古代から続く霊能力と幻想
人類の争いの源、原因、それを私は探り出して提示したい。
その前に、人類の古代文明を見つめていたのだが、なにもインダス文化などの世界の四大文明を探らなくても、日本に一万年も続いていた縄文文化がある。
その縄文時代に、人々はどのように暮らしていたのか?
小さな諍いはあったとしても、人が人を憎しみ殺し合うほどの事はなかったのではと、私は楽観的期待をもっていた。
だが、それは、どうやら違っていたようだ。
なぜなら、古代においても、いや、古代だからかも……。不可抗力な自然の災害や疫病などへ強い畏怖感をもっていたはずで、そこへ登場するのが、シャーマン、霊界と交信するという予言者たちである。その系譜は今も続いている。
「厳然とした事実なんです」
T氏は胸を張って言った。
「目の前に写真の一齣が現れたのです。荒廃した風景広がっている。それがなんであるのか、当人も分からないでいたのです」
「当人も? ということはTさんではなくて?」
私は?T氏自身の話しをしているものと思っていたのが、「当人」云々で念をおした。
「いや、僕はまた別ですよ。僕の場合は写真のように見えるのでは無くて、スクリーンのように文字が流れて現れるのです。その方は何年か前に、現実に発生する前に、その写真が見えたのです。その後、例の東日本大震災で新聞に写真が出て、そのとき、この写真よ!と叫んだのです。つまり、現実の時間が現れる前に、その人の目に時間の先取りで現象を見たのですよ」
超常現象を真剣に話すT氏であった。
私は、すぐには否定しなかった。もし、本当なら?
「本当も本当!科学ではまだ分からない現実がある、と言う確かな証拠です。現に僕もチャクラが開いて、分からないでいた課題が文字の字幕となって現れて、一気に解決したこともあるのですから!」
チャクラ、という珍妙な言葉を初めて聞いた。
まだ人を疑うことを知らない単純な私であった。
本気でいうのであれば、そういう現実も、あるのであろうか?
それが事実なら、その正体を突き止めておかなくては・・・・
古代にも、疑わしいシャーマンがいて、そして、それが現代にも引き続き存在しているということは?
そのシャーマンの系譜、もし、それが事実であれば、私が一生をかけて構築してきた世界観と人生観は一大修正を迫られることになる!
「僕が言えることは・・・」と私がT氏に言った。
「・・・超常現象、つまり霊の働きが有ると信じ込むことの危険性です。例えば神という全世界と全人類を支配している存在が有る、と信じてしまうことは、人間が爾余の存在として重い意味を持たなくなります。それよりも神を優先してしまうでしょう。仮にそういう物があったとしても、有ると仮定しても、我々はそれを認知できないように出来ているのです」
「いや、それはどうですかね」
T氏が不服そうに呟いた。
「まれに感知できる人もいるのかも、、ですが、」
「存在するのですよ」
「仮にそういう超常的存在があったとしても、それは考慮しなくて良い対象なんです。我々人間は、あくまでも自分たち同じ人間へ関心を持ち合っているべきもので、それが神を、霊を敬わずに粗末にしている、と批難されようが、人間を大事にして、弱気を助け正義を、真理を尊ぶ生活をしているのなら、なにも恐れるものではない、ということなんです」
「でも、現実に現れれば、それはそれで大切な物ですよ。まだ科学では証明できていなくても、存在する物は存在していますから」
私は、大衆信仰の対象で有る空海の話をした。
空海の大法螺吹き、加持祈祷のインチキ、などを。
「修行してそういう超人的能力が身に付いたと、吹聴して人々を惑わかしたのですが、それが人々に浸透することで、大事な人間愛が欠落する羽目に陥ったのです」
「いや、ちがうね。空海の信仰で人々は絆を深め合って、助け合う業が出来るようになったのですよ。たとえば、四国遍路の人達・・・」
「同業二人、すれ違えば挨拶を交わして?」
「そうです・・・」 とT氏。
「・・・日本には弘法大師信仰など、仏教の考えと生活があったから、世界にもまれな平和な国になれているのです」
そういうT氏に私は逆らったのだった。
「福祉の思想は、日本から生まれたのではないでしょう? 日本では、身障者は本人自身の前世の罪業の現れ、として忌み嫌われた。これは恐ろしいことです。江戸時代、または明治の頃まで? 由緒ある一門に障害のある子供が生まれると、それが世間に知られないようにと、座敷牢を作って、外へ出さなかったり、または、愛児の内に死なせてしまったり。なぜなら、一門の恥であるから、と」
「……」
「インドから生まれた三世の世界観と因果応報の思想。これを現代人もまだ乗り越えられずにいるのです」
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「この久米さんは、何事も否定してかかる悪いレベルの霊が取り憑いている。マイナーな人なんだ。これは久米さん自身が取り外さなければならない。そのためには、久米さんの問題点を僕は厳しく言うてやる」
インド旅行の段取り全てが整ったあとで、会合したときに、集まった人々の前でT氏に言われたのだった。