者に伝達すべき情報と個人で守秘すべき情報の取捨選択を行い、シュノンへの情報統制を済ましたところで、ホープはマップの更新を始めた。

 ソナーを使い、音響調査。先程のエリアとは違い、今度は迷路のように入り組んでいるようだ。狭い通路が前後左右に続いている。


「ホープ?」

「今度はルートが入り組んでいます。迷わないように気を付けてください。私の傍から離れないで」

「言われなくても離れないって」


 装弾数が残り僅かだったので弾倉を交換し、センサーを奔らせながら迷路を進み出す。こういう時に、どうしてもプロメテウスエージェント時のスペックと比較が生じてしまう。当時の性能そのままだったら、シュノンを片手に抱いてポセイドンを打ち倒す自信がホープにはあった。

 だが、今は古いメカニズムの拳銃を用いて、性能劣化した義体で警戒しながら進むしかない。


「……」

「ホープ? 何か険しい顔してるよ?」

「いえ……シミュレートしていただけですよ」


 ホープは不安を表出せずに回答する。ここで悔いていてもしょうがない。重要なのは能力ではなく、能力をどう使うかである。性能差はあくまでアドバンテージであり、絶対的勝利条件ではない。


「マスターならば余裕でした。ならば私も問題ありません」

「……?」

「先導しますので後ろからついて来てください」


 拳銃を構え直し、慎重に歩を進める。シュノンは首を傾げながらも指示に従った。



 ※※※



「さてはて、第二エリア……」

「わたしの出番はぁ?」

「ホホホ、もう少しの辛抱じゃぞ」


 宙に浮かぶ映像を鑑賞しながらポセイドンは愛娘に告げる。データ収集には時間が掛かる。できるだけ多様性をH232に与えたいというのが本音だった。

 元より、この試練の目的がそれである。あくまでも、これは実験。H232の破壊は副次的なものであり、本当の目的を終えるまでは座して待つしかなかった。


「気付いておるかの、H232。いいや、お主は気付いていまい」


 笑みを浮かべて、過去に想いを馳せる。共和国の人間というものはいつも愚鈍だった。気付いて時には手遅れで、起死回生の策すら持ち合わせていない。人とは本質的に愚かであり、隷属的な生き物だ。

 神に縋り、天啓を仰ぎ、指示された通りにしか生きられない。

 そこをたまに誤解する愚者が現われる。さらに愚かなことに、人々はそのような存在を勇者と呼んで崇めるのだ。実に愚かしい。

 愚行には相応の報いを。これぞまさに天罰である。


「所詮お主は箱じゃ、H232。空っぽの箱。偶然良き希望をその身に埋め込まれたようじゃが……奇跡もここまでじゃ」


 ポセイドンが片手をホログラムに翳す。

 生体バイオメトリクス認証が終了し、読み取られた情報粒子に記載された設備が起動する。



 ※※※



 轟音が反響し、ホープの電脳がアラートを発する。


「これは!?」

「何事!?」


 手を繋ぐシュノンが叫んだ。ホープは確認が取れた情報をマスターへ提供する。


「水……!」

「へぇ!? 水!?」


 ホープの多目的センサーが捉えたのは、エリア内のどこかで始まった注水の音。迷路内に水が流れ込み、通路を水が走り抜けている。すぐにでも奔流がこちらへ到達しそうだ。


「シュノン! 酸素マスクを!」

「嘘でしょ! 冗談キツイって!」


 シュノンは困惑しながらマスクを装着し、水中ゴーグルを目に合わせる。これで彼女が溺死する心配はなくなった。酸素貯蔵量も十分にあることは既にスキャニングで把握済み。

 単純な溺死トラップであれば、ホープたちに危害は与えられない。……問題は、ポセイドンがそんな簡易な策を弄するはずがない、ということだ。

 すぐに水が迷路内を満たし、ホープとシュノンは完全に水の中へ沈んだ。


「狙いはなんです……!」

「まんばって!?」

「マイクとイヤーモニターのスイッチをONにして! そうすれば水中でも会話が可能です!」


 言われるがままシュノンはマスクにあるスイッチを切り替える。水中用に振動が調整されて、発生が正常値へと収束した。


「便利なのは嬉しいけど、水ぅ……」

「溺死しなければ泳げなくても問題ないでしょう。泳ぐのではなく歩けばいいのです。水中歩行ですよ」

「うん……気は滅入るけど」


 流石に息さえできればパニックは起こさないらしい。常にモニタリングは欠かせないが、行動に支障が出ることはない、と多次元共感機能からの送信。サイコメトリックスで状態を観測しながら、水の中をゆったりと歩み始める。


「掴まって……」

「うん、絶対に離さないでよ?」

「もちろんです」


 拳銃を仕舞い、左手でシュノンの右腕を掴みながら行く。水中では武装制限が掛かる。使用できるのはアームソードとチェーンソー、シールド等の近接装備のみだ。スタンモードやミサイルもシュノンに影響を与えてしまうため使用不可。

 だが、狭い通路でのエンカウントはむしろホープに分がある。接敵した瞬間に敵を沈黙させてしまえばいいのだ。それを可能にする戦闘力が自分にはあった。


「来なさい……!」

「不必要な挑発はダメってさっき……」

「必要な挑発ですよ、これは。……来ます!」


 ソナー探査に敵の波形が引っかかり、ホープは右手のアームソードを展開。前方から迫る人型の単一生命体へ臨戦態勢を整える。

 が、アイカメラのレンズが捕らえたのは人型生命体ではなく――。


「人の形をした魚ですか!」

「いっぱいいるよ!!」


 人型に密集した大量の魚が、二人へ襲いかかった。一体一体の脅威度はランクEだが、如何せん数が多い。シュノンを守りながらの戦闘はクリ―チャーに軍配が上がった。


「シュノン、失礼!」

「え? きゃあ!?」


 ホープはシュノンの手を離し、彼女を後方へと蹴り飛ばす。そして、群れで迫り来る魚の集団に斬りかかった。


「やッ、はッ!」


 一閃するたびに、水の中に血が混じる。赤い水がダイビングスキンに触れてホープの体色を紅色に染め上げていく。


(このペースなら!)


 小魚の群体を、ホープは血祭に上げていく。抜かれる寸前に優先度の高いターゲットから切断しているので、背後のシュノンに危険が及ぶことはない。シュノンは何かを喚き立てているが、タスクマネージャーは彼女の言語を優先順位の低いものに認定しているため、ホープが内容を理解することはなかった。


「マスター! 足蹴り! ふざけんな!」

「……人肉魚? にしては、ッ!」


 痛覚センサーが痛みを感知。脚部に噛み傷が検知され、他者に自身の状態異常を知らせる苦悶のフェイスモーションが実行される。


「やぁ!」


 自分の足を噛んだ不届き者に、ホープはチェーンソーをお見舞い。無残に斬り削られた肉片がホープの眼前を流れて行った。


「今ので最後ですか。……シュノ……!?」


 水を体内で循環しながら主へ振り返ったシュノンは、シュノンの立っていた場所にアレスの存在を知覚した。彼は仁王立ちでホープを見つめ、ガスマスクからは何の感情も窺えない。


「どうしてここに! シュノンは!」

「何を言っているのだ、お前は」

「――ッ!!」


 その発言はホープの感情アルゴリズムを怒に固定するには十分すぎた。

 水中用に最適化された義体による水泳斬撃に、アレスは両手を頭にあててしゃがんで避ける。

 まさに人を小馬鹿にした回避方法。アレスはしゃがんだ状態でホープを見上げ、


「まさかお前は壊れてしまったのか」

「私の状態は万全です!」


 水を切り裂く斬撃。水中に響き渡る異音に、アレスはあろうことか委縮する。


「止すのだ。それは愚かな選択だ」

「何が愚かだと――!」

「止めるのだ、ホープ! お前には俺がわかるはずだ!」

「何を――ッ! ……待ってください、ホープ?」


 アームソードがアレスの頭部に直撃する刹那、違和感を得たホープが停止。

 アレスはホープのことをH232と呼称している。なのに、今、彼はホープと呼んだ。違和感が詰み上がって山となり、たった一つの綻びが大きな壁を打ち崩すが如く、ホープは自身に自己判断プログラムとセキュリティチェックを奔らせる。

 しばらくして、ウイルスの検知を確認。セキュリティがシステムに巣食うウイルスを駆除した。

 目の前にいたアレスが、シュノンの姿へと切り替わる。


「ちょっと! どういうこと! 頭がやられたんじゃないの!」

「……危ないところでした。私は危うく――」


 ――シュノンを殺してしまうところだった。アレスなら死なない攻撃でも、シュノンならば耐えられない。ポセイドンの狡猾な罠。あの魚にはアンドロイドに注入するウイルスデータが仕込まれていたのだ。

 守るはずの対象を、守り手に殺させる。この方法は成功すれば、多大な利益を実行者にもたらす。アンドロイドはソフトとハードで構成される概念的物質だ。

 コアを依り代に精神ソフトを育成し、義体ハードを用いて活動する物質生命体。創造には義体ハードが必要だが、生まれてしまえば義体ハードを喪っても何度も生き返ることができる。人の死は肉体ハードに関連づけられているが、アンドロイドはそうはいかない。ネットワークに自分を逃せば、肉体的な死を避けることが可能なのだ。

 そのような不死性を持つアンドロイドを精神的に殺す方法。あと一歩のところでホープは敵の術中に嵌まってしまうところだった。


「そのような悪しき手法を使ってくるとは。今の時代にネットなどありはしない……。私を苦しめるためだけに、使ったというのですか」

「……ぶつぶつ言ってるのはいいけどさ、ねえ」

「あ……申し訳ありません、シュノン。私は」


 うっかり謝罪を忘却してしまったホープは即座に頭を下げる。シュノンはまぁいいけどさ、と大量の魚の死骸に眉を寄せながら言う。


「私の手、離したよね」

「それもすみません。ですが」

「わかってるよ、次に何を言いたいのか。私を守るために離したんでしょ? 私の意志とは無関係に」

「……ご不満、ですか?」


 シュノンは感情豊かに肩を竦めた。緩やかな動きに水流が同調する。


「そりゃあ、大満足とはいかないよね。ま、今回は私も悪いし。文字通りおんぶにだっこだからいいけど……これだけは忘れないで」


 シュノンはいつになく真剣な眼差しでホープのレンズを覗き込む。


「私とあなたは運命共同体。自己犠牲は絶対に禁止。オッケー?」

「……わかりました」


 ホープは素直に頷く。シュノンは疑いを込めた眼差しで見つめてきたが、ホープはそれ以上取り合わなかった。再びソナーを用いて索敵した後、迷わないように迷路を進み始める。


(それでも、私の使命は人を守ることなのですよ、シュノン。あなたの希望にはできるだけ沿いますが、確約はできません)


 自己矛盾がプログラムにより診断。それでいい、と思いながらシュノンの手を握る。

 アンドロイドは共感的で矛盾的物質。それで、構いません、と。


「とにかく今はポセイドンです。行きましょう」

「うん。……クレイドルの二の舞だけはやだからね」


 シュノンの声はノイズに阻まれて聞き取れない。

 次のエリアへの扉を発見したホープはボタンを操作して開門。溢れ出る水に流されないようシュノンを支えながらエリアを移動した。

 ポセイドンの掌の上で、転がされながら。

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