猫の王
「ミャッハー!! 来たにゃー!!」
その鬱陶しい奇声も今となっては頼もしい。ウィッチにいじられっぱなしだったシュノンはプライスレスから飛び降りて、自分の愛車がネコ耳バイカーたちと共に運ばれてくるのを歓喜の眼差しで見て取った。
プレミアムは以前とほとんど変わらない見た目だったが、破壊されたはずの機関銃が新設されており、シュノンの心の光も輝きが止まらない。
「テクニカルねぇ。あれが高級車なのー?」
とウィッチが飄々と訊ね、
「高級車なの! あれがあれば深海だってへっちゃらよ!」
「……あれで深海には向かえませんよ」
ウィッチではなくホープが呆れる。至極当然の正論をシュノンは無視する。
ミャッハーたちがプレミアムを護衛し、運転席にはジャンク屋の店主だったアバロが座っていた。今の彼は治安維持軍の少佐らしいので、いつものボロキレフードではなく新調された軍服らしきものを身に着けている。
「よう、シュノン。持ってきたぜ」
プレミアムから降りたアバロは荷台に積まれたケースを取り出す。その中身に入るデバイスがウィッチのパーソナルデータをインストールするための媒体のようだ。
と、ふとシュノンの中で疑問が生じ、彼女は声に出して言ってみる。
「あれ? でもコアがないと心理光は保持されないとかなんとか」
「それは義体に入る場合のみに限ります。きちんとデータを保存できる環境さえ整っていれば保持することができるのですよ。義体に心理光を移しかえる時はちゃんとコアが必要です。ですから」
ホープの中身がウィッチと入れ替わった。彼女ははきはきとホープの説明を引き継ぐ。
「あたしは千年ほどオリュンポスデータベース内に幽閉されてたんだよね。で、ホープのコアを奪取した奴らが、あたしの義体を修復して放り込んだの」
「なるほどねぇ。便利なのか不便なのか」
「ネットワークが構築されていた時代なら、いざって時はネットに自分を流せば無事に生き残れたんだけどねぇ」
ようは互換性の問題、という奴らしい。シュノンのデジタルアーカイブにも、たまにそういう厄介なデータが紛れ込んでくる。情報粒子の断片からようやく発見した映像が、互換性がないために見れなくて憤慨したことは一度や二度ではない。
「だから、一旦このコアはお預かりー。……一度何か仕込まれてないか分析したいしね」
ホープのコアだったエルピスコアを、プライスレスからウィッチが取り出した。
言わば自分の心を他人に預ける形であるが、ホープは反論することなく意識に現れたりもしない。状況に流されるのではなく先輩を心から信頼しているのだ。
共和国の人々は、そういうことが平然とできる。ゆえに、彼らは高度な文明を築くことができ、宇宙にまで進出できたのだろう。その枠から外れたのが、邪魔な敵であるテスタメントたちであり、アレスのようなオリュンポス十二神だ。
改めてシュノンの脳裏をよぎる謎――今度もしアレスに会えたら、訊いてみようと思う想い。
――あなたたちは本当に幸せなのか、という疑問。
「ミャッフー?」
「……結構真面目なこと考えてたんだけど、何よその物欲しそうな眼は」
突然目の前に入ってきたミャッハーの一人に、シュノンは呆れがちに言う。ネコ耳をつける彼女たちは尻尾パーツを左右にひらひら動かして、
「もちろん、いつものニャ!」
「ミャーたちへの報酬! お手伝い報酬!」
「いやいやこれ依頼したのメカコッコでしょ? ねえ、アバロ」
当然の如く言うシュノンに対し、アバロは冷めた口調で、
「お前が頼んだんだろ……?」
「そうそう私……はぁっ!?」
「お前がメカコッコに言ったんだ。プレミアムを寄越してくれと」
「そんなこと――はっ!」
メカコッコとのやり取りを思い出し、脳内を支配する愕然、驚嘆、驚愕!
衝撃事実! 私は確かにメカコッコへ注文していた!
メカコッコは自発的にプレミアムを寄越すとは言っていない。あくまで迎えを寄越す、とだけ言っていたのだ。そこへ追加注文をしたのは他ならぬシュノンである。
「え、は? マジなの!?」
「マジだねマジです」
「二回も言わんでいいから!」
鬱陶しい相方の物言いに喝を飛ばす。ホープはしゅんとして私は一回しか言っていません、とうなだれていたが、そんなことはどうでもいい。
シュノンの頭を占めるのは、ミャッハーたちにお返しをしなければいけない、という事実だ。
それつまり、彼女たちにエナジー缶を渡さなければならないということ。そんなことはごめんだったので、ギリギリまでの抵抗を試みる。
「あ、後でツケにして、とか……」
「くれにゃいにゃら相応の報いを受けてもらわにゃきゃ」
ジャキッ! 軽快な音を立ててソードオフショットガンがコッキングされる。ちょっと待て! と手を突き出して、シュノンは必死に考えあぐねる。
どうすれば回避できる? どうやればエナジー缶を払わなくて済む。
「素直に差し出せばいいだけでは……」
「黙ってなさいこのポンコツ!」
起死回生の案を編み出すべく頭をフル稼働したシュノンは、ようやくそれらしきアイデアを捻り出し、ミャッハー族に提案した。
「よっし、ついて来い!」
「……みゃ?」
「シュノン……?」
ミャッハーたちとホープが首を傾げてシュノンを見ている。
彼女たちはどうやら理解できていないらしい。シュノンは懇切丁寧に説明してあげることにした。実に優れたアルティメットパーフェクトプランって奴を。
「道中で見つけたエナジー缶をあげるから、私たちについて来て! それでいいでしょ!?」
「……ミャーたちはそれでもかまわにゃいけど、もし見つからなかったらその分上乗せだにょ?」
「あちゃー血迷っちゃったかー」
ミャッハーは首を傾けながら訊き返し、ホープはウィッチへと変化して呆れたように笑っている。
アバロに至ってはプライスレスに荷物を積み込みながら、バカにするような笑みを漏らした。
「いつものやり口だ。その場しのぎで後で泣きを見る……」
「うるさいな! 私は天才って奴だし大丈夫よ! 忘れてるんだろけど私は一流のスカベンジャーよ?」
「確かにあなたは天才ですよ」
表出権を獲得したホープが呆れがちに言う。当然でしょ! と胸を張るシュノンの耳に届いたのは、彼女を怒らす魔法の言葉。
「失敗の天才、というカテゴライズです」
「人の言うことにケチつけんじゃない! 私はあなたのマスター!」
「まぁ、私は構いませんよ。集団行動は安全ですし、敵の目を誤魔化せます」
嘆息しながらホープが付け加える。彼女はアバロの元へ赴くと、デバイスにウィッチの意識をインストールし始めた。しばしの間お別れですね、先輩。少し寂しげな声が聞こえてくる。
「大丈夫! すぐに会えるって。シュノンちゃんもまたねー?」
「またね、ふん! 今度はなるべくからかわないでよ!」
ホープの義体で別れの挨拶を述べたウィッチは、コンピューターの中へすっぽりと納まる。情報粒子……などというきらきら光る粒子が送信され、機器の中に吸い込まれて行った。
その様子を見守ったシュノンはすぐにプレミアムのセッティングに入る。座席の位置をしっくり来る位置へとずらし、メカコッコの贈り物である武器たちの点検を開始。弾薬箱に弾薬を詰めるのも忘れない。
「アサルトライフルとサブマシンガン、ライフルにショットガン……ホープ! どの武器を使いたい?」
「リマスターM4……ではダメなのですか?」
ホープが最初に使った拡張性のあるアサルトライフル。各種パーツを拵えられる優れもので、共和国時代よりも遥か前の時代で使われていた銃器らしい。それをメカコッコは再現し、独自のカスタムを加えている。
「他に使えそうな奴も確かめといてよ? いつ何が使えなくなるかわからないんだから」
「……そういうところはしっかりしているのに、なぜ先程のような無茶な提案をしてしまうのでしょうか……」
「何か言った?」
「いえ、何でも。今準備します」
ぶつぶつ独り言を述べたアンドロイドが走ってくる。シュノンとホープはそそくさと準備を整えた。向かうのは忌々しき海。てっとり早く済ませて、ルンルン気分で帰路につきたい。そうシュノンは考えていた。
「どうにかなる、どうにかなる! だって私はラッキーガール。報酬だってすぐに手に入るさ、うん」
「どうでしょうか……」
荷台に乗って積載物を確認したホープが、苦笑いしながら呟いた。
――結論から先に言おう。ミャッハーたちに渡すべきエナジー缶は何も見つからなかった。それどころか、ただの一つもトレジャーは見つからない。付け加えるなら、敵に出くわすこともなかった。
安全な旅路を終え、今、シュノンとホープは広大な海原を眺めている。
「……バカなっ!!」
砂浜の上でがっくしと膝をつくシュノン。そこへホープが呼びかける。
てっきり不憫な自分を同情してくれたとばかり思ったシュノンだが、相棒はそんな慈愛に満ちた気遣いなど発揮するはずもなく、
「見込みが甘かったですね、やはり」
「チキショウ!」
素知らぬ顔でおっしゃる相棒。文句を言おうと顔を上げたが、前に広がる大海に委縮する。
そうとも、さらに最悪なことにこれからこの中へ潜らなければならないのだ。恐ろしきピンチフルコンボである。冗談抜きに自分を殺しに来ている。
今まさに、窮地に追い込まれたアクションスターめいた状況なのだ。シュノンは恐恐とし、苦悩して、苦りきった顔となった。
「く……く……っ!」
しかしホープは同情をひとかけらも見せず冷淡に突き放す。
「悩んでも仕方ありませんよ。行くしかないのですから」
「――っ! 人の苦労も知らないで! しょうがないじゃない! だって、だって私は――泳げないんだから――!!」
改めての、秘密告白。だが、あくまでホープの反応は冷たい。それは信頼と重なり合って、自分自身のコンプレックスと戦うシュノンに追い打ちをかける。
「それでも、来てくれるのでしょう? なら悩まずにイメージトレーニングをすることです。ダイビングギアを身に纏えば、溺死は免れますし、水圧で身体が潰れることもありません」
「わーってるよ! 何とかなるよ! もう! くそっ、何でこんなに綺麗なのにヤバいんだよ……」
「宇宙は水中よりも過酷ですよ? シュノン。まぁ、私は調整さえ行えばどんな環境にも適応できますが」
うざったい自慢を述べて、ホープは自分の装備を整えに行った。くそぅ、と苦々しい毒づきを漏らし、お守りであるリボルバーを引き抜いた。
「水の中で銃って撃てる? 撃てないよね、やっぱり……」
まさに大嫌いなゾンビ映画を見ている気分だ。ゾンビ映画はハチャメチャ系を除いて基本的に武装制限が掛かる。ド派手アクションが好きなシュノンにとってその制限はストレスとなる。もっとも、そのストレスには別の理由も含まれるが。
シュノンは嘆息してリボルバーを仕舞い、立ち上がる。そこへホープがやってきて、シュノン用のギアも持って来てくれた。
メカコッコ手製のギアは、一見何の変哲もないダイビングスーツと各種ギアだった。が、中身は特別製で、シュノンのような泳げない人間すらも楽々と泳げるように補正してくれる賢い機能が搭載されているらしい。耐水性ももちろんのこと、極限環境でも装着者を生かしてくれる優れ物。
「……でもあのニワトリでありますよ、大佐」
「何を言っているのです。私もスキンの確認を……っと」
ホープのスキンがノーマルスキンから水中用のそれへと変更される。紺色のぴったりとしたスーツ……。そう、まさに水泳時の必需品と言っても過言ではないだろう。
主に学校のプールサイドでは、誰しもが着用を義務付けられている。
「って、おかしいでしょ! それってスクール水着って奴じゃないの!?」
シュノンの怒り交じりの指摘に、ホープは困惑したまま義体へ目を落とした。
「なっ、なぜです!? そうか、先輩! 先輩にコマンドをいじられたようです……!」
「人がおっかなびっくり海に潜るってのに腹立つなぁ! 自分はエンジョイ気分かよ!」
「違います違います! というか、いくら何でも反応がおかしくありませんか? 怒り過ぎです!」
「いーや、正常だね! 私はそのすくみずが大っ嫌いなの! 年頃の男女がきゃっきゃうふふ楽しそうに……人が泳げないのも知らないで! そんなシーンあったら早送りよ早送り! むしろスキップ!! いや、最悪データデリート!」
「八つ当たりされても困りますよ、シュノン……」
困り顔を披露するアンドロイドから、シュノンは腕を組んで顔を逸らす。
困られても、他に誰もないのだから仕方ない。ミャッハー族は海辺に近寄りたがらないのでこの場にはいない。曰く、ネコは水がきらいにゃのらしい。
そう、しょうがない。しょうがないから、ホープに八つ当たりしてあげているのだ。ありがたく思え。むしろ光栄に思え。
「なぜか私の不快指数が増加したのですが」
「知らないよ! さっさと正式衣装に着替える!」
怒声を放ったシュノンが振り向くと、ホープは眉間にしわを寄せてこちらを睨んでいる。
あ、あれ? やばいかも? そう思ったのも束の間、
「シュノン!」
「うわ、あれ? 怒った? ごめんちゃい! ……きゃっ!?」
ホープはシュノンに飛び掛かると、砂浜に押し倒した。小さな石がごろごろしているため、思いのほか背中にダメージが入る。いたぁ! と声を荒げるシュノンを気にする様子もなく、ホープは声を張り上げた。
「何者ですか!?」
「いや、いやいやまた記憶をうしなっ……だれ?」
てっきり再び記憶喪失にでも陥ったかと誤解したシュノンだが、ホープの視線の先、上下逆さまに立つ人影に誤解を解く。
「え? 人じゃないよね? またミュータント?」
毛むくじゃらのそれを見ながら発したシュノンの問いに、男が応える。
「作用。我輩はネコキングである」
「何言ってんだきゃっつ」
「ここは我輩と盟友の土地である。人の子よ、引くがよい」
「えーと……」
二足歩行ネコミュータントもといネコキングは、豪華な鎧に立派な王冠を頭にのせた男だった。腰に剣を差す彼は手にレーザーピストルを構えている。
「ゼウスの仲間、ですか」
「ゼウス? 知らんな。我輩は深海に住む良き隣人と共にこの土地を守っている。土地を荒らす不届き者には、それ相応の報いを受けてもらおう」
渋めの声で話すネコキング。老齢らしきネコは、貫録と威厳を備えた立派な王にも見える。容姿が他の要素を喰って余りある点を除きさえすれば。
シュノンは自分を覆いかぶさるように庇うホープに、威勢よく指示を飛ばす。
「生意気なキャッツだ。ホープ、やっちゃえ!」
「……いえ、今回は見送りましょう」
が、意外にもホープは武器を収めた。というより最初から戦闘モードに入っていない。では、先程のダイナミックカバーは一体何だったのか。それを問う時間はシュノンに残されていなかった。
「ほう……? 引くと言うのか、人間」
「私はこの海の底にあるはずの施設に用があるのです。引くわけにはいきません」
「ふむ? では剣を交えるのか?」
ネコキングがピストルを構え直す。ちょっと、説明して! という言葉は鼻腔をくすぐる磯の香とかいうのと共にどこかへと流されていく。
「いいえ。戦う気はありません。ですから、赦しを頂きたいのです、ネコキング」
「ほう? 許可を取って正々堂々隣人に会いに行くと?」
「叶うのならそれが最善でしょう。私の分析では、あなたから一切の敵意を感じません」
「……アンの嘘を見破れなかったポンコツセンサー」
「どうでしょうか。あちらでお話でも」
ぼそりと呟いたシュノンのつぶやきを無視して、ホープはネコキングと交渉を続ける。私の話を聞け! という叫びも海原へと吸い込まれていき、シュノンは頬を膨らませた。
そこへホープが意味深にウインクしてくる。そして、ネコキングに見えないように後手で指をさしていた。その方角へ目をやって、シュノンは首を傾ける。
(あっちって確か……ああ、なるほど)
シュノンは即座に理解した。ぐっと親指を立てて、サインを送る。
――ようやくツキが回ってきた。これでしくじったと思われた失敗も、新たなる成功に転用できるというもの。
自分の機転の素晴らしさに、シュノンは独りでにやける。相棒が発端という点はさておいて。
※※※
ネコキングへの脅威判定は未だ計測中のままだった。立派なサーベルとピストルは脅威度をBランクまで上昇させてはいる。しかし、彼自身の戦闘能力は未知数だった。
だが、ミノタウロスやケンタウロスのような変異体に比べて油断していない。戦士としては実力があるように思考ルーチンは推測した。
「……さて、話に戻るが」
ネコキングの発声。ホープは周辺にセンサーとスキャナーを巡らせながら彼とのコミュニケーションを開始。
「そうです。許しを得ましょう。……まず、あなたは隣人についてどう思っていますか?」
まずは基本的な質問。シュノンが戻ってくるまで会話を続けなければならないが、ホープの対人コミュニケーション機能なら問題なく対話状態を維持できる。
「どう、とは?」
「彼らがどういう人間か、ということです」
「奇妙な問いだな。君たちは彼らが何者か知っているのでは?」
「なぜ、そう思うのです」
冷却液が一滴、頭部パーツから流れ落ちる。会話が妙な方向へと動き出してしまった。ネコキングはその容姿や名前とは違い、知的な人物であるようだ。下手なことを言えば突っ込まれ、地雷を踏み抜きかねない。見えない心の地雷は、さしものホープの多次元共感機能とサイコメトリックスでも確認不能だ。
実際に起爆してから、気付いても遅い。ホープは慎重に言語中枢から思考ルーチンへと言葉の送信を行う。
「施設に用があると言っていた。その施設がわかるのなら、そこに誰がいるかも知っていると思うのはそう不思議なことではあるまい」
「その通りですが、情報不足のため私たちはそこに何があるかは知っていても、誰がいるかは不明なのです」
「では、質問を変えよう。そこに何があると言うんだね?」
ホープは黙考。適性言語を口部スピーカーから出力する。
「重要施設です。街の発展のための」
「それでは答えになっていない」
「……私からの質問の許可を」
「構わんよ。時間はたっぷりあるのだから」
ネコキングは海辺の草原の真ん中でどっしりと座り込んでいる。油断しきったようでいて、その実全く油断していない。もはや、その容姿すら計算に含まれているような気がしてくる。
ホープは緊張のフェイスモーションで、彼と全く同じ質問内容を返した。
「あなたは施設に何があるか知っているのですか?」
すると、ネコキングは豪快に笑いだした。驚きにアイカメラを拡大させるホープへと彼は笑いながらまたもや問いを投げ返した。質問のキャッチボールが繰り広げられる。
「逆に訊かせてもらうが、君はネコが海の中に潜れると本気で思うのかね?」
「あ……」
ホープの赤面。変異体である、という前提認識が彼の持つ能力の測定を誤らせた。
「ハハハ、どうやら君は観察眼が足りないようだ。海の傍にいるから我輩が泳げるとでも? 我輩は彼らに食事を提供してもらっているにすぎん。共生という奴だ」
「食事……」
「我々は魚が好きだが、海には潜れないと言うジレンマを抱えていてね。だが、彼らは陸上での行動に制限がある代わりに、海の中では自由自在というわけだ」
「つまり、海洋生物との掛け合わせがいる、と?」
流暢に話すネコキングの言葉から、ホープは推測。彼女が独自分析を行う前で、ネコキングはおもむろに立ち上がり一方的に会話を打ち切った。
「さてな、それは自分で考えたまえ。……君たちへの問答は終わりだ。お引き取り願おう」
「な、待ってください! 話はまだ!」
当惑しながらも引きとめるホープだが、彼は聞く耳を持たない。返事をしながら剣の柄に右手を置く。
「それは無理な相談だ。どうやら君たちは我輩の隣人に危害を加える存在。その場しのぎの時間稼ぎでどうにかしようとしたようだが、我輩には通じん」
「私はあなたと戦いたくないのです!」
「奇遇であるな。我輩も君と戦う気はない。ゆえに、我輩が剣を執る前に引くのなら、見逃そうと思う。だが、立ち去らぬというのなら」
鞘から僅かに刀身が見え始める。ホープは苦心し、拳を握った。
できることなら、敵の感知網の傍で敵の協力者との交戦は控えたい。それだけでなく、彼は無自覚でゼウスに利用されている節があった。ゼウスの常套手段だ。善人に善行だと思わせて悪行を行わせる。ゆえに、プロメテウスエージェントたちは、ゼウスの策略に気付けなかった。敵が悪意を持っていなかったから。
「止めてください、市民!」
「我輩は市民ではない。民を守る王である! 行くぞ――」
「く……ッ!」
ネコキングが抜剣。ホープも拳をスタンモードへと切り替える。素早い速度でネコキングが肉薄し、剣と拳が交わる刹那、
「ストップストップ、ストーップ!!」
「む?」「シュノン!!」
大声と共に現れたのは自分の相棒でありマスターでもあるシュノン。彼女は小柄な体を精一杯大きく見せながら、叫んでくる。
「連れてきたよ!」
「何を連れてきた? 増援か?」
「きっと気に入ってもらえるかと」
臨戦状態を維持するネコキングに対し、ホープは安堵した表情で戦闘モードを解いていた。
訝しむ彼の元へ、軽快な奇声とバイクのエンジン音が聞こえてくる。より警戒を強くしたネコキングは音の発生源を目の当たりにし、
「何と……!?」
感極まった声を放って剣を落とした。
「ミャッハー! 呼んだかにゃ?」
「はい。仲良くなれるのではないかと思いまして」
ホープたちの前で愛車のバイクを停止させるミャッハーたち三人組。ネコ耳を潮風になびかせる半裸の少女たちにネコキングは釘づけだった。多次元共感機能が、ホープの期待した通りの感情を描いている。
「うひゃーネコでもやっぱり男なんだねー」
「容姿が異なるという部分以外、変異体も人と変わらないのです」
予定通りに事態が進み、ホープとシュノンは言葉を交わす。その前で、感銘を受けたらしいネコキングがミャッハーたちに跪いた。
「これほど美しい娘に出会ったのは初めてだ。どうだろう、我輩の国民にならないか?」
「ウミュー、ミャーたち難しいことはわからないにゃ」
「ならば我輩が手取り足取り教えて進ぜよう」
ネコキングがミャッハーの一人の手を取った。ミャハー、と嬉しそうな声を漏らすネコミミ少女。
「できることならその前に」
無粋と知りながらも、ホープは会話に割り込んだ。ネコキングの不機嫌な顔とミャッハーたちの満更でもない顔がカメラを通して電脳に受信される。
ホープは不敵な笑顔を出力して、自身の願い事を告げた。
「彼らについて教えていただきたいのです。それと、海底施設への進行許可も頂けますか」
「ミャッハー作戦成功だね!」
「シュノンのおかげです」
そう応じながら、ホープとシュノンは海の近くにある家まで移動していた。ミャッハーたちはネコキングと共に近くの王国へ足を運んでいる。彼はホープの要請に快諾し、移動用の潜水艇まで貸与してくれた。ミャッハーたちの来訪を条件に。
結果としてミャッハーたちを売った形となってしまったが、当のミャッハーたちは気にすることなく、この素敵な出会いに感謝にゃ! と言ってそそくさと向かってしまった。こっそり三人組に張り付けた小型の発信機が常に彼女たちの状態をモニタリングし、危険を感じた時はホープにエマージェンシーが届くようになっているため安全は守られている。
「ふへへー、それほどでも。けどさー」
得意げになったシュノンは桟橋を歩きながらホープに訊ねた。腕を後頭部に当てながら、何気ない様子で。
「どうしてバトりそうになってたわけ? お得意の交渉術は?」
「ちょっとしたトラブルがあったのです。それだけですよ」
早々に話題を変更しようと試みる。まさにシュノンが犯した失敗をホープはしてしまっていた。その場しのぎ。適当に応じて、その結果が自分に返ってくる。
そのことを彼女に知られるのは恥ずかしいので、早急に準備を進めようとしたホープだが、勘のいいマスターはははーん? と意味深に笑い、
「なるほどー? いつものポンコツぶりが発揮されたのですな?」
「わかったような口を利かないでください。か、彼の機嫌が悪かっただけですよ?」
「そうは思えなかったけどなー。あのネコ、意外と冷静だったし。悪い人にも思えなかったし」
「ネコは情緒不安定な生き物なのです。先程笑っていたかと思えば、次の瞬間には怒り、さらには泣いて、甘えてくるのです。感情豊かな、素晴らしい動物でしょう。犬とは比べ物になりません」
「私は犬の方が好きだけどねー」
桟橋の先に停泊中の小型潜水艇は型式の古い、狭苦しいものだった。どうやら座標はあらかじめ設定されているようで、移動コマンドだけ送信すれば勝手に目的地へと向かってくれるらしい。
一つしかない座席に二人で座るホープとシュノンはすしパックのようにぎゅうぎゅうとなって、最適な位置取り合戦を始めた。
「ちょい、狭い! ホープ、そっちに行って!」
「どこへ行くと言うのですか! 外に出てしまいます!」
「いいじゃん、それで! 外で掴まってて!」
「それではばれてしまうでしょう! あくまでネコキングの使いとして、私たちは潜入するのですよ!」
結局、小柄なシュノンがホープの膝の上に座るという形で落ち着くが、文句の嵐は止む気配を見せない。
「せめてその胸をどかして! 無駄にデカいんだから!」
後頭部にホープの胸部パーツがぶつかる形となったシュノンが不平を放った。
しかし、こればかりはホープに言われてもどうしようもないのですぐさま反論を述べる。
「胸部パーツは私のモデルになった創造主のコンプレックスのせいなのです! 私のせいでは!」
「アンドロイドのくせに! おっぱいデカいアンドロイドとか需要ないよ!」
「そ、その点については発言を控えさせてもらいましょう。……ストーカーは未だトラウマですし……」
アンドロイドコンプレックスを持つストーカーに追尾された経験は一度や二度ではない。フェイスカラーが青となったホープに、シュノンはシュノン節をかっ飛ばす。
「なぁに、このトラウマドロイド! メンタル弱すぎなのよ!」
「なら、手本を見せてください、シュノン! 我慢強さを私に見せてください!」
「うるさい! 狭いんだから喋んな!」
「ならあなたもお静かに! 動かしますよ!」
強引に潜水艇をスタートさせる。小型潜水艇は内部の状況などお構いなしに動き出し、予想以上に強い振動がホープとシュノンをぐちゃぐちゃにかき混ぜた。
「なっ、この揺れは予想外です!」
「予想してろよこのポンコツ!!」
天井に頭を強打したシュノンが涙目で怒鳴る。後頭部を擦るホープも負けじと言い返した。
「無理ですよ、こんなアンティーク初めて乗りましたから! うわっ!」
「チクショウ、くそ! やだ、早く帰りたいー!!」
「せめて、揺れだけはなんと、か! ……オートパイロットが解除できない! きゃあ!」
コンソールを操作していたホープが警笛ボタンへ鼻をぶつけ、海中内にブザーが響き渡る。その喧しく無骨な音は、二人の心境を表しているかのようだった。
潜水艇は目的地へと、水の中を進んでいく。ソナー音を海中に響かせながら。
その先に何があるのか、ホープたちは最低限の情報しか得ていない。如何様な試練が待ち受けているのかすらも不明のまま、使命のために進んでいった。




