インド入国前後
T氏=田沼は元豊京市の公務員であった。
公務員を退職した後、数千万円もの退職金を全部注ぎこんで、奥深い森林の中に山荘を建てた。
SNSの中にコミュニティーを設けて、山荘でのオフ会を呼びかけていた。
「いずれ東京は大地震で壊滅します。そのときに首都機能を何処へ移すか? 僕は豊京市が最有力とみています。その時に、この山荘が価値を持ちます」
田沼は、「その時はいつになるか分からないので、取りあえず、この山荘を介護施設的に活用しようと思っています」
と現実的な話をしていた。
「ボランチィアで看護師や介助士に来て貰って、終末医療の拠点にしていきたいのです。」
「こんなに山奥では、現代版の姥棄て山にならないですか?」
「山奥なんて、とんでもない。この先へ行くとすぐにバス通りがあるのですよ」
近くの街までは30キロほどはある。車でも曲がりくねった山道で、いくら近くにバスが来るからと言って、年寄りを一度入所させてしまうと、子供達は早々には寄りつけるものではない。
それでも、確かな情熱と人間愛に溢れた者の手で運営されれば、老後の死に場所には悪くはないかも・・・・と私は思った。
都会で孤独に息を引き取るよりは・・・・?
ところが、私の期待は無意味なものとわかった。 インド旅行の直前会合で、真意を聞かされた。
「老人福祉などやりませんよ。老人の面倒を見ていては、発展しませんから。僕は事業の共同運営者を募って、あの辺一体を大々的に開発するために準備しています」
話しが変わっていた。そういう世俗の事業に野心を持っていると最初に知っていれば、月例オフ会に、そうそう足繁く通うことも無かっただろうし、第一、オーロヴェルの体験観光そのものにも、期待は出来なかったはず。
オーロヴェル、世俗の利益を求めることのない理想郷実現の共同体として、営まれているという。ほとんどがボランテァという。
ボランティアというシステムには、世俗の野心家達は堪らない魅力を覚えている。彼らに給料を払わなくて働いて貰えるのだから。
田沼もそれに肖ろうとしている? それでオーロヴェル共同体へ食指が動いたのであろうか?
事業を展開する上でのヒントが得られれば、と?
「年寄りでも、溜めた預金など、財産を寄付してくれれば、共同体の構成員になれます。ただ、百万か2百万程度では意味がありませんからね」
興ざめだった。 やはり、金儲けを狙いにしているのだ。
「事業など、利益を求める行為は、必然的に不誠実な人間性を作り上げてしまいますよ。金儲けは人間を不実に、不正義にしてしまう。褒められたものではないですよ」
それに対して、田沼は、「儲けたお金を良いことに使うのなら、問題ではない」 と、憮然と言い放って平気であった。
期待とは何処か、ずれを感じたのだが、もう、後戻りはできなかった。
事業としての参考になるのか、否か、それは田沼の問題。
私は世界一巨大な水晶を据えた瞑想室へ関心があった。超自然の何かがあるのなら、そして、それが事実なら、私が行く事に意味があるはず。
何かが起きるのではなかろうか?
なにもないとすれば、それはそれで、私の基軸に狂いは無かった事への証ともなる。
インドでの二日目の深夜、正しくは3日目の未明、 待ちわびていた田沼一行がようやくのことで、到着した。
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<以下、当時の様子を記した日記より>
昨夜25時過ぎ、今朝の1時過ぎ、、 eチケットに記入されているバンガロール空港到着時間からストレートにタクシーに乗ったとして、小一時間後には到着する、と読んで待っていたが、ロビーにいては到着するタクシーが見えない。
そこで階段の踊り場で見下ろしていた。
暫く待つと、ついにホテル前にタクシーが来た。 彼らが来た、と私は大喜び。だが、日本人では無かった。しかも一人だ。
その客は手際よく手続きを済ませて私の部屋の隣へ案内された。 再び、私は階段の踊り場で待った。
予定の時間はとっくに過ぎた。旅慣れをしている彼らが、タクシーを捕まえるのに、そうそう苦労はしないはず。しかし、乗ったタクシーが目的のホテルを知らなかったりすれば? 当然、遅れこともあるだろう。 待ち続けるより他にはない。
すると、ホテルのボーイは、私に「ねんね」の合図! そして玄関のドアに鍵をかけて、全従業員が周辺の座席で毛布を被り仮眠態勢に入った。
旅の主催者が来ない?!
そんな~~大変だ~~!
「マイフレンド、トウホテルイン、テレホン?キタ?ノー? フレンドネームタヌマ、ミスタータヌマ、テレホン?」
言葉が話せない。 当然、空港に到着すればホテルへ電話を入れているはず。電話が入っていれば、ボーイ達は待っているはず。それが「もうねんね」とドアに鍵を掛けて就眠し出したのだ。
彼ら旅の企画者は、宿泊ホテルを変更したのであろうか? 或いは、私は騙されていた?
いや、そんなはずはない。それはない。
夕方、フロントでネットに接続しているとき、当の田沼からラインで電話が入ったのだ。ホテルまで、タクシー料金は幾ら掛かったかと、尋ねられた。
高速道路利用金とは別に八百ルピーなにがしか、と答えておいた。
そのあと、私は部屋へ戻ったのだが、その間にラインへ質問のコメントが入っていたが、私はそれに気付かずにいた。
曰く「部屋には冷蔵庫が付いていますか?」
何回も送信されていた。
それに答えていなかったから憤慨して、タクシーが目的のホテルを探せないのなら、キャンセルして他に急遽変更、と言う事態もあるのでは?
兄弟、身内のように責任を負う相手ではないのだから、非常の時は、自分で解決して、自分で日本へ帰るようにと、少々冷たいことも言われていたのだから・・・・
緊急事態になると、最悪の場合を考える。その最悪に陥らないようにと、気力を振り絞る。
「ジャパニーズマイフレンド、ブッキング。クル、クル、ツウホテル、カムオン、プリーズ、ドアオープン」
私の知っている単語は、これだけだった。後は手振り身振り、フリーズ、プリーズだけであった。
フロントや二階の階段や、何度も行き来していた。 ボーイたちがすっかり毛布にくるまってしまった後、階段の踊り場で、タクシーが一台横付けになった。 もう、これしか有りようが無い。これに乗ってきているので無ければ、私はインドで、はぐれてしまうことになる。
タクシーの窓を覗くと、一人では無い。 フロントへ降りて、
「カムイン、マイフレンド、ナウカムイン、プリーズ、ドアオープン!」
もどかしくて、私は自分でドアの鍵を外して外へ出た。階下のタクシーは、客も運転手もまだ乗ったままだった。客の人影が見える。ドアから外を見ていた。
日本人に違いない。人数は?三人だ。 私は手を振った。
「お~い!」 すると聞こえた。
「あっ、久米さんだ」
それから全員がタクシーを降りた。私と同様、ここが目的のホテルかどうか、いぶかっていたのだ。
田沼氏が運転手へ大声で言っていた。
「そんな話しでは無かった。八百ルピーで行くという約束だったではないか!その上高速道路料金も払え、とはなんだよ」
英語と日本語と、交互に言うているのだ。高速道路料金とは別にメーターで八百ルピー余、と言っていたので、高速料金を考慮せずに八百ルピーで行けと、約束させたのであろう。
「インドでは、何事も値切らなければいけない。いいなりに払うものではない」
とは、かねてから彼が言うていた信条であり、早速値切りを始めたのであろう。
そんなことより、到着してくれたことが嬉しかった。 タクシーのトランクから一通りの荷物を下ろしたあとでも、まだ、値段の決着が付いていなかった。
初顔合わせの松川氏へ挨拶をしていると、「そんな挨拶は明日でいい」と遮って、なおも八百ルピーにしろ、それが乗るときの約束だ、と言い続けていた。彼の声はでかい。
松川氏が、ヘラヘラと笑いながら、私を指差して、彼は友達なんだ、彼が同じようにタクシーで来ていたから、値段に間違いはないのだ、と言っているようだった。
それで運転手を丸め込んだとすれば、当然、チップなど渡してはいないはず。三人で利用したのだから、随分、安く済んだことになる。
つづく




