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深海探査

「死ぬかと思った……」

「同感です、シュノン。でも、何とか辿りつきました」


 自動操縦で海底施設の搬入ドッグへ進入した潜水艇から降りたホープとシュノンは、施設側の反応を待っていた。

 水に濡れていないのに冷却液と汗でびしょ濡れである。ホープは乾燥システムですぐに乾燥できるが、シュノンの方はそうはいかず不平を垂れていた。


「何で濡れないための潜水艇で汗だくになんなきゃいけないの! おかしいでしょ! 空調設備も壊れてるしさ!」

「ミュータントにとっては平気だったんでしょうね。人間が乗ることを想定していなかったのでは」


 元々ネコキングたちが利用していた潜水艇であるので、しょうがない面もある。

 くそったれ、とシュノンの悪態。頭からずれたゴーグルの位置を調整し始める。


「あまり汚い言葉を使うべきでは」

「……そういう文句は聞き飽きたよ」


 そして、身体にぴったりとフィットするダイビングスーツの速乾性に驚く。

 ホープは多次元共感機能を奔らせながら言いよどんだ。


「私はまだ」

「あなたにじゃないから」

「どういう」


 意味です、という言葉は発声されなかった。音響と共に施設内アナウンスが流れ始めたからだ。


『歓迎します、来訪者様。エレベーターへ搭乗してください』

「だってさ、行こ?」

「……ええ」


 そう返答したホープは、先導するシュノンの背中を物憂げに見つめる。

 ――確かに今、哀の感情を計測したはずなのですが。


「ほら、早く」

「はい、今」


 自動で開かれたエレベーターにホープとシュノンは並んで搭乗。偽装スキンで潜水衣装ダイビングコーディネートを施したホープは、敵の動きを警戒しながら指示された通りに動く。

 思考ルーチンと戦術データベースの併用結果からは、今のところ不審な部分は発見できない。敵はホープをホープだと認識していない。そう計測結果は表記。


(アンドロイドの隠密性。敵の中に黄金の種族が混ざっていても、私は探知できない……はずです)


 共和国時代では、機械全般の性能が進化を遂げた人類に劣り出していた。だからこそ機械少女アンドロイドの登場は必然であり、黄金の種族ができないことをできるように設計されている。

 ゆえに、ホープはバトルサポートドロイドの機能を兼ね備えている。バトルドロイドではなく、支援義体。

 メカコッコは人類波形シグナルデバイスを付与してくれたため、年頃の少女の偽装波形は放たれている。よほど強力な感応持ちが相手にいない限り、把握されることはないはずだ。海という生命の宝庫にいるため、生命反応のノイズもある。


「あえてステルスコーティングを切っていることが吉と出るか――っと」


 背部パーツに衝撃を感じて、ホープは振り返った。怯えるシュノンが背中に張り付いている。


「シュノン?」

「何でここガラス張りなの……」


 エレベーターは外の様子が観覧できるよう、透明な素材で構成されていた。海の底を泳ぐ海洋生物の姿がはっきりと確認できる。


「ガラスよりももっと高度な――」

「そんなことどうでもよくて! ああくそ……何で海の底になんか……」

「さらに水深の深い場所に向かうようですね」


 縦長のエレベーターはさらに下方へ向かっている。人の目でも海中を展望できる個所から、光すらも届かない暗い場所へと。籠の中を満たす光のおかげで視界は保たれているが、外が薄暗くなってくるごとにシュノンの抱き着く力も強くなってきた。

 光のない場所は、恐怖を誘発させる。闇が光を喰らい尽くす。


「大丈夫ですよ、シュノン。私がついていますから」

「うん……」


 ぎゅっ、とシュノンは掴んでくる。

 これほどしおらしい彼女の姿を見るのは初めてだった。

 ホープの心理光が力強く明滅する。



 しばらくするとエレベーターが停止し、ドアが開いた。前方の空間も暗いがエレベーターの中に比べると遮蔽物に囲まれている分まだマシのようだ。


「ふ、ふへー。やっぱりお部屋はいいね……」

「頑強な施設のようです。……大量破壊兵器の隠し場所にはふさわしい」


 二人揃ってエレベーターから降りた瞬間、勢いよくエレベーターが閉まり有無を言わさず上昇していく。

 その動作が奇妙に思えた。電脳内にアラートが鳴り響き、戦術マニュアルの要項が激しく点滅している。


「これはまさか!」

「ホープ……?」

『流石、ヘラクレスの遺品であることはあるのう。そうとも、これは察する通り罠であるぞい』


 スピーカーから流れる音声はデータベース内の波形と一致していた。

 該当人物オリュンポス十二神――。


「ポセイドン……!!」

『お主は、ウィッチが独力でこの座標を得たと思うていたな。……しかし、実際は違う。ウィッチは儂らの思う通りの情報を、儂らの思った通りの展開でお主に伝えたにすぎん。お主は毒を仕込まれたのじゃ』

「まさか……! では、大量破壊兵器は……」

『そんなものはここにはないぞい。大量の子どもたちはおるがのう。フハハハ』


 笑声を最後に、音声が途切れる。

 残ったのは後悔と、眼前に広がる暗い通路だけだった。


「く……」

「罠に、嵌まったの……? よりにもよってこんなところで?」

「そのようです。ですが、任せてください」


 敵の罠に嵌まったのも一度や二度ではない。共和国時代と崩壊世界どちらでも、窮地を切り抜けている。ゆえに出力された自信に、精神的に弱っているマスターはあまり同調してくれなかった。


「海の底でか、きちぃなぁ」

「シュノン、大丈夫ですよ。私がついていますので」

「はぁ……」


 シュノンはなぜかため息を吐く。ホープは彼女を励ますべく、偵察に打って出ることにした。


「進路上に何かいないか見てきます。どこかに端末があればマップのアップデートもできますし」


 マニュアルと今までの経験に従い一歩足を踏み出したホープを、


「ま、待ってよ、この状況で置いてくの!?」


 しおらしいシュノンが引きとめてくる。その挙動を意外に思いながらも、ホープは首肯した。この方法が現在取れる最善手であることは疑いの余地がない。


「偵察は必須事項ですよ」

「で、でもさ、どうせ戦うんだし……」

「どうしたのです、シュノン。いくら海の中とはいえ」


 ホープがアイカメラを通してシュノンの状態をモニタリング。多次元共感機能が示す通り、シュノンは恐怖していた。精神に多大な負荷がかかり、普段のポテンシャルを発揮できないでいる。

 そんな状態では、なおさら偵察が必要だ。ホープは彼女の両肩に両手を置いて、幼子を諭すように言い聞かせる。


「いいですか? 私はすぐに戻ってきます。ですので、ここで三分待っていてください」

「さ、三分……?」

「そうです。カップラーメンができる時間、待てばいいのです」

「……わ、私は五分くらい待つお高い奴の方が好き……」

「ならば五分にリミットを再設定しますか?」


 い、いやいい! とシュノンは首をぶんぶん横に振る。

 ホープは微笑むと、通路の先を見据えた。暗視モードを起動し、明瞭な視界を先へと注ぐ。


「では、行ってきます。この偵察が終わったら、二人でいっしょに脱出しましょう」

「あ、う……死亡フラグみたいな……」


 シュノンがか細い声で何か言ったが、前方の情報収集に思考ルーチンを集中させていたため、無意味な情報粒子の断片となって電脳内を横に流れていく。


「それでは」

「うぅ……何も起きませんように……」


 祈りのような言葉を背中に受けながら、ホープは暗闇の中へと進行を開始した。



 ※※※



「三分……待ってやる」


 唯一光源が確保されているエレベーターの前で、シュノンはリボルバーの銃杷を両手で握り、ダンゴムシのように縮こまっていた。

 たかが三分。されど三分。

 普段ならこの程度の暗さは慣れっこだ。頭に付けっぱなしの水中ゴーグルには、暗いところも明るく見えるようにする素晴らしい機能が搭載してある。

 だが、海の中で、敵の罠に嵌まったという状況がシュノンの心を蝕んで止まらない。


「ああ、こんなことならついてくるんじゃなかった。ミャッハーたちといっしょにネコキングのところでどんちゃん騒ぎでも……」


 そこまで考えて、首を振って考えを改める。

 あのポンコツを一人で放っておいていいわけがない。

 自分は彼女のマスターだ。だから、耐える。今は精神世界で繰り広げられる地獄の耐久レースに勝ち抜くことだけを考えろ。


「恐ろしき試練……ん?」


 前方で人影らしき何かが揺らいだ。もしやホープが予定よりも早く戻ってきたのかもしれない。

 そう思って立ち上がったシュノンだが、影の動きがあまりにも緩慢すぎる気がして口を閉ざした。


(な、何か変……って言うか)


 唐突に始まるフラッシュバック。脳裏に登場なさったのは、自分が大っ嫌いな奴だ。変な声で呻いて、ガブリと噛みついてくる忌まわしきもの。

 見た目はそれはもう見るに堪えがたいもので、個体によっては走ったり、強力な酸を飛ばしてくる人型の怪物。

 作品によっては、ウイルスが原因だったり魔法で創造させられたり――。


「ま、ままさか」


 シュノンは恐懼し、逃げようとする。そして、自分がどん詰まりであることを改めて認識した。背後にあるのはエレベーターの扉。肝心の移動用籠は、ボタンに連打アタックを仕掛けても二度とやってくることはない。


「う、嘘嘘! ホープはどうしちゃったの!!」


 焦燥しながら相棒を探すが、彼女が戻ってくる気配はない。混乱する彼女は、無駄と知りながらもボタンを無闇に押しまくった。無論、エレベーターは反応がない。ポセイドンたちの手で強制停止させられてしまっている。


「く、くそ! そう、そう……確か頭を撃ち抜けばいいって言ってた。凄腕エージェントとか、一流トレジャーハンターとか、凶悪サバイバーとか!」


 リボルバーの撃鉄を起こし、ゆっくりと現れるソレへと向ける。緊張の一瞬。たかが一瞬されど一瞬。

 いつでも撃てるように身構えたその時、突然鳴り響いたチン、という警告音がシュノンの身体を跳ねさせる。


「うわぁ!! って、嘘!? エレベーター……き、た……ああああ!?」


 当初は驚きと歓喜が混ざっていた。しかし、言葉が続くごとに感情が目まぐるしく変化して、最終的に原点回帰する。

 背後を振り向いたシュノンが目にしたのは、地獄からの脱出可能な天使の籠ではなく、死神が地獄へと送り出した宅配便だった。エレベーターには大量のソレが乗せられていた。


「ひ、ひぃあああああ!!」


 シュノンはもはや抵抗の意志すら投げ捨てて、全力で走り出す。追い詰められた哀れなネズミのように。



 ※※※



 その悲鳴を聴覚センサーが捕らえたのは、偵察を終えたホープがシュノンの元へ戻っていく途中のことだった。


「シュノン?」


 道中に一切敵の気配が感じられず、安全な状態であることを確認し終えたホープは、警戒を怠ることなく帰ってきていた。なのに、一本道であるはずの帰路の先から悲鳴が聞こえた。

 つまりそれは敵の術中に嵌まってしまったということ。てっきり自分が狙いかと思っていたホープは自己認識の甘さを悔いた。


「シュノンが狙いなのですか!」


 ホープは拳銃を片手に走り出す。シュノンに教わった通りの操作で発射状態へと移行させ、シュノンの元へと疾走する。

 と、反対方向から現れたシュノンが泣き叫びながら飛び掛かってきた。


「ほ、ホープぅぅぅぅ!!」

「シュノン!? きゃ!!」


 全力疾走してきたシュノンに押し倒されて、ホープは驚愕する。シュノンが無事だったことにも驚いたが、泣きじゃくる子どものようにわんわん泣いているその表情が一番の驚きだ。


「一体、どうしたのです……?」

「あ、あああ、あれが……」


 シュノンは震える指で後方……ホープにとっての前方を指し示す。シュノンを支えて立ち上がらせながら視覚センサーを奔らせると、ゆったりとした動作の人影を数体発見した。


「あ、れむり、あれは、むり……!」

「……この感覚」


 ホープはサーモグラフィを使い、近づく謎の存在を観察する。その緩慢な動きが彼女の記憶回路を刺激して、とある情報を呼び起こさせた。この存在の正体はデータベースに記録済みである。


「なるほど。しかし、意外ですね」

「いが、い?」


 シュノンは上目遣いでホープを見上げる。不謹慎ではあるが、その表情はホープに愛らしいという感想をもたらした。

 普段からこうであればいいのですが。そう考えて、


(いえ、やはり少しうるさいくらいのシュノンの方がいいですね)


 拳銃をソレに向ける。ソレはようやくホープたちを視認して、呻き声を出した。そして、両手を突き出して迫ってくる。拳銃のアンダーレイルに装備されているフラッシュライトを起動し、ようやっとホープのアイカメラに全体像が映った。


「ひぃいいいゾンビィ!」

「ッ!」


 ソレ――ゾンビが照らされた瞬間、ホープが引き金を引く。頭部を撃ち抜かれたゾンビが通路に倒れた瞬間、音に惹かれて大量のゾンビたちが集まってきた。


「やだぁ! ホープのバカぁ! 何で撃ったぁ!」

「これも情報収集の一環ですよ。やはり私の推測に間違いはない――」

「逃げてよ! 早くぅ!」

「はい逃げま……って、シュノン? 行きましょう!」


 逃走を命令したマスターに従って逃げようとしたホープは、床に座り込んでびくともしないシュノンに当惑する。

 スキャニングで計測したところ、どうやら腰が抜けている。まともに動くことも困難な状態らしかった。


「お、おぶって、ホープぅ」

「わかりました! 早く行きましょう!」


 ホープはシュノンを背負い、ゾンビの群れから離れていく。ゾンビ自体の戦闘力は測定によって大した脅威ではないと結果が出ている。だが、もう少し特性を調べておきたかった。

 敵は実験の失敗作というべき存在だからだ。


「何でゾンビがいんの!? バイオテロでも起きたの……!?」

「何の話ですか。彼らは実験の哀れな被害者ですよ。察するに、より強力なミュータントを作ろうとして、クリ―チャーを創造してしまったのでしょう」


 人類強化計画プロジェクトレギオン宇宙探査計画プロジェクトノアに比べて支持を得られなかった最大の理由だ。人工的な人類の強化・進化は、多大なリスクを被験者に与える。それでも、ある程度研究が進みほとんどリスクなく生み出された通常の変異体ミュータントと違って、ゼウス陣営は安全性を度外視した実験を繰り返していた。

 マッドサイエンティストとして悪名高きポセイドンは人々を廃人にしたあげく、道具としてすらも使役しているらしい。


「残忍な連中です……!」


 ホープが怒りを滾らせながらアップデートされたマップを参照、進行を続けていると、


「ホントに、残忍! 最低! くそったれ! バカ、アホ、間抜け! しんじまえ―!」


 背中に乗るシュノンが大声で喚き立てる。その声を道しるべにやってくるゾンビたち。逆効果ですよ! と諫めるホープだが、増援としたゾンビたちを目の当たりにするたびシュノンは悲鳴を上げてしまい、彼女の声が止む気配がなかった。

 ホープは苦りきったフェイスモーションとなり、


「ええ、構いませんよ、ええ! 今の私は頼れるアンドロイドですから!」

「う、うん、本当に頼れるよ、ホープ……ホントに……」


 しおらしいシュノンから放たれる信頼を纏った言葉。衰弱するシュノンの信心はしかし逆にホープの調子を狂わせて、彼女の感情アルゴリズムを乱している。


「もう、シュノン! 急いで脱出しますよ、二人で!」


 通路の先に発見した鋼鉄の扉のロックを解除して、ゾンビ集団と別れを告げる。

 ホープはシュノンを抱えて別のエリアへと飛び込んだ。それが敵の罠であるという推測を怠ることなく。



 ※※※



『想定通りに事は進んだようだな』

「左様です、主よ。これで十分なデータが取れますぞ」

『テスタメントの動作不良は想定の範囲内であったが、やはり動けるに越したことはない』


 ホログラムのゼウスは饒舌に、水槽の飾られた部屋でくつろぐポセイドンに語りかけている。ポセイドンは投影された別の映像をチェックしながら主との会話を推し進めた。


「H232は幾分劣化しておるようですが、それでもさしものヘラクレスのアンドロイドだけはありますな。かの戦神を二度も撃退してみせた。例え、アレスが加減していたとしても、これは十分すぎる戦果ですぞ」

『ポセイドン』

「おお、おったのか盟友よ。儂にお主を侮辱する意図はない。赦しておくれ」


 割り込んできたアレスが、幻影の主の傍に並ぶ。ガスマスクの男は特に怒る様子もなくポセイドンの話を促してきた。


『状況はどうなっている』

「今、ようやく第一実験場に対象が進行したところじゃ。もうすぐ、儂の子どもたちとの戦闘が始まるぞ」

「えー、でも、わたしぃ、まだここにいるよー」


 水槽の中から声が響く。ポセイドンは孫娘を諭すような口調で、声の主を戒めた。椅子に座りながら後手で彼女へ注意する。


「これ、今は大切な話をしているのじゃ」

『構わぬ。そなたの実験体は良き成果を上げてくれておる。銀の種族に比べて何と従順なことか』

「それはありがたきお言葉です、主よ。アルテミスの効かん坊はまだ抵抗しておいでですか」


 ポセイドンは同僚に想いを馳せながら訊ねた。彼女はなるほど性能こそ高いが、従順さに問題がある。兄であるアポロンはもう少し手綱をしっかりと握るべきだ、と考えていた。

 ――そうとも、もし調教が足りぬようならば、儂に任せれば良い。若き娘を躾けるのはそう難しいことではない。


『お前は自分の任務に集中しろ、ポセイドン。油断すると足を掬われるぞ』

「ふむ、お主の言葉は確かに重いの。その忠告、しかと肝に銘じておこう」


 主の言葉は元より、アレスの言葉も同等の重量を伴っている。敵の強さを見くびる気はさらさらなかった。H232はあのヘラクレスから全てを学んだ難敵である。例え性能が落ちていようと、その強さは引けを取らないであろうことは自明。

 強者にはスペックなどただの飾りでしかない。そのことをポセイドンはよく学んでいる。子どもたちはかつての大戦で無残にも死んでいった。彼らは全員無垢で強力な最高傑作ばかりだった。

 だが、黄金の種族は……プロメテウスエージェントは、性能差をいとも簡単に覆す。強さとは数字ではない。ゆえに、油断大敵と言うもの。


「H232からのデータは確かにフィードバックさせていただく。無論、あわよくば倒させてもらうが……構わんか、アレスよ」

『なぜ俺に訊ねるのだ、ポセイドン』


 アレスがガスマスクの内側から合成音声を放つ。しばしポセイドンとアレスは無言で視線を交わした。その隣で、主が愉悦し笑っている。

 先に沈黙を破ったのは、ポセイドンの方だった。彼はアレスに笑いかけ、


「いや、一番乗りはお主かと思っておっただけだ。彼女の座標データは早くに手にするに越したことはない。無論、負けたところで我々の計画に支障もない」


 とはいえ、やるからには勝っておきたい。そう強く思う。例えアレスのお気に入りだとしても、手加減する理由は自分にはない。

 向こうは忘れているだろうが、H232には借りがある。あれは愛娘を殺している。意図した殺人ではないだろうが、殺された方には関係ない。丁重に彼女の義体を破壊して、その大切なものを奪ってみせよう。


『良いぞ、ポセイドン。悪意を感じる』

「そうでしょうとも。儂はH232を憎んでおります。かつての世界では憎しみは枷でした。しかし、今の世界では憎しみは糧となる。強さの糧へと」


 ポセイドンは椅子から立ち上がると、背後の水槽へ目を移す。水槽の中で浮かんでいた変異体ミュータントは嬉しそうに声を上げた。


「おー、じいちゃん、わたしの出番!?」

「そうだぞ、我が子どもよ」

『成果を期待しているぞ、同胞よ』


 ゼウスが笑みを湛えたまま消失した。付随してアレスも消え失せる。

 ポセイドンは浮かぶ映像を自分と子どもが視える位置に移動させ、彼女に標的の顔をしかと覚えさせた。


「これがターゲットだぞ、よく見ておけ」

「オッケーわかった。可愛い子。とっても可愛い……殺しちゃいたいくらいに」


 残忍な笑顔がガラスに映る。その笑顔をポセイドンは愛おしいと感じる。


「こちらの娘……シュノンと言ったか? こちらは殺してしまって構わん」

「ってことはこっちの白い子はおじいちゃんの獲物ー?」

「そうとも。儂が直々に破壊して、希望を粉砕してくれよう」


 娘の笑顔がポセイドンに映る。人魚セイレーンの邪悪な笑みが。

 その時のことを思うと気分が昂ってしょうがない。儂もまだまだ若いのう。そう独りごちて、ポセイドンは端末を取り出す。


「まずは余興じゃ。しかと、愉しめ」


 それは自分たちに告げたのか、それともH232たちへと言ったのか。

 定かでないまま、仕掛けが起動する。希望を屠る化け物が、実験場へと放たれた。

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