苦悩
どうしたものか。どうしたものか。
物語は苦悩から始まった。避けられぬ宿命へ対する苦悩から。
その悩みは種となり、頭の中に居座っている。どうにかして排除しようと目論むのだが、忌々しいソレは頭から出て行こうとしない。沈痛な重石となって、身体を蝕み犯している。
「く……く……っ!」
苦悶に喘ぐ。それを見る傍観者はしかし、同情すらせず呆れすら見せて、淡泊とした言葉を言い放つ。
「悩んでも仕方ありませんよ。行くしかないのですから」
「――っ! 人の苦労も知らないで! しょうがないじゃない! だって、だって私は――!!」
大海に絶叫が響き渡る。眼前に広がる海原が自身の叫びで揺らめいたように見えた。
なぜこうなったのか? 苦悩へと至る発端は、数日前にさかのぼる……。
シュノンの大活躍と、ほんのちょっぴりのホープによるささやかな支援のおかげで、二人は見事楽園の解放に成功した。
ついでに言えば、ホープの先輩でもあるウィッチの救出も大成功。シュノンとホープはうきうきとしてメカコッコが構築した情報網へと街の通信塔からアクセスし、デブリーフィングを開始した。
『……なるほど。朗報に次ぐ朗報だ。君たちは十分に働いてくれた』
「そりゃあそうでしょ! 大活躍ですらない! 超活躍だよ!」
「ガキは調子に乗ってるが、まさにその通りだ。感謝する」
右腕に包帯を巻くジェームズも同意した。彼は左右に踊るメカコッコのホログラムを目視した後、その横に立つフノスへと視線を移す。
「……不思議と会ったことが気がするな」
『私もです。黄金の種族同士は、出会う前から繋がっているのですわ』
「これぞまさに便利なネット社会って奴?」
「それとはちょっとちがいま違うよー? あたしらのネットとは違って、もっと電波強度がびんびんで優れてるの。そりゃああたしらにも同じ原理が組み込まれてるから通信しようと思えばできるけどって割り込まないでください!」
ホープが自分自身に突っ込みを入れる。傍から見ればアレなポンコツドロイドだが、一応れっきとした理由があるので、眉は顰めど文句は言わない。そんなシュノンにホープは態度で心情が表れてます、と憤慨した。
「私のせいじゃないのに……先輩のせいですよ」
「いや超簡単に乗っ取られ過ぎだよ。感情優先なんちゃらはどうなってんの」
シュノンの冷静な返しにホープは頬を赤らめて、
「そ、それは不調でなわけないじゃーん。ホープがあたしに心を赦してるから、こうも簡単に入れ替われるんだぜー? せ、先輩!」
「あーチョロイドロイドってことか」
「シュノン!」
ウィッチと入れ替わりながら怒るホープからは説得力が微塵も感じられない。
シュノン自身、ホープはチョロイと考えている。当初こそマスターとして受け入れてはくれなかったが、初対面の人間と敵対しないで行動を共にするなど普通なら有り得ない。
……のだが、ジェームズやフノスなどを見ていると、どうにも自信がなくなってくる。これぞまさにあいでんてぃてぃーの消失という奴だ。
「全く、困ったドロイドと人間たちだ。やれやれ」
「そのしぐさは映画だから赦されるのであって、現実世界ではイラつくだけです」
つまらないことをぼやく。さらにやれやれ。
シュノンがクールに呆れていると、アンとメアリーが扉を勢いよく開けて入ってくる。そうして、ホープの周りをくるくる囲んで両手を掴んだ。
「お姉ちゃん、遊ぼうよ!」
「うん、遊ぼう!」
「な、今は大事な会議中なので無理でいやっほー! 遊ぼう! 子どもは大好きだよー!」
「頭イカレているようにしかやっぱ見えないや」
ホープは遊びたがらないが、ウィッチは遊ぶ気満々らしい。情緒不安定なアンドロイドにシュノンが苦笑していると、ジェームズが二人の少女を諫めた。
「もう少し待てよ。今は本当に大事な話をしてる」
「えーでも」「お話長すぎ!」
「そーだそーだ、長すぎ!」
「あなたまで交じって何言ってんの」
ジェームズに抗議したのは少女たちだけではなく、ホープウィッチもだった。しかしジェームズは慣れた様子で言葉を受け流すと、少女たちの頭をくしゃくしゃに掻く。
「あんまり騒ぐとケンタウロスを寄越すぞ」
「きゃー種馬!」「種馬は討伐だ!」
「あららー残念……じゃありません! 何で先輩まで混ざっているのですか! 子どもじゃないんですよ! いやー、楽しそうじゃん? あたしらに年齢の概念なんてないしさ。つーかそれ言ったらおばあちゃんになっちゃうし? 不服だったでしょ? ホープもさ。そ、それは……」
「ぷふっ」
見事仲良し二人組を撃退したジェームズの脇で繰り広げられる頓珍漢なやり取りにシュノンは噴き出した。本当にこのアンドロイドは墓穴を掘るのが大好きだ。きちんとメモリーに記録されているはずなので、忘れましたは通用しない。記憶力の良さも考え物だ。黒歴史までしっかりと録画されてしまうのだから。
「シュノン!」
「大事なお会議でしょー? おはやくぅ」
テキトーに囃し立てると、ホープが恨めしげな視線を向けてきた。が、シュノンは取り合わない。
気を取り直したホープはホログラムへと視線を戻し、進捗はどうですか、とメカコッコたちに訊ねる。
『人員の確保もそれなりに。治安維持軍も結構な規模となり、街の平和は保たれていますわ』
『王女殿下の助力もあって、略奪者の懐柔にも成功したよ。まぁ、何度か揉めたが……流石姫様、と言ったところか』
「いいねー。バトったあげく牢屋にぶち込まれた誰かさんとは大違い」
「……!」
相棒の眼光を口笛を吹いてスルー。吹けてませんよ、という指摘も気にしない。
「私の座標データは……」
『調査したが、やはり千年の歳月は無情だな。結果は芳しくない。アースガルズのようにシステムが破損していたケースもある。だが、諦めるにはまだ早い。我々はまだたった二つしか調べていないからな』
「そうですか……そうですね」
ホープ内にかつてのマスターが遺したデータは膨大で、さらには遺された本人自体が座標位置に何があるのかを知らないと来ている。ゆえに、調査には膨大な時間が掛かり、完全な徒労に終わることもあるようだ。
だが、それでも何もないよりはマシだ。例え無駄足に終わっても、予兆があるだけだいぶマシなのだ。荒廃した世界の中では。
『そこに何もないことがわかるだけでも、大きな収穫ですわ。それに、エナジーの供給ルートを構築できただけでも儲けものというもの。ホープ、シュノン、良き仕事をしてくれましたね』
「お褒めにお預かりお光栄でございますよお姫さん」
『ふふっ。……相変わらずで良かったです』
シュノンの茶化しをお姫さんは面白そうに笑う。横でぎろりと睨む相方に比べて何と寛大なことか。
余裕をぶっこいていたシュノンだが、次に放たれたお姫様の深刻なお話に余裕が吹き飛んだ。
『嫌な感覚を感じていたのです、シュノン。あなたが黒く染まってしまいそうな――』
「どういうことです? 姫様、シュノン」
「あ、やー、何でもないよん! 何で私が闇落ちみたいな中二臭いことしなくちゃなんねーのさ!」
慌てて誤魔化す。これはそっと胸の内に秘めておきたかったことだ。これだから黄金の種族って奴は厄介だ。勝手に人の心を盗み見る。何より悔しいのは、確かにこの話題は誰かと共有しておいた方がいいってことだ。そういう意味では、フノスの警句は正しい。
だが、なるべくホープの前では話して欲しくない。その気持ちを聡明なお姫さんは察してくれる。
『その通りですわね。杞憂でした』
「待ってください、話はまだ」
「いいから! 今後の方針って奴を決めよう!」
シュノンの強引な進行にホープは不満げだったが、メカコッコと二人の黄金の種族は気を遣って合わせてくれた。やっぱり黄金の種族ってのは素晴らしい、と改めて思う。
訝るホープを後目に、メカコッコは方針について話し出した。ナイスなニワトリである。今度カエル焼きを奢ってやろう。
『当面の目標は人員確保とルートの保全だな。君たちには――』
「……だったら私にも考えがありますよ」
ホープはシュノンを横目で見ながらメカコッコに提案する。
ほわっつ? 提案ってなんぞ?
瞠目するシュノンの前でホープは自分の頭をトントンと叩き、
「先輩がどうやら敵の情報をハックしていたようなのです」
『ほう? それは朗報だな』
「先輩」
ホープが自発的に意識をウィッチに受け渡す。ホープの義体を通して表出したウィッチは珍しく真面目な表情で解説を始めた。
「まぁ、これでもあたしはプロメテウスエージェントだからね。お土産を持って帰らないと合わせる顔がないと思ってたし」
『報告を、ウィッチ』
「了解しました、王女殿下。……あたしが収集したのはゼウスたちが利用していた秘密施設の座標です。その中で――」
ウィッチが指で魔法を描く様に文字を書く。すると、何もない空間にデータが投影された。シュノンはおぉ、と感心した声を漏らす。本当の魔法みたいだった。
「とある施設に、大量破壊兵器があるという情報がありました」
『ふむ……有り得ないことではないな』
メカコッコが右翼を首元に当てる。恐らく黙考中。やり取りを聞いていたジェームズも同意するように頷いた。
「連中は支配を重要視していた。恐怖による支配だ。大量破壊兵器なんてのは、人々に恐怖を与えるにはもってこいだろうな」
『世界最後の日には、ゼウスはコロニー落としやケラウノスを使って人々を抹殺しました。……一部の例外を除いて』
フノスがシュノンを見る。シュノンは私? と自分自身に指をさした。
「お姫さんも無事だったじゃん」
『私は敵の計画から逃れただけに過ぎません。シュノンのような崩壊世界の生き残りは、偶然生き残ったのか、それとも必然だったのか、定かではないのですわ』
「……なるほど」
アレスのような凄腕を目の当たりにした今、自分の実力だけで生き残ってきたとは胸を張って言えなかった。やべえ局面を何度も切り抜けて来て、サバイバル能力にはそれなりの自信があったが、アレスのような奴と正面切って戦って無事に生き残れるかは謎だ。
しかも、そんなトンデモが後十人はいるのだ。とても気が滅入って、やってやれなくなりそうだった。
と、そんなシュノンの思念を読んだのか、お姫さんが慰めてくる。
『十人、ではないはずですわ。もちろん、アテナのように別人を宛がう可能性はありますが、数は減っているはずです』
「最後の戦いでやられたのはあたしたちだけじゃないからね。ちゃんと敵さんにも報いは受けさせたよ。ハデス、へパイトス、ヘラ、デメテル、一応アテナやアレスなんかも倒したんだ。……復活したけどね」
「まぁ、こっちも徐々に復活しつつあるし、何とかなりそうな?」
半数以上は倒していたと聞いて、シュノンの気が大きくなった。一番の障害はアレスだが、ホープならその内倒してくれそうな気がしている。
『シュノンの言う通りだ。最終戦争は、痛み分けで終結している。……こちらも偉大な指導者の一人を失ってしまったが、ゼウスの陣営も弱体化しているはずだ。今は力を蓄え、敵の余力を削ぎ落す期間に過ぎない。本命を撃ち込むためにも、ウィッチ用の義体を構築しなければ』
「ホープの義体もいいけど、やっぱり自分の義体じゃなくちゃねー」
ウィッチが気楽さを見せる。この先輩アンドロイドはホープより楽観的だが、頼れる時に頼りにはなりそうだ。その大量破壊兵器のぶっ壊しにも彼女の助力を得られるだろうし、と安堵したシュノンだが、
『迎えを寄越すから、ウィッチのパーソナルデータを端末にインストールしてくれ』
「ええっ、ついて来てくれないの?」
「シュノンちゃんごめんねー? 実はこの状態ホープにかなりの負荷がかかってるんだ。だから、いつまでもいっしょにはいられないんだよね。一度、外に出て色々調整しないとまずいし」
ナハハーと笑うウィッチだが、シュノンは反面がっくりとうなだれた。なぜこうも頼りになりそうな人に限って同行してくれないのか。二人旅は好きだが、別にもっと大人数でも構わないというのに。
食料の確保は大変だが、大人数の方が旅の安全は確保されるというのに。
「じぇ、ジェームズは……」
期待の眼差しを片腕の男に寄せたシュノンは、彼に呆れた笑顔を返されることになった。
「お前はバカか。そこで俺に頼るなよ」
「え、えー?」
「再生手術にルート開拓と治安維持が俺の当座の仕事だ」
「そんなぁ。姫様は……?」
『魅力的な提案ですが、生憎、私にも務めがありますの』
どうやら黄金の種族の助太刀は得られないようだ。頼れる傭兵であるチュートンもこの場にはいない。がっかりしたシュノンは最後にホープを見て、彼女のムッとした顔が視界に入る。
「あ、戻ったんだ? あは、ははは……」
「せっかく頼れる姿を見せたというのに、まだ不満なのですか?」
「いや、前回の戦いは超頼れたけどさ」
その言葉に偽りはない。ないのだが、ホープの強さを支えた追加パックであるレーヴァテインは修復不能な状態にまで破壊されてしまっていた。つまり、今の彼女はいつもの彼女である。どこかポンコツで、頼りないアンドロイドなのだから、不安を感じてしまうのは至極当然のこと。
「何でパックを壊しちまうかなぁ、って」
「仕方ないでしょう! 先輩を救うためにはああするしかなかったのです。……それに、今回の向かう施設は深海の底ですから、レーヴァテインは使えません」
「ああ、そう……何だって!?」
今聞き捨てならないことをホープは申した。深海? 深い海と書いて深海?
「海? 海だっていうの? 海!? 砂漠の海みたいななんちゃってじゃなくて本当に海!?」
「先輩から頂いたデータではそうなってます。……それがどうかしたのですか?」
「い、いや、何でもない、何でもないけどさ……海……」
海とは水がおたくさんありやがる面倒くさい場所である。人は空気を吸えないと死ぬ。そして、水の中に含まれる空気を生身の人間は吸うことはできない。つまり、長時間水の中に潜っていたら死んでしまう。超危険! 宇宙の次に危険なフロンティアである!
戦々恐々とするシュノンを後目に、ホープはメカコッコにオーダーを始めた。
「水中用の装備をいくつか。シュノンにもダイビングギアを」
『心得た。しかし、アビスウォーカーは使えないぞ』
「元よりそのつもりです。奇襲作戦ですので大丈夫ですよ。先輩の情報処理能力なら、痕跡を残すなどありえません。敵は襲撃されるなんて想像していないでしょう」
「本当に? 頑丈に警備してんじゃないの?」
「その警備網の役目を深海という極限環境に任せているのでしょう。ステルスコーティングを使えばソナー探査にも引っかかりませんよ」
安心安全を説くホープだが、シュノンには微塵も安全とは思えない。
――だって、海ですよ海。なんかヤバそうなクリ―チャーがたっぷりといて、空気は吸えない、飯も食えない、眠れもしない。まぁ、トイレはし放題だけど……。
「って、んなことはどうでもよくてさ、一番の問題は……」
「何か問題が?」
「……何でもない」
言おうとしたが言えなかった。先程隠した秘密とは別方向の乙女の秘密。
それは――シュノンが実は泳げない、ということ。
そんな花も恥じらう乙女の秘密を暴こうとするかのように、ホープはじっと見つめてくる。サバイバリストの自分が水泳の一つもできないというのは恥ずかしい。
ゆえに、シュノンは紛らわすかのように啖呵を切った。
「う……あ……も、もういい! どうにでもなれ! 行くよ! プレミアムを寄越してね!」
酸素マスクさえつければ、地面を歩くのと変わらない。息さえできればいいのだ、息さえ!
「どうしたのです? 一体?」
ぷんすかしながら部屋を出ていくシュノンを、ホープは困惑した様子で見つめる。
その隣でホログラムの姫様がくすくすと笑い、実体を持つジェームズが苦笑していた。
その後、シュノンとホープはゴールデンホーク号で砂漠の海の境界まで送ってもらい、プレイスレスで合流地点まで向かった。道中暴徒と出くわしたが大した脅威もなく無事撃退し、シュノンはバギーカーを緑地へと走らせている。
しかしハンドルを握る手は重かった。
「なぜ緊張しているのです?」
能天気なドロイドさんが訊いてくる。うるさい! と一喝。
すると、不服そうな顔となったホープがムッとしながら言ってくる。
「気遣っているのですよ? シュノン」
「余計なお世話だって! 私は平気だから!」
そう言い返して、そっぽを向く。ホープも苛立って顔を反対側へ。
別に喧嘩する気はなかったが、ここで真実がばれるのはまずかった。自分が泳げないということは恥ずかしさを弄呈してしまうだけではない。
ホープと言う過保護の相棒は、間違いなく自分をこの任務から外してしまうだろう。そうシュノンは考えていた。だからこそ、真相を打ち明けない。
これこそが真の気遣いという奴だ。突っ走りやすいアンドロイドのために、シュノンは身を削るつもりで大嫌いな海へと向かおうとしている。
だのに、愛すべき相棒は頬を膨らませている。シュノンは大きめのため息を吐いた。
「ちょっと気が立ってるだけ。だから怒らないでよ」
「……怒ってませんよ」
どの口が言うどの口が、というツッコミはしないでおく。そう言えば、この前も似たようなやり取りがあった。
「この前は人が怒ってるかどうか気にしてたくせに。前言ってたけど、ホープの性格の変動さも大概じゃない? 自分のことを棚に上げて説教しないでよ?」
「それならこちらに対する指摘も止めていただきますか。もう一度言いますが、私は怒ってません。……あなたの態度に不快感を抱いているだけです」
「それを怒ってるって言うと思うんだけど?」
「つまりそれはあなたの認識が間違っているということです。私はアンドロイドですよ? ということは私の意見が絶対で、あなたの意見は不確かなのです」
「いやいやどういう基準ですかねそれは。ったく……」
無意義な会話を広げて、プライスレスは荒野を進む。不思議と、荒ぶっていたシュノンの気が幾ばくか落ち着きを取り戻していた。ホープとの会話はメカコッコが言っていたように、一種のやすらぎ効果をもたらす。
ひとりぼっちよりも確実に、ふたりぼっちの方がいいのだ。例えポンコツドロイドでも。
(それを言うならクレイドルだって……)
シュノンは何となく助手席のホープを見る。いつの間にか彼女は節電のためにスリープモードに入っていた。実際には意地を張ってのふて寝だろう。すぅすぅと寝息を立てている。無邪気な寝顔。
しかし、彼女はバトルサポートドロイドであり、多目的支援型アンドロイド。プロメテウスエージェントであり、滅びゆく世界を救うための希望でもある。
「スーパーヒロインシュノン様の活躍のためにも、あなたは必要なわけよ」
だから泳げなくとも、ホープの行き先には付いて行く。無茶はたくさん経験している。今更ビビることもありはしない……たぶん、おそらく、なんとなく……。
指定されたポイントに到着し、シュノンもまた背もたれに寄り掛かった。目を瞑って眠ろうとする。
ホープと信頼関係を築いてからと言うもの、トラブルに巻き込まれた時以外は安眠が保たれていた。
ホープはシュノンの安全を、治安を守ってくれている。自分を守り育んでくれた揺り籠のように。
※※※
「デジタルアーカイブの閲覧は年齢制限にあったものの視聴を推奨します」
「うっさいなー! 今の世界にしちょうせいげんも何もあったもんじゃないでしょ!」
背もたれを限界まで倒した助手席で寝転び、頭上に端末を掲げて見つめていた。
運転席の相棒は彼女の発言を快く思わなかったらしく、車を停めて注意をする。
「市民教育倫理に反します」
「しみんって何さ。私はしみんとか言うのじゃないよーだ」
と文句を言って、画面を注視する。画面内では、拳銃を握りしめるおじさんがまさに無敵と言っていいほどの活躍ぶりで群がる悪党共を無双していた。痺れるほどの強さにくぅーっ! と感嘆の声を漏らす。
「最高! 最高だね!」
「その映画の視聴回数は二百十四回目になります」
「む、いいじゃん。何回同じの観ても」
ふてくされて、身体の向きを横へと移す。運転手はあくまで回数を言っただけだが、暗に見過ぎだと注意されている気がしたのだ。
いや、実際に注意しているのだろう。それが嫌で、顔を背けた。
「教育上、問題のある映画です」
「いいや、これこそ人生のバイブルって奴だね」
「あなたの精神年齢では、空想と現実を混在してしまいます。もう少し、高度な人格形成レベルへと発展させなければ」
「そんなことはない!」
反発して起き上がる。もう何度聞いたかわからない注意文句だった。精神を固着してどうこう、現実と空想の違いがあーだこーだ……もう聞き飽きていた。だからこその反論に、ハンドルを握る彼女は無表情のまま、
「申し訳ありません」
と謝罪してくる。
「何でそこで謝るの……」
「あなたの人格形成に失敗したのは私の責任です」
「私はあなたが思っている以上に完璧よ!」
「いいえ。あなたはもう普通の市民ではない。犯罪行為を肯定し、略奪を容認し、躊躇いなく人を殺してしまうでしょう。全て、私の責任です」
彼女は即座に首を振り、自分自身を責め立てた。その言動が怒りを招きよせる。
なぜ? なぜなのだ? こんなに自分はまともなのに。
なぜ彼女は悲しみ、自虐するのか。自分にはさっぱりわからない。
「こんな世界だからしょうがないでしょう!」
そう怒鳴って、ハッとする。運転席の人物の姿が変化していた。
ガスマスクを被るアレスへと。アレスは彼女――シュノンに同意して、
「そうとも。だからこそ、お前は俺の元へ来るのだ。お前にはまだ伸び代がある」
※※※
「ダメ……私は、ホープと共に……」
「――シュノン! しっかり!」
「クレイド……っ!!」
飛び起きて、ホープの心配そうな顔が視界いっぱいに入ってくる。
すぐに身体を起こしたシュノンは慌てて運転席を確認し、そもそも自分が運転席に座っていることに気付いた。
「あ、ちゃー。変な夢見た」
「うなされていました。悪夢を見たのですね」
「……みたいね、はは。何だって一体……」
懐かしい記憶の中に、忌々しい存在が割り込んできた。どうやらアレスは想像以上に自身に対して悪影響を及ぼしているらしい。彼の言葉は間違いなく真実で、心の奥底に突き刺さるのだ。
それを単独で振り切る力は今のシュノンにはない。ホープがいなければ、どうなっていたことか。
「いやあ、ごめん。……まだ来ないかなー?」
「シュノン。私は……」
「遅いなー。早く愛車に会いたいんだけど」
ホープの言葉を遮って、シュノンはいつも通りおちゃらける。今は大丈夫。そう自分に言い聞かせる。大丈夫、大丈夫。今はクレイドルが座っていた席に自分が座っている。今なら、車も自由自在に動かせて、銃の扱いもお手の物。
何より、人を殺さない戦い方もできる。だから、自分は大丈夫。
「大丈夫ですか、シュノン」
「大丈夫……。いや、大丈夫じゃないかも」
目ざとい相棒には隠せない。自分が彼女の秘密を見抜いてしまうように。
シュノンは観念して吐露する。が、それはアレスが自分に及ぼす恐怖についてではなかった。
「実はさ、私――」
「……」
「泳げないんだよね」
「……はぁ」
ホープが困り惑う。あまりに薄い反応に、シュノンの方が逆に戸惑った。
え? それだけ? と訊き投げたシュノンにホープは平常な返答をする。
「知ってましたから」
「何だってえ!? いつから!? 誰がチクったの!?」
「あなたの精神状態から予測しただけですよ。私は多目的支援型アンドロイド。先輩には劣りますが、他者の心理状態と脳内物質バランスから、精神分析するなどお手の物です」
ドヤ顔でおっしゃる相棒にシュノンは嫌味を口走る。
「アンの嘘を見抜けなかったくせして」
「あ、あれはアンという少女が特殊だっただけです!」
咄嗟に弾き出した言い訳に、シュノンははひー、という意味のない息を吐き出した。本当に意味がない。中身もない。それならば、少なくとも先程の喧嘩もどきは回避できた。
というよりも、彼女の中で眠るウィッチは何をしているのか? こういうのが得意なあのおちゃらけアンドロイドはきっと、ホープとシュノンのやり取りを見てにやにやしているに違いない。ホープの気持ちがほんのちょっぴりだけ理解できた。
「でも、不思議。止めないんだ」
「あなたの存在は私に力をくれますから。それに、いざという時は私が守りますので」
「そりゃあ、私は優秀なエンチャンターですしね」
と適当に応じたが、顔は背けている。
今度は苛立ちからではない。顔を赤くするほどの幸福からだ。
それを知ってか知らずか、ホープはこそばゆいことを連発してくる。
「その通りです。あなたはとても優秀なパートナーですよ、シュノン」
「うぐ……そ、そりゃああなただって優秀なポンコツドロイド――って、ああっ!!」
恥ずかしいセリフを言い返すべく振り向いたシュノンは、ホープの笑顔がウィッチのそれに変わっていることに気付く。このタイミングで切り替わりやがったらしいウィッチは憎たらしい笑みをみせて、上機嫌なご様子だ。
「いいねー! デレたねー!」
「何がいいのよ! 今までおねむさんだったくせして!」
ウィッチは臆面なく言葉を並べる。シュノンの怒声をよそに。
「こういうのは当人同士で解決するのがベストだからねー。でもさ、いつまでも秘密を秘密のままにしちゃダメだぞ? 今はいいけど、本当につらくなった時はホープに打ち明けること。ま、別にお姉さんにしてくれてもいいけどねー」
「決めた! 絶対あなたには言わないことにする! これは絶対! 決定事項!」
「ええー。お姉さん泣いちゃうなー。うえーん、めそめそ」
「くそー! 早く来い! お迎え早く来いー!!」
シュノンの悲痛な叫びは、アーマークローズのプライスレスの中で反響するのみ。
年下をからかう恐ろしき魔女の蛮行は、メカコッコの使いが現れるまで続いた。それまでの間、シュノンの心に精神的疲労が蓄積したのは言うまでもない。