ちょっと休憩 終り
それを可能にする何物かが、人間の中に生まれて来たのに違いない・・・・
私は、今回の苦痛に満ちたインドの旅で、それを見るのであった。
小説「インドへの旅」 本編続行の前に
一休憩 として
実は、もう、書きたくなくなった・・・・
優しい人々の多くは、何らかの宗教に関わっている
その人達の心の拠り所となるものを、
私は・・・・
そういう事を言うから、嫌われるのであろうか・・・・
神霊?仏霊?から仕返しをされている?
そんなものは、ない!
無いのだから、どうでもいいのだ・・・・
もし、身近に付き合ってくれて、勧誘されれば
付き合ってもいいはず
そう思うと、気力抜けして 書く気にならなくなった
でも 書いてしまっているのだから
誰からも省みられなくても・・・・・
柿の花は、白かった
葉っぱの色をしていたのは、蕾だったから・・・・
~3/5~もうちょっと休憩 霊とは~続き~
幻覚症状持ちが『自分は霊のレベルが高い』と、私を軽蔑して、殻を破ってやる為だという理由で「打ちのめしてやる」と、散々に陵辱した田沼であるが、彼らの「霊」から見れば、それは正当な行為とみなされる。
百歩譲っても、「時には間違いもある。低級霊に取り憑かれてしまうこともある。それは試練であり、それを乗り越えて更に霊性を高めて行くための一つのステップである」と白々しい。
彼らの「霊性・霊界」説で見れば、田沼は、実は低級霊に留まっていたのに他ならないであろう。もし、言うところの高級霊であれば、人を陵辱して満足するはずは無い。指導するのなら、優しさが優先しているはず。
そういう気配と態度があれば、私は苦しまずにすんだ。
しかし、そういう自省は全く無くて、帰国後、私を仲間から遠ざけてしまったというのは、低級というより、邪悪な霊に取り憑かれているといえるであろう。
でなければ、私へ対して土下座をするように謝罪があってしかるべきはず・・・・
苦しめた者へ、謝ることが出来るか否か、それこそ「霊性」が問われるのであるはずだから。
だが、田沼は私に対して、済まなかったという気配さえ見せないまま、インドの旅を終了させたのである。
チャクラ? 何をか云わんや。古代インドから生まれた迷信が引き継がれているのであり、その結果が、田沼の霊性云々なのだ。
迷信をもって人の優劣を見る! 百害あって一利無し。
~~~もうちょっと休憩 4/5・チャクラとは~続き~
私はチャクラの言葉に辿り着く前に「スピリチュアル」「スピリチュアリティ」などをみていた。それを私は、精神性、思考性、哲学などと勘違いしていた。その意味もあるようだが、それよりも云われる所は、オカルトなどの心霊主義や宗教に関わる概念であった。
彼らは言う。
まだ科学では解き明かされないでいるが、いづれ、確かな存在として解明される、と、大まじめに語るのがこの種の人々だ。
そして、魂の存在を証明するものとして、よく言われるのが臨死体験である。
生き返った人々に屡々、不思議な体験が認められると・・・・
曰く、光りの世界を見たというのだ。それを魂やあの世の存在の証拠としている。
何をか云わん。
それは蘇生するときに死にかけていた脳細胞が再活性化するために生じる一つの幻覚症状に他ならないだろう。
死後の魂の世界など、妄想と云うべきであって、物語の面白さで語られるのなら兎も角、それを本気で信じてしまう事など、あってはならないのである。妄想を信じて行動すると大きな過ちへ到る。
今生きている互いの命の尊さよりも、妄想、幻覚、そして死後の世界へと思いを馳せる。
例えば、池に落ちて溺れている者を見ると、自ら行って助けようとするのでは無くて、神(霊)へ祈ることを優先するのだ。
「神よ、あの溺れて死にかけている人をお助け下さい」
祈ることなど二の次であるというのに!
そして不遇な者へ対して冷たくなる。
「汝自身の前世の罪過の現れだ、恨まず憎まず感謝の心で宜しくのたうち苦しんで死ぬが良い。それでこそ来世でマシな命に生まれ変われるであろう」
この発想のために人類は苦しんできたのである。
それは、なにか?
端的に言えば、悪魔の罠に絡められている、と。
頭脳優秀であったというインド人、悪魔の思想を広めはしても、それを打破する知能は持っていなかった。
それはインド人だけの責任では無い。悪魔を見抜けずに、唯々諾々として受け入れてきた全ての宗教の信仰者たちにこそ、責任があるのだ。
かのキリスト教にも・・・・
次回、
~もうちょっと休憩 最終回~
へ続く
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~~もうちょっと休憩 5/5・チャクラとは~続き~
チャクラとは、体の骨幹である背骨から頭頂部までの間に、7つの「気?エネルギー?」の出入り口があって、霊力の高い者にはそれが見えたり、機能させたり出来る、などと説明されている。
よく言われるオーラ、パワー、その種の物も、このチャクラに関わっている。
個人でそう思っている分には問題は無いのだが、それを尺度にして人を評価しだすととんでも無い事態に陥ってしまう。日本の縄文時代のように、単純な生活を1万年も続けたような平和な時代を人類は二度と辿ることが出来なくなったのも当然というものだ。
そもそも、存在しない「霊」を信じることから、全ての過ちが発生してしまっているのだ。チャクラもしかり。
そのチャクラの始まりもインドであり、因果応報とか輪廻転生、とか、魂だ霊だという超常現象を考え出したのが、古代のインドなのだ。
侵略・殺戮に血塗られた人類の歴史は、実に、このような非現実な妄想を信じるようになったがために可能となった、と、あえて私は断言する。
賢いと言われるインド人が、妄想に取り憑かれて、その妄想が世界に伝播したのだ。
妄想を本気で信じることから、人間は他者の痛み、苦しみを共感できなくなった。異なる「霊」及びその「霊」に共感・同調しない者に対しては、殺戮しか方法がなくなった。
日本人に崇拝されている釈迦と仏教。それも、インドの非人間的差別思想を基盤に持っている。偉いとされる釈迦のどこが?
釈迦はバラモンの思想の何処に風穴を開けたというのであろう。バラモン思想に基づいて存立する釈迦など、偉大でも立派でも無い。諦観を説き、全てを捨ててしまえと言うているだけではないか。
はたして、今までにインドから生まれた思想の悪魔性を誰が喝破したであろう。
身体の鍛錬や精神の修養に良いと持て囃されているヨガも、突き詰めればインドの宗教に発している。その道を究めようとすると、辿り着くのは「霊」であり呪術の入口なのだ。
チャクラ、などという聞き慣れない言葉で、超自然?超常現象?それを現代において普及させようとしている人々が威張っている。そして、滑稽では無いか。古いホテルなどに入るときには、入口で「迷っている霊よ、出て行きなさい」と、手で追い払う儀式をしなければ、迷い霊に取り憑かれて危険だと言いだすのであるから。
それを言うのが、今回のインド旅行の企画者である田沼(仮名)であった。
<ちょっと休憩 終り>
趣味人日記の
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より続き
安宿のゲストハウスで、私は目覚めが遅れた。大急ぎで簡易朝食と日中の飲み物を作り、排便を済ませて、出てみると、すでに誰もいないのだ。
隣室の松川の部屋をノックしてもいない。
まさか?
田沼から「人を頼らずに自分で旅をしなさい」と言い渡されていた。
松川からも、昨夜のように「まるで小学生だ」と軽蔑されていた。
遅れて出て来ないのなら、本人のためだ、置いて行こう、となったのかも?
念のために一階のフロントへ言って「マイフレンド、ミスターマツカワ 、エンドミスタータヌマ、チェックアウト、エンド? ヒアスタート?」
従業員は、イエス、という。
出たというのだ。さあ、大変。もう一度部屋へ戻って荷物を梱包して、ドアに鍵を掛けて、再度、フロントへいって、「マイチェックアウト」と鍵を渡して外へ出た。
チキショー、奴らめ、とうとう置いてきぼりにしやがったのか!!
もう、オーロビルはどうでも良い。バス停へ行って、チェンナイ市内へ行くバスか、チェンナイエアポート行きのバスを探そう。たとえ迷って間違えても、まだ二日半はある。
なんとかなる、なんとか、チェンナイ空港へ辿り着こう・・・・・
バス停へ行って呆然としているよりも、ホテルのボーイに、バスの番号を聞こう。それでも分からなければ、日本領事館へ電話を頼もう・・・・・
悲壮であった。
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連載小説&休憩愚考
つづく




