表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/30

もうちょっと休憩

 私を憎む者さえ、私は切り捨てたくはない。その嫌悪と軽蔑を持ったままでも良い。汝よ、我が友であれ。

以上、趣味人へ http://smcb.jp/_ps01?post_id=6959640&oid=235598 

アメブロへ http://ameblo.jp/syosetu-123/entry-12161587900.html 

より、続き


 私は荷物が座席の後ろへ潜り込ます事が出来なかったので、車掌からフロントの車掌の席の前へ置けと、命じられて、最前列に座っていた。

 小型の台車の車輪が邪魔をしてどうしても座席の隙間に置けなかった。

 荷物が見える所として、運転手の真後ろに陣取った.田沼達の荷物も同じように前列へ置けと命じられて、皆の荷物が見えていた。降りるときは、その荷物を取り出すから、彼らが後ろにいても、平気であった。

 インドのバスの警笛の仕組みが面白かった。通常のようにハンドルに着いているのでは無い。別誂えの警笛システムで、細い棒が二本、水平に伸びていた。運転手が右手を伸ばして、その棒を押すのだ。一本でも充分に大きな警笛が鳴る。二本同時に押せば、倍増して凄まじい音になる。

 バスを追い越して、その前に出た車へ対して鳴らす。速度を上げないでいると、二本押す。対向車がはみ出しそうな気配を見せると、二本棒を押したままである。

 とにかく、警笛を鳴らし続ける。他の車も負けじと鳴らすが、迫力はバスが勝っていた。


 私の横に二人の女性が座った。(三人用座席?)

 若い女性が私の横であった。二人とも太っているので、否が応でも私と密着する。

 バスが揺れても、女性は気にもとめずに揺れるにまかせていた。

 豊かな肉体が私を悩ませていた。手を握りたかったが・・・・。


 宿は、三階であった。車輪突きの台車は、その階段を登ることが出来た。通常のスーツケースであれば、抱え挙げて登らなくてはならないが、15センチほどの車輪だから、曳けば段を登るのである.田沼に「どんなもんだ」と見せたかったが、かれは夫人と他へ行ってしまった。


 松川は私の隣の部屋だった。

 近くの商店街へ食糧仕入れとワイン購入に行くが、来ないか、と、誘ってくれた。二つ返事で付いて行った。

 宿から近い所にスーパーがあった(日本で言えばコンビニくらい)野菜や果物、その他。

必要な物は一通り揃っているようだったが、やはりハムはなかった。

 オクラがあった。日本で見るオクラの二倍もある大きな物だった。これを野菜の補充にと手を伸ばすと、松川に「そんな物、使い物にならんから止めておけ」と一喝された。

 私は湯沸かし器で煮沸して食べるつもりであったが、松川の剣幕に購入を止めて、リンゴと皮剥きの玉蜀黍を買った。それにチーズを。チーズはビニールに一枚づつくるんでいる10枚入りのタイプだ。

「チーズは気温が高いからすぐグチャグチャになるからな」と、また松川が言う。

 固形チーズだとカットした後の衛生が不安だし、一枚づつ包装されている方がまだしも、と考えた。

 そのあと、ワイン(アルコール)探しに松川の後を付いて行ったのだが、信号の無い十字路で、私は立ち竦んでしまった。松川は車の隙をついて渡ってしまう。私は渡れなかった。松川は目立つ白系統の半袖シャツだが、私は黒いジャンバーと同じく黒いズボンだ。夜間の運転手には目に止まりにくい。もしも、接触すると、どうなる?

 それを危惧するとなおさら渡れなかった。向かいの松川が早く来い、と手招きする。

「僕はここで待っていますから」

 松川が戻ってきた。

「ごにゃごにゃ言わんでいい。行くのか、行かんのか! 行かんのならホテルに戻れ!」

 癇癪持ちであった。

 通ってきた道の特徴を思い出しながら、なんとか、一人で戻れた。

 そして、田沼に言っていた。

「道を渡るのが怖い、などと言うのだ。まるで小学生だ」

 なんと言われても、仕方が無い。細心の用心をしなければ、日本には帰れなくなる。


 その不安があったためであろう。田沼から絶交宣言のような虐めを受けたからでもあろう。翌朝、一大パニックに見舞われたのであった。

以上、趣味人へ http://smcb.jp/_ps01?post_id=6959654&oid=235598 

 以上アメブロへ http://ameblo.jp/syosetu-123/entry-12155864130.html 





連載小説 インドの旅 本編続行の前に ちょっと休憩 1/5

以下、趣味人http://smcb.jp/_ps01?post_id=6967717&oid=235598 

 小説「インドへの旅」 本編続行の前の・・・・


~~ちょっと休憩 1/5・チャクラとは~


 チャクラのクループにも、いろいろいあるようだ。

 チャクラの作用や紹介を語っているだけの者や、

 霊性が高いの低いの、霊格が優れいるかいないかなど、さらには「神庁からの働きかけ」とか、低レベルの者と高レベルの者とは、死後にそれぞれ霊性に相応しい処罰を受けるとか、そして神には見逃しは無いとか、、、

 また、前者は後者の間違いを知らしめ導く権利が与えられていて、それを執行しなければならないとか・・・・

 言葉は巧みだ。現代人の不安、怯え、迷いを解決して乗り越えるには、これしか無い、と誘い込んでいる。科学的な装いを凝らして解説している。読んでいると言葉の魔術に取り込まれて洗脳されてしまいそうだ。

 私がその魔術から身を躱せたのは ? かねてからの疑問譜が目に入ったからである。

 神庁で裁かれるとか、前世のカルマ(業)を負って今の世を生きているとか、今の生き方が来世に引き継がれるとか・・・・・

 素直に読めばいつものオカルトの世界、超常現象の世界へ誘われてしまう。

 尤もらしく語っている騙しであり、いかさまであり、善意に考えても精神障害の幻想と幻覚持ちが自分を病気と自覚せずに本気になって信じている、というものに他ならないのである・・・・と、わたしは見るのだ。

 中には、本当に善意な信仰者もいるであろう。それを信じて善行に励もうとしている事に、偽りの無い者もいると思う。

 しかし、発想の基本が違っている。それは、あの世とか、霊とか、今世の命は穢れているから、そこから抜け出だそうという思い込みの妄想に導かれての善意なのだ。

 ほどほどの思い込みであれば良いのだが、もし本気であれば、本気が度を超えると、やがて偏執狂となり、同じ思想とグループへの強要が生まれてしまう。

 さらに、もし、そういう積極的な強さの無い人であれば、今度は別の問題が生じる。曰く、この人の不幸は、この人自身の業であり、本人の自業自得、放置しておくだけのこと、と冷淡な見放しと成るのである。


 存在しない物を「ある」と信じて妄想に取り込まれてしまうのは、本人はそれで誤魔化しの安心感が得られるとしても、彼らと関わる者には要らぬ不安と不幸の暗示を与えられてしまう。それが誘いとなって、妄想の世界へ引き込まれてしまう。

 我々は幼少から、繰り返し暗示に掛けられているのだ。不安に苛まれていると、人は不可抗力的に迷い込むであろう。そこに語られているのは、実に巧妙且つ魅力的な言葉で溢れているのだから・・・・


 因果応報や、前世や来世、輪廻転生、魂の不滅、霊の優劣、、、

 これらは、インドを原発としてから世界中に広まった。その結果、人間は、同じ人間を助け合い、労り合い、不運、苦悩を共感して助け合う生き方を方する事が不可能となってしまった。


  次回~~もうちょっと休憩 2/5~~

   へ続く


 以上、趣味人 http://smcb.jp/_ps01?post_id=6967717&oid=235598



~~もうちょっと休憩 2/5・霊とは~~

 文明は発達しなくても、人類は平和で生きて居れたのである。四大古代文明の発祥する遥か昔、妄想に取り憑かれて殺戮を「善」とした文明が押し寄せて来るまでの約一万年もの長きにわたって、平和に過ごすことの出来た人類の集落があった。

 人間は殺し合い、冷酷に他者の痛みを意に介さない「性」が本性であると思わせてしまった何かが、人類を支配してしまったのだ。

 弱肉強食の生存本能に生きているのだから、仕方が無い?

 それを乗り越え脱皮したのが人間であったはず。それが可能であったからこそ、1万年もの長き年月を、無用な高度文明などで競い合わずに助け合いながら生きてきた人類があったのである。


 その素晴らしい人類を、悲惨にも狂わせたものこそ、狡猾に編み出されたインド発の思想に他ならない・・・・と私には思える。

 多神教の元で自然の万物を崇めている内は問題で無かったであろうが、やがて、生まれ変わりの発想が芽生えた。

 インド人は極めて頭が良い、という評価を得ている。その優秀な頭脳が考え出すのだ。恵まれた者と、不運に苦しむ者とがどうして存在するのか?

 そこから因果応報が生まれ、それを成立させるために、現世・過去・来世と、因果が続くと見た。空想の段階で留まっていれば、大して害は無かったであろうが、不運にもインドは外部から侵略されて、支配を受けることになった。その支配者が、自分たちの支配を正当な物として永劫に維持するために、民衆に漠然と思索されていた思想をうまく取り入れて、確固とした身分制度を構築したのである。

 民衆を反逆させないために、不運に嘆くよりも、与えられた境遇に従事して、来世でより良い生活を期待しよう、という従順な諦観である。

 こうして民衆を懐柔させて置いて、富と権力を持つ王族たちは更に領土を広げようとする。彼ら覇者達は、民衆支配に都合の良い思想を取り入れて伝播させていった。

 広いインドである。十王国、十六王国などと王権が建てられ、争いに明け暮れた。その中で、民衆を逆らわせない為の思想は不動のものと成ったのだ。

 混沌とした騒乱の中から、やがて、多神教に属さない一神教のグループが台頭し始める。すると今度は思想の対立へと進んで、さらに悲惨な時代へと進む。以後、人類は平和を知らない争乱、戦争、殺戮の歴史となっていった。


 1万年もの長きにわたって平和に過ごすことの出来た人間が、どうして、かくまで人殺しに狂奔するようになったのであろう。

 もともと不安と寂寥に人の温もりと優しさ無くしては生きて居れなかった弱い人間である。その弱い人間が、薄情になり冷酷になり、仲間囲いと村八分を正当なものとして厭わなくなったというのには・・・・・

 それを可能にする何物かが、人間の中に生まれて来たのに違いない・・・・

 私は、今回の苦痛に満ちたインドの旅で、それを見るのであった。


(もうちょっと休憩 3/5 へ続く)

以上、趣味人へ http://smcb.jp/_ps01?post_id=6968106&oid=235598



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ