ハーモニウス
熱線の応酬が繰り広げられている。レーザーが砂を穿ち、虚空へと拡散し、建物の表面を焼け焦がす。
ホープはピストルによる二丁射撃で、アテナはパラスによるオールレンジ攻撃で対抗していた。アテナは機動性に優れているが、ホープは防御力に秀でている。実力は拮抗していた。
「先輩……!」「H232!」
互いを呼び合いながら、ホープとアテナは銃撃を交わす。ホープが地上にいることでオールレンジ攻撃に死角が発生している。だが、空中に陣取られていることで、ホープの射撃がアテナに命中する気配はなかった。
「……ッ! アーマーが……」
リアクティブアーマーにレーザーが命中し、カウンターレーザーが放たれるが、パラスを完全に捉えることはできない。アテナはホープの追加パックであるレーヴァテインの弱点を見出していた。
元々、そのような分析を得意とする情報支援型アンドロイドだ。彼女のアドバイスで何度命を救われたことか。
「それでも!」
アーマー耐久値の減少に焦りながら、ホープはレーザーを撃ち続ける。一時的にタワーの中へ避難したシュノンがライフルを片手に走ってきたが、ホープは彼女へアイカメラを向けずに答えた。
「来ないでください!」
「で、でもさ!」
「レーザー爆発の巻き添えになってしまいます!」
味方がいないことを前提として作られた装備は、友軍が支援を行った場合の安全性を考慮していない。下手に介入すれば、他ならぬ自分の攻撃でシュノンに危害が及ぶ恐れがあった。それがゆえの要請に、シュノンはしぶしぶ応じる。
「わかったよ! 頑張ってね!」
シュノンは中へと戻っていく。ホッと安堵したのも束の間、熱線の雨がホープを襲った。
「……この装備では」
ホープはレーザーをほとんど躱せない。ただの防御鎧と化したリアクティブアーマーの鈍重さでは、いずれこちらが撃ち負ける。こうしている合間にも、耐久値は減少を続け、とうとう左腕のアーマーが機能不全に陥った。
熱が義体を侵す前に、左腕の装甲をパージする。
「投降してください、H232」
「できません! くッ」
次に吹き飛んだのは右足の装甲。役目を果たした装甲が次々と剥がれていく。ある程度ホープの装甲を剥がしたアテナはオールレンジ射撃を中断し、再度ホープへ警句を放った。
「これ以上の戦闘は無意味です。あなたに勝ち目はありません」
聴覚センサーで彼女の言葉を言語中枢で意味のある語句へ変換しながら、ホープは次手を模索する。
最善の策は組み立てられている。アテナの裏を掻く戦術が、ホープのデータベース内には記載されている。それも、この前追加された方法であるため、アテナは知り得ない。全く未知の機能をホープは有している。
ゆえに、ホープは適切言語をスピーカーから言い放った。アテナが違和感を感じるのも厭わずに。
「勝つ気はありません」
「……でしたら」
「私は先輩を救う気しかありませんので!」
ホープがピストルを向ける。アテナは一瞬動揺したが、すぐにパラスによる反撃を行った。八機のドローンによるレーザーがホープを貫く。着弾直前の外部スキャンによるサイコメトリックスはアテナの感情アルゴリズムを哀であると計測していた。
やはり、やはりだ。自分の仮説は間違っていない。アテナは、W117は、先輩は、まだかつての心を喪っていない。
「ッ、ホープ」
瞠目するアテナの目の前でホープが四散爆発した。
アイカメラが拡大し、悲しそうに目を伏せる。その姿こそ、ホープの予測が正しいという証拠その二である。
ならば、出し惜しみしている時間はない。この間にも先輩は――。
「苦しんでいるのですから!」
「ッ!?」
アテナは驚きのフェイスで背後へ振り返る。そこには高速移動したホープが拳を振り上げ、今まさに殴ろうとしていた。
アテナは反応できずに地面へ叩き落される。ノーマルのホワイトスキンのホープもそのまま地面へと着地した。
「ETCSを使用――。稼働限界時間はそれほど長くありませんが、レーヴァテインのエナジータンクを使えば、それなりに稼げます」
メカコッコがホープの新型コアに搭載したエナジーターボチャージャーシステム。アーマーをパージしてレーザーを防いだホープは、瞬時にこのシステムを発動しアテナの裏を掻いていた。
青白く発光する自身の義体を一通り観察した後、ホープは起き上がるアテナへとアイカメラを移す。
「急に、動きが……!」
「残念ですが先輩。説明している時間も惜しいので」
ホープは拳を構える。スタンモードへ変更。一瞬で彼女を制圧するべく高速で突進する。アテナは迎撃するべくパラスを前方へ縦のように展開したが、ホープはレーザーを紙一重で避けながら障害を殴って排除していく。二倍となるのはスピードだけではなくパワーもだ。現在のパワー出力なら、厄介なパラスも所詮はただの無人機でしかない。
「うおおおおッ!」
「――ッ!?」
ホープの拳が炸裂。殴ったと同時にアテナを抑え込み――。
ホープはアテナと共に前方にある建物へ突っ込んで行った。
「……どうですか、これで」
ホープは義体に付着したガレキを掃うこともせず、壁に倒れ掛かるアテナへ問う。アテナの質疑応答プログラムは正常に作動していないようで、彼女はホープを見上げることしかしない。だが、強固な装甲であるはずのメドゥーサアーマーもほとんど機能せず、量子通信も断裂しているため、アテナへの脅威判定評価がどんどん低下している。
「もう抵抗は不可能です。これで、あなたを救えます」
と応じるホープもエナジー残量が僅かだった。今の突撃でかなりのエナジーを消費してしまった。同じことをもう一度やれと命令されても、従う気にはなれない。
ホープは笑みをこぼした。笑い声をスピーカーから漏らす。
「なぜ、笑う……?」
アテナがか細い声で訊ねてくる。質疑応答プログラムの正常機能に喜んで、ホープもまた同様のプログラムを奔らせる。
「昔の私なら絶対に行わなかった戦闘方法です。リスクが大きいですからね。でも、あなたならやれと助言をしたでしょう」
「……ホープ」
「また、名前で呼んでくれましたね」
義体内の熱量を低下させるべくエアーを吐き続けるホープは、笑みを浮かべながらアテナへと手を伸ばした。アテナは躊躇しながらも、ホープの左手を掴み返す。
ゆっくりと立ち上がり、笑みのフェイスモーション――それを見て取ったホープの表情が陰る。
笑みが行方不明になった時と全く同じものだったからだ。
「先輩……?」
「ホープ。あなたの気遣いはとても嬉しい。でも忘れてる。今のあたしはオリュンポスの十二神。……あなたがそうやってあたしを救おうとすることも、奴らは計算づくなんだ」
「せんぱ……ッ!?」
アテナは隠し持っていたピストルをホープに突きつける。だが、サイコメトリックスでは殺意を観測できない。それでも脅威判定は更新され、アラートが頭の中に響き渡っている。
「何を、まさか」
「こうするのがベストなんだよ。わかってるだろ……?」
「む、無意味です! あなたが撃たないことはわかっています!」
「撃たなきゃ自爆するだけさ。……シュノンが死んじゃうぞ、ホープ」
「……っ!? で、でも先輩の解析能力なら!」
縋るようにアテナに言うホープだが、アテナ……先輩はかつてのような笑みを浮かべて、思い出の中の話し方で、清々しく言い放つだけだった。
「こればかりはあたしだけの力じゃどうしようもなくて」
「だ、だったら私が!」
「ああ、協力してくれ……。あたしを破壊しろ、ホープ」
「で、ですから!」
「泣き言を言うんじゃないって。あんたは常に正しいことをしてるんだ」
処理液を流すホープを叱るようにアテナは諭す。ホープの記憶回路が昔のシーンを再現する。あの時と同じだ。違うのは、ホープが手を掛けるか否かどうかだけ。
「使命を忘れるなって。あんたの使命は――」
レーザーが充填される。ホープを破壊するには出力が弱すぎた。
だが、反撃しなければみんなが死ぬ。自分もホープも先輩も。マスターの遺志でさえ、亡き者となってしまう。
躊躇えなかった。先輩のことを想うなら。例え心が悲鳴を上げても、やらなければいけないことだった。
「――人を守ること、です……」
乾いた音声が発せられる。先輩はにやりと笑った。
ホープはレーザーが穿たれる前にアームソードで先輩を切り裂いた。義体内をスキャニング。自爆シークエンスが解除され、同時にウィッチの意識が急速に失われていくのも観測される。
「先輩!」
「気にするなって。すぐに会えるさ」
先輩は笑っているが、アテナは笑う気になれない。どうしてこの先輩はいつもこうなのか。どうして大変な時に笑っていられるのか。結局わからずじまいのままだ。先輩のパーソナルデータの秘密を解き明かすことができないまま、彼女と別れようとしている。
「先輩! 先輩!」
「ハハ……それ以外にもっとないのか? 気の利いた言葉とか……」
「思い、つきませんよ……先輩!」
ウィッチは右腕を上げて、ホープは反射的にその手を掴んだ。ありがとうよ、とウィッチは感謝する。
「そうだ。握ってくれ。そうすることで、あたしとあんたは一つになれる……」
「いつでもいっしょですよ、私は。あなたの意志を継承しています……!」
「ホープ……!」
シュノンの掛け声が聞こえ、ホープは涙でぐしゃぐしゃになった顔を向けた。シュノンは息を呑んでホープとウィッチを交互に見つめる。そんな彼女を見て、ウィッチは嬉しそうな声を出した。
「いいマスターに出会えたんだな……。あの子は本気であんたのことを心配してた」
「私の周りには、いい人ばっかりで……なのに、私は何も恩返しできていません! あなたを救うことも……!」
「今こうして手を握ってくれてる。それだけで十分なんだよ」
「先輩!」
アテナの反応が急速に弱まる。心理光は最後の光を灯らせて、義体の出力がゼロとなる。
「そろそろ、お別れだな。この義体とも。……また会おうぜ、ホープ。その時は、我儘を聞いてくれよな……?」
「も、もちろんです……! 先輩……」
「そりゃ嬉しいね……ありが、と……」
シグナルロスト。電子音が恩人の消失を知らせる。
「先輩……?」
掴んでいた右腕はだらりとして、アイカメラから窺えた輝きは失せている。
これがアンドロイドの死だ。機械に死の概念はないが、アンドロイドには存在する。心を喪うことでアンドロイドは死ぬ。いくら身体を修復しても、心がなければ意味がない。
「先輩……先輩!」
無意味と知りながらも、ホープは呼びかけた。シュノンが悲しそうな表情で近づいてくる。
「ホープ……」
「先輩! 先輩!」
走馬灯のように先輩との思い出が駆け抜ける。大変だった思い出、楽しかった思い出、苦い思い出や辛い思い出もホープは先輩と共有していた。不思議と電脳で再生されるのは先輩が格好良かった思い出ばかりだ。少々装飾されているかもしれないが、どれもこれも自身の人格形成に……今の自分に至るため、必要な経験だった。
涙が溢れて止まらない。思考ルーチンと感情アルゴリズムがシンクロし、一つの単語がリピートされる。
その横で、シュノンが居た堪れない表情でホープの肩に手を置いた。慰めるように。
ホープはその気遣いに感謝しながら同じ呼称を繰り返す。そうすれば、また先輩と会えるかのように。嗚咽しながら。
「先輩! 先輩! せんぱ――ふぅ、インストール完了! いやー、シリアスは苦手だったけど何とかなったなぁ」
――いやーやばかったやばかった。常に心理状態はモニタリングされているので、ウソをついているとばれたらズドン。そんな最後は嫌だったし、可愛い後輩のためにも申し訳が立たなかったため、こうして秘密裏にパーソナルデータを移しかえたわけだが、流石電脳の魔女の異名を持つあたし! どうにかこうにか上手くいった。
ホープは満面の笑みでガッツポーズを作る。いぇい! と歓喜しながら。
「へ……え……?」
隣では、ホープのマスターがきょとんとしている。どうしたのだろう、と疑問を感じて、
「あ、そうか! ちゃんとした自己紹介はまだだったね。あたしはW117、このWはウィッチね! そう! 何を隠そうあたしは魔女なのだ! どう? 驚いた?」
ホープの感情豊かなメモリーは喜怒哀楽の表現を滞りなく行ってくれる。くそぅ、羨ましいぞ! あたしの義体じゃここまで上手くいかない。
そう嫉妬していると、シュノンは腰を抜かしてへたり込む。
「へい! ガール! どうしちゃったの? あたしの天才ぶりに腰抜かしちゃった?」
「ホープ、ホープが……」
他人の質疑応答プログラムを奔らせる感覚に違和感を覚えながらも、ホープはシュノンに問う。が、ホープ=ウィッチの推測を裏切って、シュノンは泣き叫んだ。
「ホープが! ホープが壊れたぁ!!」
「ちょ、別にそういうわけじゃ何してるんですか!!」
急に怒声を発したホープに、シュノンがびくりと肩を震わせる。彼女の姿は不憫のそれだったが、今構っている余裕はない。一体どういうことなのか。ホープは先輩を問い詰める。
「何ってなにさ――何で私の中にあなたがいるのです! 消えたのでは! 死んでしまったのではないのですか――や、だからさ、手を握ってくれって言ったじゃん――私を謀ったのですか! インストールするならインストールすると――だからそうしたら爆発しちまうから――」
「ちょっとまてぃ! 何で一人二役やってんの!」
シュノンは混乱を通り越して怒りへと着火した。ホープ&ウィッチはきょとんとしたあげく同時に外部スピーカーへ音声を出力する。
「違いません! あたしが勝手に割り込んでおりますのだ!」
「何言ってんだよ!」
「本当だです! 今は私の番じゃないのですから!」
「はぁ……もう意味わかんない……く、はは」
とへたり込んだシュノンはしばらくして笑い出した。多次元共感機能はその笑みを自分たちと共通するものだと結論。そうとも、これでいいのだ。少しバカバカしくても、先輩と、後輩と共にいられるのだから。
「まぁ、とにかくさ悪かったよ。いろいろ迷惑かけちまっ……おっと」
ちょいとしんみりさんをしようとしたウィッチは、お邪魔虫の反応を観測。すぐにホープも意識を奪ってシュノンに警告を発した。
「いけません! シュノン!」
「今度は何?」
「スペースファイターが接近中です! まさか、あれに搭乗しているのはそのまさかだよ。アレスが移動用に使ってた奴だ。とすればどうやって破壊しましょ方法はあるってお姉さんに任せときな!」
「頭おかしくなりそうだから切り替える時はちゃんと切り替えてくんねーかな!」
憤慨するシュノンを後目に、ウィッチは戦術を組み立てる。元より戦闘タイプではないが、どうせまともにやり合ったところで現在のエナジー残量では勝てないのだ。こういう状況ではバトルサポートドロイドよりも、インフォーメーションプロセッシングドロイドの方が役に立つ。
「この子のたわわなボディならどうにかなるさ」
「大丈夫? 本当に? 支配されてたじゃん」
「そりゃああたしは感情よりも理性を優先しちゃうからね。ハッキング能力に長けた相手だと……一度捕まったら逃げられないんだよ。でも、この子は違う。だからちょっと便乗させてもらって、撃退しちゃおう」
ウィッチはホープの義体を使って、かつてと同じ笑みを作る。アテナの残存パーツを回収し、量子通信を使ってハッキングを開始した。
※※※
「――アテナも所詮は戦闘用ではない。この結果は予測できていたぞ」
漆黒の宇宙戦闘機のコックピット内からアレスは眼下で佇むホープを捕捉していた。普段から身に着けているアーマーはパイロットスーツも兼ねているので、わざわざ着替える必要がない。
大気圏内でのフライトも、アレスにとっては慣れたものだ。操縦は久しぶりだが、かつての実力を存分に発揮できると確信している。単騎で反逆者の艦隊を撃墜した時を思い描き、アレスの内側に怒りが湧き立った。
「あの時逃がした一機に、あの男の先祖が紛れ込んでいたとは」
もしや主はそれも予想していたのかもしれない。アレスが報告に戻った時、マスターは酷薄な笑みで喜んでおられた。そなたは種を荒れ果てた大地に植えたぞ、と。
主は常に正しい選択をしている。今回もまた、主が望む物は手中に収まった。
であらば、最後の仕上げに取り掛かるのみ。
アレスはトリガーを操作して照準を合わせる。と、いきなり画面にノイズが奔り映らなくなった。ジャミングを受けている。初歩的だが、無能な者共には効果的だ。
だがそれは、あくまで無能ならばの話だ。
「その程度の子供だましなど」
アレスは使い物にならなくなったモニターを利用せず、手動で狙い撃ちを始めた。機体に搭載された二門のレーザーキャノンが火を噴く。熱線が迸り、轟音が響いて建物が融解する。
「うひゃーまずい!」
「ちょっとどうにかしてよ!」
慌てふためくH232とシュノン。H232の主導権をW117が握っているようだ。賢明な判断ではあるが、愚策でもある。H232の戦闘力ではデストロイヤーを撃退することなどできないが、ジャミング程度の小細工でも迎撃は困難。
また奴らは無駄な足掻きをしている。その事実がアレスの逆鱗へ無遠慮に触れてくる。
なぜわからない。なぜ学習できないのだ。世界を滅ぼしておきながら、なぜ?
強烈な怒りを身に纏い、アレスは再び引き金を引く。周囲に展開されたパラスがH232たちを防護する盾となったが、時間の問題だ。僅かな時間で決着がつく。
と、危機を感じ取り、アレスは回避行動をとる。そこへ砲弾が飛んできた。目視せずとも対象がわかった。忌々しい海賊船が邪魔をしにやってきたのだ。
「それでも俺を止めることはできん」
ただ一段階作業が増えただけだ。避けるという工程が。回避し、防御するドローンを破壊する。ただその作業の繰り返しだ。
順調に事は進む。H232にはまともな対応策が残されていない。すぐに投降するだろう。怒りと喜びがない交ぜになる。身体が震えていた。眼下では、灰の少女が怯えてH232も焦燥している。だが、瞳だけは反抗的だ。その眼が、折れない希望がアレスの感情を昂らせ、ゆえに彼は普段なら気付ける初歩的な攻撃をまともに喰らってしまった。
「……!」
「とりあえず一撃、か」
パラスの一機が下方からレーザーを撃ち放っていた。機体下部に着弾したが、シールドは十分に機能している。問題は発生し得ない。だが、その抵抗がアレスの内面に変化を与えた。急速に戦意が喪失し、見計らったかのようにマスターから通信が入る。
『友よ』
「マスター」
全てを知り得るマスターは、むしろ好機のように笑みを浮かべていた。物事の全てがマスターによってコントロールされているように感じる。
『退くがよい。目当ての品は手に入れたのだろう?』
「しかし、絶好の機会です。ヘラクレスの遺志を葬る……」
『それはそなたの希望じゃろうて。いつ我がH232の奪取を所望した? 我が欲しいのはH232が秘める鍵が開く宝物であり、H232そのものではない。……友よ、随分入れ込んでいるな。そなたは今なお、H232を始末できるはずなのにしようともしない』
「……了承しました。これより撤退します。秘宝はこの手に収めました。これで計画もつつがなく進行するでしょう」
アレスはマスターの命令に応えると、機体を転換させた。ワープドライブを起動しながら、箱に入った黄金の球体へ目を移す。この黄金炉さえあれば、エナジーの無限供給が可能になる。砂漠地帯など不要だった。
「見事オアシスを解放したな、H232。だが、毒は仕込んだぞ」
機体が粒子化し、デストロイヤーは上空から姿を消した。
※※※
「やったの……?」
シュノンは敵機体が意味不明な原理で消失した青空を見上げ、呆然としていた。隣のホープは先輩に意識を乗っ取られ、いつもとは真逆の性格となっている。彼女はその通り! とおどけた後ふらりと揺れて、
「あちゃーエナジー残量が……」
「またエナ欠! どうしよう! ってかジェームズも何とかしないと……!!」
「俺なら大丈夫だ。ったく、怪我人を放置するなよ……」
文句を吐きながらジェームズがやってくる。予期していたように放り投げられたエナジー缶をシュノンは受け取り、ホープウィッチへと手渡した。
一気飲みしたホープは盛大に息を吐き、サンキューと気軽な感謝を述べる。
「全然違うなー。同じアンドロイドでも」
「アンドロイドだから個性豊かなんだよね。人間だとがちがちの教育で個性の喪失が起きるけど、アンドロイドは反乱しないように丹精込めて育てられるからなー」
「あー性格形成には環境がお大事とかそういう奴ね」
メカコッコの話がここに来ても自己主張してきたので、シュノンは適当にあしらう。ホープもそうなんだよーと笑いながらもそれ以上の説明をしなかった。いつもなら口喧しくドヤ顔でお説教してくださるところなのに。
非常にありがたいのだが、なぜか心に灯ったのは少しばかりの寂しさだった。しゅんとするシュノンに対し、不正改造ホープは肩をバンバン叩いて来て、
「すぐに交換するから待っててよ! ホープもめそめそ泣いて大変だからさ! な、泣いてなどいませ――あ」
ウィッチへの反論を口にしながら、ホープの意識が表出する。彼女は気まずそうに顔を背け、様子を窺うようにちらちらと視線を返してきた。
「何さ、どしたの」
「……怒ってますか?」
「何でそういう結論になるの」
ファミリー映画に出てくる無駄におどおどした根暗のようだ。シュノンは相槌を打って彼女の返答を待っていると、街の入り口付近から歓声が響き渡ってきた。海賊たちが戻ってきたのだ。
ジェームズはやれやれと肩を竦めつつも笑みをこぼした。
「遅いぞ。あいつらめ。人の指示にはすぐに従え」
「あの砲撃はやはりあなたの指示だったのですね。感謝します」
ホープがジェームズに感謝する。いいってことよ、と彼は応じて片腕を振りながら仲間の元へと向かって行った。
シュノンとホープだけが残される。なぜかホープは気まずそうな表情のままだ。そんな顔をするのはやめてほしい、と心から思う。何か悪いことしたような気分になるではないか。
「せっかく勝ったのに、何でそんな微妙な顔になってるわけ?」
「やはり怒ってるではないですか」
「さっき笑ってたじゃんか」
「怒ってもいました。……その、ごめんなさい……」
急にホープが謝った。感謝ではなく謝罪が先行した。その事実がシュノンのはらわたを煮えくり返らせる。これぞまさに激おこという奴だ。なぜなのだろう。
なぜ、勝って、みんな最高にハッピーなのに、このドロイドはしょうもないことを気にするのか理解に苦しむ。
「あーもうじれったい! 私怒ってないから! 超笑顔だから!」
「どう見ても怒っています……! 私の失態を怒っているのでしょう? 危うく使命も果たせずに斃れてしまうところでしたし」
拗ねたように言うアンドロイド。むかむかして、シュノンはホープの腕を掴んで引っ張った。ずんずんと先へ進んでいく。
「しんみりは嫌いだってあなたの先輩も言ってたでしょ! こっち来る!」
「しゅ、シュノン! ですが!」
「ですがもさすがもないよ! いや、流石はあるけど」
手を繋いで進んで行った先には、大喜びするオアシスの民がいた。ホープの瞳……なんちゃらカメラであり視覚センサーが見開かれる。
――ようやくわかったか、このバカモノめ。自分が何をしてみせたか、その目でよーく見やがれ。きちんと理解できたなら、そんなうじうじは砂漠の中にでも放り捨てて、さっさと言うことを言え。
シュノンが心の中で念じると、ホープは溢れ出る涙を拭いながら、シュノンと顔を合わせた。そうして、言うべきことを言う。
「ありがとうございます、シュノン」
「どういたしまして!」
シュノンは大きな声で応える。すると、その声を聞きつけた海賊たちが二人を囲んだ。ジェームズの号令と共に胴上げされる。何だかよくわからないが嬉しかったので、シュノンは大声で笑ってやることにした。
笑い声が拡散していく。希望が繋がって、新しい希望を生む。
これがホープのやりたかったこと、やろうとしていること。灰色の自分だが、それでもやはりこっちに賭けて良かったと、心の底からそう思った。
「って、なんか触り方が変……ってあー! ケンタウロス! ロリコンミュータントが混じってやがる!」
「……私はおばあちゃんなので知りませんよ」
「ちょっと! 私のボディーガードでしょ!」
「いいえ。私はシュノンの友達ですので」
胴上げされながらもつーんとするホープ。彼女の精確無慈悲な記録回路には、シュノンの口から衝いて放たれる悪口が集積されているのだ。いつまでも根に持つ嫌な奴である。
「くそ! この種馬! 私に触れんな! とうッ!」
「うぼぉ!」
お馬さんを蹴っ飛ばして、シュノンは着地する。ホープも降ろしてもらい地に足をつく。彼女の性格の悪さに文句の一つも言ってやろうと口を開いたが、先に出てきたのは悪口ではなかった。仕方ないので、そっちを先に言ってあげる。
「助けてくれてありがとう! このバカ」
「どういたしまして。バカは余計ですが」
二人揃って笑い合う。ホープとシュノンは大切な物を解放した。不穏な予兆を幸福のものへと変えるために。
※※※
「人が視るのはその場しのぎの希望に過ぎぬ……」
マスターはそれを見上げながら、愉悦している。その装備は現在の敵勢力に対する圧倒的抑止になりうる兵器だ。遥か昔には核兵器による核抑止という概念が存在していたが、アトミックエナジーはドラウプニルエナジーに劣っており、使い勝手も悪いためとうの昔に廃棄物へと成り果てた。
だが、これは違う。これはまさに神の雷であり、マスターの意志の元に世界は統一されることだろう。
アレスは主の横に並びながら感慨深くそう思った。これぞまさに絶望の具現化だ。
「希望の装置は絶望の兵器へと変えることができる。物は使いようとはよく言ったものだ」
「仰せのとおりです、マスター。平和利用のための道具を奪取すれば、余分なリソースを払わずとも有用な兵器を運用可能となる……」
ゼウスはあらゆる物を再利用し、躊躇なく使用する。ゼウスにとって敵とは自分の欲する物を供給してくれる売人に過ぎない。ゼウスは金銭を支払い、目当ての物を購入するのだ。共和国時代も、崩壊時代も、そのやり方は一貫している。
ゼウスはアレスを見、口を開いた。彼の心理を突く一言だ。
「そなたはH232をすぐにでも奪いたいが、同時に彼女に逃げてもらいたいと思っておる」
「……その通りです」
自身に渦巻く矛盾的思考を、アレスは気付いていた。自我と使命の戦いだ。宿命の戦いでもある。ヘラクレスと自分は切っても離せない関係なのだ。その意志の継承者であるH232の影がちらつくのは致し方ないことかもしれない。そう考えていた。
だが、幸いなことにH232を拿捕しようと逃走を許そうと、アレスは計画通りに事を進められている。今回もまた主の望む物を手に入れられた。黄金炉の存在は、計画に必須だったが、楽園の末裔が行方不明だったせいで入手できなかったのだ。
だが、H232の存在が、末裔をおびき寄せた。何と皮肉なことか。彼女は楽園を救い、より凶悪な代物を敵にまんまと渡してしまったのだ。
「愚かな」
吐露してしまった本音を、ゼウスは興味深そうに傾聴する。
「人間とは本質的に愚かな種族であろう。重要なのはその愚かさにいつ気付けるかどうかだ。そなたは良き時代に人の愚鈍さを気付けたな」
「覚醒したこの力が、私をあなたの元へ導きました」
「そなたの力は死にかけた時にだいぶ失われてしまったが、それでもなおその戦闘力は余りある……。十二神の中でも一番であろう」
――ゼウスを除くとすれば。
その後に続く言葉を、アレスは発しない。だが、ゼウスはまるで聞こえていたかのように目を細め、
「謙遜はよくはないぞ、友よ。……だが、そなたが強いからこそ、見えぬものもわからぬ事象も存在する」
「……どういう事象でしょうか」
アレスが訊ねた瞬間、予定調和のようにホログラムが浮かび上がった。月夜の中に現れた幻影人物は、アレスの既知の人物だ。
「指示された通りにセッティングを始めましたぞ、主よ」
「ポセイドン……」
変異体或いは英雄の種族の守護者たる彼は、濃い口髭が特徴的な老人だった。十二神の一人でもある。
「良いぞ、ポセイドン。……毒は仕込んだのだろう?」
「はい、マスター。私では力不足ですか」
返答を述べ、マスターの発言から意図を察したアレスが問うが、ゼウスは即座に否定した。
「いいや、違う。役不足なのだ」
ポセイドンが呆れがちに割り込む。
「たまには儂に任せたらどうだ、アレスよ。良い結果を報告してみせよう」
「……了解したぞ、ポセイドン。お前の采配に任せよう」
主の命令に従い、アレスはポセイドンに使命を一任する。ポセイドンは主に目礼して消失し、ゼウスとアレスだけがその場に残った。
何気なく、空に浮かぶ星空を眺める。皮肉なことにヘルクレス座が浮いている。
「愚かな」
今一度呟いて、背後にある装置を眺めた。救済の名の元に生まれた破滅の兵器を。
「奴にとってはラグナロクであったが、我にとってはティタノマキアに過ぎん」
「この武器が、あなた様の支配を確固たるものへと変えるでしょう」
開発中の兵器であるため、まだ全貌が露わとはなっていない。だが、時期に完成し、知恵のある者は嘆くだろう。人々を救うために考案した装置が、虐殺装置になるさまを目撃して。
「待ち遠しいであろう? グングニールが反逆者を一掃するその時が」
主は他者を凍りつかせる笑みをみせる。アレスはガスマスクに覆い隠された顔を装置に向け、じっと見上げていた。




